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Last-modified: 2008-11-10 (月) 23:00:33 (5639d)
……そんな事があった為に、今アンリエッタの心の中にはサイト――サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ――が住みついていたの
だった。あれから数日が経っていたのだが、その間彼には王宮に来る用事が無かった。おかげで会う事も出来ず、日を追う
毎に心の中の彼の占める割合は大きくなるいっぽうであった。
(サイトさま…お会いしとうございます…)
会いたい、会いに行きたい。
しかし、女王としての立場では無理な相談だった。
ココのところ執務が忙しく、とてもじゃないが魔法学院まで行って帰ってくる時間は取れなかった。ましてや往復だけではな
い。彼はガンダールヴ――虚無の担い手でもある幼馴染、ルイズ・フランソワーズの使い魔――ではあるが、それと同時に水
精霊騎士隊の副隊長でもある。彼女の部屋に行ったからといって、必ずしもそこに居るとは限らないのだ。つまりは探さなく
てはならない。すぐに見つかれば良いがそうでない場合、手間は兎も角、時間が掛かってしまう。それを考えると、まる1日
空けなければ、学院へ行って彼に会う事は出来ない。ましてや会って会話を楽しむなど出来ないのである。
では、呼び出す。
それも無理な話であった。
たしかに彼は水精霊騎士隊、つまりは女王の近衛兵(まだ訓練期間中ではあるが)の副隊長ではある。ではあるのだが、
普段の執務においては近衛は銃士隊のみで十分なのだ。そこにわざわざ用事を作ってまで呼び出すというのは、彼の負担
になるばかりではなく、彼の主人であるルイズに訝しがられてしまう恐れがあるのだ。
(明日は虚無の曜日。あなたは何をなさっておいでですか…)
愛しき人に思いを馳せ、アンリエッタは眠りに就いたのだった。
その日、朝早くからサイトは馬を駆っていた。王宮へ赴くためだった。
それは昨日の事。以前自分に剣を教えてくれたアニエスが、『たまには稽古をつけてやる』と手紙を寄こしたのだ。
シュヴァリエになってからというもの、独自に鍛錬はしてきたし、同じ水精霊騎士隊のメンバーと手合わせしたりもした。
しかし、彼はメイジでは無い――水精霊騎士隊のメンバーは彼を除く全員がメイジである――のだ。魔法が使えるメイジは、遠距離戦を得意とする。ましてや彼等は未だ書生の身であるのだ。正式な訓練を積んだ者ならまだしも、そんな彼等が剣を持った戦いなど出きるはずもない。結局のところ、サイトは騎士隊のメンバーと手合わせしたところで、力を半分も出さなくても勝ててしまう(剣 対 剣 の場合によるが)のである。
そんな所に来た今回の申し出、嬉しくないはずは無かった。
虚無の曜日である今日、彼のご主人様である桃髪の少女は『補習があるから』と彼の王宮行きを許してくれたのだった。
(補習って一体なんの補習だろ)
ルイズは虚無の魔法に目覚てからも、他の4系統―火・水・土・風―の魔法は成功したためしは無い。だが、だからこそ
真面目で、どの様な授業も進んで学んでいたはずだった。そんな彼女が補習というのは、どうにも腑に落ちなかった。
(ま、聞いたからって教えてくれる訳無いよな)
頭を軽く振り浮かんだ疑問を消し去った。
「来たな、サイト」
王宮に着くと、警備の魔法衛士隊がサイトの姿を確認し、アニエスを連れて来た。
「こっちだ、付いて来い」
後を付いて行く。着いた先は王宮の裏庭の一角だった。
ここで普段、銃士隊の訓練を行っているのだろう。既にメンバーが揃っていた。
「皆に紹介しよう。といっても知ってる者は多いと思うが」
そういって振り返る。
「サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ。先のアルビオン戦で功績を立て、近衛の副隊長に任命された男だ」
「あ、どうも。サイトです、よろしく」
瞬間、きゃーと黄色い歓声がわき起こった。
(え?え、え、え、え?)
