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Last-modified: 2008-11-10 (月) 22:54:45 (5645d)
王様GAMEと三角形 ぎふと氏
(08/8/31 一部改訂稿)
月がほのかに辺りを照らし始める頃……。
夕食を済ませた水精霊騎士隊の面々は、先を争うようにたまり場へとなだれこんだ。いわく“訓練の垢を落とす”ためである。
彼らは時間さえあれば、火の塔の近くに建てられたこの木造小屋に入りびたり、時に真剣に語り合い、時にバカ騒ぎに興じては、日々団結力を高めているのであった。
「いやあ、ここに来ると本当に落ち着くな」
ギーシュがワイン片手にうーんと伸びをした。
「まったくここは天国だよ。オアシスというべきだね」
したり顔でレイナールがグラスを回す。
「ぎゃあぎゃあコうるさい女どももいないしね」
マリコルヌがさらりと真実をついた。
ぐるり見渡せば、確かにむさ苦しい男所帯である。なんとも侘しいものだ。
でも……、なんでかこれが落ち着くんだよなあ。才人は心で頷いた。男同士の友情ってのはなかなかどうして悪くない。なにより平穏である。
そうやって目を閉じて、心地よい酔いに身を任せていると、
「ギーシュ隊長、提案があります!」誰かが叫んだ。
「酒も進んできたようですし、そろそろ例のゲームといきませんか」
賛成の声がやんやと上がった。ギーシュは頷くと、もったいつけて立ち上がり、
「よろしい。では、このゲームの存在を我々に知らしめてくれたサイト副隊長の偉業を称えつつ、これより“王様ゲーム”を行うこととする!」
華やかに宣言した。
“王様ゲーム”とはもちろん、日本でよく知られるパーティゲームのそれである。
くじ引きで“王様”に選ばれた人間が、数字で指定した相手に好きな命令を下せるという単純なゲームだが、これが結構盛り上がる。特にアルコールが入るとしばしば恐ろしい事態に発展するのである。
「皆も承知と思うが、このゲームで王より下される命令は絶対かつ神聖なものだ。逆らうことは認められない。さあ同士たちよ、杖を掲げ誓約せよ! 王の命は絶対であるぅ!」
王の命は絶対であるぅ! 全員が唱和した。
背中のデルフリンガーの柄を握りながら、才人も声を合わせた。
ぶっちゃけ言えば、こういうノリは苦手だ。いい年してどうよとか思う。
それでも付き合ってしまうのは、彼らが楽しい連中だからだ。
それだけではない。いざとなれば才人を助けるために、後先かえりみず飛び出してきてくれたりもする、つくづく馬鹿で単純で熱い奴らなのだ。ほんとこいつらと出会えてよかったなあとしみじみ思う。
そんな隊員らの見守る前で、ギーシュはいそいそとゲームの準備を始めた。
まず部屋の隅の物入れから小さな麻袋を取り出すと、中身をテーブルの上にぶちまけた。じゃららと音をたてて十数個のコイン大の石が転がり出る。そこから必要な数の石を選び出すと再び袋の中に入れた。
次に袋は隣に座るレイナールの手へと渡った。彼はそこから石を一つ取り出し、こっそり手の中に隠し持つと、隣の生徒に袋をリレーした。そうやって袋は順々に送られていき、各自が1つずつ石を確保したところで決まり文句が叫ばれた。王様だーれだ。
「俺だーっ!」
運よく五芒星が刻まれた石を、引き当てた少年が、嬉しげに拳を振り上げた。
……さっそく最初の詔が発令された。
「それでは3番! 汝が使い魔になりきってみせよ!」
指名されたのはギーシュだった。
任せておけと自信満々に立ち上がると、つぶらな瞳をうるうるさせながら、地面をひっかく仕草でフガフガ鳴いてみせた。盛大な拍手が沸いた。
次なる命令は『1番が9番にプロポーズをする』だった。少年二名による濃厚な愛の劇場がはじまった。台詞が飛び交うごとに爆笑の渦が巻き起こった。場はさらなる熱気と興奮に包まれた。
次に王様に選ばれたレイナールは、
「4番、好きな女の子の名前を告白する」
と顔色一つ変えずに言ってのけた。冷静に見えてかなりキテるらしい。
不幸を被ったのはギムリだった。
しばらく唸っていたが、周囲の期待に満ちた視線に耐え切れなくなったのか、ぼそり、ある名前を吐いた。それは誰もが知っている、艶やかな美貌と抜群のプロポーションを兼ね備えた、かなり高めの女の子の名前だった。
「おいおいギムリー。まだ諦めてなかったのかよ。見込みないからやめるってこないだ言ってたのは、ありゃ嘘か?」
「よせやい。ギムリはこう見えて一途なんだぜ。墓に入るまで思い続けるさ」
「フリッグの舞踏会に誘ってたコはどうしたんだよ。そっちもフラれたのか?」
皆わいのわいのと囃したてた。ギムリは脂汗を流して固まっている。
どうやら色恋ネタが最も熱いのは、どこの世界でも同じようだった。
そして才人はといえば、腕組みして椅子の背に寄りかかりながら、ヌルい笑みを浮かべてみんなの様子を眺めていた。
その態度が偉そうなのは、副隊長の威厳ではない。『べつにネ。俺はこの手の話題はどうでもいいんだけどネ』という公認の相手がいるゆえの一種余裕のポーズである。まったく偉くなったものである。
「おーい、そろそろ次いこーぜ」
頃合いを見計らって才人はうながした。
「そうだな。よし、みんな石出せー」
集められた石が配られ、ふたたびゲームが始まった
王様だーれだの直後、興奮した絶叫が部屋を揺るがした。
「しゃぁあああああっ! きたきたきたぜ〜〜〜〜いよいよ俺の時代がーッ! ふぅははははははは!」
体を震わせながら立ち上がったのは、風上のマリコルヌだ。鬼畜な笑みを浮かべて全員を見渡す。かねてより酒乱を疑われているマリコルヌがこのような怪しい言動をとり始めた時は、きわめてヤバい。危険信号である。部屋は緊張に包まれた。
「さぁ誰だ誰だボクの奴隷ちゃんは誰なのかなァ〜? 命令を下してやるから、耳かっぽじってありがた〜く聞くんだぜ。貴様のご主人サマの要求はこうだァァァ!」
ふんと鼻腔を広げて、息を吸い込んだ。
「誰でもイイから女のコの麗しき御毛を一本、俺っちサマの元に持ってこい! ただし髪の毛は認めんッ許さんぞ。それ以外のお毛々だ!」
ぐでんぐでんのマリコルヌは、ワインの瓶を振り回した。
やっちまったよ、ぽっちゃり……、そんな言葉が視線で交わされる。
しかし誓約は誓約である。貴族である以上は実行しなくてはならない。誰しもとばっちりは御免であった。当たりませんようにと心で祈った。
「そして遂行者はァァお前だーッ。5番!」
死刑執行が言い渡された。大多数の表情がほっと緩む中で、約一名の顔に緊張が走った。才人であった。
「へ? ……俺?」
手からぽろりと石が転がり落ちた。マリコルヌの笑みがさらに広がった。
「やあ君か、シュヴァリエのサイト君。そうだな、君ならこの難しいミッションをやり遂げてくれそうだ。なにしろ7万の敵を止めた男だもんなァ。ハっハっハっ!」
「あの……、何をしろって?」
「おいおいおい聞いてなかったのかよ。じゃあもう一度だけ丁寧に教えてやるよ。いいかね。今すぐー、ミス・ヴァリエール嬢の部屋に行ってー、彼女のー、髪の毛でないお毛々をー、一本ここに持ってこいーってこった。おーけぃ?」
才人の肩に手をまわし、一語ずつ念を押すように、マリコルヌは繰り返した。
才人の顔が急速に赤らんで、しかるのち蒼白に変わった。
