- 追加された行はこの色です。
- 削除された行はこの色です。
- 32-397 へ行く。
六十年目のゼロ なかどめ氏
#br
1.
木賃アパートの隙間から高い日差しが差し込む。紺碧の空にクマゼミの求婚の声がこだまし、扇風機は畳の上に熱風だけを循環させていた。
聳え立つ高層マンションと、荒川を渡った庭付き一戸建ての間に、ぽっかりと空いた風呂も無い終わりの空間。まさか自分が、こんな貧民窟に身を埋めることになるなどと、若い時分には考えもしなかったが、既に還暦を過ぎた体に、これから途方も無い、人生の成功者との差を詰めにかかることなど、できる筈もなかった。
もう何ヶ月も日光の下に晒していない敷布団の上で、ドラッグストアで購入した後発の風邪薬を流し込む。もう三年も前から痛み始めた鳩尾は、今日も脂肪の下に切先を突き立てている。身を臥し、脇の卓袱台に詰まれた栄養錠剤を一日二回流し込む。世の真っ当な人間たちは、もう少しまともな食事を、一人ではなく食しているようだが、生活保護だけが頼りの身となっては、科学的に合成のなされていない食品など、それだけで一月の給付金を、ゆうに使い切ってしまうのだ。
今思えば、大学を出た、その時の選択が誤りだったのだろう。かつての友人たちは、当時一部上場と呼ばれた大企業に次々と就職し、そして、子を産み、今では遠く霞む東京湾岸や、北関東州の住人となっているのだ。翻って自分はどうだ。一世を風靡したインターネットや、それに乗じたアニメーションやキャラクター小説に浸りきり、あまつさえ、そんな表現者たるという願望を実現できると信じて憚らなかった若き日。文筆業とは名ばかりの、カストリ雑誌の片隅に、人間の欲望に忠実な小文を書き連ね、そして、いつかその仕事もなくなった。気づいたときにはもう遅い、こうして四畳半の一角に収まるまで、いくらでも代替のきく、部品ですらない役割ばかりを転々としてきたのだ。親は世を去り、子供もない。生物としてさえ、真っ当な役割を果たすことができなかったではないか!
鬱々とした思索ばかりが、亜熱帯の都市の隅に流れ、消えてゆく。そんなとき、何か身体を、心を動かそうとして手に取るのは、まだ体の動かせた頃に、自室から動きもせずに、ありもしない願望、この世界からの逸脱を夢想して、読みふけっていた小説だった。緑色の背表紙は、既に印刷が白く抜け、頁は飴色に染色されている。
三十冊ばかりを休み休み読みきり、しばし、かつて絶え間なく繰り広げた、剣と魔法と女の子の大冒険に思いをめぐらせる。しかし、すべてを枕元に積んだとき、また、取り返しの付かない、戻ってくることのない時間が、天井板の木目から、滴り落ちてくるのだ。
今日は、やけに腹の虫が暴れまわっているようだ。剣山が突き立てられるように、体の中の空洞が悲鳴を上げる。一瞬咳き込んだかと思い、口を拭うと、掌に赤いものが見える。そろそろ、この部屋を引き払う時が来たのかもしれない。未練などというものは、限りなく夕暮れが近づいてからでは、持ちようもなかった。せめて、あと五十年。それにしたって、結局は同じ結果に終わるかもしれないなあ。だんだんと焦点が合わなくなる視界の中で、無意味に終わってしまった人生を思う。かつては、死ぬことを恐れてばかりいたものだ。死ぬことの永遠と、永遠の終わり。だが、一人になった人間にとって、永遠も一瞬も、等しく無価値なものだ。潔く、この辺りで身を引いてやろうではないか。
再び咳き込む。口の周りに塩の味を感じていると、次第に視界が、白く眩い光に、包み込まれていった。これが、死ぬってことか。
しかし、すぐにやって来る筈だった、永遠の無意識は、永遠とも思える時間が経とうともやって来ない。その代わりに視界に戻ってきたのは、高さだけが目立つ、埃にまみれた石の天井だった。体の下には未だ、布団の感触がじんわりと保たれている。きしむ右腕を枕元に差し伸べると、先ほど積み上げた文庫本の山が、崩れかけているのが分かった。
そして、体の横に誰かが立ち尽くしている気配がある。わずかに顔を横に向けると、その人影は、ゆっくりと近寄り、私の顔を覗き込んだ。
彼女の、年月に磨り減らされた桃色の紙が、私の頬にかかる。いや、それだけではない。突付くように顔に滴り落ちてくるのは、彼女の涙か?既に霞んだ眼で、彼女を皺の一つまで観察すると、私に向けたものだろうか、涙の雫が絶え間なく、私に降り注ぐのだ。
「どうして……、遅すぎるわ……」
かつて見たことのある桃色ブロンドの髪に、骨と皮ばかりになった手を弱弱しくかける。
「ああ……、遅すぎたんだ」
「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ……」
小さくつぶやき、彼女はゆっくりと顔を近づけると、まるで少女のようなあどけなさで、私に口付けた。私の血が彩った、彼女の紅い唇を最後に、私の記憶は途絶えた。
次に目を覚ますと、天蓋の付いたベッドに横たえられ、汗の染み付いたシャツと下着は、シルクであろうか、きめの細かい、古ぼけたデザインの寝巻きに着替えさせられていた。
どこか若返ったように、体が軽い。いつからか巣くっていた虫も、どこかえ飛び立っていたように、気だるさが消えている。手を付くことなくベッドから身を起こし、部屋を見渡すと、窓際の小さな安楽椅子に、老女が身を委ねていた。
立ち上がり、裸足のまま彼女の方へ踏み出す。やはり、体が軽い。
「ご夫人……」
すやすやと寝息をたてていた彼女は、我に返ったように目を開けると、皺のよった頬で、満面の笑みを浮かべた。ただ、その目元に、どこか寂しげなものが浮かんでいたのはなぜだろう。
「よかった……、生きていてくれて……。まさか、ちい姉さまのためにつくった秘薬が、今頃役立つなんてね。始祖に感謝します――」
全身に感じた違和感。秘薬といったが、まさか、この人が?
