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Last-modified: 2008-11-10 (月) 23:00:10 (5617d)
夢を見た。
座り込む自分に、話しかける髭もじゃの放浪人の男がいた。
「よぉ、どうした少年」
それはまだずいぶんと自分が小さかった頃の思い出。
夕暮れの川原で、一人落ち込んでいたときの思い出。
「母様を見ていると…辛いんだ」
「どうして?」
なぜかその放浪人には、全てを話してもいい気がしていた。
ただの通りすがりだから、自分の弱音を吐いても、問題ないと思ったのかもしれない。
「無理に笑ってるのがわかるんだ。父の話になると」
「なんだ、お前父なし子か?」
父はいる。今もきっとどこかで生きている。
…だけど。
「…どこかにいると思う。でも生まれてから、一度も会ってない。
会いにもこない。あんなやつ父親じゃない」
「おいおい。何か事情があるのかもしれないぜ?その言い方はないんじゃねーの?」
今日も、母を嫌う下劣な臣下が、父に関する話題を持ち出した。
母はそのたび、辛そうに微笑む。見た目には普段と変わらない笑顔だが、きっと母の心は切り裂かれているのだ。
そんな母を見るのが、とても辛かった。
「あるのかもしれない。でも会いにすらこないってことは、やつはもう母様を愛していないんだ。
でも母様はやつを愛してる。今でも、そしてきっとこれからも」
「…なるほどねえ。ひでえ男もいたもんだ」
言って男は、くしゃくしゃと自分の頭を撫ぜた。
大きな、頑丈な、汚れた手だった。でも不思議と嫌じゃなかった。
「なら、思い知らせてやれ。その男に、お前と母さんがどんな思いでいるのかってな。
何年かかってでも見つけ出して、ぶん殴ってやれ。気の利いた台詞の一つもおまけにつけてさ」
言って男は不器用にウインクして見せた。
その不器用さがおかしくて、自分は大声で笑って。
拳骨を食らったのを覚えている。
それもまた、不思議と嫌じゃなかった。
「…夢を見ました、母様」
朝日の差し込む宿屋の一室。
差し込む日差しを金の雫に換え、その青年は空を振り仰いで呟いた。
裸の上半身は彫られた像のような均整を誇り、その整った顔立ちが一層彼の美しさを際立たせていた。
鳶色の髪は朝日を弾いてきらきらと光り、母親譲りのその顔立ちは、妖精すら連想させた。
彼の視線の先には青空しかなかったが、彼の瞳には美しく微笑む母の姿がありありと浮かんでいた。
「私が生き方を決めることになった、恩師の夢です。
…この日の朝に見ることになるとは。きっとこの日は運命だったのでしょう」
彼は今まで、瞼の父に復讐することを誓って生きてきた。
それもこれも、あの恩師の一言があってのこと。
彼は今どうしているだろう?
彼はあの後、しばらく王都に滞在して自分にお遊び程度の剣を教えてくれたが、一月もすると姿を消した。
旅の傭兵かなにかだったのだろう。
今はきっとどこかの軍に雇われ、獅子奮迅の活躍をしているに違いない。
なにせ自分の恩師なのだ。
「この剣に、誓います。
私は今日この日、憎き父の首を、母様と師に捧げます」
ついに見つけた、父の居場所。
長年捜し求め、追いかけ続けた父の居場所。
彼の名は、シモン・ベルナルド・リ・トリステイン。
トリステイン王国第一王子にして、『疾風の魔法騎士』の二つ名を持つ、トリステイン最強の魔法騎士。
父の名はサイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ。
かつて、『トリステインの盾』と呼ばれた英雄である。
その頃、ガリアの東端、廃墟となったアーハンブラ城。
「姉様姉様、本当にここでよいのかしら?」
「さっきも確認したでしょフィオナ。どうせ表には出来ない密談なんだから、こんな寂れた場所じゃないと」
「でもでもぉ。『木を隠すには森の中』って言いますわよフローラ姉様♪」
「あ・ん・た・は!余計な口出さなくていいのマリーウェザー!」
「ひだいひだいひだい!らってほろおられえはまのへいはふっれいっふも」
