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Last-modified: 2008-11-19 (水) 22:31:44 (5630d)

白い姫とワルツを〈二・水の国〉  (白い百合の下で4)

 トリステインにおいてワインの乱が拡大しているとき、大河近辺の混乱する地域で起こった無数の出来事のなかのひとつ――

 館の隣をながれる小川のほとりには、黄色い花と青々とした草が生命力にみちて生いしげり、水車は悠然と休みなくまわりつづけている。
 初夏のトリステインには珍しくもない田園地帯の風景だった。時間は日がかたむいて牛馬も畜舎にもどるころあい。

 その館の庭である。領主は鼻血をだらだら流しながらよろめいて起き上がり、長男をつれてきた家臣数名を憎悪の目で見つめた。
 なぜならかれにとって、その息子以上に危険な敵はいなかったから。
 兵たちがうろたえ騒ぐなか、領主へ向けられた長男の声が、館のこぢんまりした庭にひびく。
 その皮肉る声の調子といえば、初夏というのに、畜舎横のナナカマドの枝に樹氷がつくかと思われるほど冷然としていた。

「お父上さまよ、幽閉してくれてありがとうよ。
 おかげで貴重な青春を四年も浪費しちまったよ。時間を無駄にすごせるってのは最高のぜいたくだな」

 その男の手甲には、父親つまり領主の鼻血がついている。
 かれは館づきの白い礼拝堂のかたわらに立ち、美々しい騎士の鎧を着ていたが、領主にとってその姿は不吉きわまる災厄の権化と見えていた。
 長男の眉の下からは、家内での対立のすえ次男をあとつぎに指名して自分を幽閉した父にたいする悪念が、毒々しい眼光となってもれ出している。
 数年ぶりに甲冑をまとったはずなのに、幽閉中も鍛えていたのか動きはおとろえていない。

 上背のある長男が数歩、歩みよってくる。若々しい足取りに、老いかけた領主はぎくりと後ずさった。
 ともに鎧を着こみ、ともにこれまでほとんど使ったことのない剣をさげていたが……打ち合って勝てる気はまったくしなかった。

(魔法を使えれば、この場でこいつをまた塔に叩きこ……いや、いっそ殺してしまえるのに)

 領主は数十名の兵をあつめて出陣の用意をととのえ、いままで館で弟を待っていたのである。
 かれの弟は、地方領主の持ち物としてはめずらしい幻獣乗りによる空戦部隊をひきいて参加するはずだった。
 だが弟が来るまえに、一生顔を見ないですむはずだったこの幽閉した長男が、出陣反対派の家臣団をしたがえてやってきたのである。
 そしてあいさつがわりに庭で拳をあびたのだった。

「領主だからって、愚行をやろうとして意見をごり押ししたらこうなるってことだな、わが父よ。
 かならず負けるときまった戦いを当主がはじめちゃいかんだろ。そりゃこいつらも俺をかつぎだしたくなるさ」

 幽閉していた塔から長男をときはなった家臣たちは、その背後で暗い面をじっとうつむけて押し黙っている。
 鎧を着こんだ父子二人は、対峙し、にらみあった。

 が、すぐに領主は骨のくだけた鼻をおさえて体を折り、せきこむ。のどに逆流した血が気管に入りかけたのである。せきとともに、折れた歯が口から飛びだした。
 それでも領主は、声を血でにごらせながら赤いつばを飛ばして怒号をはなった。息苦しさと激痛で、冷静な思考はすっかり消えていたが。

「河川都市連合の平民どもは、わが領地を侵したのだ! 兵をひきいて出陣するのは、領主のつとめだ!
 すでにセリクール伯爵、バッス子爵らこの近隣の貴族たちは丘で合流した。わが家も早くはせ参じねばならぬ、遅れればそれだけ諸侯軍内で軽んじられる……
 きさまを連れてきたそこの逆臣どもがなんと言おうとそれは明らかだ! きさまなどが関わることではない!」

「セリクール家もバッス家もこれで破滅するだろうよ。
 あんたの言う合流ずみの貴族の軍は、あわせて今まだやっと四百かそんなもんだ。『市民軍』となのる反乱軍は五千の軍をすぐさま切り返して、目をむくスピードで向かってきているぜ。
 俺ならぜったい出陣しない。死人の軍で重んじられるよりは、館でゆっくりキノコをつめたあぶりウズラでも賞味しとくほうが魅力的だね」

「ば、馬鹿かきさまは、貴族とはさまざまな義務を負い、家門の面子を守るものであり……
 だいたい反乱軍をほうっておけば攻められないと思っているのか! ここで戦わねばどのみち館を囲まれるのだぞ!
 ……もういい、いまさらきさまなどと話す意味はない。兵ども、こいつを拘束しろ!」

 ふりむいて叫ぶ領主に、あわてて応えようとその手勢がうごき……そこで長男を連れてきた家臣のひとりが合図した。
 長男の後ろにならんだ兵たちから、領主の手勢の兵にむけて、発射準備の完了している火縄銃が十数丁つきつけられる。
 ひるんだ領主側の兵が動きを止めた。

 いつから工作されていたのか、いつのまにか家内が完全に分裂していたことを知って衝撃を受けている領主に、長男がさらなる言葉をあびせた。

「そこが大まちがいだ。敵対の意思をしめさないかぎり、反乱軍はわざわざ囲みになんかこないぞ。決起しなかった家がひとつでも滅ぼされたか? いくばくかの軍税を持っていかれるだけだ。
 決起した貴族勢力は徹底的に攻めつぶされているが、そっちは見せしめのためだってのは猫並みの知恵があればわかる。もっとも、猫以下の領主がけっこういるようだが。
 いっぽうで、反乱勢のトップにいる商人どもは、そこらの領主よりはかなり知恵があるようだぜ。
 中立の家まで容赦なく攻めるような、金と時間と労力のむだづかいはしないだろうよ」

 双方の兵のとりまくなか、長男は嘲笑をうかべて突きつける。
 かれと、かれをかつぎだした家臣たちがとなえる出陣反対論。その正当性を、領主側のざわめく兵たちにもよくのみこませるように。

「これまでを見るかぎり討伐軍を出した家は戦場で滅ぼされ、その領地はひどく荒らされる。しかし最初からおとなしくしていれば反乱軍は攻めてくることはない。
 王政府との戦いをひかえたいま、やつらが求めてるのは足元をなるべく安全にしておくことだ。つまり反抗の芽をつんでさっさとこの地域を黙らせたいだけだ。
 だから、こっちはその意をくんでやって、静かにじっとしてりゃいいんだよ。少なくともいま兵を出すのは最悪だ。
 王政府支持を声高に叫ぶにしても、まだ篭城して王軍を待ってたほうがマシってものだ」

 といっても大砲を相手どって篭城できる城館なんて、持ってる貴族はごく一部だが――そう続けた長男は、どうやら王政府支持を叫ぶことすらしないつもりらしかった。
 そうと知って、領主のこめかみに太い血管がうきあがった。

「反乱した平民どもに妥協するようなことを……恥を知れ、それでもトリステイン貴族か、王政府への忠誠はどうした!
 きさまの言うとおりになどすれば、王政府はわが家に悪感情をいだく! それはほかの日和見している卑怯者どもについても同じだ」

「忠誠ねえ。それが今日わが家を救うかね? 王政府への弁明は明日にでも考えられるさ。だいたい、大貴族筆頭のラ・ヴァリエール家からして日和って静観してるんだぜ。
 なあ父上、よく目をあけてものを見ろよ。トリステイン王政府の軍はまだこの地に来ていないのだよ。そして河川都市連合の反乱軍はすぐそばにいる。
 両者のまともな戦闘があったのは空のみだが、反乱軍は王政府の竜騎士隊を追いはらってしまった。俺がここにくる前、空で叔父上の兵を負かしてきたのと同じようにな。
 いくら待っても叔父上が来てないのを不思議に思わなかったのか」

 長男のその言葉に、領主は目を見開き、いっしゅん激痛すらわすれた。

「なんだと? きさまラウルを……自分の叔父をどうした……?」

「残念ながら、かれは首の骨を折ってしまった。
 頑迷な古い貴族だったとはいえ、ラウル叔父上のことは嫌いじゃなかったので心が痛むね。
 あんたのような奴に忠義をつらぬかなくてもよかったのにな」

「おまえ、に、肉親殺しにまで手を……ちがう、そんなことができるものか!
 ラウルとその幻獣騎士隊はわが領地の誇りなのだぞ。きさまのような空中戦闘の経験のない若造に討たれてたまるか!」

