X00-44
Last-modified: 2009-02-22 (日) 21:19:53 (5540d)
夢を、見ていた。
嫌な夢を。
それは思い出したくもない過去の夢。
記憶の奥底に封じた、忌まわしい過去。
「────せ、やめろ─────」
むせ返るような暑い夏。そこは祖国ではない。
太陽の光を吸った緑の大地が容赦なく蓄えた熱と水分を空中に撒き散らす。
そんな異国の地で、自分が何かを叫んでいる。
言葉を放つ相手は、おそらく自分の仲間達。
仮定でしかないのは、自分と同じ緑を基調とした斑の服を着ているから。
それ以外の共通項は、肌の色も、髪の色にもない。身長も体格もまばらだった。
「────は、殺したいわけじゃ────」
自分の声だと言うのに酷く聞き取り難い。
だが、目の前で呻く傷ついた赤茶けた髪の女性を庇おうとしているのはわかる。
そして彼女がどういう立場の人間なのかも。
彼女は敵。自分の敵。
ほんの数分前まで、銃を突きつけあい、殺し合いをしていた相手。
自分はその戦いに勝ち、彼女を打ち倒した。
そして自分は彼女に再戦のチャンスを与え、その場から立ち去ろうとして──。
やってきた仲間が傷ついた彼女を取り囲み、そして。
銃声。銃声。銃声。
轟音の後、そこにあったのは、ただの肉塊。
銃弾に撃ち抜かれ、彼女は息絶えた。
自分は意味のない雄叫びを上げ、こともあろうに仲間に向けて銃床を振り上げる。
しかして多勢に無勢。逆に叩きのめされ、地に這い蹲る。
怒りに任せた怒声。侮蔑の言葉。
降ってくる暴力。暗転する意識。
闇と共に訪れる無力感。絶望。
俺は戦いたいだけだ。殺したいわけじゃない───────!
常世では受け入れられないその哲学。
それに従う彼は、帰国後軍法会議に掛けられ、そして。
目が覚めた。
いや、その表現は正しくはない。
今の彼に、目と言う器官は存在しない。
それどころか、耳も、鼻も、脳も、いや、身体そのものが存在しない。
今の彼は一丁の拳銃を依代とした精神体である。
その彼が『目覚める』ことはない。
だが、今確かに彼は『目覚めた』。
「新しい身体の具合はいかがかしら」
目の前で硬い木のベッドに仰向けに臥床した自分を見下ろす冷たい瞳の女は、ミョズニトニルン。
自分をこの世界に呼び寄せた、張本人。
「…悪くはない、な」
それは女の声だった。
目の前に、ミョズニトニルンの差し出した、小さな手鏡がある。そこに、『自分』の顔が映っていた。
今度の寄り代は、赤茶けた髪を短く切りそろえた、そばかすの女。どこにでもいそうな、普通の女。
彼は、『心を無くした身体』を寄り代とすることで、このハルケギニアでヒトとして活動できる。
その寄り代とする対象は眠っている人間でもよかったのだが。
「今度は大切に扱いなさい。
身体をできるだけ傷つけずに心だけを失わせるのは、下手な拷問よりも手間と時間がかかるのよ」
そう言って、ミョズニトニルンは部屋を出て行く。この後、ガリア王ジョゼフより命ぜられた、魔法具の製作にかからねばならない。
虚無の使い魔は暇ではないのだ。
ミョズニトニルンの趣味で、彼にあてがわれた『身体』は、いずれも故意に心を失わせたものばかりであった。
以前の、金髪の少年の身体を思い出す。
身体能力に問題は無かったが、微妙にリーチのたりないせいで、上手く狙いがつけられなかった。
そして、さらにその以前を思い出す。思い出そうとする。
先ほど見た夢がフラッシュバックする。
あれは、どこだ?
か…カン…。東南アジアの…密林…。
いつの話だ…?
収監される前…。帰国の直前…。
俺は…誰だ…?
