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Last-modified: 2008-11-10 (月) 22:55:40 (5637d)
我が家はメイドお断り ぎふと氏
「なんとか卒業までには間に合いそうだな」
「そうね。客室やお庭は後で構わないし。食事と寝床さえあれば、とりあえずは十分よね?」
「二人きりを邪魔されなければ、もうなんでもいいよ。なあルイズ〜」
「……って、ちょっとこら、なにすんのよ」
「週末さ、買い物に行こうよ。家具とか日用品とか、服も」
「……や……だめ、そこだめッ」
「いろいろと、けっこう物入りだよなぁ。金足りっかな」
「……し、使用人は、どうするの?」
「それもあったな。どうしようか」
「……私の実家に言って、はうッ、身元のしっかりした人、あんッ、紹介してもらう?」
「それいいな。頼める?」
「も、もちろん。……あ、でもっ」
そこでルイズは言葉を切った。それから真顔で、
「メイドだけは要らないわ」
きっぱり宣言した。
+ + +
満天の星空の下。夜風をつっきって飛ぶ一匹の風竜がいる。
その背にひしとしがみついているのは、黒髪の少年。ルイズ・フランソワーズが使い魔、平賀才人である。
王宮での仕事を終えて、自宅への帰り道。
おりしも通り過ぎた強い突風に煽られて、才人は嘆きの声をあげた。
「うひぃ! さみーって! 冷えるって! 凍死しちまうよ!」
上空はるか三千メイル。
首を伸ばして下界を見下ろせば、鬱蒼とした森が黒々と広がるばかり。
落ちれば確実に命はない。握りしめる手綱が文字通り、唯一の命綱だ。
「なあ頼むから、もっと風とか乗り心地とか考えて飛んでくれよ!」
声を張り上げて、才人は哀願した。
「俺が魔法使えないの知ってんだろ! 風を避けたり宙を飛んだりなんて芸当俺には無理なんだよ!」
風竜は頭を才人の方に向け、笑うように歯をむき出した。魔法を使えないお前が悪いと言わんばかりの態度に、才人はむっとする。
「なんだよ魔法、魔法ってそんなに偉いもんかよ。俺なんてガンダールヴだぜ。伝説よ? 七万の敵を止めたことだってあるんだっつの。お前そんな大軍見たことすらないだろ」
返答なし。
残念なことにドラゴンは人語を解さないのだ。
それでも構わずに才人は続ける。
「別に尊敬しろとまでは言わねーよ。言わねーけどさ、ちっとは認めてくれてもいいと思うんだ。だいたいお前だって、俺を認めたからこそこうして乗せてくれてんだろ? ま、とてもそんな風には見えませんけどね」
寒い上に、体はへとへと。今にもまぶたが落ちそうだ。
だが寝てしまえば、天国行きのチケットを手に入れてしまうこと間違いない。
だからせめて口だけでも動かしていようと、才人はひたすら無意味な一方通行の会話を続けているのだった。
タバサの使い魔シルフィードの口利きで、毎日の王宮への行き帰りを、成体のこの風竜の世話になるようになってからすでに二週間以上が経つ。
ところがこの誇り高く長命な種族は、容易に馴れ合おうとはしない。
契約だから仕方なく相手してやってるんだと言わんばかりの、鼻持ちならない高慢ちきな態度は、まるで出会った頃の誰かさんのようだ。
今じゃすっかり懐いた仔猫のようなピンクのもふもふ。その姿を思い出し。
あーあ、と才人は低く呟いた。
「じゃじゃ馬ならしなんてもう二度とごめんだよ」
竜は、風をつかまえるべく大きく身をくねらせた。ぐんとスピードが上がる。
才人の体が風圧で浮き上がった。
吹き飛ばされそうになりながら、才人は目をつむりひたすらに耐える。
一時間。それだけ我慢すれば至福の時が待っている。
「新婚さん新婚さん新婚さん……。メイドメイドメイド……」
一心に唱える。
木の枝にひっついている枯葉のように、才人は竜の背の上ではためき続けた。
才人とルイズの屋敷は、ラ・ヴァリエールの領地の隅っこにある。アンリエッタ女王のおわすトリステイン王城に最も近い側である。
「親の監視下に置かれるなんて、冗談じゃないわ! もう子供じゃないのよ!」
当初ルイズは猛反対した。
しかし『虚無』でありかつ『第二の王位継承者』でもある人物の身の安全を考えた王室側の思惑と、可愛い末娘を手近に置いておきたいというルイズの両親のたっての希望とが合致して、この場所に住むように強く勧められた。
アンリエッタ女王からも、「それでは王城内で暮らした方がよいのですか?」と説得を受け、渋々ルイズは折れたのだった。
もとより才人の方は賛成である。四六時中ルイズの傍にいて守ってやれるわけではない。『安全』という二文字は彼の望みでもあった。
そしていざふたを開けてみると、この提案は別の意味でも利点があった。
無償で土地を手に入れたために、予算に余裕ができ、城とは呼べないまでもかなり立派な、実にルイズ好みな屋敷を建てることができたのである。
本館は二階建。
横に長いスタイルで、青い屋根に白壁の優雅で瀟洒な佇まい。
正面には広い車回しと薔薇の咲き乱れる花壇があり、それを囲むようにオレンジやレモンといった果樹が植えられている。