まるで地球に居た頃のアイドルのコンサートの様な歓声に、一瞬たじろいでしまう。
彼女達の中から『サイトさまよ』『ほ、本物だわ』などと声が聞こえる。銃士隊に所属しているとはいえ、もとは平民の少女
達だ。自分達と同じ平民でありながらシュヴァリエになったサイトは、彼女達にしてみれば憧憬の的になるのも当然の事とい
えよう。
「サイト、お前がどれだけ精進してきたか、見てやろう」
木剣を放って寄こすと、それを構える。
「本気で来い!行くぞ!」
しかし、勝敗はあっけなく付いた。アニエスが膝を付き、その手から弾かれた木剣が宙を舞い、地面に突き刺さる。
彼は幾多もの命のやり取りを経験し、体がその感覚を覚えてた。それなりの自主訓練もこなしている。しかも伝説の使い
魔、ガンダールヴなのだ。例え真剣ではないとはいえ、久々に本気で手合わせできそうな状況に措いて心が震えないはずは
無かったのだ。
「くっ…、さすがだな」
土埃を払いながら立ち上がるアニエス。『よし』と呟き、全員を見渡す。
「では、次は全員で一斉に掛かれ!本気で行かないと後悔するぞ」
その言葉を合図に、銃士隊全員 対 サイト での打ち合いが始まった。
「良いお天気」
わたくしは王宮の庭園に来ておりました。執務も滞りなく進んでおり、今日は後は急ぎの用件は御座いませんでしたので、
ちょっとお散歩を楽しんでいたのです。
(まったく、毎日毎日王室で過ごしていたら体がなまってしまいますわ)
今はお昼ちょっと前の時間ですので、裏庭の方からは訓練中の衛士たちの声が聞こえてきます。
その中にはアニエスたち銃士隊の声もございました。
(サイトさまも今頃、騎士隊の皆さんと訓練に励んでおられるのでしょうか…)
雲ひとつ無い青空を見上げながらそんな事を考えておりました。
すると、そこに不意にあの方の声が聞こえたのです。
ドキッとしました。丁度彼のことを考えていた矢先だったのですから。
(いやだわ、わたくしったら。あの方のことを思う余り、幻聴まで聞こえてしまうなんて…)
頬に手をやると、そこは少しばかり熱を持っており、赤くなっているのが分かります。
もし、ありえない事ですけど、あの方がここに居られたら……
....『よっ!こんなとこに居たんだ、アンリエッタ』
....『…サイトさま』
....『どうしたんだ?顔が赤いけど、熱でもあるのか?』
....そっと近づいてくる彼の顔。その左手がわたくしの前髪をたくしあげ、コツンとおでこをくっ付ける。
....『…熱は無いようだな』
....『サイトさま、お慕いしております』
....『アンリエッタ……』
....サイトさまはわたくしを抱きしめて下さいました。
....『俺もだ、アンリエッタ。』
....彼はそういうと、そっとわたくしの顎を持ち上げ、そして……
(キャーキャーキャー、わたくしったらなんて事を考えているのかしら)
頭を軽く振り、そんな妄想を振り払おうとしておりますと、またしてもあの方の声がしたのです。
(幻聴じゃ…無い…?)
そう感じた瞬間、わたくしは駆け出しておりました。
裏庭に着いた瞬間、わたくしは目を見張りました。あの方が銃士隊の隊員たちに斬りかかられていたのですから。
木剣のぶつかり合う音が聞こえたかと思うと、彼の手からそれが放れ地面に落ちました。そこに別の相手が斬りかかるのを
器用に避けながら落ちた剣を拾うと、今度はまた別の相手と組み合い。そこに横から斬りかかられ、彼は目の前の相手を
押しやると向かってきた相手の剣をご自身のそれで叩き落します。
(…すごい!)
暫くわたくしは見惚れておりましたが、やはり一人対複数というこの状況、どうしても納得がいきませんでした。
わたくしにはサイトさまが銃士隊と争っている様に見えたのです。
「おやめなさい!」
全員が振り返りました。丁度サイトさまに斬りかかっていた娘は勢い止まらず、そのまま振り下ろし彼の腕に当りました。
「っ!サイト殿、お怪我はありませんか?」
わたくしは彼の許に駆け寄ると、腕をまくりあげました。今しがた剣を受けた部分が赤くなっております。
「何をしていたのです、貴方たち!寄ってたかって」
「……」
「答えなさい!」
「陛下、これはシュヴァリエ・サイト用の訓練なのです」
隊長のアニエスが答えました。
(訓練?これはどう見ても……)
「陛下。陛下は彼がガンダールヴであるのをご存知ですよね?」
「え、ええ…」
「以前彼に剣を教えた時に比べ、ミス・ヴァリエールの使い魔に戻った彼は、強い。1対1では私も歯が立ちません」
(以前?剣をおしえた?)
