ゼロの使い魔保管庫
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微熱の恋 ぎふと氏 #br (1) 「あ、ふ……。いいわ、素敵よ……」 トリステイン魔法学院の女子寮の一室で。 かぐわしい吐息を漏らす一人の少女がいる。 「ねえ、もっと私を感じて欲しいの……。お願い……」 喘ぐように呟きながら、真紅の薔薇の花びらのような官能的な唇をうっすらと開き、艶かしい吐息を紡ぎ続ける。 豊かに波打つ彼女の髪は、唇と同じ、燃えさかるような炎の赤。 その両の瞳は、今は固く閉ざされているが、常であれば妖艶なルビー色の輝きを放って目の前の者を魅了する。そんな魔性の瞳だ。 少女の名はキュルケ。キュルケ・フォン・ツェルプストー。二つ名は「微熱」。 微熱のキュルケ、それが少女の通り名である。 しんと静かな夜だ。 空に浮かぶ月が、時おり雲の合間から姿を見せては、冴え冴えしい光で辺りを照らし、しばらく舟を漕いでは再び闇にかえってゆく。 時はすでにウィンの月。 北風が肌を刺すこの季節、もう雪が降っても不思議はない。 けれども薄手のネグリジェを一枚まとっただけの少女の体は、芯から熱く火照っていた。 オレンジ色に燃え盛る暖炉の熱に加えて、官能から生まれくるともし火が、少女の体をじんわりと炙りあげているのだった。 「ねえ、気づいて? 私の微熱……。ほら、もうこんなに……」 媚びた笑みの形に唇を作ると、少女はいじらしく訴えかけた。 まるで娼婦がするように、未だためらうその指を、自らの意思の導きで自分の奥へと誘い込む。 「ん……、んっ……」 濡れた音を響かせながら、ねっとりと埋めこまれたそれは、最初こそぎこちなかったものの、次第に少女の反応を確かるように場所を探りだし、的確に官能の炎を散らしはじめた。 少女は夢見るような表情を浮かべて、 「いいわ、とても……。ああ後生だから、そのまま私を溶かし尽くしてちょうだい……」 艶っぽく甘えた声でねだる。 目を閉じたまま少女は、快感に意識を集めるように眉をきつめた。 ゆらめくようなともし火は全身にくまなく広がり、熱せられて溶けたバターのように少女の体をとろかせて、隅々までをも侵していく。 甘い疼きに体を揺らしながら、頭を振り、身をよじって、もどかしげに訴えた。 「だめ……。だめよ、足りないわ。もっと……。壊れるぐらいに、激しく犯して欲しいの」 彼女の属性は『火』。炎を扱うメイジだ。 その本性は――、情熱。そして破壊。 だから抱かれる時にはいつも、燃え盛る業火に身を焼かれたいと、彼女は願う。 何もかもを容赦なく滅ぼし焼き尽くす、荒ぶる紅蓮の獣に己の身を投げ与えて、その牙で散り散りになるまで引き裂かれてしまいたいと、願う。 「どうか私を壊してしまって」 悲鳴のように訴える。 けれども……、その願いは叶えられることはない。 どんなに懇願しても、目の前の少年の表情は変わらない。 ただ困りきったように顔をうつむかせるばかり。 申し訳なさそうにその漆黒の瞳を伏せて、視線を所在なさげにさ迷わせるだけだ。 とうとう諦めたように少女は目を開けた。 途端、まぶたの裏の少年の姿は、はかなく幻とかき消えた。 後に残るのは侘しさだけ。 体を暖める熱の名残も、徐々に冷えてゆく。 「……だめね」 キュルケはがっかりして、頭を振った。……まるで燃えない。 もうずいぶんとこんな調子が続いているのだった。 情熱のキュルケも落ちたものだと、情けなく思い、肩をすくめる。 でも、仕方がないのかもしれない。理由はわかりきっている。 要するに、欲しくなくなってしまったのだ。 漆黒の髪と瞳を持つ、使い魔の少年。 見た目もぱっとしない、態度もどことなくおどおどした、ただの平民の少年、そんな彼の瞳の中に宝石のような強い意思の輝きを見つけた時には、何千年も埋もれ続けた古代の宝を見つけ出したかのように舞い上がって心躍らせた。 一目で恋に落ちたと確信し、それこそツェルプストーの名にかけて、何がなんでも手に入れようと躍起になった。 けれども、その輝きは自分とは別のある少女にこそ必要とされるべきものであって、どうやっても自分には得ることは難しいと分かり始めると、急速に興味を失ってしまった。 別段嘆いたりはしない。恋とはそういうもの。次を見つければいいだけの話なのだ。 人生は長いし、男は星の数ほどいるし。彼以上に自分の心を燃え上がらせる、もっと自分にふさわしい相手が、この世のどこかにいる。 