「……あなたが?」
「ええ、あなたの体にあった、腫れ物を取り除くことができたみたいね。本当に、よかった」
窓の外の庭園を見つつ、彼女は小さく声を上げて笑う。
「だって、やっと召還できた使い魔さんと、すぐにお別れしたくなかったのですから」
「ご夫人……、あなたは……」
「あ、ええ、そうね……。申し遅れました。私、名をルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌ。このフォンティーヌ領の、……最後の当主になります」
小さな体で、うやうやしく一礼するルイズ。
「そうそう、私は、夫人ではありませんよ。だって、結婚なんて、一度もしたことがないのですから……」
「そうですか……。私は」
そこで、何度も読み返した小説の、そう……、自分と同じ名前であった少年のことを思い起こす。
「いえ、俺は、平賀才人。会いたかったです。ルイズ様」
かつて繰り返した、魔法と竜と、そして女の子の世界という空想。目の前の人物が、夢にまで見た女性、その人を名乗っていることは間違いなかった。死の間際に見る幻覚、それにしてはやけに、時間が長過ぎる。いや、仮にそうであれ、感触として周りにある光景は、現実のそれと、まったく同様なのだ。
だが、いかんせん、遅すぎた。体は萎え、頭には白いものばかりが目立つ。
遠く双つの月を見上げる食卓にあって、彼女もまた、私と同じ諦観の境地に辿り着いているように見えたのはなぜだろう。
「そう……、遅すぎた、のね」
口を開いたのは彼女、ルイズだった。私の知る彼女であるならば、貴族であることは間違いがない。しかし、食器こそ金箔に縁取られた透き通る白であれ、ボウルに盛られたサラダと、それぞれ一切れの鶏肉、控えめに盛られたライスは、高貴な者の食するものとはかけ離れた、限りなく質素なものだった。
「私も、必要もなしに、あなたを縛ってしまうようなことをしてしまったわ。この年に至って、五十年前の願いが、心にまた染み渡ったような気がして」
食卓を浅く見下ろし、彼女は言う。
「使い魔さん、あなたが、どんな場所から来た人かは知らないけれど、この一人だけ残った老婆の、やっと思い出せた我侭に、付き合っていただけないかしら」
卓上に添えた左手に目をやると、そこにははっきりと、見たことのない文字で、何らかの符号が刻まれていた。
「ということは、やはり……」
「ええ。あなたは、私の使い魔。この無能な貴族が、初めての魔法で呼び寄せた、それが、あなたよ。それにしても、まさか、人間が現れてしまうなんて、ね」
年老いた黒髪のメイドが、空いた皿を持ち去る。
使い魔になってほしい、いや、左手を見る限り、既にされてしまったのか、彼女の申し出に、私の答えうる選択は、一つだけだった。既に人の生の失敗を明確に覚えていた自分にとって、この老女もまた、自らと似通った人間に見えたのだ。
「ミス・ヴァリエール、こんな老いぼれで構わなければ、使い魔として添い遂げましょう」
そう切り出した私を、ルイズは驚きをもって見つめる。
「ミス・ヴァリエール……ですか。そう呼ばれたのは、何十年ぶりかしらねえ。そう、ヒラガ・サイト殿、この私のお願いを、聞いてくれますか」
「ええ。それと、私のことは、サイトと呼んでください。あの本のように。ルイズ様、私はあなたに、いつかのあなたを綴った、遠い国で描かれた、御伽噺を持ってきました」
それから毎日、枕元に積まれていた緑色の文庫本を、彼女に読んで聞かせる毎日が続いた。初めは単なる作り話と、微笑みを交えつつ興じていたルイズであったが、一冊目が終わり、二冊目を語り終え、だんだんと裏表紙を上に詰まれた巻が増えるにつれ、彼女は若き日の、自らとは関係のない場所で移ろっていった歴史を、合間合間に、私に語るようになっていった。
例えば、ついに二回目の一年生を終えることができず、通っていた寄宿制の学校を放校になったこと。嫁ぐ筈だった貴公子が、国を裏切り、自分も捨てられたこと。戦乱の末、国を滅ぼされた家族は貴族の位を剥奪され、唯一魔法の使えない自分だけが、この狭い領地に押し込められたこと。聞けば、先王の死以来、この地はイザベラ一世が治める統一王国、その中のフォンティーヌ領であるということだ。
「それで、最後に打ち込んだ秘薬の研究も、結局、ちい姉さまを救うことはできなかったわ。ただ、そのおかげでサイト、あなたの命を助けられた。きっとちい姉さまが、どこかで見守ってくれていたおかげね」
儚げに笑うルイズ。
最後まで小説を読みきったとき、私がそうであったように、ルイズもまた、実現することのなかった空想の世界に、時折身を委ねているように見えた。共に剣と杖を振るい、世界を救う。
共有する世界を得た私たちは、庭園の芝生の上で、彼女が小さな爆発を起こし、剣を片手に握った私が、それを避けるという、子供じみた遊びに興じていたのだった。
2.
客人が来るとルイズから知らされたのは、私がハルケギニアに召還されてから、一月ほどが経過した頃だった。聞けば、時折彼女が書きしたためていた、手紙の相手であるらしい。領地も近くにあるとのことで、今日の午後には馬車が到着するとのことだ。
狭い屋敷に二頭立ての馬車が横付けされると、赤いサラマンダーを従え、宝石の散りばめられた、これまた赤いドレスに身を包んだ、色の黒い貴婦人が降り立つ。屋敷の全ての住人――とは言っても、私とルイズ、それに、シエスタと呼ばれた老メイドだけであるが――が車寄せに並び、出迎える。
ルイズは質素なドレスのまま貴婦人に近付き、抱擁を交わす。
「よくいらっしゃいました、ツェルプストー。こうやって会うのは、もう、何年ぶりかしらねぇ」
「物腰が柔らかくなったものね、ゼロのルイズ。こんな狭い領地に閉じ込められて、魂まで抜かれてしまったのではないの? ……ほら、昔みたいに、私を馬車ごと爆発させてみなさいな」
しかしルイズは、旧友との抱擁を解こうとしない。
「それからもう、そのツェルプストーっていうのは止めにしましょう。手紙に何度書いたことか……。ゲルマニアに住む私はもう、ただのキュルケなんだから」
そういえば、ルイズがこのハルケギニアについて語ったとき、唯一統一王国に屈しなかった帝政ゲルマニアは、やがて革命により、貴族と平民の区別のない、共和制国家に生まれ変わったと言っていた筈だ。
キュルケはルイズの両肩を持って、まっすぐに立たせると、次に脇に立つ私を一瞥した。
「それにしても、ゼロのままだったあなたが、まさかこの年になって、使い魔を召還できるだなんて、思ってもみなかったわ。おめでとう、ルイズ」
ツェルプストー夫人、いや、キュルケ夫人と呼ぶことにしよう――は、表情をとっても口調をとっても、友人を心から祝っているように見える。ところがルイズは、何を思ったか、ひととせの老いも感じさせず言い放った。