「数騎で追いかけはしたが俺が直接討ったわけじゃない、自滅に近い。空でむちゃな乗り方をして愛竜から落ちたんだ。
 魔法が使えないのを忘れたら危ない、とかれに忠告してやるべきだったかな。風の障壁で空気抵抗をよわめたり、落ちたときにレビテーションを使ったりはできないんだからさ……
 この地では世界が変わったんだよ。戦い方をふくめ何もかもが。おい、門の外の道具を持ってこい」

 長男が命令すると、その兵たちがいくつかの道具を運んできた。 
 それを見て領主は眉をひそめる。それらの道具を持ってこさせた意味がよくわからない。
 拳銃や軽量のハルバードのような鉤型の武具と見えるものはまだいい。農民のつかう大熊手、漁民のもつ投げ網……
 疑問は、長男の言葉で氷解した。あるいは衝撃とともに砕かれた。

「空中戦、騎兵戦における反乱軍の戦術を真似してみた。本格的な道具は時間がなくて用意できなかったため、足りないぶんは領民から借りてきた。それがこれらだ。
 おかげでどうにか叔父上の兵に勝てたよ。まあ、あっちが新しい環境に慣れてなかったのが大きいのだが。叔父上の手勢に火竜がいないのもさいわいだった。
 いちばん役にたった道具はけっきょく拳銃かな。投げ網なんぞは使い慣れないと無意味だと気づくべきだった」

 河川都市連合は、傭兵として竜乗りふくむ幻獣騎兵を雇いいれている。
 この戦場となった一帯、すなわち大河流域の『魔法断絶圏』――魔法が使えなくなった地域は、いつのまにかそう呼ばれている――において、かれらの編み出した新しい戦い方は下劣なものだった。
 一般的なトリステイン貴族の感性からすれば。

「いまや、新しい戦い方が空でも展開しているのだよ、父上。
 魔法がないため風竜乗りは墜落を恐れる。それと風圧をいなせないことがあいまって、風竜の最大の長所であるスピードを完全に出せない。
 むろん遠くからの精度ある魔法攻撃もできない。
 そこで、たがいに至近に寄ってから戦う。たいてい勝負は竜のブレスと銃で決まるようになってる」

 竜で体当たりし、ブレスを吐く。
 鉤状の長得物でひっかけたり、網をかぶせてあるていど自由を奪ってから、何丁も用意して弾ごめしておいた拳銃で近くから撃つ。
 基本的に、数騎で一騎をおいつめる。乗っている人間より、当たりやすい大きな的である竜のほうをおもに狙う。
 竜が死ななくてもいい。痛みで暴れて乗り手を落とせばそれでいいのだ。

 文字どおり野蛮なぶつかりあいだった。洗練された魔法技術を駆使した、多くの若い貴族のあこがれだったこれまでの空中戦とはまったくことなる。
 だがこの「野蛮な戦術」で、数だけそろえたと見られていた反乱軍の空戦部隊は、トリステイン空海軍の竜騎士隊を魔法断絶圏の上空からたたき出してしまったのである。
 いまとなっては、この地域の空で王家の百合紋を見ることは、まずない。

 感心したように長男は幾度もうなずいた。

「まったく、反乱軍もいろいろ考えたものだ。王政府の空軍もちょっとは工夫してしかるべきだが、これまでの醜態をみるかぎり敵の模倣すらできてないんじゃないか。
 話を戻すが、いまここら一帯でずばぬけて強い勢力は反乱軍になっている。嫌おうが嫌うまいがそれは事実だ。
 臆病者だの日和見主義だの呼ばれようとも、俺たちみたいな小勢力が、強者に真っ向から馬鹿正直に立ちむかうのは愚の骨頂だ。
 時勢の見えないあんたじゃ家を滅ぼすだけだ、だから俺が代わってやる」

 古く穏やかな世にかわって、新しい世がおとずれている。血と革新の、無慈悲な世が。
 それに適応していくのは、この息子のような下劣でも狡猾さをもった奴だ、と領主はいやおうなく思い知らされざるをえなかった。
 それでも領主は、歯ぎしりしつつ長男に罵声をあびせた。今はもうそれしかできなかった。

「簒奪者!」

 この国の大混乱のなかで個人的な復讐を達成したかれの長男――粗暴ながら知性を有する危険な種類の貴族が、ぞっとする笑みを見せた。

「違うだろ? 四年前、不当にあんたがとりあげた俺の生来の権利が、やっとこの手のなかにもどってきただけだ。今回だってあんたの自業自得だ。あんたが判断を間違えたから家臣が俺についたのさ。
 現在のところ、ワインの乱なるこの嵐は、小勢力にとってやりすごすべきものであって立ち向かうものじゃないんだよ、『前領主』さま。
 とりあえず、隠居先として俺のいた塔にでも入ってもらおうか……心配するな父上、うちの家族はほとんどそっちに付けてやるから寂しくはないぞ」

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 河口海域。

 霧たちこめる早朝、暗い海は鳴動していた。黒い波のうえにとどろきわたるのは砲音である。
 トリステイン空海軍の戦列艦、『レドウタブール号』。甲板のうえで水兵たちは索具に取りついて必死に帆をあやつっている。

 海上を自在にかけめぐる敵船から飛来する砲弾のため、この艦隊の周囲やまっただ中では、ときおり派手に水柱が上がっていた。

「ばかやろう船体を半端に回転させるな、やるなら反乱軍にきっちり船腹をむけて砲をぶちこめというのに!
 ……いや、いや、そっちのほうだと弾が味方の艦に当たる……! ええいちくしょう、商人どもめ、船をちょこまか動かしやがって!」

「艦をもどせ、いまの揺れはあぶない、船底になにか当たってる! 岩礁かなにかに乗り上げかけてるぞ!
 空にも注意しろ、船首のほうからまた敵の竜騎士が近づいてくるぞ! とにかく寄せつけるんじゃない、当たらなくても撃て! 船に火をつけさせるな!」

「火災が発生しました、火薬庫からは離れていますがバケツが足りません!
 至急人員をまわしてください!」

 銃と砲の轟音に負けないため、水兵たちは大声で指示と報告を交わし――そのはりあげた声にさえ絶望をにじませはじめている。
 彼らの声を聞きながら、『レドウタブール』号の艦長は霧のむこうで動く敵艦隊の影を見つめた。
 正面からしぶき混じりの風にあおられ、目を細める。

(やつらの艦は中型の武装商船がほとんどだ。乗っているのは貿易商のたぐいのはずだ。戦いは知っていても海賊に対応するレベルのものでしかない……
 にもかかわらず、なぜこうなった)

 敗勢が濃いのは、信じられないことにこちら側だった。
 彼の視線のさきでは、反乱を起こした河川都市連合軍の『水乞食』船団が、ここを先途とばかりに猛攻を加えてきている。

 『水乞食』はこの大河河口沖で、王政府の艦隊を待ちうけていたのである。
 船団が縦ならびの行列となって海上につらなった、[縦陣]という陣形。各船の横腹の砲門を空海軍艦隊にむけ、一列の海上砲台となっていた。
 その敵船団にぶつかったトリステイン空海軍艦隊は、突撃にとりかかった。
 各船が横にならんでへさきをそろえた「横陣」をくんで、敵に突っこもうとしたのである。

 だが、風石の助けなしでは、帆船艦隊は風上にまっすぐ向かうことはできない。切り返しを何度もおこなってジグザグに進むしかないのだ。
 そうなると各艦の足並みはそろわない。突撃前こそかろうじて保っていた空海軍の陣形は、突撃を始めるとたちまちに崩れた。
 連絡のための魔法なしで細かい連携がとれず、たがいの衝突を回避しつつ敵陣に向かうだけでも精一杯のところに、敵の砲弾がふりそそいだのである。
 風の抵抗をくらって、ばらばらに切り返しを行いつつのたのた前進する艦隊は、絶好の的だっただろう。

 それでも、そのままであったならばどうにか接近して乱戦に持ちこめただろう。そうなれば大型船の数で優位に立つこちらが勝っていた。

 ……そうはならなかった。突撃をはばんだのは海中の大量の障害物だった。
 河口沖合いである。流されてきた土砂が広範囲につもって急激に水深が浅くなっていた。そこに自然の岩礁だけではなく、間隔をあけて沈められた人工物が群れをなしていたのである。
 廃船に石をつめこんで沈めたものか、塔型の石柱あたりかは知らないが、大型船なら底がひっかかる程度の深さに。それぞれが鎖でつながれて。
 空海軍の突撃は鎖にせきとめられ、不運な数隻が底をやぶられてその場で浸水沈没し、障害物にひっかからず前に出られた少数の艦はたちまち囲まれた。