横手にはゼロ戦やドラゴンが着陸できる広いスペースが設けられており、裏手に回ると、散歩するに十分な広さの庭園が広がっていた。ゆるゆると続く小道沿いにはひなぎくやおだまき草、すずらん等の季節の花々が植えられて目を楽しませる。
さらに先を行くと、小舟の浮かぶ池や、足休めの東屋が配されていて、ルイズはそれらをとりわけ気に入っていた。
休日の穏やかな午後、そんな風景の中にいるルイズは、花の妖精のように眩しく愛らしく目に映って、才人はつい、ヴァリエール家に新設された“マンティコア自衛団”が上空から自分達を見張っているのも忘れて、ルイズの小柄な体をぎゅっと抱きしめてしまうのだった。
さらに敷地内には、本館とは別に厩や使用人専用の宿舎まであって、二人の新居は貴族の邸宅としてはなかなかの体裁を整えていた。
そんな我が家を上空から見下ろすと、砂漠の中のオアシスのように、森の中でそこだけがぽっかりと、抜き型でくり抜いたように浮き上がって見える。
その灯りの暖かさに、才人はほっと息をついた。
まだ住み始めて僅かだけれど、すっかり住み慣れた自分の城である。
風竜はぐるり円を描いてから、静かに着地した。
主人の帰宅は、遠目のきく訓練されたフクロウによって報されていて、使用人が玄関先に並んで出迎えてくれていた。
皆かなりの年配……、それも年寄りといってもいい年齢の者ばかり。
唐突に、子供の頃に家族旅行で訪れた温泉旅館を思い出す。その玄関先で従業員から一斉に頭を下げられて、なんとも言えない居心地の悪さを感じたが、今もそれと似た感覚を覚えながら、竜の背から降りていると、
「おかえりなさーい!」
上から声がした。
見上げると、屋敷の二階の窓から桃髪の少女が身を乗り出して、ぶんぶん両手を振っている。
「ルイズ!」
才人は嬉しそうな声をあげた。
頬を上気させて手を振る少女の姿は、美しい西洋風の館とあいまって、ソフトフォーカスがかった映画のワンシーンを思わせる。
腰まで届く波打つプロンド。宝石のように煌く大きな瞳。
こんな距離からでも容易にわかる。
まぎれもなくルイズ・フランソワーズは極上の美少女だった。
いやはやこんな可愛い子、映画の中やゲームの中でだって早々お目にかかれない。
ファンタジー世界万歳である。
そんな少女の頭を飾るのは、白のカチューシャ。
体を包むのは、漆黒のワンピースに、レースひらひら純白エプロンドレス。
さて問題です。この衣装はなんでしょう? 答え。萌え装備の究極系。またの名をメイド服と言います! ああ俺ってば天才! 才人は歓喜と自己満足にひたりながら、すくと仁王立ちで両腕をいっぱいに広げた。
「ルイズ、たっだいまー!」
「行くわよ!」
少女は勇ましげにそう言うと、杖を掲げてなにやら呪文を詠唱した。片足をひょいと窓枠にかけて、軽やかに飛び上がる。
ひらりそのまま宙を舞う。
桃色がかったブロンドが、広がってなびく。
これがもし背中に羽でも生えていて、鳥のように軽やかに降りてくるのであれば、まさに天使といった風情なのだが……、しかし少女は見事に重力の法則にもとづいて、急降下で落ちてきた。
目もくらむ衝撃とともに、その体を才人は全身で受け止めた。いや無残に押しつぶされたといった方が正解か。
ともかく才人はルイズの下敷きになったまま……、切なげに漏らした。
「お前さ、俺のこと生身の人間だってわかってんの?」
「わかってるわよ!」
ルイズは痛みに顔をゆがめ、悔しげに拳を震わせる。
「いい、見てなさい? 明日はしっかり決めてみせるんだから。ヴァリエール家の娘たるもの『レビテーション』ぐらい使えないわけがないじゃない。次こそは、かろやかに、ぱあっと飛び込んでみせるわよ!」
「諦める気、ない?」
念押しに聞いてみたが、
「聞くだけ無駄!」
軽く一蹴されて、才人は諦めて肩を落とす。
まあ、いいけどさ。こういうのが子供の頃からの夢だったと言われれば、我慢して付きあってやるほかはない。
その程度の度量は持ち合わせているし、それに自分だって似たようなもの。見合う以上の報酬はしっかり頂いているのだからして……。
「ほらほらほらぁ」
いきなりルイズが甘え声に変わった。
「なんだよ」
「だからぁ、帰ってきたらぁ、まず言うことあるでしょ」
指でぐりぐりと才人の胸をつつきまわす。
「もしかしてあれ?」
「そうよ」
「言わなきゃだめかな」
「当たり前じゃない」
仕方ないなぁ、と才人は、こほんと咳一つ。
「ただいま、俺の可愛い奥さん。会えない間すっごくさびしかったよ」
すらすらと言い切る。コツは深く意味を考えないこと。要はマジナイみたいなもんだ。
ほわんとルイズの瞳が夢見る乙女のそれに変わる。
「ちゃんと言ったぞ。ほら、お前も言えよ」
「う、うん……」
ルイズは恥ずかしそうに俯いて、両の人差し指をもじもじとこねくりあわせた後で、
「おおお、おかえりなさいませ。ごごご、ご主人様っ!」
しぼりだすように、言った。さらにワンピースの裾を握りしめながら、
「ごご、ご主人様がいらっしゃらないので、ルイズとってもさみしかった、ですぅ!」
真っ赤に染まった顔で、言った。
くはぁ、と才人の口から間抜けた息が漏れる。
(……やっぱ俺って天才! 天才ここに極まれり!)
