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Last-modified: 2008-11-10 (月) 22:48:59 (5644d)
10 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:21:13 ID:Dj3xyU3d 先頭に立って案内していた〈禿げ〉は、もう少しで足をすべらせたまま、岩の多い山の斜面を転がり落ちるところだった。 「気をつけろよ、〈禿げ〉。お前はこのあたりの出身だろうに」 頭を下げ、礼と謝罪を繰りかえし述べる〈禿げ〉に、〈山羊〉はそっけなくそう言った。 〈禿げ〉は、心底から頭をさげた。彼は一団の中でもっとも新米であり、数日前に加わったばかりであった。 「なに、それほど気にすることはない。同志になった以上、助け合うのは当然だ。 〈山羊〉の言葉に、〈禿げ〉は「そのうち」と答えておいた。 彼がこの一団に加わったのは、明確な目的があったからであって、それはもう目前なのだ。その大仕事が終わりさえすれば、彼は死ぬつもりだった。剣を練習してなにになるだろう。 (待っていろよ、女王) かつての主君への深甚な憎悪をこめて、彼は胸中につぶやいた。 11 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:22:32 ID:Dj3xyU3d \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 朝。 「これはかの領主の家系から、領主権を正式に剥奪するものです。かの反逆者は子を残さず兄弟もなく、本人はすでに死んでおりますが、やはり手続きは必要ですからな。 年若い女王は無言でうなずいた。正直、十日前のあの事件のことはあまり考えたくもないが、そういうわけにもいかない。彼女は女王であり、やることは旅先でさえ多いのだった。 ここは屋根に緑の風見鶏がある館、その一室。 説明は終わったが、マザリーニの講釈は続いた。 「国内の封建諸侯をたばねるため、君主はときとしてこのような厳しい態度を示す必要があります、かれらを恐怖させるに十分な程度に。 「枢機卿……」 「君主の心得としては、少なすぎますな」 「わかりました、わかりました。要するに、貴族たちをおさえておくため、わたくしは王威を保つよう努めればよろしいのね」 12 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:23:05 ID:Dj3xyU3d アンリエッタは辟易しつつ、小言を終わらせるために自分からまとめた。 『rot! rot! rot!』 枢機卿の視線につられて、窓のほうを振りかえったアンリエッタの顔が、少しだけかがやいた。 「まあ、あの小鳥だわ」 「ええ……しかし、王都の周辺では見かけない種類ですな。ゲルマニア近くの森の中に住む鳥でしょうか。 アンリエッタは窓のほうを向いたままだった。しかし、少したってから「ええ」と素直にうなずいた。 彼が出ていくのを背後に感じて、アンリエッタは再度重くため息をついた。 領主の犯罪の……そしてアンリエッタ自身が行った政治の被害者であった少女がいた。彼女はアンリエッタを責めた。 その少女が一週間前に閉じこめられた修道院は、この領地にあるのだ。 (もう、思いきらなくては。この地から出立しましょう、明日にでも) アンリエッタは決断すると、いつのまにかうつむけていた顔をあげた。窓をそっと開けて、小鳥を呼んでみる。 あの嵐の翌日から、その鳥は姿を見せはじめた。ためしにパンくずを撒くと食べる。 「おいで、小鳥さん。またパンをあげるから」 窓をあけてアンリエッタが手をのばすと、小鳥はそこに止まった。 13 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:23:35 ID:Dj3xyU3d 「ごめんなさい、実はいまパンはないの」 そう謝ると、なあんだというように小鳥は羽ばたいて離れた。 「だれ?」 「アニエスです」 入室許可をだす。銃士隊隊長は、マザリーニと同じ意見を持ってきていた。 「そろそろわれわれは出立するべきです。これだけの人数の一行となると、さすがに同じ場所に長期間とどまり続けるのは無理があります。 当初、この巡幸にはあまりメイジの護衛兵は連れてきていなかった。アンリエッタ肝煎りの水精霊騎士隊くらいである。 「ええ、わたくしもそう思っていました。なるべく早くにここを発ちます。ただ……最後に一度、外出したいのですが」 「……陛下。どこに行かれるつもりなのかは、察しがつきますが……」 「お願い、アニエス」 「御意」とアニエスは引き下がった。無表情ながらどこか、アンリエッタに対して気づかいとわずかな苛立ちの雰囲気がある。 「しかし、気をつけていただきたい。街道のほうで、なにやら不穏な空気がただよっているそうです。 「もちろん、注意します」 14 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:24:10 ID:Dj3xyU3d その返答に一礼して、退出しようとしたアニエスが、「そうそう」とまったくさりげない調子で訊いた。 「サイトと何か、いさかいでもあったのですか?」 