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Last-modified: 2008-11-10 (月) 22:47:12 (5637d)

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ゼロの飼い犬7 月の涙(前編)               Soft-M

■1
 
「うーむ、手に入りさえすれば相当な価値があるものなんだろうけどねぇ」
「モノがどんなものなのか曖昧だし、リスクも大きすぎるわ」
 
 安宿の一室。
 ギーシュとキュルケがテーブルの上に並べた宝の地図やメモを睨んで相談している。
 この世界の宝の価値などに疎い俺は、ベッドに腰掛けてその会話を話半分に聞いていた。
 シエスタも俺と同様に座り込んで手持ちぶさたにしており、タバサに至っては
例によって本を開いて読みふけっている。宝になどまるで関心がないようだ。
 
 現在、俺とシエスタ、キュルケにギーシュにタバサの5人は、学院を無断で抜け出して
宝探しに来ている。ルイズに使い魔をクビにされ、本格的に学院内で野宿をすることになって
くすぶっていた俺に、キュルケが宝探しでの一攫千金を提案してきたのだ。
 
 何件かキュルケの持っている宝の地図や情報のポイントをあたってみたが、今のところ
ほとんどがガセネタもしくは大した物ではなく、ほとんど実入りがない。
 そして、キュルケが何度目かの「コレこそは!」という言葉と共に出してきた新たなお宝の
ネタを頼りに、この山間の小さな町までやってきたのだが。
 
「やっぱ、ちょっとこれを探しに行くのは現実的じゃないわね。
スパっと見限って、こっちの『ブリーシンガメル』をみつけにいくべきだわ」
「口惜しいが、その方が賢明だね」
 
 キュルケとギーシュの相談は、この近くにあるという『月の涙』というお宝を
諦めるという方針で決定したようだった。
 
 キュルケの持っていた『月の涙』のネタによれば、そのお宝は、この町の近くにある
谷に存在しているらしかった。
 そこで、今朝、この町までやってきた俺たちは、まず『月の涙』についての
情報を集めることとなった。
 手分けして町の住民に聞いた情報を集めると、キュルケのネタからは今ひとつはっきり
していなかった『月の涙』がどういったものなのか、大体はわかった。
 
 『月の涙』は宝物というよりも、稀少な秘薬の一種であるらしい。
 その秘薬は、あらゆる毒の効果を打ち消し、治癒することができるものである。
 この辺りの地域ではそれなりに有名な話ではあるが、実際に『月の涙』を見たり使ったり
したことがある者はいない。ただのおとぎ話か、伝承に過ぎないとの説もある。
 その『月の涙』は、村から少し離れたところにある深い谷の底に存在する。
 
 とまぁ、こんなところだった。
 しかし、情報はある程度集められたものの、キュルケやギーシュが言っているように、
問題点が二つあった。
 ひとつは、『月の涙』が貴重で、手に入ればかなりの価値があるだろうことはわかったが、
その実体がはっきりしないこと。秘薬というだけに、植物なのか。あるいは珍しい動物の
体の一部なのか。そして、そのまま薬として使えるのか、加工する必要があるのか。
 そういった具体的な情報がまったくと言っていいほど手に入らなかったこと。
 
 もうひとつは――こっちがとても大きい問題なのだが――『月の涙』を取りに行くのは
非常に危険だということ。
 『月の涙』があるという谷には、かなり強力な幻獣が棲んでいるらしかった。
しかも、その幻獣は怪鳥の一種。いくらこっちに魔法使いや風竜がいるとはいえ、
谷という明らかにあちらに有利、こちらに不利な地形で出会ったらあまりにも危険すぎる。
 
 このふたつの理由から、探すのは危険。危険を乗り越えても見つかるかどうか保証はなく、
さらには本当に存在するかどうかすらわからない宝を探しにいくのは
割りに合わないということで、悔しいけども『月の涙』は諦めるという事になったのだった。
 
■2
 
 この晩は町の安宿で過ごすことになり、明朝、次のお宝を探しに出発することに決まった。
 ふたつとった部屋で男女に分かれて床に就き、灯りを消した。
 けれど、俺はなかなか寝付くことができずに、窓の外を眺めながらぼーっとしていた。
 
