ゼロの使い魔保管庫
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契約(その10) 痴女109号氏 #br 夜になった。 新郎新婦に休息は無い。 式と披露宴が終わると、二人は、早速荷物をまとめて新婚旅行の準備に取り掛かっていた。 七泊八日の新婚旅行――とは言っても、実質は結婚式に来られなかった、トリステイン貴族諸侯たちへの挨拶回りに他ならない。 「あーあ、全く、やんなるわよね」 「……そうだな」 「ちょっとアンタ、なに疲れた顔してんのよ?」 そう言いながら、頬を真っ赤に染めた少女は、自らの“夫”に、もたれかかった。 「――こっ、これから……しょっ、しょっ、しょっ」 「しょ?」 「『初夜』なんだからね……!! ちゃっ、ちゃんと、花嫁を……リード、しなさいよっ!!」 そう言って恥かしげにキスをねだるルイズは、才人が、今まで見たことも無い程に可愛かった。 少年は、その幼き花嫁の、花びらのような唇に、自らのそれを接れさせる。 だが……才人はもはや、自分自身の意思だけで、彼女が期待する通りに振る舞うことを許されない身の上だった。 「ルイズ」 「なに?」 「もう一度、ウェディングドレスに着替えてくれないか?」 「――え? 何で?」 ルイズは、その予想外の申し出に、目をぱちくりさせる。 「もう一回、大聖堂に行って、二人だけで、式を挙げよう?」 才人は、今の自分の立場を十分承知していた。 だからせめて、あの二人の小悪魔が、愛する花嫁を蹂躙する前に、もう一度だけ、美しい想い出を記憶に止めておきたかった。 今宵の成り行き次第では、才人は、もう二度と、この愛する少女の眼前に現れる事も出来なくなってしまうのだから。 「なんか、……恥かしいな……」 そう言いながらルイズは、昼間に歩いたバージンロードを、純白の花嫁衣裳に身を包み、再び、歩いていた。 無論、その傍らには、才人の姿がある。こちらも凛々しいタキシード姿だ。 「やっぱ、綺麗だよな、……お前ってさ」 才人が、溜め息交じりにそう言う。 「なに言ってるの? いまさら、そんな分かりきったこと言われても、御主人様は喜びませんよぅだ」 ルイズが幸せそうな顔を、さらにほころばせて、アカンベーをする。 「わかった。――じゃ、もう言わない」 才人が苦笑しながらそう言うと、今度は花嫁が、少し不服そうな顔をし、才人に抱きつく。 「――だめ」 「だめ?」 「御主人様は、犬のお世辞なんかに喜んで上げないけど、――でも、やっぱり、……誉めなさい」 「はぁ?」 才人が、目をぱちくりさせると、 「だから……喜んでなんか上げないけど……ちょっとくらいは嬉しいのも事実だから……もっともっと誉めなさい……って、そう言ってるのよっ!!」 頬を真っ赤に染め、逆ギレしたように声を荒げ、にもかかわらずコアラのように才人にくっつくルイズの可愛らしさは、――披露宴の時に見せた、ツンとすましたような美しさとは、まるで別種のものだった。 ルイズの本当の美しさは、ああいう、衆目の眼前に晒された時の緊張美ではない。 彼女は――性格はともかく――もともと顔の造型だけは、生まれながらにズバ抜けていた。だから、背筋を伸ばして黙って立っているだけで、ルイズはそれなりに絵になる。 だが、彼は知っている。 才人自身と二人の時にしか見せない、この安心しきった可愛らしい表情こそが、彼女の一番美しい表情なのだ、ということが。 ハルケギニア広しといえども、平賀才人にしか見ることが出来ない、満開の花。 だから、才人は彼女には、決して逆らえない。眼前の花嫁の望むがままに誉め言葉を口にする。そして――その言葉は決して嘘ではない。 「ルイズ、お前は綺麗だ。すっごく綺麗だ。こんな可愛い花嫁と結婚できるなんて、まるで夢でも見てるみたいだ。だから……」 「だから……?」 「幸せにする。――絶対に」 「ありがとう……サイト、大好き」 少女が薄く眼をつぶり、紅潮した頬よりも鮮やかな紅を差した唇を、少年に捧げる。 