ゼロの使い魔保管庫
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76 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 03:48:36 I...
そのときのわたしは賑やかな居酒屋を出て、数年ぶりに再会...
心配する友人たちに大丈夫だと笑って別れを告げ、女一人で...
酔っているために頭が朦朧としていて、今一体何時ごろなの...
ぐらつく視界とふらつく足取り。せめて家までは自分一人で...
その内気分が悪くなって立ち止まり、道端の電柱に右手を突...
嘔吐感が胸の奥からじわじわとせり上がってきたが、寸での...
そうして数十秒ほど。ほんの少しだけ気分が良くなってきた...
特に、意味のある動作ではなかったと思う。まだもう少しだ...
だから、そのとき彼を見つけられたのは本当に、それこそ奇...
わたしがここで立ち止まらなければ、立ち止まったとしても...
目立つ人ではなかったのだ。髪は染めていないし、特別体が...
美形とも不細工とも言いかねる、どこにでもいそうな外見。
本当に、彼は普通の人だった。群衆の中で黙っていれば絶対...
だからこそ、かもしれない。
わたしは直感的に悟ったのだ。ここで呼び止めなければ、も...
「平賀さん」
わたしが大声で呼ばわると、彼は驚いた様子で振り返った後...
数年前と全く変わらない表情だった。嬉しそうで楽しそうで...
平賀さんはわたしの名前を呼びながら駆け寄ってきて、片手...
「よう、久しぶり」
何の躊躇いもなくそう言われたとき、わたしは自分の心臓が...
77 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 03:50:03 I...
平賀さんは高校のときのわたしの同級生だった。でも、年齢...
わたしより一年早く入学して、わたしが二年生だった年の夏...
留年した理由については様々な噂が飛び交っていて、今でも...
確かなのは、成績が悪かったために留年した訳ではないとい...
分からないのは、何故出席日数が足りなかったのかというこ...
さすがに平賀さん本人に問いただす人はいなかったから、自...
当時一番信じられていた噂は「一年ほど行方不明になってい...
そんな風にあれこれと噂の種になっていた平賀さんだったが...
いや、むしろ普通の人よりも活動的で、楽しい人という印象...
留年生のくせに躊躇もなくわたしたちの輪の中に入ってきて...
文化祭などのイベント事では大抵騒ぎの中心にいたし、その...
そんな風に人当たがいい人だったが、女子に対しては格別優...
自分の前では重い荷物など絶対に持たせなかったし、具合が...
とは言え下心がある風でもなく、ただ体に馴染んだ動作を自...
一度、わたしの友人に「平賀さんって何でそんなに優しいん...
「多分犬の根性が体に染み付いてるんだろうなあ」と苦笑し...
そんな風に飾らない人だったし顔も凄く悪いという訳ではな...
何故だか「この人なら危ないことがあっても守ってくれるか...
考えてみれば変な話だ。平賀さんは格別体格がいい訳でも、...
とにかくそういう事情があって、平賀さんにアプローチをか...
彼の返事は決まってノーだった。理由を問いただすと、とて...
好きな人、というのが誰なのかも、女子の間でたびたび話題...
だが、それ以上に話題になったのは、その女子が誰なのかと...
何か悲しいエピソードがあるに違いない。あのいつも明るい...
だが、私は知っている。彼が寂しそうにするのは、そのとき...
男子の輪の中で騒いでいるときも、体育で走り回っていると...
そういうことをしているそのときこそ、本気で楽しそうだっ...
一度そこから意識を離した途端、彼は決まって寂しそうな雰...
そういうとき、彼は大抵微笑んでいた。ここにいるというこ...
彼の微笑をよく覚えている。数年経った今でも、心の中に思...
ずっと、彼のことを見つめていたから。
78 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 03:51:17 I...
夜の雑踏を遠く離れて、静まり返った小道を二人で並んで歩...
同窓会も終わって、一人で帰るところだと言ったら、平賀さ...
「俺もそっちの方に用事があるんだ。最後は別方向になるから...
そんな風に言って、平賀さんは酔っ払っているわたしを時折...
そういう訳で、隣に平賀さんがいる。そのことが信じられず...
見ている夢なのではないかと疑ってみたりもするけれど、や...
「同窓会、行けなくて悪かったな。どうしても外せない用事が...
申し訳なさそうな平賀さんの言葉に、わたしは頭が痛むのを...
すると、平賀さんは心配そうにわたしの顔を覗き込みながら...
「具合悪そうだな。ちょっと休んでいこうか」
これにもわたしは首を振った。少しでも長く話をしたいから...
座ると気が抜けて寝込んでしまいそうな気がして怖い。そう...
平賀さんはやはり心配そうな表情で少しの間考えていたが、...
「じゃあ、休みたくなったら言ってくれな。別に急いでる訳じ...
わたしは素直に頷くことしか出来ない。彼の微笑は、数年前...
楽しそうだったり、優しそうだったり。でも、その中には必...
ということは、やはりまだ「好きな子」のことは解決してい...
そのことを訊ねてみたい気はしたが、後一歩というところで...
代わりに出てきたのは、「今は、なにを」という、ありきた...
平賀さんは何気ない口調で、
「ニート」
と一言だけ答えた。
予想もしなかった返答に、頭が真っ白になる。何も言えずに...
「おいおい、そんなに固まんないでよ。会社辞めたの一ヶ月ぐ...
「あ、そうなんですか」
わたしは話が気まずい方向に進まなかったことにほっとする...
わたしの記憶では、平賀さんはかなり成績がよかったはずで...
騒がしい印象や留年生という立場とは裏腹に、一人でいると...
進路に悩む様子は微塵もなく、他の生徒と比べて目的意識が...
憑かれたように見えるぐらい何にでも一生懸命な人だったか...
79 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 03:52:35 I...