「こんなんでいいのかなぁ……」
 隣のベッドの上で暢気に眠りこけているギーシュの寝息を聞きながら、ぽつりと呟く。
「宝が見つかりそうもねぇことかね?」
 窓の脇の壁に立てかけたデルフリンガーが、俺の独り言を聞きつけて質問してきた。
 
「それもあるんだけどさ、何て言うか、宝探しなんてしてる場合なのかなって」
「まぁ、見つかんなくても、前にも言ったとおり相棒なら傭兵をやりゃあ食ってけるさ。
何なら、メイドの娘っ子を嫁にもらって、ブドウでもワインでも作ればいいじゃねーか」
 
 どうも、デルフは俺の心配している事をちょっと勘違いしているらしい。
「そういうんじゃなくて……」
 月の光にかざして、自らの左手のルーンを見る。ルイズに”クビ”にされたけど、
それでこのルーンが消えたわけじゃない。俺はまだルイズの使い魔なんだ。
 
「貴族の娘っ子のことかね? まぁ、使い魔なら気になっても仕方ねぇか。
しっかし、使い魔をクビにする主人ってのも聞いたことねえや。
そんなことしたって主人の方が単純に損こくだけなんだがねえ」
 
 デルフの言葉に、少し胸が痛む。一方的にクビだなんて言って部屋を追い出したのは
ルイズの方だけど、彼女は俺がいなくなって、使い魔無しのメイジになってしまったんだ。
もともと魔法も使えないのに。それこそゼロのルイズだ。
 
「っていうか、それくらいわかっててクビにしたんだよな?」
 急に不安になってきた。あいつのことだから、勢いで後先考えずに
俺を放り出した可能性も十分にある……いや、十中八九そうなんじゃなかろうか。
 
 そんな風に、ルイズの事を心配している自分が不思議だ。
 だって、ルイズは俺の事を完全に犬扱いしてて、人間じゃないなんて思っている。
 それなのに、俺がシエスタの所に泊まったという話を聞いて、いきなり俺をクビだと
言ってきた。なにそれ。無茶苦茶だ。俺を男として見てないくせに、俺が他の女の子と
何かしたら許さない。クビにまでしたってことは、使い魔失格だとすら思ったってことだ。
 
 俺はともかく、シエスタまで犬扱いするのは申し訳ないけど、例えば飼い犬が他の犬と
仲良くすることを禁じるか? わけがわからない。
 ――いや、待てよ。地球でも、”愛犬”を飼い主の都合で去勢したり避妊手術したりする。
その理屈でいくと、本気で許さないとか思ってることもあり得る……。
 恐ろしい想像に、腰の辺りが寒くなった。止めよう。考えるの止めよう。
 
 まぁとにかく、勝手にクビにしたルイズの方に明らかに非がある。
だから、俺があいつのことを心配して気に病む必要なんてないはずなのに。
 なのに、やっぱり気になる。こんなことしてていいのかなんて、思ってしまう。
 それって、つまり……。
 
 ぶんぶんと頭を振る。これだ。こんな事を考えてしまうから、俺はこの前、
シエスタの気持ちに応えるわけにはいかなかった。シエスタに好きだとは言えなかった。
 
 そのくせ、シエスタにあーんなことをされてしまって、拒めずにいたんだから……
最低だ。終わってる、俺。
 でも、シエスタの事を可愛いと思うし大事にしたいと思うのは事実なんだから仕方ない。
 しかも献身的だし、時々ものすごいえっちぃ雰囲気させてくるし。
 あれで拒めっていう方が無理です。そんな風に自分の中で言い訳してる俺はやっぱ駄目だ。
 
■3
 
 鬱思考のスパイラルに陥りかけたところで、窓の下に見える宿の前の道を、
小柄な人影が歩いている姿が目に入った。
 こんな夜ふけに子供が? と思ってよく見ると、その影は身長より大きな杖を持っている。
 
 タバサだ。キュルケの友達だけど、キュルケとは正反対の外見や性格で、
まるで中学生かそれ以下に見えるくらい小さく、無口で無表情な少女。
 隣の部屋でキュルケやシエスタと一緒に寝ているはずなのだが、扉が開く気配もなかった。
つまり、彼女はこっそり抜け出して一人でどこかへ行くつもりなのだということ。
 
