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Last-modified: 2008-11-10 (月) 22:55:07 (5637d)
マリコルヌの冒険(その2) 痴女109号氏
「なあギーシュ、訊きたい事があるんだけどさ」
「ん?」
「モンモランシーとはもう、ヤったのか?」
「ッッ!?」
その瞬間、ギーシュ・ド・グラモンは、口にしていた水を反射的に吐き出した。
「ごほっ、ごほっ、――何を言い出すんだ君は、いきなりっ!?」
その慌て方を見て、マリコルヌは、
(どうやら、まだみたいだな)
と、思った。
無論、胸中に呟いたのは、その一言だけではない。
――この二股ヤロウが……!
という、吐き捨てるような悪罵も、当然含まれている。
いま彼らは、アンリエッタ暗殺計画を未然に防ぐ、という名目で、王宮警護の任に当たっている。
――といっても、正式な訓練を受けてもいない貴族学生に過ぎない彼らは、さすがに城中の警護や大手門の門衛には編成されなかった。いや、王宮警備に廻された者たちもいたが、話によると、そこでもやはり雑用程度の役割しか与えてもらえないらしい。
悔しいが、――しかし、それも仕方が無い。
手柄を立てるチャンスを貰えただけでも、良しとすべきであろう。
なんせ、王宮の警備状況といえば、アリ一匹入り込む隙さえない、完璧なものであったからだ。
宰相マザリーニは、この女王陛下暗殺計画の噂に、ことのほか神経を尖らせたらしく、銃士隊のみならず学級閉鎖状態の魔法衛士隊、さらには王都在府中の諸侯たちの私兵すら動員し、トリスタニアの城下町を、ほぼ戒厳令下に置いていた。
さらに噂では、宰相は予備兵力として、予備役の召集はおろか、徴兵令の発令さえ考えているらしいとまで聞こえて来る。
暗殺計画とやらを、どこの賊が画策したかは知らないが、ここまでガチガチに警備を固められては、もはやどうしようもあるまい。――警備に参加したすべての者がそう思っていた。無論、それは水精霊騎士隊の少年たちにしても例外ではない。
「だいたいマリコルヌ、何できみがモンモランシーの事なんか訊くんだ?」
そう口を尖らせるギーシュに、マリコルヌは答えない。
「腹減ったな〜〜」
はぐらかしながらマリコルヌは壁にもたれると、そのままずるずると座り込んだ。
「……真面目にやれよ」
ギーシュが苦々しげに言うが、マリコルヌは頭を掻くばかりだ。
「いいじゃないか。誰も見てないんだから」
それにここは――掘っ立て小屋とはいえ――門衛責任者のための隊長室だ。ノックも無く兵たちが無雑作に入って来れる空間ではない。
彼らは今、王都北西部にある、城門の一つの警護を任されている。
城門と言えば聞こえはいいが、城塞都市トリスタニアの外郭部に点在する物資搬入門の一つに過ぎず、しかも街道からは全くの反対方向に位置するために、実際には人や物資の通行もほとんど無く、堀にかける跳ね橋の鎖も、赤く錆びあがっているような有様だった。
城壁の外には無限の荒野が広がるばかりで、侵入者どころか猫の子一匹見かけない。今度の事件があるまで、門の衛兵たちの日課と言えば、詰所で酒を飲むか、堀でのんびり魚を釣るくらいだったというのも、うなずける話である。
王都トリスタニアの本丸御殿――いわゆる王宮と呼ばれる場所からすれば、こんな城門など僻地もいいところだ。あくびが出るのも仕方が無いだろう。そうマリコルヌは思う。
もっとも彼らは、一応は十人以上の兵卒を率いる立場なので、ギーシュがにがい顔をするのも無理はない。ただでさえ学生ということで兵たちに舐められがちなのに、こんなやる気の無いところを彼らに万一見られたら、本格的に示しがつかないからだ。
だが、任務を負って、今日でほぼ二週間。
下手をすれば、魔法学院にいるよりも平和な日常は、彼らに士気を維持させるための努力を、おびただしく要求した。
「なあマリコルヌ、きみはなんだ、その、……モンモランシーから何か聞いたのかい?」
声を上ずらせて、それでも必死に狼狽を抑えているギーシュは、苛立ちの中に媚びを含ませた微妙な表情で、マリコルヌをみる。後ろ暗いところがあるというのは理解できるが、客観的に見ても、これは少し動揺しすぎであろう。