「『フローラ姉様の計画っていっつも』何かしら!何かしら?ええい小憎らしいこの口っ!」
「姉様、姉様?そんなひっぱったらマリーのお口がカバになっちゃいます」
「カバにでも馬鹿にでもなればいいのよ!ちびのくせになまいきぃぃぃぃぃぃい!」
「ひだいひだいひだいひだいひだいひだい!」
「ああ、もうどうしましょうか」
廃墟となった城の真ん中で、場違いな豪奢な色違いのドレスに身を包んだ三人の娘が、姦しく騒いでいた。
一人は釣り目のきつい背の高い、真っ直ぐな髪の長い娘。
一人はおっとりとした顔立ちの普通の背の、ゆるくウェーブのかかった長い髪の美しい娘。
一人は活発そうなくりくりした目の背の低い、髪を短く切りそろえた娘。
三人には共通した特徴があった。
三人が三人とも、そろいも揃って青い髪をしていた。
一番背の高いのが長女のフローラ。
二番目の背が次女のフィオナ。
一番ちびっこいのが三女のマリーウェザー。
信じられないかもしれないが、この三人は三つ子である。
フローラとフィオナは生まれたときに健常であったが、未熟児であったマリーウェザーは半年以上施療院の保護の下育てられ、二人より一年遅れて母の手に移されたのである。
その影響か、マリーウェザーだけは発育がよろしくなく、この三人の一番下として扱われている。
上の二人は好対照で、顔立ちこそそっくりだがその中身は火と水に例えられていた。
そしてその中身の通り、二人は『火』と『水』のトライアングルメイジである。
この三人は、三人で通称『ガリアの姫巫女』と呼ばれている。
三つの属性のトライアングルメイジである彼女らは、母の威光もあって、ハルケギニアでも名の通ったメイジであった。
彼女らの母は、通称『鋼鉄の魔女』『吹雪の女帝』、シャルロット女王。その強大な魔力と政治手腕でガリア王国を統べる女帝であった。
ちなみに三女のマリーウェザーは『風』のトライアングルメイジである。
そのマリーウェザーの口が本当にカバになる寸前。
蜂の羽ばたきのような細かい音が響き、彼女らの目の前の空間に、一本の線が刻まれた。
「やっときたわね」
マリーウェザーの口から手を離し、フローラは腰に握りこぶしを当ててその線の前に立つ。
その線は中央部から少しずつ膨らみ、中から細い手が出てきた。
そして黒い長髪を持つ頭、長い耳のついた顔、均整の取れた身体が順番に出てきた。
「十分遅刻よ。フェルディナンド」
「あれ?もうそんな時間だっけ」
フェルディナンドと呼ばれたそのエルフは、すっとぼけたように笑う。
彼の正体は、エルフの統領の息子にして、未知の魔法、「空」の使い手。
エルフの統領の息子と姫巫女達の密会。
確かに表には出来ない密会だった。
「呼び出した側がその態度?いい根性してるじゃないのさ」
釣り目を鋭い視線で満たして、フローラはフェルディナンドを見据える。
「まあまあ、姉様姉様。フェルも悪気があっての事じゃありませんわ」
おっとりとフィオナがとりなす。
「そーそー、フェルちんだってオトコノコの都合ってもんが」
調子に乗って続けたマリーウェザーの口を再び、フローラがひっぱった。
「なにが『オトコノコの都合』だっ!このマセガキぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
「ひだいひだいひだいひだいひだい!」
どうやらこの長女は三女のことが嫌いらしい。
「まあまあ仲がいいのはわかったから。
ボクにも話させてよ」
にこにこ笑いながらフェルディナンドはフローラとマリーウェザーの間に割って入って、二人を引き離す。
「…今のが仲良く見えるんだったら、アンタおつむか目の医者にかかったほうがいいわよ。
なんならガリア王室付きのいい医者紹介しようか?」
そういうフローラに、
「じゃあまたの機会にお願いするよ。それより今は緊急事態なんだ」
フェルディナンドはとても緊急事態には聞こえないのんびりした口調でそう言った。
「…父様の居場所が分かったんでしょ?」
フローラのその言葉に、残りの二人も息を飲む。