 気になる。俺はシャツの上にパーカーを着ると、デルフを掴んで窓から飛び降りた。
 
「こんな時間にどこ行くんだ?」
 俺はルーンの力を借りて急いで走って、タバサに追いついて声をかけた。
 
 タバサは、静かに振り向いた。透き通るような青い髪と雪のように白い肌、
眼鏡の奥の、宝石のようなこれまた蒼い瞳が月の光に照らされ、
神秘的と言っていい程の美しさを放っている。
 見た目が幼すぎるし顔を見て話したことがほとんど無かったから気にしていなかったけど、
ルイズに勝るとも劣らないくらい綺麗な女の子だ。
 その、精巧な人形のような整った顔の表情を崩すことなく、小さな口が僅かに開いた。
 
「宝探し」
 いたって簡潔な一言。面食らってしまう。
「宝探しって、一人でか? ここの宝を探すのは危ないんだろ?」
「シルフィードは連れて行かない。怪我させるわけにいかないから。
それに、この場合わたし一人の方が安全」
 
 タバサは、淡々と答えた。タバサの風竜に危険な事はさせないというのは
皆で決めたことだった。だから、それは守っている。
 そして、タバサがその外見とは裏腹に、明らかにギーシュ以上。もしかしたら
キュルケよりも魔法や戦闘に長けていることは今までの付き合いで知っていた。
 だから、足手まといになるかもしれない人間と一緒よりは、単独の方がいいという
冷静な判断を述べたつもりなんだろうけど……。
 
「明日の朝までには戻る。手紙も置いておいた」
 タバサは、必要なことは伝えたとばかりにくるりと俺に背を向ける。
 
 彼女の言葉はもっともだ。嘘はついていない。けど、どうして仲間の目を盗んでまで
『月の涙』を探しにいきたいのかがわからない。
 タバサは、キュルケの付き合いでこの宝探しに来たはずなのだ。今までの様子からも、
宝物だの金品だのに執着するタイプには思えない。
 具体的にどんなものなのかもはっきりしない、本当にあるかどうかもわからない『月の涙』が、
彼女にはどうしても必要なのだろうか。
 
 普段、何を考えているのかわからないタバサ。その彼女が、どうしても必要としているもの。
勝手な独断専行をしてもやらなければならないと思っていること。それが、気になった。
 
「待った」
 呼び止めると、タバサは半身で振り向いて杖を軽く構えた。
これ以上無理に引き留めたら、魔法で眠らされたり気絶させられたりしてしまうかもしれない。
あくまでも静かなたたずまいに、そんな迫力が感じ取れる。
 
「ちょ、魔法は簡便な。……俺も一緒に行くから」
 タバサは、僅かに目を細めた。ほんの少しだけど、今日、初めての動揺らしい変化。
「わたし一人でいい」
「いや、君がよくても俺はそうはいかない。タバサが一人で手柄をとっちゃったら、
俺の分け前が減るだろ?」
 冗談めかして笑いながら、そう言う。まるっきりの嘘ではないけど、本気でもない。
 タバサは、その言葉の裏の、俺の気持ちを読み取れたようだった。
 
■4
 
「それとも、邪魔か? そうでないのに一人で行きたいっていうなら、
今すぐ宿に戻ってみんなにこのこと伝えるぞ」
 
 だめ押しの脅し。タバサは俺の顔と、俺が手に持ったデルフリンガーを交互に見てから、
小さく息をついて、「ついてきて」とだけ言った。
 
 
 夜の山道を30分ほど歩き、問題の谷にやってきた。
 夕闇の中、やや開けた山道が突然途切れ、大地が突如割り開かれたかのような
切り立った崖がぱっくりと口を開けている。
 反対岸までは約100メートルほどの距離。深さは……底は河になっているらしいのだが
ほとんど見えず、目算もつかない。
 
 ディアマン渓谷。ここへ来るまでに、タバサからこの谷のことについて説明を受けた。
 ハルケギニアでも指折りの深さの谷であり、この谷の底を流れる河は、
ガリア国内の山中を源流として国境を越えトリステインを縦断し、海まで続いているらしい。
 
 そして、この谷の岸壁には、ルフ鳥という怪鳥が巣を作り、生息している。
 ルフ鳥は翼を開いた状態で差し渡し20メートルはある巨大な怪鳥で、その巨体に似合わない
機敏な動きで空を舞う。鋭いクチバシや爪は筋力と相まって一撃の元に人間に致命傷を与え、
しかもそんじょそこらのメイジを軽く凌駕する威力で風を操るというのだ。
 