「ですので、こうやって複数を相手にすることによって彼との力の均等を図っているのです」
アニエスは振り返ると皆に告げました。
「ちょうど切りもいいので、休憩にしよう。2時間後、またここに集合だ。陛下、私共はこれで一旦失礼いたします。
サイト、お前も来るなら2時間後にまたここに来い」
そう言ってアニエスは彼女たちと近衛用の宿舎に戻って行きました。『サイトさまと手合わせしちゃった』『私なんて、お体に
触っちゃった』などとその中から声が聞こえます。そんな声が聞こえたとき、胸の置くがズキンと痛むのを感じていました。
「サイト殿、よろしければ昼食をご一緒しては頂けませんか?」
「え?で、でも…」
「……わたくしとでは…お嫌ですか?」
「いや、そういう訳では…」
「じゃ、いいじゃないですか。さ、参りましょう」
そういってわたくしは王室へ案内するため、彼の手を取りました。
頬が熱くなるのを感じながら…。
その頃、“補習”と偽りサイトを送り出したルイズは部屋の隅で何かと格闘していた。
そこに 昼の給仕を終えたシエスタが戻ってきた。
「あら?ミス・ヴァリエール、何をなさってるのですか?」
「え?あ…いや、その…べ、別に何でも無いのよ…」
とっさにソレを後ろ手に隠そうとしたが、何か思い付いたのか、手にしていた物をシエスタに見せる。
「そそ、そうだシエスタ、あんた前にサイトにマフラー編んであげてたわよね?」
そう、確かにシエスタはあの時、『竜の羽衣』を使ってアルビオンの侵攻を止めた数日後、サイトに贈り物をしていた。
手編みのマフラーを。
「ええ、そういえばそんな事もありましたね。随分昔の事のように感じます」
当時の事を思い出しているのか、遠い目をして『あの時のサイトさん、格好よかったなぁ』と呟いている。
「ふん、サイトは今でも格好いいわよ」
ルイズは反論するが、声が小さくて聞き取れなかったのか『え?何かおっしゃいましたか?』とシエスタに聞き返され、
『な、なな、何でも無いわよ』と顔を赤らめる。
「で、でね、あの…シエスタにお願いがあるんだけど…」
「何ですか?」
「編み物、教えて…くれないかな」
上目遣いで哀願するルイズ。
(ミス・ヴァリエール…かわいい)
「いいですよ、私でよければ。ところで、ミス・ヴァリエール?」
「ん、何?」
「ミス・ヴァリエールは編み物の経験は…無いんですか?」
ルイズは『う…』と言葉に詰まってしまう。自分自身では編み物は得意だと思っていたのだ。以前サイトにセーターを
編んだ事もある。だが、自分が考えていたよりも出来が悪く、サイトには“かぶりもの”と評され、クラスメイトのキュルケに
は“ヒトデのぬいぐるみ”とまで言われたのだ。さすがに多少自信を失いつつあったので、出来たら黙っていたい。しかし、
これから教えを請うのだ。以前に見たときは遠目ではっきりとは見えなかったが、メイドの腕前は一流と言っても良い位の
出来だったはず。
「あるにはあるんだけど…」
ルイズは消え入りそうな声で呟くと、傍らから何かを取り出した。
「…何ですか、これ?」
「……セーター」
「……え?」
「だから!セーターよ、セーター」
「……」
それを見て黙ってしまったシエスタを見て、泣き出しそうになるルイズ。
ややあって『セーターは諦めましょう』と申し訳なさそうに言う彼女に不満そうな目を向ける。
「寒くなるまでには未だ時間が有りますけど、でも…」
「……」
「セーターじゃ間に合いませんよ。マフラーにしましょう」
優しく諭され『うー』と不満気な声を発する。
「それに、マフラーと言っても結構難しいんですよ?それが上手に出来無い事にはセーターなんて無理です」
断言され、しぶしぶと頷くルイズ。そんな彼女を『ところで』と悪戯っぽい顔でシエスタが見やる。