これぞ平賀才人考案・日替わりお帰りメッセージ。
本日のお題は『メイド』。
他にも、制服バージョン、猫バージョン、ゴスロリバージョン、お嬢様バージョンなど、曜日ごとに衣装や台詞がこと細かく設定されていて、一日をそれに従って過ごす約束になっている。
そして今ルイズの身につけているメイド服は、学院のそれのデザインを基本に、丈を限界まで短く仕立て直した渾身の一作だ。
馬乗りになっているルイズの下半身に目をやると……、究極のエロチシズムがそこに展開されていた。
「じゃ、じゃあ、寂しくさせたお詫びに、今日はいっぱいかわいがってあげような!」
興奮しきりに、ああちくしょう、どうやってかわいがってやろうか、とアレやコレや手段を様々に思い浮かべながら、半身を起こし、目の前の赤く染まった頬に手を伸ばす。
「ん……」
ルイズは素直に目をつむった。その薔薇の唇に己のそれをゆっくりと近づけたその時……、巨大な空気の塊が飛んできて、二人を大きく跳ね飛ばす。
ぎゃんと叫びをあげて、二人は地面をゴロゴロ転がった。
上空に現れた黒い影がわんわんとがなる。
「下界の者どもに告ぐぅ! 即刻そのいちゃいちゃを止めろーっ! さもなければ神と始祖ブリミルとトリステイン女王の御名のもとにー、天罰が下るであろうーっ!」
ぽかんとした表情でルイズはそれを見上げ、呟いた。
「……王室の竜籠?」
いかにもそれは王室専用の竜籠であった。
四隅を飛竜につながれた王室の紋章付きの籠は、空からゆっくりと降りてくると、才人が乗ってきた風竜の横に着地した。
「まったく君たちは変わらないな。いったい恥ずかしくないのかね」
最初に姿を現したのはギーシュ。続いてマリコルヌが、ねっとりと二人を眺めながら、
「そうかぁ。これが噂の“新婚さんごっこ”ってやつかぁ。なぜ君らが結婚しちゃわないのか不思議に思っていたんだけど、なるほどね、“ごっこ”の方が盛り上がるってわけなんだね!」
勝手に納得し、次いでルイズに意味ありげな視線を送る。
「というかね、ルイズ。君のその格好はなんだい? それがサイトの好みってわけなのかい? それとも君自身の趣味だったりするのかな」
「ちち違うわ! したくてしてるんじゃないわ!」
ルイズは弾けるように立ち上がった。
前かがみに、極ミニワンピースの裾を引っ張る。すると困ったことに、後ろにいる才人からはヒップが丸見えになった。その事実はおそらく周囲の人間にも予想できるのだろう。皆にやにやと見つめている。
「し、仕方ないじゃない! これがサイトの故郷の習慣だって言うんだもの!」
「習慣ねぇ」
「本当なんだから! ね、そうよねサイト!」
才人は顔を赤らめ、苦しい言い訳をした。
「あー俺のいた国じゃさ、新妻はこういった格好で夫に奉仕する習慣があるんだよ、うん」
「そういえば、君は東方の出身だったな。向こうじゃそんな素晴らしい習慣があるのか……。うーん、結婚したら僕もそっちの習慣に従うかな」
しきりに感心するギーシュの様子に、おいおい信じるなよ、と才人はひそかにツッコミを入れる。
「それよりあんたたち、いったい何しに来たのよ!」
「ずいぶんとご挨拶だな。君のためにわざわざこんな辺鄙な場所まで足を運んだというのに。女王陛下直々のご命令でね、あるものを届けにきたんだよ。……ほら」
ギーシュは脇に寄ると、背後にいた人物をつと前に押し出した。
明るい懐かしい声が、ルイズに向けられる。
「お久しぶりです、ミス・ヴァリエール。またしばらくお世話になりますわ」
にっこり微笑んでお辞儀をしたのは……、ついこの前まで同じ部屋で過ごしていた黒髪のメイドだった。
「シエスタ……!」
ルイズの瞳が大きく見開かれる。
「なによこれ、どういうこと?」
ルイズは才人の方を振り返った。すでに話は通じているらしく、才人は驚きもせず、ただ困ったような表情を浮かべている。
「ひとまず詳しい話は、陛下から直接伺ってくれないか。お待たせしてるんだ」
そう言って、ギーシュが杖を一振りすると、すうっと布に覆われた四角い物が飛んできて、ルイズらの目の前で、宙に浮いたまま停止した。
ふぁさりと布が地面に落ちる。一枚の鏡が姿を現した。
「あいかわらずね、ルイズ・フランソワーズ。あなたの元気な姿を見られて嬉しいわ」
鏡の中から語りかけてきたのは、麗しきトリステインの女王アンリエッタであった。
+ + +
「ガリア行きに、サイトを同行させるですって! そんな話は聞いておりません!」
ルイズの声がこだまのように部屋に響き、テーブルの上のグラスを震わせた。
一同は、中庭から応接間に場を移していた。
立ち話をするには春の夜風は冷えすぎるし、それにアンリエッタが家の中を見てみたいと望んだからでもある。
「落ち着いてちょうだい、ルイズ・フランソワーズ。まだそうと決まったわけではないのですから」
魔法の鏡を通じて、アンリエッタは宥めるようにルイズに声をかけた。
「サイト殿が、どうしてもあなたの許可がないと行けないというのです。わたくしとて、引越したばかりでお二人が忙しいことは承知しています。ですが、やはりサイト殿をおいて他に適任者はおりません。ルイズ、あなたからもサイト殿にお願いしては頂けませんか」
“ガリア行き”とは、今からちょうど一週間後にガリア東の国境付近で行われる、トリステイン・ガリア・ゲルマニア・アルビオン、そしてエルフ族を交えた五国首脳会議のことである。
その会議に、アンリエッタは才人を護衛として随行させたいと言うのだ。
