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Last-modified: 2008-11-10 (月) 22:49:18 (5644d)
317 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/22(土) 23:57:36 ID:6lYBvxQ2 「守らねばならん場所が、広すぎる」 大広間。作戦会議は早急にはじまった。今は、アニエスが卓の上にのった館の地図を指し示して説明している。 「この館をかこむ塀は、長すぎるのだ。そのうえ高さはせいぜい人の上背くらいだ。無いよりははるかにましだが」 集っているのはアンリエッタ、館の主である老領主、先刻に敗北を喫した近衛メイジたちの指揮官。そしてルイズと才人、ギーシュ。 「館からあまりに離れているのだ。館から約100メイルの距離でぐるりと取り囲み、ややひらけた森の中にめぐらされている状態で、その全長は700メイルに達する壁。 アニエスはそう言ってから、面々を見渡した。 「言っておくが、『その他』の三十八名は、治療士、料理人、召使、侍女のたぐいが含まれ、マザリーニ様や領主どののように老境にあるものもいれば、銃士隊とちがい武器など手にしたこともない女性もいる。 集まった者たちは、少しのあいだ誰も何も言わなかった。重いため息さえ出なかった。 「まいったの。森中の塀については、はるか昔の先祖が築いたものじゃが、実はもっと内側にもう一つ、館を囲む石壁があったんじゃ。 その慨嘆は、残念ながら現状を乗り越える役にはたたないようだった。 「それならいっそ敵には壁を乗りこえるにまかせ、館にこもって戦うってのはどうだろう?」 才人の提案に、アニエスと近衛の指揮官が同時に「駄目だ」と首をふった。アニエスが説明する。 「館にこもれば包囲され、火を放たれる。突撃してこられれば、魔法なき白兵戦では向こうがずっと有利だ。銃士隊とて女の力だからな、一対一でさえ危ない。 近衛メイジの指揮官がいまいましそうに床をけりつけた。もともと副官だが先刻の戦で、派遣された指揮官が斧で首をはねられたので、自動的に昇進したのだった。 「ちくしょう! 竜さえ残っていれば、包囲の上を飛び越えて近隣の領地に速やかな援兵をたのむことも、陛下をお逃がしすることもできたのに!」 アンリエッタが彼に問う。 「竜は全滅したのですか?」 318 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/22(土) 23:58:17 ID:6lYBvxQ2 「……はい、投網や矢を使われて。真っ先に、敵は数匹いた竜を狙ったのです。われわれのほとんどは、魔法を放とうとしてそれが出ないことに狼狽し、まともな対応ができませんでした」 アニエスが彼に向き直った。 「竜はもう仕方がない。貴君には、今夜の作戦でわたしの指揮下に入ってもらう」 指揮官の顔がどす黒くなった。 「今夜だけだ。おそらく潰走した近衛兵たちの一部は、来た道を必死に戻って連絡をつけるはずだ。早ければ今夜中には援軍が来る。遅くともきっと、明日の昼までには。 アニエスは最後にアンリエッタを見た。まだ銃士隊服のままの女王が、こくりとうなずいて後押しした。 「銃士隊長に采配をあずけます。ただ勝利のことを考えてください」 アンリエッタの発言をうけて、そこでマザリーニが手をあげた。黒衣の宰相は、冷たい目でアニエスを見た。 「言っておこう。われわれの勝利とは敵を破ることではない。陛下の御身を守ることだけが目的とこころえよ」 アンリエッタが眉をひそめ、枢機卿に向けて口をひらいた――が、その前にアニエスが頭を下げた。 「近衛兵とは、そのために存在するのです。無論、陛下の身の安全が最優先です」 なにかを言いたそうなアンリエッタの様子に気がつかないふりで、アニエスは締めくくりに入った。 「大まかな方針は、壁で敵を防いでひたすら時間をかせぐ。銃士隊をできるかぎり無駄なく使いまわして、防備の薄さをおぎなう。 緊張で顔色をやや青くしているギーシュが、ごくりと固唾を飲みながら言った。 「敵は弩(いしゆみ)を持っていた。銃もいくつか。壁からうって出て攻撃しようとすれば、われわれは飛び道具の雨に相対するだろう。 319 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/22(土) 23:58:50 ID:6lYBvxQ2 最後に、ルイズが提案した。 「アニエス、村はどう? あの村の石壁は、この館に来るとき見た壁よりも高く、頑丈そうだったわ。それに、村人の協力が得られるはずよ」 「ラ・ヴァリエール殿、それは考えたが不可能だ。ああ、確かにここより守りやすかっただろう。しかし、この館と村とのあいだは街道をはさんで離れている。 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 〈山羊〉は、近衛のメイジを奇襲したあとの死体転がる街道で、あらためて兵の編成をしていた。かがり火のそばに立つロマリアから来た傭兵隊を見る。 「あんたはたしか副隊長じゃなかったか? 数日前に俺が話をつけた隊長どのはどうした」 「前の隊長なら、まあ、いろいろあってね。そのおかげで来るのが遅れちまったよ。今は俺が傭兵隊をひきいてる」 そのひげ面でがっちりした体格の男がにやりと笑った。全身にごてごてと金の装飾具を飾っており、悪趣味なほどである。 「……まあ、仕事さえしてくれるなら誰が代表だろうと構わんが」 傭兵隊という集団は、内部でさえときには血みどろなのである。細かいことをつっこんで訊く気は〈山羊〉にはなかった。 「できればもう少し早く来てほしかったところだがな。すでに緒戦は終わったところだぞ」 「だからいろいろあったんだって。まあ、もういいじゃねえか、勝ったんならよ。それより、あらためて訊くが、金のほうはどれだけいただけるかね? 悪びれもせず金の交渉に入る傭兵隊長に、〈山羊〉は金額を告げた。普通なら目をむく額だったが、その傭兵隊長はうなずいてから言った。 「まあ、なかなかの額じゃねえか。しかし、相手はトリステインの女王とか。さすがに一国の王権を相手にするとなると、もう少し色をつけてもらわんと割にあわんね。 〈山羊〉はぐるりと眼球をまわし、肩をすくめる。傭兵の貪欲さは、自分自身が金でやとわれた身である〈山羊〉にとっては理解可能であるが、だからといって愉快ではない。 「結構、結構」 それから、その男は笑みを消して鼻をこすり、腰にさした剣のつかを手のひらで撫でた。 「じつは個人的にも悪い話ではないと思ってる。よくある話だが、貴顕の者ってやつが俺は大嫌いでね。金をもらってそれを相手取れるってのが心地よい」 320 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/22(土) 23:59:26 ID:6lYBvxQ2 傭兵隊長の言葉に適当に相槌を打ちながら、〈山羊〉は思考する。 敵はおもに銃士隊になるだろう。事前に調べたところ、今回の女王の巡幸に付きしたがっているのは五十名ほどである。 こちらは壁さえ突破すれば、勝てるだろう。 「騎馬隊でわざわざ来てくれたのに悪いが、戦場は森になりそうでな。馬は向かん。あんたには、ほかにやってもらいたいことがある」 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 館。水精霊騎士隊・隊長および副隊長にあてられた一室。 「始祖に誓います。今までの道中、誰が相手であろうと、他の女性に下心を抱き、やましいことをしたりはしませんでした。本当デスヨ?」 「語尾が震えてるわよ」 勘弁してくれ、と才人はげっそりしたため息をついた。 恋人関係になってから、ルイズは成長したと思う。心に余裕らしきものが出来たのだ。 321 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/22(土) 23:59:57 ID:6lYBvxQ2 まあ、そこまではいい。カトレア方面への成長である。 (そのへんはどう考えても、こいつの母ちゃんに似てきてるんだよな……) 烈風カリンことカリーヌから、「殿方の手綱の握り方」をあの冷厳かつ淡々とした語り口で伝授されているとかいないとか。気がつけばルイズは鎧までオーダーメイドしている。 (今日いきなり電撃訪問してきたのだって、ほんとに驚かせるためだけか? って思っちまうよ、ったく。 耳の後ろにつっと冷や汗が流れた。 (そう、姫さまとちょっともやもやしたが、あの一連は下心でやったことじゃない! 今思い返したってそんなこと考えも……) 軽くキス→落ち着いて安らかにお眠りなさい、的なもの。放っとけなくなっただけである。あれを見捨てたら人じゃねえ。 手をにぎる→上におなじ。そうだこの感情、いわゆる父性愛というものではなかろうか。ほら姫さまときどき弱々しいし、庇護欲をそそるんだよね。 抱き合う→弱々しいつーか姫さまほんとに可憐って感じだよなあ。腕の中でちょっと震えてて、銃士隊の鎖かたびらつけてても、不思議と抱き心地が柔らか…… 「って違う! 最後がおかしい!」 