「そ、そうね、有難くその言葉、受け取っておくわ。それにしても、まさか自らヴァリエールの血を引く者に祝いの言葉を述べるなんて、ツェルプストーも堕ちたものね。いえ、もう堕ちてしまったのだったわね。失礼をいたしましたわ」
小さな体で、よくも毒舌を吐けるものだ。元の世界では女性にとんと縁のなかった私だが、この後に待ち構えているであろう、女同士の血で血を洗う陰湿な戦いに、思わず全身の毛がよだつ。
ところが、目を逸らしても彼女たちの間に争う言葉はいっこうに届かない。変わりに聞こえてきたのは、ルイズとキュルケ夫人の、少女のように清楚な笑い声だった。
「あなたも変わらないわねえ、ルイズ」
「キュルケだって、あなたはいつまでもあの頃のままよ」
「あら、私を名前なんかで呼んでいいの? 私は仇敵、ツェルプストーの血を引く人間よ」
「私はラ・フォンティーヌの人間よ。もう何十年も前に滅びたラ・ヴァリエールも、平民になったフォン・ツェルプストーも関係ないわ」
「あらあら、ご親切に。貴族のラ・フォンティーヌ様のご寛大なお言葉、まことに感謝いたしますわ」
そんな二人を見て、言葉には出さずとも笑顔を浮かべていたのは、老メイドのシエスタだった。
「この二人は、こんな感じなんですか?」
「ええ。ルイズ様、ミス・フォンティーヌと、ミセス・ツェルプストーは、魔法学院の同級生なのです。なんでも、学院をやめられた後も、ミセス・ツェルプストーだけは、友人の契りを温め続けていただけたとか……」
「そうですか、何十年も……」
私の生涯を思い返すにつけ、一人でも生涯の友人を持つことのできたルイズを、架空の憧れの存在や、単なる主人というだけでなく、はじめて、幸せな人間だと思えた。
友人の来客に、古ぼけたいつもの食卓も、命が吹き込まれたかのようだ。壁に飾られた人形たちが、まるでアルヴィーのように踊っているように見えた。
台所では、普段から小さな屋敷の全体を切り盛りしているシエスタを、主人であるルイズも自ら手伝い、友人のために腕を振るう。とは言っても、召喚されて以来、彼女が台所に立つ姿は幾度となく見ている。それどころか、私自ら、料理の腕を披露したことがあるくらいだ。本物の貧乏人は、カップラーメンさえ買えやしない。そんなわけで、土を錬金してできた大きな土鍋には、私とシエスタの発案による、鍋焼きうどんが姿を現していたのだった。
「それにしても、驚きました。サイトさんがヨシェナヴェを知っているかと思ったら、その中に麦のヌードルを入れると言い出すなんて。こんな料理、私も長く生きてきたと思ったら、知らないことがあるものなのですね」
とはシエスタの弁。
「もしかすると、サイトさんは、私の故郷に来られたことがあったのでは?」
「いや、それが、ないんだ」
そこで、シエスタを尻目に、ルイズに耳打ちする。
「なあルイズ、ヨシェナヴェ、って、どこかで聞いたことないか?」
「え、ええと。あ、もしかして」
「そうだ。もしあの通りだとすると、シエスタの故郷には……」
私とルイズは二人、秘密を共有しえた者同士、ほくそ笑むのだった。
その夜の食卓、私とシエスタを交え歓談する中、ルイズの言葉にキュルケ夫人の手が止まった。
「ルイズ、あなた、どうしてあの子のことを?」
「どうしてって、昔の同級生よ。知っていて当然じゃない」
「違うわ。だってあなた、今確かに、シャルロットって言ったわよね?」
そう、確かにルイズは言い放った。曰く、「あなたがあのシャルロット様と知り合いだったなんて知らなかったわ」。魔法学院時代にシャルロットとほとんど交流を持たず、私の持ち込んだ書物で初めてその存在を認識したのだから、彼女の本当の名前を口にしてしまっても仕方がない。しかし、まさかルイズの口から、かつての友人の隠した名前が出てくるなど、キュルケ夫人にとってどうして予想しえただろうか。
「そう……。そうね。確かにタバサ、いえ、シャルロットと呼んだほうがいいかしら、今のイザベラ一世の従姉は、私のかけがえのない友人だったわ。……そうね、あれから四十年か。もしかしたら、今このテーブルを、一緒に囲んでいたかもしれないのにね」
まるで過去の人間を、そう、この世にはもう存在しない人を思い返すかのような、彼女の口ぶりに、私は尋ねずにはいられなかった。
「ちょっと待ってくれ。友人だった、って、彼女にいったい、なにがあったんだ?」
「まってください、サイトさん、そのことは……」
普段ルイズが食事をしているときは、脇に立ったままのシエスタが、慌てた様子で私を止めにかかる。
「そうよサイト、そのことは、この国じゃ口にしてはいけないの」
ルイズも、今までになく何かを恐れるように、私に本気の口調を投げかけた。
しかしキュルケ夫人は、
「いいのよルイズ。サイトさんは、あなたの使い魔なのでしょう。まさかこのフォンティーヌ領に、間諜を飛ばす理由なんて、今更無いでしょうし。あ、違うわよ。サイトさんがあなたの使い魔だって、信じてるんだから、ね。ほら、さっきルーンも見せてもらったでしょう?」
年をわきまえずふくれっ面をするルイズに、キュルケ夫人はたじたじである。
「まあいいわ。そうね、タバサ、シャルロット様は、七万のエルフの大群に一人で立ち向かった、ガリアと統一王国の英雄ってことになっているけど、そんなものは嘘よ。タバサは、殺されたの。イザベラ一世に」
「それは、本当なのか、ルイズ」
ルイズは答えない。もちろん私が持ち込んだ本の内容からして、何もしなければタバサ、シャルロットがそうなったことは想像に難くない。しかし、エルフに立ち向かった英雄とは……。
「最後に別れるとき、あの子は教えてくれたわ。それまで自分がやってきたことを全部。それで、もう会えないだろうって。あの子は先王ジョゼフの命令で、軍隊を撤退させるために、エルフに突っ込まされたのよ。もちろん一人でなんて、後世の創作よ。でも、エルフ相手に、一人のメイジになにができるっていうの? 最初から、体よく処分するために、格好の舞台を用意されたのよ」
もちろん、私はタバサと面識はないし、なんら関係のない人物と言ってしまうことは簡単だ。だが、彼女が幸せになれたかもしれないことを知っている人間として、なによりルイズの使い魔、いや、ここは友人と言ってしまってもいいだろう。友の友として、彼女のために涙を流すことをせずにはいられなかったのだ。
「ねえサイト、あなた、泣いてるの?」
「え、いや、泣いてないさ」
「……嘘が下手ね、私の使い魔は……。でも、もしかしたらキュルケの言うとおり、ここにいたのかもしれない――のよね」
そしてルイズも、そうなったかもしれない世界を、共通の人物が登場する御伽噺として、知っている。面識の無い人物を、知り過ぎてしまったがゆえに、ルイズは未知の友の死を、深く悼まなければならなかったのだろう。
「ねえキュルケ」
「なに、ルイズ」
「シャルロット様、いえ、タバサの、お墓参りに行かない?」
3.