(よく、これだけ嘘もつけないくせに浮気なんかしやがったよな……)
そんなギーシュを見て、マリコルヌは少し憐憫に近い感情さえ湧いてしまう。
モンモランシーは、トリステインの貴族女性の例に洩れず、プライドだけは人一倍高い。
ましてや(ルイズほどではないが)かなり問答無用のカンシャク持ちなので、彼の浮気の事実が明るみに出れば、間違いなく破局か、――もしくは死ぬほどの折檻をギーシュは喰らう羽目になるだろう。
ギーシュの浮気の相手は、ケティ・ド・ラ・ロッタ。
もっとも彼女とは学年が違うという事もあり、マリコルヌは、ギーシュほどにはケティという少女を知らない。
かつてギーシュとの仲を噂されたこの少女が、決闘騒動で彼が平民に負けるやアッサリギーシュを捨て、アルビオン戦役で才人がシュヴァリエに叙勲されると、“女子援護団”なるファンクラブを結成し、ギーシュの眼前で、ぬけぬけと才人に手焼きのクッキーを送った少女。
その女子援護団なる集団も、いつぞやの女風呂突入事件以来、掌を返したかのように自然消滅してしまったが。
――マリコルヌは、ケティがどういう人間かは知らない。だが、やはり彼の視界には、ミーハーと言うより単なる無節操な女としか映らなかった。
彼のような男女交際に無縁な男の立場から言わせれば、プレイボーイは嫉妬というより憎悪の対象であるが、尻軽女はむしろどういう感情の対象にもならない。
外見や称号やらで男を選ぶ女が、自分のような男に関心を持つわけが無いし、そんな“見込みの無い女たち”を気にかけることほど無意味な行為は無いからだ。
無論、世間の大多数は、そういう女で占められている事も知っているし、そんな女たち相手でも、決してモテたく無いわけではない。だがやはり、マリコルヌのような男たちが望むのは、――それでも自分ひとりを無条件に愛してくれる女なのだ。
その証拠というわけではないが、かつてマリコルヌは、コルベールに惚れる以前のキュルケに全く興味を持てなかった。たとえ男と見れば誰とでも寝る放埓な女に見えても、彼女は絶対に“おれ”を選ばない――マリコルヌは勘で、それを理解していたのだ。
女性に縁が無いからこそ、女性に理想を追求してしまう。それを間違っているとは思わない。……そういう初心な一面こそが、彼の身に宿る妄想と欲望の屈曲率を、いよいよ深化させてゆくよすがとなっている事まで、彼自身は気付いてはいないだろうが。
話を戻そう。
そんなケティが、どういう経緯でギーシュとヨリを戻したのかは知らないが、使い魔クヴァーシルによる「深夜の巡回」の最中に、マリコルヌが、ケティとギーシュの逢瀬を目撃したのは事実だ。
そして、使い魔の視界に彼らが入った瞬間に、マリコルヌは二人の関係がいかなるものを理解してしまった。なにせ二人は、深夜の校舎の片隅で、あられもない声を上げながら、サルのように性行為にふけっていたのだから。
「…………」
さすがのマリコルヌも、しばしその眺めに絶句したが、喜悦の声を上げながら男の胸に顔を埋める少女の姿に、――いや、それ以上に、何かに勝ち誇ったような顔で少女を貫く友人に、言いようも無い不快感を覚えたものだった。
だが、まあ翌日になるや、ギーシュのあまりの挙動不審さに安心したのも事実ではあるが。
「別に何も聞いちゃいないけど、なんでそんなに動揺してるんだよ?」
白々しくも、訊いてやる。
ギーシュは顔を青くしたり赤くしたりしていたが、
「……いや、聞いてないなら別にいいんだ」
と言って、壁にもたれて座り込んだ。
そんな彼を、マリコルヌは、
(このバカたれが)
と思いながら、見ていた。
魔法学院入学以来の付き合いだから、決して親友と呼べるほど交誼を結んだわけではない。だが、それでも、同じく生死を共にした仲間として、マリコルヌはギーシュに確かな友情を感じている。
だからこそ思う。隠し切れない浮気なら、とっととやめちまえばいいのに、と。
クヴァーシルの「巡回」によって、ギーシュとケティの二人が夜中の教室で、三日とあけずに身体を重ねている事は知っている。積極的なのは少年ではなく、むしろ少女の方である事も。
そして、関係が深まれば深まるほどに、ギーシュの挙動不審さは級数的に加速していった。日頃の授業や騎士隊の訓練に、ではない。恋人であるはずのモンモランシーへの態度にである。