そんなことを考えてみるものの、実際にどうなのかは本人に...
だが、聞けない。そういう問いをするのは怖い。
平賀さんの寂しげな微笑を覚えているからこそ、そういう問...
そうしてわたしは黙り込み、平賀さんもわたしの迷いを察し...
わたしたちはかなり長い間、お互いに無言のままで歩き続け...
その内に平賀さんに呼ばれたわたしが慌てて顔を上げると、...
「家、あっちなんだろ」
そう説明したし、実際にその通りだった。平賀さんはもう一...
「俺はこっちだから、ここで」
「はい。ここまで、ありがとうございました」
何かを言わなければと思いながらも何も頭に浮かばず、わた...
平賀さんはそれを見て、穏やかに微笑んだ。穏やかで、それ...
「悪いね。気をつけて帰ってくれな。変な人についてっちゃダ...
「何歳だと思ってるんですか」
「実際の年よりゃ若く見えるからさ。じゃ、元気で、な」
冗談交じりに別れを告げて、平賀さんは踵を返した。
思わずその背中に手を伸ばしかけて、引っ込める。わたしは...
転々と住宅街を照らす、頼りない街灯の下。平賀さんの背中...
わたしの胸に、今日平賀さんを見つけたときのあの奇妙な直...
ここで呼び止めなければ、平賀さんとはもう二度と話すこと...
わたしは消えかける平賀さんの背中に向かって、大声で叫ん...
「待って」
遠く、去りかけていた平賀さんは、何故か必要以上に驚いた...
暗くてもよく分かる。平賀さんは、呼び止められることなど...
わたしはもはや迷いなく駆け出した。どうせ今日で最後なら...
暗い住宅街を歩きながら、わたしは今まで溜め込んできた疑...
平賀さんは急に饒舌になったわたしに驚いている様子だった...
その答えというのは、わたしにとっては全く予想外のものば...
80 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 03:53:14 I...
「ええと、まずは何から話せばいいんだっけ。質問いっぱいす...
ああそうそう、俺が高校生のときに行方不明になってたこと...
あれなあ、実は異世界に行ってたんだよ、異世界。
そう。異世界。地球とは別の世界。あの頃流行してた、ファ...
ファンタジーだよ。分かるだろ。なんか魔法とかあってモン...
おいおい、この段階でそんな顔されても困るよ。俺はこっか...
俺はその世界で英雄になったんだよ。妙な力を偶然手に入れ...
周りの人にもかなり持ち上げてもらって、いろいろ褒美もも...
でも大体一年ぐらい経ったごろにようやく帰れる目途が立っ...
平賀さんがそこまで話し終えたとき、わたしたちはとある一...
広くて大きな家だ。大分古くて所々が傷んでいる様子だった...
庭だって走り回れるほどの広さだ。ただ、手入れされていな...
こんなところに住んでいるくせに、庭の惨状には全く興味を...
だが、平賀さんはこんな屋敷に何の用があるのだろう。
わたしが疑問に思ったのと、平賀さんがインターホンに向か...
「あ、教授ッスか。才人です。時間よりちょっと遅れたけど、...
鉄の門が勝手に開き始めた。どうやら、これが返事代わりら...
「帰ってくるのに抵抗はなかったかって? そりゃあったさ。
でもそれはあっちの世界での地位が惜しかったからでもない...
いたんだよ、好きな人がさ」
わたしは立ち止まった。平賀さんもそれに気付いて立ち止ま...
わたしは何も答えられなかった。
好きな人。平賀さんがあんな風に寂しそうに微笑む、その原...
異世界にいるのでは、会いたくても会えるはずがない。だか...
わたしは「なんでもないです」と答えた。平賀さんも首を傾...
81 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 03:54:47 I...
「だから、本当は迷ったんだ。多分こっちに帰ってきたら二度...
正直、ほとんど直前まで考えてたんだよ。『いっそこっちに...
そうしなかったのは、こだわりがあったせいだろうな。こだ...
その人は、凄い人でさ。貴族のくせに魔法が使えなかったん...
で、そのせいでたくさんひどいこと言われたりしたんだけど...
そういうの、全部横で見てたからさ。俺がその人に惚れるの...
だから俺は頑張ったよ。今まで生きてきた中で一番頑張った...
それで、さっき言った妙な力のおかげもあって、それなりに...
その内、まあほんのちょっとだけどその人も優しくしてくれ...
気持ちも通じ合って、多分、あっちも俺のことを大切に思っ...
自惚れやすい性格だけど、これだけは確かだって断言できる...
だからこそ、このままこっちの世界にいついてしまおうか、...
平賀さんは、廊下の途中にあった階段を下り始めた。どうや...
階下の暗闇からは、何やら機械が動いているような音が響い...
わたしはなんとなくゲームか漫画の世界に入り込んでしまっ...
「でも、本当にそれでいいのかとも思ったよ。
俺がその人の役に立ててたのは、偶然妙な力を手に入れたお...
そうでなけりゃ、俺なんざほとんど何の役にも立たなかった...
もちろんその力がなくてもその人のために頑張ろうって気は...
そういうこだわりがあったから、本当に自分とその人で釣り...
その人は、妙な力や恵まれた才能なんかなしに、逆境に立ち...
それと比べれば、俺は恵まれすぎてたんだ。
それに、こっちの世界にいたって大して面白い人生遅れそう...
いろいろ自分に都合のいいあっちの世界に留まるってのはさ...
だって、そうだろ。逆境とか大変な目に遭うこととか、うま...
そういうのを恐れて都合のいい方に逃げるってのは、その人...
だから、俺は帰って来た。自分はあれこれと窮屈なこっちの...
ちっぽけなこだわりかもしれないけどさ、そうでもしなけり...