「どうしてセーターなんて編もうと思ったんですか?サイトさんにでしょ、それ」
「な、なな、何言ってんのよ。だ、だだだれがあんなヤツに…」
「真っ赤になっちゃって、ミス・ヴァリエール可愛い」
「あ、ああ、あんたねー」
「隠さなくてもいいじゃないですか。…そういえばサイトさんって、いつも同じ服ですよね」
シエスタの声に反応したルイズは『そうなのよ』と声を張り上げる。
「サイトってばこっちに来てからずっと、あの…パーカーだっけ、あればっかりじゃない?だから違う服でもって思って…」
「なるほど」
暫く2人で悩んでいたが、何かを思いついた様にシエスタは顔を輝かせた。
「じゃ、こうしません?」
「……?」
「これから編むのはマフラーにして、服は次の虚無の曜日に買いに行きませんか?半分とまではいきませんけど、私も
少しくらい出しますから。で、2人で服を、それと一緒にミス・ヴァリエールから手編みのマフラーって事にすれば…」
「なんでシエスタと一緒に買わなくちゃなんないのよ」
「私だってサイトさんにはお世話になってますもの。それに…」
「な、なによ」
「二人でって事にした方が、マフラーに対する感動が大きいと思いますよ」
その言葉に、ルイズの耳がピクンと震える。
「そ、そうかな…」
「そうですよ。きっとサイトさん、『あの不器用なルイズが俺の為に編んでくれた』ってミス・ヴァリエールを見直すはずです」
不器用は余計よと思いながら、しかしルイズはそうなったときの事を想像してみた。
(良いかも…)
「けど、シエスタ。あなたお金持ってんの?」
「ええ、サイトさん付きになってからもちょくちょく給仕を手伝ってるじゃないですか。それでマルトーさんがお給金を少し上げ
るように申し出てくれたんです。ですから多少の蓄えならあるんです」
嬉しそうに言うシエスタ。
いくら上がったと言っても平民の給料、貴族の小遣いと比べてもかなり少額なのだ。しかも彼女は、そこから実家へ仕送
りをしているのである。手元に残る金額は微々たるものであろう。その中から少しずつ貯金をし、しかもそれを自分自身の
為ではなくサイトの為に使おうというのだ。
(…サイトが気をかけるのも当然よね)
しかし、負けるわけにはいかないのだ。ルイズはかぶりを振ると、目の前の健気な少女に対する思いを打ち消す。
「じゃ、次の虚無の曜日にね」
「ええ、ミス・ヴァリエール」
「あ、そうだ。サイトはどうするの?連れて行く?」
「今回はサイトさんには内緒で用意するんですから、一緒じゃないほうがいいと思います」
「…そうね」
ルイズはシエスタと言葉を交わして頷きあうと、彼女に教えを乞いながらマフラーを編み始めたのだった。
その日、私はミス・ヴァリエールと町までお買い物に行く予定でしたので、今日は給仕のお手伝いはお休みさせて頂
きました。いつもの様にお二人が起きる前に起き、サイトさんのお召し物と、ついでにミス・ヴァリエールのお召し物を
準備し、自分の身支度を整えるために水場に行きます。
――本当なら先に身支度から整えるべきなんでしょうけど…。
最近はミス・ヴァリエールも私のことを“平民”って扱いをされなくなりましたが、それでも貴族の方です。平民の私が身
支度整えてない手で貴族の方のお召し物に触れるなんて…頭では分かってるんですよ?分かってはいるんですけど…
気合い入れたいじゃないですか。だ、だって好きな方を起こすんですよ?洗い立てのメイド服に着替えて、顔を洗って…
(『おはよう、シエスタ。今日も朝から綺麗だね』なーんて……きゃーきゃーきゃー)
……ごめんなさい。話が逸れてしまいました。
そんなわけで私が気合いを入れて部屋に戻ってくると、サイトさんは既に起きていつものパーカーに着替えを済まして
いました。
「おはよう、シエスタ」
「おはよう御座います、サイトさん。…どうしたんですか?」