モンモランシーに何かを聞いたのか、とギーシュは尋ねたが、恋人の態度に疑問を抱いた彼女が、ギーシュのことを水精霊騎士隊の面々に訊いて回っていたのも本当なのだ。もっともモンモランシーの頼みで、その事実を皆が口にすることは無いが。
王都に出張して、今日でほぼ二週間。
ケティとのほとぼりを冷まして、関係を打ち切るには充分な時間のはずだとマリコルヌは思う。
これ以上、この不器用な友人が苦しむのを見るのは、マリコルヌとしても忍びない。何よりモンモランシーがあまりに可哀想だ。
だが、客観的に見れば、ギーシュの壮絶なる自業自得だし、なんのかんのと年下の少女の肉体をコイツが自由にしている事実は変わらないので、殺意混じりの嫉妬が疼くのも、まあ、やむを得ないと言えるだろう。
――こんな事で悩めるきみが羨ましいよ。
とは、さすがにマリコルヌも言わない。
羨ましいといえば、無論“女性問題”で悩めること自体、マリコルヌにとっては大いなる羨望の対象なのだが、しかし、この際それは言うまい。
本当はマリコルヌにも分かっている。
自分が、いま口にも出せず頭を抱えている懸案に比べれば、ギーシュの浮気など、歯牙にもかける価値すらない、まったくの些事なのだということが。
ネフテスのビダーシャル。
深夜の学長室に出現した、あのエルフ。
あのエルフがオールド・オスマンと何を話していたかは分からないが、あのエルフが自分の使い魔たるフクロウのクヴァーシルの姿を目撃しているのは事実なのだ。
ならばエルフが次にどういう行動を取るかは容易に想像がつく。フクロウを使い魔として使役するメイジを学院関係者の中から洗い出し、目撃者を特定しようとするだろう。つまり、あのエルフが、いつ自分の前に姿を現してもまったく不思議ではないのだ。
(かりにも一校の教育者の長が、自分の生徒を殺すことに同意するはずがない)
――とは、当然マリコルヌは思わない。
むしろ、オスマンの方が積極的に、目撃者の口を封じようとするはずだ。
貴族の子弟を預かる国内随一の名門・トリステイン魔法学院の学長たる者が、人類の敵対種たるエルフと会談していたなどという事実が明白になれば、彼の失脚を不動のものとするには、充分すぎる醜聞なのだから。
そう考えれば不思議なもので、普段の飄々としたオスマンの態度まで、たまらなく不気味なものに思えてくる。無論、一介の生徒でしかないマリコルヌは、齢三百と謳われる学院最高責任者の人格など何も知らない。ただ、卓絶した助平ジジイだという噂を聞くのみだ。
しかし、思い返せばフーケを秘書に雇ったのも、異端審問まがいの騒動で殺されそうになっていたティファニアを前にして、一件落着するまで敢えて無言を通したのも、あの老人だ。何を考えているのかなど、想像のしようもない。
だから、マリコルヌは、あの晩見た光景を誰にも話していない。
そもそもエルフの目撃譚を話すためには、自分が使い魔を使って、覗き行為を繰り返している事実を、話の前提として暴露せねばならない。
いや、重要なのはそこ――これはこれで、放校処分モノの犯罪ではあるが――ではない。
誰かに話せば、噂が回り回ってオスマンの耳に入る可能性も在る。そうなれば噂の出所など、いとも簡単に手繰られてしまうであろう。そうなったらもう、逃げも隠れも出来ない。
わざと事件を起こして自宅謹慎処分を命じさせるとか、何も言わずに黙って出奔という手も一応は吟味してみたが、……よくよく考えて見れば、それこそ『ボクはこの学校にはいられない理由があります』と自白しているに等しい行為なのだ。実行できるはずがない。
そういう意味では、この女王陛下暗殺計画の一騒ぎは、マリコルヌにとって、文字通り、渡りに船だった。
使い魔クヴァーシルの無事は確認してある。
エルフの一睨みで気死してしまったかと思ったが、主のマリコルヌとは違い、何事も無かったかのようにピンピンしていたので、鳥かごに入れて王都まで連れて来てある。いまは王都付近の森でぐっすり眠って夜を待っているはずであろうか。
さすがに王都にまで来て、覗きはしていないが。
「あれ?」
ギーシュが、むくりと体を起こす。
「どうした?」
「聞こえないか? サイトの声がする」
「サイト?」
立ち上がったマリコルヌは、からりと窓を開け、頭を外に出す。
いた。