青ざめてつい口走った才人に対し、ルイズは「……なんだかよくわからないけど、あんた不気味よ」とちょっと引いていた。 「まあ、何もないならいいわ。……わ、わたしだって本当は、あんたを信頼してるわよ。でもね、あの、その、長く離れてると心配で…… 頬をちょっと染めたルイズに隣を示され、才人は罪悪感と感激に満ちた顔を上げた。やはりルイズに隠し事をするのは耐えられない。きっぱりしゃべってしまおう。 「実は姫さまが、」 「ヨシ、死刑ニ処ス」 「早いぞ!?」 一瞬で下った判決に涙をこらえきれない。信頼はどこへ行った。 322 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日) 00:00:27 ID:6lYBvxQ2 「ふ、ふふ、姫さまが何かしら? 焼けぼっくいに火がついたとか言うのかしら? 笑える。あれだけ釘を刺したのにあんた本気で何かしたとかなら、それはもう最高の冗談ね。殺スワヨ」 「聞け! 聞いてくれ!」 とりあえず、才人は大まかなところを話した。 そして才人の心の動きとは別のところで、否応なしに重い話にならざるを得なかった。巡幸途中で起きた、青い目の少女に関わる二つの事件。十日前と今日の。 「悲惨な話ではあるけれど、どうしようもないと思うわ。姫さまにはできることなら自力で乗り越えていただかないと」 「……意外だな。お前なら、姫さまをなぐさめにすっとんで行くかと思ったんだけど」 「ええ、昔ならそうしたわ。でも今は……サイト、この問題は微妙なところにあるの。 ルイズは一呼吸おいて、しんみりした声で続けた。 「女王の名において下された施政よ。それで起きた一部の民の不幸に傷ついたからといって、そのたびに誰かに許してもらわないと駄目なの? 女王としての権威は、ご自身にさえおとしめる権利はないわ。 「……つまり、姫さまに頼り癖をつけさせるなってことか? 政治にかかわる心の問題は自分で吹っ切らせろと」 「そう。まったく他人の声を気にしないほうが困るけどね、憎まれないことだけを考えて政治をすることはできないわ。 ほろ苦いルイズの口調に、才人は首をふった。心から言う。 「お前は、本当に成長したよ」 王位継承権を与えられている以上、ラ・ヴァリエール家でそのために恥ずかしくない程度の教育もほどこされるようになったと聞く。 323 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日) 00:00:56 ID:6lYBvxQ2 「サイト、わたしは姫さまに忠誠を誓っているわ。臣下としての範囲なら、あの方のためになんでもする。 「え? うーん……まあ、水精霊騎士団の幹部だし、形はそうだな」 「形ってなに? 形ってなに? それまさか『内実は臣下じゃないから自分はおなぐさめしても何の問題もないな』とか言いたいのかしら? あら曲解ですって? ほーお。 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ アンリエッタは赤いじゅうたんの敷かれた廊下を、静寂を壊さぬようにして歩いた。燭台が等間隔ですえつけられ、暗い廊下に揺れる火の赤い光をもたらしている。 自分が、なんでそこに行こうとしているのか、実のところアンリエッタ本人にもわからないのだった。 大広間の会議のあと、マザリーニと館の主は二人してどこかに消えてしまい、アニエスと近衛メイジの指揮官、およびギーシュは、それぞれの部下たちを連れて外へ。 ルイズと一緒にいるのに無粋かしら、と歩きながら悩むが、いつのまにか才人のほうを中心に考えていることに気づいて、ぱっと顔を赤くする。 (いやだわ……はしたない) ルイズもいるのである。いくらなんでも親友の前で、つい先刻その恋人の腕の中にいたことを意識するのはどうかと思われた。 324 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日) 00:01:40 ID:DIjGLQvc 決して、昼間の村での出来事を吹っ切れたわけではない。ともすればまた、終わりのない懊悩に入ってしまいそうになる。答えなど出ないと、自分でもわかっているのに。 それを断って、沈鬱の沼から引き上げてくれたのが、あの抱擁だった。人肌の温かさは、本能的な安らぎを与えてくれた。 「……嫌だ、それなら言ってやる! やっぱり、俺は姫さまの臣下じゃねえよ! 俺はお前の使い魔で、お前ほうってまで王家に仕えたいわけじゃねえ!」 手が止まった。ドアの向こうで、二人が争う声が聞こえる。 「子供みたいなこと言わないでよ! わたしは姫さまの臣下なのよ。あんたはわたしの使い魔で、それならわたしの言うことを聞くべきでしょ」 「ちがう、俺はお前の身を守るのが役目だよ! くそっ、賛成しねえからな、こんなの……!」 「サイト。あんた、ガンダールヴの力、使える? 左手のルーン、消えてないけど薄くなってるでしょ。 「関係ねーだろ! ……使えねーよ。お前らが魔法を使えなくなったのと同じあたりから。けどそれが何なんだ? 剣を使える俺は、お前ら杖以外を持ったこともないメイジよりずっと戦力になる。 「サイト。あんたがわたしを守りたいと言ってくれるように、わたしは姫さまを守りたい。主君のために身を投げだすのは臣下の義務だわ。 「じゃ、俺はおまえと一緒にいくぞ。死ぬ気無いんだろ? 俺も死なないさ」 「サイト、冷静になって」 ルイズの声が、樫の板でできたドアを通して、廊下に立ち尽くすアンリエッタの耳に入る。情愛がこもって、かすかに哀しい声だった。 「わかるかよ! 王家に手を出そうって連中だぞ、どれだけ名門でも安全ってこたねえよ!」 325 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日) 00:02:44 ID:DIjGLQvc 「……とにかく、敵の目標は姫さまで、わたしたちの第一に守るべきも姫さまだわ。 そのルイズの言葉を最後に、ドアに伸ばしたまま固まっていた手を下ろす。 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 館の外。壁にかこまれた異様に広い『庭』。 「もっとも弱いのはやはり、壁がとぎれて門がある、村へと続く小道の部分だ。あの鉄格子の門が突破されれば、一気に敵がなだれこむ。 (とは、言ったものの……うまくいくだろうか?) アニエスは自信があるように振舞いはしたが、たぶん誰よりも冷や汗をかいていた。 「敵の総数は、われわれと同じ程度だ。こちらは防げばよい、奴らを壁の内側に入れないだけでよいのだ。明日には援軍がきっと来る、それまで持ちこたえればよいのだ」 大声で、自分自身さえごまかす。 ……それは守る必要のある箇所が広すぎず、また敵の接近を即座に知ることが出来る状況での話だった。 壁の外をにらみつける。壁から五メイルほど距離をあけて、うっそうと針葉樹の森が茂っていた。 326 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日) 00:03:19 ID:DIjGLQvc (森だ。この森が忌々しい、これのせいでどこから敵が来るかわからない!) それでもまだ壁の内側、庭の中の木が大幅に間引かれているのは救いだった。 (敵はどうやって攻めてくる? 通常なら、兵力を分散させるのは愚の骨頂だが、われわれは敵陣の具体的な様子を知ることができない。かといって壁を離れるわけにはいかない。 アニエスの思考を才人が読めれば、「モグラ叩きのようだな」と表現したかもしれない。 (どちらにしても一度数名での突破を許せば、そいつらを片付けるのに手間がかかる。その隙にもっと多くの敵が乗り越えてくる。そうなれば終わりだ) そのときにはこの庭で、決死の白兵戦をするしかない。 「レンガや石を集めて足元に積んでおけ! 銃は訓練していないお前らではまともに扱えん、だから持たさん。物を投げて攻撃するんだ。 壁の内側ぞいのほうが、外側よりも若干地面が高い。つまり、こちら側は壁に立てば首から上が出て、見るにも攻撃するにも敵より容易だ。 暗い森。狼の遠吠え。杉のこずえが白い月をさし、冷たい長い壁を燃えるかがり火が照らす。 アニエスの身が総毛だった――周囲の者たちが反応しているのと同じ方向に、彼女は向き直った。 ある場所で、ドラが連続して鳴らされている。興奮気味に、狂ったように。 「門です、門に来ました! 大挙して隊列を組んで、小道をのぼってきます!」 なるほど。序盤は正攻法か。壁の最も弱い部分に、人数をぶつける気らしい。 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 館の古い物置部屋。館の主である老貴族が、苦労して床の一部の板を持ち上げると、階段があった。湿った土臭い空気がのぼってくる。 327 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日) 00:03:50 ID:DIjGLQvc 「この秘密の道は、街道近くの森の中に通じております。 老貴族の説明をうけて、ルイズはうなずいた。 (これなら、姫様の脱出も本当にできるわ) ぐっと手をにぎる。館の主がさらに説明した。 