だからこそ、俺は帰ってきてから必死に努力したよ。
学校の行事やら勉強やら、あっちの世界に行く前の数倍も数...
そのおかげで、いい大学やらいい会社やらにも入れたし、友...
自分が、何にもない状態からそこまで出来たってのはやっぱ...
またあいつに会いにいけるって。そう思えたから、俺は今日...
82 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 03:55:44 I...
地下は地上の建物以上に広かった。向こうの壁が遥か向こう...
中央にはやたらと大きな装置があった。何かの機械というだ...
その装置の中央辺りに首を突っ込んでいた人が、こちらに気...
平賀さんはその人物に向かって親しげに声をかけた。
「どうも教授。この子、俺の高校のときの同級生。作業の邪魔...
教授と呼ばれたその人物は、頭がすっかり禿げ上がった眼鏡...
庭の惨状同様、自分の格好にも無頓着と見えて、着ている白...
顔が皺だらけで、明らかに老人という風体だったが、目だけ...
腰は曲がっていたが、こちらを睨みつけてくる視線にはやた...
教授は「好きにせい」と鼻を鳴らすと、また装置に取り付い...
「ここで何をするのかって? そりゃ、帰るのさ、あっちの世...
驚くこたないだろ。俺の話聞けば、俺がいよいよ自分の心に...
むしろ、必死こいて勉強なんかしてたのは、半分ほどそれが...
つまり、こっちの世界であれこれと心の整理つけた後、自力...
魔法の力で世界を飛び越えられるんだ、科学の力を使ったっ...
そう思ってたんだけど、どうも現代科学じゃ無理っぽいなあ...
ちょっと焦り始めた頃、この人の噂を聞いたのさ」
この人、というのはもちろん教授のことだ。わたしも名前を...
とは言っても、年が年なだけにもう講義等はしていないらし...
今は専ら、この装置の開発に没頭しているのだそうだ。
「俺は財産家の一人息子って奴でな。親父もお袋も結構早くに...
だから、大学で情報収集しながらこの異世界間跳躍装置を開...
俺がこの装置を開発するきっかけになったのは、そう、忘れ...
と、饒舌に語り始めた教授の声を、わたしは半ば無視してい...
この人自身もかなり変な人らしかったけど、今のわたしにと...
83 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 03:56:27 I...
「俺より頭のいい人が、俺より長い間そういう装置の研究をし...
他の連中は『あの人は頭がおかしいんだ』なんつって相手に...
だって、俺は知ってたからな。異世界が本当にあるってこと。
結果は大当たりさ。教授は助手なんか必要ないぐらい頭のい...
そりゃそうだ、異世界に行けるなんて言われたって、魅力に...
でも、俺は違う。無償どころか金払えって言われても手伝い...
で、そろそろ装置の完成が間近だってんで、会社も辞めて身...
ま、俺の話はこんなところだな。俺が何しようとしてるのか...
壁際に座り込んで話を聞いていたわたしは、平賀さんの問い...
もちろん、話があまりに荒唐無稽なせいもある。異世界がど...
こんな装置を作っている暇があったら精神病院にでも行った...
でも、平賀さんの言うことに嘘はないとも思う。
異世界の存在を信じる訳ではないが、この人の中ではそれは...
その、好きで好きでたまらない人、というのも、また。
「一つだけ、聞いてもいいですか」
気付くと、わたしはそう言っていた。
「こっちの世界に、未練は何もないんですか。一度帰って来た...
平賀さんは困ったように頬をかきながら、懐かしむようにど...
「そりゃ、ね。あっちの世界はすげえ不便だったし、何より化...
貴族ってのは大抵いけ好かない連中だったし、悪い王様がひ...
何よりやばかったのは戦争だ。こっちの世界じゃ、まず体験...
正直、住もうって思ったらこっちの世界の方が百倍マシさ。...
身分制度なんてのもないから、頑張ればそこそこ幸せになれ...
84 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 03:58:09 I...
「それでも」
「ああ、俺は行く」
平賀さんの答えには、微塵も迷いがなかった。わたしはなお...
「それは、やっぱり好きな人がいるからですか」
「ああ、もちろん。それ以外の理由なんて、ないよ」
正直言って、わたしには理解できなかった。
平賀さんは、こっちの世界(という言い方をすると、なんだ...
かなりいい人生を歩んでいるように思う。さっきついでに聞...
勤めていた会社というのも安定した大企業のようだったし。
それに、家族のことはどうするのだろう。そういうものを放...
映画なら感動を呼ぶお話なのかもしれないが、現実に実行す...
その行動が多くの人を悲しませ、また迷惑をかけると分かっ...
「ああ。ってよりな、無理なんだなきっと」
平賀さんは、またあの寂しそうな微笑を浮かべてそう言った。
「俺も一度は考えたんだ。こっちの世界でうまくやれるなら、...
だからこそ、何だって一生懸命やった。勉強も遊びも、それ...
でも、ダメだった。どんなところで何をやってようと、どん...
ここはお前の場所じゃないぞ、お前が本当にしたいことはそ...
多分俺は、もうあっちの世界の住人になっちまってるんだな...
その言葉を聞いたとき、わたしの心の隅にわだかまっていた...
ずっと、疑問に思っていた。平賀さんは、何故平賀さんと呼...
留年生で、年の差などにこだわらずにわたしたちのクラスに...
でも、わたしたちは何故か自然と彼に敬語を使っていたし、
誰もが平賀さん平賀さんと呼んで、呼び捨てにする者は一人...
平賀さん自身、そういうのを好く人ではないはずなのに、何...
きっと、わたしたちも平賀さんも、どこかで分かっていたの...
平賀才人というのが、ここに馴染める人間ではないのだとい...
「心の底からそう思い知ったのは、本当につい最近なんだ。で...
こっちの世界での安定した安全な生活のことも、積み上げて...