才人が門衛警備の兵卒たち相手に何かを話している。
(相変わらずマントが似合わないヤツだな)
何故こんなところに才人がいるのか、ではなく、マリコルヌの頭を最初によぎった思考は、それだった。
後頭部にフードが着いた、青と白のツートンカラーの厚手の上着。その上から貴族の証しである黒いマントを羽織り、さらにその上から腰まで伸びる長剣を、たすきがけに背負っている姿は、確かに初めて見る者には奇妙すぎる風体であろう。
マントを羽織っているが杖を持たず、剣を背負っている。――かといって、どう見ても銃士隊には見えない。銃士隊の隊士は全員が女性だし、なにより甲冑すら身に纏っていない少年が、体格に合わぬ剣を背負っていても、一人前の剣士には到底見えない。
そんな彼が、兵たちに向かって自分たちの責任者を連れて来てくれと言ったところで、胡乱な目で見られるのがオチだ。
(相変わらず世間慣れしないヤツだな)
マリコルヌは、苦笑いする。
水精霊士騎士隊の平隊員の一人でも同伴していれば、それで済んだ話なのに。
「サイトが兵たちに絡まれてる。早く行ってやろう」
そう言って、二人は小屋を出た。
「ああ、隊長殿」
ギーシュとマリコルヌをじろりと見たのは、兵たちを実質的に束ねている、デニムという中年男だった。
「あの頭のおかしいガキが、イキナリやって来て、あんたたちに会わせろって言い出すもんだから、往生してたところなんですよ」
「なっ、なんだとぉ!?」
それを聞いて才人が反射的に怒鳴り返す。
頭がおかしいとまで言われて、さすがにカッとしたのだろうが、しかしデニムがそう言うのも、ある意味仕方がない。この、いかにも育ちの悪げな黄色い肌の少年は、たとえマントを羽織っていても、やはり平民以外の何者にも見えないのだから。
苦笑を抑えながらギーシュが、
「ああ諸君、彼は僕の客だ。無礼は許さんぞ」
「じゃあ、いいんですかい? 通しちまって?」
「ああ。――で、悪いがデニム、紅茶を三人前いれて、隊長室まで持ってきてくれないか?」
「へえ。では、さっそく」
そう言うとデニムは去り、兵卒たちも思い思いに散っていった。
「あああっ!! 胸くそ悪いなまったく!!」
吐き捨てるように言うと、才人はデルフリンガーを外し、兵たちの後ろ姿を睨む。
「だから言ったろう相棒。知らない人の前じゃ、せめてマントの似合う服に着替えろってな」
「俺の服はこれ一着だ!! 着替える必要なんかあるか!!」
「強情だねえ相棒も。貴族の娘っ子に言やあ、服なんか今すぐにでも買ってくれるだろうによ」
そんな漫才を続ける剣と少年のコンビを見ながら、ギーシュもマリコルヌも、笑いを噛み殺すのに必死だった。
「ご機嫌斜めだなサイト。デルフ、彼に何かあったのかい?」
ギーシュが、「隊長室」という名の掘っ立て小屋の扉を開き、久しぶりに会った友人を仲に招き入れながら、尋ねる。
「ああ、それがな――」
「言わなくていい!!」
「相棒のヤツ、王宮で大立ち回りをやらかしやがってな」
「へえ!? そりゃ面白い!!」
思わず目を輝かせたマリコルヌを、才人はじろりと睨み、
「お前を面白がらせるために暴れたわけじゃねえよ」
と、噛みつくように言った。
才人の担当は、王城本丸最奥部にあるはずの女王の奥座敷。
つまり、アンリエッタが私生活を送るはずの場所。
いまのトリステイン王家には、嫡出妾腹を問わず男子はいない。女王アンリエッタと太后マリアンヌがいるのみだ。――つまり、たとえ護衛とはいえ絶対の男子禁制区域として在るべき空間。
現に銃士隊結成までは、城中の警護責任者たる王宮魔法衛士隊や、官僚の首脳たる宰相マザリーニでさえ入室を禁じられた、いわば国家最大の禁域。
無論、王室のプライベートエリアだからという理由で警護が配置できないなら、それまでセキュリティはガラ空きだったのかと言うと、さすがにそうではない。腕利きの女性メイジたちを女官や奥女中として配し、充分すぎる護衛が、王家の私邸を守っていた。
そして、才人が配置されたのは、まさにそんな、江戸城大奥のごとき、女の城。
――何を目的に、彼がそんな場所に配されたのか、まさに問うまでも無く明白だった。