長期間にわたる会議である。行けば少なく見積もっても、二週間は戻れないだろう。
会議の成り行きによってはさらに長引くかもしれない。
「では私もお供します! 非常時には、きっと私の『虚無』がお役に立ちますわ!」
「なりませぬ。あなたの『虚無』は国外に出すわけには参りません。それに今回の会談はごく平和的なもの。心配には及びません」
「ですが……」
ルイズは顔を曇らせた。
才人と離れるといっても、せいぜい一ヶ月足らず。
たったそれだけなのに、なぜこんなにも不安に思うのだろう。
才人が護衛として優秀なことは理解できる。
ガンダールヴの力は元来守るための能力。とっさの対処はメイジよりも優れている。
護衛につけるとしたら、才人以上の人材は考えられない。
自分がアンリエッタの立場なら、きっと同じことをするに違いない。
けれども……。
アンリエッタが、わざわざ才人を望んだ理由が、他にもないと言い切れるだろうか。
単に才人を側に置きたいだけ……。そんなふうには考えられないだろうか。
もしかしたらと疑念が黒い靄のように胸の中に湧きあがる。
もしかしたら……。
アンリエッタはまだ才人に特別な感情を抱いているのではないだろうか。
才人はそれに気づいていて、そのために同行を拒んでいるのではないだろうか。
疑念が、ルイズの首を縦に振らせてくれない。
そうやって悶々としながら、ルイズが黙っていると、
「やっぱりこの話はなかったことにして下さい」
力強くきっぱりとした才人の声に、ルイズははっと我に返った。
「……サイト?」
「そりゃ俺は近衛ですし、姫さまをお守りするのが役目です。でも今回は危険なことはないのでしょう? 任務というなら、『虚無』の護衛だって正当な任務のはず。なにより俺は虚無の使い魔ですから。こんな場所にルイズをたった一人残してはおけません」
鏡をまっすぐに見据えて才人は言った。
「ですが、サイト殿。ガリアに行けば、エルフの長と、直接話をする機会が得られるかもしれないのですよ。もしかしたら、あなたの帰る方法も見つかるかもしれません」
「それは……」
才人の表情が翳りを帯びる。
しかしすぐさま、吹き飛ばすように首を振った。
「今回は諦めます。いずれ東には自分の足で行くつもりだし、少しぐらい遅れたってかまやしません。姫さまのお心遣いには感謝しています。その……、鏡だとかメイドとか。でもやっぱり今はここを動けません」
「こんなに頼んでも駄目でしょうか……」
アンリエッタの瞳が潤んだような気がして、才人はそれを見ないように視線を反らした。
つくづくこういった高貴な儚げな人のお願いには弱いのである。
「あ、あの、姫さま!」
その時、ガタンと大きな音を立てて、ルイズが立ち上がった。
「お話はすべて承知いたしました! サイトは姫さまの騎士です。どうぞいかようにもお使い下さいませ!」
「ちょ、お前。ルイズ。何言い出すんだよ!」
するとルイズは、才人の方に向き直り、眉を大きく吊り上げた。
両手を腰にあて、薄い胸をめいっぱい反らし、冷ややかに目を細めると、
「あんたね、何勘違いしてんのよ。いつからそんなに偉くなったの? 部下が上司の命令に口答えしていいと思ってるわけ? あんた姫さまの部下なんでしょ?」
「え、いや、でも」
「仕事じゃない。お給金頂いてるんじゃない。ったく少しは自覚を持ちなさいよね。私と一緒にいたいんなら、しっかり働いてらっしゃい、このバカ犬ッ!」
びしぃと、決め台詞よろしく言い放つ。
「まあ、お前がそう言うんなら……」
才人は困りきったように頭をかいた。さっきまでの威勢はどこへやら。すっかり尻に敷かれた亭主の様相である。
周囲からくすくすと失笑が漏れた。かくいう女王陛下も例外ではない。
「感謝します。ルイズ・フランソワーズ。サイト殿はきっと無事にお返しします」
「いいえ、当然のことをしたまでですわ。単にこいつがわからずやなだけなんです!」
「そんなことを言ってはいけないわ、ルイズ。サイト殿はあなたが心配なのよ。それだけあなたのことを大切に思っているのだわ」
ルイズの顔が真っ赤に染まる。
「それでは、ルイズ・フランソワーズ。しばらくサイト殿をお借りする代わりに、あなたに二つの物を預けます。一つはこの鏡。同じ物をわたくしも持っていきますから、これを通じてサイト殿といつでも話をすることができます。そしてもう一つは……」
アンリエッタは、視線を別の方へと向けた。
その先にいるのは、今までずっと無言だった黒髪のメイド。
「そちらのシエスタです。サイト殿から、あなたの家にはメイドがいないのだと伺いました。こんな田舎では、十分な教育を受けた使用人は見つかりにくいのでしょうね。あなたも苦労しているでしょう。その点、彼女なら気心がしれているでしょうから、しばらく使ってあげて下さい」
「で、でも、シエスタはもう王宮付きで!」
「かまいませんわ」
にっこりと微笑むアンリエッタ。
ち、ち、違うんです姫さま! かまうのは私の方で!
ルイズは、ぱくぱくと声にならない言葉を発した。
この家にメイドがいないのは、なにも人材が見つからないせいではない。
ぶっちゃけ言えば、シエスタのような相手に二度と煩わされたくないからだ。
二番目でいいですからー、どうですかこの胸ー、いつでも触って下さってかまわないんですよー、にこにこ。
そんなイヤらしいメイドを、同じ屋根の下に置いておけるわけがない。
ルイズは黒髪のメイドを横目で睨みつけながら、わなわなと震えた。
ぜーったいに、どんなに不自由したってぜぇーったいに、メイドだけはいらない!