それに、俺がいなくなったら親父たちが悲しむだろうなって...
全部分かってても、そういうことで迷いがあってもなお、俺...
そこまで喋り終えて、平賀さんは長い長いため息を吐いた。...
「親父たちには、もう話してあるんだ。最初は信じてくれなか...
今も喧嘩別れみたいな形で出てきてさ。最後がそんな形にな...
「あっちの世界に行くんですね、あなたは」
平賀さんは深く頷いた。わたしは何も言えなくなって黙り込...
85 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 03:59:33 I...
いや、本当は言いたいことが一つだけあった。だが、それを...
そうしてわたしが迷っている内に、装置の準備はすっかり完...
教授がこちらに歩いてきて、興奮した面持ちで言ったのだ。
「乗り込め。いよいよ世紀の瞬間だぞ、才人」
平賀さんは「分かりました」と呟くように言って、ゆっくり...
そして、迷いのない足取りで真っ直ぐに装置の中央に向かう...
装置の中央、先程まで教授が弄っていた部分には、人一人座...
周りの機械からケーブルやらチューブやらが所狭しと差し込...
教授の言によると、この部屋を埋め尽くすほどの巨大な機械...
この座席に座った人を転移するためのエネルギーは、そこま...
「本当に成功するんですか」
わたしが問いかけると、教授は難しそうな顔つきで唸った。
「分からん。何せ人類史上初の試みだからな。だが安心しろ」
と、大笑した。
「なんせこのエネルギーだ。失敗したとしても人間の体なんか...
この人は精神病院よりむしろ警察に出頭するべきなのかもし...
平賀さんは、やはりどことなく寂しそうな表情で、自分が数...
声をかけたい、問いかけたい、と思う。しかし、やはり出来...
そのとき教授が「じゃ、準備しろ」と言ったので、平賀さん...
そうしてから、ベルトやらハーネスやらで体を何重にも固定...
たくさんのケーブルが装着された、顔が半ば隠れる型のヘル...
その姿が何故だか電気椅子で処刑される直前の囚人のように...
「よし、じゃ、いってらっしゃいだな、才人」
「いや、この場合はさよならッスよ博士」
「お約束とは逆って訳だな」
そう言って笑いながら、教授は座席の上で開きっぱなしにな...
やたらと厚くて重たげなそのカバーで、平賀さんの姿が隠れ...
「待って」
と、気付くとわたしは叫んでいた。教授が顔をしかめて振り...
「最後に、あと一つだけ言わせてください」
わたしは大きく息を吸い込み、言った。
「わたし、ずっとあなたのことが好きでした。この数年間は会...
わたしがこう言っても、あなたは異世界に行くことを少しも...
意地の悪い問いかけだったとは思う。だが、わたしがこの問...
それが平賀さんを困らせたり、傷つけたりするからではなか...
ただ単に、分かりきっていたからだ。
「ああ」
と、一言だけ言って、平賀さんがあの寂しそうな微笑を浮か...
わたしは引き下がった。引き下がるしかなかった。無性に悔...
平賀さんの心の天秤は、もう片方が地面につくぐらいに傾い...
好きな人がいる異世界、という重りの前には、わたしの好意...
分かっていて、それを現実に確認しただけなのだ、わたしは。
確認したかっただけだ。
わたしが好きになった人は、ただ好きな人のそばにいたいと...
今の生活も友人も家族も、自分を慕う女のことも放り捨てて、
遠いところへ飛んでいけるパワーと身勝手さを持った人なの...
そのとき、不意に平賀さんがわたしの名前を呼んだ。
わたしが顔を上げると、平賀さんはあの寂しそうな微笑を浮...
86 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 04:01:23 I...
「本当は知ってたよ。俺のこと、どう思ってくれてるかってこ...
今日君をここに連れてきたのはさ、話しておきたかったから...
俺が何をしようとしてるのか。そして、多分もう会えないっ...
俺をずっと見つめててくれた人だからこそ、話しておきたか...
そう言い終えた平賀さんの顔には、やはり寂しそうな微笑が。
なんて身勝手で傲慢な男だろう。
そこまで分かっていて、こちらの気持ちなんか微塵も考えず...
だが、そんな男にずっと恋焦がれていた女が、ここに一人い...
「予言してあげる」
わたしは腹の底から突き上げるような衝動に任せて叫んでい...
「あなたは絶対不幸になる。こっちのことを全部無視して飛ん...
都合のいい妙な力なんか手に入らないし、あなたを持ち上げ...
それに好きな人だってもうとっくに他の男と一緒になってる...
あなたは誰にも受け入れてもらえずに、こちらの世界やわた...
生まれた場所でもない冷たい異世界で、それこそ野良犬のよ...
それでも、と続けると、平賀さんは全てを吹っ切るような微...
「行くさ。だって、俺はあいつのことが大好きなんだからな」
言葉に迷いはない。平賀さんは表情を変えないまま、実にあ...
「じゃ、さよならな」
わたしは何も言い返さなかった。
カバーが閉まって彼の姿が見えなくなり、装置全体が眩い光...
振動と光と耳障りな音。わたしは唇を噛み締めて、そういう...
やがて全てが過ぎ去り周囲が再び静寂に包まれたとき、教授...
中にあったのは座席だけだった。平賀さんの姿はどこにも見...
飛んでいってしまったのだ、あっちの世界に。
空っぽの座席を眺めていると、わたしの心も空っぽになって...
「ああ、しまった」
と、不意に背後で教授が叫んだ。
「これじゃ、果たして実験が成功したかどうか分からんじゃな...
この人はやっぱり精神病院に行くべきかもしれない、とわた...
「頼む、あんたも行ってくれ。大丈夫、今度はあっちからでも...