その“誰か”を見つけるまでのちょっとした繋ぎに、昔したように、近づく男を片っ端から手玉に取って気晴らしをしてもよかったのだが、残念なことに今は戦時中で、男性という男性は学生教師を問わず出払ってしまっている。 だから今はこうして自分で自分を慰めるしかできない。 まったく退屈この上ない。 開戦が間近なのだった。 学院のあるここトリステイン王国は、彼女の故郷である帝政ゲルマニアと共同戦線を張って、再びアルビオン王国と戦火を交えようとしている。 つい先日にも、大小五百隻を数える大船隊が、女王陛下に見送られてラ・ロシェールから出航したという話だ。 学生ばかりの魔法学院といえども、その影響から逃れることはできず、二ヶ月ほど前の侵攻作戦の発布をきっかけに、学院にいる男たちのほとんどが軍に志願した。 あのお調子者のギーシュや、臆病者のマリコルヌでさえもだ。 もちろんキュルケも勇んで志願した。 男子のいない学院に何の楽しみがあろう。いっそ退屈紛れに暴れた方がずっとマシだ。そう思ったのだが、しかし女子というだけですげなく断られてしまった。 そんじょそこらの男には負けないんだから、と歯噛みして悔しがったが、すぐに思い直した。同じ暴れるんなら、偉ぶった人間の配下でちまちま戦うよりも、臭い野蛮なオークでも相手にしてる方がよほどマシである。 そもそもが生粋のゲルマニアっ子である彼女は、祖国に対する忠義心に薄い。 戦争についても、頭の悪いオトナ同士、勝手にドンパチやってなさいな、と冷めた目で見ている。 ただ学院の女の子たちが、恋人や友人を思って嘆く姿には、素直に胸が痛んだ。 戦争であるからには、常に死の危険と隣り合わせである。 生きて帰れる保証などどこにもないのだった。 そして意外にも、キュルケが一番に心配するのは、桃色の髪の少女、ヴァリエール家の娘ルイズのことだ。 先祖の代から運命づけられたライバルであり、例の黒髪の少年の主人でもある、つまりは恋の元ライバルといえるその彼女が、なぜ今回の戦争に駆り出されることになったのか、頭の回転のよい彼女にはなんとなく察しがついていた。 数日前。彼ら二人がアルビオンに向かって発つ時の様子を、彼女は偶然にも見ていた。 あの馬鹿な子は、あいかわらず不機嫌そうだった。 何があったか知らないが、もうずっと前からあんな調子だ。自分の使い魔に対してひどく素っ気無い態度を取り続けているのだ。 そういう彼女の部分が、キュルケにはまったくもって理解できない。とにかくいらいらして、ライバルであるのも忘れて、要らぬお節介を焼きたくなってしまう。 そして、そんな不器用で生真面目でプライドばかり高い愚かな少女に、過酷な運命の矢が当たってしまったのは、まさに皮肉という他はない。 どうしてもっと気楽に生きられないのかしらね。 深いため息をひとつ。 それから、キュルケはベッドに身を横たえて、目をつむり、祈った。 どうか彼らと……、そして学院の皆が無事に戻ってきますように、と。 そして深い眠りの底に落ちていった。 #br (2) 扉を叩く音で、キュルケは目を覚ました。 窓の外はまだ暗い。夜明けはかなり先のようだ。 目をこすりながら、いったい何事かと扉を開けると、 「変」 廊下で出迎えた青い髪の少女が短くそう告げた。雪風のタバサだ。 学院内で何かが起きている、と言いたいらしい。 本当だろうかと耳をすませる。 聞こえるのは風の音ぐらいで、異常を告げるそれらしき物音はまだない。……だが。 うるるる、と使い魔のフレイムが窓に向かって唸り声をあげているのに気がついた。 なるほど確かに何かがおかしいようだ。納得したキュルケは手早く服を身につけると、タバサに目配せをして、ひとまず様子を見るために外へと退避することにした。 烈風に煽られた炎が乾いた草原を焼き尽くすような早さで、魔法学院は占拠された。 賊は隊長メンヌヴィルを筆頭とする、メイジ十数名――。 敵国アルビオンの手の者である。 まったく予想外の襲撃の上に、未明を狙われたとあって、学院に残っていた女子生徒と教師のほぼ全員が、ろくな抵抗もできないまま捕えられてしまった。 彼らは捕虜として、ひとまとまりにアルヴィーズの食堂に集められている。 その様子を、外から伺う一団がいた。 幸運にも、もしくは実力によって、賊の手を逃れることのできた者たちである。 