赤くなったのは、指摘されたブツを具体的に想像したからであり、青くなったのはそれを皆の前に公開せねばならないという事実に思い至ったからだ。
髪の毛でないとすれば何か。思いつくのはただ一つ。まだ才人自身もじっくりと拝見させてもらったことのないデルタ地帯……、そのなだらかな丘陵にそよぐ若草の如きそれである。さらさらとした触り心地は細い絹糸のよう。その手触りを思い出して才人の喉がごくりと鳴った。
やがて才人は我に返った。それからマリコルヌの暴走ぶりに呆れた。いくらなんでもそりゃねえよ。さすがに聞ける命令と聞けない命令とがある。
ここは一発抗議してやろう、と口を開きかけた才人だったが、ギーシュの方が一瞬早かった。
「まあまあ落ち着きたまえよ、マリコルヌ君。いくらなんでもそれは行き過ぎじゃないのかね? 我らメンバー員ならともかく、外のご婦人方にまで迷惑をかけるというのは、近衛騎士としてとても褒められた振る舞いとはいえないよ」
さすが隊長、頼もしい限りである。そこに別の声が割って入った。
「けどさ、ぽっちゃりの要求は“髪の毛以外の毛”だぜ? まつげとか眉毛とかでもいいんじゃないかな」
「なるほど、お前頭いいなァ」
お前が言うなよマリコルヌ。
けど一理ある、それならどうにかなるかもしれないな、と才人は考えた。せっかくの盛り上がりに水を差したくはないし、理由を話して頼みこめばルイズだって聞いてくれるかも。この辺で手打ちにしようと思いかけた。
しかしギーシュは納得できないらしく、
「はァ……、だから君たちは浅はかだというのだよ。想像してもみるがいい。愛する人のきら星のごとく輝ける瞳を。それを縁取る柔らかなまつげを。虹の弧を描く麗しき眉、それらがかもし出す美のハーモニを。その一本すらまさに王杖にも匹敵する宝じゃないか」
そんな熱い語りを聞きながら、才人はルイズの顔を思い浮かべた。
人形のように整った顔だち。抜けるように白い肌。よく動く大きな鳶色の瞳と、それを飾る長いまつげに生意気そうな眉……。どのパーツを取っても不要なものなどなさそうだ。まったくギーシュの言うとおりだと才人は頷いた。
才人だけではなかった。マリコルヌも含めた全員が、皆それぞれに夢見ごこちに頷いていた。
「というわけでマリコルヌ君。その要求は隊長として承認しかねる。何か他の命令に変更したまえよ」
ギーシュが告げると、マリコルヌはやけになって、
「それじゃあ、もう髪の毛でいいよ! それならなんとかなるだろ」
「……まあ、それなら」
「サイトがそう言うなら、もちろん僕に異存はないさ」
ギーシュが締めくくると、ようやく部屋の空気が和らいだ。皆一様にほっと息をついた。
興奮の治まらないマリコルヌだけが一人不満を嘆いている。
変な成り行きになっちゃったな。才人はため息をついた。とにかくルイズの髪を取ってこなくてはならない。
さくっと行って戻ってくるか。酔った頭を振りながら、才人は立ち上がった。
「頑張れよ、サイト!」
「生きて戻ってこいよー!」
「ルイズによろしくなー!」
仲間たちの声援を背中に受けながら、才人はたまり場を後にした。
+ + +
月明かりが石壁に影を落とす中、才人は女子寮に向かって急いだ。
アウストリの広場を通るとき、立ち止まって寮塔を見あげた。ルイズの部屋は三階にある。明かりがついていた。
何をしているんだろう、と思った。
真面目なあいつのことだから、授業の復習でもしているんだろうか。というかそれしか思いつかない。友達が遊びに来るなんてことは滅多にないし、あとはせいぜい本を読むぐらいか。
そもそも魔法学院って所は娯楽が足りなすぎるよな、と才人は思った。日本とは大違いだ。カラオケもゲーセンもファミレスもなければ、こざっぱりしたルイズの部屋にはゲームも漫画もインターネットも、テレビすらない。何が楽しくて生きてんだって感じである。
だもんで近頃の才人は、騎士隊の仲間と過ごす事が多い。酒を飲むぐらいしか楽しみがないからである。
以前みたくルイズの部屋で、デルフとお喋りに興じたり、ごろごろまったりするのも良かったが、近頃はどうにも居づらい理由があった。
ふと3日前の出来事が思い出された。
夜、少し早めに帰った時のことである。才人は部屋の隅に座り込んでデルフリンガーの手入れをしていた。
息を吹きかけて布でこする。「あは〜ん、だめオレ感じちゃう」アホか。「静かにしろよ。ルイズ読書してるんだから」とたしなめていると、そのルイズがちょこちょこと寄ってきた。
「なんだよ」
するとルイズは、才人の膝の上に身をすべりこませて本を読み出した。
「こらいきなりはやめろって。危ないから……」
気ままなご主人様の行動に、才人は少し呆れた。仕方ないので手入れは諦めてデルフを脇におく。参ったなという顔をしたが、しかし嬉しさは隠し切れない。つい口元がにやついた。
最近のルイズは口は相変わらずだけど、態度は少し素直になった。本人気づいてないようだけど、これがけっこうわかりやすい。なんかいいよなぁ恋人って感じで。思ったら妙に照れた。
笑うようにカタカタとデルフが音を立てたので、うるせえと乱暴に鞘に納める。
膝の上に座るルイズの髪から、ふわりといい香りがした。その体に手を回しながら肩越しに本を覗き込んだ。なにやら難しそうな歴史の本だ。それを熱心に読んでいる。ルイズの髪を持ち上げてうなじをに口をつけた。うるさそうにルイズの手が振り払う。耳をかじる。振り払う。
「やめてよ。読めないじゃない」
またもや本の世界に没頭し始めた。才人はなんだか自分がただの椅子になった気がした。座り心地のいい柔らかな人間椅子。木製よりは居心地が良さそうだ。……ってずいぶんじゃないかそれ。
ルイズのシャツの裾から手を差し入れた。「こら」パチリと叩かれる。足に手を這わせた。パチリ。なんだよもう。
「なあ、しよ?」
「無理。シエスタが戻ってくるし」
「まだ平気だって。鍵かければいいじゃん」
「夜はやだって言ってるじゃない」
そういうことの後にはお風呂に入りたい、というのがルイズの言い分だ。変な時間に風呂に向かえばシエスタだって怪訝に思うだろう。さすがに二人の関係は気づかれていそうだけれど、露骨に開き直るほどの度胸は才人にだってない。
才人は寂しげにるるる……と口笛を吹きうるさいとまた殴られた。
2日前の朝にはこんなことがあった。
眩しい朝の陽光に目を覚ますとすでにシエスタの姿はなかった。朝の水汲みに行ったらしい。以前の才人の仕事である。
隣を見るとルイズはまだ深い眠りの中にいた。毛布を跳ね飛ばしネグリジェをしどけなくはだけていた。長い使い魔生活でそんなのは見慣れている才人は落ち着いて……いやここは礼儀として視線を逸らしつつ格好を直してやる。
ついでに血迷ってその額に唇を近づけ……、我に返った。やべえ俺恥ずかしすぎる。辺りを見回す。誰もいない。すぐさま事実は記憶から消去された。
さてシエスタのいないうちに着替えなくてはならなかった。さすがに着たきり雀とはいかないので、シャツや下着などは地球と似たものをあつらえてもらっている。先に上だけ脱ぎ捨て、着替えを取るべくベッドの上を這っていると、むくりと起き上がる気配がした。ルイズだ。
う〜んと伸びをして「サイトおはよ」と寝ぼけ眼をこする。「ああお早う」と振り向いて慌てた。ルイズがいきなり脱ぎ始めたからだ。すわいきなり変な性癖に目覚めたかと思っていたら「下着」ときた。
「はい?」
「そこのー、クローゼットのー、一番下の引き出しに入ってる」