サイトさんの起きる時間にはまだ1時間ほど早いはずです。だってその1時間、いつも私は彼の寝顔を眺めて元気を
充電しているんですから。
「今日はいつもより早いんですね」
「ああ、今日はこれから出かけるからね」
「…どちらへ?」
嫌な予感がします。
先週も『剣の稽古』と言って朝早くから王宮へ出かけていました。それなのに、帰ってきた彼からは石鹸の匂いがして
たんです。サイトさんが仰るには、訓練の後にアニエスさんから『帰る前に汗を流して行け、臭うぞ』と言われてしぶしぶ
近衛兵の宿舎にあるお風呂を使わせてもらったんだそうですけど……
それに最近、他の貴族の女性からも声を掛けられてるみたいなんです。
特に注意が必要なのが、あの2人。
まず1人目、ミス・タバサ。
サイトさんってば小さい子でも全然大丈夫らしいんです。まあ、ミス・ヴァリエールも…こう言ってはなんですけど、本
当に胸が…おかわいそうな位に無いですから、そんなミス・ヴァリエールを好きだって言ってるサイトさんの事。それより
小さな子に迫られたら、コロッといっちゃうかもしれません。なにより献身的ですから。献身的は私の専売特許だと思っ
てたんですけど…強敵です。しかも、いつも本を読んでらっしゃるんで知識は豊富なはず。もしソレを元にあんな事や
こんな事、とてもミス・ヴァリエールが思いつかない様な迫り方をされたら…だ、大丈夫よシエスタ。だって、サイトさんは
どっちかと言ったら大きい方が好きなんですもの。
でもでもでもでも、大きいといえばもう一人の方がいるんですよね。ミス・ウエストウッド――サイトさんがアルビオンから
連れてきたハーフエルフの方――。なんでもアルビオンのウエストウッドって言う森の孤児院で生活なさってたらしく、一言
でいうと世間知らず。サイトさんを初めてのおともだちと思ってらっしゃるそうで、トリステインに来てから何かとサイトさんに
相談しているみたいなんです。しかし…あの胸の大きさは…異常です。わ、私だってそれなりに大きい方だと思うんです
よ?ミス・ツェルプストー程ではありませんけど…でもアレはミス・ツェルプストー以上ですもの。もしあれで誘惑なんかされ
たら…あっそういえばこの前、あの大きな胸触ってました。デレ〜っとしながら!彼女から触って確かめてって言われたらし
いんですけど…べ、別に私は疑ってはいないんですよ?言われたのは本当の事だったらしいですし。でも、その時の表情
が…も、もう!言って下さったら、いくらでも触らせて差し上げますのに。
そんな事を考えてますと、サイトさんは部屋の隅に立てかけてあるデルフさんを背負い、シュヴァリエのマントを着け、出
立の準備を済ましてしまいました。
「今日も王宮にね」
「また剣の稽古ですか?」
「いや、今日は姫さまの護衛らしい」
「……らしい?」
らしいってどういう事でしょう。それに、ミス・ヴァリエールに話さなくていいのかしら?
私が疑問に思ってると、ソレが伝わったのかサイトさんは答えてくれました。
「うん、なんだか極秘らしくてね。内容は教えてもらってないんだ」
「…ミス・ヴァリエールには?」
「んーそうだな、姫さまの護衛とだけ言っといてよ」
そう言って『行ってくる』と部屋を出ようとされたで、お見送りのために学院の門まで一緒に行くことにしました。
「んじゃ、行ってくるわ」
「あ、あの…サイトさん」
「ん?」
「今日はお帰りは…」
「どうだろ、たぶん早く戻れると思うんだけど…」
どうしてこんな事を聞いているのかしら?
これじゃあまるで、新婚さんみたいじゃない…きゃっ。
そうだ!折角だから…
「分かりました。なるべく早く帰ってきてくださいね」
言って私は、サイトさんの頬に軽くキスをしました。
(…愛しい旦那さまを見送るお嫁さんってこんな感じかしら?)
