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ゼロの飼い犬1 事の発端?               Soft-M

 人生には転機というものがある。

 俺こと平賀才人みたいに、「突如異世界に召還される」なんていう
極端な転機が訪れる人間は滅多にいないと思うが、
とにかく、人の生活は何かしらの転機でがらりと変わる。
 
 その転機というものは、それが起きた時には気付かない事もしばしば。
 今、思い返すと、あれがひとつのきっかけだったのかもしれない。
もしあの出来事が無かったなら、”今”は全く別のものになっていたかもしれない。
呆れて笑ってしまうような些細な出来事だったけど、あの時がきっと、"今"への始まり。
 
 
                 〜 ゼロの飼い犬 〜
 
 
■1
 
 それは、俺がこの世界、ハルケギニアに来てからさほど時間が経っていない頃。
 俺とその主人が、自分達がガンダールヴと虚無の担い手であることをまだ知らない時のこと。
 
「たらいま〜」
 取り込んだばかりの、日向のいい匂いが漂う洗濯物が一杯に入ったかごを抱え、
俺は”ご主人様”の部屋のドアを開けた。机の上にかごを下ろすと、ふう、と一息つく。
 使い魔というか、小間使いの仕事に順応してしまっている自分を何だかなぁと思いつつ、
俺はちらりとベッドの方へ目を向けた。
 
 一人で寝るには大きすぎるんじゃないかと思える(でも俺は寝かせてもらえない)
天蓋付きのベッドの上には、輝くような桃色がかったブロンドの少女の姿。
 俺のご主人様を自称する、ルイズお嬢様が座り込んでいた。
 どうやら、俺が部屋に入ってきたことに気づいていないようだ。
 
「……?」
 ルイズは膝を抱え込むような不自然な格好で、妙に真剣な顔をしている。
 何事かと思って近づいてみると、ルイズはその手に小さな裁縫用のハサミを持っていた。
 
「何やってんだ?」
「わひゃあっ!?」
 ベッドの傍まで寄って聞くと、ルイズは素っ頓狂な声を上げてびくっと体を振るわせた。
「なっ、ななな、何よ! いつの間に帰ってきたのよ! ノックしなさいっていつも言ってるでしょ!」
「してから入ったぞ。気付かないお前が悪いんじゃねーのか?」
「わたしは聞いてないわ、ちゃんと返事するまで待ちなさいよね」
 ルイズは鼻息も荒く、ハサミを握り締めて文句を言ってくる。
 
「わーったよ、すみませんねぇ。で、そんなに集中するほど何をやってたんだ?」
「足の爪を切ってたのよ。文句ある?」
「爪?」
 ハサミで? と思ったが、どうやらこの世界では爪切りは無いか、あるいは一般的ではないらしい。
 なるほど、ルイズはベッドの上に布を敷いて、そこに生足を投げ出していた。
 
「全然切れてないじゃん」
 ルイズが自分で抱え込んだ足の先の爪には、白い部分がかなり残っていた。伸び放題と言っていい。
「う、うるさいわね。今切り始めたばかりよ。それに、ご主人様の足をじろじろ見るなんて失礼よ」
 ルイズは頬を赤くして、手で自分の両足の指を隠した。
 
 ははーん。そこで気付く。
「……お前、足の爪切るの苦手だろ」
「な、何言ってるのよ! そんなわけないでしょ! このヴァリエール公爵家のわたしが!」
 いや、たぶん家は関係ないから。この反応は図星だな。
「まー、仕方ないかな。お前、何やっても不器用だもんなぁ」
 このルイズと一緒に暮らすようになってさほど時間は経っていないが、こいつが手先の細かい作業や、
微妙な力加減を必要とする作業が極端に苦手なことはよくわかっていた。
 
■2
 
「馬鹿にしないでよね! 何よ、足の爪くらいっ!」
 ルイズは殺意のこもった目で俺を一瞥してから、再び足の指に視線を戻す。
が、ハサミを持った手はぶるぶる小刻みに震えている上に、妙に不自然なポーズ。
どうやら、運動もあまりしていないせいか、体も固いらしい。危なっかしくて見ているこっちが不安になる。
 
「俺が切ってやろうか?」
 見かねて、助け舟を出してやる。
「馬鹿にしないでって言ってるでしょ! 何でアンタに…」
「いやでも、こういう仕事って使い魔にやらせるものだったりはしないのか?」
 着替えや洗顔、ブラッシングまでやらされているのだ。逆にルイズの方から要求してきてもおかしくない。
 