「んなの自分で取れよ」
「あによ使い魔のくせに。逆らったらごはんヌキだからね」
懐かしいノリだなと思いつつクローゼットから下着を出し、ほらと手渡すと、
「着せて」
違うだろ。着せるのは服であって下着は自分で……って、おおおお前! 上から下まですっぽんぽんなんですがぁぁぁ! ぐぎぎと首を横に向けて目をつむり、この状態でどうやって着せようかと沸いた頭で考えていたら扉が開いた。
あんぐりと口を開けてこっちを見ているシエスタと視線が合った。
さらに昨日の夜にはこんなことがあった。
才人はいつものように、ルイズとシエスタに挟まれてベッドに入った。右腕にルイズ、左腕にシエスタ。両側からしがみつかれているので、まっすぐ天井を見上げて眠る格好になる。
すぐにすやすやと寝息が聞こえてきた。二人の少女は揃って寝つきが良い。才人は横を向いてルイズの顔を見つめた。天使の寝顔だ。口を半開きにして少し涎が垂れていた。
なんとか腕を動かしてルイズの口元をぬぐってやる。するとルイズは「むにゃ」と呟きながらいやいやをするように顔を動かした。そして勢いよく才人の指に噛みついた。痛みで声をあげそうになったが慌てて飲み込む。
しばらく才人の指をかじっていたルイズだったが、そのうちちゅうちゅうと吸い始めた。赤ん坊がミルクを飲むように無邪気に吸っている。可愛いなと思いながら見ていると、今度は舌で指をぺろぺろと舐めはじめた。背筋に電流が流れた。鼓動が早くなる。
そんな才人の心境など知る由もなく、ルイズは幸せそうな顔で才人の指を吸ったり舐めたりしている。いったいどんな夢見ているんだよ。呟きながら才人は身をよじった。ああこのままのしかかってしまいたい。けどシエスタいるし。ルイズ寝てるし。
ふと思いついてルイズの口にもう一本指を入れてみた。人差し指に加えて中指を突っ込んだ。「ふご」息をつまらせてルイズは唸ったが、嫌がる様子もなく指を味わっている。おやまあ。じゃあこれならどうだ、ともう一本指を増やした。
「うぐ」ルイズは苦しそうに顔をゆがめた。口いっぱいに頬張った物を吐き出せずに、ルイズは苦しそうに頭を振った。不意に才人の中に嗜虐的な感情が芽生えた。きっちり三本揃えた指をルイズの口から引き抜いてまた突っ込んだ。さっきより少し奥まで押し入れた。
はあぁとルイズの呼吸が荒くなり唇から透明な糸がこぼれた。……やばい。これはかなりやばい。体が熱くなる。結局才人は、翌朝の訓練を寝不足のまま迎え、したたかに傷をこしらえることになった。
いろいろと思い出し疲れて、才人はげんなりした。
これじゃまるでケダモノじゃないか。万年発情期のモグラじゃないか。
このままではまともな生活が送れない。
ルイズと一緒にいるのは嫌じゃない。むしろ嬉しい。
だけど……、一線を踏み越えてしまってからというもの、どうにも落ち着かない。
ああなんで俺もっと普通にしてらんないんだろ。
なんで前みたく自然に接してやれないかな。
あ〜〜〜〜、やっぱやめときゃよかったかも。
わけがわかんなくなって、才人は頭をかきむしった。
さてルイズの部屋についた才人だったが、いざ扉を前にしてためらった。
ルイズになんと切り出したものかと悩んでしまったのである。たまに早く帰ってきたと思えば髪の毛一本とりにきただけ、となればルイズでなくとも怒るだろうし。うーん、どうしたものだろう。
すると奇妙な物音が聞こえてきた。大掃除でもしているようなバタンバタンという音。
シエスタかな? と思ったが、いや彼女ならまだ夕食の後片付けを手伝っているはずと思いなおした。
働き者のシエスタは才人付きのメイドなのに、学園の仕事もいろいろと手伝っている。それに掃除なんかの雑用は昼間のうちに済ませてしまうから、いるのはルイズ一人のはずだった。
あ、もしかして。
嫌なことを思いついた。怒り狂ったルイズが、部屋に当り散らしてるんじゃないだろうか。いやまさかね。……やっぱ戻ろうかな、と思ったところで、部屋の騒音はぴたりとおさまった。多少の好奇心も手伝って、才人は中に入ることに決めた。
+ + +
部屋に入った才人の視界に最初に飛び込んできたのは、なまめかしい二本の足だった。ほっそりと綺麗なラインを描くそれは、天井に向かって伸びていた。
(なんだ?)
と目線を下にずらすと、眩しい太ももが目に入った。弾力のある肌はくもりない乳白色だ。さらに視線を下げると、ぷるんと柔らかそうな白いお尻に出会った。淡桃色のレースの下着が申し訳程度に張りついている。はてここはどこの天国なんだ。
気を落ち着けて眺めると、なんのことはない。ルイズが床の上で体操しているのだった。
寝転がって両足を上に伸ばすポーズでお尻をこちらに向けている。まくれあがったピンクの薄いネグリジェが背中の下で丸まっていた。おかげで下半身は丸出しだ。
「お、お前、なにしてんだよ」
目のやり場に困って横を向くと、悲鳴と同時にどたばったんと大音響がした。ちらりと見るとルイズが床の上に転がっていた。
「ちょちょちょっとぉ〜〜〜。入る時はノックぐらいしなさいよね! 女の子の部屋に入るのに失礼じゃないの」
起き上がりながら、ルイズはうらめしそうに文句を言った。
「ごめん悪い。でもなにしてんの? ダイエット?」
「そんなんじゃないわよ。ちょっと運動してただけ。ただの気分転換よ」
「ふーん」
才人はじろじろとルイズを見た。
「いいけどさ、あんまやりすぎるなよ」
「ど、どうして?」
「だってそれ以上強くなったら、俺いつか殺され……あぎっ!」
ルイズは遠慮なく才人の足を踏みつけた。まったく一言多い使い魔だった。
それからルイズは思い直したように表情を和らげた。
「ま、いいわ。今日は早く帰ってきてくれたし許してあげる。今日はもうどこにも行かないんでしょ? 久しぶりにゆっくりお話できるのよね」
ルイズは期待に満ちた眼差しを投げた。何か用事があるらしい。
「あ、いや……」
才人は目を泳がせた。
「そのさ、またすぐ戻らなきゃいけないんだ。罰ゲームっていうのかな。お前の髪を一本持ってこいって話になっちゃって。いやほんと変なこと考える奴らだよな。揃いも揃って馬鹿ばっかりっていうか、うん」
ぺらぺら喋りながら小机の引き出しを漁った。ルイズ愛用の櫛を探すためだ。
さっさと目的を果たしてズラかろうと思った。
「へえ、そうなの……」
「うん、そうなの。まったく馬鹿だよなあ、ハハハ」
櫛は新品のようにぴかぴかだった。
床を見下ろした。まるで磨きたてだ。塵ひとつ見あたらない。
ベッドに近寄った。枕はふかふかで太陽と花の良い香りを放っていた。
思わずシエスタを恨みたくなった。
「……あのぅ、ご主人さま? 使い魔ひとつお願いがあるんですが」
「なあに?」
「あのそのぅ、お前の髪って綺麗だよなーそれ一本ゆずってもらえたら俺嬉しいなーっていうかなんというかね」
しどろもどろになっていると、意外な答えが返ってきた。
「いいわよ」
「ほんとに?」
「うん」
「ほんとにほんと?」
驚いた。ルイズもずいぶん丸くなったもんだ大人になったせいかなーなんて思っていたら、
「でもその前に、私もサイトにお願いがあるの。1つ質問するから、答えてもらえる?」
真顔で問い返された。
も、もちろん、と才人は脂汗を浮かしながら答えた。
この流れはあれだろうか。
『生きてるのを後悔するのと、死にたいと思うのと、どっちがいい?』
みたいな?