それはつまり、やっぱり片道切符になるということだろうか。
わたしは再び、空っぽの座席に目を戻す。
平賀さんの最後の微笑が、いくつもの寂しげな微笑を全て塗...
あの表情以外、何も思い出せなくなっている。
わたしはこれから、寂しげな微笑ではなくてあの吹っ切れた...
だが、それも当然かもしれない。わたしはさっき初めて、平...
あの人の存在が、わたしの心にいつまで残り続けるのかは分...
もしも消えるどころか強くなっていくようなら、わたしがこ...
未練も迷いも全て吹っ切って飛んでいく力というのは、そう...
終了行:
76 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 03:48:36 I...
そのときのわたしは賑やかな居酒屋を出て、数年ぶりに再会...
心配する友人たちに大丈夫だと笑って別れを告げ、女一人で...
酔っているために頭が朦朧としていて、今一体何時ごろなの...
ぐらつく視界とふらつく足取り。せめて家までは自分一人で...
その内気分が悪くなって立ち止まり、道端の電柱に右手を突...
嘔吐感が胸の奥からじわじわとせり上がってきたが、寸での...
そうして数十秒ほど。ほんの少しだけ気分が良くなってきた...
特に、意味のある動作ではなかったと思う。まだもう少しだ...
だから、そのとき彼を見つけられたのは本当に、それこそ奇...
わたしがここで立ち止まらなければ、立ち止まったとしても...
目立つ人ではなかったのだ。髪は染めていないし、特別体が...
美形とも不細工とも言いかねる、どこにでもいそうな外見。
本当に、彼は普通の人だった。群衆の中で黙っていれば絶対...
だからこそ、かもしれない。
わたしは直感的に悟ったのだ。ここで呼び止めなければ、も...
「平賀さん」
わたしが大声で呼ばわると、彼は驚いた様子で振り返った後...
数年前と全く変わらない表情だった。嬉しそうで楽しそうで...
平賀さんはわたしの名前を呼びながら駆け寄ってきて、片手...
「よう、久しぶり」
何の躊躇いもなくそう言われたとき、わたしは自分の心臓が...
77 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 03:50:03 I...
平賀さんは高校のときのわたしの同級生だった。でも、年齢...
わたしより一年早く入学して、わたしが二年生だった年の夏...
留年した理由については様々な噂が飛び交っていて、今でも...
確かなのは、成績が悪かったために留年した訳ではないとい...
分からないのは、何故出席日数が足りなかったのかというこ...
さすがに平賀さん本人に問いただす人はいなかったから、自...
当時一番信じられていた噂は「一年ほど行方不明になってい...
そんな風にあれこれと噂の種になっていた平賀さんだったが...
いや、むしろ普通の人よりも活動的で、楽しい人という印象...
留年生のくせに躊躇もなくわたしたちの輪の中に入ってきて...
文化祭などのイベント事では大抵騒ぎの中心にいたし、その...
そんな風に人当たがいい人だったが、女子に対しては格別優...
自分の前では重い荷物など絶対に持たせなかったし、具合が...
とは言え下心がある風でもなく、ただ体に馴染んだ動作を自...
一度、わたしの友人に「平賀さんって何でそんなに優しいん...
「多分犬の根性が体に染み付いてるんだろうなあ」と苦笑し...
そんな風に飾らない人だったし顔も凄く悪いという訳ではな...
何故だか「この人なら危ないことがあっても守ってくれるか...
考えてみれば変な話だ。平賀さんは格別体格がいい訳でも、...
とにかくそういう事情があって、平賀さんにアプローチをか...
彼の返事は決まってノーだった。理由を問いただすと、とて...
好きな人、というのが誰なのかも、女子の間でたびたび話題...
だが、それ以上に話題になったのは、その女子が誰なのかと...
何か悲しいエピソードがあるに違いない。あのいつも明るい...
だが、私は知っている。彼が寂しそうにするのは、そのとき...
男子の輪の中で騒いでいるときも、体育で走り回っていると...
そういうことをしているそのときこそ、本気で楽しそうだっ...
一度そこから意識を離した途端、彼は決まって寂しそうな雰...
そういうとき、彼は大抵微笑んでいた。ここにいるというこ...
彼の微笑をよく覚えている。数年経った今でも、心の中に思...
ずっと、彼のことを見つめていたから。
78 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 03:51:17 I...
夜の雑踏を遠く離れて、静まり返った小道を二人で並んで歩...
同窓会も終わって、一人で帰るところだと言ったら、平賀さ...
「俺もそっちの方に用事があるんだ。最後は別方向になるから...
そんな風に言って、平賀さんは酔っ払っているわたしを時折...
そういう訳で、隣に平賀さんがいる。そのことが信じられず...
見ている夢なのではないかと疑ってみたりもするけれど、や...
「同窓会、行けなくて悪かったな。どうしても外せない用事が...
申し訳なさそうな平賀さんの言葉に、わたしは頭が痛むのを...
すると、平賀さんは心配そうにわたしの顔を覗き込みながら...
「具合悪そうだな。ちょっと休んでいこうか」
これにもわたしは首を振った。少しでも長く話をしたいから...
座ると気が抜けて寝込んでしまいそうな気がして怖い。そう...
平賀さんはやはり心配そうな表情で少しの間考えていたが、...
「じゃあ、休みたくなったら言ってくれな。別に急いでる訳じ...
わたしは素直に頷くことしか出来ない。彼の微笑は、数年前...
楽しそうだったり、優しそうだったり。でも、その中には必...
ということは、やはりまだ「好きな子」のことは解決してい...
そのことを訊ねてみたい気はしたが、後一歩というところで...
代わりに出てきたのは、「今は、なにを」という、ありきた...
平賀さんは何気ない口調で、
「ニート」
と一言だけ答えた。
予想もしなかった返答に、頭が真っ白になる。何も言えずに...