「あ……そうね、こんなの貴族が自分でやる仕事じゃないわね。切りなさい」
 その発想は無かったわ、という顔をして、ルイズはハサミを俺に渡す。
「あいよ。じゃ、ベッドに腰掛けるみたいにしてくれ」
 ベッドに敷かれていた布をとって、ベッドの脇の床に置く。ルイズは「ん」と小さく返事をして、
言われたとおりにベッドに腰掛け、足を布の上に投げ出した。
 
「じゃ、失礼しますよー」
 まずは右足から。ルイズの足のかかとの辺りを持って、少し持ち上げる。
「ひぁっ!? な、何すんのよ!」
 びくん、と足を跳ねさせるルイズ。危うく顎にヒットするところだった。
「あぶねーな、何って、触らなきゃ切れるわけないだろうが」
「触り方がヘンだったわ!」
「ただ持つのにヘンも何もあるかよ…」
 ため息をついて、もう一度ルイズの足を掴む。ルイズはまた小さく足を震わせたが、
今度は蹴り上げたりはしてこなかった。
 
「(うわ、ちっちゃ……)」
 あらためて手に持ってみると、その足の小ささに驚いた。足首も細く、足自体もその指も小さく、
まるで子供の足みたいな印象。口に出したらルイズは起こるだろうが、自分の足とのあまりの
大きさの差に、つい壊れ物を扱うような気分にさせられてしまう。
 そして、その芸術品みたいな足に不似合いな、伸びてしまっている爪。
使い魔だからとかそういうのではなく、このままにしておくのは良くないという気分にさせられてしまう。
 
「それにしても伸びてるなぁ。これだと、いつも履いてる長いソックスもすぐ穴開いちゃうんじゃないのか?」
「えっ! み、見たの!?」
「へ?」
 慌てるルイズの顔を見ると、しまった、といった表情をしていた。
どうやら本当に穴が開いたままのソックスを履いてしまっていたことがあるらしい。
 
「そりゃみっともないやら勿体無いやら。切ってやるから安心しな」
「うう〜、また馬鹿にして…」
 つい笑ってしまいそうになるのを堪えつつ、ハサミを構えてルイズの小指に持っていく。

 ……すると、俺の左手のルーンが僅かに熱を持ち、光を発した。
 あれ、何でだろ。俺はルイズの使い魔になってから、このルーンのおかげで武器を自在に操れるように
なったらしい事はわかっていたけど、今持ってるのはハサミだ。刃物だけど、武器とは呼べない。
 ひょっとしたら、他人に向けて使ってるときは武器って扱いにもなるのかも。
一応これでも人を傷付けることはできるわけだし。
 
 首をかしげつつも、これ幸いとハサミを手の中でくるくる回す。
やっぱり、今までよりも格段に軽快に使える。これなら思い通りに、上手く切れる。
 
 パチン、パチン、パチン。 

「んっ……!」
 ハサミを入れるたびに身じろぎするルイズの体をものともせず、爪を切っていく。
ルーンの力のおかげってのもあるんだろうが、ルイズの爪が綺麗に切りそろえられていく光景は、
まるで美術品の手入れをしているようで妙に気分が良い。
 
■3
 
「ルイズの爪は柔らかいな」
「え……なによ、それ」
 切っていても、引っかかって刃が止まる、などといったことが無い。正直な感想を述べると、
ルイズは鼻にかかった声で返事をした。
「褒めてるんだけど」
「いいわよ、そんなの……早くぜんぶ切っちゃってよ」
 ルイズは俺の眼前に足を差し出してくる。失礼な態度だが、切られる事に抵抗は無くなったらしい。

「(そういえば、俺も小さいころは母ちゃんに切ってもらったりしたっけな…)」
 ルイズの態度が幼いころの自分と重なって微笑ましく思えつつ、やけに従順になったルイズのおかげで、
スムーズに右足の爪を小指から親指まで切りそろえることができた。
「よし、おっけー」
 うむ、我ながら言い出来だ。満足して頷き、ふっと息を吹きかける。すると──。
 
「〜〜〜っ!!」
 ルイズは唇をきゅっとかみ締めて、全身を震えさせた。爪を切ったばかりの足の指を握り締め、
しばらく硬直させてから、糸が切れたように力を抜いた。
 
「おい、ルイズ、どした?」
「……え……?」
「え? じゃないだろ。俺が聞いてるんだよ」
「何が…?」
 ハサミで傷つけてしまったとかではないらしいが、ぼーっとした様子でまともな答えが返ってこない。
 床屋で髪を切ってもらっている間は眠くなるけど、あんな感じなのかも。
 
