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Last-modified: 2008-11-10 (月) 22:53:03 (5644d)

契約(その13)  痴女109号

 

 それは、披露宴の前夜のこと。

「タバサさん……あなた一体、何を言っているの……!?」
 ティファニアは、最初、タバサが何を言っているのか、全く理解できなかった。
「そんな事をしたら、一体どうなると思っているの? サイトの幸せを壊したいの? あなたたちは、サイトのことが嫌いだったの?」
 その質問はもはや、咎める語調ですらなかった。それほど、眼前に居並ぶタバサとシエスタの提案は、彼女にとって慮外の発言だったのだ。

 

『サイトとルイズの初夜に乱入し、彼らを徹底的に凌辱する。ついては、その仲間にならないか?』

 

 彼女たちの提案内容は、端的に言えば、こうなる。
 もはや、バカバカしいなどという次元でさえない。
 と言うより、ティファニアには、何故タバサたちがそんな事を言い出すのかさえ見当もつかない。彼女は反射的に、二人の正気すら疑った。
 しかし、眼鏡の奥に光るタバサの瞳には、いつもの――いや、いつも以上の怜悧な光が瞬いている。そして、それはタバサの背後に侍るメイド姿の少女……シエスタも同じであった。

「ならば、こちらからもお尋ねします、ミス・ウェストウッド」
 シエスタが、その眼光に劣らぬほどの冷たい声で自分を呼ぶ。ティファニアは、この陽気なメイド少女が、こんな冷厳な声を出せる事すら知らなかった。

「貴女はサイトさんの事が好きではなかったのですか?」
「そんな……好きに決まっているわ。だってサイトは、わたしの大事なお友達――」
「そういう意味ではありません」

 ならば、どういう意味なのか。――それを問うほど、ティファニアという少女の女心は、自分自身に対し鈍感ではない。彼女には、シエスタの言葉の意味は充分すぎるほどに理解する事が出来た。
 だからこそ、ティファニアは、とっさにその質問に答えることが出来なかった。
 彼女は、その白い肌を、特徴的な長い耳まで真っ赤に染めて、俯く。

 女性として、サイトのことが好きかと問われれば、――「否」などと、言えるはずもなかった。
 才人は、――エルフの血を継ぎ、恥じ入るようにひっそりと暮らしてきた自分を、全く恐れずに心を許してくれた最初の異性であり、そんな自分を太陽の下に連れ出してくれた大恩人であり、そして、何があっても自分の味方でいてくれた頼れる友人であった。
 彼がいなければ、今でも自分は、我が身と我が血と我が境遇を嘆きつつ、アルビオンで寂しく時を過ごしていたに違いない。ルイズが才人によって人生を変えられたのと同じく、――いやルイズ以上に劇的に、ティファニアの人生も、才人によって変わったのだ。
 そんな才人を、女性として愛さないほど、ティファニアの女心は乾燥してはいない。

 だが、それでもティファニアは知っていた。
 才人という少年は、決して自分の手の届く処にいる存在ではない、と。
 アルビオンで七万の軍勢を相手に戦い、瀕死の状態だった彼を助けた時から、ティファニアは分かっていた。才人の心の中に、自分ならぬただ一人の少女が棲んでいることを。
 だから、才人の幸福を願う女性の一人として、明日の婚礼をティファニアは出来る限り祝福するつもりだった。悔しくない、寂しくないと言えば嘘になる。それでも仕方がないと、笑って諦めるつもりだった。
 だが……。

「なら、御理解いただけると思います。わたしたちが同志であることも。そして、我らが敵はルイズ・ラ・ヴァリエールただ一人であることも」
 
 ティファニアは慄然とした。
 シエスタの言葉に、ではない。
 シエスタの言い分が理解できる自分にである。

「……でも、でも、ルイズも、わたしの大事なお友達なのに……」
 何かに抵抗するように、ティファニアは言う。だが、言葉の語尾はかすれ、俯いたその目は、決してシエスタとタバサの言葉を正面から否定する力を持ってはいない。
 そして、そんな彼女に、シエスタは囁く。