「おいおい、そんなに固まんないでよ。会社辞めたの一ヶ月ぐ...
「あ、そうなんですか」
わたしは話が気まずい方向に進まなかったことにほっとする...
わたしの記憶では、平賀さんはかなり成績がよかったはずで...
騒がしい印象や留年生という立場とは裏腹に、一人でいると...
進路に悩む様子は微塵もなく、他の生徒と比べて目的意識が...
憑かれたように見えるぐらい何にでも一生懸命な人だったか...
79 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 03:52:35 I...
そんなことを考えてみるものの、実際にどうなのかは本人に...
だが、聞けない。そういう問いをするのは怖い。
平賀さんの寂しげな微笑を覚えているからこそ、そういう問...
そうしてわたしは黙り込み、平賀さんもわたしの迷いを察し...
わたしたちはかなり長い間、お互いに無言のままで歩き続け...
その内に平賀さんに呼ばれたわたしが慌てて顔を上げると、...
「家、あっちなんだろ」
そう説明したし、実際にその通りだった。平賀さんはもう一...
「俺はこっちだから、ここで」
「はい。ここまで、ありがとうございました」
何かを言わなければと思いながらも何も頭に浮かばず、わた...
平賀さんはそれを見て、穏やかに微笑んだ。穏やかで、それ...
「悪いね。気をつけて帰ってくれな。変な人についてっちゃダ...
「何歳だと思ってるんですか」
「実際の年よりゃ若く見えるからさ。じゃ、元気で、な」
冗談交じりに別れを告げて、平賀さんは踵を返した。
思わずその背中に手を伸ばしかけて、引っ込める。わたしは...
転々と住宅街を照らす、頼りない街灯の下。平賀さんの背中...
わたしの胸に、今日平賀さんを見つけたときのあの奇妙な直...
ここで呼び止めなければ、平賀さんとはもう二度と話すこと...
わたしは消えかける平賀さんの背中に向かって、大声で叫ん...
「待って」
遠く、去りかけていた平賀さんは、何故か必要以上に驚いた...
暗くてもよく分かる。平賀さんは、呼び止められることなど...
わたしはもはや迷いなく駆け出した。どうせ今日で最後なら...
暗い住宅街を歩きながら、わたしは今まで溜め込んできた疑...
平賀さんは急に饒舌になったわたしに驚いている様子だった...
その答えというのは、わたしにとっては全く予想外のものば...
80 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 03:53:14 I...
「ええと、まずは何から話せばいいんだっけ。質問いっぱいす...
ああそうそう、俺が高校生のときに行方不明になってたこと...
あれなあ、実は異世界に行ってたんだよ、異世界。
そう。異世界。地球とは別の世界。あの頃流行してた、ファ...
ファンタジーだよ。分かるだろ。なんか魔法とかあってモン...
おいおい、この段階でそんな顔されても困るよ。俺はこっか...
俺はその世界で英雄になったんだよ。妙な力を偶然手に入れ...
周りの人にもかなり持ち上げてもらって、いろいろ褒美もも...
でも大体一年ぐらい経ったごろにようやく帰れる目途が立っ...
平賀さんがそこまで話し終えたとき、わたしたちはとある一...
広くて大きな家だ。大分古くて所々が傷んでいる様子だった...
庭だって走り回れるほどの広さだ。ただ、手入れされていな...
こんなところに住んでいるくせに、庭の惨状には全く興味を...
だが、平賀さんはこんな屋敷に何の用があるのだろう。
わたしが疑問に思ったのと、平賀さんがインターホンに向か...
「あ、教授ッスか。才人です。時間よりちょっと遅れたけど、...
鉄の門が勝手に開き始めた。どうやら、これが返事代わりら...
「帰ってくるのに抵抗はなかったかって? そりゃあったさ。
でもそれはあっちの世界での地位が惜しかったからでもない...
いたんだよ、好きな人がさ」
わたしは立ち止まった。平賀さんもそれに気付いて立ち止ま...
わたしは何も答えられなかった。
好きな人。平賀さんがあんな風に寂しそうに微笑む、その原...
異世界にいるのでは、会いたくても会えるはずがない。だか...
わたしは「なんでもないです」と答えた。平賀さんも首を傾...
81 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 03:54:47 I...
「だから、本当は迷ったんだ。多分こっちに帰ってきたら二度...
正直、ほとんど直前まで考えてたんだよ。『いっそこっちに...
そうしなかったのは、こだわりがあったせいだろうな。こだ...
その人は、凄い人でさ。貴族のくせに魔法が使えなかったん...
で、そのせいでたくさんひどいこと言われたりしたんだけど...
そういうの、全部横で見てたからさ。俺がその人に惚れるの...
だから俺は頑張ったよ。今まで生きてきた中で一番頑張った...
それで、さっき言った妙な力のおかげもあって、それなりに...
その内、まあほんのちょっとだけどその人も優しくしてくれ...
気持ちも通じ合って、多分、あっちも俺のことを大切に思っ...
自惚れやすい性格だけど、これだけは確かだって断言できる...
だからこそ、このままこっちの世界にいついてしまおうか、...
平賀さんは、廊下の途中にあった階段を下り始めた。どうや...
階下の暗闇からは、何やら機械が動いているような音が響い...
わたしはなんとなくゲームか漫画の世界に入り込んでしまっ...
「でも、本当にそれでいいのかとも思ったよ。
俺がその人の役に立ててたのは、偶然妙な力を手に入れたお...
そうでなけりゃ、俺なんざほとんど何の役にも立たなかった...
もちろんその力がなくてもその人のために頑張ろうって気は...
そういうこだわりがあったから、本当に自分とその人で釣り...
その人は、妙な力や恵まれた才能なんかなしに、逆境に立ち...
それと比べれば、俺は恵まれすぎてたんだ。
それに、こっちの世界にいたって大して面白い人生遅れそう...