 さらに、そのルフ鳥がなぜこんな谷にいるのかというと、繁殖のシーズンだかららしい。
 岸壁に作った巣の中に卵を産み、雌が温める。その間、つがいの雄は自らの縄張りを外敵から
守りつつ、巣で待つ雌のために餌をとってくる。肉食であり、時には人間をも狩りの対象にする。
 ルフ鳥はこの時期、もっとも警戒心が強く、縄張りを侵す他者に敏感で、獰猛になるらしい。
 そんなルフ鳥が、各々のつがい同士で縄張りがかち合わないよう、一定の距離を置きつつ
この谷の岸壁に満遍なく、多数で巣を作っている。その巣ひとつごとに、縄張りを守る雄がいる。
 
「……っていうか、止した方がいいんじゃないの?」
 ルフ鳥がいかに脅威であるかということと、この谷に踏み込むことがいかに
危険であるかということを淡々と説明するタバサに、俺は引きつった苦笑いを向けた。
 
 この谷の底まで降りて宝を探すとか、無謀にも程がある。
 ルフ鳥が怖いのは繁殖のシーズンに限るのだから、せめて何ヶ月か待ってからまた来るとか、
そういう手段をとればいいのに。俺がタバサにそう言うと、
 
「得られた情報から推察すると、『月の涙』は入手できる時期が限られる。
ルフ鳥が危険である時期にしか手に入らないからこそ、その実体に関する情報が得られなかった」
 そんな答えが返ってきた。夕べ、みんなで集めた情報をまとめた時には、
タバサはそんなことは言わなかった。言うべきでないことは隠していたということだ。
 
「ってことは、要するに『月の涙』を探しに来た人間がことごとくルフ鳥の餌食になったから、
誰も『月の涙』について詳しいことは知らないっていうことだろ?」
「そうなる」
 こともなげに答えるタバサ。もう呆れるしかない。
 
「悪いことは言わないから帰ろうぜ」
「あなたは帰ってもいい」
 無駄だろうなぁと知りつつ言うと、やっぱりタバサは簡潔に言い返してきた。
俺が帰っても、予定通り一人でこの谷に挑むつもりだ。
 
「あー、嘘嘘。俺も行くってば。で、どうすんの? いきなり飛び降りるわけじゃないだろ?」
「作戦を説明する」
 タバサは俺の方を向いて口を開いた。
 
■5
 
 危険な幻獣がいる地域に足を踏み入れる場合、身を守る手段は大きく分けて二つある。
 ひとつは幻獣に出会っても倒すもしくは逃げること。もうひとつは、幻獣との遭遇を避けること。
 
 ここでは、後者の手段をとる。平地で出会っても危険であるルフ鳥と、足場が悪い所で
対峙するのは死と同義に近い。ならば、戦闘そのものを避けるのが得策だというのだ。
 シルフィードを使わないのと少人数で来たのは、後者の手段をとるからでもあるらしい。
 風竜が谷の中に入ったら、まず間違いなくルフ鳥に察知され、集団で襲われる。
多人数でぞろぞろ来ても同じ。気取られる可能性が上がるだけ。
 
 そして、『フライ』もしくは『レビテーション』を使って谷底に降りるのも危険らしい。
 ルフ鳥は特に魔法による大気の乱れに敏感であり、さらにメイジは脅威のある外敵であると
認識しているため、察知されやすい。
 一気に谷底まで飛び降りてしまうことも不可能ではないが、そうするとルフ鳥は
『メイジが縄張り内に進入した』ことに気付いてしまうため、帰りがとてつもなく危険になる。
 だから、ここで取るべき作戦は、極めて微弱な魔法で自分達の匂いや物音を遮断した上で、
慎重に岸壁を降りるというものらしかった。
 
「わかった?」
「あ、ああ……」
 全てを説明し終わったタバサに、俺は少々たじろぐ。この谷に来るまでの道中での説明も
含めて、タバサは要点をふまえたわかりやすい解説を、すらすらと俺に対して行った。
 普段ほとんど喋らないから、他人と話すのが苦手なのだと思っていたけど、全くそんなことはない。
むしろ、焦るとわけのわからない事を言い始めるルイズなんかよりよっぽど口が達者だ。
 この少女は、喋れないわけではなく、喋らないだけ。
 なぜだろう。こんな時なのに、目の前の女の子の内面が気になってしまった。
 