「地下道は、気をつければ馬でさえ通れます。馬をひいていき、すみやかに陛下をお逃がしするのが良いでしょう」 「ありがとう! あとは馬車ね。わたしが乗ってきたラ・ヴァリエール家の馬車を用意していただけませんか?」 「ば、馬車? 馬車はさすがに通れません」 「地下道じゃないわ。馬車のほうは正面から出て行くのよ」 館の主は首をひねりながら物置部屋から出て行った。 「陛下への忠誠、まことに礼をいくら述べても足りない」 「いいえ、当然ですもの」 「なるほど、忠実な臣下としては当然かもしれません」 ルイズに向けられたマザリーニの声と目には、単なる感謝ではなく、どこか皮肉なものがあった。 「ですが、『友人』としてならどうでしょうな? これは陛下の許しをえて進めていることですか。それとも、話してさえおられないのですかな?」 一瞬、言葉を失う。ルイズは眉根をよせた。 「……友人としても、陛下には逃げのびてほしいですわ。 「いや、失敬。たわごとと思って聞き流されよ。 328 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日) 00:04:51 ID:DIjGLQvc そこまで話したとき、出て行ったばかりの老貴族があわただしく戻ってきた。 「門が攻撃されております! だめです、正面からはもう出られません」 ルイズと枢機卿は顔を見合わせた。 「いきなり策が狂いましたな」 自分が囮となって正面から馬車を走らせ、敵の目をひきつける間、アンリエッタを逃がす。どこまで行けば安全なのかわからないが、ラ・ヴァリエール領まで行けばまず確実に助かる。 「いえ、それなら、わたしも馬をひいてこの道から抜け出ます。そこから囮になって、街道を反対に走ればいいんだわ。捕らわれるとしてもなるべく長く逃げてみせる」 「結構。では、急いだほうがよいでしょうな。さっそく陛下を呼んでまいりましょう」 マザリーニが物置部屋から出かけたとき、三人もの人間が入ってきた。 そのアンリエッタが、淡々と言った。 「サイト殿から、すべて聞きました。わたくしを逃がすと」 ルイズは才人をにらみつけた。いや、どのみち言わなければならなかったのだが。才人はそっぽを向いている。 マザリーニがこほんと咳払いした。『午後の予定は要人との謁見となっております』と言うのと変わらない調子で、宰相は言った。 「陛下、話が早そうですな。ではルイズ殿に従い、すみやかにお逃げください。 アンリエッタは無言だった。水面のような静かな瞳で枢機卿を見、ルイズを見、床に暗い入り口をさらした抜け道を見た。 「ルイズ、ごめんなさい。わたくしのために、こんなことまでさせて」 329 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日) 00:05:24 ID:DIjGLQvc 「姫さま」 臣としての立場。そう言いながら、「姫さま」と呼んでいることに、ルイズは自分で気づいていなかった。気づいたのは、アンリエッタの方だったろう。 「馬を連れてきてくれないでしょうかね」 館の主が再度出て行った。召使たちに指図する声が聞こえる。 「申し訳ありません。これだけは我がままですが、サイトを護衛として連れて行ってもらえないでしょうか。ギーシュだけでは不安です。 使い魔が怒りに満ちた形相で、ぐるんとこちらに顔を向けるのが視界の端に映った。 「ルイズ、おまえ……!」 「サイト、落ち着けよ! 陛下の御前だぞ」 ギーシュがうろたえて彼を引き止めている。 「すぐ自分で引き取りにいくつもりですから。あずかっててくださいね?」 女王は、やわらかく微笑んだ。やはり、どこか悲しげに。 「わかっているわ、ルイズ。彼はあなたの騎士だもの、すぐあなたのところに戻ります」 才人がまた、何か言おうとしていた――それをギーシュも察したらしく、慌てて割りこんだ。 「ま、まあまあ。こんなときまで喧嘩することはないと思うが。再会の約束でもしておいたらどうだね、ルイズ?」 「……そんなの、必要ないわよ。どうせすぐその顔見るもん」 「ルイズ、意地をはってはなりませんよ」 330 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日) 00:05:56 ID:DIjGLQvc 女王に呼びかけられたギーシュが、「あ、はい」とあわてて飛び出していき、すぐ戻ってきた。手にワインボトルとグラスを人数分抱えている。 「あなたはどうなさるの、枢機卿? とどまるのですか?」 「そうですな。見てのとおり老体ですからな、街道をひた走るのは疲れそうです。足手まといになるのは恥ですので、ゆっくりこの館で休ませてもらいましょう」 飄々とうそぶく宰相に、「……そう。では、あなたとも杯を乾して誓いましょう」とアンリエッタは目を伏せて五杯目を注いだ。 ルイズはちらりと才人を見た。 彼女の脳裏に、なぜか幼い日に父公爵のもとを訪れた吟遊詩人の声がひびいた。 (『今宵、別れの杯に、こぼるるものはわが血潮……かくてぞわれは呑みほしき、君がなさけを汲みし酒……裏切りは赤、死は来たり、杯に満ちわれを呼ぶ……』 アンリエッタがグラスをルイズとマザリーニに手渡してくる。残りをギーシュと、渋々の様子ながら才人が手に取り、アンリエッタ自身が最後の一個を持ち上げて、くっとかたむけた。 「ルイズ?」 アンリエッタが心配そうにのぞきこんできていた。 「大丈夫ですわ……姫さま。わたしお酒だって、少しは強くなっれ、て、あれ、れ?」 いきなり、ろれつが回らない。 331 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日) 00:06:31 ID:DIjGLQvc 「ルイズ。本当に……ごめんなさいね」 姫さま、なんでそんなことを言うんですか。そう言おうとして、おかしいと気がついた。舌が痺れている。 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 館の主とアンリエッタ自身が、鳴かぬよう板を噛ませた馬をひいた。才人とギーシュがルイズ、それにマザリーニのぐったりした体を背負って運んでいる。 夜の森の中に出る。 (眠り薬が効いてよかったわ) 魔法は出ないのだが、ポーションはまだ効くらしい。 才人とギーシュが馬を受け取り、意識のないルイズとマザリーニをそれぞれ体にくくりつける。 「ギーシュ殿、枢機卿をよろしく頼みます。ルイズとこの人がいれば、トリステインは大丈夫」 ギーシュも無言だった。何か言おうと口を開きかけて、彼はけっきょく黙った。 「これはやっぱり正しくない。あんたら二人は話し合うべきだった。姫さま、あんたもルイズも互いのことを考えて行動したんだと思う。でも、善意が独りよがりすぎる」 その言葉にアンリエッタが答える前に、館のほうで角笛とドラの音、銃声とどよめきが起こった。 332 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日) 00:07:05 ID:DIjGLQvc 「始まったみたいだ」 アンリエッタは顔をもどして才人を見た。彼の腕の中にいるルイズを見た。うずく胸を我知らず押さえたが、そっと手を下ろす。 「でも、やはりこうするしかないのです。望むと望まざるとにかかわらず、わたくしは女王です。 それが、別れの言葉だった。「ルイズとお幸せに」と付け加えようかと一瞬考えたが、やめておく。涙声になっては、台無しである。 帰りは行きより早かった。館に戻ってすぐ、アンリエッタは館の侍女に命じて着替えを手伝わせた。 (玉座は一人で座るしかない、父祖たちがずっとそうしてきたように。戦いからも玉座からも、逃げられない) 処女雪のような純白のドレス。 大広間に入り、肘掛け椅子に座す。 アンリエッタは柔らかい椅子に身を沈めながら、彼に答えた。 「部下が戦っているときに、わたくしが真っ先に逃げれば、トリステイン王家の名誉はおおいに傷つくでしょう。 (重要なのは王家であってわたくし個人ではない。そして王家はルイズが継いでくれる。 333 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日) 00:07:38 ID:DIjGLQvc 「わたくしが座るところがトリステインの玉座、今夜ここから逃げる気はありません。逃げるとしてもそれは、部下たちが敗れ、矢折れ力つきる前ではない。 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 夜の森で馬を走らせるのは気ちがい沙汰である。ましてや山になど踏み込めない。 (馬が疲れるな……だけど、何かあってもすぐ走り出せるようにしないと。二人だと乗るのに手間がかかるし) 逃避ぎみの思考で、そう判断する。 (姫さまはラ・ヴァリエール領まで逃げろと言った……けれど、そう簡単にはいかないはずだ。十中八九街道は見張られてるな。 アンリエッタはときどき詰めが甘い。とはいえ、まさか責められもしない。 (それで……いいのか? 俺?) 最後に見た、木漏れたおぼろな月明かりに照らされるアンリエッタの表情が思い浮かぶ。 (ああ、そうか……さっき『俺もついていく』と言ったとき、ルイズが俺に向けて浮かべた表情と似てるんだ) 「……サイト」 押し殺した声で、後ろのギーシュがささやいてくる。彼はおさえかねるように才人の背中に激情のこもった声をぶつけてきた。 「ぼくは戻りたい。みんな、陛下を守るために戦ってる」 才人は振り向かなかった。ギーシュがさらに言いつのる。 334 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日) 00:08:12 ID:DIjGLQvc 「陛下の言われたとおり、きみは王家に使える騎士ではないかもしれない。 「……マザリーニ様を逃がせという命令を、たった今女王陛下から受けただろ、お前。戦いが怖くて逃げるわけじゃねえんだから、」 「いや、怖いよ。怖いがね、ぼくにはこのまま去るほうが耐えられない。陛下の命令に背いてでも、別の義務を全うしたいんだ。 お前ってやつはときどき凄いよ、と才人は背を向けたままため息をついた。 「……ギーシュ、そろそろ街道に出るぞ。全速力で馬を走らせる」 「いいのか!? それで……!」 「聞けって。村へ行く。あんな頑丈な石壁だったんだ、たぶん門をぴっちり閉ざしていれば敵は入れねえ。宰相さまとルイズを預かってもらおう」 「ということは……戻るのだね!?」 ギーシュの声が明るくなる。そういえば自分もすっきりしてるな、と才人は苦笑して断言した。 「ああ、放っておけるわけねえだろ。戻る」 街道は月の下、ある程度見渡すことができた。 街道をたちまち横切り、村へと続く小道を駆けさせる。 「あれなら、大丈夫そうだな……」 そう洩らしたとき、ギーシュが恐怖に満ちた声で呼びかけた。 「おいサイト、き、来た!」 335 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日) 00:08:49 ID:DIjGLQvc 何ぃ、とうめいて肩越しに振り向く。 (大丈夫だ、まだ離れてる! 先に門の中に入ってしまえば……) そこで気づき、真っ青になった。 「じょ――冗談じゃねえ!」 門の前にたどりつき、村人に呼びかけて、自分たちが女王の臣下で追われている者だと説明し、納得させ、門を開けさせる。……いくらなんでも、手間がかかる。 表門が近づいてくるにつれ、その確信はますます強まっていった。 (こうなれば、あがいてやらあ) 続々と周囲に集まってくる騎馬の集団は、そんな才人を見て忍び笑いをもらした。彼らは簡易な甲冑をつけ、手に手に弩(いしゆみ。ボウガン)を持っていた。 「俺たちはロマリアの騎馬傭兵隊……で、今夜は斥候役なんだ。逃げる者がいたら捕らえろとも言われたが、まさかほんとにいるとはね。 なあに心配するな、おれたちロマリア人はレディには優しいから、とその傭兵隊長が笑う。 「おまえたち、大貴族に手をかけようっていうのか? 考えてもみろよ、今夜がすぎたらきっと恐ろしい目に合うぞ。ああ、きっとそうなるとも! 「あいにく、おれは共和主義者ではないが、王侯貴族のたぐいは大嫌いでね。 身をかざる金銀の装飾具をヂャラヂャラ鳴らしながら、その傭兵隊長はせせら笑った。 336 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日) 00:09:22 ID:DIjGLQvc 「ま、待てよ、唐突に貴族嫌いとはこれいかに」 「なぜって? おれたち傭兵隊を見ろ。力量(Virtu)の世界、才覚だけでのし上がる世界だ。失敗すれば死に、成功してもいつ蹴落とされるかわからない。 一息で言ってから、剣をかまえている才人を見やる。 「そこの小僧みたいに、貴族に尻尾を振る平民は、貴族以上に好きじゃない。 「サイトは元平民だが、今じゃ貴族だぞ」 ギーシュが、うっかり口をすべらせた。 傭兵隊長の目が、すっと細まった。 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 戦闘開始一時間後。 敵の攻撃は分散しだしている。開始前の予想通り、壁にとりつこうとする敵を片端から落としていく戦いになっていた。 最初に門に来た敵は撃退していた。今は門につながる小道をのぼってくる敵の姿は見えない。 337 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日) 00:10:05 ID:DIjGLQvc (おかしい。あの突撃は明らかにあちらの失策だ。常識なら、あんな無謀な突撃で銃の前に出てくるはずがない。 おそらく、血気にはやりすぎて、指揮官の手に余る狂躁状態になっていたのだ。見てみれば、門の外に転がるいくつかの死体は全てが若者だ。 (戦闘慣れしていない新兵のような連中か? なら、逆に幸いかもしれん。敵の指揮官と兵の連結がうまくできていないのは喜ぶべきだ) マスケット銃に弾を押しこめつつ、敵の次の手と、こちらの対策を考える。 (……こっちだって事実上の新兵だらけだな。水精霊騎士隊だけでなくほかの近衛メイジたちも、魔法を奪われて勝手が狂ってる) ドラが館の裏手のほうで鳴った。それはすぐに止む。壁ぎわで阻止したらしい。 アニエスは立ち上がり、「馬に乗れ。行くぞ」と銃士隊員に声をかけた。 (まだ滑り出しだが、この対策は有効のようだな) そう思ってすばやく馬にまたがろうとした瞬間だった。 「……壁にあまり騎馬で近寄らないほうがいいな。体が高い位置に来るため、壁の外から上体が見えて、飛び道具の格好の餌食だ」 そうとだけ言ってあらためて馬に飛び乗る。 338 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日) 00:10:46 ID:DIjGLQvc 戦闘開始二時間後。 「……違う!」 アニエスはぎりっと歯噛みして地面を蹴りつけた。 どんどん、敵の動きがスムーズになっている。 (練達した兵、おそらく傭兵が混じっている! とくに飛び道具を操る連中に。 二種類の敵。老練な傭兵と、命知らずで狂信的な兵。 「こいつら、共和主義者です! その……陛下を狙うのは、すべての邪悪なる王権を打倒するためだと寝言を言っております」 (共和主義者。ゲルマニア人。革新の国では、さまざまな思想がるつぼのように渦巻いていると聞くが、よりによってブラックリストの筆頭にあたる思想までか) さすがにゲルマニア帝室と関係はあるまい。 (今夜死なずにいたら、必ず調べあげてやる) 剣を抜いたまま壁にはりつき、敵の雨あられと降らせる矢をやりすごしながらアニエスは誓った。 弩や銃の攻撃を受けるたびに、壁は砕けそうなほど震えがはしる。いや、実際に当たった箇所は少しずつ砕けているはずだ。 「でき得るかぎり一人に対して複数であたれ! 12 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:37:20 ID:zn1b7t+T \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 〈山羊〉は森の中から、壁の攻防を見やっていた。 (こちらにはこの森、故国ゲルマニアの黒い森に似たこの環境が味方している) 「それにしても、女王の手勢はよく戦う。銃士隊とやらの働きだな」 冷静な評価を口にする。それを聞いて、そばの〈鉤犬〉が不安そうに甲高い声を出した。 「なにを落ち着いてるんだ。どう見ても、こっちの犠牲のほうが多いじゃないか。壁にとりついても全部撃退されてるぞ」 「心配するな、今のところきわめて予想通りの展開だ。 傭兵たちとおなじく、〈山羊〉は慎重な性格だった。危険が及べばさっさと逃げる。この戦闘も、慎重な戦い方で進めていた。 (それにしてもこいつ、白シャツ姿でそばに来ないで欲しいものだ) 「……敵の指揮官は最善を尽くしている。奮戦といっていい。だが、この戦いは真っ当な結末を迎えるだろうよ、数時間のうちにな。 そうかい、と答える〈鉤犬〉があまり面白くなさそうな様子であるのに気づき、〈山羊〉は片頬に笑みを刻んだ。 (残念だな、決着は俺がかき集めた傭兵どもがつけるだろうよ。最大の手柄は俺のものだ、恩賞もそれだけ大きくなるだろうさ) 〈鉤犬〉が横顔を見つめてくるのがわかった。無視しているとやがて、その気配はどこかへ消えた。 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 肘掛け椅子に座り、アンリエッタは目を閉じて黙然としている。 13 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:37:57 ID:zn1b7t+T 召使たちも外の戦いに駆りだされているが、全員ではない。老いた者や、アンリエッタ自身と変わらない年齢の侍女は大広間に集まり、おびえた声でささやきを交わしていた。 いまは『動じない女王』を演じているだけである。 ふと、アンリエッタは薄く目を開けた。 「なにをしているのですか? なぜ、地図を」 声をかけると、その老貴族は顔を上げた。 「陛下……防備が突破されたおりには、乱戦となるでしょう。敗れたときには逃げる、と陛下はおっしゃられました。逃走経路を確認しております」 (わたくしは『少なくとも、部下たちが敗れる前に逃げることはない』と言ったのだけれど……いえ、この誠実な老人はわたくしのためを慮ってくれている。 