「サイトさんが欲しくないんですか? わたしたちと行動を共にすれば、少なくともサイトさんが、誰か一人だけのものになる事はないんですよ?」
「でも……でも……」
「このままだと、サイトさんは行ってしまうのですよ。わたしたちの二度と手の届かないところに。そしてミス・ヴァリエールの胸の中で、わたしたちの顔さえ思い出さなくなるでしょう。そんな事が耐えられるのですか、ミス・ウェストウッド?」
「……でも、サイトが望んでいるのは、ルイズとの結婚だから……それを邪魔するなんて……」

「問題ない」
 それまで沈黙していたタバサが、シエスタの“悪魔の囁き”を最大限に援護する。

「サイトが本当に望んでいるのは、絶望と凌辱。たとえわたしたちが彼に何をしたとしても、サイトがわたしたちに牙を剥くことは在り得ない」
 そう言うと、彼女は、その青い瞳で傍らのメイドに流し目を送り、シエスタは、その意図を正確に受諾した行動を取る。
 つまり……ティファニアは、一枚の羊皮紙をシエスタから受け取り、
「ミス・タバサがおっしゃったお言葉の、証しの品です」
 そこには、流暢な筆跡で、こう書かれていた。

 

『サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガは、わたくしことシエスタに、病めるときも健やかなるときも、死が二人を分かつまで、絶対の服従と永遠の忠誠を尽くす事を、ここに誓います』

 

 ……無論、その筆跡は才人のものではない。だが、その文章の下に記されたサインは、紛れもなくティファニアが知る才人の筆跡そのものであった。
「……これって……まさか……!?」
 すべての発端となった“契約書”を、ティファニアは愕然としながら見つめ、そんな彼女にシエスタは、笑いさえ含んだ声で告げる。
 平賀才人と、彼を取り巻く現状を。

「サイトさんはねえ、……くすくす……本当に可愛い人なんですよ? 貴女やミス・ヴァリエールが知らないだけで、もう何度も何度も、あの人はわたしたちに、その身を捧げているんです。泣きながら跪いて、許しを請いつつ、――ね、ミス・タバサ?」
「うそ……うそよ……!?」
「嘘じゃありませんよ、本当です。サイトさんの身体で、わたしたちの舌と指が触れていない場所なんて、もう何処にもありませんよ?『気持ちいいです。だから、もっとイジめてください』って悶え泣きながら、あの人はお尻の穴まで差し出すんですから」
「……そんな……サイトが、そんな……!!」

「あなたが信じられないのは当然」
 タバサが、シエスタの言葉を引き継ぐ。
「でも、彼女が言ったことは、紛れもない事実」
 だが、その言葉は、淡々としているだけに、シエスタの告白よりも、さらに真実味があった。

 ティファニアは、今夜初めて、二人の闖入者を真正面から睨みつけた。
 想い人を辱められた怒り……だけではない。
 何故か彼女は、すでに二人の言う“事実”を疑ってはいなかった。
 表面的にしか才人を知らない者が聞いたら、一笑に付すに違いない。普段の彼の凛々しさと“契約書”の内容は、どう考えても結び付くものではなかったからだ。
 だが、ティファニアには分かる。ガンダールヴとして毅然と剣を振りかざす才人と、泣きながら許しを請いつつ、少女たちのブーツに口付けする才人の姿は、全く矛盾しないものである事を。
 何故なら、そういった彼の脆さ・弱さを含めて、ティファニアは才人を愛しているのだから。
 だから、その時、ティファニアの胸を支配していたのは、――彼女にとっても意外な事に――満腔の嫉妬であった。

「お門違い」
 燃える瞳を自分たちに向けるティファニアに、タバサがぼそりと呟く。
「貴女の怒りは、ルイズにこそ向けられるべき」
 ティファニアの長い耳が、ピクリと動く。
「サイトがわたしたちに牙を剥くとすれば、それは、わたしたちの手がルイズに及んだ時。そして、それが原因で、サイトがルイズに捨てられた時。彼が恐れているのは、まさにその事態だけ」
「……」
「だからこそ、わたしたちはサイトが許せない。でも、それ以上に許せないのが――ルイズ」
 
 タバサの目は、相変わらず、その怜悧な光を宿したままだ。いや、もはや、その冷たすぎる眼光は、怜悧などと呼ぶべきレベルではない。闇さえ飲み込む暗黒の光――そう表現すべき暝い輝きを放っていた。