心臓がとびはねた。 「……な、なぜそう思うのですか?」 「いえね、たまたますれちがっても、隣のギーシュ殿にはごく普通に声をかけるのに、サイトには目も合わせなかったりしていますでしょう。 アニエスは一見して真面目な表情。本気でいさかいがあったと思っているのか、わかっていて空とぼけているのか判断がつきかね、アンリエッタは少々顔を赤くして言った。 「喧嘩したわけではありません。……この前は彼にみっともないところを見せたので、どうも少々恥ずかしいのです。そうですね、勝手な態度でした。気をつけましょう。 アニエスが出て行ったあと、女王は座ったまま頭をかかえた。 あの嵐の後の夜、彼に口づけされた。「もう一度して、寝られるまでそばで手を握っていて」と自分から頼んだ。 先ほどの枢機卿の言葉を思い出す。 (あれはまさに、わたくしの弱さから起きた裏切りなのかも……) 爪を噛みながら悶々とする。 (とにかく、普通にしていましょう。あれはサイト殿の善意でしたし、あの日から十日もたちました。本来、意識するのもおかしいのだから。 われながら、名案のように思われた。恋人同士であるあの二人の仲むつまじい様子を見れば、きっと変に意識してしまうことも無くなるだろうから。 15 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:25:10 ID:Dj3xyU3d 「なあサイト。それルイズからの手紙か?」 ギーシュが薄気味悪そうな顔でのぞきこんできたため、才人は手紙をとっさに握りつぶしてしまった。 「な、なんでわかるんだよ」 「ニヤニヤ気持ち悪い笑みを浮かべたり、急に黙りこくったり、震えながら怯えたり、手紙を読みながら君の顔が面白いように変わるんでな……」 ああうるせえ向こう行ってろよ、と才人は照れ隠しに乱暴な言葉を投げた。くしゃくしゃになった手紙を広げながら、いそいそと読み返していく。 「聞いておくれヴェルダンデ。最近のぼくは怖いくらいに絶好調だ。昨日も女王陛下から通りすがりにお言葉をいただいてしまった。 また握りつぶしてしまったルイズの手紙を握りしめつつ、才人は蒼白な顔でぶるぶる震えている。 キスしちゃいました。 いやあれは下心の産物ではない、と一心に念じる。 (それにしても姫さま、どうも危なっかしい人なんだよなあ……あの夜も、だから思わずああしちゃったわけで) 手紙をまた広げながら、ぼんやりと思いかえす。 (頬染めて目を伏せられると妙な気分になっちまうんだよなぁ……昔みたいだ。まあ、時間がたてばそのうち元通りになるだろう) 実はちょっと名残惜しかったり。ルイズの前で言えば血がとぶが。才人は能天気にそう思いながら、手紙をふところにしまった。 16 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:26:20 ID:Dj3xyU3d \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 太陽はすでに昇っていた。 が、正確には見下ろしているのは〈禿げ〉一人で、隣の〈鉤犬〉はひっきりなしにしゃべり続けている。左の手首を失い、かわりに鉄の鉤をつけた男だった。 「われわれは共和主義を信奉している。われわれが目指すのは、貴族も平民もない理想の世だ。 相槌をときおりはさむものの、〈禿げ〉は憂鬱な気分でそれを聞き流していた。 (この平民はなんのためにこの一団に加えられたんだろう?) 〈禿げ〉は横を向き、〈鉤犬〉の貧相な面をじっくりとながめた。 「あんた、おれが役に立つのかと考えているのか? おれは『鼻』だよ。鼻が利くんだ、犬のようにな」 考えを読まれたことに、微妙に不快になり顔を前にもどす。だが、〈鉤犬〉の自慢げな語りはやまなかった。 「においでわかるのさ、なんでも。女と男が、富める者と貧しき者が、あるいは貴族と平民が……このような能力は、ときにひどく重要になるんだ」 (性別はともかく、身分や貧富の差までわかるのか?) 〈禿げ〉には疑問だったが、あえて問いただそうとは思わなかった。 「おい、村に降りて情報を集めるぞ、〈鉤犬〉。〈禿げ〉、お前はどうする?」 〈山羊〉および他の同志たちが彼らの背後にやってきていた。メイジである自分よりも〈鉤犬〉が優先して連れて行かれることに、一瞬不満をおぼえた〈禿げ〉だったが、すぐ思い直した。 〈山羊〉はうなずくとそばに来て、眼下の村を指ししめしながら部下たちに説明した。 「見ろ。この村は街道から少し離れた場所にある。 〈山羊〉はつづいて、村から離れた場所に見える大きな街道、その向こうを指さした。 「そして、この村から街道をよこぎって、歩いて二時間ほどの離れた場所にあるのが、女王の滞在している領主の館だ。村と館の間を、街道が通っている形だな。 〈禿げ〉は逐一うなずきながらも、なんとなく村から少し離れた田園や丘のほうを見やった。 17 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:27:38 ID:Dj3xyU3d \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ その丘の上。 青い隻眼の少女は、中庭で同じテーブルについているアンリエッタに微笑み、ようやく口を開いた。