「じゃあ、ここから降りる。言ったとおり、先をお願い。……協力してくれる以上、頼りにする」
 あらかじめ岸壁の様子を見て選んだ、降りやすそうな場所を指してタバサは言う。
 さすがのこの少女もロッククライミングの技術は無いらしく、ガンダールヴの力で
身が軽くなっている俺が先に岸壁を下り、安全ならばタバサを呼ぶという手はずに決まった。
 
 頷いて返すと、タバサは小さく呪文を呟いて杖を振った。体感的にはよくわからないが、
これで匂いや気配が遮断されたらしい。それでもなるべく物音を立てないように崖に近付き、
俺は谷底へと降り始めた。
 
 慎重にルートを吟味し、そろそろと崖を降りていく。
 なかなか先へ進めない。岸壁はわりとデコボコしており、手や足をかけられる場所も多ため
俺一人ならばするすると岸壁を降りていけるのだが、俺は『タバサが後をついてこれるルート』
を探しつつそこを降りなければならない。
 
 少し進んでは手振りでタバサを呼ぶ。彼女が降りるのは厳しそうな場所では、手を貸す。
そんなことをしながらなので、まるでイモムシが壁を降りていくようなじれったさだ。
 でも、タバサの表情は真剣そのもの。小さな体や細い手足で、懸命に俺の後をついてくる。
仮にミスして落下しても、メイジの彼女なら墜落することはない。けれど、それはほぼ間違いなく
ルフ鳥に見つかるということになり、命の危険に繋がる。
 
 けれど、彼女の姿は、命を賭けているからというだけではなく。いや、それよりもっと大きい、
使命感のようなものが与えられて必死になっているように見えた。
 
 そもそもタバサがここへ来たのは、どうしても『月の涙』が欲しいから。
その理由は聞いても答えてくれなかったけど、ただ事ではない事情があるのだろう。
 
 言えないなら、聞かない。だって、この少女はアルビオンへの任務のとき、こちらが頼まなくても
俺やルイズを助けてくれた。ほとんど話もしておらず、お互いの事をまるで知らないのに。
 だから、その恩返しをするのなら、俺の方も理由に問わず彼女を助けるべきなのだと思う。
 
■6
 
 まぁ、そんな理屈つけなくても、ほっとけるわけないけどな。本当に、まるで子供みたいな外見の
タバサを見ていると、恩返しとかそれ以前の問題だと気付く。いくら魔法が得意だからとはいえ、
こんな小さい子が危ないことしようとしてるのに放っておけるわけがない。
 
 視線に気付いて、タバサは俺と目を合わせた。その額には、今までに見たことがない
汗が光っている。岩肌を掴む手も震えている。体力的にそろそろ厳しい感じだ。
 
 俺は、あらかじめあたりを付けていた大きめの足場まで移動し、岸壁に背中を預ける。
その状態でタバサに手を伸ばした。タバサは俺の意図を理解したのか、多少無理のある体勢から
その手を掴む。俺はタバサの小さな体を引き、抱き留めた。
 
「ふぅ、ふぅ、はぁ……」
 いつも涼しい顔をしているタバサだが、さすがに息が乱れている。
疲労だけでなく、握力なども限界に近かったようだ。やはりどんなに魔法が得意でも……
いや、魔法が得意だからこそ? 体力面では外見相応の少女と変わらない。
 
「……ありがとう」
 タバサは俺の胸に体を預けながら、小さく呟いた。
「声、出しても大丈夫なのか?」
「これくらいなら遮断できている」
 小声で聞くと、タバサはそう返した。どうやら、ちょっとした相談なら可能なようだ。
 
 顔を上げて今まで降りてきた分を再確認する。約20メートル。この距離なら例え敵に見つかっても
タバサの魔法で飛び上がれば逃げ切れるかもしれない。
 けれど、降りれば降りるほど、逃げるという手段がとりにくくなる。本番はこれからだ。
 
「俺がタバサを背負って降りるっていうのはどうだ? その方が早いと思うけど」
「それも考えた。けど、敵に見つかった時に行動が制限される」
「けど、どっちにしろ見つかったら危険なんだろ? だったらなるべく早い方が……」
 
 そこまで会話した時、頭上で嫌な気配がした。咄嗟に見上げると、降りる途中に手をかけた
岩が、岸壁から剥がれて落っこちてくる光景が目に飛び込む。
 
「まず……!」
 当たったら怪我じゃ済まない大きさだ。俺一人だったら避けられる。
けど、足場が悪い上に今はタバサを抱えている。
デルフで防ぐか? しかし、弾いた岩がタバサにぶつかる可能性も――!!
 