「でも、貴女なら出来る。ティファニア・ウェストウッド――他者の記憶を自在に改竄できる、もう一人の“虚無の担い手”たる、貴女なら」
「なにが、出来るって言うの……?」
 もはや、ティファニアには、地獄へ通じる穴ボコのようなタバサの眼差しを睨み返す気力はなくなっていた。彼女は、タバサから目を逸らす事さえ出来ず、呆然と、しびれたように立ち尽くすだけで精一杯だった。

 

「サイトの眼前で、全てを奪われたルイズを、希望に満ちた“若妻”に戻すことが」

 

「……なんですって……!!」
「希望に満ちた“若妻”のルイズを、わたしたちは凌辱する。そして、その都度ルイズの記憶を改竄し、彼女に幸福を与えなおす。そして、頃合を見計らって、またルイズを蹂躙する。サイトの眼前で、何度でも何度でも」
「……」
「彼女は死ぬまで絶望を味わいつづけ、そして、それに決して慣れる事も出来ない。その怒りを維持する事さえ出来ない。彼女は、わたしたちから幸福を与え続けられるためだけに生きる、ただの人形に成り下がる」

 
 ティファニアには、もはやタバサが人間には見えなかった。
 こんな恐るべき言葉を、表情一つ変えずに、淡々と吐き続ける少女――まさしく、人の姿をした暗黒がそこにいた。

「……なぜ、そこまで……!?」
 ティファニアは、おそるおそるタバサに尋ねた。
「あなたにとって、ルイズはお友達じゃなかったの……?」

 不意に、タバサの瞳から闇が消えた。
 碧眼を彩る睫毛が伏せられ、その美しい瞳は、見る見るうちに涙で潤んだ。
 そこには、父を殺され、母を狂わされた、無残なまでに孤独な少女が立っていた。

「……だからこそ、許せない」
「……」
「友達だと思っていたのに……わたしからサイトを……わたしだけの『イーヴァルディの勇者』を奪ったルイズを……絶対に、許す気にはなれない……!!」
「……」
「サイトがいないと……サイトがいなくなったら……わたしはまた……また独りぼっちに戻っちゃう……それだけは……それだけは……もう……!!」

「ミス・タバサ……!?」
 唖然としたように、シエスタが後ずさる。彼女にとっても、この成り行きは意外そのものの流れだったのだ。
 だが、ティファニアには、分かる。
「……わかった」
 タバサが恐れた孤独は、等しくティファニア自身が恐れたものでもあったからだ。

「ルイズからサイトを取り戻しましょう。わたしたちの手で」

 

「こんな夜半に一体何用です? 火急の用件というから陛下のお取次ぎをしましたが、……詰まらぬ用なら、たとえ貴女方とはいえ、見過ごしには出来ませんぞ」
 
 アニエスが苛立つ気持ちもアンリエッタには理解できる。
 こんな真夜中まで、彼女と国政の話を詰めていたマザリーニは、さっきようやく退室したばかりだ。これでやっと眠れるとばかりに気を緩めたアニエスが、不意の訪客を喜ばないのは――しかもそれが、旧知の者たちなら尚更――無理はない。
 女王警護役たるアニエスは、アンリエッタが起きている限り、決して眠れる事はないのだから。
 だが、そんな彼女には気の毒だが、……アンリエッタは、この不意の来客を内心歓迎していた。
(明日はもう、サイト殿とルイズの結婚式……)
 そう思うと、今宵はとても眠れそうになかったから。
 何の用で来たのかは知らないが、眠れぬ夜の来客ほど、今の彼女にとって喜ばしいものはなかった。
 
 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと、サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガとの婚姻において、一番に奔走したのは当事者の二人ではなく、このアンリエッタであったといえるであろう。
『虚無の血統を後世に遺す』という大義名分のもと、“担い手”ルイズと“使い魔”才人を娶わせ、ルイズに新たに爵位を与える形で、ラ・ヴァリエール公爵家の分家を建てさせる。それが、アンリエッタがぶちあげた、二人の結婚の意義であった。
 ハルケギニアに生きる、ほぼ全ての貴族にとって“虚無”の名は、まさしく神聖不可侵というべきものであり、それに反対する者など皆無であるはずだった。――表面上は。