いろいろ自分に都合のいいあっちの世界に留まるってのはさ...
だって、そうだろ。逆境とか大変な目に遭うこととか、うま...
そういうのを恐れて都合のいい方に逃げるってのは、その人...
だから、俺は帰って来た。自分はあれこれと窮屈なこっちの...
ちっぽけなこだわりかもしれないけどさ、そうでもしなけり...
だからこそ、俺は帰ってきてから必死に努力したよ。
学校の行事やら勉強やら、あっちの世界に行く前の数倍も数...
そのおかげで、いい大学やらいい会社やらにも入れたし、友...
自分が、何にもない状態からそこまで出来たってのはやっぱ...
またあいつに会いにいけるって。そう思えたから、俺は今日...
82 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 03:55:44 I...
地下は地上の建物以上に広かった。向こうの壁が遥か向こう...
中央にはやたらと大きな装置があった。何かの機械というだ...
その装置の中央辺りに首を突っ込んでいた人が、こちらに気...
平賀さんはその人物に向かって親しげに声をかけた。
「どうも教授。この子、俺の高校のときの同級生。作業の邪魔...
教授と呼ばれたその人物は、頭がすっかり禿げ上がった眼鏡...
庭の惨状同様、自分の格好にも無頓着と見えて、着ている白...
顔が皺だらけで、明らかに老人という風体だったが、目だけ...
腰は曲がっていたが、こちらを睨みつけてくる視線にはやた...
教授は「好きにせい」と鼻を鳴らすと、また装置に取り付い...
「ここで何をするのかって? そりゃ、帰るのさ、あっちの世...
驚くこたないだろ。俺の話聞けば、俺がいよいよ自分の心に...
むしろ、必死こいて勉強なんかしてたのは、半分ほどそれが...
つまり、こっちの世界であれこれと心の整理つけた後、自力...
魔法の力で世界を飛び越えられるんだ、科学の力を使ったっ...
そう思ってたんだけど、どうも現代科学じゃ無理っぽいなあ...
ちょっと焦り始めた頃、この人の噂を聞いたのさ」
この人、というのはもちろん教授のことだ。わたしも名前を...
とは言っても、年が年なだけにもう講義等はしていないらし...
今は専ら、この装置の開発に没頭しているのだそうだ。
「俺は財産家の一人息子って奴でな。親父もお袋も結構早くに...
だから、大学で情報収集しながらこの異世界間跳躍装置を開...
俺がこの装置を開発するきっかけになったのは、そう、忘れ...
と、饒舌に語り始めた教授の声を、わたしは半ば無視してい...
この人自身もかなり変な人らしかったけど、今のわたしにと...
83 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 03:56:27 I...
「俺より頭のいい人が、俺より長い間そういう装置の研究をし...
他の連中は『あの人は頭がおかしいんだ』なんつって相手に...
だって、俺は知ってたからな。異世界が本当にあるってこと。
結果は大当たりさ。教授は助手なんか必要ないぐらい頭のい...
そりゃそうだ、異世界に行けるなんて言われたって、魅力に...
でも、俺は違う。無償どころか金払えって言われても手伝い...
で、そろそろ装置の完成が間近だってんで、会社も辞めて身...
ま、俺の話はこんなところだな。俺が何しようとしてるのか...
壁際に座り込んで話を聞いていたわたしは、平賀さんの問い...
もちろん、話があまりに荒唐無稽なせいもある。異世界がど...
こんな装置を作っている暇があったら精神病院にでも行った...
でも、平賀さんの言うことに嘘はないとも思う。
異世界の存在を信じる訳ではないが、この人の中ではそれは...
その、好きで好きでたまらない人、というのも、また。
「一つだけ、聞いてもいいですか」
気付くと、わたしはそう言っていた。
「こっちの世界に、未練は何もないんですか。一度帰って来た...
平賀さんは困ったように頬をかきながら、懐かしむようにど...
「そりゃ、ね。あっちの世界はすげえ不便だったし、何より化...
貴族ってのは大抵いけ好かない連中だったし、悪い王様がひ...
何よりやばかったのは戦争だ。こっちの世界じゃ、まず体験...
正直、住もうって思ったらこっちの世界の方が百倍マシさ。...
身分制度なんてのもないから、頑張ればそこそこ幸せになれ...
84 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 03:58:09 I...
「それでも」
「ああ、俺は行く」
平賀さんの答えには、微塵も迷いがなかった。わたしはなお...
「それは、やっぱり好きな人がいるからですか」
「ああ、もちろん。それ以外の理由なんて、ないよ」
正直言って、わたしには理解できなかった。
平賀さんは、こっちの世界(という言い方をすると、なんだ...
かなりいい人生を歩んでいるように思う。さっきついでに聞...
勤めていた会社というのも安定した大企業のようだったし。
それに、家族のことはどうするのだろう。そういうものを放...
映画なら感動を呼ぶお話なのかもしれないが、現実に実行す...
その行動が多くの人を悲しませ、また迷惑をかけると分かっ...
「ああ。ってよりな、無理なんだなきっと」
平賀さんは、またあの寂しそうな微笑を浮かべてそう言った。
「俺も一度は考えたんだ。こっちの世界でうまくやれるなら、...
だからこそ、何だって一生懸命やった。勉強も遊びも、それ...
でも、ダメだった。どんなところで何をやってようと、どん...
ここはお前の場所じゃないぞ、お前が本当にしたいことはそ...
多分俺は、もうあっちの世界の住人になっちまってるんだな...
その言葉を聞いたとき、わたしの心の隅にわだかまっていた...
ずっと、疑問に思っていた。平賀さんは、何故平賀さんと呼...
留年生で、年の差などにこだわらずにわたしたちのクラスに...