「ご安心なさって、ミス・ヴァリエール。そちらの私は、サイトさんに手を出したりしませんから」
へ? とルイズの目が丸くなる。
今のは確かにメイドの声。けれども聞こえてきた方向は……。
その方向、つまり鏡の方に目を移すと、驚いたことに問題のメイドが、アンリエッタの半歩後ろでかしこまっている。
ただし私服でも魔法学院のメイド服でもなく、高級で上品な王宮付きのメイド姿で。
あっちにもメイド。こっちにもメイド。
「メイドが二人? ……どういうこと?」
「スキルニルですわ」
アンリエッタの朗らかな声が伝える。
スキルニルとは、マジックアイテムの一つ。魔法人形のことである。
血を吸わせることによって、その血の持ち主と寸分たがわぬ姿に変わる。
容姿だけではない。能力や記憶までもが正確に複写される。
但し、感情は持たない。
「そのスキルニルは、あなたとサイト殿の命令を聞くように作られています。元はこのシエスタですから、きっとあなたの助けになるはずですわ」
なるほど、とルイズはようやく納得した。
シエスタが終始行儀よく振舞っていることを、ルイズはずっと奇妙に思っていたのだ。
いつもの彼女なら、たとえ女王陛下の御前であっても、こっそり才人に近づいて、むにゅむにゅと胸を押しつけたり、ほあ〜っと耳に息を吹きかけたりぐらいは、平気でやりかねない。
というより、絶対にそうする。
なぁんだ。そっかぁ。人形なんだ。ルイズはほっと力を抜いた。
まあ人形ならいいかもしれない。せいぜいこきつかってやろうじゃない。
「あ、サイトさん、サイトさん」
「なに、シエスタ?」
「その人形、サイトさんの言うことも聞くようにしてありますからね。ミス・ヴァリエールに内緒でお好きにしちゃってかまいませんからね。あんなコトとかこんなコトとか……、やんッ!」
ぴきっ。ルイズのこめかみに青筋が立つ。
「もちろんガリアでも、お好きになさってかまわないんですよ〜。二人で旅行なんて久しぶりですものね。ああ、今からワクワクしちゃいます!」
ぴきぴき。ルイズの青筋が枝分かれした。
「ちょっとメイド! まさかあんたも一緒にガリアについてくつもりじゃないでしょうね!」
すると、鏡の中のメイドは、勝ち誇ったような表情でにっこりと笑った。
「はい、その通りですわ。ミス・ヴァリエール」
+ + +
客人が帰った後、才人とルイズは遅い夕食を済ませると、自室に引っ込んだ。
「あのさ。俺、風呂に入るけど……」
才人は声をかけたが、いってらっしゃい、とルイズの返事は素っ気無い。
不機嫌だとか怒ってるとか、そういう感じではなく、机に向かって両ひじをつき、あごをちょこんと両手で支えて、うーんうーん、と心ここにあらず物思いにふけっている、そんな様子なのだ。
ようするに上の空。
皆が帰ってからというもの、どういう訳かルイズはずっとこんな調子である。
「えっとさ、ルイズ。俺、今日とっても疲れてて、そのう、背中を流してもらえたりすると嬉しいんだけど……」
「ん。なに?」
「いや、なんでもない。入ってくる」
どうやら今日は諦めた方が良さそうだ。
しょんぼり肩を落とした才人は、一人さみしくバスルームに移動する。
「……ま、怒っていないだけマシだよな」
熱い湯につかりながら、一人ごちる。
人形とはいえ、あれだけ嫌がっていたメイドを連れてきたのだ。
こんなにスムーズに受け入れてくれるとは、正直思ってもみなかった。
そのメイド人形は、休むまもなく、さっそく精力的に家事をこなしてくれている。
とても今日来たばかりと思えない手際の良さに、この分なら自分がいない間も、うまいこと家を切り回してくれるに違いないと、才人は心底ほっとしていた。
メイドの仕事は、なにも掃除や洗濯ばかりではない。
メイド長ともなれば、鍵や貴重品の管理だの、使用人の監督だの、そういった屋敷の管理まで一手に引き受ける。
ましてや今は屋敷の工事もあるから、やるべきことは相当に多く、今はそのほとんどをルイズが一人でこなしてくれていた。
「あいつ、お嬢さん育ちのくせに、案外たくましいんだよなあ。実践派っていうかさ。そういや酒場でバイトしたり、前線で戦ったりもしてるし、料理や洗濯はからきしだけど、平民に落ちぶれても、結構それなりにやっていけるんじゃないかな」
試しに、平民バージョンのルイズを頭に描いてみる。
平民の暮らしというと、まず思い浮かぶのはシエスタの実家である。
昼間は水汲みに炊事洗濯。夜は大勢の子供に囲まれながら繕い物とか。
うーん……。
そういえば、ぐにゃぐにゃクラゲの手作りセーターが、今もどこかにしまってあるはず。
やっぱりあいつにゃ農村暮らしは無理だ。
次に街娘ジェシカを思い浮かべる。
トリスタニアの下町の隅っこに、安い石造りのアパートの一室でも借りて。
いそいそと市場に買い物に行くルイズ。
「お嬢さん、今日は魚が安いよ! 可愛いお嬢さんには大サービスしちゃうよ!」
「ならおじさんは、この肉をサービスしようかな!」
仕事から帰ってみると、テーブルの上に山と積まれた食材が……。
「ごめんなさい、サイト。今月分のお給料ぜんぶなくなっちゃった」
無理すぎる……。
「結局、あいつは根っからの貴族なんだよなあ」
しみじみと思う。
頭に浮かぶルイズは、いつだって胸を張って、誇りを持って生きている。
肝心かなめのところでは、決して媚びたり頼ったりなどしない。
そんな貴族の娘が、結婚もしない男と一つ屋根の下で暮らすこと……。
その風当たりは強く、世間からもありもしない噂を言い立てられているのも知っている。
「その辺は日本も似たようなもんだろうけどさ。やっぱなんとかしないとなー」
はあ、と大きく息を吐いて、才人はぶくぶくと湯船に沈んだ。
+ + +
才人が、風呂から戻ってみると……。
ルイズは、書き物机を前にして、寝息をたてていた。
腕を前に投げ出して、頬を机にくっつけて、すやすやと気持ちよさげに眠っている。
「……ルイズ、風呂いいのか?」
揺さぶり起こそうと手を伸ばしかけた、その時。
才人は机の上に、革表紙の本のようなものを見つけた。
それはルイズの日記帳だった。
なるほど、風呂に入っている間、ルイズはこれを書いていたんだな。
才人は納得して頷く。
きっと書いているうちに、昼間の疲れが出てしまったのだろう。
そうとわかると、無理に起こすのも忍びなくなって、才人は手近な椅子を引っ張り寄せると、しばらくルイズ鑑賞を楽しむことに決めた。
「こうして眠っているところは、ほんと可愛いんだよな……」
机に片ひじをつきながら、うっとりとルイズの寝顔を見つめる。
人形のように整った顔立ち。柔らかでいい香りのする桃色の髪。
その髪の合間からのぞく透き通るような首筋。どれもが才人の描く理想そのままだ。
そんなルイズを眺めていると……、懐かしい過去の記憶が思い出された。
ギーシュと初めて揉めた時の記憶だ。
大怪我の末に、才人が長い眠りから目を覚ましてみると、今とそっくり同じ姿で眠るルイズがいた。
その神がかったような愛らしさと、そして思いがけなく知ったルイズの献身的な優しさに、当時の才人はぐっとほだされたのだった。
もしかして、と才人は疑問に思った。
その頃から、もうルイズに惚れてたのかな?