 総じて喫水の浅い敵艦隊は、こちらに比べて、海中の障害物になやまされることがほとんどないようだった。いまでは各船が自由に動きまわっている。
 敵も味方も、最初の陣形がくずれている点では同じだが、現在の有利不利は一目瞭然である。
 「罠にひっかかって崩された」と「相手の失態に最大限につけこめるよう自分から崩した」という差だった。

 いま、『レドウタブール』号はじめ何隻かの戦列艦は、密集してしまっていた。
 海中で壁をつくっている障害物だか岩礁だかにおしつけられる形で自由な身動きもならず、そこを遠まきに半包囲されて砲撃をくらっているという、笑うに笑えない戦況におちいっている。
 なにしろ集中してくる敵の砲弾におびえながらも、まず味方の船と接触事故を起こさないほうに注意を向けなければならないのだ。

 しかし、彼らよりもっと笑えない状況にあるのは、密集の外側にある艦だった。
 糸のほつれた部分のように陣から離れてしまったところを、敵船にすばやく攻撃対象にされている。空海軍の艦一隻に対して、小さなサメのように反乱軍の数隻がむらがるのである。
 一隻あたりの大きさと砲門数、乗員数ではまさる空海軍の戦列艦は、不利な状況でも簡単には屈しないが……無敵でもない。
 砲弾に帆を破られたり舵を壊されたりすれば海上で自由に動けなくなるし、木造の船体を縦に割るような船尾からの砲撃をあびれば、一発で致命傷をおいかねない。

 視界がよくないためはっきりとはわからないが、三十隻のトリステイン空海軍艦隊のうち大打撃をくらった船はすでに五、六隻くらいにはなっているだろう。

「なんたるざまを……」

 この状況をじかに見るため甲板に出てきた艦長は、そのような場合ではないにもかかわらず嘆かざるをえない。
 この『レドウタブール』号ほか周囲の艦は、このあいだのアルビオン遠征をはじめ、王家と国家につかえる空海軍艦隊として少なからぬ任務をこなし、武勲に輝いてきた。
 それが。

「今になって平民の反乱などに手を焼くとは……」

「手を焼く!? たった今は殺されかかっておりますよ!
 砲弾が平民と貴族を見分けますか!? 危険ですから下に戻ってください!」

 艦長のぼやきに対し、間近でいささか以上に礼を失した怒鳴り声をあげたのは、甲板下から出てきて彼に駆け寄った副長だった。
 周囲に同じく青ざめた数名の士官を引きつれている。
 艦長は怒鳴り返した。

「甲板で指揮する、信号がなにも届かんなら自分の目で見る!
 ここでさえ視界はひどいが、船室にいるよりはるかにましだ!」

「状況確認はわたしがします! とにかく下へ!」

「そっちこそ下にいろ、君にはわたしが指揮できなくなったときの代役を……!」

 船尾甲板の船べりに砲弾が着弾した。その衝撃が彼らの言いあらそいを断った。
 木でできた船体の破片が飛びちって周囲の人体に刺さり、恐ろしい被害をまきちらした。木片に切り裂かれた水兵たちの悲鳴がまたも上がる。
 中央マストに上がっていた水兵が揺れで滑落し、甲板に背から叩きつけられてはねたきり動かなくなった。

 とっさにうずくまっていた艦長と副長は、海戦の喧騒のなか、そのままで会話を再開した。

「下層砲門を開け、もっと撃ちかえせ! 砲門はわれわれの艦隊のほうが多いのだぞ!」

「レドウタブール号の砲門はすでにすべて開かせております!
 ですがごちゃごちゃと固まってもつれたこの艦隊の現状では、全艦が砲を使うなんてできませんよ!」

「ちくしょうめ、やはりさっさと陣形をたてなおさねばどうにもならん! 旗艦からの指示は! 信号は来たのか!?」

「魔法によるものならどんな信号も来ませんし、旗についてはここからでも見えないならお手上げです!
 さっき閣下が『信号が何も』とご自分で言われたでしょうに!」

 艦隊運動の信号や指示がすべて魔法であったわけではない。旗による信号などがある。それさえ抜きにしても、攻撃のためある程度連携した艦隊運動ができるように、パターン化された訓練も積んであったのだ。
 だが、天候と時刻によって視界は最悪であり……訓練してきたパターンは、どのような場合でも通用するわけではないことを露呈しつつあった。

 喧嘩しているかと思えるほどの剣幕で声をはりあげる二人の横から、第三者の比較的冷静な声がわって入った。

「向こうの多くの船は海上にしてはすばやく動きまわっていますね、切り返しも見事だ。砲の照準をあわせにくい。
 船が小さく、喫水が浅いつくりということもあるのでしょうが、水夫が熟練しているようです」

「当然だ、連中は日々ここいらの海域を船でかけめぐっていたんだ!
 船の喫水が浅いのだって、この辺りの海が遠浅なのに合わせてだ。ここはいわばやつらの庭のようなものだ」

 吐き捨ててからその人物が誰かに気づき、レドウタブール号の副長はあわてて態度をあらためた。

「ああ、これはヘンリー卿……見苦しいところをお見せしました」

 元アルビオン空軍の艦長であったサー・ヘンリー・ボーウッドである。アルビオン戦役でレコン・キスタを見かぎり、トリステイン軍の水先案内役をはたした。
 そのまま、レドウタブール号の客分あつかいを受け、顧問として相談役のようなことをつとめている。
 もと敵国人のかれに対し、トリステイン軍内に多少のわだかまりが見られなくはなかったが、なんといっても経験豊かな人材は貴重なのだった。

「ヘンリー卿、あなたならどうしますか、この状況で」

 副長とおなじくやや落ち着きをえた艦長が、客将にアドバイスを求めた。ボーウッドの返答にはためらいがなかった。

「この河口海域での戦闘は、こっちにとって地の利がなさすぎます。
 連中はただでさえ船足が速いうえ、船の喫水が浅いのと海中地形を熟知しているおかげで障害物にほとんどひっかからないようです。
 さらに相手の艦隊は砲の数こそすくないですが、最新式の砲をのせています。こちらの艦より弾の飛距離が長い。
 こちらは出ばなを完全にくじかれました。密集がほどけしだい戦場を離れましょう」

 つまり、逃げる。
 ボーウッドの提言を聞いて、艦長の顔がレモンにかぶりついたときの表情になった。屈辱もさることながら、勝手に戦場放棄したと見なされれば、へたすると彼は軍事法廷おくりなのである。
 副長のほうも似たり寄ったりだが、こちらは「やむをえない」とあきらめが顔に出ている。
 艦長は帽子をとって手のなかでくしゃっとつぶし、煮え切らない様子を見せた。

「そうだな……それが妥当であろうが……」

「閣下、平民の船団から逃げるというのは苦痛かもしれませんが、いまは一隻でも多くのフネを残すべきです。
 いま残っている戦力がそっくり離脱できたなら、隊形をととのえて罠のない海域で再戦すれば勝ちます。半分に減っているとしても敵にまだまだ脅威を与えられます。一隻二隻しか残らなくとも戦い方はあります」

「そうです閣下、そもそも旗艦の首脳陣がこの戦闘を決定した判断が、『平民に背をむけたくない』という意地のためではないかと愚見します!
 完全な風上をとっている敵にむけて横列突撃! こんな愚策を艦隊にとらせた旗艦こそ呪われればいい、軍事法廷には提督がまっさきに出るべきだ! 生きていたらですが」

 ここでとつぜん副長が、ボーウッドの意見に追随しはじめた。
 説得というより、開きなおったように憤然と開戦判断をこきおろしている。

「き、きみ、言葉が少々過激にすぎやせんか……」

 艦隊首脳部に腹のすえかねた態の副長と、それにややたじたじとなっている艦長に、ボーウッドが真剣な面持ちで言った。

「教科書どおりならこちらも緻密な一列縦陣で向かい合うべきでした。旗艦もそのくらいはわかっていたはずです。
 そうしなかったのは通信が劣悪な状況のため、こまかく連携した艦隊運動に不安があったからでしょう。開戦を避けなかったのは、艦隊の士気を考えたのかもしれません。
 通例は大型船の数にまさる側が勝ちをおさめるのが海戦ですから、力押しでもどうにかなると判断したのは無理もありません……調査のひまがなく、海中の罠にひっかかって突撃陣形を完全に崩したのが致命的だったのです」

 トリステイン軍へのフォローを含めたボーウッドの分析に、艦長が首をふった。
 帽子をもみつつ彼のついたため息は、砲煙まじりの潮風にたちまち吹き散らされた。

「いや……どうであれ、わが艦隊の首脳がミスを犯したのはもう間違いない。そのくらいはわかっていたのだ。
 では貴公のすすめにしたがって、機会がありしだい戦場から離れることにする。だがどこへ逃げる? 近場の港は反乱軍におさえられてしまっているのだが。
 あまり遠くまで航行するのはまずい、われわれの後方についてきている輸送船団を守らねばならないから」