私はおそらく頬が赤くなっているでしょう。
そんな私を見ながらサイトさんは頬に手をやり、困ったような表情を一瞬したものの、微笑んでくれました。
「…じゃあ、行ってくるよ」
「はい、行ってらっしゃい」
馬に乗って駆けて行く彼を見送り、その後姿が見えなくなってからも暫くその場に佇んでいました。
もしサイトさんと一緒になれたら、毎日こうやって見送ってあげようと思いながら…
「…ふにゃ…おはよう、シエスタ…」
部屋に戻ると、ミス・ヴァリエールが起き出してきました。
「おはようございます、ミス・ヴァリエール」
「……ぁれ、サイト…?」
「サイトさんなら今しがた、出かけられましたよ」
「…出かけた?ど、どこに?」
「何でも女王陛下の護衛だそうです」
「……そう…まあいいわ。 じゃあ、朝食を済ませたら行きましょうか」
「ふぅ…」
馬車の前に立ち、アニエスは溜息を漏らした。
今日の格好はいつもの甲冑とは違い、まるで乗合馬車の御者のような出で立ちだ。
そこに、一人の少女がやって来た。こちらは白いワンピースに鍔の広い帽子、さらには縁の細い眼鏡を掛けている。
「お待たせしました」
「陛下、その格好は…」
「ふふ、今日の為に用意したのよ。どう、似合うかしら?」
言って陛下と呼ばれた少女――アンリエッタ――は、右手で帽子を押さえ、クルッと回転してみせる。
「とても良くお似合いです、陛下」
「ところで、サイト殿はまだですか?」
「はっ…間もなくかと…」
丁度その時、馬を駆って来るサイトがアンリエッタの視界に入った。
「待っていたぞ、サイト」
到着した俺を迎えたのは、そんな台詞だった。
(どこかで聞いたような…)
しかし、目の前に居るのは見たことの無い若い女性2人。
訝しげに思う俺に、何故か嬉しそうな声で『分からぬか』と問うて来た。
ん?待てよ?この声、この喋り方……
「あのー…もしかして、アニエスさん?」
恐る恐る尋ねると、黒いズボンを履いた女性が頷いた。
って事は、もしかして…
「もしかして…姫さま?」
白いワンピースに身を包み、眼鏡と帽子で顔を隠している女の子が『…はい』と消え入りそうな声で頷く。
(ほぇ〜、女の子って服装が変わるだけでえらく変わるもんだな)
じーっと見つめていると、姫さまは頬に手をやり
「あ、あの…あまり見ないで下さい…恥ずかしいですわ」
と、後ろを向いてしまった。
(か、可愛えぇ!何コレ、ズキューンって来たよ!)
「では、参りましょか、陛下」
言ってアニエスさんが馬車の扉を開くと、それに乗り込む姫さま。そして手を差し出して『サイト殿も乗ってください』と俺を
促す。どこへ行くのだろうか?そんな事を考えながら俺は姫さまの手を取って馬車に乗り込んだ。
「ところで、これからどこへ行くんですか?」
隣に座るサイトさまには、まだ今日の予定を話していません。不安そうに聞いてきました。
「そういえばまだ申し上げておりませんでしたね。街へ向かっております」
「街へ?何でまた…公務ですか?」
「いえ、どうしても必要な物が御座いましたので、ソレを求めに行くんですわ」
サイトさまはまだ、訝しげな表情をしておられます。
確かに、必要な物なら王宮の通いの商人か、もしくは誰か使いを出せば済むはずです。でも…
わたくしが今日の街行きを決めたのは、先週の彼の訓練姿を見てからなんです。
サイトさまは、以前わたくしを止めてくださった時も、先日の訓練の時も、もちろんそれ以外でもそうなのですがいつも同じ
服装をしておられます。彼の元の世界のお洋服らしいので、このハルケギニアには同じ物は有りません。ですが、着の身
着のままというのはおかわいそうです。シュヴァリエの年金で蓄えはあるとは思いますけど、ルイズと一緒に常に学院で生活
なされてるのですから、そうそうお買い物に出かける機会も無いはず。特にあのルイズが一緒ですから、そのような時間は取
らせては貰えないでしょう。あの子は独占欲の強い子ですから、彼が一人で行動するなんて許さないでしょうし。
そんな事を考えてましたら、サイトさまはわたくしの思考を見透かしたかのように仰いました。
「でも、姫さま。それなら誰か使いを出すとか出来るんじゃ?例えばアニエスさんとか…」
「ええ、ですが今日は公務もございませんし、せっかくですから。毎日王宮に居ますと気が滅入ってしまいますもの」
やっと納得して頂けたのか、サイトさまは『なるほど』と呟いて、座席に背を預けられました。
手を頭の後ろで組んでますので、なんだか肩を抱かれてるのを想像してしまいます。
「ところで、サイト殿。ひとつお願いが御座います」
「なんすか?」
「今日はわたくしの事を“アン”とお呼びください。街中で“姫さま”などと呼ばれると騒ぎが起きてしまうかもしれませんので」
「分かりました」
「もっと乱暴に話して下さい。…そうですね、ルイズと話す様に」
「分かったよ、アン」
――アン
そう呼ばれた瞬間、胸の奥に灯がともった様な温かい感覚で満たされました。
愛する方から肩書きでは無く名前(愛称ですが)で呼ばれる事のなんと心地の良い事でしょう。
「今日はわたくしを平民として扱ってくださいまし。その方が街の雰囲気に溶け込めて良いかと…」
「じゃぁ、俺からもアンにひとつお願いというか忠告を」
「……?」
なんでしょう?サイトさまはわたくしの目を見つめ、仰いました。
「アンのその喋り方、もっと砕けたものにしないとばれちゃうよ」
…そうなのでしょうか?