彼女達三人は、父を知らない。
ただ、母から、父は素晴らしい人で、伝説の勇者イーヴァルディの顕現であり、優しく強くカッコよく、母を助けてこの世界を危機から救った勇者であると伝え聞いていた。
そんな父を一目みたいと、三人は常々思っていた。まさに憧れの人であった。
そこへ現れたのがフェルディナンドである。
『ああ、その人なら知ってるよ』
唯一エルフと国交のあるガリア王家に謁見に来ていた黒髪のエルフが、三人の父親談義をたまたま耳にしたのが始まりだった。
彼はエルフの統領の息子で、謎の系統『空』の使い手だった。
『空』の系統はかなり特殊である。その名の通り、空間に魔力で干渉して魔法を使う。
遠くのものを映し出したり、既知の場所に一瞬で移動したり。
しかもそれを扱えるのはエルフの中でも彼だけだという。
ついでに言うなら、黒髪のエルフも彼だけらしい。
飄々とした性格と父の情報で、三人に取り入った彼は、何度か彼女らと逢瀬を重ね、その度に彼女らの父親の情報を与えてきた。
そして今回。
彼はついに、彼女らの父親の居場所を突き止めたのだ。
姫巫女たちの父親の名は。
サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ。
かつて、『トリステインの盾』と呼ばれた英雄である。
しかしどのような手段を講じても、彼の行方はようとして知れなかった。
虚無の魔法を操る魔女が、彼を幽閉しているというのだ。
フェルディナンドは『空』の魔法で何度も救出を試みたが、その魔女の魔法に邪魔されているせいで、姿を見ることは出来ても、場所を特定するまでには至らなかったらしい。
それが、ついに彼の居場所を突き止めたというのだ。
「いや、それは別に緊急事態じゃないよ。
君たちのお兄さんが、お父さんを狙っているんだ」
「「「へっ?」」」
三人は揃って驚いた顔をした。
驚いた顔と声とタイミングは全く同じで、確かに三つ子だと納得できた。
「出て来いシュヴァリエ・サイト!ここにいるのは分かっているっ!」
トリステインの第一王子は一軒の家の前で喚いていた。
近所迷惑である。
「どうした臆したか!出て来い!今日こそありったけの恨みを込めて、この剣の錆にしてやるっ!」
振り抜いた剣が天高く突き上げられ、日差しを遠慮なく周囲に弾き散らした。
近所迷惑である。
「そうか、出てこないというのなら、魔法で引きずり出してやるっ!」
そして剣を鞘に収め、懐から杖を抜くと、朗々と詠唱を始める。呪文の内容は『アイシクル・テンペスト』。氷の嵐でもって辺りをなぎ払う、トライアングル・スペル。
はっきり言って近所迷惑である。
「やめなさいってば」
ごっちん。
背後から振り下ろされたフライパンが、シモンの詠唱を止めた。
後頭部をフライパンで遠慮なくブン殴られ、地面の上でのたうつシモン。
彼をどついた少女は、彼を見下ろしてフライパンを担いでいた。
「街中で範囲魔法使うなってお母さんに教わらなかったの?
これだから貴族のボンボンはー」
呆れたように言ったその栗毛の少女は、一目でシモンを貴族と見抜いた。
まあ確かに、シモンは高価な絹製品で身を固めていたし、その立ち居振る舞いも貴族のそれだった。
近所迷惑なところとか。
「だっ、誰が貴族のボンボンだっ!無礼だろうっ!」
立ち上がりながらシモンがフライパンの少女に文句を言う。
「あんたよあんた。それとも何?あんた貴族じゃないわけ?」
呆れたように呟き、フライパンを指先でつまんでぶらぶらさせる。
明らかに馬鹿にしている。
「この、平民風情がっ!畏れ多くも我が名はっ!シモン・ベルナルド・リ・トリステイン!
トリステイン王国第一王子なるぞっ!」
少女の目が点になる。
そしてはぁ、とため息をついた。
「そっかぁ…来ちゃったかぁ…」
「何の話だっ!」
シモンの突きつける指を無視し、少女はすたすたと歩き出す。
「どこへ行く!」
「ついてらっしゃい。シュヴァリエ・サイトと戦いたいならね」
シモンの身体が一瞬、硬直する。
この娘、今、『シュヴァリエ・サイト』と言ったか?