「どこでもいいから、魔法断絶圏の外の海域を目指せばよいでしょう。
 ひとたび風石が使えるようになれば、それが尽きないかぎりフネは空を飛んで安全な港をめざせます、木の港でも水の港でも。
 反乱軍の船は、魔法断絶圏にふくまれた海域からけっして出てこないはずです。この外ならば世界はいまなおメイジの領域です」

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 トリステイン宮廷でひらかれる騒乱評議会。

 その席上における報告は、今日もまた出席者たちの心の安寧からほど遠い内容だった。
 当初はさほど重くみられていなかった都市民の武装蜂起は、途中から『ワインの乱』と呼ばれ、国土の三分の一をおおう大反乱と化しているのである。

 王宮の会議室で宰相マザリーニが読みあげている報告書は、そろそろ終わりに近づいてきていた。

「……以上が、レドウタブール号の艦長はじめ数艦からとりあえず聴取した、河口の戦いのあらましとのことだ。けっきょく日没まで戦闘はつづいたという。
 こちらの被害はさんざんだ。主力の戦列艦にかぎっても、拿捕五隻と沈没四隻でまるまる失ったのが九隻。損傷がはげしく、腰をすえて港で修繕しなければ使えないのは七隻。
 それほど大きな損傷がなく、ひきつづき使える戦列艦は十四隻。三十隻の艦隊が半分以下になったのだ」

 序盤の被害がもっとも痛手だった。沈没四隻のうち三隻までが、海中障害物に底をやぶられて沈んだのである。

「中型の武装商船四十隻ばかりで出てきた敵の被害も、十隻くらいとそれなりに多いそうだが、つぎからは拿捕された戦列艦がそっくり敵に使われるだろう。
 空海軍は追いかえされた。一言でいうと大敗だ」

 マザリーニはやや乱暴に報告書の束を投げだした。
 テーブルの向こう側にすわる財務卿のデムリが、渋い表情とうつろな表情をくり返して浮かべているのは、頭のなかで何度も損害を計算してそのたびに呆然としているのだろう。

(財務卿が言葉をうしなうのも無理からぬことだ。
 大型艦の数にまさる側が勝つのが海戦の常識であったはずだが、どうもわが空海軍は常識がくつがえった稀有な戦例をトリステイン史に残してくれたらしい)

 七十四門砲の戦列艦一隻がどれだけの値になるかを思うと、マザリーニも空海軍に向けてそんな嫌味を言いたくなる。
 が、そんな場合ではない。
 反乱地域からはさらに憂うべき知らせが届いていた。今度は海ではなく、陸からの凶報である。

「つぎは陸上での反乱軍の報告書だ。列席したおのおのにはぜひとも読んでいただきたい。
 この規模の軍としては異常に速い。一日に十数リーグ、ときには二十リーグを超える行軍スピードだ。大砲をともなってこれなのだ」

 五千をかぞえる反乱軍は、王政府に見せつけるように大手をふってトリステインの国土を移動している。
 大河、河口周辺地域において水路を活用しつつ。「魔法断絶圏内」を縦横にめぐるように、そして決してその領域から外に出ることなく。
 抵抗の意志をしめそうとする地元の領主たちはもちろんいた。が、各地でかきあつめられた小規模の諸侯軍はことごとく、焼き払われるアリのように掃討されていく。

「魔法が無いうちは、地元貴族たちの正面からの抵抗は無駄だな。
 各地で二、三百の兵を組織するのはいいが、連携した行動をとるまえに五千の反乱軍が即座に駆けつけてきて、再起不能になるまで叩きのめされる。そんな戦闘ばかりではないか」

 忌々しかった。
 マザリーニの当初の予想以上に、反乱軍――河川都市連合の「市民軍」は、その能力が高い。
 信じがたいことだが、同数で魔法なしという状況下においては、プロの傭兵集団である王軍をさえしのぐかもしれない。
 評議会の列席者たちも、反乱勃発当時の相手を見くびる態度はかけらもない。報告書を回し読みしながら、読みおえた者から一様に真剣に語りはじめている。

「これまで反乱軍とぶつかった貴族側で、生きて逃げのびた兵がほとんどいないそうですよ。勇敢に最期まで戦ったのだろう、と思いたいですがそうではありますまい。
 兵力差があったとはいえ、勝ちつづける反乱軍は毎回ほとんど損害なしというではないですか。
 貴族側をただ負かして追い散らすのではなく、たくみに包囲して兵を皆殺しにする戦い方をとられているのですよ」

「ああ。つまり、指揮官の指示にあわせて臨機応変に陣形をかえられる軍だ。錬度には一定以上の高さがあると見てよかろう。
 報告には、反乱軍は戦場でも足並みをそろえて行進できるとある。調練を何度も繰り返さなければそうはならん」

「兵器においても、すくなくとも砲に関しては優良品を多数そろえているのではないでしょうか。
 ……あのあたりの都市は武器の市場でもありましたからねえ」

「諸君はなにをしている! 『反乱軍は意外に強固な武力をもっている』、そんなことを確認しあっていてどうなるというのだ。
 このままむざむざと、魔法の使えぬ地域に取りのこされた領主たちが潰されていくのを見ているだけか!
 はやく助けに行かねば、王政府に向けられる不信の目はどんどん増えていくぞ」

「わからん人だのう、怒って焦ってもそれこそどうにもなるまいよ。助けに行くため、今は大急ぎで王軍を編成しているところであろうが。
 反乱軍は数千の兵をもって、数百規模の地元領主の軍を迅速にうちのめしていく。これは戦の理にかなっている。
 われわれは数万とはいかなくとも、せめて反乱軍に倍する精兵をそろえてから出撃するべきなのだよ。なるべく確実に勝てるように」

「いや、あまり準備に時間をかけていてもまずいのでは? 反乱軍にも防備を固めるだけの時間を与えてしまいますよ。堤防や道路をさらに壊されてはたまりません。
 それよりこれ以上、後手にまわらないようにするべきです。
 用意の終わった軍の先遣部隊をいますぐに発して、街道沿いにある、軍需物資をたくわえた倉庫をすぐに押さえなくてはなりません。
 今はまだ、反乱軍はおもに大河の東がわで騒いでいます。ですから王軍の進撃予定路にある西がわの倉庫は手つかずです。ですがこの倉庫群もぐずぐずしていると奪われてしまいますよ」

「待て、反乱地域に倉庫がまだ手つかずで残されている? それはうさんくさい。われわれを引きつけるための罠ではないのか。
 倉庫をおさえようと焦って小規模の部隊を出していったら、手ぐすねひいて待っていた反乱軍に片っぱしからかこまれて始末されかねんぞ。
 いっそ反乱地域にのこった倉庫は火をはなって焼いてしまえばどうだ、これなら竜騎士数名を派遣するだけですむ」

「ばかをいいなさい、国内各地の倉庫に平時からたくわえてきた弾薬、小麦、まぐさがどれだけの量になるとお思いですか。
 単にけちっているわけではありません、現地でこれを一つ確保するだけで、軍の行動がずっと円滑になるのです! 後方からすべての補給物資を荷馬車ではこぶのでは、金が何倍もかかるし補給部隊の危険が大きくなりますよ。
 焼いてしまうよりはまだ、地元の民に倉庫の中身を与えるほうがましでしょう。彼らが日ごろからおさめていた軍税を倉庫ごと目の前であっさり焼いてしまったら、王政府が白い目で見られます」

「だから、それだけの物資を先に反乱軍に押さえられたら逆効果だろう! 民に還元したところで反乱軍は民から徴発していくだろうが。
 お前みたいなやつの意見のせいでぐずぐずしているうちに、大河の東側の倉庫はとっくに大方が奪われてしまったんだぞ」

「だから早く、編成の終わった軍からすぐに進発させて要所を占めさせていれば……!」

「だからそれは兵力の小出し投入という愚行だというのに! へたすれば順番に叩かれていくだけで……!」

 つばの飛ばしあいじみた熱のはいった議論を聞きながしながら、マザリーニはこわばった肩の筋肉をもみほぐして考えた。

(……それにしても、河川都市連合の経済力はやはり馬鹿にならない。これだけの軍をそろえる実力があるとは……竜乗りなどを雇うのは高くつくというのに。
 これはトリステインの河川都市だけではないな、大河上流のゲルマニアの河川都市もひそかに加担して、資金を都合しているにちがいない。
 そこらの貴族が勝てないのはあたりまえか)