思い出さなくてもいい、とミョズニトニルンは言っていた。
確かにこのセカイで自分の過去などは関係なかった。
ただ自分の欲望の赴くまま、命じられた相手と戦えばそれでよかった。
しかし。
自分の最も深い部分が、記憶を求めていた。
自分が何者であったかを。自分がどう呼ばれていたかを。
ふと、ミョズニトニルンの残した鏡を覗き込む。
そこに映るのは、赤茶けた髪を短く切りそろえた、そばかすの女。
かつて自分に銃を向けた、赤茶けた髪の女が、そこに重なる。
思い出せ。
浴びせられる知らない言葉。応える自分。
『やるなあお前!楽しいぜ、ああ、楽しいな!』
零れる笑い声とともに、姿を晒しながら対面の遮蔽物に駆け込む。
思い出すんだ。
その瞬間、偶然にも全く同じ方向に同じ速度で走る『赤茶けた髪の彼女』。
瞬く間の戦場で、はっきりと、その表情が手に取るように分かった。
満面の笑顔。
『そうか、お前も『仲間』か!愉しいわけだぜっ!』
もう、少し…。
薄い土壁めがけ、銃口を突きつける。撃ち抜いて当たれば自分の勝ち。
しかし、外せば自分の隠れているこの場所を晒してしまい、薄い壁ごと撃ち抜かれる。
相手の使うAK47にはそれが十分可能だ。
『さあ、ギャンブルといこうぜ!』
響く銃声。確かな手ごたえ。
回り込んだ壁の反対側では、『彼女』が右肩を貫かれ、AK47を取り落とし、蹲っていた。
何か言っている。知らない言葉で。笑顔で。
『同じテを考えてたか!はは!同類だな全く持って俺たちは!』
思い出せ。そこで俺は名乗ったはずだ。
『彼女』は自由の利く左手で自身を指差し、『フェイ』と一言。それが彼女の名前。
そして『彼女』は自由の利く左手で目の前の男を指差し、可愛らしく首をかしげる。
『俺の名前かい?』
そう、俺の名前だ。
『俺の名前は、アレックス。
アレックス・スナイダー』
記憶が蘇る。
そのあと駆けつけた自分の隊のヤツらが、フェイを射殺した。
フェイがベトコンの構成員で、逃がせば間違いなく逆襲に来るだろうという事をほざいていた。
俺は逆上した。
もう一度彼女と殺しあいたかった。どちらかが死ぬまで戦いたかった。
今回はたまたま俺が勝った。だから逃がそうと思った。もう一度戦いたかったから。
殺す必要なんかない。そうだろう?殺していいのは戦っている間だけだ。
俺はその覚悟が出来ていたし、彼女もそうだったはずだ。
せっかくの、仲間を、アイツらは殺した。
だが、俺はそのまま仲間に気絶させられ、MPに捕まって本国送りにされた。
俺たちのイーグル・サムは、俺を異常者と決定して、精神病院に放り込んだ。
そこで俺は鎮静剤をしこたま打たれ、『マトモ』になった。
生きる気力もなにもないまま、単純作業を繰り返して。
六十年が過ぎ、俺は認知症になった。
ある日、何もかもがわからなくなった。
覚えているのは過去の断片。繋ぎ合わされない時間の断片。
ただ、薬の量が増えたのと、周りの看護婦の対応が変わったのだけは理解できた。
そして俺は、ここへ、『連れてこられた』。
「はは。そうかそうかそうか。俺はそーいう名前だったのかよ」
自虐ぎみに笑う赤茶けた髪を短く切りそろえた、そばかすの女。
その名前は。
「ま、ご老人のことは忘れるべきかな。
俺はマキシマム。マキシマム・ロングバレルだ」
思い出した過去。それによって彼の何が変わったのか、それは彼しか知らない。
そして彼は思い出す。
かつて戦った、黒髪の少年のことを。
自分に止めを刺した、黒髪の少女のことを。
「あいつらは楽しかった。あいつらも楽しかったのかな?
もう一遍逢って聞いてみたいな」
戦うのは楽しい。
ずっと忘れていた、いや、忘れさせられていた感覚。
身体と心が切り離され、思い出した感覚。
強いやつと戦いたい。
それが、今の彼の望みだった。
そして、その願いは間もなく叶う。
「それじゃああなたに最後のチャンスをあげるわ。
ヒラガ・サイトを殺してらっしゃい」
魔法具を完成させたミョズニトニルンは再度の才人暗殺を彼──マキシマム──に、託したのであった。