どっちを選んでも地獄にかわりはない。質問形式をとった脅迫ってやつ。
まこの場合仕方ないか。タイミングが悪かったと思おう。才人は覚悟を決めた。
しかしながらルイズの言葉は、才人の予想とはまったく違っていた。
ルイズはネグリジェの裾をつまみ、するすると持ち上げると、頬を染めて横を向いたまま、尋ねた。
「あの、あのね。これね。こここのまえ街に行った時に、かか買ったの。どう似合う?」
「へ?」
ぽかんとする才人の目の前に、華奢な足と、そして1枚きりの薄い布地がさらされた。
それはさっき部屋に入った時に目にしたもの……、のはずだが正面から見るとまったく趣が違っていた。
淡いピンクの布地はごく小さな三角形で、ギリギリ隠すべき領域だけをささやかに覆っていた。
しかも網目のような粗いレース地なものだから、隠している場所さえも目を凝らせば透けて見えてしまいそうだ。
そこから伸びた細い紐がどうにかその布地をルイズの体に張り付かせていた。
(こここれは……いわゆる……セクシー下着ってやつ!?)
思わず才人は鼻を押さえた。気が遠くなりかけた。
ま待てお前は貴族の御令嬢だろう。深窓のお嬢様だろう。ならば基本は清楚で上品な白(レース付)じゃないのか。こんなのけしからんぞ。お父さんは許しませんよ。
そこではたと気づいた。もしかして……、ルイズは俺を喜ばせるために恥ずかしさに耐えてこんなものを!? 準備したのか俺のために!? あの誇り高い女王ルイズが!
ああ、才人は感動に打ち震えた。俺って……愛されてる……。
身動きすることもままならず、才人は食い入るようにルイズの下半身に魅入った。
水精霊騎士隊も“王様ゲーム”も頭からすっかり消えうせていた。
「どどど、どうなのよ。なんとか言いなさいよ!」
決死の覚悟で聞いたというのに、いつまでも才人が黙っているので、ルイズは不安と悔しさで唇を噛みしめた。昔キュルケのアドバイスでベビードールを着用に及んだ時の屈辱をよもや忘れてはいなかった。
たまには大人の色気を見せつけてあげようと、せっかく、着て、あげた、のに、この使い魔ときたら大爆笑したのだ! しかも大勢の前でカーテンとまで言った!
プライドは切り刻まれてすりおろされて粉々だ。楽々自分の人生の許せない出来事ベスト50に入る出来事だ。
あれは確かに失敗だったと自分でも思う。どだい上で勝負したのが悪かったのだ。
自分の魅力は足。腰から爪先までのこの美しいライン。踊り子衣装で発見した自分の最大の武器! そう最初からこっちで戦うべきだった。
そう思って最高の下着を用意したつもりだったのに……今度も才人は何も言ってくれない。
やっぱり自分には色気がないんだわ。がっかりしてルイズは手を下ろした。
ネグリジェがすとんと元の位置におさまる。
こんなだから才人は部屋にも居つかず出歩いてばかりいるんだと悲しくなった。ルイズは横を向いていたので、才人の煮えきった視線にまったく気づいていなかった。
「……もういい。ありがと」
しょんぼりと言うと、そうだ髪の毛がいるんだっけと思い、髪に指を絡ませた。ひと束まとめてぐいぐい引っ張って、うーと唸った。痛い。頭も胸も痛い。ばか。
+ + +
そんな風にルイズがすっかり落ち込みながら自分の髪と格闘していると、ふわり体が宙に浮いた。何かと思えば、才人が自分を担ぎ上げてベッドに運ぼうとしているではないか。
呆気に取られたルイズだったが、すぐさま我にかえると「待って!」と抗議の声を上げた。
ベッドに直行、それがどんな意味を持つか知らないルイズではない。すでに許してしまった間柄である。
けれど今この場でそれを許すつもりはさらさらなかった。とりあえず話を聞いて欲しかった。
ところが、この使い魔ときたら丸っきりルイズの言葉に耳を傾ける気配がない。
いそいそとルイズの体をベッドに運び上げると、そのまま覆いかぶさってこようとする。
「こらちょっと、やめなさい! ねえサイトってば! 聞いてるの!」
なし崩しにされてはたまらないと懸命に抵抗したが、完全に自分ワールドに入り込んでいる才人は、もーうちのご主人様ってばーほんと照れ屋さんなんだからー素直じゃないんだから困るよねーまあそこが可愛いんだけどねー、などと嬉しげに呟きながら一人盛り上がっている。
まったく目前のことに夢中になると、何もかもが彼方に吹っ飛んでしまう、困った性格なのであった。
そこまできて、ようやくルイズは自分の失態に気がついた。
下着姿を見せたのは、さすがに軽率だったかもしれない……。
もちろん、このような展開を全く予想しなかったわけではない。それどころか、ちょっぴり期待すらしていた。心の片隅で、自分に夢中になる才人の姿を見てみたいなーなんて思ったりもしていた。
でも……。それは今日の予定ではない。
そりゃ正直なところ、ぎゅうっと抱きしめられたら気持ちいいし、ふわふわと甘い気分になるし、たまには自分の方からキスしたいなんて思うこともある。
けど今日はダメ。ここじゃダメなの。いつシエスタが戻ってくるかわからないし、それに壁やドア越しに誰かに会話を聞かれるかもしれない。ついこの間なんて、背中につけられた跡をお風呂でキュルケに見咎められてひどく恥ずかしい思いをした。
とにかくいろいろと問題があるのだ。
それに才人は言っていたではないか。友達を待たせているから、すぐ戻らなければいけないと。こんなことをしている場合ではない。
自分がなんとかしなければ、とルイズは思った。
のんびり考えている余裕はない。状況は切迫していた。才人の左手はルイズの肩をがっしりと押さえつけ、右手はするするとネグリジェの裾をまくり上げている真っ最中だ。
「ねえちょっと。ねえってば!」
慌てて声をかけるが、才人は聞く耳を持ってくれない。ぺちぺち叩いてみても効果がない。徐々にイライラがつのって、我慢の限界を超えた。ぷちん堪忍袋の尾が切れた。
ルイズは渾身の力を込めると、ぐーの拳を才人のわき腹に炸裂させた。
「いいかげん、目を覚ましなさいよね!」
ぐはぁ、呻き声とともに、不意をつかれた才人は敢えなくくず折れた。
予想外にも急所に入ってしまったらしい。お陰で効果はてきめんだった。
「ってぇ、いきなり何すんだよ」
よろよろと身を起こす才人を、大きな瞳で見据えながら、ルイズはぐっと眉を吊り上げた。
「それはこっちの台詞よ。いきなり何するのよ!」
「何って見てのとおりだろ。お前から誘ってきたんだろうが」
「だーれが誘ったのよ。バカも休み休み言いなさいよね。私がそんなことするわけないじゃない!」
「じゃあ、なんであんな格好……」
「私はね、似合うかって聞いたの。それだけよ。なのに答えもしないでいきなり飛びかってくるとかバカじゃないの? もっと他にすることとか言うこととかあるでしょ?」
「そんなん知るかよ。あんな格好見せられたら、誰だって誘われてるって思うだろ普通? それで何もしなかったら、お前に恥かかせることになるし……。つーか、でもなきゃこんなことしねえって」