その内訳は、メイジである教師一名および学生二名と、軍事教練目的のために偶然駐屯していた銃士隊が隊長アニエス以下十名ほど。 彼らは、食堂の見通せる階段の踊り場に身を隠しながら、今後の対応を相談し合っていた。 事態は深刻をきわめ、かつ急を要していた。 というのもつい先ほど賊が、「アンリエッタ女王か枢機卿を呼べ」などと、とんでもない要求を突きつけてきたからである。 人質を盾に、アルビオンに向けられたトリステイン全軍を引かせる心づもりらしい。ことは一国の将来をも揺るがす大問題である。 そして返答のために彼らに与えられた猶予はわずか五分。 それを過ぎれば、人質を一人ずつ殺すと言う。 援軍を待つ余裕はない。 たとえ得られたとしても、このように人質を取られていては無意味だろう。 進退きわまるとはまさにこのこと。打つ手を探しあぐねて、アニエスは黙りこんだ。 その時である。 「ねえ、あたしたちにいい計画があるんだけど……」 背後から明るい声が提案した。 「計画?」 訝しげにアニエスが振り向くと、赤毛の少女がにっこりと微笑んでいた。 その隣にもう一人、寄り添うように小柄な青髪の少女が立っている。双方ともに学生だ。 アニエスはあらためてその二人を値踏みするように眺めた。 赤毛の方は、年の割りにグラマラスな肢体をぴっちりとした制服に包み、豊満な胸を持ち上げるように両腕を組んで不敵に微笑んでいる。 もう一人は、正反対に、まったくの無表情。体には似つかわしくない大きな木の杖を握って、ただその瞳だけが氷のような鋭い光を放っている。 そのちぐはぐな取り合わせは、アニエスの目に奇異に映った。 が、それ以上に奇異だったのは、二人がこんな緊迫した状況でもまったく動じている気配がないことだ。 どこまでも自然体なその様子に、アニエスは舌を巻いた。 学生ではあるが、それなりに戦闘経験を積んでいるに違いない。そう踏んだ。 真に優秀な戦士は、危険な場面であればあるほど余計に落ち着いているものだ。それは単に自信のせいばかりではない。『危険な状況下にこそ冷静であれ』と経験則で学んでいるからだ。 まだ若いのに大したものだ、とアニエスは感心した。 そして、この二人の提案であれば、耳を傾ける価値があるかもしれない、そう考え、 「何かいい思いつきでもあるのか?」 尋ねると、赤毛の少女は茶目っ気たっぷりにウィンクをした。 「そうよ。早いとこ皆を助けてあげないとね」 言うや否や、彼女は手早く計画を披露した。 さて、その計画とはこうである。 まず中に黄燐をたっぷり仕込んだ紙風船をたくさん用意する。 それを風魔法で食堂に送りこみ、まとめて一気に爆発させて敵の目をくらましてから、その隙に乗じて叩こうというのだ。 つまりは魔法を利用した奇襲作戦である。 「なるほど、面白い」 銃士隊の隊長アニエスはすぐさま賛成の意を見せた。 多少のリスクはあれども、提案された計画は実に理に適っていたし、また成功の可能性も高いように思われたからである。 敵と味方の人数はほぼ同数。うまく虚をつけば、人質に手出しさせる前に捕らえることができるだろう。そして敵は、こちら側にメイジがいることを知らない。 ところが、反対する声があった。 男子教師ジャン・コルベールだ。彼は火の塔近くにある専用の研究室で寝泊りしていたために、賊の奇襲を免れたのだ。 彼は渋い面持ちで主張した。 「やめた方がいい。危険すぎる。相手はプロだ。そんな小技が通用するとは思えん」 そんな慎重な意見に、キュルケはふんと鼻を鳴らして抗議した。 「やらないよりはマシでしょ。先生」 見下したような表情で、コルベールを見返す。 研究者風情が口を出さないでよね、という目つきである。 もとからキュルケは、この頭の禿げ上がった教師を臆病者だと決めつけていた。 この戦時中、従軍もせずに学院内に残っているのが、その確かな証拠だ。その理由を、彼に直接尋ねたことがある。「戦いは嫌いでね」というのが答えだった。 キュルケに言わせれば、そんなものは臆病者のたわごとでしかない。 きっと彼には、誇りも、守るべき主義もなく、ただ己の命だけが大切なのだろう。 つまるところ、ジャン・コルベールは彼女が最も軽蔑するタイプの人種であった。 せいぜい邪魔にならないように、平民の使用人に混じって遠くから見物していればいいんだわ、とキュルケは吐き捨てるように心の中で呟いた。 結局、コルベールの意見はアニエスにも全く無視され、自動的にキュルケらの提案した計画を実行することが決まった。 