さすがに外聞を憚って、彼の配置場所は「銃士隊長アニエスの助勤」ということになってはいる。水精霊騎士隊の仲間たちはおろか、ルイズにさえ秘さねばならない「護衛」である。……まあ、ある意味、女王陛下の心身を彼ほど“慰めている”護衛もいないだろうが。
彼がトラブルを起こしたのは、そんなある日。
目立たぬように、アニエスとともに城の奥へ向かっていた時。
「別に大した事じゃねえよ。こないだ城に上ったときに、初めて顔を合わせた貴族にイチャモンつけられて、『そのマントは何処で盗んだモノじゃ』とか言われたもんだから、かっとなって張り倒してやったら、大騒ぎになってな……」
ぽつりぽつり、呟くように言う才人の言葉に、むしろ唖然となるのは二人の方だった。
「かっとなって張り倒したって……相手は?」
「バーガンディ男爵とか言ってたっけ。……いや、侯爵だったかな?」
ギーシュとマリコルヌは、その言葉に凍りついた。
「バーガンディって、あのバーガンディ伯爵かい!? そんな方を相手に暴力を振るったのかい!?」
「え? その人えらいの?」
キョトンと訊き返す才人を見て、マリコルヌは、むしろ爆笑した。
「なっ、なんだよっ!? 喧嘩売られたのは、むしろこっちなんだぜ」
いや、笑っているのは、マリコルヌだけではない。ギーシュも苦笑を隠さず、呆れたように言う。
「東部の名門バーガンディ伯爵家も、虚無の使い魔ガンダールヴにかかれば形無しだな」
「売られた喧嘩を買うことと、ガンダールヴは関係ねえっ!!」
才人は叫んだ。
「――で、結局きみの用件は何だったんだい?」
デニムが淹れてくれた紅茶を飲みながら、ギーシュは尋ねる。
この門に詰めている兵たちが飲む紅茶らしいが、茶葉は古く、おまけに安物で、ハッキリ言って舌の肥えた貴族の少年たちには、顔をしかめずに飲める代物ではなかったが、それでもないよりはマシだった。
兵卒たちならばともかく、一応は責任者である自分たちが、こんな昼間から酒を飲むわけにはいかないからだ。
「あ、そうか」
それを問われて、初めて才人は目的を思い出したようだ。
「これ、預かってきたんだ」
そう言いながらポケットから取り出したのは、一枚の手紙。
「こないだ面会に来たルイズから受け取ったんだがな。――確かに渡したぞ」
それを、才人から手渡されたギーシュは、ぽかんとしていたが、差出人の名を見て、びくっと怯えたような表情をした。
そこには、モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ、と書かれてあった。
「モンモンのヤツ、なんだかんだと寂しがってるそうだぜ」
「そうか……ぼくがいなくて寂しがってるのか、モンモランシーは……」
少しだけ嬉しそうに頬を染めるギーシュを、このこの、と言いながら指で突付く才人。
さんざん浮気しまくってるくせに、本命の女の子には指一本触れられない根性なし。
――マリコルヌは、そんなギーシュを見ながら、いささか複雑な気分にならざるを得なかった。自分がたとえどうなろうと、この身の心配をしてくれる異性など、何処にもいはしないのだ。
(あいつくらいは心配してくれるかな?)
去年の帰省以来、顔を合わせていない妹を思い出すが、――妹萌えの概念を知らないマリコルヌにとって、妹はしょせん妹でしかない。
「ああ、そうだ。おまえにはこれだ」
「え?」
多少驚きながらマリコルヌは、才人が取り出した新たな封筒を受け取る。
宛先はマリコルヌ・ド・グランドプレ。
差出人の名は無い。
マリコルヌの目が、反射的に見開かれた。
「サイト、これって、まさかラブレター、か?」
うわずる肥満児に才人は笑う。
「知らねえよ。勝手に中見てよかったってんなら、事前に確認してやったんだがな」
「ル、ルイズは、誰から預かったって?」
「俺に面会に来る前日に、ドアに挟んであったそうだ。だから、どんな美人かは知らねえってよ」
「おいおい、やっと春が来たじゃないかマリコルヌ!!」
ギーシュも黄色い声を上げる。
そんな友人たちに言葉を返す余裕も無く、マリコルヌはあわただしく封筒を破り、便箋を取り出し、――そして、心臓を鷲掴みされたような表情のまま凍りついた。
「マリコルヌ・ド・グランドプレ
この手紙を読んで、二日後の正午に、使い魔を伴い学院長室に出頭する事を命ずる。
トリステイン魔法学院学院長オールド・オスマン」
手紙には、そう記されてあった。