聞いたルイズのこめかみがぴくり引きつって、口元に冷笑が浮かんだ。
「いやだわ、犬の分際で。勘違いもここまでくるとふんとお笑いよね。発情期の犬ってそゆことしか頭にないのかしら。ちょっと考えればわかることなのに、ほんと犬だけに頭が足りないのね」
かっと頭に血をのぼらせた才人は、勢いで声を荒げた。
「ああ、わかんねえよ、すみませんね! じゃああれか。ご褒美にちょっとだけ見せてあげますってやつか。そういうのなんて言うか知ってるか? バカの一つ覚えって言うんだよ。そんなモン恵んでもらわなくて結構です。と〜っくに間に合ってますっての!」
「は〜あ? 私の聞き間違いかしら。いまご褒美って聞こえたんだけど。あんた何か褒められるようなことしたっていうの? なんの役にも立ってないじゃない。ふらふら出歩いてろくすっぽご主人様の相手もしないで、これならいっそメイドを使い魔にした方がマシよマシ!」
「そうかよ。じゃあクビにでもなんでも好きにすりゃいいだろ。こんな万年発情期でえっちでやらしい使い魔なんか、そばに置いとくだけで危険だもんな! どうぞクビにしてください、お優しいご主人さま!」
「ほんとそうね! いいわよ、クビにするからさっさとどこへでも行っちゃいなさいよ! お腹すいたーって戻って来たって、絶対許してなんてあげないんだから! あんたなんて顔もみたくないわ、いーっだ!」
「ふんっ!」
訳のわからないままにエスカレートした口げんかは、もはや収集がつかなくなっていた。
そもそも、なんでこんなふうに喧嘩しているのか、考えてみてもわからない。
原因はいったい何だったろう。思い返そうとしたが、心がもやもやとするばかりで判然としなかった。
(なによ、なによ、どうしていつもそう極端なのよ!)
憤りに身を震わせながら、ルイズは拳をぎゅうっと握りしめた。胸の内で言葉にならない想いが渦巻く。
以前はこんなふうではなかった。
もちろん喧嘩もした。仲良くしているよりも怒鳴っている時間の方が多かったぐらいだ。けれど、なんだかんだと最後は一緒にいたし、才人がそばにいるだけで心強くて安心できた。ちょっとした才人の言葉の中に優しさや愛情を見つけられた。
なのに今は才人の気持ちがよくわからない。
近頃の才人は、すっかり“それ”しか頭にないようだ。男の子ってそんなものだと自分に言い聞かせるが、“それ”とは別にもう少し軽いスキンシップがあったっていいんじゃないの、とルイズは思う。
抱きしめたりキスしたり、自分はそれだけで満足なのに、才人はそういうことにはあまり熱心ではない。ここ最近に至っては、ろくすっぽ部屋にも戻ってこない有様だ。たまに一緒にいても、どこか居心地が悪そうに退屈そうにしている。
もう冷めちゃったのかしら、不安に思わずにはいられない。
ふとモンモランシーの言葉が蘇った。
男なんて全員浮気ものなんだから。一度許したらすぐに他の女のところに行っちゃうわよ。
確かそんなことを言っていた。
自分と恋愛経験なんてそう変わらないのに、ずいぶんと偉そうだわ。その時は思った。だけど事ここに至っては少しは耳を傾けざる得ない。才人は違う。浮気ものなんかじゃない。そんなふうに片付けられない過去の数々が思い出される。
何とかしなければ、そう焦っていた所に、今日は思いもかけず早く帰ってきたものだから、どうしちゃったのよ、なんてちょっぴり機嫌を直してみたのに、またすぐに出かけると言う。しかも敵は男友達。女ですらない。どういうこと? 失礼じゃないのよそれ。
だから。
男友達ばかりにかまけて、ちっとも自分に注意を向けてくれない使い魔に腹が立って、すこうし気を引いてみようと思っただけなのだ。
ちらっと見せた時、反応ゼロだとわかった時には泣きたい気分だった。
ところがさっきの才人の反応ときたら……、なんていうかその、ざまあみろって思った。やっぱり私のことが大好きなのねって。なんだけども。
やっぱり……、目的は“それ”だけなのかしら。
いくら考えてみてもわからない。才人はいったいどういうつもりなんだろう。才人の気持ちがわからない。
ルイズの口からため息がこぼれた。
(……このまま部屋を出て行った方がいいのかな)
あまりの居心地の悪さに、才人は一瞬そう考えた。
けれどすぐに考え直した。過去の経験から言って、そのまま部屋に戻れずに家出に発展して、半日と経たずに後悔するはめになるのは目に見えている。そこまでする理由があるとは思えなかった。
自分は何かまずいことをしたんだろうか。考える。
確かにすぐに周りが見えなくなるのは自分の悪い癖だ。ルイズの気持ちだって推し量ってやれずに、行動した後になっていつも後悔する。
でも、ならば、さっきのあれはどういう意味だろう。
どういうつもりでルイズはあんな真似をしたのだろうか。やっぱり意味がわからない。
冷静に考えれば、ルイズが誘ってくるなんてあり得ない話だった。平日の夜は絶対に許してくれない。そもそもルイズはそういう行為があまり好きではないらしい。
ルイズがまだ子供だからか。それとも自分のせいなのか。原因はわからないけれど、だから平日の夜は可能な限り外にいるようにしている。
そのせいでルイズの機嫌がよくないことも知っている。でも、だからといって、どうしたらいいのか……。出るのはため息ばかりだ。
二人とも段々と、怒ってるんだか切ないんだか、よくわからない気分になってきて、そんなふうにして、互いに顔を背け合ったまま、沈黙の時間が流れた。
しばらくして、ルイズが唐突に声を発した。
「いいから、もう行きなさいよ」
肩を落としてつまらなそうに言う。
「友達を待たせてるんでしょ。これ持ってさっさと行けば?」
素っ気ない声でそう言うと、ぐーの形に握りしめた手を才人の目の前に突きつけて、ゆっくりと指を開いた。
その手の中にある物を見て、ようやく才人は思い出した。
今の今まで綺麗さっぱりと忘れてしまっていたのだ。王様ゲーム”のこと。そして仲間を待たせてしまっていること。
言われるがままそれを……、ルイズの髪の毛を指でつまんで取り上げた。
光を受けてきらきらと輝きながら、それはどこまでも長くふわりと宙に舞った。
才人はしばらくそれを見つめると、少し悩んで大事にズボンのポケットに収めた。任務完了。即時撤退サレタシ。そうなんだけれど……。
なんとなく後ろ髪を引かれる心地がして、ルイズの方を見た。
さっさと行けという顔をしている。
なぜだかふと、自分がいなくなった後のルイズの姿が思い浮かんだ。こう見えて、とても強がりで寂しがりなのだ。
一度立ち上がりかけた才人だったが、思いなおしたように再びベッドの上に腰を下ろした。
「なによ、行かないの?」
ルイズが聞いてきた。
「いいよ、どうせ飲んで騒いでるだけだし。ちょっとぐらい待たせたって、あいつらも怒ったりしねえよ」