花嫁と花婿は、誰もいない教会の聖堂の中、始祖の像が見守る前で、誰よりも愛を込めた――それでいて、誰よりもいやらしい、誓いのキスを交わした。 唾液と舌の蠢く音が、この世でもっとも神聖なる空間に響く。 禁欲を是とする教えを説く始祖ブリミル。だが、二人の放つ淫蕩の気は、この大聖堂の重い空気さえ、いや始祖ブリミル本人であろうと、全く介入できないほどの、ある種の荘厳さに満ちていた。 たとえて言うならそれは、互いが互いを骨の髄から求め合う――“愛”というべきものであったろうか。 だが、その神聖なる愛欲の行為も、やがて、静かに終焉を迎える。 ルイズの体から力が抜け、才人の背に回した腕が落ち、膝が崩れ、彼女はずるずると、その場に倒れ伏した。 「ル、イズ……?」 才人は、まるで白い粘液のように足元に崩れ落ちる花嫁に、戸惑いの声を上げる。 が、ウエディングドレスの少女は、そのまま死んだように意識を失い、何の反応もしなかった。 「ルイズ、ルイズ!! 起きてくれ!! 目を覚ましてくれよっ!!」 叫んだところで無駄だということは分かっている。 でも、叫ばずにいられない。 分かっている。奴らの仕業だ。あの……悪魔たち。 ルイズには、“その時”が来たら、自動的に意識を喪失するよう仕込まれたポーションが、あらかじめ一服盛ってあると聞いている。それが効いたという事は……。 「もう時間切れ……なのか……?」 振り返りもせず才人は呟く。 「せめて、もう少しくらい二人きりで……」 「――ダメですよ、サイトさん」 才人の背に、むにゅっとした柔らかい感触が押しつけられる。 その声、感触……確認するまでもない。 彼を、この無間地獄に叩き込んだ最初の一人――シエスタ。 披露宴の準備中にポーションを、よりにもよって、三々九度のワインに仕込んだ少女。 そのままシエスタは、背後から才人に抱きついたまま、無理やりルイズから引き剥がす。 少年は、反射的に抵抗しようとしたが、股間を優しく一撫でされただけで、全身の一切の力を奪われ、だらしなく花嫁から隔離されてしまう。 「今日はめでたい結婚式の日なんですからね。花婿さんが『部外者』相手に盛り上がっているのを見るのは、心の広いわたしたちといえども、やっぱり不快ですわ」 「『部外者』って――シエスタっ、お前っ!?」 そう言い放ったシエスタの手を振り解き、振り返った才人は思わず絶句した。彼女は――それは見事な、純白のウェディングドレスに身を包んでいたからだ。 いや、シエスタだけではない。 「そう。今日のあなたの花嫁は、ルイズじゃない」 シエスタの影から、ゆらりと現れたタバサも、空色の見事な花嫁衣裳を身に纏っていた。 手にした無骨な杖は、相変わらずだったが。 そして、大聖堂の巨大な扉から姿を現した、もう二人の女性。 「姫さま……テファ……!?」 やはり二人とも、タバサやシエスタと同じく、来賓として列席した時とは違う、見事なウェディングドレスに着替えていた。 ティファニアは、やはりというか、うつむいて気まずそうに才人から視線を逸らしていたが、アンリエッタは、そんな従姉妹とは対照的に、冷えた目線で大聖堂の中を見回している。 始祖ブリミルの像の前で、くにゃりと倒れこんだルイズ。 タキシードを僅かに乱れさせて、うろたえた表情で自分たちを見ている才人。 そんな『新郎新婦』に嘲るような微笑を送っている、シエスタ。 何を考えているのか、サッパリ分からない、無表情なタバサ。 そして、これから行う行為の、あまりの罪深さに、いまだに震えが止まらないティファニア。 そして、混乱の極みにあるらしい才人を、再び嘗めるように見つめると、女王は静かに微笑んだ。 大聖堂の扉は、大きな音を立てて閉ざされ、“ロック”のスペルが、ここを外界から隔絶する……。 なぜ……? なぜ二人がここに……!? 疑問に思うまでもない。 この二人がタバサとシエスタの二人と行動を共にしている。ただそれだけでもう、真相は明らかだ。 「サイト殿。ルイズに飲ませたポーションを調合したのは、このわたくしです」 アンリエッタが、全く感情をうかがわせない冷たい表情で、才人に言った。 