彼女はこの先もずっと着るであろう、黒い修道服を身にまとっていた。 「アンリエッタ様、本日はようこそおいでくださいました。あなたの用意してくれた、私の素敵な牢獄に。私もここに入ってまだ一週間ですけど」 アンリエッタは口を開きかけて、閉じた。 少女の青い瞳は、深い淵のように澄んで暗かった。 「ここはとっても快適な暮らしです、と言えばアンリエッタ様は満足でしょうか? 毎日変わらぬ祈りと労働はいずれ飽きがくるでしょうし、門の外に出ることは許されませんが…… 狂人としてこの修道院に入れられた少女は、あくまで笑みを崩さぬまま、アンリエッタの落ちつかなげな様子を見ていた。そして、会話の主導権を握っていた。 「それにしても、女王陛下には見えない服装ですねえ、アンリエッタ様。 図星ではある。今回は完全に私事であり、村を通ってくるときにあまり目立ちたくなかったのだった。 アンリエッタはこわばった口をどうにか開いて、言葉を発した。 「なにか、必要なものはありますか」 「いいえ、何もありませんよ」 「何でもいいのです、望みがあるなら……」 「アンリエッタ様」 隻眼の少女の声にこめられた拒絶の意思は、女王の舌をふたたび凍えさせるにじゅうぶんだった。アンリエッタがおろおろしながら黙ったのを見て、少女は続けた。 18 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:28:12 ID:Dj3xyU3d 「お帰りください、そして願わくばもう来られませんように。 少女はゆっくり立ち上がってテーブルに背を向け、ふらふらとどこかおぼつかない足取りで庭を歩き出した。 「潮時です、陛下。行きましょう」 アンリエッタは一瞬、泣きそうに顔をゆがめてからぎこちなく立ち上がった。 (わたくしはなんと醜い……) 自己嫌悪を強く抱きつつ、アニエスに付き添われて歩み去るアンリエッタの背に、少女が草花の中を歩きながら静かに歌う声が、かすかに届いた。 聖ナル聖ナル、聖ナル君、 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 丘を下り、田園の中を通る道を歩いていく。石壁にかこまれた村へ戻るのだ。 麦の穂は金にかがやき、道端にはコスモスをはじめとした花が揺れる。 『あの女王の娘っこ、なんだかひどくしょげてるぜ。相棒、なぐさめてくれば?』 「デルフ、デリカシーってもんを覚えような。なんでも首をつっこめばいいってもんじゃねえんだよ」 19 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:28:57 ID:Dj3xyU3d デルフリンガーが沈黙した。よりによって才人にしみじみした口調で諭され、なにやら深刻なショックを受けたらしい。 才人はアニエスと同じく、護衛として付いていったのだった。女子修道院は男子禁制のため、外で待っていたのだが。 まあいちいち俺がなぐさめるわけにもいかねえしな、と彼にしては冷静に思う。 とはいえアンリエッタを見ていると感じる危なっかしさに、どうにも気をもんでしまうのも事実だった。デルフにはああ言ったが、何とかしてやりたくはある。 (どうしたもんかね。男だったら酒飲ませればなんとかなるんだけど。 そんなことをつらつら考えているうちに村まで戻っていた。丸太を組み合わせた木の裏門をくぐると、つい、目で居酒屋のたぐいをさがす。 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 〈禿げ〉は落ち葉をふみしめていらいらと歩き回っていた。常緑樹の杉林とはいえ、長い年月のうちに落ちた葉が積もっていた。踏むたびに足下で腐った葉が砕ける。 村はずれの森の中で待機している者は、〈禿げ〉と首領である〈山羊〉の二名だった。〈鉤犬〉およびその他、村を探りにいっている者が六名。 「女王が? 館から出た?」 〈山羊〉の声は〈禿げ〉にも届いていた。〈禿げ〉は足をとめて、首領のほうを見た。 「本当か? 女王のような、たとえ多くの護衛がいなくとも目立たざるをえない者が近くにいれば、村人が騒ぐはずだが。 知らせを持ってきた〈ねずみ〉に、〈山羊〉が繰り返したずねている。 「確かなことはわからん。俺は館で召使たちの話を盗み聞きしてきただけだ。 20 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:29:37 ID:Dj3xyU3d 〈禿げ〉は口をはさんだ。 「あの女王は、庶民の娘に変装することがあると軍でも囁かれていた。今度もそうしたかもしれない、内密に出かけたならとくに。 それを聞いて〈山羊〉と〈ねずみ〉が顔を見合わせた。〈山羊〉が何か言うまえに、〈ねずみ〉が口を開いた。 「〈山羊〉、さらに付け加えておくことがある。先ほど村中で、〈鉤犬〉たちと接触してきた。 〈山羊〉は顔をしかめ、〈禿げ〉は我しらず身をのりだして、異口同音に「どういうことだ?」とたずねた。〈ねずみ〉は肩をすくめた。 「さあね。だが、〈鉤犬〉にはわかるんだ、知ってのとおり。 「その娘はどこにいるのだ?」 「村はずれの酒屋、村外の修道院につながる道に面した店に」 「……その娘に護衛らしきものは?」 「いる。村にいた水精霊騎士隊隊員が集まっている。多くはない、三人ほどか」 〈禿げ〉は沸騰するような興奮をおさえられなくなった。