「まぁいいや。ほら、次は左足出せよ」
「うん……わかった」
 今度は素直に左足を差し出してくるルイズ。
何か調子狂うな、などと思いながら、そちらの足の爪も切っていく。
 
 パチン、パチン、パチン。
 
「ん……はぁ……」
 ルイズの様子に注意してみると、目を瞑り、頬に茜をさして、深い息をついていた。
 その姿を見ていて爪を切る手が止まると、ルイズは薄く目を開けて、首をかしげる。
 どうして止めちゃうの? とでも言いたげな様子で。
 何となく照れくさくなって、爪を切る作業に戻る。
 
「………」
 何だかよくわからないけど、可愛い。
 普段俺に文句ばっかり言って、蹴る殴る鞭で叩くの暴虐を振るう少女が
安心しきって俺に体を預けてくれているんだと考えると、感慨があった。
 でも、たぶん、この感慨はそれだけじゃなくて……。
 
 小指から順に左足の爪も切っていき、ついに一通り切り終わった。
けど、これで手を放し、終わりと宣言してしまうと終わりなんだと考えると何だか躊躇してしまう。
 
「(他人の前に跪いて爪を切るなんてそんなに楽しい事じゃないだろうに…)」
 自分の気持ちに違和感を覚えながら、何となく、ルイズの小さな足の指に触れてみる。
「ふぁ……んっ、なに?」
 それまで眠るみたいに目を閉じていたルイズはぱっちり目を開いた。
 
「あー、いや、爪切りは終わったけど、せっかくだしマッサージでもしてやろうかなって」
「……そう、良い心がけね」
 あれ? 蹴られる事も覚悟してたのに。ルイズは一瞬考える素振りを見せてから、
俺が咄嗟についた言い訳を真に受けてまた体の力を抜き、俺が足に触れるのに任せてしまった。
 
 何か、変だ。俺もルイズも。
 
■4
 
 妙な空気になっていることを感じながらも、マッサージすると言った手前、適当にその足を揉みほぐす。
「あっ……それ、いいかも……」
 あまり運動しないからかな。ルイズの足の肌はすべすべで柔らかいけど、関節は固くなってる感じがする。
土踏まずをぎゅっぎゅっと押してやると、ルイズはため息にも似たリラックスした声を上げた。
 
 左手でルイズの足を支えたまま、形の良い足の指を左手で摘む。
「ふぁっ……!」
 すると、ルイズは身を震わせて、一際高い声を上げた。
これは嫌がってる声じゃないな、ちょっと痛いけどそれ以上に気持ちいい声だ。
 
「どうだ? これは気持ちいい?」
「うん、それいい……上手じゃない…。続けて」
 力を加減しつつ、指を引っ張ったり左右に動かしたりしてやる。ときどき関節が鳴る音がしたが、
そのたびにルイズは身を固くしつつも、とろけたような吐息を漏らした。
 
 そんなことをしているうちに、ルイズが「良さそう」な反応をする箇所がわかってきた。
どうも、そのままマッサージをするよりも、くすぐったり撫でたりする時の方が気持ちがいいらしい。
 
「はぁ……はぁ、ふぅ……はぁ……」
 だんだんと、ルイズは意味のある言葉を喋らなくなってきた。頬を上気させて、薄目で俺の方を見ながら、
その両手はベッドシーツをきゅっと握りしめている。
 こっちの顔も赤くなる。何だよ、何なんだよ、その反応。

「(うわ……こっちまでドキドキしてきた)」
 ここで急に止めたら不自然だし、このまま続けても変なことになりそうだ。
俺の頭の中まで熱くなって混乱しかける。それでもこの手が止まらない。
 ルイズが気持ちよさそうに反応する部分を探して、不自然になりすぎないようにいじる作業が止められない。
 だって、俺の前でこのご主人様が大人しくなって、俺がすることに黙って身を任せてくるなんて初めてのことだ。
 しかも、こんなにも堂々と肌に触れているのにおとがめ無しで、
それどころかルイズの方から続けることをせがんでくるなんて想像すらしなかった。
 この状況を、俺の方が楽しんでる……?
 
 ルイズは、足指の付け根をくすぐられるのが「好き」らしい。
触れるか触れないかの力でそこを何度も触ってやると、ルイズは髪を振り乱し、押し殺した甘い吐息をつく。
 何だよ、止めろって言ってくれよ。『なに馴れ馴れしくいつまでも触ってんのよ!』とでも言って蹴るなりしてくれれば、
それで終わるのに。こんな事続けてたら……。続けてたら…?
 