 いかに領主級の貴族が裕福でも、槍や銃をもった兵にくわえて「騎兵」と「砲」と「船」のすべてを多数そろえられる者はそうはいない。
 国家つまり王政府と、ブリミル教会と、その陰でハルケギニアの経済をささえてきた商人たちの都市組織のみが、数千から数万規模のまともな軍をかかえるだけの財力があるのだった。

 しかし平民が主体である都市は、前二者にくらべて取るにたりない存在とみなされてきた。ハルケギニアの歴史においてこれまで主役であったのは、あくまで魔法を持つ者なのである。
 これまでは貧しい下級貴族の集団でさえも、裕福な一部の平民にたいして優越した武力を誇ってこれた。
 資金力の差という道理に反することができたのはすべて、魔法の存在があったためである。

 その魔法が消えた。同時にメイジの戦士としての優越と威厳が、見るかげもなく融けて崩れた。大釜いっぱいの熱湯をかけられた氷のごとく。

(この内戦では、金が戦争を決定する唯一の力になってしまった)

 だというのに困ったことに、王政府の国庫は底がみえだしているのである。
 河川都市からの莫大な税収が絶えたのも、ゲルマニア方面との経済活動が阻害されているのも痛手なのだった。

(やるのなら、やはり「最短」を心がけるしかないな)

 マザリーニはあらためて自分のうちでそう確認せざるをえない。

 順序でいえば、まず王都から発した王軍を、なんとか反乱地域にはりめぐらされた水路に到達させる。軍の進路も補給線も、なるべくまっすぐとる。
 つぎに手にいれた水路を活用して物資を輸送しつつ、反乱勢に水没させられていない道をたどって反乱の中核地域まで進む。
 反乱の中核都市トライェクトゥムを威圧するなりなんなりして、早い段階で河川都市連合の市民軍を野戦にひきずりだし、正面からうちやぶる。

 最短距離を進軍し、可能な最短の期間で決着をつける。補給線を最短にすることで、王軍は最大限の力を保ったまま戦場に到着できる。

 王道、というより常道だった。
 そして単純明快すぎて、敵にも完全に読まれてしまうのが難点である。時間をかせごうと反乱軍が逃げまわって、王軍はそれを必死に追いかけまわす、という羽目になるかもしれない。

(しかし、魔法および空路の使用不能、そしてこの苦しい財政という状況では他の戦略をとりにくい。
 ……王軍が進軍するだけで反乱勢が白旗をかかげ、演技でいいからおそれいった形で講和のテーブルについてくれるなら、それが一番いいのだが)

 もちろん、それは都合のいい夢でしかないだろう。
 テーブルに前かがみになり、あごの下で手を組み合わせて沈思しているマザリーニの耳に、いっぷう変わった話題が飛び込んできた。

「……少人数で果敢な抵抗をつづけている貴族がいる? それは朗報だな、誰だ」

「先代のガヴローシュ侯爵、いまではガヴローシュ家の唯一の生き残りだ」

「ああ、あの隠居していた老人か。諸侯軍をひきいていて最初に殺された貴族が彼の息子だったな【拙作SS前回末】。
 くわしいところを聞こうではないかね」

「単純な事情だ。復讐心が老公をかりたてている。
 諸侯軍をひきいていた息子のガヴローシュ侯爵が殺され、侯爵の館は反乱軍に攻めおとされた。その際ガヴローシュ侯の妻子は惨殺され、その遺体はどこかへはこばれたとか。
 そのあと、あの老人はわずかに残った家臣と領民兵をひきつれて、執拗に反乱軍の後方を乱しつづけているらしい。物資を運ぶ小舟を焼いたり、反乱軍の斥候兵をおそったりと。
 だが今のところ、反乱軍の神経をいらだたせる程度にしか成果はのぞめまい。反乱地域を駆けめぐりつつ生きのびるだけでも精一杯のはずだ」

「やれやれ、やりきれんなあ。あのご隠居は、孫を溺愛するだけが生きがいのおとなしいじいさんだったのだが」

 まったくやりきれない。耳をそばだてて話を聞きながら、マザリーニは顔をしかめた。
 こういう話は貴族たちの義憤をかきたて、軍事衝突以外の可能性をますます遠ざけていく。
 陸戦のまえに対話のみでの早期講和という、内乱をおさめるうえで出費と犠牲のもっとも少ない選択肢は、もはや消えたといっていい。

 ふと宰相は、上座のアンリエッタの様子をうかがった。
 憔悴した表情でずっと沈黙している女王は、青い瞳にかげりを宿し、その話にじっと耳をかたむけていた。
 感情のゆたかな彼女は痛ましさと怒り、それに女王としての責任感からくる慙愧を感じているのだろう。こころなしか身を縮めているようにも見える。

(……今回の反乱はご自分に責任があると思っておられるのは知っていたが、最近、根をつめすぎておられるようだな)

 アンリエッタを気にかけながらも、マザリーニは立ちあがり、視線をあつめたことを確認してから言葉を発した。

「軍の小出しはしない。河川都市連合の鼻先にでていく王軍は、かれらの市民軍をただ一戦で消滅させられる規模でなければならない。
 市民軍――反乱勢のもつ野戦のための軍――を一刻もはやく消しさることを考えよう。そうなれば、残った反乱勢がいかに強固な要塞都市にこもっていようと、負けを悟って降伏してくるだろう」

 泣きたいことに空海軍が失敗してしまった以上、王政府があてにすべきことは当面、陸戦での勝利にしかない。
 陸戦で完勝すれば逆転はかなう。
 市民軍を完璧に打ち破ってしまえば、王軍は都市周辺の土地をとりもどし、港を陸からおさえられる。水路に砲をむけて、反乱勢の輸送船団の航行を妨害することもできるだろう。
 そして野戦のための市民軍がいったん消滅してしまえば、都市には囲みを打ちやぶる方法はないのだ。

「さいわいにして王軍の編成はあと数日で完了する。
 そのあと、なによりも真っ先にぶつからねばならない壁がある。最初に王軍の通行をはばむ存在をおもいだすべきだ。
 王都から反乱地域につながる東への要路には、都市連合のひとつにして最西端河川都市であるガンが鎮座している。トライェクトゥムにはおよばないが堅固な城壁をもつ都市だ」

 テーブルにひろげた地図の、ある一点を杖でしめす。魔法断絶圏の周縁ぎりぎりにどうにかひっかかっている都市である。
 マザリーニは結論のため言葉を強めた。

「まずこの都市、ガンをどうにかすることを考えよう。門番に扉をこじあけさせねば、野戦をおこなうための戦場へすらふみこめぬ」

…………………………
………………
……

 評議会の解散ののち。
 王宮の廊下でマザリーニの数歩先をあゆむアンリエッタが、かれに話しかけた。

「財務卿から聞きました。ものの値段が急速に上がって、トリスタニア市民から不満が出てきているとのことですが」

「はい、陛下。
 ゲルマニア方面との流通路が断たれ、ガリア方面の経路のみが残った時点でこうなるとはわかっていたのですが、予想をだいぶこえて物価上昇がはやいですな。
 緊急措置としてガリア方面での関税を大きく引きさげましたが、まだ物価は上がっております。なお、関税引きさげのぶん王政府の収入はさらに減りました」

「しかたがないわ。
 どうにかパンの値だけでもおさえなくては……民を飢えさせてはなりません」

「しかり。飢えれば暴動が起こりやすくなります。王都での暴動は起こしてはなりません、まかりまちがえば体制の動揺に直結するものですから。
 まあ当然ですが物価が上がったことで、市民の多くは今回の戦に反感をいだいているそうです。
 民のあつまるところにひそかに調査員を送りましたが『王家は河川都市と講和して戦をさっさとやめろ』という意見が多いようですな」

 つかずはなれず歩きながら、女王と宰相は言葉をかわしている。
 いちばん重要な論議は、まずふたりきりで行われるのが常だった。
 護衛としてつきしたがうアニエスはけっして口をはさまず、聞いているそぶりすら見せない。

 アンリエッタの口から憂わしげなぼやきがすべり出た。

「王政府がはじめた戦のように民草はおもっているのかしら……
 まず武力をつかって罪のない人々に被害をふりまいたのは河川都市のほうだわ。講和の道をせばめたのはむしろあちらなのに。痛めつけられた諸侯はいまさら簡単には納得しないでしょう。
 貴族ははやく戦って河川都市を罰しろとせまり、平民はいますぐ戦いをやめてほしいと期待している。
 分裂した国論がまとまるのは、ぐずぐず軍を編成中の王政府を批判する点においてだけ。こっちはとぼしい予算と相談しながら努力しているのに」