才人はふてくされたように呟いた。
「ふうん。勝手にすれば」
返事もやはり素っ気無い。そんなルイズの声を聞きながら、どうにも気になって仕方がないことを、才人は正直に尋ねてみようという気になった。
ルイズの方に向き直って、ぶっきらぼうに切り出す。
「あのさ。一つ聞きたいんだけど……。さっきのあれ、なに?」
「さっきの?」
「だからさ、すっごいの見せびらかして似合うかって聞いたじゃん。けどあんなもん似合ったところで、別に外で見せてまわるわけじゃないだろ? なんのつもりだったのかなって思ってさ」
ルイズの顔が面白いように染まった。手をばたつかせながら叫ぶ。
「い、いいの。あれはもういいから。もう忘れなさいよ!」
「そんな訳いくかよ。お前だって、ああいうコトしたらどうなるか、少しはわかるだろ?」
「な、なによ……。私が悪いっていうの?」
「そうじゃないけど……、ああいうえっちな下着っていうの? あれってつまり、そういう目的のものなんだろ?」
才人は言いにくそうに鼻の頭をこすった。
「俺は、男だからさ、ああいうのは嬉しいよ。でも、お前は違うだろ。とにかく、俺をあまり刺激すんなって。頼むから。冗談だかお仕置きのつもりだか知らないけどさ」
「そんなんじゃないもん……」
ルイズは唇をとがらせて下を向いた。
「だったらなんだよ」
ルイズは口をつぐんだまま、答えようとしない。
そんなに言いづらい理由なんだろうか。誘ってるんでもなく、冗談でもお仕置きでもないとしたら、一体どういうつもりなのか、まったく不可解だった。
いったいこのご主人様ときたら、自分の我慢や努力をわかってくれているんだろうか……。不意に才人は切ない気分にとらわれた。頭を抱えたくなった。
どうせ少しも考えちゃいないんだろうな。思った。
もし知っていたとしたら、こんな事をするはずがない。とにかく二度とこんな真似をされたら困るし、少し厳しく言っておいてやるか。そう考えて、おもむろにルイズの手首をつかんだ。
その目をじっと見ながら言った。
「なんでこんなことしたの。怒らないから言ってみ?」
そして脅迫するようにドスをきかせて一言。
「でないと、さっきの続きする」
「そそ、それはダメ!」
ルイズは悲鳴のような声を上げた。
「ダメじゃない。するったらする」
「ダメったらダメなの!」
「じゃあ言えって」
しばらく間があった。
それからルイズは悔しそうに目を細めて、渋々という感じで口を開いた。
「……帰ってこないんだもん」
「え?」
「だ、だって、サイトってば、いつも外ばっかり行っちゃって、一緒にいてくれないんだもん。部屋にもいてくれないんだもん。一緒にいてもつまらなそうだし、お話してくれないし、ぜんぜん相手してくれないんだもん。きっと、私のことなんて飽きちゃったんだもん」
一気に吐き出してから、ぶすっとした顔で横を向いた。
「な、なんだよ……」
ようやく才人は納得した。つまりは自分のせいらしい。
自分がかまってやらないせいで、寂しさのあまりこんな奇行に及んだらしい。
なるほど納得はいったが、それにしてもわかり辛すぎやしないか。
寂しいなら素直にそう言えばいいのに……、どうしてこう斜め上の行動に出るかなあ、と文句の一つも言いたくなった。それと同時に。
頬を染めてこんな素直なことを言うルイズが、なんだか可愛く見えてきた。
一緒にいたい。意地っ張りなルイズの唇からそんな言葉が出ることは滅多にない。
「だ、だったら、ああいうことしないで口で言えよな。ったくしょうがないな」
どぎまぎしながら言うと、ルイズはつんと顎を上向けた。
「あ、あんた使い魔だもん。24時間ずっと主人のそばにいなくちゃダメなの。そ、そう決まってるの。だから勝手にどっか行くのも禁止。言わなくたって、ちゃんとご主人様のそばにいなさいよね!」
指を振りかざして、力説する。
「う、うん」
つい流れのままに頷いてしまった。
けれど、すぐさま頷いたことを後悔した。
24時間か……。つまりは一日中。全部ってことだ。
それってどうなんだろう。こんなふうに顔を赤らめたルイズを見ていると、ぽんっと脳裏に浮かんでくるのは、あられもない格好で恥らうルイズの姿だ。それだけで軽くイケナイ気分になってくる。やっぱり無理だよなあ。とても耐えられたもんじゃない。
それに近頃は周囲の目も厳しい。ルイズと一緒にいるだけで、にやにやと好奇の視線が降り注いでくる。はっきり言って照れくさい。どうだうらやましいかと見せつけられるほど、まだ自分はできちゃいない。困ってしまって、
「まあその。これからはできるだけ早く帰るようにするから。ちゃんと相手してやるから。な?」
とりあえずそう返事することにした。ぐりぐり頭を撫でながらなだめるように言うと、ルイズは面白くなさそうに鼻を鳴らして、そっぽを向いた。
「ふんっだ。もういいでしょ。早く行っちゃいなさいよ。みんな待ってるわよ」
拗ねたように言う。
そういえば、確かにそろそろ戻らないとまずいかもしれない。
思って軽く立ち上がりかけたその時。
くいくいっ。パーカーを引っ張られて、才人は引き戻された。
意味ありげに何度もくり返し、引っ張ってくる。
なんだろう、と振り返ってルイズの方を見ると……、じっとこちらを見つめ返してきた。
そして唇を尖らせて、そっと目をつむった。
きた、才人の心臓がどきんと跳ねた。おねだりきた。
早まる鼓動を押さえつけながら、身をかがめて、軽く唇を重ねる。
大事に至らないように。ごく軽く。
ところが……、手が勝手に動いた。
そんなつもりは全くないのに、いけない右手が才人の意思を無視して、ルイズが着ているネグリジェの裾に伸びて……、するりと大きくまくりあげた。
わ、ばか。何してんだ俺。
「な、何してんのよ!」
当たり前のようにルイズに怒られた。
いやそのね、この俺の手が勝手にね。
その瞬間、思い出すまいと封印していた情景が蘇って、はっきりとした映像となって焦点を結んだ。
自分の前に立ち、ネグリジェを持ち上げて、恥ずかしそうに俯くルイズの姿。
その足の合間に存在する淡い桃色の三角形。ごくり喉が鳴る。
「あ、あの、だから……」
ごまかす言葉がないかと、とっさに探した。ところが、
「さっきのあれ。もう一度見たいかなって……」
口をついて出た言葉は、才人の意思を丸っきり無視したものだった。
あああああ! 心が悲痛な声を上げた。
しかし本能は正直だ。抗うことはできなかった。
才人は簡単に自制を諦めて、こほんと苦し紛れに一つ咳をした。
「その……、だめかな? ちょっと見るだけなら」
「なな、なによ、見たいとか、バ、バカじゃないの」
「だ、だって。俺に見せるために買ったんだろ」
「ちがうわよ。お店の人が間違って入れちゃったのよ。ほ、ほんとなんだからね。あんな下品なの貴族の私が身につけられるわけないじゃない。そ、そうよ、どうかしてたわ。似合う方がおかしいのよ」