そう聞いて、才人は初めて、この女王が『水』のトライアングルだった事を思い出す。 いや、それ以上に感じたのは、アンリエッタの語調の厳しさだった。 そこには『告白』といった風の、罪の意識はカケラも存在せず、むしろ『宣告』と呼ぶべき開き直り感さえ、覚えるほどだった。 少年は、こんな彼女は見たことがなかった。 「何で……そんな……だって姫さま、あんた、ルイズの親友じゃなかったのかよ……!?」 「ええ。ルイズはわたくしの、大事な大事なお友達です」 「だったら、何で……あんたまでルイズを裏切るような真似を――!?」 「裏切る……?」 アンリエッタの目に、わずかに感情の色が篭もる。 ――それは、軽蔑であった。 「貴方に言われたくはないですわ、花婿さん。ルイズの想いを知っていながら、それを踏み躙り、快楽に溺れて、この二人と何度も情を通じ合った『裏切り者』の貴方には」 その言葉を前に、才人は凝然と凍りつく。 女王の言うことは、まさしく、そのとおりであったからだ。 この場において、もっとも断罪されるべき者は、シエスタでもタバサでもない。彼女たちを受け入れ、拒絶できなかった、この俺だ……!! 才人は思うともなく、そう思ってしまう。 そして、女王はそんな彼に、畳み掛けるように言う。 「サイト殿。わたくしの親友を裏切った貴方に、この国の主権を預かる者として罰を与えねばなりません。とてもとても重い罰を」 そこで話を切ると、女王は振り向き、シエスタを呼んだ。 そしてシエスタは、才人に対する以上のうやうやしさで、彼女から一枚の書類を受け取り、彼の前でそれを読み上げた。 「サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ。 ――上の者、この国における一切の基本的人権・及び生存権を剥奪し、トリステイン国籍からその名を削除する事を宣告する。ゆえにその身は、神と始祖と王家の定めし国法の庇護を受ける事は、永久に許されないものとする」 「は……?」 「なお、以上の刑の執行は、国権の代表者たる女王の名のもとに行われ、いつ、いかなる形で処罰が科せられるかは、女王の判断に基づくものとされる。――トリステイン王国女王アンリエッタ・ド・トリステイン」 そこまで一気に読み上げて、シエスタは不安げに才人を見た。 彼は、――予想通りというべきか、一度聞いただけでは文章の内容が把握できず、ぽかんとしていた。 「あの……サイトさん、これ、読みます?」 「うん。いいかな」 彼は、羊皮紙を受け取ると、文章とにらめっこを開始するが、……やはり、あまり理解しているようには見えない。 さすがにアンリエッタが、そのパッとしない彼の反応に焦れだした。 「〜〜〜〜〜〜っ!! で・す・か・ら!! つまりサイト殿!! 誰が貴方を殺そうが、法は、殺人犯を逮捕できないという事なのです!! 貴方はいま、この瞬間から一切の法の庇護を受けられなくなったのですから!!」 しかし、才人はまだ、きょとんとしている。 文章の内容が問題なのではない。彼にとっては、そもそもアンリエッタが、何故そんな事を言い出したのか、全く理解できないのだ。 「――つまり、こういう事なのですわ!!」 アンリエッタは、懐からもう一枚の書類を取り出し、シエスタに渡す。 そして、シエスタはそれを読み上げ始めた。 先程にも勝る、氷のような声で。 「――私サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガは、以下の契約を結ぶ事を、始祖ブリミルに誓います」 「え?」 「現在行われつつある、ヴァリエール家の三女との婚姻を、その心中で封殺し、夫婦関係の維持に必要な最低回数の性行為を除き、妊娠の可能性が高い排卵日の性行為を、絶対にしない事を。さらに――」 「なっ……!? なにいいっ!?」 「その上で、以下の四人の女性との愛を、新たに始祖の眼前で誓い、四人の“妻”の望む時に、望む場所で、望むがままに“夫”の肉体を捧げ、全霊を持って奉仕する事を」 「いやだ!! いやだいやだいやだ!! 