 その女王の愚痴をうけて、マザリーニの瞳がふいに冷たい理性の色を宿した。

「陛下、その諸侯のことですが、反乱地域にのこった諸侯からは協力はもう期待できませんな。
 決起した貴族が叩かれたあとは、反乱軍に目をつけられることをおそれて兵を出さず館にこもりきりという、『利口な』領主ばかりになりました」

 その話になったとたん、アンリエッタの歩みがいっしゅん止まりかけた。

「……しかたありませんわ。王政府のいまの体たらくでは、諸侯をつなぎとめられませぬ。
 こちらの空海軍が勝っていれば、諸侯はよろこんで王政府ばんざいを叫んでくれたでしょう。
 わたくしたちが頼りないから、反乱軍の威勢をおそれて声をひそめるしかないんだわ」

 なにかが話題にのぼるのを怖れて逃げるかのように、女王はこんどはわずかに歩みを速めた。
 その背をじっとみつめて、マザリーニはふくみある口調で言った。

「そうですな。恐怖なき徳は無力なり、と申しますから。
 王軍が到着するまでは、あの地域にあってより強い恐怖――すなわち最大の軍事力をもつ存在は、王政府ではなく都市連合です。自家の当面の安全だけ考えるなら、領主たちが反乱軍に無駄な抵抗をしなくなるのはごく当然でしょう。
 ましてトリステイン貴族の筆頭家門ですら動かないとあれば、下位の領主たちが多くそれにならうのは自然というものですな」

 言葉の最後をきいたとき、女王の動揺の気配はほかの二人にはっきりつたわるほど大きくなった。
 容赦というものを廃し、宰相は告げた。

「ラ・ヴァリエール家のことですぞ、陛下。今日はそれについて話しあいましょう。
 かの公爵の態度はただの領主としてはともかく、トリステインの重臣としては少々問題です」

「……無理もないのよ。
 ラ・ヴァリエール公爵が動かないのは無理もないの」

 苦しげにアンリエッタは、親友の父親への擁護を口にした。

「ラ・ヴァリエール領は反乱地域とゲルマニア国境にはさまれた形になっているわ。
 魔法断絶圏に入ってしまったのは領地の半分だけれど、へたに動いて反乱軍の注意をひけば、その半分を荒らしまわられて大きな被害がでるでしょうし……」

「まあ、それはそのとおりです。
 反乱軍は狡猾ですな、当初からラ・ヴァリエール領にはあえて手を出さず、踏みこむどころか水害さえ及ばぬように注意をはらっていたようです。
 裏をかえせば、公爵には反乱軍にたいして兵をあげる直接の理由はないと言えます。
 公爵にとっても願ったりでしょうかな。最後までわれ関せずをつらぬきたいのかもしれませんから」

「っ……」

「『わが領民は兵にださぬ。さきのレコンキスタとの戦はまだしも、今回のような王家の私戦には軍役免除金をだすことすら納得しかねる』、うわさによればある有力な大貴族がそう言い放ったとのことです。
 下々の者たちや王宮の口さがない者は、そう言ってのけた人物がラ・ヴァリエール公爵ではないかと推測を――」

「枢機卿!」

 アンリエッタは回廊の途中でついに振りむき、影に徹していたアニエスがびくりとするほどの厳しさで、叱咤の声をはなった。

「反乱勢の手の者たちが街角にまぎれこんで王政府への中傷や不穏なうわさを流している、とこの前報告してきたのはあなたでしょう!
 そのあなたが、うわさ話を真に受けるのですか!」

「落ちついてください、陛下。そのまま信じているわけではありません。このうわさ自体はおそらく反乱都市によって流されたものであろうと思います。
 ですが現状を考えるにあたって、頭ごなしにすべての可能性を否定するわけにもまいりませんぞ。
 反乱軍に大河上空を制されてしまって通信に手間のかかる状況とはいえ、ラ・ヴァリエール公爵がいまだ王政府の呼びかけに応えず、協力しようとしないのは事実なのです」

 ラ・ヴァリエール公爵がいつまでも沈黙しているのは、自領と領民の安全をはかるためか。今回の内乱を「私戦」とおもって王政府への不満を抱いたからか。またはそれ以外の理由があるのか。
 「いずれにせよ、彼の沈黙自体が王政府にとってはすでに問題となってしまったのです」とマザリーニは断じた。

「先ほど言ったように『ラ・ヴァリエール家のような大貴族のなかでもとりわけ重要な家門が、王家にそっぽを向いている』と思われてしまえば、それ以外の臣民は動揺するでしょう。
 王政府と各地の領主たちの間にはいまや、つけこまれてしまうに十分な間隙が存在しており、反乱勢はそれをさらに押しひろげようと画策しているのです。
 どのような心づもりにせよ公爵の態度は、反乱勢の意図を助長してしまっています」

 女王はすぐには答えなかった。
 ややあって歩きだし、すぐそこにあった部屋のドアノブに手をかけて入室する。マザリーニとアニエスはそれに続いた。
 とくに使われてはいないようだが、掃除のいきとどいた明るい室内であった。ドアはぶあつく、大声でないかぎり廊下に会話はもれない造りである。

 椅子にぐったり沈みこむように着席してから、ひそめた声でアンリエッタはようやく答えた。

「あなたの言いたいことはわかっていますわ。ほんとうは、わたくしもこのままでいいとは思っておりませぬ。
 あなたはよくやってくれているのに、声を荒げたりしてすみません。いやね、わたくし。もっと余裕をもたなければ……」

 憂鬱そうに言い、それから彼女は敢然と顔をあげた。

「枢機卿、あなたの言うとおり、ラ・ヴァリエール公爵が今回の内戦を冷ややかに見ている可能性はあります。
 かれは、反乱勢によって流されたあの情報、『この反乱は王家が河川都市の権益をとりあげようとしたことで始まった』という話を信じ、王政府に批判的になっているのかもしれない。
 けれどそれは誤解だし、それをわかってもらわなければ。わたくしたちに協力してもらわなければ」

 そこまで言ってから、ふと宙をみつめ、亡羊とアンリエッタはつぶやいた。

「さいわいなことに、王政府とラ・ヴァリエール家の橋渡し役となれる者に心当たりはあるのだけれど……」

 マザリーニはそれがだれか訊かなかった。訊くまでもなかったからである。
 大貴族ラ・ヴァリエール家の三女であり、女王の友人でもあるルイズ・フランソワーズ以上に、この役目に適当な者がいるはずがなかった。

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 河川都市連合の盟主、トリステイン都市トライェクトゥム。
 その市庁舎の大会議室。この都市をささえる者たちが、平民貴族の区別なくテーブルをかこんでいる。
 戦略を決定するための会議が進捗しているのだった。

 知るかぎりの情報をもちよって真剣に議論をたたかわせ、怒鳴り、失笑し、賛同し、ののしり、なだめすかし、みずからの意見をとうとうと述べ、他人の意見を論評し……

 多くの声による混沌のなかで、トリステイン王宮の〈騒乱評議会〉においてマザリーニがそうであるように、ベルナール・ギィは耳をかたむけつつじっと動かない。
 眠っているかのような半眼で座り、耳に入ってくる会話のすべてを吟味しながら、頭のべつの部分でかれはぼんやりと考えていた。

(振りかえってみれば、こんな遠くまでよく来たものだ)

 かれはそこそこ余裕のある商家の四男だった。文字を覚えるのが早く、身のまわりの書物を片端から読んだ。十になるかならないうちに専門書が欲しいと言いはじめた。
 文庫本になって大量に出版されているならともかく、専門書はそこそこ貴重品だった。多数所有しているのは貴族の教育施設や宗教関連の施設である。
 そこで親は四男を修道院に入れてくれたのだった。

 親からたっぷり喜捨をうけとった修道士たちは、雑用をつとめる平民の子が、日が沈んでからランプをもって書庫にこもるのを許可してくれた。
 法学、歴史、数学、論理学……あのころは古今の名著をむさぼるように読んだものだ。
 昼間の労役のため眠気はきつかった。かびとほこりに満ちた空気には鼻水が垂れ、目がかゆくなった。それでも、そんなことはみずからの知の世界が広がっていく爽快感にくらべればささいなことだった。

 だがある日、「あいつ、法曹家でもめざす気だろうか。トリステインでは平民は公職につけないのだと、いちおう教えておいたほうがよいのでは」と修道士たちがささやくのを聞いた。
 もちろんそんなことは知っていたが、平民と貴族のあいだに立ちはだかる巨大な壁をあらためて意識させられたのはその日だった。