「似合うかどうかなんて、そんなのわかるかよ。あれだけじゃその……、もっとよく見ないとさ」
途端ルイズの顔が赤くなった。才人もつられて赤くなる。
「へ、変なことしたら承知しないんだから」
「見るだけって言ってるだろ。なに期待してんだよバカ」
な、なによバカ。
同じような台詞を返してルイズは頬を染めてうつむいた。
+ + +
才人の耳に心地よく紡がれる呪文の詠唱が響いた。
かちゃり。
ドアに鍵がかかる音がして、続いてふいっと部屋が一段暗くなる。
ルイズの仕業だ。そう気がついた才人の心臓の鼓動が勢いを増した。
目の前に投げ出されたルイズの華奢な体。
ほの暗く落とされたランプの明かりのせいで、その肌はほんのり桜色を帯びて、さらには自分の落とす影が揺らめくように映りこんで、甘く幻想的な雰囲気を漂わせていた。
じっと眺めているだけで、妙な気分に酔いそうになって、才人は慌てて頭を振って、正気を取り戻そうとした。
(こういうのって、自分の首を絞めてるって言うんだよな)
己の浅はかさを呪いつつ、拝んだらさっさと外に出よう。大丈夫。できる。そう自分に言い聞かせる。
そうだよな、ルイズの下着姿なんて見慣れてるし、洗濯だって数え切れない程しているし、だけど、部屋を暗くするのだけはちょっと反則だよな、と思う。
おかげでよけいに変な気分になってしまう。頼むよほんと。
文句をつけながら、才人はゆっくりと視線を下へとずらしていった。
すでに太ももまで露わになっているのを、さらにネグリジェを上へとたくし上げて、目的の場所を目の前に晒す。
息が止まりそうになった。
(なんだよこれ……)
間近でみると、想像以上だった。
ひもと思っていたのは細い光沢のあるリボンで、横で蝶々に結んである。軽く引っ張るとたちまちほどけてしまいそうだ。
そして両足の間、緩く起伏したあたりで、その細いリボンが、ごく小さな二等辺三角形を作っていた。その中を淡いピンク色の布地が埋めている。
よく見ればそれはレース地ではなくて、湖上に浮かぶ霧のようにうっすらと透ける素材に、小花模様を丁寧に刺繍したものだった。手仕事による繊細で上品なつくりは、さすがルイズが出入りするような高級店が扱う品だと、そこは単純に感心する。
けれども、その細やかな上品さとは裏腹に、その品の目的とするところは明らかだ。
「も……もういいでしょ?」
ルイズが体をよじりながら小声で尋ねてきたので、反射的に才人は顔を上げた。
「ねえ、どうなのよ。なんとか言いなさいよ」
ルイズは、なおもせかすように聞いてくる。何か言わないと許さないとでも言いたげだ。
どう答えようか。才人は迷った。
最初に見せられた時、似合うかなんて問われたけれども、清楚なイメージのルイズに「似合う」なんて感想は考えられない。といって「似合わない」と一蹴するのも違う気がした。
一見、清楚で純情そうなお嬢様が、脱がせてみたら実は凄かった、という図式を想像すると、これはこれでなかなかの萌えシチュエーションだ。
そして思ったことをそのまま言葉にすれば、やはり「Hだ」とか「変な気分になる」とかになってしまう。でもさすがにそんな言葉では、口にするなりルイズに何されるかわかったもんじゃない。それは冗談としても、少なくとも喜びはしないだろうし。
どう言えばルイズは納得するだろう。考えに考えた挙句、
「なあ、ルイズ。これ絶対に外では着るなよ?」
「え、どうして?」
「見えるし」
影になってよく見えない部分を想像しながら、言葉を濁して伝える。
「スカート短いし、まずいって」
すぐに理解したのか、ルイズは慌てて横向きに転がって、抱えるように膝を折り曲げた。
小さな三角形はするりと視界から逃げてしまったが、正直なところほっとした。
少ししょんぼりした声で、ルイズは言った。
「そ、そうよね。こういうの私には似合わないわよね。処分するわ……。着替えてくる」
そう言って起き上がろうとしたルイズを、慌てて手をかけて引き止めた。まだ続きがある。
視線を宙に泳がせながら、何気なく聞こえるように、ごく小さく呟いた。
「で、でも、俺はそういうの、嫌いじゃないけどな……。その、どっちかって言えば、好きかもしれない。だから、二人きりの時は許すから、別に捨てることないって。もったいないし」
とんでもなく照れながら言い終えた。顔が火照って熱い。
ルイズは首を傾げた。
「じゃあ、サイトはこういうの好きなの?」
「そりゃ、まあ」
「他の男の子も好きなのかしら」
「普通はそうじゃないかな」
「じゃあ、もし、もしね、他の女の子がこういうの着てたらどう? ほらメイドとか、姫さまとか。やっぱりサイトは嬉しい?」
その瞬間、ストレートにシエスタとアンリエッタ女王の姿が思い浮かんだ。ふわり風に舞うスカートの向こうに、白や紫のお花が咲き乱れる桃源郷。ついルイズが前にいるのも忘れて、想像の世界にトリップしかけた。
かろうじて水際で現実に引き返し、鼻を押さえて天を仰ぐ。
そして、ちらり、目の端でとらえたルイズの顔は……、微妙な具合に引きつっていた。
(ああ俺ってば、なんて正直な生き物なんだろう)
浮気を見つかった旦那のような心境で身をすくめて小さくなっていたら、ルイズの口からとんでもない台詞が飛び出した。耳にした瞬間固まった。
さ、さすがに冗談だよな。
そう思ったけれど、このやんごとなき公爵家三女のご主人様には、世間の一般常識など通用しない。まさかだけど、本気という可能性だってある。
「いいわ。私これ毎日着ることにする」
お嬢様は、得意げにそう抜かしたのである。さらに続けた。
「きっとあれね。男の子たちはみんな私に夢中になるわね。どうしよう。困るわ。私の方には少しもそんな気はないのに。でも……、そうね。たまには優しい言葉をかけてあげようかしら。だって可愛そうじゃない。私のような高貴な存在に憧れてしまう気持ち、少しは理解できるもの。ね、サイトもそう思うでしょ?」
顔をのぞきこんで聞いてくる。
いや、理解できるかと言われても……。
というか待て! それおかしいから! 深く考えるまもなく先に声が飛び出た。
「お、お前、じょ、冗談でもそんなことしてみろ」
確かに注目は浴びるかもしれない。
おそらくはルイズの描いているのとは違う意味で。果てしなく方向が間違っている。
それだけではない。まかり間違って、その気になる輩が現れたらどうするんだ。
なにしろ見た目はそれなりだ。子供っぽいとはいえ、そういう嗜好の人間が世の中に存在することも、酒場のアルバイトで証明済みである。
もしそんな奴が、さっきみたいなヤバい物を目にしたら……。
あらぬ行為に及ぶかもしれない。
その辺を歩いているルイズを、力任せに茂みの陰に連れ込んで、抵抗するのも構わずに手で口を塞いだりなんかして……、やっぱ服は脱がしちゃダメだよな。うん。じゃなくてとにかくあれだ。危険すぎる!