冗談じゃねえっ!!」 「シエスタ、タバサ、ティファニア、アンリエッタの四人の“妻”に仕える、“夫”という名の奴隷契約を、始祖の御前にて交し、“妻”に対する永久の奉仕者宣言をする事を」 「いい加減にしろシエスタっ!! そんな契約、出来るわけないだろうがっ!!」 「なお、忠誠の証しとして、我が“便宜上の”花嫁たるルイズ・フランソワーズの処女を、“本当の”花嫁たる四人の“妻”に捧げる事を」 「……本気なのか……?」 「以上のことを、始祖の御前にて誓います。――サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ」 アンリエッタが、いかにも残酷そうな光を目から放ち、ぬけぬけと言う。 「本来なら、こんな契約は“重婚罪”に当たるため、いかに始祖の前でも誓えるワケはありませんが、いまの貴方は女王の名に於いて、国籍を剥奪されている身。トリステイン国法たる“重婚罪”は貴方を咎められません」 才人はもはや、絶句していた。 何か言いたいのだが、もう言葉が出てこなかった。 ただ、絶望がその身を焼き、なんとか救いを周囲の女性たちに求めるが、“花嫁”たちは、粘っこい視線を彼に送るのみで、一分の救いも期待できない。 ――いや、いやいやいや。一人だけいた。良識が罪の意識を凌駕する唯一の女性! 「テファ!! 何とか言ってくれ!! こんなムチャクチャな茶番は――」 「ごめんなさい、サイト……」 瞬殺だった。 常識ある行動を訴えようとする才人の言葉を、雑音のように遮る彼女。 普段は、こんな話し方をする少女ではない。 だが、俯いていた目がこちらを向いた時、才人は、幾度目かの絶望を改めて味わう。 「分かってるわ……サイトが本当に好きなのは、ルイズだけだって事も。でも――わたしもやっぱり――サイトの花嫁さんになりたいの……」 語尾は消え行くような細い声であったが、それでも、才人には充分だった。 この場にもはや、自分の味方は誰もいない、ということを認識するには。 「はじめる」 退屈そうに、事の成り行きを見ていたタバサが、ようやく動き出した。 いや、タバサだけではない。アンリエッタも、ティファニアも、包囲するようにジリジリと少年に迫る。 思わず逃げ腰になる才人。――しかし突然、下半身から力が抜け、その場に崩れ落ちてしまう。 「――これ、まさか……!?」 「はい!! 一服盛らせて頂きましたぁ」 語尾にハートマークが付きそうな声で、シエスタが笑う。 「油断しちゃダメですよ、サイトさん。ポーションがまさか自分の盃には入ってないなんて考えてるようじゃ、シュヴァリエ失格ですよねぇ、陛下?」 「そうですわサイト殿。これでは水精霊騎士隊の進退も考えねばなりませんね。なにせ副長の貴方が、このようなザマでは、わたくしの近衛隊など、勤まるかどうか……?」 「そんな、そんなっ!! 俺のブザマは俺一人の責任で、あいつらには関係ないよっ!!」 「――安心なさい、サイト殿」 アンリエッタが、静かな声で囁いた。 「そんな、どうでもいい事などすぐに忘れさせてあげますわ」 アンリエッタが、そう言いながら指し示した先では、意識を失ったルイズのウェディングドレスの重いスカートをまくり上げたシエスタが、ドレスと同じく純白な色をしたショーツを、足首までズリ下ろしていた……。 タバサは、突然現れて、この場を仕切り始めた若き女王を見て、才人に対する彼女の鬱積した想いを想像し、彼女に話を持っていった自分の判断に、やや後悔し始めていた。 だが、一つ分かる事があるとすれば、アンリエッタからすれば、本当の『裏切り者』は、才人でも、才人を誘惑した自分たちでもなく、『法的に』才人を奪った、ルイズその人なのだという事が。 アンリエッタが、彼から国籍と国法の庇護を剥奪するという暴挙に出たのは、間違いなくルイズに対する当てつけのつもりなのだろう。 しかし、どちらにしろタバサも、才人を他の女に渡すつもりはなかった。