 以降、それを頭から完全においはらうことはできなくなった。
 ――貴族の子女しか通えない学院の図書室にある蔵書は、質量ともに修道院の書庫をこえている――そう聞いたとき、生まれてはじめて悔しさを覚えもした。
 多数の本がある環境、または本を買う金。最低限のパン。勉強にうちこむ時間の余裕。貴族の子は、そのどれもをたいして苦労することなく手に入れられるのだ。

(けれど、その壁自体を許せないのではなかったな……)

 平民のなかでも裕福な家と貧しい家には差があるように、貴族が生まれつき恵まれた環境にあるのはしかたないと思う。
 だが、努力をすれば壁を越えられるのならともかく、その壁は越えられない。まっとうなやり方では挑戦さえできない。
 トリステインで学問をこころざした平民の子は、どれだけ才能があり、どれだけ血のにじむ努力を重ねていようと、官職につくという並みの野心を持つことさえ封じられているのだ。

 そのようにできあがったこの世界の理を完全に理解したとき、怒りを通りこして、かれは絶望したのだった。

 反乱を起こしたことにはいくつもの理由があった――けれど奥底には、つねに少年のころの絶望があったのかもしれない。
 そこまで思いをいたしたときに、ベルナール・ギィは呼びかけられたことに気がついた。
 いつのまにか周囲の席は静まりかえり、かれの発言を期待する雰囲気がつくられている。
 かれは立ち上がり、今日述べるつもりであったことを話しだした。

「王政府の力は大空にある」

 その最初のひとことだけでは、列席者は何のことかよくわからなかったらしい。わかったような顔をしつつ周囲の顔をさぐっている。
 かまわずベルナール・ギィは「軍事力という面で、かれらがわれらに対して本来持っている巨大な優越とはなにか?」と問う。
 そして、すぐさまその答えをだすかたちで、最初の言葉を説明した。

「それは魔法による直接の戦闘力の差だけではない。より広い視点で見れば、なによりもかれらが空を支配していることだ。
 多くの砲をつんだ空海軍の大船団をととのえ、空を自在に横行できることが、王政府の力を強大なものとしているのだ」

 平民も風石でうごく空のフネをあつかうことはできるが、メイジがいる空海軍にくらべれば水路利用の比率はずっとおおい。
 いざとなれば風魔法である程度はフネを浮かせられる貴族とちがい、平民だけのフネでは、風石をきらして空からおちれば悲惨なことになりかねない。
 また風石は買わねばならない。帆をはるだけの水上航行ならタダのうえ、風石を積まないぶんほかの荷をおおくつめこむことができる。
 したがって、重く、多少時間をかけてもかまわない商品は、水上航路であつかうのに向いている。河川都市の商人はそれらの取引きを手がけてきたのである。

「空路によって、彼らは大軍をすばやく戦場に集結させられる。補給をずっと簡単におこなえる。
 本来なら彼らはわれわれの軍を好きな場所で、好きなときに、自由に攻めることができただろう。
 空からの砲撃で……陸に降りて攻撃してくるにしても、ずっと多くの兵力で。その場合、この反乱は一瞬で叩き潰されただろう。
 ところがいまや状況が変わっている」

 諸君も知ってのことながら、と彼は述べた。

「ここら一帯の魔法断絶圏内において、風石の力を禁じられた王政府の軍は、まず陸路しか使えない。対してわれわれの市民軍は、保持している水路を最大限につかえる。
 つまり一度に運べる物資の量で、コストの安さで、なによりも輸送スピードでこちらは優位にたった。
 これらの条件においては水路をゆく船は、空路のそれには劣るかもしれないが、陸路をゆく荷馬車よりは格段にまさるのだから」

 三十台近くもの荷馬車にわけて運ばねばならない量の物資を、船はただの一隻ではこべる。

 陸路で使われる馬や竜など輸送用の獣は、大量の食料を必要とする。ときには、軍の荷馬車の半分以上がまぐさを積むということにすらなる。
 船は食べない。少なくとも水上をゆくかぎり動力を積む必要はない。

 獣は夜をふくめ一日の半分以上の時間、休まねばならない。
 船は条件がととのっていれば夜間さえも休みなく進める。

 以上のさまざまな優位により、『水路』対『陸路』において軍配は前者にあがる。

「翼をうしなって水辺におちれば、猛禽でさえカワカマスに食い殺されよう。
 壊れた堤防からながれこんで地をおおった水。都市を育てた大河。都市民をながらく交易によって食べさせてきた水路。
 これらの水は、やがて来る王軍をさえぎってわれわれを守る壁であり、同時にわれわれにスピードでの勝利を約束する」

 厳粛な面持ちでベルナール・ギィは宣言した。
 過剰なほどに修飾された言葉を、かれの賛美歌をおもわせる荘厳な美声がうちだしていく。列席者は聞きほれてか、陶然とすらしていた。
 だが、かれ本人はというと限りなく醒めていた。

(そうだ、わたしはここまで来た)

 修道院長の推薦で、とある法務官の非公式な秘書をつとめた。そのあいだの実績で市の法律顧問官の目をひきつけ、相談役に抜擢されて十数年。
 行政にもたずさわって平民からの支持をうけ、先の代表ラ・トゥール伯爵への反感を利用してラ・トゥール反対派をまとめあげた。
 ラ・トゥールを王政府とあえて接近させることで都市民を焦らせ、暴発させ、クーデターを起こしてかれを殺し、ついにこの都市の代表とみなされるまでにのぼりつめた。
 いまでは都市連合のまとめ役となり、トリステイン王家に対する大反乱を指導している。 

(引きかえせるものか。わたしに退路はなくなっている)

 失敗すれば、反逆者のための処刑台が用意されているだけだ。
 王政府や貴族層の怒りの程度にもよるが、見せしめとして石うすや炭火をつかった無残な殺され方をしてもおかしくはない。死骸はトリスタニアの広場で腐肉になるまでさらされるだろう。
 もう、みずから選んだ血路をどこまでも進むほかない。

「各国の王は貴族をしたがえ、天空に達する力をもってハルケギニアに君臨した。
 それに一部なりと取って代わり、われわれは都市民のための新しい時代を打ち出そうとしている。
 そのためには、われわれは自分たちの力がどこにあるのかを見失ってはならない――
 それは水だ」

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 数日後。王都からでて東へ行く街道。
 日光さす午後の路上は、数リーグにわたって人馬でごったがえしていた。
 一万名をこすトリステイン王軍である。先日トリスタニアでようやく編成を完了し、急いで行軍をはじめていたのだった。

「隊長どの、またまともに歩けない兵が出ましたぜ」

 大隊長がぽりぽり頭をかきつつギーシュのかたわらに歩み寄ってきた。
 この男はニコラといい、以前の肩書きは『ド・ヴィヌイーユ独立銃歩兵大隊のグラモン中隊の軍曹』であった歴戦の傭兵である【6,7巻】。
 現在は「新設軍」なる連隊の大隊長の一人であり、新設軍をあずけられた水精霊隊隊長ギーシュ・ド・グラモンの相談役だった。

 なぜニコラが大隊長などになったかというと、ぽんと一個連隊などまかされて顔をひきつらせたギーシュの手回しだった。
 今回の反乱鎮圧軍の総司令官となった父・グラモン元帥にたのんで、旧知のベテラン傭兵を引きぬいたのである。
 このくらいしてもいいはずだとギーシュは思っている。なぜなら父親こそが、新設軍をギーシュに率いさせて鎮圧軍にくわえるよう、女王に希望したからだった。

「腹痛だそうで。道ばたに捨てときますか」

 ニコラの言葉に、ギーシュは馬上で頭をかかえた。

 ここは王軍の行軍縦列の最後尾。
 歩みののろい補給部隊の守備隊をまかされた(という名目で後方に追いはらわれた)新設軍の兵たちは、予想以上になさけない体たらくだった。
 戦意がないわけではないのだが、それでも体調をくずす者がでるのである。あるいは初陣に気負いすぎなのかもしれない。
 グラモン元帥にひきいられて先をすすむ王軍本隊の傭兵たちは、慣れきった行軍を平然とこなしていることだろう。

「またかね? いや、犬猫じゃあるまいしそんなホイホイ捨てるわけにはいかんだろ。どうにか歩かせろ。
 どうしても歩けそうにないなら、荷馬車の荷台に乗せてはこんでやれ」

「お言葉ですがね、荷馬車に乗せてやる新兵はさっきのやつで何人目ですかい。
 今んとこはほんとに緊張で駄目になったやつばかりですが、あまり甘やかしちゃいけませんや。楽に移動する連中をみてたらそのうち、ほかの兵まで楽をしたいと考えだします。
 連中、名実ともに行軍のお荷物ですぜ」