どうなんだろう? 首をひねったが、よくわからない。
とっくに出会い頭の一目惚れだったような気もするし、ずっと先のことのような気もする。
結局……、悩むのを諦めた。
だいたいが、才人は深く考えるのが得意ではない。
ただ一つわかるのは、目の前にいる少女を、何がなんでも守ってやりたいということだ。
好きかどうかなんて、実のところは口にするほどわかっちゃいない。
だけど……、守りたいという気持ちならば、自信がある。
理屈じゃない。守りたい。ただそれだけだ。
いつしか才人の中に温かい気持ちが生まれて、それが大きくなった。
才人はそっとルイズの頬に手を伸ばし、指で触れた。
すると、ルイズはいやいやをするように、頭を振る。
淡く色づいた、桜色のほっぺ。
キスを待っているかのような、半開きの唇。
なんだか赤ん坊みたいだな……、と才人は苦笑し、そして思った。
赤ん坊はミルクの香りがすると言うけれど、じゃあルイズの場合はなんだろう?
しばし考えて……、はたと思いついた。
「いちごみるく?」
あの甘酸っぱくて、とろりコクのある、淡桃色のキャンディ。
それだ! と才人は心の中で叫んだ。
少し酸っぱいけど、よく味わえば飛び抜けて甘い。うん、まるでルイズだ!
その時。とんでもない考えが才人の頭にすべりこんだ。
待てよ、舐めたら本当に“いちごみるく”の味がするんじゃないか?
あの甘酸っぱい味がするんじゃないか?
いや、常識的に考えれば、人間がキャンディの味なんてするわけがない。
つまり……、『味』というより『味わい』だ。
そっと口に含むだけで、甘くとろける小粒のキャンディ。ほんのり紅い苺色。
酸味がだんだんと甘みに変わって、ほろりと蕩けてカタチが崩れて……。
ああやっぱり“いちごみるく”味だ! 間違いない。
今すぐそれを確かめなくてはと、衝動に駆られて、ガタン! 才人は立ち上がった。
息を弾ませながら、背後からルイズに忍び寄る。
抱きしめるように両腕をルイズの体に回すと、もどかしげに下へと探りをいれていった。
ルイズの手触りは、とても柔らかで温かい。まるで生まれたての雛のよう。
髪から漂う香りはストロベリーではなく、甘ったるいフローラル。
着ているメイド服の丈はとても短いので、才人はしごく簡単に、するりとルイズの足の合間に手をすべりこませることに成功した。
触れた場所の温かく湿った感触に、ゴクリ唾を飲む。いよいよ最後の砦の一枚布を突破しようと、才人が指を動かしたその時。
ルイズの寝息がぴたりと止まった。
ハっと反射的に後ろに飛びすさり、才人は胸の高さに両手を上げた。
「や、やあ。おはよう、ルイズ」
「おはようじゃないわよ……。何してるのよ」
目をこすりながら、ルイズは聞いた。
「いやナニというか。ちょっとした勢いっていうか。……ほらつまりね、俺も健全な男ですから、ね?」
「へ?」
いかにもな微妙な言い回しに、察したルイズの頬がみるみる染まる。
「だだ、だったら起こせばいいのに……。なにも寝込みを襲うことないじゃない」
「だってさお前、そういう気分じゃなさそうだったし。何だか難しい考えごとでもしてるような顔してたしさ」
んー、とルイズは腕を組み、首を傾げた。
「……少しね、頭を冷やしたかったのよ」
「ガリアのことか?」
尋ねると、ルイズは深く頷いた。
才人はルイズの正面に座りながら、参ったなという顔をした。
「そりゃさ、悪いとは思ってるよ。お前に相談もせずに断ったりして」
「わかってるんじゃない」
「だけどな、今度のガリア行きは、別に俺が行く必要はなかったんだよ。現地まではオストラント号だし、コルベール先生やキュルケ、タバサにテファだっているんだから」
「でも、姫さまは、あんたが必要だって言ってたわ」
「念には念をってやつだろ。それより」
才人は声に力をこめた。
「危険なのは、むしろお前の方だぜ。姫さまが留守の間、どうしたって国内の治安は手薄になる。その隙をついて、またお前を狙う人間が現れるかもしれないんだ」
才人の意見はもっともだった。
たび重なる戦闘のせいで、『虚無』の存在は、多くの人間の知るところとなってしまった。
そんな強大な力が、何事もなく放っておかれるはずもない。私利私欲のために力を欲する人間は、この世にごまんといるのである。
才人は悔しそうに拳を握りしめ、そして力強く断言した。
「けどなルイズ。俺がいる限り、お前に手を出させたりはしない。絶対に守る。安心しろ」
こんな時の才人は、とても頼もしく見えて、ルイズは舞い上がる心地を覚えた。
どうしようもなく胸が高鳴って、顔が熱くなる。
でも、そんな態度を見せるのは照れくさいので、ことさらに素っ気ない口調で、
「だ、だったら、なんでガリアに行くことにしたのよ。それじゃ私を守れないじゃない」