ルイズの突然の申し出を、キュルケは快諾してくれた。子供や孫はしばらく帰ってこないし、夫は鉄鋼会社の経営で忙しいだろう、とのことである。
「それから、シエスタ、あなたもぜひ同行しなさい」
「ですがルイズ様、屋敷に誰か残らない訳には……」
「大丈夫よ。領地の管理は領民の議会が勝手にやってくれるだろうし、今更私みたいな一代限りの家に、使いが来ることなんてないわ。それに、ね。途中、あなたの故郷に用事があるの。そのまま、私たちがガリアから帰ってくるのを、村で待っていてもいいわ」
しかしシエスタは首を縦に振らない。
「これは、なんっていうか……。主人とメイドとしてではなくて、友達としてのお願いなの。私たち、もう一緒に暮らして四十年になるでしょう? たまには、一緒に旅行に出かけることがあってもいいじゃない。女三人、ね。あ、サイトもいたのよね。忘れていたわ」
迷っていたようではあったが、結局、革のトランクに荷物を詰め込んだシエスタも馬車に乗り込み、老人ばかりの、フルムーンパスが適用できそうな旅が始まった。目的地はガリア、いや、今はこの統一王国の首都たる、リュティスである。ただしその前に、シエスタの故郷であるタルブに寄り道するのだが。
道中の小さな町で、一日目の宿を取る。ルイズはキュルケ夫人と同室、私とシエスタはそれぞれ、シングルルームを宛がわれた。
それにしても驚いたのは、建物は石造りの古いものであるとはいえ、部屋に裸電球による照明が取り付けられていることである。ラ・フォンティーヌの領地を出、街道を平地へと下っていくと、途中から道端には、木の電柱まで立ち並び始める。
「それにしても、まさか電気があるなんてな」
ホテルのロビーにシエスタを見つけ、その感想を述べると、小さく笑われてしまった。
「ルイズ様に、召喚されたんですものね。サイトさんの故郷には、電気はなかったんですか?」
「いや、あったさ。でも、こんな場所に、電気があるなんて、ちょっと驚いてな。それにしたって、どうしてルイズの屋敷には、電気が通ってないんだ?」
「それは、あんな山の中の田舎ですから。でも今度、領地の中の村にも、電線が届くんです。それに、お屋敷の上流は、発電用ダムを作るのに、うってつけの場所らしいですよ。サイトさん、ああ見えて、ルイズ様は領地の発展を第一に考えられているんです」
発電所に、電気か。キュルケ夫人の旦那は鉄鋼会社の社長だって言っていたようだし、もしかすると、ゲルマニアを中心に、過去に産業革命が起こっているのかもしれない。
「ふーん。そういえばシエスタ、シエスタは、どうしてルイズの屋敷なんかで働いているんだい?」
「え、どうして、といわれましても……。そうね、ルイズ様だけだったんです。私を拾っていただけたのは」
「拾う?どうして。シエスタも、若い頃は綺麗だったろうに」
年齢を忘れたかのように、シエスタは頬を紅く染める。
「でも私、傷物にされてしまったんです。こんなこと、昔は口にも出したくありませんでしたけど。若い頃、平民の女性ばかりを手にかける、モット伯という貴族の方の慰み者にされて…。でも、その貴族様も、トリステインが滅びるのと一緒に領地を没収されて…。メイドなんて、平民とはいえ出自から何から、調べられますから、モット伯の所にいたということが知られただけで、奉公先なんて、見つかるはずなんてありませんでした。でもルイズ様は、そんな私を、何も言わずに雇ってくれた。いえ、いつからか、雇われるというより、お話し相手のようになっていましたけれど。でも、そんなルイズ様との四十年が、私の思い出のほとんどです。ルイズ様といられたことが、私の一番の幸せですわ」
「そうか、シエスタも、いい友人を持てたんだなあ」
「友人なんて、そんな。ルイズ様はあくまで、私のご主人様ですわ」
シエスタは小さく笑う。しかし、その後に付け加えた。
「ただ、ルイズ様とキュルケ様の言うように、リュティスの王族が、悪い人たちであると、私にはどうしても、思えないんです。昔、私が助かったのが、ガリアがトリステインを滅ぼしてくれたおかげだということもありますが……。今こうやって、電気の下にいられるのも、イザベラ様がゲルマニアの技術を、積極的に取り入れられたおかげなんです。聞けばイザベラ様は、魔法がお得意ではないようで……」
あの書物に描写されたイザベラしか知らない私は、善政を敷く女王など想像することもできない。しかし、このホテルに出された郷土料理は、中世のレベルをはるかに越えた現代的なもので、食器にはベークライトと思わしき材質まで使われている。さらに電気が通っているばかりか、部屋の一つ一つには、三十ページほどの新聞まで配られているのだ。豊かな異世界に、それを裏付ける女王がいることは、実感としては、否定のできない事実であった。
さらに二日の道のりを経て、ようやくタルブの村に到着した私とルイズがシエスタに切り出した願いに、彼女は心底驚いている様子であった。
「どうしてルイズ様とサイトさんがそのことを……。あれは、アカデミーにも知られていなかったはずなのに」
無理もない。私はもちろん、ルイズにしても、本来ならば知りえる術のない方法で、その存在を知ったのだから。だが村の人々は、シエスタが申し出ると、迷うところ無く快諾してくれた。それは、ルイズがもはや珍しくなった貴族の位を持つ者であることもさることながら、身一つでこの年齢まで一人の女性に勤め上げたシエスタが、彼女の縁戚者や住民に、尊敬を集めていたことも大きい。
おそらく創建から百年を越え、木目が黒く浮き出た神社のような建築に通されると、予想通りの物体が、文字通り羽を休めていた。
「ゼロ戦、だ……」
とはいっても、軍事的知識のない私にとって、緑色の古い飛行機は、全てがゼロ戦である。ところが、コックピットを覗き込もうと、機体に取り付けられた手すりに触れると、この機体が、零戦52型だということ、更にその扱い方までが、頭蓋に液体を注入されるかのように、一体となって知識として流れ込んできたのだ。
「神の左手、ガンダールヴ、か……」
もはや無用の長物である能力に、思わず溜息が漏れる。ただ、もしも叶うならば、この緑色の飛行機械とともに、この世界を駆けてみたいものだと思う。
旦那が金属に関わる仕事をしている位だから、この場違いな工芸品に使用された材質にも興味があるのだろう、機体の各所を、年甲斐も無くしげしげと観察しているキュルケ夫人を置いて、私とルイズは、この零戦を持ち込んだと言われている人物の墓所へと、案内された。
「海軍少尉、佐々木武雄、異界に眠る。」
「読めるんですか、サイトさん」
「俺の世界の字だ。ただ、俺が生まれる四十年も前の人物だけどな」
両手を合わせ、先人に祈る。もう大きく変わってしまっていた、21世紀の日本を、どう報告すればいいだろうかと悩みながら。
小さな馬車を繋げた格好の列車は、トリスタニアの中央駅を出て、一日と半分ほどで、首都リュティスまでの千リーグ強を走破した。ルイズに暇を与えられたシエスタはタルブに残り、ルイズとキュルケ夫人は、女同士の会話を弾ます。
「あの四角い建物はなんだ?」
車窓に時々流れる、凹凸の少ない、まっさらな白い直方体を指差し、尋ねる。
「え、ああ、あれは学校よ。二十年くらい前からかしら、平民にも学校が開かれたのは。あの形の建物なら、鉄と溶いた土を使って、少ない材料で建物が作れるでしょう? 最近は、あんな直線ばかりの建物が流行みたいよ」
鉄とコンクリートで作られた建築物。それは、元いた世界では、1920年代頃にならなければ出現しなかった形だ。電気に汽車。中世ほどの文化レベルかと思われたハルケギニアは、明確に、変わろうとしている。貴族であるルイズは、もはや死にゆくだけの、古い存在に過ぎないのだろうか。そして、その使い魔である、本来ならば既にこの世に存在していなかった筈の私も。
4.