「ありがとう、あなたには感謝します」 感謝という形の、柔らかい拒絶だった。それを敏感に感じ取ったらしき館の主は、目をすえて「おそれながら」と直立し、述べた。 「わしも戦いに出てまいります。その許可をいただけませんか」 「……なぜ? あなたは老体です」 「わしはこの館の主です。自分の館に敵が攻めてきているとき、主として陛下の御身を守るために何もしないことには耐えられませぬ」 気にやまなくてよいのです、と言いかけて、アンリエッタは口をつぐんだ。自分とて、誇りのために残ることを選んだのだった。 「では……直接戦うよりも、井戸でくんだ水などを持っていっておあげなさい。戦う者たちはきっと、のどが渇くでしょうから」 「御意」と老貴族は頭をさげて、大広間にいた召使たちを呼び集めた。最後に、アンリエッタに近寄って腰を折り、手にした地図をささげもって出す。 「ここら一帯の地図でございます。一応でも目をお通しください。どうか、お逃げになる選択肢を捨てられませんよう」 14 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:38:28 ID:zn1b7t+T 召使たちを引き連れて、館の主が出ていくと、アンリエッタの他には老若二名の侍女が残るのみとなった。 (ルイズたちは、無事に逃げられたかしら) 壁にかかった燭台の火の下で、地図をひたすら眺めつづける。 衝撃を覚える。 「女王陛下、また会いましたなあ」 暗い大広間の出入り口に、二人の人間が立っていた。 「『王は玉座に座してけり、もののふ周りに居ならびて』……といいたいところですが、あいにく、あなたと侍女どもしかいませんねえ? 〈鉤犬〉は乱杭歯をむきだして、満面の笑みをうかべた。 「なぜここに、と言いたそうですなあ。お教えして進ぜましょう、あなたがたの通った地下道ですよ。 〈鉤犬〉の得意そうな声とともに、無表情の大男が前に出た。ごく普通の灰色の上着とズボンを着け、手に三日月のような反りの大きい刀を持っている。 「な……なんということを……」 アンリエッタは蒼白になり、思わず立ち上がっていた。 「紹介しましょう、〈ねずみ〉です。メイジですが、このとおり武器として三日月刀を使います。 その金壺眼の大男を示しながら、〈鉤犬〉が紹介した。 15 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:39:51 ID:zn1b7t+T 「こう見えても彼は繊細で、情報を集めることや仕かけに関すること、その他の工作に長けているんです。抜け道をさがす時、大体の場所をしぼったのも彼ですよ。 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 戦闘開始から、どれだけ経っただろうか。 波が、退いた。敵はいったん退却した。 夜が白みだすまで、数刻だろう。 (消えていない、森にいる……われわれの損害だって、死者が多くないだけでけっして馬鹿にならない) 傷だけではない。疲労が味方をむしばんでいる。精神と肉体双方の疲労だ。 この『消耗』という魔物に、全員が取りつかれていた。 (ちくしょう、敵は攻めたいところを攻め、休みたいときに休めるんだ……慣れない武器を握って戦うメイジも、動きっぱなしの銃士隊も肉体がついていかない。 アニエスは壁に背をあずけたまま、銃に弾をこめる作業をはじめた。あと何回もこの作業をすることはないだろう。 近衛メイジの指揮官が、座ったまま黙々と手を動かしているアニエスのそばにやってきた。 「平民の戦が、こうまで惨烈なものだとはな」 16 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:40:20 ID:zn1b7t+T アニエスは顔も上げず応じた。 「泥臭く、血生臭いだろ」 「見てまわってきたが、うちの連中の半ばは、やっとのことで動いている。もう半分はみな傷を負っており、さらにその半分はすでに戦闘不能だ」 「こんな戦いだとメイジは使えん。わかっていたことだ」 メイジの指揮官は、精悍な顔を不愉快そうにゆがませてアニエスをにらんだ。だが、視線をそらしてつぶやく。 「……敵を殺すことにためらいのある連中ではないはずだ。それなのに、武器を敵に振り下ろせないと喚いたあと、ずっと放心している者がいる」 「杖を振って離れた敵を殺すことと、手ずから持った剣や棍棒で敵を殺すことは別だ。銃士隊員にもいた、射撃の腕は抜群でも剣を持つと震えだす者が」 「おい、銃士隊長、ひとつ聞きたい。なんで奴らは意気阻喪しないのだ? お前たちの……認めてやる、お前たち銃士隊の働きで、敵は何割かを失ってるはずだ。 「なぜなら、奴らはわれわれが弱りつつあるのを感じてるからさ!」 アニエスは奥歯が砕けるかと思うほど歯を食いしばった。 「加えて、少なくとも一部は命を惜しんでないからさ。立派な敵だな、思想のために他国の女王を殺そうとして死ぬことを厭っていない。 ああ、陛下に手をかけさせるものか、と隣でメイジの指揮官がつぶやいた。 「細かいことは俺がしてくる。貴様はもう少し休め。水でも飲んでろ」 水筒を放られる。きょとんとしてアニエスは受け取った。気がつけば、のどがひどくかわいていた。 「この際言っておくが、平民出の女を働かせすぎた今夜は、貴族として俺の恥辱の時だ」 水筒に口をつけかけていたアニエスはむせて吹きだした。こらえきれず、壁にもたれたまま腹をかかえて笑う。 その首を、壁の後ろから飛んできた矢がつらぬいた。横転して、二度と動かなかった。 17 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:41:27 ID:zn1b7t+T 少年といっていいほどの若い敵兵が、木の切り株を転がして作った足場の上に立ち、弩を構えていた。 ……その直後だった。森から角笛が鳴らされたのは。 戦闘再開の合図。近くから激しく打ち鳴らされるドラの音とともに、どずん、と壁が激震した。 目を向けて、アニエスは痛烈に舌打ちする。 丸太に二本の縄を巻きつけ、縄の両端を屈強な男四人がつかんで壁にたたきつけていた。 体裁をつくろう余裕もなく、無様に壁の内側に滑り落ちる。直後に、弩の矢や銃弾が飛んできていた。 (ついに簡易な破城槌まで、作ってきた) ずん、ずん、と壁にさらに振動が伝わる。遠くのほうでも、丸太がぶつけられているようだった。 (消耗を狙っていたんだ、最初から。 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ アンリエッタは立ち尽くして、歩み寄ってくる〈ねずみ〉を見た。 固唾をのみながら、アンリエッタは問うた。恐怖に麻痺しそうな舌を無理やり動かす。 「……殺すのですか、わたくしを」 18 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:42:39 ID:zn1b7t+T 〈ねずみ〉の足が止まった。その巨体の中で、ただひとつ呼び名にふさわしい小さな目が光り、「いいや、できるかぎり殺しはせんさ」と低い声で否定する。 「あくまで手こずらせられたら別だが、おそらくそうはなるまいよ。 〈ねずみ〉に続き、〈鉤犬〉が後方で手をひろげ、大仰に話し出す。 「すぐ殺すには陛下は貴重すぎますよ。 (王位継承者はルイズよ。わたくしに何かあれば彼女が次の女王だわ) そう思いながらも、アンリエッタは次の質問をした。 「共和主義者? ではあなたがたは、レコン・キスタのような……? わたくしに手をかけようとするのは、その復讐ですか」 「いや、違いますね。あれは有名ですが、われわれとは関わりさえない別々の組織でしたよ。 「離れろ!」 この瞬間に、怒声が響いた。 黒い髪と瞳。手には抜きつれた大剣。 19 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:43:12 ID:zn1b7t+T 信じられない思いでその少年を見ながら、アンリエッタは唇を震わせた。 「サイト殿……?」 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 才人は呼吸をととのえながら、もう一度同じことを言った。 「その人から、離れろ」 広間内の人間は、一様に驚きの目で彼を見ていた。昼間の〈鉤犬〉と呼ばれていた小男が、呆れたように首を振った。 「〈ねずみ〉、この小僧、俺たちとおなじ地下道を通ってここに来たみたいだ。見たところ、お前と遊ぶ気があるらしいぜ」 呼びかけられた大男が、才人の全身と剣をじろじろ見ていた。それから才人に体ごと向き直る。 が、自信がまったくないわけではなかった。 (成長したのは、ルイズだけってわけじゃねえぞ) 「踊るか、小僧」 〈ねずみ〉の声と、斬撃が同時だった。とっさにデルフリンガーで受け止めた瞬間、手が痺れかけた。 (こんなの下手に続けて受けたら、デルフを弾かれる!) それを追いかけるように、〈ねずみ〉が進んでくる。力にまかせて、斬るというより殴りつけるように振り回してくる。 