「したらどうするっていうのよ。またひっぱたくとか言うわけ?」
ひっぱたく? どこか聞き覚えのある言葉だった。
でもまさにその通りの心境だ。
「うん、ひっぱたく。だから絶対するんじゃないぞ。絶対に外でそんなもの着たらだめだからな」
子供に対して言い含めるように言った。
いくら貴族のお嬢様とはいえ、本当に世間知らずもいいところだ。
例えばキュルケならその辺り十分知り尽くして火遊びをするのだろうけど、ルイズは危なっかしすぎる。自分が監督して守ってやらないと、という気持ちにさせられる。
すると、ルイズは少し考える様子を見せ、さらに聞いてきた。
「だったら、他の女の子がそういうことしたらどうなのよ。同じようにひっぱたくの?」
「さ、さあ。忠告ぐらいはするかもしれないけど、ひっぱたきはしないんじゃないかな。大体そんな無謀なこと考えるのはお前ぐらいだって。とにかくな、もう少し自分を大切にして、自覚と慎みというものをだな……」
保護者モードで切々と諭していたら、
「ひっぱたくのは、私の時だけ?」
さらに追求してくる。
ちっとも人の話を聞いちゃいない。
「当たり前だろ」
むっとしながら答えた。
ふうん。ルイズは何を納得したんだかしてないんだか、じいっと黙りこんだ。
それから、唐突に口を開いた。
「ねえ、一つだけ聞くから答えてよね」
一つだけというか、とっくに質問攻めなんですが。
するとルイズはすいっと両腕を伸ばして、首に回して絡めてきた。
大きな瞳で、上目づかいに見上げてくる。
「ちゃんと答えてくれたら、なんでも好きなこと許してあげる。だから今度は正直に答えてよね」
甘く潤んだ娼婦の声で、囁く。
心臓が跳ね上がり、痺れたように動けなくなった。
自分を落ち着かせようと、目をつむって、深呼吸して、もう一度目を開けたら、そこにあるのはいつものルイズの顔だった。
「う、うん。なに?」
からからに乾いた口で答える。
「あのね、どうして私ならひっぱたくの? ご主人さまを使い魔がひっぱたくんだから、ちゃんと理由言ってよね」
思い出した。
あれだ。妖精亭でアルバイトをしていた時に、屋根裏部屋でルイズが口にした台詞。
一言一句たがわずに、そっくり同じ台詞。
『ご主人さまを使い魔がひっぱたくんだから、ちゃんと理由言ってよね』
チップを集めるために、客を誘惑する、全部許すなんてルイズが言うもんだから、つい、そんなことをしたらひっぱたくって言ってしまったんだ。
そうか。あの理由を聞いているのか。
でもその理由ってもう……。
「言ったじゃん。前に」
顔をそむけて呟く。
「うそ。言ってないわよ」
「言ったの。お前が覚えてないだけ」
「なによ、ごまかさないでよ。もし聞いてたら絶対忘れないもの」
「だから、あのアホ役人がお前に触ろうとしたとき……」
「え?」
あれは勢い余ってたから言えたんであって、面と向かって口にできるわけがない。
絶対に言わねえぞ、と黙り込んでいたら、
「そういえば、あんた犬のくせに随分なこと言ったわよね」
やはり覚えていたらしい。
そう言うルイズの顔はほんのり赤くて、なんだかとても嬉しそうだ。
「ねえ、もう一度言いなさいよ。聞いてあげるから」
「いやだ」
「なによ、言いなさいってば。ご褒美欲しくないの?」
「シエスタが戻ってくるんだろ。それに」
あ! 二人同時に声をあげた。
「やべ、すっかり忘れてた。戻らねーと!」
「バ、バカ! 何やってたかって勘ぐられるじゃない! さっさと行きなさいよ!」
枕でぼふぼふ殴られた。
『ルイズに触っていいのは俺だけだ!』
確かに勢いだったけどさ。
でもあの時は本気でそう思ったんだ。
+ + +
寮塔の入り口を出ると、冷えた風が体を包んだ。
見上げると、双月の位置がすっかり変わってしまっている。
あれから少なくとも1時間は経っているだろう。
再び走り出そうとして……、その前に念のためにと、才人はポケットに手をつっこんだ。
探ると、それはちゃんと存在した。
取り出して月明かりに透かしてみる。
淡く輝くそれは、月の光を紡いだ糸のように見えた。
やっぱり同じだと思った。
ちょっと照れくさくなって鼻の下をこする。
暗くてよくわからなかったけれど、きっと同じ色をしていた。
もう一度、失くさないようにポケットに入れると、才人は溜まり場に向かって駆け出した。
みんなには悪いけれど、明日はまっすぐにルイズの部屋に戻ろうと思った。
+ + +
一方、水精霊騎士隊の溜まり場では。
いつまでたっても帰ってこない副隊長を酒の肴に、大いに盛り上がっていた。
「さて、我らが副隊長殿は戻ってくると思うかね?」
ギーシュの問いに、
「帰らない方に1スゥ」
コインが音をたてた。レイナールだ。
「じゃあ、俺も帰らない方に1スゥだな」
「俺も、帰らない方」
俺も俺もと、次々とコインが投げられて、テーブルに山を作った。
それを見た誰かが文句を言う。
「なんだよ。全員が帰らない側じゃ、賭けにならないじゃないか」
「だよなあ……」
ほぼ全員が、同時に頷いた。
なにしろ才人のご主人様であるルイズが、自分たち騎士隊のことを快く思っていないことは、もはや周知の事実だ。
恋のライバルと言わんばかりに、目の敵にしている。
そしてこれだけ時間が経っているのだ。
捕まってしまったに違いないと、皆が考えるのも道理であった。
そんな空気の中、ちっちっと舌打ちをする者がいた。ギーシュだ。
「まったく君たちはわかってないな。うちの副隊長は、恋人とはいえ、たかが女のために、友情を疎かにするような人間ではけっしてないよ。実に男気あふれるやつだからね。たとえ這ってでも戻ってくるはずさ。この僕が保障する。僕は彼を信じているよ。ああ信じているとも」
そう言うなり、テーブルにあるのと同額のコインを懐から取り出して、山の隣に積み上げた。
ギーシュのそんな振る舞いに、隊員たちは感動のため息をもらした。
彼のような隊長の下につけることを誇らしく思った。
それから、誰かが思いついたように言い出した。
「しかし、サイトは大丈夫かな。ひどい目に合わされてなければいいけど」
なるほど相手はあのルイズである。これまで彼が受けてきた仕打ちを思い出して、みな心配になってきた。もしや動けないほどきつい仕置きを受けているんじゃないだろうか。
「よし全員でミス・ヴァリエール嬢の部屋に突撃しようぜ! サイトを救い出すんだ!」
意気込んで叫んだのは、マリコルヌだ。
「ばか、女子寮だぞ。入れるわけないじゃないか」
「そうだよ、ぽっちゃり〜」
けんもほろろに却下された。がっくり肩を落とす。
それどころか、
「だいたいお前があんな要求するから悪いんじゃないか」
と誰かが思い出させて、矛先がマリコルヌへと向けられた。
おかげで哀れなマリコルヌはしたたかに皆から小突かれることになった。
そうやって皆が騒いでいる一方で、ギーシュはといえば真剣な面持ちで祈っていた。
(どうか無事に戻ってきておくれよ、サイト)
切実な気持ちでテーブルに目をやる。
そこに積まれたコイン。それはギーシュにとってはちょっと辛い金額であった。
もし万が一にも才人が戻って来なかったら……。
その時は才人に全額請求してやろう。ギーシュは心の中で誓った。
〜FIN〜