始祖の伝説を描いた、荘厳な装飾で飾られた駅――元いた世界では、新古典主義建築と呼ばれていただろうか――を出て驚いたのは、その向かいの広場に立つ、高さ二十メイルはあろうかという、片手に大杖を構えた戦乙女の彫像であった。
「……あの子、こんな風になっちゃってねえ。何度リュティスに来ても、慣れないわ」
「っていうことは、この像のモデルは?」
キュルケ夫人が呟く。
「ええ。エルフに立ち向かった英雄。タバサ、いえ、シャルロットを称える記念碑よ。あの子が恨んでも恨み足りなかった王族も、まあ、よくやったものだわ。使い魔のあなたは知らないかもしれないけれど、統一王国中の教科書に、あの子の名前が載らないことはないって話。尊敬されていることは確かでしょうけど、もし本人が見たら、どう思うでしょうね」
ところが輪をかけて驚かされたのは、駅馬車を捕まえて向かった、タバサの墓所だった。
「さっきからずっと、塀ばっかり並んでるけど、これは?」
「お客さん、リュティスに来るのは初めてで?」
御者が問う。
「ええ」
「そうかい。これが、あんたがお参りしようとしている、シャルロット様の廟でさあ」
「これが?」
「はい。ちょうど、裏手から回り込む形になりまさあ。何しろ、我らガリアの民にとって、女王陛下の従姉君、シャルロット様は、並ぶ者のない、救国の英雄ですからなあ。シャルロット様に並ぶお方なんて、始祖ブリミル以外には誰もおわすまい」
御者による観光案内はなおも続くが、その間、ルイズとキュルケ夫人は口を開くことなく、ただ廟から視線を背け、町並みに焦点の定まらない視線を向けていた。
リュティス郊外の小高い丘に、その姿をたたえるシャルロット廟。彼女の二つ名を表すかのように、純白の壁面と、王家の青がまぶしい瓦に飾られた建造物は、一度でも在りし頃の彼女にまみえようという人々を、静かに見下ろしている。
さながら博物館のように、彼女の使った杖やマント、愛読したという書物が並べられたガラスケースを抜けると、教会にも似た高い天井の部屋があらわれた。人々は、その祭壇の上に安置された棺に向かって、始祖にそうするのと同じように祈りをささげている。見れば、ルイズとキュルケ夫人も同様である。私も、この世界の流儀は知らないながらも、両手を合わせ、彼女の安息を願った。
お参りを終え、観光客でごった返す、廟の前の広場に戻る。出店に売っていた、タバサの使い魔にあやかったというシルフィード焼きを、ルイズやキュルケ夫人と並んで食べる姿は、まるで年に似合わない修学旅行のようである。
一段落着いて、投宿しようかと流しの馬車を捕まえにかかる。だが、キュルケ夫人の口から飛び出たのは、思いもかけない一言だった。
「それじゃあ、タバサのお墓に向かいましょうか」
「どういうこと?お墓参りなら、今終わったばかりじゃない」
ルイズも不可解な顔をしている。
「分からないの?」
キュルケ夫人は声を細める。
「王が良く思わない人間を、本当にこんな廟に安置すると思って?」
キュルケ夫人が御者に指定した行き先は、ちょうどリュティスの市街地を挟んだ反対側の郊外に位置する、広大な共同墓地であった。
三十分は歩いただろうか、その更に片隅に、彼女の本当の亡骸は、誰に見守られるではなく、身を横たえられていたのである。こころなしか、木漏れ日の一つ一つが、タバサの流す涙にさえ思えた。
膝ほどの高さの白い墓碑ひとつ、そこには、彼女の本当の名前さえ刻まれてはいない。ただ一行、Tabasaと。それだけだ。
「私だって、あの子の本当の名前を刻んであげたかったわ」
墓石と同じ視線で、キュルケ夫人がタバサの身に手をかける。
「だけど、ガリアの王族に見つからないように、あの子の亡骸を連れ去るので精一杯。……許してね、タバサ、いえ、シャルロット」
キュルケ夫人の両頬に、涙の筋が流れた。
「おねえさまのお墓にお参りするなんて、おばあさんたち、誰なのね?」
草を踏む音に、傍らにもう一つ、人影が増えていることに気づいた。
「おばあさんとはよく言うものね? あなただって、いつかはおばあさんなのよ。そりゃあ孫だっているけれど……、せめておばさんって言ってほしかったわね」
キュルケ夫人が抗議の声を上げる先には、青く長い髪の、無邪気そうな少女が立っていた。
「あなたは?」
ルイズが問う。
「おねえさま、いえ、シャルロット様の、墓守なのね! きゅい!」
胸を張って宣言する少女。しかし……。
「あなた、この墓が誰のものか知っているだなんて、何者? まさか、王家の手の者じゃ」
杖を向けようとするキュルケ夫人を、ルイズが押し留める。
「まずいわ。もし本当に王族の手先だったら……」
しかし少女は手出しをするでもなく、自身の言動に自ら慌てている様子である。
「あわわ……、まずいのね〜!このお墓がおねえさまのものだってことは、秘密だったのに」
「キュルケさん、杖を収めて。見る限りじゃ、この子は悪い人じゃあなさそうだ」
私の呼びかけに、すごすごと杖を収めるキュルケ夫人。
「それで、あなたは、どうしてこのお墓について知っているっていうの?」
「それは……、わたしがおねえさまのお友達だったからなのね!」
「友達? だってあなた、どう見ても、生きていたころのタバサを知っている年にはみえないじゃない」
ルイズとキュルケ夫人が顔を見合わせる。
「それは……。こ、このお墓の前に長くいると、怪しまれるのね! 場所をかえるのね、きゅい!」
彼女の言うことにも一理あると、案内されるがままに、共同墓地の裏口へと足を向ける。
「ちょっと、友達の風竜にアシになってもらうのね。ちょっと、ここで待っていてほしいのね!」
「風竜?」
今度は私も含め、三人が顔を見合わせていると、女の子は、墓地の塀に沿って、どこかへと消えてしまった。すると入れ替わりに、青い鱗の風竜が、どこからともなく飛んでくるではないか。風竜は、ちょうど私たちの目の前に降り立つと、背中に乗れとでもいうように、首で指図する。
どこかで知ったような……?怪訝な顔で乗り込もうとする私とルイズ。だが一人、キュルケ夫人の取った行動だけが異なっていた。
「もしかして、シルフィード?」
我を忘れて風竜に駆け寄るキュルケ夫人。その両目には、タバサの墓の前で流したのとも違う、まるで旧友との再会を喜ぶかのような涙がたたえられていた。
「わかる? シルフィード? 私よ、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーよ。あなたの背中にも、乗せてもらったことあるでしょう? 覚えてるかしら」
「ちょっとキュルケ、風竜の顔の前に出るなんて、危ないわよ!」
「大丈夫よ、ルイズ。この子は、タバサの使い魔。あなたも、姿くらいは見たことあるでしょう?」
一瞬動きの止まったルイズも、はっと何かを思い出したかのように、シルフィードへと近付く。
「そう……。この子が……。主が死んでも、忘れずに近くにいる使い魔がいるなんて」
そう、それはメイジにとって、涙なしには語れない姿。しかし、当の使い魔である私は、ルイズに対して、何ができるのであろうか。自身の無力さをひしひしと感じつつ、はしゃぐ二人を横目に、シルフィードの背中の上の人となった。
鬱蒼とした森の中に静かに降り立つと、シルフィードはきゅいきゅいと鳴きながら、再びどこかへと飛び去る。どこへ行くこともできず立ち尽くしていると、森の奥から、先ほどの女の子が飛び出してきた。
「あなた、いったいどこへ行っていたの?」
「わ、わたしは別の風竜さんに乗せてきてもらったのね。こっちにわたしの家があるのね。ついてくるのね」
彼女に従うままに進むと、なるほど、農作業小屋のような、小さな建造物が佇んでいる。
「しかし……、まるっきり廃墟じゃないか」