〈山羊〉をふりかえる。 「どうやら当たったようではないか、行こう」 〈山羊〉はむっつりと〈禿げ〉を見つめ、ふってわいたこの機会に不満をしめした。 「あまりにも早すぎる。この村に訪れたとたん、女王に手をかける機会が来た? 俺としては、当初の予定通りに確実に物事を進めたいのだがね」 「〈山羊〉、あんた悠長なことを言うな。そばにいる護衛は三人、それも未熟な子供なのだぞ。女王自身はたしかに優れたメイジだが、一人では問題にもなるまい。 〈山羊〉は冷たい目で彼をにらみ、それからしぶしぶのように座っていた切り株から腰をあげた。 「まあ、それならば行ってみよう。〈鉤犬〉たちはそこにいるのだな? 〈時計〉、案内しろ。もし本当に容易に手をだせる状況であれば、すみやかにこれを捕らえよう。 〈禿げ〉はその尻込みした様子に、我慢ならなくなるところだった。 21 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:30:33 ID:Dj3xyU3d \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 最近はあやしい連中が多すぎる、と村の居酒屋の主はためいきをついた。 テーブルに座ってちびちび飲んでいる少女。田舎娘では断じてない。黒いワンピースを身につけた街娘の格好だが、旅行に来た街娘でもないだろう。 六人組の旅芸人らしき一座。こいつらもあやしい。たしかにこのような連中が、たまにこのような酒屋に集まって芸を披露し、おひねりをもらうために来ることはある。 と、六人組の一人、左手に鉄の鉤をつけたものが立ち上がった。仲間たちが驚いたように引き止めようとするのを無視して少女のテーブルに近寄る。 少女は戸惑ったように、その小男を見ている。護衛たちも同様の反応だった。 「あんたはやんごとなき身分の出だね、違うか?」 その指摘に、主人は思わずおいおい、とつぶやいた。 少女は驚きに目を見開いていた。ややあって、「……何の根拠で」と鉤の男に訊きかえす。その態度だけですでに、図星を突かれたのは明らかではあったが。 「あんたからは高貴な者のにおいがする。 小男が口をとざすと、店内がしんと静まった。主人はひそかに手に汗をにぎった。 「……それで?」 「いや、どうということもない……ただね、確認したかったのさ。もっと当ててみせよう。 22 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:31:05 ID:Dj3xyU3d いまや少女は完全に、固まった顔をしていた。 「……無礼者!」 少女は鋭く声高に叫んで、杖を引きぬいた。 「アンリエッタ陛下、われわれと一緒に来てもらいたいね。彼らは全員が『火』のメイジで、かなりの使い手だよ……おとなしくしたほうがいいと思うがね?」 そう言った瞬間に、鉤の男はテーブル越しに胸ぐらを、少女の手につかまれて引き寄せられた。 「落ち着け! 女王の系統は『水』だ、直接攻撃に向いてはいないぞ! ゆっくり対処……」 店内で爆発が起こった。 冗談のような威力で、店の扉のあたりの壁が粉みじんに吹き飛んだ。 胸ぐらをつかまれたまま凍りついている鉤の男に、少女が杖をつきつけて不機嫌そうに言った。 「まずそこが間違ってんのよ。たしかにわたし、畏れ多くも、王位継承権なんてものをいただいてるけどね。姫さま本人だなんて勘違いもいいとこだわ」 「あ……あんたは?」 その桃色の髪をした少女は、面白くもなさそうに名乗った。 「ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール」 23 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:31:35 ID:Dj3xyU3d \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 〈ねずみ〉が先に立って居酒屋のほうに歩いていく。その二十メイルほど後方から、〈禿げ〉と〈山羊〉は肩をならべてついていった。 「〈禿げ〉、アンリエッタ女王はどのような人となりだ? 俺が知っているのは広く知られた話だけだ。 〈禿げ〉は一瞬、人質をとる? と顔をしかめかけた。下級とはいえ貴族出身であり、軍人でもあった彼には、そのような行為は下劣に思われたが……しかし考えなおす。 「トリステイン人であるお前だけが、まがりなりにも女王の顔を見たことがある。見分けはつくだろうな?」 その確認に、〈禿げ〉は記憶をさぐった。過去の閲兵式で、タルブの戦で、アルビオン遠征の折で、あの純白の衣装を身につけた女王の姿を見た。 感慨をこめて「ああ」と〈禿げ〉が首肯すると、〈山羊〉はそれならよしとばかりにうなずいて続けた。 「お前の復讐ももうじき成るわけだが……お前、あの女王をどうしたいんだ? 自分の手で殺すつもりでもあるのか?」 「さあ、自分でもわからないな。ただ何かせずにはいられないのだ。言いたいことをすべてぶつけてしまえば、案外それですっきりするかもな」 おいおい、とでも言いたそうな顔で〈山羊〉が横を見てくる。〈禿げ〉は暗い笑みを唇のはしに浮かばせた。 「冗談だ。最後まできちんとやるさ。捕らえる、それができなければその場で陛下を弑したてまつる、だろう?」 