そして五分後――。 食堂では、一人目の犠牲者が選ばれようとしていた。 賊の隊長メンヌヴィルは、メイジらしからぬ筋骨隆々とした大男で、黒装束に薄汚れた革のマントを羽織り、いかにも戦いなれした傭兵らしいオーラを漂わせている。 それが彼の杖なのだろう、無骨な鉄棒を手のひらに打ちつけながら、メンヌヴィルはぐるりと人質たちを見回した。 女子生徒たちは、一様に息をのみ、震え上がった。 どうか自分が最初の犠牲者になりませんようにと、目をつむりひたすらに祈った。 その時である。 奇妙なものが食堂の中に入ってきた。 ふわふわと漂うそれは……、よく見るとオモチャの紙風船だった。 それがシャボン玉のように、次々と大挙して流れ込んでくる。 紙風船はまるで訓練された兵のように、整然と、最短ルートをもって均等に部屋に行き渡った。 そして食堂にいる全員が見つめている中で……、一斉に爆発した。 轟音、そして閃光。 錯綜する悲鳴が、部屋に満ちる。 数人の賊メイジが、まともに光をくらって、目を押さえてしゃがみこんだ。 たちまち食堂は激しい混乱に包まれた。 その混乱に乗じて、キュルケとタバサ、銃を構えた銃士たちが、我先にと食堂に飛び込もうとした。 刹那。 「きゃあっ!」 食堂から矢のように放たれた炎の弾に、キュルケの体が大きく吹っ飛んで、大地に転がった。 至近距離で爆発した炎の爆風をまともにくらったのだ。 さらに続けざまに飛来した炎の弾によって、タバサも銃士隊も、その全員が、たちまち地に伏した。 何が起こったのかよく判らないまま、とにかく杖を……、と手を伸ばしていると、濛々と立ち込める白煙の中から大きな黒い影が現れた。 影はうっそりと白煙をかき分けるように近づいてくると、一人の人間の姿となった。 その人物は、キュルケの前に立ちはだかると、にやりと笑った。 賊の中でただ一人、混乱を全く意に介さない人物。 ――隊長、「白炎」のメンヌヴィル。 その時はじめて、キュルケはまともに彼の顔を見た。 にやにやと笑う顔は、悪魔の化身のようにキュルケの目に映った。 その顔は醜い火傷で覆われている。 特に目の辺りが酷く、赤黒くひきつれており、窪みに埋まる眼球は死んだ魚の目ように生気がなく、あさっての方向を向いていた。 ようやくキュルケは気がついた。 「あなたもしかして……、目が」 するとメンヌヴィルは自分の目に指を伸ばし、何かを取り出した。 見せつけるように掲げたそれは、義眼であった。歯をむいて笑う。 「そうだ。オレは目を焼かれていてな。光がわからんのだよ。だが、ちっともかまわん。お前は、聞いたことがないか? 蛇は温度で獲物を見つけるそうだ。……オレも同じだよ。温度で人を見分けることができるのさ」 そこまで言うと、メンヌヴィルはのけぞって高笑いをした。 キュルケは驚愕した。 このような人間がいることが信じられない。 いや、人間と認めたくない。彼から放たれるどす黒い悪臭のようなオーラは、好んで人間を食らう醜悪なモンスターのそれと同質のものだ。さらに煮詰めて凶悪にしたそれだ。 ぞくりと背筋を冷たい汗が伝い落ちた。 そんな少女の心境を見越したかのように、メンヌヴィルは、笑った。 「お前、恐いな? 恐がってるな?」 嬉しげに鼻腔を膨らませて、いっぱいに空気を吸い込む。 「ああ、嗅ぎたい。……お前の焼ける香りが、嗅ぎたい」 キュルケの体が一瞬にして凍りついた。ガタガタと震えた。 生まれて初めて感じる、本物の恐怖――。 死に対する恐怖ではない。異質の物に対する純然たる恐怖だ。 こんな存在が、自分と同じ人間であろうはずがない。 そう思う一方で、共通の物を認めずにはいられない。 『火』。 全てを支配し、破壊し尽さんとする欲望は、まさに『火』の本性そのものではないか。 ならば目の前のこの存在は火の権化に違いない。 同じ火の属性を持つ自分も、この男と同質の存在なのだろうか……。 その思考がキュルケを恐怖と混乱に陥れた。 「やだ……」 キュルケの口から、呟きが漏れる。 たまらぬ、と言わんばかりの笑みを浮かべ、メンヌヴィルは杖をかかげた。 「今まで何を焼いてきた? 炎の使い手よ。今度はお前が燃える番だ」 ぶわりと杖の先から炎が生まれる。 炎の生む熱風が、キュルケの髪と肌を焼いた。 けれど熱など微塵も感じない。ただ冷え切った恐怖だけが全身を支配している。 杖がゆっくりと振り下ろされた。 キュルケは覚悟して、目を閉じた。 #br