それだけではない、辺り一帯には生臭い匂いが漂う。それが小屋の脇に積まれた生肉によるものだと気づくのに、時間はかからなかった。
小屋の中へと通されるが、中には簡素なテーブルと椅子があるだけで、生活臭はまったく感じられない。
「あなた、本当にここで暮らしてるの?」
ルイズも訝しげな様子である。
「そうなのね!シル……イルククゥは、シルフィードさんといっしょに、町から町に、物を運ぶ仕事をしてるのね。だから、ここに帰ってくるのはたまーにだけなのね!」
「へえ、あなた、イルククゥっていうのね。でも、本当? 風竜を使った運送屋さんなんて、聞いたことないわ」
「本当なのね!信じてほしいのね、キュルケさん」
「……わたし、あなたに名乗ったかしら」
「ところで、あなたの青い髪、まるで王族よ。もしかして、本当にタバサの親戚なの?」
不可解そうなキュルケ夫人をよそに、ルイズが会話を遮る。
「そ、そんなところなのね。おねえさまはおねえさまなのね」
「ふーん」
タバサの友人を招いて、ただそれだけではいけないと、イルククゥは簡素な竈に向かって、料理を始めてしまった。
「なあルイズ」
「なに、サイト?」
「どう思う?」
「どうって、たぶんこの子が、そうでしょうね。だけど……、秘密にしているのだから、それを尊重してあげてもいいんじゃないかしら」
しかし、イルククゥが食卓に並べた料理は、肉の丸焼きにハシバミ草のサラダを添えただけの、到底人間の食事とは言えないものなのだった。
「……、イルククゥ、あなた、普段こんなものばかり食べているの? 今時、平民だってこんなに酷いものは食べないわよ」
一人事情を飲み込めていないキュルケ夫人ではあるが、私とルイズもまた、手を付けられずにいる。
「ところで」
そんな様子を見かねたのか、イルククゥが突然、口を開く。
「おねえさまのお友達を見込んで、お話があるのね」
「何を言ってるの? そんなこと、いくら私が貴族だからといって、できるはずがないでしょう?」
「そこをなんとか、シルフィ一生に一度のお願いなのね! このままじゃ、おねえさまが可哀想なのね」
「だけど、あなたのやろうとしていることは、下手をしなくても、悪くて死刑、よくても国外追放よ。ねえキュルケ、あなたもなんとか言いなさいよ」
しかしキュルケ夫人は、自らの友人の現状に対して思うところがあるのか、イルククゥの言うことを否定しようとしない。
「サイトも、いくらあなたが異世界人でも、これがどれだけ無茶なことかは分かるでしょう?」
イルククゥが提案したのは、こうだ。
タバサが誰にも顧みられず、無名の墓地に葬られているのは許せない。だから、その従妹たるイザベラ一世に直談判して、せめてシャルロットとして、本物の墓に葬ってもらうことはできないか。そして、彼女の身に起こったこと、正しい歴史を知らしめられないか。そのために、王城に忍び込む手伝いをしてほしい、と。
「無理に決まってるでしょう? あなたが無念なのはわかるけれど……」
ルイズの反応も当然だ。今なお王家の居城として機能しているヴェルサルテイル宮殿は、一部が観光地として開放されてはいるものの、その最深部は国家の中枢として固く閉ざされている。そこに白昼堂々忍び込もうなど……。
「わかりました。協力するわ」
ところが、何を思ったか杖を掲げたのは、キュルケ老婦人である。
「あなたの言うことは正しいわ。タバサも、いい友達、いえ、妹かしら――を持ったものね」
「何を考えているの、キュルケ? 若い頃にもらった性病のせいで、今更頭がおかしくなったとは言わせないわよ」
するとキュルケ夫人はルイズをキッと目で捉え、
「あなた、貴族でしょう? 世の不条理を、道理に沿って正す役目、貴族が先頭に立って行うべきではなくて?」
「それは、そうかもしれないけれど」
「使い魔を召喚して、ついにゼロじゃなくなったって喜んだけど、あなたの心は、本当のゼロになってしまったのね。友人、いえ、ツェルプストーの人間として、失望したわ」
「サイト、なんとか言ってよ」
正直な心情からすれば、イルククゥの計画は、無謀どころか、打算さえどこにもない、無策なものに違いない。しかし……。自らが恨んだ王家の英雄として、望まない信奉を集めているどころか、その信奉さえかりそめの書き割りで飾られているときては、道理はイルククゥ、いや、シルフィの方にあるとしか、思えなかったのだ。
「なあルイズ」
「なによ、わかってくれるの?」
「ルイズは、いや、俺たちは、あの本のように、英雄になることはできなかった。だけど、自らに課せられた命令に殉じて英雄になったタバサも、誰も見ていない場所で、誰にも知られずに正しいことをした人間も、等しく英雄なんじゃないか? このトシだ。どうせ間も無く土に帰る命、慎ましやかに咲かせようじゃないか」
「本気で言ってるの?」
「ああ、本気も本気さ。見る限り、もうメイジなんて時代遅れの代物かもしれない。だけど、だからこそ、最後に一花、虚無の力で人助けと洒落込もうぜ」
一瞬の沈黙の後、ルイズはやれやれと首を振る。
「あきれたものね。サイト、あなたも、時代を間違えた英雄よ。わかったわ、貴族の誇り、みせてあげましょうじゃないの。その代わり、何かあったら私を守るのよ。神の左手、ガンダールヴ」
「おうよ!」
虚無だのガンダールヴだの、本当に俺たち二人が狂ったのではないかといぶかしむキュルケ夫人だが、ルイズが協力を決めると、微笑みながらルイズの手を取った。
「キュルケさんにルイズさん、それと……」
「サイトでいいよ」
「サイトさんも、ありがとうなのね! これでおねえさまも浮かばれるのね!」
イルククゥは喜び勇んで、作戦の開始を告げた。
「それじゃあ、作戦通りにいくのね。わたしはシルフィードさんを呼んでくるから、ちょっと待っていてほしいのね」
シルフィが再び、森の奥に消える。
「それにしても、まさかルイズ、あなたが伝説の虚無の使い手だなんてねえ」
「信じたくなければ、信じなくてもいいのよ?」
「信じるわ。今更私に嘘をつく意味なんて、どこにもないでしょう?」
「……それもそうね。できれば、もっと若い頃に、魔法が使えるようになればよかったけれど」
話しこんでいる二人を横目に、シルフィードが降り立つ。ところが出鼻をくじいたのはキュルケ夫人であった。
「ところで、イルククゥはどこへ行ったの? まさか、私たちだけに押し付けて、なんて筈はないでしょうけど」
そういえば、私とルイズは、そのことは半ば織り込み済みとして考えていただけに、どう誤魔化すかをすっかり忘れていた。シルフィードも明らかに狼狽している様子で、慌てて空へ舞う。
「あらら、行っちゃったわね」
やがてイルククゥが森の中から駆け出てくるも、キュルケ夫人は二度驚くほかない。私とルイズは思わず頭を抱える。
「あ、あなた、服はどうしたのよ! 服は!」
「まずったのね〜!」
そんな芝居をもう一度繰り返し、ようやく森の中から出てきたイルククゥに、流石に感付いたのだろう、キュルケ夫人が詰め寄った。
「あなた、もしかして、いえ、確実に、シルフィードでしょう」
「な、なにを言っているのね! わたしはれっきとした人間なのね! ルイズさん、サイトさん、そうなのね!?」
しかし私たち二人は、目を逸らし、沈黙することしかできない。
「シルフィード、頭の上に、飛び立つときに引っかかった葉っぱが引っかかっているわよ」
思わず青い髪に手をやるシルフィード。
もはや、弁解の余地はなかった。
「さっき、自分のことをシルフィって言っていたときから、怪しいとは思っていたけど、本当にとはね……。ルイズ、サイト、あなたたちも気づいていたの?」
まさか最初から知っていたなんて、言えるはずもない。召喚されし書物は、私とルイズ、二人だけの秘密なのだから。結局キュルケ夫人がシルフィードに全てを洗いざらい吐かせ、作戦を練り直した後で、出発とあいまった。
5.