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契約(その10) 痴女109号氏 #br 夜になった。 新郎新婦に休息は無い。 式と披露宴が終わると、二人は、早速荷物をまとめて新婚旅行の準備に取り掛かっていた。 七泊八日の新婚旅行――とは言っても、実質は結婚式に来られなかった、トリステイン貴族諸侯たちへの挨拶回りに他ならない。 「あーあ、全く、やんなるわよね」 「……そうだな」 「ちょっとアンタ、なに疲れた顔してんのよ?」 そう言いながら、頬を真っ赤に染めた少女は、自らの“夫”に、もたれかかった。 「――こっ、これから……しょっ、しょっ、しょっ」 「しょ?」 「『初夜』なんだからね……!! ちゃっ、ちゃんと、花嫁を……リード、しなさいよっ!!」 そう言って恥かしげにキスをねだるルイズは、才人が、今まで見たことも無い程に可愛かった。 少年は、その幼き花嫁の、花びらのような唇に、自らのそれを接れさせる。 だが……才人はもはや、自分自身の意思だけで、彼女が期待する通りに振る舞うことを許されない身の上だった。 「ルイズ」 「なに?」 「もう一度、ウェディングドレスに着替えてくれないか?」 「――え? 何で?」 ルイズは、その予想外の申し出に、目をぱちくりさせる。 「もう一回、大聖堂に行って、二人だけで、式を挙げよう?」 才人は、今の自分の立場を十分承知していた。 だからせめて、あの二人の小悪魔が、愛する花嫁を蹂躙する前に、もう一度だけ、美しい想い出を記憶に止めておきたかった。 今宵の成り行き次第では、才人は、もう二度と、この愛する少女の眼前に現れる事も出来なくなってしまうのだから。 「なんか、……恥かしいな……」 そう言いながらルイズは、昼間に歩いたバージンロードを、純白の花嫁衣裳に身を包み、再び、歩いていた。 無論、その傍らには、才人の姿がある。こちらも凛々しいタキシード姿だ。 「やっぱ、綺麗だよな、……お前ってさ」 才人が、溜め息交じりにそう言う。 「なに言ってるの? いまさら、そんな分かりきったこと言われても、御主人様は喜びませんよぅだ」 ルイズが幸せそうな顔を、さらにほころばせて、アカンベーをする。 「わかった。――じゃ、もう言わない」 才人が苦笑しながらそう言うと、今度は花嫁が、少し不服そうな顔をし、才人に抱きつく。 「――だめ」 「だめ?」 「御主人様は、犬のお世辞なんかに喜んで上げないけど、――でも、やっぱり、……誉めなさい」 「はぁ?」 才人が、目をぱちくりさせると、 「だから……喜んでなんか上げないけど……ちょっとくらいは嬉しいのも事実だから……もっともっと誉めなさい……って、そう言ってるのよっ!!」 頬を真っ赤に染め、逆ギレしたように声を荒げ、にもかかわらずコアラのように才人にくっつくルイズの可愛らしさは、――披露宴の時に見せた、ツンとすましたような美しさとは、まるで別種のものだった。 ルイズの本当の美しさは、ああいう、衆目の眼前に晒された時の緊張美ではない。 彼女は――性格はともかく――もともと顔の造型だけは、生まれながらにズバ抜けていた。だから、背筋を伸ばして黙って立っているだけで、ルイズはそれなりに絵になる。 だが、彼は知っている。 才人自身と二人の時にしか見せない、この安心しきった可愛らしい表情こそが、彼女の一番美しい表情なのだ、ということが。 ハルケギニア広しといえども、平賀才人にしか見ることが出来ない、満開の花。 だから、才人は彼女には、決して逆らえない。眼前の花嫁の望むがままに誉め言葉を口にする。そして――その言葉は決して嘘ではない。 「ルイズ、お前は綺麗だ。すっごく綺麗だ。こんな可愛い花嫁と結婚できるなんて、まるで夢でも見てるみたいだ。だから……」 「だから……?」 「幸せにする。――絶対に」 「ありがとう……サイト、大好き」 少女が薄く眼をつぶり、紅潮した頬よりも鮮やかな紅を差した唇を、少年に捧げる。 花嫁と花婿は、誰もいない教会の聖堂の中、始祖の像が見守る前で、誰よりも愛を込めた――それでいて、誰よりもいやらしい、誓いのキスを交わした。 