少女の言葉に、シモンは何故か従ってしまった。
少女は先ほどの家から少し離れた大きな納屋に行き、その中にシモンを導いた。
そこは、どう見ても訓練施設だった。
踏み固められた足元の土。
中央には線で囲われた試合場らしきもの。
そして壁に掛けられた大小さまざまの木剣。
「ここは…?」
まるでトリステインの騎士団修練場を見ているようだ。
シモンは驚いていた。
こんな、アルビオンの片田舎に、こんな立派な修練場があるとは。
「見ての通り訓練所。
ま、今使ってるの私とショウとハヤト兄だけだけどね」
言って少女は、納屋の一番奥の壁に掛けられた、一本の大剣を手にした。
それは古ぼけてはいたが、他の剣とは違い、本物の剣であった。
そして、少女が鞘からその古ぼけた剣を引き抜くと。
「よう嬢ちゃん久しぶりだな。親父はどうしたい?」
その古ぼけた剣がしゃべった。
「な、な!剣が喋ったっ?」
シモンは驚くが、この少女にとってはこの剣が喋るのはどうやら当たり前らしい。
「パパならお出かけ中。ちょっと厄介ごとだからデルちゃん手伝ってくれる?」
「あいあい。俺っちもヒマしてたからな。なんでもするぜぃ」
少女はまるで重さを感じていないようにその剣を振ると、シモンに突きつけた。
「さて。シュヴァリエ・サイトに挑むつもりならまず私を倒してからにしてもらいましょうか?
シュヴァリエ・サイトの娘、マナ・ヒラガ。舐めてかかると痛い目見るわよ」
「い?」
驚くシモンに、栗毛の少女、マナは、地面を蹴って一瞬で間合いを詰め、喋る剣・デルフリンガーを振り抜いた。
ガキィンっ!
デルフリンガーと一瞬で抜刀されたシモンの剣が火花を散らして噛みあう。
「き、君、今なんとっ?」
鍔迫り合いをしながら、シモンは間近の少女に尋ねる。
少女ながらなんという膂力。気を抜くと押し返されそうだ。
「聞いてなかった?シュヴァリエ・サイトの娘よ、私。
シモンお兄ちゃん」
「な、君は!」
言ってシモンは鍔迫り合いを放棄し、背後に飛び退る。
そして言い放った。
「君は、私の腹違いの妹だとでも言うのか!」
「たぶんそーじゃなーい?ハヤト兄もそうだしー。
ま、ウチのパパの節操なしは伝説級だってママもデルちゃんも言ってるし」
「確かにな。ウチの相棒の節操のなさはブリミルも真っ青さね」
シモンは驚愕していた。
自分の父の節操のなさにではない。
その節操のなさを知りながら、それを許容できている目の前の娘がだ。
シモンはそんなマナに問うた。
「ど、どうして君はそんな父親を許せるんだ!」
「だってパパ優しいし。冴えないけどウチの大黒柱だし。
ま、ちょっとはかっこいいから、ママ達が流されちゃったのも、しょーがないかなー、なんて」
頭をぽりぽり掻きながら、デルフリンガーの切っ先を地面に置いて、マナはそう言う。
そうか。
シモンは理解した。
彼女と自分の決定的な違い。
そして自分の母と彼女の母の決定的な違い。
だらんと下げられた剣を持つ手が、ふるふると震える。
「…そうか、君は愛されているんだな」
そう。彼女は愛されている。
母が望んでも得られなかった、あの男に。
その愛の何分の一かでもいい。
母に、そして自分に注いでくれれば。
自分はこんな道を歩まずに済んだ───────。
怒りが、ふつふつと沸いてくる。
それは行き場を失い、そして。
「その半分でも、父は母に向けるべきだったっ!」
叫んで、一瞬で間合いを詰めた。
白刃が閃き、マナの身体を捕らえる。
その瞬間。
「上げな、嬢ちゃん!」
ガキィン!