 渋い顔をするニコラに、ギーシュは嘆息しつつ擁護してみた。

「しょうがあるまい。まともな訓練期間は数月、これが最初の実戦って部隊なんだから」

 アルビオン戦役時、自分も二ヶ月即席の士官教育をうけただけで戦場にいき、右も左もわからぬ状態だったことを思いかえすと、ギーシュは彼らに対し共感せざるをえないのだった。
 が、そのギーシュを教導した本人のニコラは、肩をすくめてその感傷に水をさしてきた。

「そうそう、それですよ。この新設軍ときたら九割がたが民間人をつのった新兵だってことでしょう。
 女王陛下もなんでこんな役立たずの部隊を戦に出すんだか。
 いままでどおり自分ら傭兵をあつめた軍でよかったでしょ、今までこの軍にかけてきた金で、同数の戦慣れした傭兵を雇えましたよ」

「そんなこと言ったってもう作っちゃった軍だし。肝心の戦で一兵でも欲しいときに出し惜しみしてたら批判が飛ぶだろう」

「そりゃ違いありませんやね。まあ、お偉いさんがたの決定にはいつでも政治的な理由ってのがあるってえことですな」

 平民の志願者で構成されたこの新設軍に対するニコラの評価は、きわめて低い。
 しかしニコラのこきおろす「新兵ばかりのヘボ連隊」をあずけられたギーシュとしては、初陣のアルビオンで戦場の作法を手ほどきしてくれたこの元・軍曹がたよりなのだった。

「ところで話は変わりますが」

「ん?」

「どっちの『隊長』でお呼びしましょうかね。近衛隊長と連隊長と。
 前の戦争んときはぼっちゃんのことは中隊長どのって呼ばせてもらいましたが、今じゃ出世されてますし。
 そういえば、自分を大隊長に引き立ててもらったことの礼がまだでした。すみません、愚痴る前にそっちを言っとくべきでしたぜ」

 いやあ大隊長なんて普通なら貴族のかたがたの役回りなんで、ほんとありがてえことです――と野趣あふれる笑みを浮かべたニコラの横で、ギーシュは空をあおいでうなった。

「きみの大隊長はいいんだが、ぼくが連隊長というのはねえ……。正式な連隊長ってわけでもないし、そう呼ばれるのは少々おもはゆいな。
 そりゃあいずれ新設軍を任されるかもなんて話はされていたがね、これは無茶すぎるというものだろう」

 実をいうと彼にも、自分自身のいまの身分についてはよくわからないのだった。
 グラモン元帥から希望されたということで、アンリエッタから「新設軍をたのみます」と委ねられはしたが、明確に連隊長に任命されたわけではない。

 が、立場だけみれば連隊長のそれなのである。自分の下に大隊長、軍の泊まるところを手配する設営隊長、補給担当の輜重隊長および実戦部隊の要である中隊長がならび、これら新設軍の人事権は自分があるていどにぎっている。
 いくら指揮権は無いにひとしく、いったん戦場に出れば総司令官である父・グラモン元帥の命令にしたがうのみとはいえ、自分には責任が重すぎるような気がしないでもない。

「心配しなくとも、どうにかなりまさ。お父上の命令どおりに動いていればいいんでしょう?」

「うん……そうだな、なるようになるか。それに出世は出世だし。
 うん、考えてみれば一軍を率いる若い将というのはじつに華があるな」

 とはいえ結局ポジティブ思考に向かうのは、ギーシュの長所といえば長所だった。

「そうそう、ぼくの呼び方だったな。
 とりあえず連隊長でも近衛隊長でもきみの好きなほうで呼べばいいけど、できればこのまま気楽に『隊長どの』と呼んでもらおうか。
 ……父上の前に出たとき、『近衛隊長どの』と呼ばれるのはちょっと考えものだ」

 近衛隊長である彼の立場の重さは、本来なら元帥の地位にさえ匹敵するものなのである。
 そうなると父親とは同格にちかくなってしまうのだが、そこは家長をおもんじる貴族の家である。家内での序列が対等になるわけもないのだった。
 そこへきて新設軍を預けられたのは父親の口利きによるものとなれば、見栄っ張りなギーシュもさすがにはばからざるをえない。

 と、「なるほど。グラモン元帥はそういう心積もりですかい」とニコラが手を打った。

「なにがだ」

「この軍でさ。王軍というよりグラモン軍ですからな。隊長どのをとりたてたのも親父さんでしょう。
 ただの身内びいきじゃありませんやね。右翼左翼をひきいる将を身内でかためちゃえば、どんな遠慮ない命令だろうとくだせます。幕内でときたま起きる意見の対立も、最小限におさえられます。
 軍を総司令官の手足のようにうごかせるってえことです」

 グラモン軍。その名称は的を得ていた。
 ギーシュの一番上の兄は、グラモン領の兵およびその他の諸侯軍をまとめた二千余名の兵を率いて右翼に。本隊に並行して少し離れた道を進軍している。
 三番目の兄は、もともと王軍士官であり、父のいる本隊のうちの一連隊に所属している。
 二番目の兄のみが、空海軍所属のためこの場にはいない。

 王軍+諸侯軍。六個連隊の規模を持つこの鎮圧軍は、街道をぞろぞろと行軍して、魔法が禁じられた区域に今しも踏みこむところなのだった。

「もちろんそれが大きいだろうけど。実のところ、王軍のどの将も今回の出兵の指揮をとることを嫌がったんだそうだ、これが」

 ギーシュは肩をすくめた。
 平民の反乱はハルケギニアにおいてきわめて珍しい。支配層である貴族との間に、本来は大きな軍事力の差があるためだった。
 したがってごくまれに起こる平民の反乱を片付けることなどは、軍をひきいる貴族にとっては伝統的に気のすすまない汚れ仕事あつかいだった。
 簡単すぎるうえに弱いものいじめとあって、名誉とはみなされなかったのである。

 だから貴族の武官たちは、鎮圧軍をひきいることに難色をしめした。
 「今回は魔法が使えないから簡単とはいかない。じゅうぶんに名誉ある出征である」と伝えてそれとなく打診しても、言を左右にしてどうにか避けたがる。
 手柄をあげたところで、あとあと競争相手である同僚からは「平民を殺してのしあがろうとした奴」と揶揄されつづけるであろうし、まして失敗などすれば……と思えば、乗り気になるはずもない。
 女王が命じれば否応もなかっただろうが、アンリエッタが業をにやす前にグラモン元帥が宮廷にあらわれたのである。

「……だからといって、引退したはずの父上が出てきて奏上しちゃうとは思わなかったがね。
 『自分なら、王軍の将のだれにとっても競争相手とはみなされまいから』とのことだそうだ」

「そりゃ元気なこってすねえ」

「アルビオン遠征に参加したかったって残念がった人だぞ【6巻】。
 若手がぐずるのを見かねてしびれを切らしたというより、ありゃ自分がやりたかっただけじゃないのか」

「いいじゃないですか。とにかく戦なれしたお人が指揮をとるだけでも下のほうは安心できまさ。
 こういっちゃなんですが、引きうける人がいなくて隊長どのみたいなぺーぺーが指揮を任されるなんてことが起きてたら、王軍の一割は戦場につくまえに脱走してますぜ」

「……一割ぐらいならいいじゃないか。たった一割だと思えないこともないだろ」

「さらに三割ほどは金を受けとり次第とんずらしようという算段ですな。
 自分もどんな苦境でも、最初の給料日まではと辛抱したもんです」

「きみの給料、反乱が終わってから一括払いでいいかね」

「いやいや冗談です逃げやしませんでしたから」

 戦にかかわる諸々のことについて話しあいつつ、あまり緊張感のないやり取りを交えながら、二人は馬をすすませていく。

 街道の周囲の畑には大麦や豆などの春蒔きの作物がそだち、太陽が兵士たちに軽い光の毛布をふわりと投げかけてきている。猫が農家の屋根で昼寝していた。
 ほんの数日先には戦があるとは思えないほどの、のどかな光景だった。
 だが、かれらが進んでいく先にはまぎれもなく、最初の河川都市であるガンの城壁がそびえたっている。

 この行列はやがて、敵の野戦部隊との遭遇をかんがえた横隊行進に変わるだろう。
 マスケット銃兵と火縄銃兵の混成部隊、騎獣に幻獣をふくむ騎兵、林のように槍先をたててならんだ短槍兵、砲と砲兵、工兵、補給を担当する何千台もの荷馬車隊……
 総勢、一万一千名。トリステイン王政府はごく短期間で、どうにか反乱勢に倍する戦力をととのえたのである。
 メイジが役に立たない戦であろうとも、この規模ならば市民軍を始末できるはずだった。

 激突は確実にせまりつつある。


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Last-modified: 2008-11-19 (水) 22:31:44 (5630d)

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