「あっ……は、あっ、あ……あぁ……」
 遂に声を我慢することができなくなったのか、ルイズは喉を震わせて悲鳴を上げた。
その声を聞いて、ぞくぞくと背筋が震える。この声をもっと聞きたい。
 そんな衝動にかられて、さらに強く……ルイズを”愛撫”する。
 
「あっ…なんか……それっ…だめ、だめだめサイトっ……それ、それぇっ……」
 嫌がっているような口ぶりなのに、本気で拒もうとはしていない。
感極まっていくルイズの声の、その先を知りたくて、続けて。そして……。
 
「んっ……んんぅっ……!!!」
 ぎゅっと身を縮こませて、ルイズはその小さな身体を強く震わせた。
その姿はくらくらするほど可愛くて、いやらしくて……。
 今まで俺が彼女にされた暴挙のぜんぶを忘れてしまうほど、愛おしい、と思えた。
 
「………っは、はぁ、はぁ、はぁっ……」
 しばらく、呼吸の仕方も忘れてしまったみたいに息を止めていたルイズは、ようやく体を弛緩させた。
 そのまま、夢心地の中にいるみたいに、とろんと呆けた瞳を俺に向ける。
 
 ……その目は、”いい”ってことだよな? 構わないんだよな?
 鳶色の瞳に魅入られたみたいになってしまって、俺はそろそろと手を伸ばす。
ルイズの足から、かかとを通って、その上に。ふくらはぎはこの世のものとは思えないほど柔らかくて、
指先が移動するたびに体をびくびくさせるルイズが可愛くて、止まらない。
 そして、ほとんど筋肉のついていない、細くてすべすべの太股に触れて、今はスカートの中に隠れている
その奥を想像してごくりと唾を飲み込んだとき。
 
■5
 
「……だめーっ!!」
 絞り出すような叫び声と共に、つま先で俺は思いっきりルイズに蹴られた。
 
「づっ!」「痛っ!」
 その足先は薄く開いていた俺の口の中、前歯の辺りに当たって、俺と共にルイズの痛がる声も聞こえた。

「おい、蹴るこたねーだろ!?」
「だって、だって……!」
 じーんと痛む歯を抑えながら、ちょっと涙目でルイズに文句を言う。
 すると、目の前に俺を蹴ったばかりのルイズの足が見えた。その中指の先に、僅かに血が滲んでいる。
「あ、悪いっ」
 俺の歯に当たって切れたのか。
 そもそもいきなり俺を蹴ったルイズに否があるはずなのだが、思わず俺はその足をまた掴んで、
血が出ている指先を、口に含んだ。
 
「…………」
 
「…………」
 
 時間が止まる。その状態のまま、俺とルイズは硬直した。
 あれ、何してんだ俺。血が出てたからつい反射的に舐めちゃったけど、これ足だぞ、ルイズの。
 いや、ルイズの足なら構わない。汚いなんて思わないし、むしろ綺麗だし。いやいや、そういう問題じゃない。
いくらなんでも変態じゃん。まずいじゃん。っていうか、ご主人様に怒られるじゃん……。
 
 止まっていた時間は、たぶん実際には一秒にも満たないんだろうけど、俺には何十分にも感じられた。
 そして、その異常な時間は、我がご主人様が発した、
 
「なっ、ななななな何してんのよ犬ーーーーーーーーーっっっ!!!!」
 
 ついさっきまでのしおらしかった態度が夢だったかのような怒声と共に破られ、
俺は全くの遠慮のない勢いで口に銜えていた足に蹴り飛ばされた。
 
「うわはっ!?」
 ゴロゴロゴロ。世界が回る。
 自分でも面白いくらいに見事に床を転がった俺は、寝床である藁たばの中に思いっきり突っ込んで止まった。
 
「ばっ、ばか! 変態! 信じらんない! でっ、ででで出て行きなさいっ!!」
 
 息を荒げたルイズの声が聞こえたが、顎を蹴られて頭を揺さぶられた上に回転して脳をシェイクされた俺が
立ち上がれるわけもなく。
 遠のいていく意識の中で、あぁ、俺はまた強烈なカンチガイやらかしたんだなァなどと考えていた。
 
 
 
 そう、この時は、ただのカンチガイで。大した意味もない、些細な出来事だと思っていたのだった。
 
 
 つづく
 
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