タイムスタンプを変更しない
微熱の恋 ぎふと氏 #br (1) 「あ、ふ……。いいわ、素敵よ……」 トリステイン魔法学院の女子寮の一室で。 かぐわしい吐息を漏らす一人の少女がいる。 「ねえ、もっと私を感じて欲しいの……。お願い……」 喘ぐように呟きながら、真紅の薔薇の花びらのような官能的な唇をうっすらと開き、艶かしい吐息を紡ぎ続ける。 豊かに波打つ彼女の髪は、唇と同じ、燃えさかるような炎の赤。 その両の瞳は、今は固く閉ざされているが、常であれば妖艶なルビー色の輝きを放って目の前の者を魅了する。そんな魔性の瞳だ。 少女の名はキュルケ。キュルケ・フォン・ツェルプストー。二つ名は「微熱」。 微熱のキュルケ、それが少女の通り名である。 しんと静かな夜だ。 空に浮かぶ月が、時おり雲の合間から姿を見せては、冴え冴えしい光で辺りを照らし、しばらく舟を漕いでは再び闇にかえってゆく。 時はすでにウィンの月。 北風が肌を刺すこの季節、もう雪が降っても不思議はない。 けれども薄手のネグリジェを一枚まとっただけの少女の体は、芯から熱く火照っていた。 オレンジ色に燃え盛る暖炉の熱に加えて、官能から生まれくるともし火が、少女の体をじんわりと炙りあげているのだった。 「ねえ、気づいて? 私の微熱……。ほら、もうこんなに……」 媚びた笑みの形に唇を作ると、少女はいじらしく訴えかけた。 まるで娼婦がするように、未だためらうその指を、自らの意思の導きで自分の奥へと誘い込む。 「ん……、んっ……」 濡れた音を響かせながら、ねっとりと埋めこまれたそれは、最初こそぎこちなかったものの、次第に少女の反応を確かるように場所を探りだし、的確に官能の炎を散らしはじめた。 少女は夢見るような表情を浮かべて、 「いいわ、とても……。ああ後生だから、そのまま私を溶かし尽くしてちょうだい……」 艶っぽく甘えた声でねだる。 目を閉じたまま少女は、快感に意識を集めるように眉をきつめた。 ゆらめくようなともし火は全身にくまなく広がり、熱せられて溶けたバターのように少女の体をとろかせて、隅々までをも侵していく。 甘い疼きに体を揺らしながら、頭を振り、身をよじって、もどかしげに訴えた。 「だめ……。だめよ、足りないわ。もっと……。壊れるぐらいに、激しく犯して欲しいの」 彼女の属性は『火』。炎を扱うメイジだ。 その本性は――、情熱。そして破壊。 だから抱かれる時にはいつも、燃え盛る業火に身を焼かれたいと、彼女は願う。 何もかもを容赦なく滅ぼし焼き尽くす、荒ぶる紅蓮の獣に己の身を投げ与えて、その牙で散り散りになるまで引き裂かれてしまいたいと、願う。 「どうか私を壊してしまって」 悲鳴のように訴える。 けれども……、その願いは叶えられることはない。 どんなに懇願しても、目の前の少年の表情は変わらない。 ただ困りきったように顔をうつむかせるばかり。 申し訳なさそうにその漆黒の瞳を伏せて、視線を所在なさげにさ迷わせるだけだ。 とうとう諦めたように少女は目を開けた。 途端、まぶたの裏の少年の姿は、はかなく幻とかき消えた。 後に残るのは侘しさだけ。 体を暖める熱の名残も、徐々に冷えてゆく。 「……だめね」 キュルケはがっかりして、頭を振った。……まるで燃えない。 もうずいぶんとこんな調子が続いているのだった。 情熱のキュルケも落ちたものだと、情けなく思い、肩をすくめる。 でも、仕方がないのかもしれない。理由はわかりきっている。 要するに、欲しくなくなってしまったのだ。 漆黒の髪と瞳を持つ、使い魔の少年。 見た目もぱっとしない、態度もどことなくおどおどした、ただの平民の少年、そんな彼の瞳の中に宝石のような強い意思の輝きを見つけた時には、何千年も埋もれ続けた古代の宝を見つけ出したかのように舞い上がって心躍らせた。 一目で恋に落ちたと確信し、それこそツェルプストーの名にかけて、何がなんでも手に入れようと躍起になった。 けれども、その輝きは自分とは別のある少女にこそ必要とされるべきものであって、どうやっても自分には得ることは難しいと分かり始めると、急速に興味を失ってしまった。 別段嘆いたりはしない。恋とはそういうもの。次を見つければいいだけの話なのだ。 人生は長いし、男は星の数ほどいるし。彼以上に自分の心を燃え上がらせる、もっと自分にふさわしい相手が、この世のどこかにいる。 