盛大な金属音と火花を立て、立てられたデルフリンガーがシモンの剣を受け止めた。
デルフリンガーの助言がなかったら、マナの胴は分断されていただろう。
「さ、サンキューデルちゃん助かった」
「抜き身の剣ぶら下げてる相手に油断するなよ嬢ちゃん」
ぎりぎりとシモンの剣がデルフリンガーを押す。
先ほどとは比べ物にならない力だった。
不自然な体勢もあって、マナはじわじわとシモンに押されていく。
「そうだな、君に罪は無い。悪いのは君の父親だ」
その言葉とともにシモンは一気にマナを突き押す。
「うわたっ!?」
よろよろとよろめいたマナに。
一瞬で間合いを詰め、シモンは肩口からタックルを食らわせた。
マナの身体は軽々と吹き飛び、訓練所の壁にしたたかに打ち付けられる。
マナの肺から空気が押し出され、一瞬完全に呼吸が止まった。
「げほ!げほ!」
咽こんで空気を貪るマナ。
その隙を見逃すシモンではなかった。
懐から杖を取り出し、詠唱に入る。
高速化された呪文の詠唱はすぐに終わり、杖の先に鋭い空気の刃が何本も生まれる。
『エア・カッター』の群れだった。
復讐者の冷酷な目で、シモンはマナを見下ろす。顔立ちの美しさが、その冷酷さに凄みを加えていた。
「恨むなら、自分の生まれの不幸を恨むがいい」
そして呪文は放たれた。
バキンっ!
そして呪文は破棄された。
「…誰だ貴様」
エア・カッターを打ち消したのは、横から伸びてきた棒に張られた結界であった。
「トリステインの王子様が女の子襲ったらまずいんでない?」
「は、ハヤト兄」
それは、漆黒の髪を持つ、中肉中背の青年だった。
ハヤトと呼ばれた青年は、どこかシモンと似ていた。
年のころも同じくらい、髪の色と顔立ちこそ微妙に違うが、この二人が兄弟だと言ったら、誰もがそう信じるだろう。
それほど、二人には同じパーツが使われていた。
「ま、そこの娘の腹違いのアニキだよ。
あんたと同いだけどな。シモンお兄ちゃん」
言ってハヤトは油断なく手にした棒を構えた。
どうやらこの男は、棒術を使うらしい。
しかも先ほどの呪文の破棄を見ると、この男もかなり使えるメイジのようだ。
「なるほど貴様もシュヴァリエ・サイトの種の一つというわけか」
「いやあんたもだろ」
消えない殺気に辟易しながらハヤトは応える。
二人はじりじりと間合いを計りながら、回転していた。
お互いに隙を伺い、打ち込むタイミングを計っている。
棒のリーチは確かに長い。だがその全てを使った打突は、一度避けてしまえば剣の間合いの内だ。
そしてその最初の一撃が、勝負を決める、はずだった。
「ハヤト兄ちゃん!パパ呼んで来たよー」
納屋の外から聞こえた幼い声。
納屋の入り口には、マナと同じ栗毛の、少年が立っていた。
その後ろには、髭面の、中年の男が。
「よ。マナ、ハヤト。何やってんだ?」
振り向いたそこには。
忘れもしない。
「し…師匠!?」
夢の中で見た、あの恩師。
黒髪の、冴えない男。
つまり、自分がずっと師と仰いでいた男は。
憎むべき、父だったというのだ。
「う、う、う、嘘だあああああああああああああああああああああ!」
シモンは叫んで昏倒した。
「あれ?もう終わったんですかつまらない」
空間を渡ってやってきたフェルディナンドはそう呟く。
後ろには、ガリアの姫巫女たちが目の前の中年を信じられないようなものを見る目で見つめている。
「んー、まあな。お前の警告のおかげである程度は対策取れたし。
…で、その子達誰?」
男の疑問は当然だった。
顔見知りのフェルディナンドはともかく、一緒に現れた三人の娘は知らない顔だったのだ。
「自分の娘にまで手を出しますか。さすが伝説の節操なしは度量が違う」
「…あのなあ。…ってことは、あの三人?」
「そうです。ミス・タバサの娘さんたちですよ」
男ははっとして三人を振り仰ぐ。
言われてみれば確かに。
この三人には、確実にあの小さなシャルロットの面影があった。
「そっかあ、初めましてになるけど。
俺、平賀才人。サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガっつったほうが通りはいいかな」
頭をぽりぽり掻きながら、才人は言って娘達に近づいた。
「嘘ですっ!」
叫んだのはフィオナだった。
「ちょ、ちょっとフィオナ」
フローラが慌ててフィオナを止める。
「だ、だって、だって、母様の言っていたのとあまりにも違うじゃないですかっ!