ヴェルサルテイル宮殿もまた、庭園や建築、美術を目当てとした観光客でごった返している。観覧チケットを手に、グラン・トロワの内部へ侵入するのは容易いことだった。ただし、開放された一部の区画以外は、メイス状に加工された杖を構えた衛兵に、固くガードされている。
「いい、いくわよ、ルイズ」
「がんばれよ。失敗して爆発でもしたら、目もあてられないぞ」
「ええ。でも、あの本に載っていた通りの呪文で、本当に姿を隠せるのかしら」
王族の居住区に最も近い、遥拝場のようになった一角。キュルケ夫人の言葉を合図に、ルイズが小さく詠唱を始める。
一瞬、風の流れが変わったように感じたが、辺りの様子に変化はない。
「駄目、か」
爆発を起こし連行されるという最悪の事態こそ避けられたものの、ルイズの虚無が発動しない限り、作戦の遂行は不可能である。だが、
「ちょっと、シルフィード、どうしたの!?」
キュルケ夫人の言葉にシルフィードを見る。すると、なんと彼女の体が、半分を残して消失してしまっているではないか。
「だ、大丈夫か、怪我は?」
「どうしたのね? シルフィはなんともないのね?」
「ちょっと待って、これって……」
ルイズがシルフィのいる方へ手を伸ばすと、腕の途中までが同様に消失した。
「これが……、イリュージョン……。やった……、やったわ、私、生まれてはじめて……」
「声が大きいぞ、それに、初めてじゃないさ。なにせ、俺がここにいるんだからな」
「そうね……。とにかく行きましょう! さ、みんな、早く」
ルイズを先頭に、俺たちは、誰もいない高天井の廊下の幻影へと飛び込んだ。
「でもシルフィ、城の中は案内できるって言っていたけど、どうして分かるんだ? どうもグラン・トロワの中心からどんどん離れているみたいだし」
「おねえさまが生きていたころ、何度も来たことがあるのね。それに、従妹は昔から、プチ・トロワに住んでいるから、こっちで合っているのね」
その言葉を信じ、何度も階段を上り下りする。要所要所でルイズの虚無を使い、身を隠すことは万全に。六十年もゼロであった彼女の体だ。廊下一本や二本で足りなくなる精神力ではない。
そして、何回曲がったか忘れた頃、シルフィードが立ち止まった。
「ここ……、懐かしい……」
長い廊下の先に、油の輝く重い扉が沈黙している。
「何度もここを通ったのね。そのときは、従者だって、おねえさまは説明していたけど……、これで、イルククゥ、いいえ、シルフィードとしてあのデコっぱちと話ができるのね」
シルフィードは、一歩一歩を踏みしめるように、女王の居室へと向かっていった。
無言のまま、扉を開け放つ。
シルフィードを先頭に、脇をルイズとキュルケ夫人が固める。武器を持たない私はその後ろだ。反応のない室内に戸惑いつつも、室内へと押し入ると、主はベッドの天蓋の中、上半身だけを起こし、こちらを見つめていた。青い髪はもはや艶を失い、細身の体からも水分が消えている。
「統一王国女王イザベラ! その命、頂戴するのね!」
シルフィードの言葉に絶句したのは、私だけではない。ルイズとキュルケ夫人もまた、一瞬動きが止まるが、次の瞬間、シルフィードの言動を咎める。
「ちょっとあなた、まさか、そのつもりで……」
二人が合図するより早く、私はシルフィードを羽交い絞めにしようとするも、彼女はするりと通り抜け、窓へと向かって全力で走り寄った。そして、ガラスへと体当たりし、窓枠もろとも飛び降りる。
次の瞬間、窓に顔を覗かせていたのは、風竜へと変化したシルフィードであった。
「おねえさまの仇、とらせてもらうのね!」
竜の姿のままイザベラに怒りをぶつけるシルフィードに、イザベラも過去を思い出したようで、小さな冷笑とともに、女王の威厳をもって話し出した。
「そうかい……、伯父上に付く者が、まだいたとはね……。驚いたよ、ガーゴイルの使い魔」
「また言ったのね! おねえさまはガーゴイルなんかじゃないのね!」
「ああそうさ! あの子はガーゴイルなんかじゃなかった。でも、そのことに気づいたときは、もう遅かったんだ……。あたしも、父上と同じだったのさ」
「何を言っているのね? 命乞いをしても無駄なのね」
「……シャルロットの使い魔、あんたとも、友達になれたかもしれないのにねぇ。さあ、殺しな。この国に王制はもう必要ない。それに、血に汚れすぎたよ」
刹那、シルフィードのブレスがイザベラを襲う……、かと思った瞬間、ルイズがシルフィードの鼻先で爆発を生み出した。
「な、なにをするのね! シルフィのやることを、止めないでほしいのね!」
「あなたの行為はおかしいわ。相手は自分を殺せとまで言っているのよ。女王である以前に、あなたは人間を殺せるの?」
「そうよ。タバサのたった一人残った従妹、あなたは殺して、あの子に顔向けできると思っているの?」
キュルケ夫人も加勢する。
「止めるな。いいのさ。どこの貴族か知らないが、あたしのしてきたことは、この子に殺されてもまだ、償いきれないくらい残っているのさ。ならせめて、あたしを一番恨んできた人間に、殺されてやろうじゃないか」
「どうして、償うだなんて言えるのね? 従妹娘の悪行、シルフィはこの目にしっかり焼き付けたのね」
「そりゃあ……、結局、シャルロット、あの子しかいなかったのさ。姫になって女王になって、誰があたしの心を分かってくれた? 結局一人なんだ。誰も、いない……。どうして、どうしてあたしはあの子を! 殺してしまったんだ!」
リュティスの女王の頬に涙が流れる。
「シルフィード、やめましょう。あなたに、彼女が殺せるの?」
「キュルケさん……」
シルフィードは窓に前脚を掛けると、光とともに人間へと変化した。
枕に顔を埋めるイザベラに、シルフィードが近付く。
「なんだい? 殺すなら、早く殺しなよ」
「おねえさまと一緒なのね……」
シルフィードの口から出た言葉に、私たち三人が口をつぐむ。
「おねえさまも一人だったけど、イザベラも一人なのね」
「そうさ、あたしゃ一人さ。死ぬまで一人さ」
「……でも、おねえさまには、シルフィがいたのね。だから……、イザベラにもシルフィがいればいいのね!」
するとシルフィードはベッドに上り、イザベラの顔を胸に抱きしめた。
「な、なにをするんだい?」
「これで、イザベラは一人じゃないのね。おねえさまも、従妹が一人じゃないって分かったら、きっと喜ぶのね!」
呆気に取られる私たちを尻目に、イザベラは、声を高く上げて、シルフィードの胸を濡らした。
「シャルロットの墓? そんな、とっくの昔から、あの墳墓に埋葬しているに決まってるじゃないか」
「どういうことなのね!?」
「統一王国の諜報能力を甘く見てもらっちゃ困るよ。共同墓地にシャルロットが埋葬されていたってことは、すぐに調べが付いたのさ。だから、あの子にふさわしい墓に、引越しさせてもらったよ。もちろん、儀式は内輪で済ませてもらったけどね」