唾液と舌の蠢く音が、この世でもっとも神聖なる空間に響く。 禁欲を是とする教えを説く始祖ブリミル。だが、二人の放つ淫蕩の気は、この大聖堂の重い空気さえ、いや始祖ブリミル本人であろうと、全く介入できないほどの、ある種の荘厳さに満ちていた。 たとえて言うならそれは、互いが互いを骨の髄から求め合う――“愛”というべきものであったろうか。 だが、その神聖なる愛欲の行為も、やがて、静かに終焉を迎える。 ルイズの体から力が抜け、才人の背に回した腕が落ち、膝が崩れ、彼女はずるずると、その場に倒れ伏した。 「ル、イズ……?」 才人は、まるで白い粘液のように足元に崩れ落ちる花嫁に、戸惑いの声を上げる。 が、ウエディングドレスの少女は、そのまま死んだように意識を失い、何の反応もしなかった。 「ルイズ、ルイズ!! 起きてくれ!! 目を覚ましてくれよっ!!」 叫んだところで無駄だということは分かっている。 でも、叫ばずにいられない。 分かっている。奴らの仕業だ。あの……悪魔たち。 ルイズには、“その時”が来たら、自動的に意識を喪失するよう仕込まれたポーションが、あらかじめ一服盛ってあると聞いている。それが効いたという事は……。 「もう時間切れ……なのか……?」 振り返りもせず才人は呟く。 「せめて、もう少しくらい二人きりで……」 「――ダメですよ、サイトさん」 才人の背に、むにゅっとした柔らかい感触が押しつけられる。 その声、感触……確認するまでもない。 彼を、この無間地獄に叩き込んだ最初の一人――シエスタ。 披露宴の準備中にポーションを、よりにもよって、三々九度のワインに仕込んだ少女。 そのままシエスタは、背後から才人に抱きついたまま、無理やりルイズから引き剥がす。 少年は、反射的に抵抗しようとしたが、股間を優しく一撫でされただけで、全身の一切の力を奪われ、だらしなく花嫁から隔離されてしまう。 「今日はめでたい結婚式の日なんですからね。花婿さんが『部外者』相手に盛り上がっているのを見るのは、心の広いわたしたちといえども、やっぱり不快ですわ」 「『部外者』って――シエスタっ、お前っ!?」 そう言い放ったシエスタの手を振り解き、振り返った才人は思わず絶句した。彼女は――それは見事な、純白のウェディングドレスに身を包んでいたからだ。 いや、シエスタだけではない。 「そう。今日のあなたの花嫁は、ルイズじゃない」 シエスタの影から、ゆらりと現れたタバサも、空色の見事な花嫁衣裳を身に纏っていた。 手にした無骨な杖は、相変わらずだったが。 そして、大聖堂の巨大な扉から姿を現した、もう二人の女性。 「姫さま……テファ……!?」 やはり二人とも、タバサやシエスタと同じく、来賓として列席した時とは違う、見事なウェディングドレスに着替えていた。 ティファニアは、やはりというか、うつむいて気まずそうに才人から視線を逸らしていたが、アンリエッタは、そんな従姉妹とは対照的に、冷えた目線で大聖堂の中を見回している。 始祖ブリミルの像の前で、くにゃりと倒れこんだルイズ。 タキシードを僅かに乱れさせて、うろたえた表情で自分たちを見ている才人。 そんな『新郎新婦』に嘲るような微笑を送っている、シエスタ。 何を考えているのか、サッパリ分からない、無表情なタバサ。 そして、これから行う行為の、あまりの罪深さに、いまだに震えが止まらないティファニア。 そして、混乱の極みにあるらしい才人を、再び嘗めるように見つめると、女王は静かに微笑んだ。 大聖堂の扉は、大きな音を立てて閉ざされ、“ロック”のスペルが、ここを外界から隔絶する……。 なぜ……? なぜ二人がここに……!? 疑問に思うまでもない。 この二人がタバサとシエスタの二人と行動を共にしている。ただそれだけでもう、真相は明らかだ。 「サイト殿。ルイズに飲ませたポーションを調合したのは、このわたくしです」 アンリエッタが、全く感情をうかがわせない冷たい表情で、才人に言った。 そう聞いて、才人は初めて、この女王が『水』のトライアングルだった事を思い出す。 