それを聞き、〈山羊〉が自分のあごひげをいじりながら、目をすがめた。 「いいのか、〈禿げ〉? お前以外、俺たちは平民の〈鉤犬〉も含めて、みなゲルマニア出身で……まあ、元よりまっとうな連中でもない。 〈禿げ〉はその言葉に、少し考えた。 「あのような年若い小娘であろうとも、至尊の頂にいる者であろうとも……俺は、あの女が憎いのだ。 24 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:32:10 ID:Dj3xyU3d 〈禿げ〉が言い終えないうちに轟音がひびき、前方に見えてきていた居酒屋の扉が、内側から吹き飛んだ。 居酒屋の爆発に、村人、銃士隊、水精霊騎士隊のだれもが目を向けた。すでに一部は、そろそろと近寄りだしている。 「あの馬鹿ども――何をやった!」 〈山羊〉がうめき、様子を見ようとしてか、止めていた足を動かして野次馬の中にはいっていく。 家々の窓や戸から見ている村人……仲間と一緒に駆けてくる杖をもった少年たち……彼らと合流して居酒屋に近寄る銃士隊の少女たち……足を止めて騒ぎを見つめる銃士隊隊員…… あの少女。 いま見ている彼女は変装していた。王冠はなく、髪を結っており、身に着けているものはドレスではなく、ただひとつ同じ白百合の紋は胸につけられている。 見つけたぞ、アンリエッタ陛下。彼はそうつぶやくと、マントの下の杖をにぎりしめて女王のほうに歩き出した。 まさか、ほんとうに居酒屋に誘うわけにもいかない。 (ルイズもうすぐこっち来るとか言ってたよなぁ。あいつが話し相手になってやれば、姫さまも元気が出るだろう。 晴れて恋人関係になってから起きたあれこれの騒動を思い返すと、頭痛がしてくる。しかしそんな思いと裏腹に、才人の顔は勝手にニヤニヤゆるむのだった。 25 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:33:13 ID:Dj3xyU3d その笑みは、背後で起きた轟音によって瞬時に吹き飛んだ。 「な……なんだ?」 アニエスがさりげなく腰の剣の柄に手を置きつつ、つぶやく。 たちまち人がよってきて、あたりは喧騒に包まれていく。 今の女王は、少年のような格好をしていた。まず髪を結いあげて普段と印象を変えてある。 つまり銃士隊員の服装であった。 この一週間、暇つぶしに村中をうろついている銃士隊員は結構いるため、たしかに村人も今さらあまり目を向けないのである。 しかし、才人はアンリエッタの、その凛々しく中性的な印象をあたえる姿に見とれていたわけではない。彼の目は、その背後に向いていた。 才人の視線に気づいたアニエスが体ごと振りかえる。 「なんだ、貴様は!」 「どけ、女。そして少年」 「なんの用か言ってみろ」 アニエスの詰問に、男は答えなかった。フードの奥に見える双眸が、暗い火をちらちらと燃やしている。 26 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:33:59 ID:Dj3xyU3d 「〈山羊〉、この娘だ! 栗色の髪の、銃士隊の服を着た娘が女王だ!」 才人は肩越しにふりかえる。 「そっちだと?」 他に居酒屋の外に倒れていた、旅芸人のような服装をした男たちもよろめきつつ身を起こしている。彼らも一様に、フードの男の言葉をきいて愕然としたようだった。 「か……〈鉤犬〉の畜生めが、突っ走ってとんだどじを踏みやがった!」 その罵声に答えたのは、彼らの頭上で巻き起こった再度の爆発だった。 「「ルイズ」」 「え、サイト……って、姫さま!? その格好、いえ、まずこの連中……姫さま。こいつら、不逞の輩ですわ。姫さまを畏れ多くも拉致し奉らんとしていました」 「わたくしを……そう」 アンリエッタが唇をかたく引き結び、視線を前にもどす。 エア・ハンマーを撃ち出しながらその男は、風弾の反動で飛びすさり、銃弾をかわしていた。 「なるほど……平民上がりでも女王の護衛ともなると、いささかならず変わっているようだな」 アニエスが、一発きりの拳銃を投げ捨て、剣をシャッと抜く。語るつもりはもはやないらしく、無言で構えた。 27 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:35:13 ID:Dj3xyU3d 〈山羊〉と呼びかけられた黒衣の男が合図すると、頭をふって立ち上がった男たちが杖を手に詠唱を始めた。見る間に炎球が形づくられていく。 アンリエッタはとっさに叫んだ。 「村の人は速やかにここから離れなさい!」 アニエスもフードの男と向かい合ったまま、周囲へむけて鋭く一喝する。 「門を閉めろ!」 それに対する黒衣の男たちの反応も、いっそ見事なほど早かった。 だが男たちがそのまま遁走することはできなかった。 フードの男がいきなり自らの起こした風に乗って前に突っこんだ。 剣を手にしたアニエスが、硝煙のにおいを払うように大声で警告した。 「たとえ回復魔法であれ、もう一度でも詠唱をとなえれば、その瞬間に一斉射撃させる。銃士隊、水精霊騎士隊も狙いをつけろ。ためらわず撃てよ。 28 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:36:24 ID:Dj3xyU3d 男たちは答えなかった。 