 俺が一瞬迷ってしまった間に、タバサが杖を振った。頭上で岩が止まり、俺たちを避けるように
空中を移動してから、再び谷底に落下した。咄嗟に『レビテーション』を唱えてくれたのだろう。
 
 でも、これは。腕の中のタバサを見下ろすと、僅かに顔を歪ませて焦りの感情を見せていた。
「……今の一瞬、匂いや物音の遮断が途切れた」
「だよな……」
 ふたつ同時に魔法は使えない。だから、「気配を消しながらレビテーションで降りる」
といったことができないのだ。けれど、今の一瞬、タバサはレビテーションを使うために気配の遮断を
解かなければならなかった。もしその一瞬をルフ鳥が気取ることができたとしたら……。
 
 そう時間を置かずに、風を切る大きな羽音が聞こえてきて、タバサの体が強ばるのがわかった。
やっぱり、見つかってしまったらしい。あの一瞬で。とんでもない幻獣だ。
 月の光だけが照らす闇の中に、一層黒い影が現れた。シルエットは鳥のそれだけど、
遠近感が狂ったのじゃないかと思えてしまう。それくらいでかい。っていうか、でかすぎ。
 
「嘘だろ……?」
 冗談じゃ済まない状況なのに、思わず口元が引きつる。
「相棒! メイジの娘の補佐に回れ!!」
 俺が呆然としている間に、デルフが叫んだ。いつになくマジな声。相当やばいってことをこいつも
わかってるってことだ。その声に、はっとして頭の中を切り替える。
 
■7
 
「抑えてて」
 タバサは体をルフ鳥の方へ向け、杖を構え詠唱に入る。俺はその体を
後ろから片手で抱き留めた。
呪文が完成する前に、ルフ鳥の影が俺たちから距離を取り、翼を大きく広げ――。
 
 次の瞬間、猛烈な風圧が俺たちを襲った。意志と関係なく足場から足が浮き上がりかける。
風で空中に投げ出してからクチバシや爪でトドメをさすつもりらしい。
俺は、その突風から逃げるようにタバサを抱えたまま岸壁を駆け上がり、
数メートル上の足場まで移動した。
 
 そこで詠唱が完了したらしい。タバサが杖を持っていない方の手で俺の手を小さく叩く。
 俺がタバサを抱いていた手を緩めると、タバサは岸壁を蹴って中空に身を躍らせ、
十本近い氷の矢――ウィンディ・アイシクルといったか――をルフ鳥めがけて放った。
 
 巨大なぶん的も大きいはずのルフ鳥だったが、その矢の動きが完全に
予測できているかのように、軽やかに氷の刃をかわす。
 避けた所にもう一本、それをかわした死角にもう一本。
先の先を読んで放たれたタバサの攻撃呪文が、全て紙一重で回避されてしまった。
 
「ちっ、風をモノにしている幻獣相手に、風のメイジが挑むのは少々厳しいな」
 デルフが舌打ち(どこが舌なのかは謎だが)する。空中で魔法を放ったタバサは『フライ』を唱え、
今俺がいる足場の数メートル下、ついさっきまで俺たちがいた足場に着地した。
 ルフ鳥は、タバサが手練れであることを察したのか、ある程度距離をとってホバリングしながら
こちらの様子を伺っている。下手に動いたら、また突風をお見舞いしてくるだろう。
 
「あなたは崖の上まで逃げて」
 タバサが呟いた。焦りの色が混じった声。俺を逃がしてルフ鳥を食い止めるつもりだ。
「んなことできるわけないだろ!」
「どうして」
 その言葉に、カッとなる。さっきの呪文だって、俺が抱えて逃げなければ
タバサは風に叩きつけられて詠唱が完成しなかった。つまり、一人じゃ負けてたということ。
 そんな敵を相手にこんな所に放置していくってことは……タバサを見捨てるってことだ。
 