シルフィードの立案した計画は、その本来の目的もさることながら、でっち上げた理由にまで意味がなかったことになる。
「そ、そんな、シルフィはずっと、偽のお墓にお参りしていたってことなのねー!」
「それじゃあ、タバサが本当はどうして死んだかってことは……」
キュルケ夫人の問いに、
「ああ。実はあたしは、もうすぐ息子に王位を譲って、隠居しようと思ってるんだ。権力も手放すつもりさ。そうしたら、すぐにでも、あたしが何をしたか、書き散らされるだろうね。今でも歴史学者たちは、口を開きたくてうずうずしているんだ。そうしたら王位もどうなることか分からないが、まあ、今の国民なら、あたしたちがいなくても、うまくやっていけるだろう」
「……イザベラ様、それは、本心からのお言葉で?」
「ん、ミセス・フォンティーヌだったかい」
「ミスですわ」
「うん、もう、貴族だの平民だのって時代は、古いものになりつつあるってことさ。あたしは魔法が苦手だから、よくわかるよ。なにせ、機械やマジックアイテムを使うほうが、単に魔法を使うよりもいい暮らしができるくらいだからね。……ミスって言ったね。あんたも一代限りで終わりの貴族なんだろう? あんた自身、そのことはよく分かっているはずさ」
「そうなのか? ルイズ」
シエスタの言っていた、領民が電気を使って豊かに暮らしているということが頭を過ぎる。
「……ええ。私が死んだら、領地は領民たちが治めるようになるでしょうね。私も、それでいいって思っているわ」
「そういうことさ。まあせめて、このヴェルサルテイル宮殿は、観光地としてでも残してもらいたいと思っているけどね」
イザベラの高笑いがこだまする。
「ところで、キュルケとやら」
「なんでしょう? 女王陛下」
「……イザベラでいいよ。あんた、シャルロットの友人だったんだろう?」
「そうですわ」
「その……、なんだ。あたしの、友達になってやくれないだろうか」
「友達ならシルフィがいるのね!」
「うるさい! 多いに越したことはないだろうが! それで、どうだい? もしあんたが、シャルロットのことについて恨んでいるなら、それでも構わないさ。ただ……」
「このデコ娘は寂しいのね!」
「お前はうるさいんだよ!」
横に立つキュルケ夫人を見ると、目の焦点をイザベラに合わせ、沈黙している。いや。かすかに肩が震えているではないか。キュルケ夫人の顔が高潮し、そして、彼女もまた、大声で笑い出した。
「何を言い出すかと思ったら! いいわ! なにせタバサの従妹の願いだもの! っていうことは、最初っから、あなたは親友みたいなものだわ!」
キュルケ夫人は一歩前に出ると、イザベラを抱きしめた。
「や、やめろ、恥ずかしい」
6.
イザベラ一世の退位と、それに伴うシャルル二世の即位が公布されたのは、それから二ヵ月後のことだった。それをフォンティーヌの領地で聞く私とルイズのもとに、リュティスから手紙が届く。そこには、イザベラとシルフィード、それに、再びリュティスを訪ねたキュルケ夫人の姿が、マジックアイテム――いわゆる写真だ――に記録されていた。
屋敷の中は既にもぬけの殻と化している。その代わりに、やがて到着した馬車から調度品一式が運び込まれ、室内は会議室や議会へと姿を変えた。
「いいんだな、ルイズ? この屋敷を領民に任せて?」
「いいの、決めたことだわ。それに、もう彼らは領民ではないわ。フォンティーヌ市民よ」
ルイズが貴族の位を返上すると言い出したのは、リュティスから帰ってきてすぐのことだった。はじめは気の迷いくらいに受け取っていたが、どうやら、貴族や、メイジと平民の違いなどというものがナンセンスであると、心から認識してのことであるようだ。そのままとんとん拍子に事を運び、今日、この屋敷を引き払う日が来ている。
「シエスタ、ごめんね。また帰ってきたら、タルブの村に寄るわ」
「いえ、いいんです。ルイズ様の決めたことですから。ルイズ様……」
「私は平民よ、ルイズでいいわ」
「はい。ルイズ、あなたと過ごしたこの四十年、本当に楽しかったです……」
シエスタの顔を涙がつたう。ルイズは、シエスタに歩み寄ると、軽く口付けを交わした。
「それでは私も行きます。ルイズ、絶対に、タルブに来てね! 絶対よ!」
私たちより一足先に、シエスタは乗合馬車で領地を去っていった。
「さて、私たちも行きましょうか」
「ああ」
フォンティーヌ領の館から町を繋ぐ街道には、燃料を満タンにした零戦が留め置かれている。この燃料は、キュルケ夫人の旦那、ミスタ・コルベールに頼み、錬金してもらったものである。燃料タンクを増量したうえ、それまで領地で得た財産を注ぎ込んで購入した風石を満載し、数千リーグほどであれば、行って帰ってこられる、常識外れの代物だ。
私とルイズは零戦に乗り込み、ゴーグルをかける。ガンダールヴの力で流れ込む知識に沿って操作すると、まずプロペラが回り、そして、ゆっくりと街道の上を加速し始めた。
沿道では、領民たちが手や旗を振っている。浮かび上がり上昇していくコックピットの中、名領主ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌへの歓声を聞きながら、私たちはフォンティーヌを去っていった。
「さて、進路も東へとったし、あとは飛んでいくだけだ。なあルイズ、もう一度聞いておく。本当によかったのか? 引き返すなら今のうちだぞ」
「いいの。なんていうか……、サイト、私たちができなかった冒険を、してみたいじゃない。せっかくのガンダールヴと虚無よ。使わなければ損ってものよ!」
「そうかい。なら、俺もルイズについていくさ」
既に機は統一王国を抜け、眼下にはゲルマニアの工業地帯が広がっている。
「なあルイズ」
「なに?」
「あと、何年生きれる?」
「サイトは?」
「短くて十年。長くて三十年ってとこかな」
「ふーん。私は……、わからないけど、オールド・オスマンはこの前、四百歳の誕生日を迎えたっていうわね」
「あのジジイ、まだ生きてるのか!? でもそれじゃあ、どう頑張っても俺のほうが」
「大丈夫よ。使い魔は寿命も長くなるっていうわ。それにサイト、私より早く死んだら、それこそ許さないんだから!」
戯れにルイズが、小さな爆発を起こす。
「ちょっと、操縦中は勘弁してくれよ。でも俺、召喚されてから体の調子がよくなった気もするしなあ。よし、俺、ルイズより一日でも長く生きるよ。使い魔として」
「……使い魔としてじゃなくてもいいわ」
「ん? なんか言ったか?」
「……なんにも」
「ま、いっか。まだまだ先は長いんだ。それじゃあ行こうぜ、ルイズ!」
「ええ!」
「目指すは東方!」
ゲルマニア上空、一閃の飛行機雲が、空に白く伸びた。
了