「行けっつったのはお前だろ?」
「知るもんですか。私が言ったからって、はいはいってすぐ聞いちゃうわけ?」
「姫さまが言ってただろ。ガリアに行けば、エルフ族の偉い人と直接話せるかもしれないんだよ。地球に帰る方法が、ヒントだけでも、わかるかもしれない」
それから才人は、ルイズの両肩に手をおくと、目をまっすぐに見つめながら、
「なあ、ルイズ。俺たちもさ、いつまでも“ごっこ”って訳にはいかないだろ? 世間体だってあるし、それにお前の家族だって……、なんだかんだで最後は許してくれたけど、やっぱりお前のことを心配してると思う」
ルイズは目を大きく見開いた。
「だからさ、一日でも早く地球に帰る方法を見つけて、ちゃんとお前を俺の両親に会わせて、けじめをつけておきたいんだよ」
「……うん」
「もちろんお前のことも心配だよ。だから俺が留守の間は、ヴァリエールの実家にでも行ってろ。あのカリンとかいう恐い母ちゃんがついてれば安心だし、それに親孝行にだってなるしな。な、そうしろ」
「……うん」
才人の言葉を聞きながら、段々とルイズは頷くしかできなくなってしまった。
ルイズが思っている以上に、才人はルイズの考えを理解してくれているらしい。ルイズの気持ちを尊重しながら、物事を考えてくれているらしい。それがわかったからだ。
一方でルイズは思った。
そんな才人に、自分は釣りあうだけのものを返せているだろうか……、と。
自分がどれだけ、才人のことを大切に思っているか……。
そのことを、ルイズはまだはっきりと、才人に言葉で伝えてはいない。
今回のガリア行きだって本音では、才人に行って欲しくはないのだ。
ようやく苦労して二人きりになれたのに。
それなのに一ヶ月も離ればなれなんて、とても耐えられそうにない。
ましてや、あの二人が一緒とあっては。
アンリエッタ。そしてシエスタ。
過去に才人と、一方ならぬ経緯のあった二人である。
それだけじゃない。タバサやティファニアも同行するという。
才人を信じていないわけじゃない。でも……。
ああ、そうじゃない。ルイズは必死に首を振った。
違う。ヤキモチを妬きたいわけじゃない。
いかに自分が才人を好きか、まずそれを伝えなければ……。
ルイズはそのことを、ギーシュ達が帰った後で、ずっと考え続けていたのだった。
告げるとしたら、今というタイミングをおいて他にない。
「……ルイズ?」
黙りこんだルイズを、才人が心配そうに見た。
ルイズは勇気を振り絞って、口を開いた。
「あ、あのね、サイト」
「ん、どした」
ルイズは言いづらそうに、もごもごと言葉を紡いだ。
「あのね、サイト。私ね、ほ、本当はその……」
ようやくそこまで言って、ルイズは急に言葉を飲みこんだ。
気づいたからだ。
“本当はサイトにそばにいてもらいたい。”
もしそう言ってしまえば、
今度こそ才人はガリア行きを止めてしまうかもしれない。
しかしそれは、自分の求める結果とは違う。
どうしていいかわからず、ルイズは唇を噛んで下を向いてしまった。
「なんだよ。言いたいことがあるなら言えよ。明後日にはいなくなっちゃうんだぞ?」
けれども、ルイズは続く言葉を見つけられず、黙りこくるばかり。
しばらくの沈黙の後で、才人はゆっくりと俯いているルイズの頬に手を伸ばすと、そのまま顔を近づけてきた。唇が重なる。
同時に、ルイズの中に才人の“記憶”が流れ込んでくる……。
最近は才人も注意を払っているのか、ルイズが怒りを感じるような場面は、ほとんどなくなっていた。
今流れこんで来ているのは、今日の夕方、ルイズが才人を出迎えたシーンだ。
妄想の中の才人は、メイド姿のルイズに対して、実際にあったことよりも、さらに先を求めてくる。
え、え、え、ちょっと! やだみんな見てるじゃない!
才人から本物のキスを受けながら、一方で、頭の中で繰り広げられているイメージに、ルイズの体がかっと熱くなった。ぷるぷると震える。
や、ちょっと、そんなコト、やめ、無理、イヤって、言ってる、のにっ! やだぁ!
びくびくんと跳ねて、ルイズは才人を突き飛ばし、その唇から逃れた。
ぜえぜえと真っ赤な顔で息を荒げている、そんなルイズを見ながら、
「ってお前、今度は何見たんだよ」
才人は呆れたように言う。するとルイズは真っ赤な顔でう〜と唸り、ぽかぽかと才人の胸を殴り始める。
ああああんたが悪いのよ! あんたがあんなあんな……。
それから、ルイズはハっと気がついた。
そうだ、その手があったじゃない!
自分が、才人の記憶を見せてもらったのと同様に、自分の記憶を才人に見せればいい。
実に簡単なことだ。
それなら言葉よりずっと、正確に自分の気持ちを伝えることができる。
そうだ、そうしよう!