「どうしてもこうしてもあるか!」
 崖を再び駆け下り、タバサを小脇に抱える。逃げるならこいつと一緒にだ。
 
「……そのまま登って」
 タバサの言葉と同時に、体がふわりと軽くなった。ルフ鳥を魔法で牽制することは諦め、
自分の体ごと俺にレビテーションをかけたようだ。これにガンダールヴの力を足せば、
フライで上がるよりも速くなるということらしい。
 
「よしっ!」
 そのまま、多少足を踏み外しても浮遊でどうにかなることを想定に入れ、崖を駆け上がる。
ルフ鳥の放つ暴風に翻弄されつつ、右に左に何とかいなす。あと5メートル足らず。
崖の上にさえ登ってしまえば、あとは林に飛び込むなりなんなり、どうとでもなる――!!
 
■8
 
 だが、もう少しで崖の縁に手が届くという所で、ガクンと体が重くなった。それと同時に、
タバサの押し殺したうめき声。タバサが、杖を手から放したのだった。
 
 なぜ、と思う前に、俺の顔を掠めて何かが岩肌に突き刺さった。
 黒い、大きな羽。こんなものが人間の肌に刺さったら、矢で射抜かれるのと変わらない。
ルフ鳥が攻撃手段として放ったものらしい。これがタバサの手かどこかを傷つけたのか。
 タバサが取り落とした杖は、ルフ鳥の起こした風に吹き上げられ、崖の上まで飛ばされていった。
 
 『レビテーション』の効果が無くなっただけなら。それを前もって知っていれば、まだ何とかなる。
 しかし、レビテーションによる浮遊を考えにいれた上で崖を登っていた俺は
その時足をかける場所を用意しておらず、岸壁から引きはがされた。
 落ちる。このままだと、岩に叩きつけられながら落下し、その途中でルフ鳥の餌食にされる。
 
 まずい、まずい、まずい。風景がスローモーションになったように見える。
俺は、落ちるわけにはいかないという瞬時の意識からデルフを岩肌に……。
「止せ! 刺すな相棒!!」
 突き刺し、そこにぶら下がった。
 
 だが、それを行うか行わないうちに聞こえたデルフの声が正解だったことにすぐ気付く。
 片手はタバサを抱えているので塞がり、もう片手は壁に突き刺さったデルフを握っている状態。
 その状態で、ルフ鳥は巨大な鋭いクチバシを構え、俺のデルフを握った手へ突っ込んできた。
 
 このままでいたら、腕をずたずたにされた上で落下する。
 手を放しても、もちろん落下する。
 手詰まり。俺の頭の中を絶望の二文字が埋め尽くす。
 
 俺は、デルフを握っていた手を放し、岸壁を蹴って跳んだ。もう、どうあっても落ちるしかない。
だったら岸壁の岩にぶつかることはない距離まで跳ぶ。
 空中に投げ出された俺とタバサをめがけ、ルフ鳥が方向転換する。勝負はこの一瞬。
ただ落下したのだったら、途中でこの鳥畜生に捕まる。だから、それを避けるなら今しかない。
 
 ガンダールヴの力は、得物を手から放したからといってすぐさま消えるわけじゃない。
まだ力の余韻が残っているうちに襲ってきてくれて助かった。
 俺は空中で身を捻り、クチバシを大きく開いて突進してきたルフ鳥の眉間めがけて、
渾身の力でかかと蹴りを叩き込んだ。
 
「ギアアアァァァァァァァーーーッ!!!」
 
 ルフ鳥は耳をつんざくような悲鳴を上げ、身をよじらせた。
 高速で突っ込んできた相手へのカウンターになったため、ダメージは大きいはず。
後は、”俺たちが墜落するまでの間”、このバケモノが回復しないことを祈るしかない。
 
「サイトっ……」
「黙ってろ!」
 タバサの細い体を抱きしめ、小さな頭を抱える。魔法による浮遊もガンダールヴによる力も
失った俺の目に、ぐんぐん近付いてくる谷底がうつった。
 この高さから落ちたら、例え水の上でも痛いんだろうなぁなどと心配した直後、
俺とタバサは大きな水しぶきを上げて深い川の中へと沈んだ。
 
 
 つづく
 
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