あ、あの、伝説のイーヴァルディの顕現とまで言われた私達の父様がっ!
こ、こんな冴えない中年だなんてっ!」
そのフィオナを見たマリーウェザーが首をこくこくと縦に振る。
「フィオ姉はイーヴァルディもののお耽美読みすぎなのよー。
だから言ったじゃん、もっとバトル系の読み物にしなってー」
「「あんたは黙ってなさいっ!」」
「ふぁい」
三人のやり取りを見た才人は、にっこりと微笑む。
「シャルロットの言ったとおりだな。
仲のいい三姉妹じゃないか」
その微笑は、確かにどこか憎めない魅力があって。
それを最初に認めたのは、長女のフローラだった。
「初めまして、お父様。ガリア王国女王シャルロットが一子、フローラ・ヒラガ・オルレアンにございます」
言って脚を交差させ、ドレスのスカートの裾をつまみ、見事に正式の礼をして見せる。
続いたのは三女のマリーウェザーだった。
「初めましてっ。お父様!三女のマリーウェザーだよ。マリーって呼んでね」
言って何故か敬礼。結構様になっている。
「ちょっとマリーあんた!お父様に会ったらちゃんと礼しなさいっていっつも言ってんじゃないのっ!」
「いいじゃんこっちのが可愛いじゃん!暴力反対ーっ!」
追いかけっこを始めた二人を暖かい視線で見守り、才人は最後の一人を見つめた。
まだ信じられないものを見る目で、フィオナと呼ばれたその娘は自分を見ている。
「どうした?フィオナはお父さんに初めましてしてくれないのかい?」
にっこり笑って才人はそう言う。
そしてフィオナの青い瞳をじっと見つめる。
フィオナの心臓が、どきんと跳ね上がる。
…そうか。母様は、この瞳に恋したんだ…。
「…そう、ですね…」
そう言うものの、一度とった態度を覆すわけにもいかず。
フィオナがもじもじとしていると。
「じゃ、俺から」
そう言ってフィオナをぎゅっと抱きしめて。
そのままお尻の下に手を回すと、小さい子にそうするように、抱き上げた。
「初めての抱っこだ、フィオナ」
フィオナの顔が真っ赤に染まるが、すぐにフィオナは父の肩にその頭を預けた。
「はじめまして、お父様…あなたの娘、フィオナです…」
そう言って、父の首にぎゅっと抱きついた。
「あー!何やってんのフィオナぁ!」
「あーフィオ姉ずるいー!マリーも抱っこーーーー!」
「ボクも抱っこー」
三人に混じってそう言うフェルディナンド。分かってやっているのだろうが、はっきり言ってキモい。
三姉妹がそんな黒髪のエルフに怪訝な視線を向ける。
「あ、言ってなかったけそういえば」
ぽりぽりと頬を掻きながら悪びれた風もなく。
「ボクもこの人の子供だよ。よろしくお姉ちゃんたち」
「「「な、なんだってーーーーーー!?」」」
三人は揃って驚いた顔をした。
目を覚ますと。
「あ、気がついた?」
あの栗毛の少女が、ベッド脇で自分を看病してくれていた。
手には剥きかけのりんごを持っている。どうやら剥いてくれているらしい。
「…わ、私は一体…」
記憶が抜け落ちている。
今朝、ようやく仇の居場所を突き止め、目的地の家へと殴りこんだはいいが。
そこから先が思い出せない。
「パパ見て気絶しちゃったのよ、シモンお兄ちゃん」
「お兄ちゃん言うなっ!」
思わず突っ込む。
そして全てを思い出す。
「う、嘘だ!これはきっとアレだ、虚無の担い手の見せた幻影に違いない!」
頭を抱えて錯乱するシモン。
彼は小さな頃から母に教わってきた。
虚無の担い手は恐ろしい魔法使いだと。
幻影で人を惑わし、他人の記憶を操り、全てを破壊しつくす。
けして心を許してはならない、恐ろしい相手だと。
「ま、諦めて現実受け入れたら?その方がハッピーよ」
そう言ってマナは、引き続きりんごの皮を剥いた。
そしてすぐに剥き終わり、きれいに一口大に切り分けると。
「はいどーぞ。お腹すいてないならいいけど」
手近にあった小皿に載せて、そのりんごをシモンに突き出した。