「お初にお目にかかります、トリステインの女王アンリエッタ陛下。 その言葉に誰もが目をむいた。 「おまえたちが触れようとした人は、白百合の玉座の主なのだぞ。 「あいにく、降服して死刑台をのぼらせてもらう気はありません。しかし、そうなると撃ち殺される運命のようですね。ならせめて、もう少し陛下と話させていただけませんか? 〈山羊〉に対し、なおも言葉を続けようとしたアニエスを制し、アンリエッタはきらめく目で黒衣の男を見つめた。 (『敵に対しては、剛毅に』) 「では言いなさい。なぜこのようなことを、誰のために起こしたのか」 「なぜなら、陛下は民の上にのしかかる者、旧弊の代表者であるからです。民を虐げる悪王は、裁かれるべきだと思いませんか? アンリエッタは表情を動かさなかった。ただ、静かに呼吸をととのえた。このような状況で、これほどまでに痛烈に、されど慇懃な罵倒を浴びたことはなかった。 (彼はわたくしを怒らせようとしているのかしら?) どう見ても、〈山羊〉は挑発していた――ただ、この場であえてそうする意図がわからない。 29 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:37:11 ID:Dj3xyU3d 「わたくしが国を害し、多くの民が王権をくつがえすほどの憎しみを抱いたとするなら、たしかにこの身は滅ぼされてしかるべきでしょう。 「では陛下、あなたの民から聞きなさい。彼はかつてあなたの軍にいました。白百合の旗印の下で、あなたのために戦いました。この若者の話を聞きなさい」 疑いなく〈山羊〉は女王の反論を待っていた。即座に、彼は名を呼んだ。 「前へ出て話せ――〈禿げ〉」 フードの男が、〈山羊〉の横に進み出る。そのこっけいな呼び名を聞いて、半包囲した近衛兵の中から失笑がもれた。 「二目と見られぬほど、醜いだろう? 先の大遠征のときだった。俺は軍艦に乗っていた。アルビオン艦隊との激突の折に、敵の放った火球で、鼻から上を焼かれてフネから落ちたのだ。 アンリエッタは、いま自分がどんな表情をしているのかわからなくなった。 「軍人ならその職についた瞬間、どのような戦傷も、死さえも覚悟するものだ! 陛下に恨み言を述べようとは貴様、恥を知らないのか」 「違う。まったく恨まなかったといえば嘘だが、この傷のことで復讐しようとは思わなかった。俺が陛下を恨むのは、仇だからだよ、わが恋人の」 〈禿げ〉は暗く燃え盛る目で、アンリエッタを見つめた。 「俺はここから少し離れた領地にある、貧しい下級貴族の家の出だった……四男で、家を継げる余地はなかった。恋人がいたが、俺にはまだ結婚の甲斐性さえなかった。 アンリエッタは固まっていた。最後の部分の言葉、その意味がわからなかった。 30 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:38:05 ID:Dj3xyU3d 「俺はこの傷のために、故郷に帰れなくなった。こんな化け物のような面相で、彼女に会えというのか? 〈禿げ〉は急に声を高め、絶叫するように口を大きく開けた。 「だから――だからずっと知らなかった、彼女の父が貧窮し、彼女に目をつけたあの獣、あの領主に借金を返せない者として牢に入れられ、彼女は領主に奪われたなどということは。 「その、領主は、」 「そうだ、あんたが遅まきながら十日前に断罪した領主だ! 王権が正義を体現するなら、なぜ、もっと早くしてくれなかったのか!? アンリエッタは呆然としたまま〈禿げ〉に言った。 「その娘なら、生きています」 「……なんだって? なんと言った?」 「生きています――その娘は、生きているのです! わたくしは彼女を処刑などしておりません、彼女はここの近くの修道院に入れられています」 「――嘘だ! 俺は見た、火に照らされた夜の庭で、彼女があんたの爪を噛み、そこの銃士隊の女に押さえつけられるのを。 31 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:38:43 ID:Dj3xyU3d アニエスが、これも唖然とした顔で指摘した。 「ああ、ほとんどの部分が真実だ。首をはねたこと以外が。疑うなら、その少女の生きた姿をみせてやる。 〈禿げ〉が、その問いに答えることは無かった。 「女王陛下、彼の話を聞きましたね? ああ、そこの銃士隊長どのが、勝手に発砲命令を出さないようにしてください。でなければ彼の首を切り裂きますよ。 「き……貴様……」 アニエスが怒りに口も利けない有様で、一斉射撃の合図の手をあげかけていた。 「待って、アニエス……! 撃たないで!」 待って。お願いだから。アンリエッタはそう口走っていた。 そのとき、両脇を固められていた手に鉤のある男が、身をよじって水精霊騎士隊の拘束をふりほどいて、地面に身を投げだした。 「お願いです、陛下、どうかお慈悲を、王の寛容を……わたしはゲルマニアの小作農民の出でした、無理やり兵隊として戦争に連れて行かれたので、すべての王権を恨むようになったのです…… その男はひざまずいて顔を哀れっぽくゆがめ、涙を流しながら、右手で自分の左手首の鉤をとりはずし、アンリエッタに手渡そうとするように高々ともちあげた。 