「サイト、これガリアに持っていって!」
ルイズは机の上からあるものを取り上げて、それを才人の胸にぐっと押しつけた。
才人は驚きの声をあげた。
「ってこれ、お前の日記帳じゃねえか!」
「どうせ向こうにいる間、暇なんでしょ。時間つぶしぐらいにはなるわ」
そこには、ルイズが才人と過ごした日々の中で、何をどんなふうに感じたのか、そのことが赤裸々に書き綴られている。
その内容は……、どちらかと言えば、才人に対する愚痴がほとんどだ。
アンリエッタやシエスタ、他の女の子たち関係のモロモロも含まれている。
それでも、ルイズの本心が書かれていることには違いなかった。
「なあ、本当にこれ、俺が読んでかまわないのか?」
目の前で、才人が日記帳の表紙をめくろうとしたので、ルイズは悲鳴を上げた。
「まままだダメ! 出発してからにして!」
もし目の前で読まれでもしたら堪らない。決心が揺らぎかねない。
「わかったわかった。じゃあ向こうで大事に読ませてもらうからさ。あれだな。帰ってきたら、きっと俺、ものすごいルイズ通になってるな」
才人は嬉しそうな声で、ルイズの頭をぐりぐりやると、日記帳を机の上に戻して、
「さてと。じゃあ続きしようぜ」
「続き?」
「そそ、続き。……はい、立って。起立〜」
「え?」
わけもわからず、ルイズは立ち上がった。
「そのまま回れ右して、……はい、礼っ!」
「え? え? え?」
ルイズは才人に言われるがままに、才人に背中を向け、そして椅子に向かってぺこりとお辞儀をする。
「なによこれ、いったい何の真似よ」
「じゃ。いい子だから。ここに手をついて下さいね〜」
才人は鼻歌でも歌うようにそう言って、ルイズの両手をぺたりと椅子につかせた。
それから、背中で蝶々結びになっているエプロンドレスのリボンをするり解いて、それでルイズの両手首を縛りあげる。
さらに余ったリボンの端っこを、手際よく椅子の脚にくくりつけた。
「なな、何よこれっ!」
ここに至って、ルイズはようやく自分の置かれた状況を理解した。
客観的視点からみるに、どうやら自分は腰を上に突き出したひどく恥ずかしい格好をしていて……、
ずるり。
才人の手によってメイド服の裾が、一気に胸の辺りまでめくれ上げられた。
露わになった腰から胸にかけての素肌を、空気がひんやりと撫で上げる。
「やぁあああああああああ!」
ルイズは叫び声を上げて、椅子を抱きかかえるように、しゃがみ込んでしまった。
「ばか、ばかばかばかっ! いきなりなんて格好させるのよぅ!」
涙声でルイズは訴える。
しかし才人はけろりとしたものだ。
「こらメイド。ご主人様にその口の利き方はないでしょ」
なぜならこれはプレイの一種。
決して恋人をイジめているわけではないのだからして。
「さ、立って。ご主人様にちゃんとご奉仕しなさい」
「いやっ、いやったら絶対にいや!」
「い〜や〜じゃないの。ほら、立って。はい、いい子いい子」
「ううううう゛〜〜〜」
腰に手を添えてを持ち上げようとするが、ルイズは頑なに抵抗する。
仕方なく才人は、ルイズに言い聞かせた。
「なあ、ルイズ。ガリアに出発したらさ、俺、毎晩ひとりぼっちでさみし〜くなるんだぞ。今ぐらい好きなコトさせてもらっても、バチはあたらないと思うんだよな」
「で、でもっ」
「毎晩、お前のこと思い出すからさ。あのメイド姿、可愛かったな〜って。な?」
優しく頭を撫でてやりながらそう言うと、
「ばかぁ、もうサイトなんて嫌いなんだから……」
ルイズは頬をふくらませながら、ぐすぐすと力なく、すねたように呟く。
「お風呂ぉ……、明かりぃ……」
「風呂はあと。明かりこのまま」
しれっと言った後で、それから才人は、あ、と思いついた。
「そうだ。お前の日記さ。ずいぶん詳しく書いてるみたいだけど」
「それがどうかしたの?」
「やっぱり……、こういうのも書いちゃってるわけ?」
「こういうの?」
「うん。こんなの。『今日はメイドの曜日です。私もメイドの日は大好きです。だってメイド姿の私ってばすっごく可愛いんだもの♪ サイトもご主人様役をはりきってくれました。いつもより激しく愛してくれたので私も大満足、キャっ! また来週もこんなだといいな、まる』」
「なななな、なわけないでしょ! バカ〜〜〜〜〜〜!」
「や、やっぱり?」
才人は、いやあ残念だ、とかなんとか言いながら、真っ赤な顔でわめき叫ぶルイズを抱きしめて、あやすように優しく揺すった。すっかり手馴れた扱いである。
ついでに耳だの首筋だのに舌を遊ばせていると……、風船がしぼむように、みるみるルイズの声が小さくなって、そして、
「……あんまり、恥ずかしいのはやめてね?」
とか言いながら、おずおずと自分から膝立ちを始めた。
恥ずかしそうに突き出された白い二つのふくらみ。それを僅かに覆う薄い布きれ。
「あ、あんまり見ちゃ……、やだ」
テンションが急上昇を始める。
「こら台詞。今日はメイドじゃなかったっけ」
「う、ううっ……。あ、あんまり見ないで下さいまし〜。ご主人様、どうかお情けを〜」
照れと屈辱で、ルイズの声と体がぴりぴりと震える。
刹那、才人の体を熱いものが走り抜けた。もう待ったなし! お預けも無理!
「めめめメイドさん最高! いちごみるく最高! ルイズ最高!」
イきます! その布に指をかけて、一気に引きおろそうとした。
「あ、サイト……、だめ」
覚悟を決めてルイズが目をつむる。その時、ノックの音とともに、誰かが入ってきた。
「お飲み物をお持ちいたしましたぁ」
すたすたと歩み寄りながら、その人物は明るい声で言った。
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