その“誰か”を見つけるまでのちょっとした繋ぎに、昔したように、近づく男を片っ端から手玉に取って気晴らしをしてもよかったのだが、残念なことに今は戦時中で、男性という男性は学生教師を問わず出払ってしまっている。 だから今はこうして自分で自分を慰めるしかできない。 まったく退屈この上ない。 開戦が間近なのだった。 学院のあるここトリステイン王国は、彼女の故郷である帝政ゲルマニアと共同戦線を張って、再びアルビオン王国と戦火を交えようとしている。 つい先日にも、大小五百隻を数える大船隊が、女王陛下に見送られてラ・ロシェールから出航したという話だ。 学生ばかりの魔法学院といえども、その影響から逃れることはできず、二ヶ月ほど前の侵攻作戦の発布をきっかけに、学院にいる男たちのほとんどが軍に志願した。 あのお調子者のギーシュや、臆病者のマリコルヌでさえもだ。 もちろんキュルケも勇んで志願した。 男子のいない学院に何の楽しみがあろう。いっそ退屈紛れに暴れた方がずっとマシだ。そう思ったのだが、しかし女子というだけですげなく断られてしまった。 そんじょそこらの男には負けないんだから、と歯噛みして悔しがったが、すぐに思い直した。同じ暴れるんなら、偉ぶった人間の配下でちまちま戦うよりも、臭い野蛮なオークでも相手にしてる方がよほどマシである。 そもそもが生粋のゲルマニアっ子である彼女は、祖国に対する忠義心に薄い。 戦争についても、頭の悪いオトナ同士、勝手にドンパチやってなさいな、と冷めた目で見ている。 ただ学院の女の子たちが、恋人や友人を思って嘆く姿には、素直に胸が痛んだ。 戦争であるからには、常に死の危険と隣り合わせである。 生きて帰れる保証などどこにもないのだった。 そして意外にも、キュルケが一番に心配するのは、桃色の髪の少女、ヴァリエール家の娘ルイズのことだ。 先祖の代から運命づけられたライバルであり、例の黒髪の少年の主人でもある、つまりは恋の元ライバルといえるその彼女が、なぜ今回の戦争に駆り出されることになったのか、頭の回転のよい彼女にはなんとなく察しがついていた。 数日前。彼ら二人がアルビオンに向かって発つ時の様子を、彼女は偶然にも見ていた。 あの馬鹿な子は、あいかわらず不機嫌そうだった。 何があったか知らないが、もうずっと前からあんな調子だ。自分の使い魔に対してひどく素っ気無い態度を取り続けているのだ。 そういう彼女の部分が、キュルケにはまったくもって理解できない。とにかくいらいらして、ライバルであるのも忘れて、要らぬお節介を焼きたくなってしまう。 そして、そんな不器用で生真面目でプライドばかり高い愚かな少女に、過酷な運命の矢が当たってしまったのは、まさに皮肉という他はない。 どうしてもっと気楽に生きられないのかしらね。 深いため息をひとつ。 それから、キュルケはベッドに身を横たえて、目をつむり、祈った。 どうか彼らと……、そして学院の皆が無事に戻ってきますように、と。 そして深い眠りの底に落ちていった。 #br (2) 扉を叩く音で、キュルケは目を覚ました。 窓の外はまだ暗い。夜明けはかなり先のようだ。 目をこすりながら、いったい何事かと扉を開けると、 「変」 廊下で出迎えた青い髪の少女が短くそう告げた。雪風のタバサだ。 学院内で何かが起きている、と言いたいらしい。 本当だろうかと耳をすませる。 聞こえるのは風の音ぐらいで、異常を告げるそれらしき物音はまだない。……だが。 うるるる、と使い魔のフレイムが窓に向かって唸り声をあげているのに気がついた。 なるほど確かに何かがおかしいようだ。納得したキュルケは手早く服を身につけると、タバサに目配せをして、ひとまず様子を見るために外へと退避することにした。 烈風に煽られた炎が乾いた草原を焼き尽くすような早さで、魔法学院は占拠された。 賊は隊長メンヌヴィルを筆頭とする、メイジ十数名――。 敵国アルビオンの手の者である。 まったく予想外の襲撃の上に、未明を狙われたとあって、学院に残っていた女子生徒と教師のほぼ全員が、ろくな抵抗もできないまま捕えられてしまった。 彼らは捕虜として、ひとまとまりにアルヴィーズの食堂に集められている。 その様子を、外から伺う一団がいた。 幸運にも、もしくは実力によって、賊の手を逃れることのできた者たちである。 その内訳は、メイジである教師一名および学生二名と、軍事教練目的のために偶然駐屯していた銃士隊が隊長アニエス以下十名ほど。 