「見てください、わたしは障害者です、戦傷者です、戦争によってこの手を失ったので農民に戻れませんでした……どうか、どうか憐れみを…… 32 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:39:24 ID:Dj3xyU3d 黙れ、とだれかがその男に怒鳴っていた。 「陛下、われわれはその〈鉤犬〉の言うとおり、もうあなたを狙いはしないと誓います。この場を逃がしてくれさえすれば、悔い改め、二度と宸襟を騒がせますまい。 (『敵には剛毅に』でも、これはいったいどうすれば……攻撃すればあの若者は死ぬ、 唇まで蒼白になりながら、彼女は必死に考えた。実際には考えているつもりで、思考がぐるぐる回っていた。 その前で、男たちの一人が杖を振って門の残骸を今度こそ吹きとばした。 女王を害しようとした男たちは、全員が逃げおおせた。 33 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:40:14 ID:Dj3xyU3d \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 〈禿げ〉が目覚めたとき、すでに夕方になっていた。 「――最悪ではなくとも、非常に悪い幕開けでした。これで女王一行は警戒するでしょうな。 「そう言うなよ。とにかく、みんな無事じゃないか」 「そのために貴重な『保険』まで使ってしまったんだぞ! この人質は二度とは通じまい、女王はともかく周囲の連中には特に」 ここはどこだ、と〈禿げ〉は横になったままぼんやりと周囲をたしかめる。 「もういい。お前たち、女王をどう思った?」 覚えのある声。一気に覚醒し、〈禿げ〉は首をまわしてそちらのほうを見た。 「助かりました。もっと冷徹に判断する、容赦ない性格かと思っていましたよ。 〈山羊〉の言葉に、〈鉤犬〉も笑みをこぼし、舌なめずりをした。 「ああ、邪悪なる王権に対するに手段を選んでいられないとはいえ、あのような少女に嘘をついたことは悔恨のきわみって奴でしたよ」 「まったくだ。『ハンス』という名前だの結婚して子供が三人いただの、よく言える。その左手にしても、戦争の傷とは知らなかったぞ。 34 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:40:47 ID:Dj3xyU3d 〈鉤犬〉を横からあざけった後、〈山羊〉は紫のローブの者に向きなおった。声を低める。 「百人以上のメイジの近衛兵。これがそのままだと、われわれに望みはありませんよ。例のものはありますか?」 紫のローブはうなずいて、ふところから何かを取り出した。水晶のような小さな石を。それを足元に落として無造作に踏み砕く。 「〈解呪石(ディスペルストーン)〉は貴重なものだ。世界のほとんどの者は、存在さえ知らぬ。 その問いに、〈山羊〉は街道をはずれた草深き原野を指さす。ちらちらと動く人影があった。 「そこらにいますよ。見えるところにいるのは一部ですがね。前日から手配して、総勢百四十名はあつめておきました。 紫のローブは愚問というようにうなずき、ぼそぼそとささやく。 「〈鉤犬〉は理想のために、お前は金のために戦う。わたしがお前たちを使うように、彼らを使え。金のことは心配するな。 『rot』とその肩の小鳥が一声鳴いた。 「お前ら……正気か? 精兵であろうとも百人の平民と、十人の近衛のメイジでさえ勝負にならんぞ。それが同数で、勝てるとでも思っているのか?」 〈山羊〉が微笑した。 「おや、〈禿げ〉、まだ心配してくれるのかね?」 〈禿げ〉は黙って、紫のローブだけを凝視した。食いしばった歯の間から軋るような声を出す。 35 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:41:22 ID:Dj3xyU3d 「どういうことだ? あんたから見せられた映像、その肩にとまっている使い魔が見て、それをあんたが俺に伝えた映像は、あんたの捏造だったのか? その者は答えなかった。〈禿げ〉を完全に無視して、顔を向けさえしなかった。 「こいつ、放っておくと間違いなく裏切りますよ」 〈山羊〉もうなずいて、雇い主に向き直る。 「『保険』のために預かりましたが、さっそく使用してしまったのでもう使えません。惜しいことですが、そのおかげで虎口を脱しました。〈禿げ〉、礼を言っておくぞ」 〈禿げ〉は自分のローブの中にある杖を、手が白くなるほど握りしめた。 「〈山羊〉、女王に人質は効果があるか、と貴様は村で訊きやがった……俺だったんだな? 紫のローブが、このとき初めて〈禿げ〉に向けて言った。かすかに嘲笑が、その男とも女ともつかない声ににじんでいた。 「お前は生きる意味を見失っていた。故郷に戻って恋人に壊れた面を見せるくらいなら、死んだと思われるほうがましだ、と……ゆるやかに朽ちつつあったお前に、意味を与えてやったのだ。 〈禿げ〉は杖をふところから取り出した。生きていようとどのみち、もう彼は恋人には会わないと以前に決めていた。澄んだ青い瞳を一瞬だけ思い浮かべて、杖を紫のローブに向ける。 (ここで、こいつと刺し違えてやる) 素早く風刃の呪文を詠唱して、殺すつもりで杖を振った――が、何も起こらなかった。 「近衛のメイジ百人! ところで、そいつら魔法が使えないなら、平民の精兵とくらべていったい何の役に立つんだね? 