 

 だが、内実は違う。

 アンリエッタは、宮廷内のあらゆる反対勢力と闘わねばならなかった。
 本来、王家が受け継ぐべき『虚無の血統』を、新たに一門を興すという行為で、王家から隔離してしまう事に危惧を抱く者。
 また、“虚無”の血統に、出自も怪しい平民の血が混じる事を厭う者。
 さらには、女性が爵位を叙勲されることに『悪しき前例を作る』と嫌悪を感じる者。
 まさに、宮廷内の九分九厘は、この婚姻に反対であったと言っても過言ではない。
 そして、反対派の急先鋒こそが――皮肉な事に――ルイズの実父たるヴァリエール公爵その人と、トリステイン貴族の出自ですらない枢機卿マザリーニであった。
 アンリエッタはその二人を粘り強く、懸命に説得し、時には自分の退位さえほのめかし、ようやく婚儀への協力を取り付けた。その姿勢は、もはや執拗とさえ言えるほどの熱心さであった。

 しかし、ある意味、それも無理からぬ話だった。
 アンリエッタは、知っていたのだ。
 才人の目が常に追う先には、必ずルイズがいる事を。
 彼の心にはもともと、自分の居場所など最初からなかったのだという事を。

――フラレ女が打ち込めるものは、趣味か仕事以外に存在しない。
 だから彼女は、文字通り寝食を忘れる勢いで、“仕事”に熱中した。この婚儀の実現こそが、才人にとって――ルイズではない――彼への、何よりのプレゼントになる事を知っていたから。

 だが、彼女の心中に複雑なものがあったことは否めない。
 たとえ、ルイズの存在がなかったとしても、女王たる我が身が、平民の男と結ばれる事など在り得ない。――そう諦めていたとしても、それでも、穏やかならざる感情が、一抹すらも存在していないわけがない。
 アンリエッタは、もはや誤魔化しようもないほどに、才人を愛していたのだから。
 彼とウェールズを比較する事は、アンリエッタには出来ない。しかし、出自はともかく、男としての平賀才人は……おそらくウェールズが納得してくれるであろう、唯一の男性であると、アンリエッタは思っていた。
 そんな想い人と“他の女”との婚儀を、万難を排すために駆けずり回る自分に、ふと、やり場のない怒りが発生する瞬間は、――ある。当然だ。女王とはいえアンリエッタも、所詮一人の生身の女に過ぎないのだから。
 だから、タバサが発した最初の一言を聞いた瞬間も、彼女は戸惑う事はなかった。

――サイトを、ルイズの手から奪還する。そのために、ぜひ陛下の協力が欲しい。

 そう言ったタバサの声は硬かった。
 そして、タバサに付き従う二人の女――ティファニアとシエスタの表情も。

「ミス・タバサ……いや、シャルロット・エレーヌ・オルレアン」
「はい」
「わたくしは、具体的に、一体何をすればいいのです?」
「……っ!?」

 常識的には、絶対に在り得ないはずの提案を、文字通り、待っていたかのような速やかさで、アンリエッタは受諾する。むしろこの成り行きに戸惑ったのはタバサたち三人の方であった。
 何故なら、彼ら二人の婚儀を最も強力に推進したのが、このアンリエッタ女王その人なのだから。

 だが、アンリエッタは、もうこの瞬間に、全ての嘘を投げ打つ覚悟を決めていた。
 誰に対してついた嘘でもない。自分自身に対しての嘘、だ。
 サイトの幸せを願う。彼が望む一番の未来をプレゼントする。――みんな嘘だ。

 分かっていた。本当は理解していた。
 わたくしが欲しいのは、権力でも名誉でもない。ただ一人の平賀才人だけなのだ、という事も。
 そして、才人を愛する以上に、彼の心を奪ったルイズを、この世の誰よりも憎んでいるのだという事も。
 自分に嘘はつかないと覚悟を決めた以上、もはやタバサたちの言葉を聞く必要すらない。

 

「女王として、メイジとして、おんなとして、――わたくしにできる一切の協力は惜しみません。サイト殿を、この手に取り戻す事が出来るならば」

 

 そう言いきったアンリエッタの薄いブルーの瞳は、ティファニアの部屋でタバサが見せた、同質の光を放っていた。


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