20 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:43:46 ID:zn1b7t+T 技もへったくれもない。にもかかわらず、才人はよろよろと後退した。 (この野郎、一撃がやたら重いぞ) その一撃が、風を巻いて連続している。 『背と体重がある相手に、正面からぶつかるんじゃねえよ。攻撃はなるべく受けるな、流すかかわせ』 デルフリンガーが口を利いた。 才人は無我夢中で、アニエスに叩きこまれたとおり足を動かした。 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ ゆれる蝋燭の火に照らされた大広間。アンリエッタの面前で、鋼のダンスが続いている。 蒼白になってそれを見守ることしか出来なかった。それは自分だけではなく、意外なことに〈鉤犬〉も動けないようだった。 拭きとることさえ忘れて、アンリエッタは見ていた。 三日月刀の苛烈さに対し、一方の才人は決して足をとめない。大剣を持つわりに敏捷に、ステップして横へ、横へ、横へと動き、常に巨体の側面にまわりこみ、剣先をむける。 視界の端で〈鉤犬〉が動いた。はっと我にかえってアンリエッタは肘掛け椅子の後ろにまわった。手を出せなくても最低限、人質になるわけにはいかない。 (敵の男は強いけれど、サイト殿はぜんぶ防いでいるもの) 21 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:44:40 ID:zn1b7t+T 広間の闘いは、まだ一見して〈ねずみ〉が猛烈な攻勢で押しているように見えた。 (あの男は疲れてきた、そしてサイト殿はどんどん迅くなっているわ) 〈ねずみ〉はおそらく、これまでそうだったように、数合で相手を殺せるつもりだったのだろう。序盤からあまりに激しく動きすぎた。ついに彼は手をとめ、荒い呼吸をととのえようとてか、一歩ひいた。 弧をかいて払われたデルフリンガーが〈ねずみ〉の腕を浅く傷つけ、血を流させていた……大男は後ろにさがり、広間の椅子につまずいて体勢をくずし、よろめいてさらに後退した。 「アンリエッタアア!」 〈ねずみ〉は大喝し、三日月刀をふりかぶり、肘掛け椅子の後ろにいるアンリエッタめがけて投擲した。 息を呑み、〈鉤犬〉のことも忘れて駆け寄ろうとしたアンリエッタの面前で、意外な形で決着がついた。 「ヴェルダンデ、かかれ!」 大広間の戸口から、茶色い獣が飛びこんでくると、才人をおさえこんでいた〈ねずみ〉の脚に思いきり長い前歯をつきたてた。今度の苦痛の叫びは、〈ねずみ〉のものだった。 「ギーシュ……お前、おせえよ」 22 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:45:19 ID:zn1b7t+T 「サイト殿、ギーシュ殿!」 ぎゃあぎゃあと騒いでいる二人のもとに、アンリエッタは今度こそ駆け寄った。何かをたずねなければならないのに、胸がつまってうまく言葉がでてこない。 ギーシュがさっと膝をついた。彼の手にも、才人と同じように血のにじんだ包帯が巻かれている。 「へ、陛下! 命令に背いたこと、それに遅参しましたことは万死に……」 「あとにしろって。まだ敵はいる」 左手の折られた指をおさえて立ち上がりながら、才人がさえぎる。そう言われてアンリエッタは気づき、波うっていた心をしずめて周囲を見た。 「〈鉤犬〉という男がいなくなっています……あなた、見ましたか?」 広間の隅で震えていた侍女に質問する。「た、たった今出て行きました」とその侍女が答えた。 「逃げたか。抜け道を使ってかな? ギーシュ、あの抜け道は今こっちにとって安全か?」 「わからん。正直、ぼくも森の地下道出入り口での乱闘を最後まで見届けず、地下道にとびこんだんだ。ヴェルダンデは途中にいたので連れてきた」 「出てみたら敵に囲まれてましたって寒い事態は避けたいな。では、まずアニエスさんのところに行こう。状況が変わったと伝えなきゃ」 そう才人が締める。その腕をアンリエッタがつかんだ。 「なんで……なんで、来てくれたの?」 才人はおもいきりうろたえた顔をした。 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 壁の一箇所が、ついに粉砕された。 銃士隊がかけつける余裕はなかった。怒涛の勢いで壁のあちこちから敵が乗り越えようとしており、すでに何人かが庭におりたって武器をふりまわし、近衛兵士たちと戦闘に入っていた。 23 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:45:51 ID:zn1b7t+T (もう対応が追いつかない。一定以上の数に侵入されて、壁にまで人員を振り向ける余裕がない。いまや壁はないも同然だ) アニエスはほぞを噛んだ。 (敗れた。あとは、この庭で徹底して抵抗し、混乱の中で陛下を逃がすことに望みをかけるしかない) 最期の時だな、と覚悟を決める。 アンリエッタに、逃げなければなりませんと告げるために馬に飛び乗り、館の玄関まではしらせる。扉に手をかけて――開かないことに愕然とした。 (な、なぜ鍵がかかっているのだ!?) あわてたとき、鍵をはずす音がして内側から扉が開かれた。 「あ、アニエスさん」 「サイト!? ギーシュ殿まで、脱出したのではなかったか!?」 彼らの後ろからアンリエッタが顔を出し、感極まった様子で何かを言おうとした。 (この音は……ラッパ? そうだ、ラッパが鳴っている) 角笛でもなく、ドラでもない。突撃ラッパが鳴っていた。 24 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:46:27 ID:zn1b7t+T 「……援軍?」 呆然としながらアニエスは、確認するようにおそるおそる口に出す。 「裏切り、裏切りだ! ロマリアの騎馬傭兵隊が裏切った!」 しばし無言の後、アニエスは才人とギーシュの顔を見た。なぜかさっと視線をそらす二人に問いかける。 「お前たちがやったのか?」 「ああ……うん……どちらかといえばサイトが」 「どっちでもいい。とにかく大した手柄だ」 らしくなく譲り合う二人を、手放しで褒めた瞬間、背後から飛んできた流れ矢が玄関から数メイル横に突き立った。それをちらと見て、アニエスはアンリエッタに声をかけた。 「陛下、ここは危険です。混乱の中でもあなたは格好の標的です。どうか脱出を。 「ええ、街道を張ってた傭兵隊が丸ごと寝返りましたし」 「結構だ。馬三頭持っていけ、陛下を無事にここから離せ。わたしは近衛隊をひきいて逃げ道を開き、その後はここで敵を食い止め、片づける」 「アニエス!」 「心配はいりません、陛下。背後からの攻撃によって敵は混乱しています。この機をのがさず近衛隊が、寝返った連中と挟撃すれば、さらに動揺するでしょう。 にやりとアニエスは笑ってみせた。 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ アンリエッタの馬を、騎馬の銃士隊が押しつつむようにして混乱を突破した。門を出るとアニエスが即座に反転し、女王の姿をみて追いすがってくる敵にぶつかる。 25 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:47:09 ID:zn1b7t+T 「村へ行きましょう」 小道をくだり、三人で馬を走らせつつ、ギーシュが提案した。後ろ髪を引かれる思いで戦場となった庭を振り返りながら、アンリエッタは首肯する。 「おい、ヴェルダンデを背負って騎馬は変じゃないか」 「離れたがらないんだ。置いていけというのかね!?」 「いや、まあそりゃ、俺にとっても恩人だけどよ……」 両脇を並んで駆ける二人の、微妙に緊張感に欠ける会話を聞きながら、アンリエッタは考えをめぐらせた。 (この身の内側にちゃんと、魔力は高まる。放てないのではなく、それが放った瞬間に打ち消されているような) これから調べなければならないことが、山ほどできた。誰がこのようなことを画策したのかも。なぜ自分を狙ったのかも。 (今夜のこと、けっして捨ててはおけないわ) トリステインの王権に対する挑戦を受けとった。今度こそはためらわない。 そう決意したとき街道に出た。 〈山羊〉という首領が、アンリエッタにもっとも近い位置にいた。目の前に飛びだされ。思わず手綱をしぼって馬を急停止させたアンリエッタの前で、剣光が月明かりを反射した。 ぶつけた側の才人のほうが、落馬の衝撃を前もって覚悟できたのだろう。擦り傷を顔に作りながら、彼はすぐさまはねおきた。 「乗って――早く!」 ぐずぐずすると包囲される。才人の判断も早かった。指が折れていない右手でアンリエッタの手をつかみ、引き上げられる力を利用して身軽に後ろに飛び乗る。 26 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:48:17 ID:zn1b7t+T 「村のほうは駄目です! 街道のあちらへ」 ギーシュがさけぶ。黒衣たちは周囲を半包囲し、逃げ道をふさいでいた。アンリエッタはうなずき、馬首を九十度めぐらせて敵のいないほうを通りぬけ、街道を疾駆しはじめた。 