でも、サイトさまが仰るのですから、そうなのかもしれません。
そういった細かいところまでお気づきになられるなんて、さすがサイトさまです。
「じゃぁ、わたしは貴方のことを『サイトさま』と呼ぶ事にしますね」
「へ?…なんで『さま』?」
「だって、わたしは“平民”ですが、貴方はマントを着けてますから誰が見ても“貴族”です。貴族の方を『さま』付けで呼ぶの
は平民からすれば当然でしょ?」
「それは関係ないんじゃ…と、とにかく『さま』だけは止めてください」
泣き出しそうな目で訴えるサイトさま。
(もう、そんな目で見られたら…)
仕方ありません。
「じゃぁ、サイトさん…でいいですか?」
(そうだわ、『さん』の方が仲睦まじく見えていいかも)
わたくしの言葉に、サイトさまは満足そうに頷いてくださいました。
馬車内でそんな会話がなされてる頃トリステイン魔法学院では、丁度ルイズとシエスタが街へ出発したところだった。
「…意外ね」
馬を駆りながらルイズがシエスタに話しかけた。
「何がですか?」
「いや、あんたが馬に乗れるとは思って無かったわ」
今2人は学院の馬を拝借し、それぞれ手綱を取っている。
もちろん学院長であるオールド・オスマンにはルイズが許可を取ったのだ。
「私だって、馬くらい乗れますよ。タルブの村では取れた作物とか売りに行くのに使ってましたから」
ルイズは『そうなんだ』とぼそりと呟くと、ところでと切り出した。
「あんた最近、よく私に強力してくれてるけどさ、サイトの事諦めたわけ?」
「…諦めました」
顔を俯き加減にし、すこし重い声で言うシエスタ。
「え?な、なんで…」
しかし、ルイズの声を途中で遮るように『なんて、言うとでも思います?』と答える。
「な、ななな…」
「諦める訳無いじゃないですか。サイトさんは何が何でも振り向かせて見せます!」
打って変わって明るい表情でルイズに微笑むシエスタ。
その輝かんばかりに自信に溢れる笑顔に不覚にもドキドキしてしまったルイズは顔を赤らめ、反対側を見やる。
「ふん、いい度胸じゃない!何度も言うけど、あれは私の使い魔なんですからね!
あんたには渡さないんだから!」
最近のルイズは、シエスタと2人だけのときは素直に自分の気持ちを認める事が出来るようになっていた。何度も繰り返し
争ってきた仲だからなのだろう。かたや貴族、かたや平民であるので他人の前では馴れ馴れしい態度は取らないようにしてい
るが、2人の時はお互いに1人の男に想いを寄せる女として、けん制し合い、励ましあっているのだ。
「あら、ミス・ヴァリエールも仰いますね。でも、サイトさんがどっちを選ぶかはサイトさんの自由ですもの。
例えミス・ヴァリエールの使い魔だとはいえ、その気持ちまであなたに管理する権利はありませんわ」
「べ、別に管理なんかしなくても、あいつってば私にメロメロなんだから」
「じゃあ、ミス・ヴァリエールはサイトさんに“好き”って伝えたんですか?」
その言葉で思い出す。ティファニアを連れてトリステインに戻る船でのひと時。
サイトに『お前が俺のこと好きなんじゃねえか?』と尋ねられ、口では「そうかもしれないわ」などと言ったのだが、それは
図星を差されてしまい慌ててしまったからだ。もちろんその後の台詞も同じくである。
「い、いい言ったわよ」
「本当ですかー?ちゃんと、ご自分の口から、“好き”って言いました?」
「……」
「ほーら、やっぱり言ってないんだ。じゃあ、まだ私にもチャンスは有りますね」
「ななな無いわよそんなの!」
「分かりませんよ?私はサイトさんの事好きですから。もし私がミス・ヴァリエールより先に“好き”って伝えたら、
きっとサイトさんだって…」
「だ、だめよ、それはダメ!」
「早いもの勝ちですよー」
言ってシエスタは拍車を掛ける。
「ちょっシエスタ、待ちなさいよ」
一瞬遅れてルイズも拍車を掛け、シエスタの後を駆けて行った。