彼らは、食堂の見通せる階段の踊り場に身を隠しながら、今後の対応を相談し合っていた。 事態は深刻をきわめ、かつ急を要していた。 というのもつい先ほど賊が、「アンリエッタ女王か枢機卿を呼べ」などと、とんでもない要求を突きつけてきたからである。 人質を盾に、アルビオンに向けられたトリステイン全軍を引かせる心づもりらしい。ことは一国の将来をも揺るがす大問題である。 そして返答のために彼らに与えられた猶予はわずか五分。 それを過ぎれば、人質を一人ずつ殺すと言う。 援軍を待つ余裕はない。 たとえ得られたとしても、このように人質を取られていては無意味だろう。 進退きわまるとはまさにこのこと。打つ手を探しあぐねて、アニエスは黙りこんだ。 その時である。 「ねえ、あたしたちにいい計画があるんだけど……」 背後から明るい声が提案した。 「計画?」 訝しげにアニエスが振り向くと、赤毛の少女がにっこりと微笑んでいた。 その隣にもう一人、寄り添うように小柄な青髪の少女が立っている。双方ともに学生だ。 アニエスはあらためてその二人を値踏みするように眺めた。 赤毛の方は、年の割りにグラマラスな肢体をぴっちりとした制服に包み、豊満な胸を持ち上げるように両腕を組んで不敵に微笑んでいる。 もう一人は、正反対に、まったくの無表情。体には似つかわしくない大きな木の杖を握って、ただその瞳だけが氷のような鋭い光を放っている。 そのちぐはぐな取り合わせは、アニエスの目に奇異に映った。 が、それ以上に奇異だったのは、二人がこんな緊迫した状況でもまったく動じている気配がないことだ。 どこまでも自然体なその様子に、アニエスは舌を巻いた。 学生ではあるが、それなりに戦闘経験を積んでいるに違いない。そう踏んだ。 真に優秀な戦士は、危険な場面であればあるほど余計に落ち着いているものだ。それは単に自信のせいばかりではない。『危険な状況下にこそ冷静であれ』と経験則で学んでいるからだ。 まだ若いのに大したものだ、とアニエスは感心した。 そして、この二人の提案であれば、耳を傾ける価値があるかもしれない、そう考え、 「何かいい思いつきでもあるのか?」 尋ねると、赤毛の少女は茶目っ気たっぷりにウィンクをした。 「そうよ。早いとこ皆を助けてあげないとね」 言うや否や、彼女は手早く計画を披露した。 さて、その計画とはこうである。 まず中に黄燐をたっぷり仕込んだ紙風船をたくさん用意する。 それを風魔法で食堂に送りこみ、まとめて一気に爆発させて敵の目をくらましてから、その隙に乗じて叩こうというのだ。 つまりは魔法を利用した奇襲作戦である。 「なるほど、面白い」 銃士隊の隊長アニエスはすぐさま賛成の意を見せた。 多少のリスクはあれども、提案された計画は実に理に適っていたし、また成功の可能性も高いように思われたからである。 敵と味方の人数はほぼ同数。うまく虚をつけば、人質に手出しさせる前に捕らえることができるだろう。そして敵は、こちら側にメイジがいることを知らない。 ところが、反対する声があった。 男子教師ジャン・コルベールだ。彼は火の塔近くにある専用の研究室で寝泊りしていたために、賊の奇襲を免れたのだ。 彼は渋い面持ちで主張した。 「やめた方がいい。危険すぎる。相手はプロだ。そんな小技が通用するとは思えん」 そんな慎重な意見に、キュルケはふんと鼻を鳴らして抗議した。 「やらないよりはマシでしょ。先生」 見下したような表情で、コルベールを見返す。 研究者風情が口を出さないでよね、という目つきである。 もとからキュルケは、この頭の禿げ上がった教師を臆病者だと決めつけていた。 この戦時中、従軍もせずに学院内に残っているのが、その確かな証拠だ。その理由を、彼に直接尋ねたことがある。「戦いは嫌いでね」というのが答えだった。 キュルケに言わせれば、そんなものは臆病者のたわごとでしかない。 きっと彼には、誇りも、守るべき主義もなく、ただ己の命だけが大切なのだろう。 つまるところ、ジャン・コルベールは彼女が最も軽蔑するタイプの人種であった。 せいぜい邪魔にならないように、平民の使用人に混じって遠くから見物していればいいんだわ、とキュルケは吐き捨てるように心の中で呟いた。 結局、コルベールの意見はアニエスにも全く無視され、自動的にキュルケらの提案した計画を実行することが決まった。 そして五分後――。 食堂では、一人目の犠牲者が選ばれようとしていた。 