「受け入れられるものか…」
言いながらシモンはそのりんごを一切れ口に運ぶ。
なんのかんの言いつつお腹はすいていたし喉も渇いていた。
口の中で酸味が広がる。旨いりんごだった。
「今まで愛情もらえなかったってんならさ、これから埋め合わせてもらえばいいじゃないの。
私も手伝うよ、お兄ちゃん」
言ってマナはシモンの手を優しく握る。
それは、とても暖かく、柔らかい手だった。
はっとしてシモンはマナを見る。
「あのバカ親父から搾り取るんなら、ウチら兄弟全員協力するよ?」
マナはシモンの視線を受けてにっこり笑う。
「そうか、そういう考え方もあるのか…」
言ってシモンの顔から、憑き物が落ちていく。
今まで復讐に充ててきた時間。それを今から埋めなおせばいい。
そうか、そういうことか。
「ありがとう、マナ。君はいい娘だな」
「まーね。パパの娘だからね」
そして二人は視線を交わし、笑いあう。
シモンはひとしきり笑った後、ベッドから立つ。
「あれ、もう大丈夫なの?」
「ああ、もう平気だ。気分も晴れた。今一度父上に話をしてこようと思う。
マナ、父上はどこだい?」
「ああうん、今ここの一階にいるけど」
「ありがとう、今すぐ行ってくる!」
「あ、ちょっと今はっ!」
マナの制止も聞かず、平賀家長兄は走り出した。
「お久しぶりです、サイト様ぁっ!」
「あっこら人の夫に抱きつくなって言ってんでしょアンリエッタぁっ!」
「トリステイン女王に向かって無礼であるぞ!ラ・ヴァリエール!」
「その名前はとっくの昔に捨てたっつってんでしょうがっ!いいからどきなさいっ!
あっこらシエスタ!何どさくさにまぎれてっ」
「へへーんだ。早いもの勝ちですぅー」
「昔っからそうよねアンタは!早かったらいいってもんじゃないのよっ!」
「ああら、手が早いのはルイズも一緒でしょー」
「むっきいいいいいいいいいいいい」
階下は地獄と化していた。
一人の男を中心に、世界中から集まった花達が、その男を取り合っている。
「…ひさしぶり、サイト」
「かわんないなあ、テファはほんとに」
「…えへへ。これでも老けたって言われてるのよ?公務とかいろいろタイヘンなんだから」
「そっか、頑張ってんだな」
「くぉらそこの乳エルフ!いつの間に『イリュージョン』仕込んだっ!」
幻影を『ディスペル・マジック』でかき消したルイズが、部屋の隅で仲よさそうに語らう二人を見つけた。
「乳エルフって!乳エルフって!気にしてるのに酷い!」
「…ルイズはないからひがんでるだけ」
「あによ!昔はあんたもぺったんこだったじゃないの!
老けるほど乳牛みたいに腫れ上がらせて!はしたないったらありゃしない」
「…だれが老けてるって?」
「三人も生むと肥立ちが悪くてタイヘンね?お肌がひび割れてましてよ女帝サマ?」
「…コロス」
『鋼鉄の魔女』の魔法を皮切りに、階下は魔法合戦の様相を呈し始めていた。
それをぽかんと口を開けて見つめるシモン。
あとから降りてきたマナが、あっちゃー、と言いながら顔を手で覆う。
「まぁた始まったかぁ…」
どうやらマナはこの場面を結構目撃しているらしい。
「こ、これは…?」
「あー、ここの恒例行事。私が生まれる前から続いてるらしいよ?
アンリエッタ女王の結婚式から、ママがパパをかっさらってからずっとらしいわ」
…つまり。
母は父に会いに、定期的にここに来ていたというわけで。
つまり、自分が思っているほど、母は父について深刻に考えていなかったわけで。
つまり、母はずっと自分には父の事はヒミツにしていたわけで。
「もうイヤだっ、もう何も信じないっ」
「あ、ちょっとシモンお兄ちゃんっ?」
シモンは言って、裏口から飛び出していった。
これが、後にハルケギニア世界を統べる王、シモンとその兄弟達の冒険の一ページ目だという事は。
恥ずかしくて誰にもいえない。〜fin