いや、それ以上に感じたのは、アンリエッタの語調の厳しさだった。 そこには『告白』といった風の、罪の意識はカケラも存在せず、むしろ『宣告』と呼ぶべき開き直り感さえ、覚えるほどだった。 少年は、こんな彼女は見たことがなかった。 「何で……そんな……だって姫さま、あんた、ルイズの親友じゃなかったのかよ……!?」 「ええ。ルイズはわたくしの、大事な大事なお友達です」 「だったら、何で……あんたまでルイズを裏切るような真似を――!?」 「裏切る……?」 アンリエッタの目に、わずかに感情の色が篭もる。 ――それは、軽蔑であった。 「貴方に言われたくはないですわ、花婿さん。ルイズの想いを知っていながら、それを踏み躙り、快楽に溺れて、この二人と何度も情を通じ合った『裏切り者』の貴方には」 その言葉を前に、才人は凝然と凍りつく。 女王の言うことは、まさしく、そのとおりであったからだ。 この場において、もっとも断罪されるべき者は、シエスタでもタバサでもない。彼女たちを受け入れ、拒絶できなかった、この俺だ……!! 才人は思うともなく、そう思ってしまう。 そして、女王はそんな彼に、畳み掛けるように言う。 「サイト殿。わたくしの親友を裏切った貴方に、この国の主権を預かる者として罰を与えねばなりません。とてもとても重い罰を」 そこで話を切ると、女王は振り向き、シエスタを呼んだ。 そしてシエスタは、才人に対する以上のうやうやしさで、彼女から一枚の書類を受け取り、彼の前でそれを読み上げた。 「サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ。 ――上の者、この国における一切の基本的人権・及び生存権を剥奪し、トリステイン国籍からその名を削除する事を宣告する。ゆえにその身は、神と始祖と王家の定めし国法の庇護を受ける事は、永久に許されないものとする」 「は……?」 「なお、以上の刑の執行は、国権の代表者たる女王の名のもとに行われ、いつ、いかなる形で処罰が科せられるかは、女王の判断に基づくものとされる。――トリステイン王国女王アンリエッタ・ド・トリステイン」 そこまで一気に読み上げて、シエスタは不安げに才人を見た。 彼は、――予想通りというべきか、一度聞いただけでは文章の内容が把握できず、ぽかんとしていた。 「あの……サイトさん、これ、読みます?」 「うん。いいかな」 彼は、羊皮紙を受け取ると、文章とにらめっこを開始するが、……やはり、あまり理解しているようには見えない。 さすがにアンリエッタが、そのパッとしない彼の反応に焦れだした。 「〜〜〜〜〜〜っ!! で・す・か・ら!! つまりサイト殿!! 誰が貴方を殺そうが、法は、殺人犯を逮捕できないという事なのです!! 貴方はいま、この瞬間から一切の法の庇護を受けられなくなったのですから!!」 しかし、才人はまだ、きょとんとしている。 文章の内容が問題なのではない。彼にとっては、そもそもアンリエッタが、何故そんな事を言い出したのか、全く理解できないのだ。 「――つまり、こういう事なのですわ!!」 アンリエッタは、懐からもう一枚の書類を取り出し、シエスタに渡す。 そして、シエスタはそれを読み上げ始めた。 先程にも勝る、氷のような声で。 「――私サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガは、以下の契約を結ぶ事を、始祖ブリミルに誓います」 「え?」 「現在行われつつある、ヴァリエール家の三女との婚姻を、その心中で封殺し、夫婦関係の維持に必要な最低回数の性行為を除き、妊娠の可能性が高い排卵日の性行為を、絶対にしない事を。さらに――」 「なっ……!? なにいいっ!?」 「その上で、以下の四人の女性との愛を、新たに始祖の眼前で誓い、四人の“妻”の望む時に、望む場所で、望むがままに“夫”の肉体を捧げ、全霊を持って奉仕する事を」 「いやだ!! いやだいやだいやだ!! 冗談じゃねえっ!!」 