賊の隊長メンヌヴィルは、メイジらしからぬ筋骨隆々とした大男で、黒装束に薄汚れた革のマントを羽織り、いかにも戦いなれした傭兵らしいオーラを漂わせている。 それが彼の杖なのだろう、無骨な鉄棒を手のひらに打ちつけながら、メンヌヴィルはぐるりと人質たちを見回した。 女子生徒たちは、一様に息をのみ、震え上がった。 どうか自分が最初の犠牲者になりませんようにと、目をつむりひたすらに祈った。 その時である。 奇妙なものが食堂の中に入ってきた。 ふわふわと漂うそれは……、よく見るとオモチャの紙風船だった。 それがシャボン玉のように、次々と大挙して流れ込んでくる。 紙風船はまるで訓練された兵のように、整然と、最短ルートをもって均等に部屋に行き渡った。 そして食堂にいる全員が見つめている中で……、一斉に爆発した。 轟音、そして閃光。 錯綜する悲鳴が、部屋に満ちる。 数人の賊メイジが、まともに光をくらって、目を押さえてしゃがみこんだ。 たちまち食堂は激しい混乱に包まれた。 その混乱に乗じて、キュルケとタバサ、銃を構えた銃士たちが、我先にと食堂に飛び込もうとした。 刹那。 「きゃあっ!」 食堂から矢のように放たれた炎の弾に、キュルケの体が大きく吹っ飛んで、大地に転がった。 至近距離で爆発した炎の爆風をまともにくらったのだ。 さらに続けざまに飛来した炎の弾によって、タバサも銃士隊も、その全員が、たちまち地に伏した。 何が起こったのかよく判らないまま、とにかく杖を……、と手を伸ばしていると、濛々と立ち込める白煙の中から大きな黒い影が現れた。 影はうっそりと白煙をかき分けるように近づいてくると、一人の人間の姿となった。 その人物は、キュルケの前に立ちはだかると、にやりと笑った。 賊の中でただ一人、混乱を全く意に介さない人物。 ――隊長、「白炎」のメンヌヴィル。 その時はじめて、キュルケはまともに彼の顔を見た。 にやにやと笑う顔は、悪魔の化身のようにキュルケの目に映った。 その顔は醜い火傷で覆われている。 特に目の辺りが酷く、赤黒くひきつれており、窪みに埋まる眼球は死んだ魚の目ように生気がなく、あさっての方向を向いていた。 ようやくキュルケは気がついた。 「あなたもしかして……、目が」 するとメンヌヴィルは自分の目に指を伸ばし、何かを取り出した。 見せつけるように掲げたそれは、義眼であった。歯をむいて笑う。 「そうだ。オレは目を焼かれていてな。光がわからんのだよ。だが、ちっともかまわん。お前は、聞いたことがないか? 蛇は温度で獲物を見つけるそうだ。……オレも同じだよ。温度で人を見分けることができるのさ」 そこまで言うと、メンヌヴィルはのけぞって高笑いをした。 キュルケは驚愕した。 このような人間がいることが信じられない。 いや、人間と認めたくない。彼から放たれるどす黒い悪臭のようなオーラは、好んで人間を食らう醜悪なモンスターのそれと同質のものだ。さらに煮詰めて凶悪にしたそれだ。 ぞくりと背筋を冷たい汗が伝い落ちた。 そんな少女の心境を見越したかのように、メンヌヴィルは、笑った。 「お前、恐いな? 恐がってるな?」 嬉しげに鼻腔を膨らませて、いっぱいに空気を吸い込む。 「ああ、嗅ぎたい。……お前の焼ける香りが、嗅ぎたい」 キュルケの体が一瞬にして凍りついた。ガタガタと震えた。 生まれて初めて感じる、本物の恐怖――。 死に対する恐怖ではない。異質の物に対する純然たる恐怖だ。 こんな存在が、自分と同じ人間であろうはずがない。 そう思う一方で、共通の物を認めずにはいられない。 『火』。 全てを支配し、破壊し尽さんとする欲望は、まさに『火』の本性そのものではないか。 ならば目の前のこの存在は火の権化に違いない。 同じ火の属性を持つ自分も、この男と同質の存在なのだろうか……。 その思考がキュルケを恐怖と混乱に陥れた。 「やだ……」 キュルケの口から、呟きが漏れる。 たまらぬ、と言わんばかりの笑みを浮かべ、メンヌヴィルは杖をかかげた。 「今まで何を焼いてきた? 炎の使い手よ。今度はお前が燃える番だ」 ぶわりと杖の先から炎が生まれる。 炎の生む熱風が、キュルケの髪と肌を焼いた。 けれど熱など微塵も感じない。ただ冷え切った恐怖だけが全身を支配している。 杖がゆっくりと振り下ろされた。 キュルケは覚悟して、目を閉じた。 #br
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