今夜は楽しくなりそうだなあ」 〈禿げ〉は狂ったように杖を振るのをやめ、絶望と怒りをこめて紫のローブを見やった。 「剣を習っておくといいと、言ってやっただろ? こういうときに役立ったのに」 赤い夕日が街道を照らし、鮮血がたらたらと剣に貫かれた胸から流れた。 36 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:42:14 ID:Dj3xyU3d \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 日は落ちていた。 館に戻り、アンリエッタは自分に当てられた部屋の中で、暖炉の前に置いた椅子に座っていた。 (けっきょく誰も救えなかった。あのときためらったことは、最悪の結果を招いただけに終わった) 〈禿げ〉と呼ばれていたあの若者は、夕方に死体になって発見された。街道から屋敷へ続く森の中の道に、見せつけるように投げ捨てられていたという。 『なぜ、彼らはこうも堂々と、トリステインの王権を侮辱するの?』と。 話をアニエスから聞いたマザリーニが答えた。容赦なく、アンリエッタを叱るように。 『王権の体現者たる陛下を恐れておらぬからです。そのような馬鹿者どもには、断固とした罰でもって応えねばなりませんでした。 青い目の少女のことを考えた。 (実は生きていた、けれどまた死んだと教えて、彼女の心をさらに傷つけるの? 彼が死んだのはアルビオンとの戦、せめて彼女には永遠にそう思わせなければならない……) そして、自分はこのことをも背負わねばならない。あの戦の後で、実感したのと似たようなことを、あらためてもう一度突きつけられた。 秋の夜はさむい、とぼんやり思う。炉の火は赤々と燃えているのに。 37 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:42:56 ID:Dj3xyU3d 「――ま、姫さま!」 はっと気づいて、顔をあげた。正面から、誰かがかがみこんで自分の顔をのぞきこんでいる。 「サイト殿、なんで……?」 「なんでって、その……部屋の前を通りかかってふと心配になっただけですけど、ノックして呼びかけても返事が無いから、つい……」 普通は、女王から許しの言葉を得ない場合、臣下は勝手に入室などしない。 アンリエッタは「それは、ご心配をおかけしました。でも、わたくしなら大丈夫です」と微笑んで言うべきだった。そう自分でもわかっていた。 「また、失敗してしまいました……」 才人はとても困った顔をしていた。それから、「そんな思いつめなくても」とこわごわと触れるように言ってくる。 「姫さま、しょうがねえって。あれはとっさに反応できないよ」 「いいえ、それでもわたくしは的確に反応するべきだったのです! あの男たちをけっして見逃してはならなかった、彼を、彼を救うべきでした!」 突然感情が激した。 「……わたくしの弱さは、部下の働きを裏切ったのです」 「だから、そんなこと言うなって」 才人は、へどもどしながら必死になぐさめようとしている。 突然、ルイズのことを思い出した。実家への帰省中だったが、半ば逃げ出すように出てきた彼女は、アンリエッタの留まるこの領地に来たのだった。 38 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:43:33 ID:Dj3xyU3d (いけないわ、これは……) 思わず、身を離すようにのけぞって顔をそむける。 「姫さま?」 「出て行ってくださいまし。これ以上、考えることを増やさないで」 毅然として言えはしなかった。震えて、自分でもみっともないほど弱々しい声。 「落ち着けって。俺、馬鹿だからこんなことしか言えねえけどさ。 彼の声は、困惑と心配に満ちていた。壊れ物を扱うような、幼い子供をあやすような抱き方。ぎこちない優しさに満ちている。 「それなら、もっと強く抱いてくださいまし。何も考えないですむほどに」 才人が戸惑っていたのは短い間だった。彼の腕に力がこめられて、アンリエッタはぎゅっと息苦しいくらいに引き寄せられた。 急にドンドン、と部屋の扉が激しい勢いでたたかれた。 「陛下、トリスタニアから来た増派の近衛兵が、ここから八千メイルの距離で襲撃され、壊滅しました! おそらく、われわれは包囲されつつあります」 無音の雷が室内に落ちた。 39 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投稿日: 2007/09/17(月) 02:44:31 ID:Dj3xyU3d アンリエッタは、頭をふった。まさに青天の霹靂だったが、先ほどよりずっと頭がすっきりしていた。 「……なぜ、そんなことになるのです? 近衛兵たちは軍の中でも最精鋭の兵です。襲撃を行ったものが、よほど多くの兵をそろえていたのですか?」 「陛下」 アニエスの後ろから、ルイズまでが歩いてきた。彼女の声も、同じ程度にこわばっていた。 「試しましたが、わたしも虚無が使えませんわ。水精霊騎士隊の面々も、まったく魔法が撃てません。まともな戦力は、今のところ銃士隊五十名だけです」 秋の月が空に光る。それでも暗い、そして長い夜が始まったばかりだった。 |
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