「シエスタ、タバサ、ティファニア、アンリエッタの四人の“妻”に仕える、“夫”という名の奴隷契約を、始祖の御前にて交し、“妻”に対する永久の奉仕者宣言をする事を」 「いい加減にしろシエスタっ!! そんな契約、出来るわけないだろうがっ!!」 「なお、忠誠の証しとして、我が“便宜上の”花嫁たるルイズ・フランソワーズの処女を、“本当の”花嫁たる四人の“妻”に捧げる事を」 「……本気なのか……?」 「以上のことを、始祖の御前にて誓います。――サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ」 アンリエッタが、いかにも残酷そうな光を目から放ち、ぬけぬけと言う。 「本来なら、こんな契約は“重婚罪”に当たるため、いかに始祖の前でも誓えるワケはありませんが、いまの貴方は女王の名に於いて、国籍を剥奪されている身。トリステイン国法たる“重婚罪”は貴方を咎められません」 才人はもはや、絶句していた。 何か言いたいのだが、もう言葉が出てこなかった。 ただ、絶望がその身を焼き、なんとか救いを周囲の女性たちに求めるが、“花嫁”たちは、粘っこい視線を彼に送るのみで、一分の救いも期待できない。 ――いや、いやいやいや。一人だけいた。良識が罪の意識を凌駕する唯一の女性! 「テファ!! 何とか言ってくれ!! こんなムチャクチャな茶番は――」 「ごめんなさい、サイト……」 瞬殺だった。 常識ある行動を訴えようとする才人の言葉を、雑音のように遮る彼女。 普段は、こんな話し方をする少女ではない。 だが、俯いていた目がこちらを向いた時、才人は、幾度目かの絶望を改めて味わう。 「分かってるわ……サイトが本当に好きなのは、ルイズだけだって事も。でも――わたしもやっぱり――サイトの花嫁さんになりたいの……」 語尾は消え行くような細い声であったが、それでも、才人には充分だった。 この場にもはや、自分の味方は誰もいない、ということを認識するには。 「はじめる」 退屈そうに、事の成り行きを見ていたタバサが、ようやく動き出した。 いや、タバサだけではない。アンリエッタも、ティファニアも、包囲するようにジリジリと少年に迫る。 思わず逃げ腰になる才人。――しかし突然、下半身から力が抜け、その場に崩れ落ちてしまう。 「――これ、まさか……!?」 「はい!! 一服盛らせて頂きましたぁ」 語尾にハートマークが付きそうな声で、シエスタが笑う。 「油断しちゃダメですよ、サイトさん。ポーションがまさか自分の盃には入ってないなんて考えてるようじゃ、シュヴァリエ失格ですよねぇ、陛下?」 「そうですわサイト殿。これでは水精霊騎士隊の進退も考えねばなりませんね。なにせ副長の貴方が、このようなザマでは、わたくしの近衛隊など、勤まるかどうか……?」 「そんな、そんなっ!! 俺のブザマは俺一人の責任で、あいつらには関係ないよっ!!」 「――安心なさい、サイト殿」 アンリエッタが、静かな声で囁いた。 「そんな、どうでもいい事などすぐに忘れさせてあげますわ」 アンリエッタが、そう言いながら指し示した先では、意識を失ったルイズのウェディングドレスの重いスカートをまくり上げたシエスタが、ドレスと同じく純白な色をしたショーツを、足首までズリ下ろしていた……。 タバサは、突然現れて、この場を仕切り始めた若き女王を見て、才人に対する彼女の鬱積した想いを想像し、彼女に話を持っていった自分の判断に、やや後悔し始めていた。 だが、一つ分かる事があるとすれば、アンリエッタからすれば、本当の『裏切り者』は、才人でも、才人を誘惑した自分たちでもなく、『法的に』才人を奪った、ルイズその人なのだという事が。 アンリエッタが、彼から国籍と国法の庇護を剥奪するという暴挙に出たのは、間違いなくルイズに対する当てつけのつもりなのだろう。 しかし、どちらにしろタバサも、才人を他の女に渡すつもりはなかった。
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