二つの月の下、モグラを背負ったギーシュの馬と並び、飛ぶように駆けさせる。二頭の馬の後ろから、七つの騎影が追ってくる。 (今は北に向かっているのね、ラ・ヴァリエール領方面に) 「あいつら、飛び道具を持っていないようだ」 それだけは助かった、と才人が密着したままつぶやいた。アンリエッタは硬い声でこたえた。 「けれどたぶん、このままでは追いつかれます」 一人が一頭に乗っている七人組と比べ、こちらは馬の負担が大きい。追いつかれたら、まともな勝負になりそうもない。メイジでありながら、彼らは剣を使うのだ。 「みんな死にます」 即答だった。彼はアニエスの薫陶を受けてか、戦力差についてはかなり冷静に見られるようになったらしい。 「三対七という時点で望み薄ですが、加えて姫さまとギーシュはいわゆるまっとうなメイジで、武器をまともに扱えません。そもそも丸腰ですし。 「ではやはり、このまま逃げるしかありませんわね」 「……魔法が使える状況にさえなれば、姫さまの水魔法で怪我を治してもらえるし、俺のガンダールヴとしての力も発揮できるのに」 ギーシュがニメイルほどあけた横に馬をならばせて、駆けながら叫ぶように口をさしはさむ。 「サイト、昼間見たと思うが連中は火系統のメイジだ。それも、かなり強力な。魔法が使えたところで、われわれは勝てるのか!?」 「正直、危ないと思う、でも今よりは格段にましさ!」 彼らの大声での会話を聞きながら、アンリエッタは思考をめぐらせた。 (この魔法を使えないという現象は、永続するとは思えない。あの男たちも魔法は使えなくなってるようだもの……つまり、この状態は解けるはずだわ。 27 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:48:49 ID:zn1b7t+T 「陛下!」 ギーシュの絶叫が届いた。直後、後ろから火球が連続して飛んできた。 (魔法!?) 馬首をわずかに横に向け、進路変更する。一弾目と二弾目の火球は外れ、三弾めはそれより近くを通った。 アンリエッタの体にまわされていた才人の手にぐっと力がこもり、次の瞬間には体をかかえられたまま、走る馬から飛び降りていた。四弾目の火球が馬に命中し、哀れな獣が横倒しになる。 あらためてアンリエッタの体を軽々と抱き上げ、ギーシュの馬を追って才人は走り出した。馬に並ぶほど速い。ガンダールヴの能力だった。 「サイト、そりゃきみのいつもの……お、こっちも魔法使えるぞ!」 ギーシュが歓喜の声をあげ、取り出した杖をふって石つぶてを背後に飛ばした。 「……ギーシュ、街道をはずれよう、とにかく足をとめるな、囲まれて魔法ぶっ放されるのはごめんこうむる! ……痛ぇ……」 指が痛いのか、走りながら才人は涙目になっている。 火のメイジたち。彼らに追われる自分。 あっと声をあげ、「サイト殿!」と呼んだ。街道から横とびに野原に入っていた才人が「え、なんすか」と風のように走りながら訊いてくる。その耳にささやいた。 「よ、よろしいのですか?」 「試さないよりましです、後がない。ギーシュ、東に馬をまわせ!」 28 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:50:07 ID:zn1b7t+T 「東だと!? あっちは山地になってる! 追い詰められるぞ!」 「そこを目指すんだよ! どのみち平原よりはましだ、背中を守れる!」 アザミ野を突っ切って並走しながら彼らは怒鳴りあう。アンリエッタは山地を見る。彼女が指示して、そこに行くよう頼んだのだった。うまくいけば、見つかるはずだった。 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 馬を飛ばして追いながら、〈山羊〉は怒りに満ち、呪っていた。勝利の寸前で裏切ったロマリアの傭兵隊長を、彼を雇った自分自身を、いつのまにか消えていた〈鉤犬〉と〈ねずみ〉を。 あの傭兵隊が裏切ったと知ったとき、〈山羊〉たちは即座に逃げた――決断の早さは、これまでも自分の命を救ってきた。 (それももう終わりだ、もう追いつくぞ) 彼らは山地に逃げこんだ。少し時間はかかるだろうが、七匹の猟犬は確実に獲物を噛み裂けるだろう。木々の中での追跡は心得がある。 〈山羊〉たち七名が馬から降り、そこに踏みこんだとき、女王は黒髪の少年騎士の治療をしているところだった。 (なにも、こんな自ら袋のねずみになるような場所に迷いこまなくてもよかろうに。 その場所は木々がひらけ、地面が陥没して十メイル四方ほどのくぼ地になっていた。乾いた泥が地面を覆い、よどんだ小さな水たまりがあった。 「チェックメイトとまいりましょうか。結局われわれの勝ちですよ、アンリエッタ陛下」 黒髪の少年があせった顔で背後に向き、おいギーシュ、ヴェルダンデはまだか! などと呼びかけている。 「そうですか? あなたがたの兵は壊滅したと思いますわ、おそらく。あなたは部下たちを平然と捨てるのですね」 29 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:50:44 ID:zn1b7t+T 「今夜のこれはチェスだったのですよ、陛下。わたしにとってあいつらは、用意した駒にすぎません――あなたというキング、この場合はクイーンですが、それを取るための駒です。 〈山羊〉は杖を抜き、前に歩き出した。 (何だ……?) 地面が、かすかに震えた。ヴェルダンデ! とはしゃいだ調子で、金髪の少年が穴をのぞいて歓声をあげている。 それから――水が来た。 泥水が、穴からすさまじい量と勢いで噴きだした。茶色い獣が最初の水に乗って吐き出される。水は穴の前に立っていた黒髪の少年と女王の脚をすくって転倒させ、押し流した。 ……時間にして十数秒後。 離れたところで水音がした。 「このような小規模なダムが、この一帯には数多いのです。平野にそそぎこむ水の量を管理するための」 アンリエッタの言葉を聞いても、〈山羊〉はなぜかうまく頭が働かなかった。まるで、思考が気づくことを忌避するように。ぼんやりと認識する。 (この崖の上はため池だ、その底近くに穴を開けたのか……) 「トリステインは水の国【11巻】。この国の女王であるわたくしの系統もまた『水』です」 〈山羊〉は足元を見た。膝までの水。突然、おぞ気が走った。 (ここはため池の水があふれたときの『受け皿』のような場所だ。誘いこまれた) 自分たち火系統を得意とするメイジにとって、大量の水の中で水系統メイジと戦うことほど悪夢に近いものはなかった。 そして、悪夢に取り巻かれていた。 30 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:52:11 ID:zn1b7t+T 水から上がれ、と仲間に向けて絶叫しようとした〈山羊〉の近くで、ゆっくりと黒髪の少年が水底から身を起こした。 〈山羊〉の目の前で、少年騎士が腰をねじって大剣を横にかまえ、「チェックメイト」とつぶやいてから、体ごと剣を回転させた。 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 〈山羊〉をはじめ四人がデルフリンガーの剣の平で頭を強打され、昏倒した。 アンリエッタはそれを見送る。 「ええ、疲れる夜でした。誰にとっても。 「……姫さま。あのさ」 「わかっています、サイト殿……罪悪感にとらわれすぎて判断を狂わせるのも、君主としては不適格だと気づいてはいるのです」 「それだけじゃないですよ」 才人は冷たい水に尻をついて座りこんだままで、アンリエッタをたしなめるように首をふった。 「姫さま、自分が死んでもいいと思ってたでしょうが。王家の誇りとやらのために、ルイズたちを振り切ってでも。そりゃ俺だって今じゃ、貴族の誇りなんてわかんねとは言えないですが。 アンリエッタは才人を見下ろした。そっとしゃがみこみ、彼の前に両膝をつく。 31 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:53:07 ID:zn1b7t+T 「今度は答えてくださいまし。なぜ、来てくれたのですか?」 才人の目が露骨に泳いだ。冷たい水の中に座り込んでいるのに、額に汗がふきだしている。アンリエッタはたたみかけるように尋ねる。 「あなたは王家の騎士ではない、だから王家に尽くす義務はありません……そう、わたくしは言いました。あなたもルイズにそう言ったのではないですか? 自分は女王の臣下ではないと」 「あー……まあ、いやね……さっきも言っただろほら、ほかの人が姫さまのために戦ったのは、姫さまが女王だからってだけじゃない、ってさ。俺だってそりゃ同じわけで」 「つまり、どういうことでしょうか?」 顔を寄せて真剣に問い詰める。才人は目の前でなにやら必死に、言ってもまずくない言葉を考えているようだったが、ようやく言葉を選べたらしく言った。 「ほら、王家の騎士じゃなくても一応騎士の誓いをしましたし。騎士ってのは、レディを守らなきゃならないもんでしょ? 「つまり、『女王』ではなく『レディ』を助けに来てくれた、ということでしょうか……?」 彼の顔をのぞきこむような体勢。互いの息がかかる。 重ねただけの唇を離して、アンリエッタは自分のものと思えないほど熱っぽい、湿った声で至近からささやく。 「レディとしての、お礼ですから……」 困惑とやっちまったよ感と、わずかにアンリエッタと同じ熱情を見せている才人の顔を、両側から手でそっとはさみ、目を閉じてもう一度確認するように口づけた。 けっきょく二人は、ギーシュが戻ってくる寸前まで、朝日を浴びながら水の中に座りこんでキスに夢中になっていた。 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ その、ちょっと前。 朝の光をあびる館。治療士たちがとびまわるように負傷者を癒している。 戦闘が終了した庭で、戦闘の事後処理をしながら、アニエスはロマリアの傭兵隊長という輩と会話していた。 32 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:54:32 ID:zn1b7t+T 「つまり、貴様は〈山羊〉と呼ばれる者に雇われただけで、その〈山羊〉もまた誰かに雇われただけだと言うんだな?」 「そんなところだ。おれについては、実際には雇われたかというと微妙だね。前金貰ったのは前に隊長だった男で、おれは金貰う前に女王陛下に味方したからな」 「……傭兵隊の悪評はよく聞くが、とりあえずこれからも貴様らの同類は避けることにする」 「おい、ひでえなあ。誠意は見せたはずだぜ。うちの隊の者は終始、もっとも戦闘の激しいところで戦って、五人も死んだんだぞ」 「わかってる。正直、貴様らがいなければもたなかった」 「礼はいいから、女王陛下から恩賞がほしい」 にっこりと笑って人差し指と親指をこすり合わせるひげ面の傭兵隊長。 「最初は敵対するため集まったくせに。大逆罪は本来、共謀段階で死刑なんだが……ふざけた奴だ、まったく。 その保証に、傭兵隊長は待っていたとばかりに「いやあ、じゃこのくらいの請求で」と紙を差し出してきた。アニエスは受けとってそれを見る。 「き……き……貴様、この額はなんだ……?」 常識外の数字が並んでいた。冗談抜きでトリステインの国家予算に食いこむ額が。 「いやあ、多かったかね? 〈山羊〉ってやつに保証された数字に、0を二つ付けたんだが」 もとの額でも、傭兵隊に払うには常軌を逸した額である。それが百倍。アニエスが傭兵隊長に、先ほど感じた好意が瞬時に跡形もなく吹き飛んだ。 「ふざけるな! 限度ってものがあるだろうが!」 「しかし、おたくの別の近衛隊長からは保証書をもらっている。 33 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:55:47 ID:zn1b7t+T 傭兵隊長がふところから、ぺらりと二枚の紙を出した。金額の後に人名、そして手形。 そのとき背後から、「アニエス! アニエス!」と聞き覚えのある声がした。 「姫さまは!? サイトは無事なの!? 朝起きたら村の民家で寝かされていて、わたしの手のひらが血まみれだったの、でも傷はついてないの! 何があったのかわかんないわよもう!」 半狂乱のルイズに、アニエスは振り返りもせず無言。かわりに傭兵隊長が再度にっこりして説明した。 「ああ、あの黒髪小僧が自分の手の皮をちょっと切って、あんたの手に血をなすりつけて代わりに押印しただけだから。ナイフはおれが貸した。 「その……条件を言ってみろ……」 地獄の底からわきあがってくるようなアニエスの声にも動じず、傭兵隊長は満面の笑みである。 「トリステインの貴族の位をくれ。伝統と格式あるトリステイン貴族、素晴らしいね。 「き……貴様な、調子に乗ってると…… 怒りに引きつっていたアニエスの顔がさっと青ざめた。振り向いてルイズに問う。 「陛下やサイト達は村にいないのか?」 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 男たちを縛って二人ずつなどで乗せた馬が四頭。 「……しまった。縛ったはいいが、どのみち人手がないと馬をひけないなあ」 ギーシュがうなっている。結局さるぐつわを噛まして森中に放置しておき、戻ってから誰かをすみやかに派遣しようということに話が決まりかけたとき。 34 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:56:17 ID:zn1b7t+T 「あら、竜が」 才人のマントを濡れた服の上にまとったアンリエッタが、空を指さした。なんだか見覚えのある白い竜が空に舞っている。 その場で待つ三人の前に、風とともに彼らは降り立ち、その背から人間が降りてきた。不気味な笑みを浮かべたアニエスの姿まで見つけ、才人は心底からブルった。 アニエスはすたすたと歩いてきてさっとアンリエッタの前にひざまずいた。 「即座に銃士隊を連れてきてこいつらを引っ立て……と言いたいところですが、今回ばかりは隊員も疲労の極みに達しているため、ほかの領地から派遣された兵にまかせることをお許しください。 アンリエッタにそれだけ言うと、戦の後で疲労困憊しているはずの銃士隊長は、ずかずかと歩いてギーシュの首をひっつかんだ。人食い鮫をほうふつとさせる笑みを浮かべる。 「ギーシュ殿、ちょっとお話があるのだが、よろしいか?」 「な、なにかな? うわちょっと、ぼくをどこへ連れて行っ……! 待ってくれ、サイトは!? 彼だって同罪だ!」 「なにを不思議なことをおっしゃる。あの大手柄がなくば、われわれは死んでいたのですからな。罪に問えるわけもないでしょう……しかしおさまらないのでちょっと顔を貸せ。 ちらりと才人に目をむけて、アニエスはギーシュを草むらに引っ立てていった。 それから――いきなりルイズは、アンリエッタの頬を打った。 才人はぎょっとする。叩かれたアンリエッタのほうも、目を白黒させて頬をおさえた。驚いている女王に、次の瞬間ルイズは抱きついた。切れ切れに泣くような声。 「薬なんか……ひどい……よかった、姫さま、サイトも……無事でほんとうによかった……」 徐々にアンリエッタの目もうるんでいった。ルイズを抱きしめながら、「ごめんなさい」とささやく。 35 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:58:11 ID:zn1b7t+T ひしと抱き合っている二人をほっとした目で見ながら、才人は横にならんできた青い髪の少女に話しかけた。 「タバサ、お前までいつのまに来たんだ。驚いたよ」 「……今朝駆けつけたばかり。巡幸している女王陛下に伝えようと思ったことがあって、近いところまで来ていた。 「伝えること?」 「『危険があるかもしれない』と。遅かったけど……魔法を使えなくなったのは本当?」 「ああ。ガンダールヴの力まで使えなくなった。ありゃ何なんだ?」 「〈解呪石(ディスペルストーン)〉。古い書物で見たことがある。砕けば微細な塵となり大気中に飛散して、大気中で発される魔法の力を片端から打ち消す」 「なんでそんなものを……タバサ、誰だ? そんなことをしたのは。お前はそれをどこで聞いた?」 「……だれが画策したのかは、わたしにも謎。 才人は考えようとして、やめた。怒りはつのるが、敵が何者かもわからず、外国から来ているのではすぐに動きようがない。どうせこれから調べ上げることになるだろう。 その彼の目の前で、アンリエッタが涙をふきながら、抱き合ったままのルイズに笑いかけた。 「あなたにひっぱたかれたのは、幼いころを別にすればこれで二度目ね【9巻】」 「理由も一部は同じですわね」 さらっと返ってきたルイズの言葉に、石化したようにアンリエッタが固まった。 36 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火) 15:59:30 ID:zn1b7t+T 才人はなんのことかわからなかったが、先ほどのいやな予感が猛烈に膨れあがって帰ってきたのを感じ、われ知らず冷や汗を流した。 「……じつは、あなたたちが気づく前からシルフィードで見つけていた」 え? いつから? ……そういえばルイズはシルフィードに乗せてもらっていたような。 「具体的には、あなたと女王陛下が池でしたことを見ていた」 なるほど。たしかにあの時は夢中になっていて、他が見えていなかった。 「ねえ犬。どこへ行く気かしら」 ルイズが深呼吸すると、アンリエッタの肩をつかんで、女王の顔を真剣な表情でのぞきこんだ。 「姫さま、率直に答えてください。わたしを友人と思ってくれるなら、本心をおっしゃってください。以前にもした質問です。 大いにアンリエッタはうろたえていた。目を閉じ、開き、おろおろと視線をさまよわせる。その視線が才人の顔の上にとまる。しばし見つめた後ややあって、彼女は目を伏せた。 「――だと、思います……」 その答えを聞いて、才人の顔まで熱くなった。もっとも、すーはーと怒気のこもった息を吸い吐きしながら、ルイズが視線で『あとで殺すわ』と語ってきたため、すぐに顔は青ざめたが。 「姫さま、わたしもいまさらお譲りする気はありませんから。あのときとは逆に、こちらから言わせてもらいます」 笑みの構成は六割の怒り、三割の礼儀、一割の寛容である。 「再戦、ですわね?」 |
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