でも、わたしたちは何故か自然と彼に敬語を使っていたし、
誰もが平賀さん平賀さんと呼んで、呼び捨てにする者は一人...
平賀さん自身、そういうのを好く人ではないはずなのに、何...
きっと、わたしたちも平賀さんも、どこかで分かっていたの...
平賀才人というのが、ここに馴染める人間ではないのだとい...
「心の底からそう思い知ったのは、本当につい最近なんだ。で...
こっちの世界での安定した安全な生活のことも、積み上げて...
それに、俺がいなくなったら親父たちが悲しむだろうなって...
全部分かってても、そういうことで迷いがあってもなお、俺...
そこまで喋り終えて、平賀さんは長い長いため息を吐いた。...
「親父たちには、もう話してあるんだ。最初は信じてくれなか...
今も喧嘩別れみたいな形で出てきてさ。最後がそんな形にな...
「あっちの世界に行くんですね、あなたは」
平賀さんは深く頷いた。わたしは何も言えなくなって黙り込...
85 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 03:59:33 I...
いや、本当は言いたいことが一つだけあった。だが、それを...
そうしてわたしが迷っている内に、装置の準備はすっかり完...
教授がこちらに歩いてきて、興奮した面持ちで言ったのだ。
「乗り込め。いよいよ世紀の瞬間だぞ、才人」
平賀さんは「分かりました」と呟くように言って、ゆっくり...
そして、迷いのない足取りで真っ直ぐに装置の中央に向かう...
装置の中央、先程まで教授が弄っていた部分には、人一人座...
周りの機械からケーブルやらチューブやらが所狭しと差し込...
教授の言によると、この部屋を埋め尽くすほどの巨大な機械...
この座席に座った人を転移するためのエネルギーは、そこま...
「本当に成功するんですか」
わたしが問いかけると、教授は難しそうな顔つきで唸った。
「分からん。何せ人類史上初の試みだからな。だが安心しろ」
と、大笑した。
「なんせこのエネルギーだ。失敗したとしても人間の体なんか...
この人は精神病院よりむしろ警察に出頭するべきなのかもし...
平賀さんは、やはりどことなく寂しそうな表情で、自分が数...
声をかけたい、問いかけたい、と思う。しかし、やはり出来...
そのとき教授が「じゃ、準備しろ」と言ったので、平賀さん...
そうしてから、ベルトやらハーネスやらで体を何重にも固定...
たくさんのケーブルが装着された、顔が半ば隠れる型のヘル...
その姿が何故だか電気椅子で処刑される直前の囚人のように...
「よし、じゃ、いってらっしゃいだな、才人」
「いや、この場合はさよならッスよ博士」
「お約束とは逆って訳だな」
そう言って笑いながら、教授は座席の上で開きっぱなしにな...
やたらと厚くて重たげなそのカバーで、平賀さんの姿が隠れ...
「待って」
と、気付くとわたしは叫んでいた。教授が顔をしかめて振り...
「最後に、あと一つだけ言わせてください」
わたしは大きく息を吸い込み、言った。
「わたし、ずっとあなたのことが好きでした。この数年間は会...
わたしがこう言っても、あなたは異世界に行くことを少しも...
意地の悪い問いかけだったとは思う。だが、わたしがこの問...
それが平賀さんを困らせたり、傷つけたりするからではなか...
ただ単に、分かりきっていたからだ。
「ああ」
と、一言だけ言って、平賀さんがあの寂しそうな微笑を浮か...
わたしは引き下がった。引き下がるしかなかった。無性に悔...
平賀さんの心の天秤は、もう片方が地面につくぐらいに傾い...
好きな人がいる異世界、という重りの前には、わたしの好意...
分かっていて、それを現実に確認しただけなのだ、わたしは。
確認したかっただけだ。
わたしが好きになった人は、ただ好きな人のそばにいたいと...
今の生活も友人も家族も、自分を慕う女のことも放り捨てて、
遠いところへ飛んでいけるパワーと身勝手さを持った人なの...
そのとき、不意に平賀さんがわたしの名前を呼んだ。
わたしが顔を上げると、平賀さんはあの寂しそうな微笑を浮...
86 名前:平賀さん[sage] 投稿日:2007/01/28(日) 04:01:23 I...
「本当は知ってたよ。俺のこと、どう思ってくれてるかってこ...
今日君をここに連れてきたのはさ、話しておきたかったから...
俺が何をしようとしてるのか。そして、多分もう会えないっ...
俺をずっと見つめててくれた人だからこそ、話しておきたか...
そう言い終えた平賀さんの顔には、やはり寂しそうな微笑が。
なんて身勝手で傲慢な男だろう。
そこまで分かっていて、こちらの気持ちなんか微塵も考えず...
だが、そんな男にずっと恋焦がれていた女が、ここに一人い...
「予言してあげる」
わたしは腹の底から突き上げるような衝動に任せて叫んでい...
「あなたは絶対不幸になる。こっちのことを全部無視して飛ん...
都合のいい妙な力なんか手に入らないし、あなたを持ち上げ...
それに好きな人だってもうとっくに他の男と一緒になってる...
あなたは誰にも受け入れてもらえずに、こちらの世界やわた...
生まれた場所でもない冷たい異世界で、それこそ野良犬のよ...
それでも、と続けると、平賀さんは全てを吹っ切るような微...
「行くさ。だって、俺はあいつのことが大好きなんだからな」
言葉に迷いはない。平賀さんは表情を変えないまま、実にあ...
「じゃ、さよならな」
わたしは何も言い返さなかった。
カバーが閉まって彼の姿が見えなくなり、装置全体が眩い光...
振動と光と耳障りな音。わたしは唇を噛み締めて、そういう...
やがて全てが過ぎ去り周囲が再び静寂に包まれたとき、教授...
中にあったのは座席だけだった。平賀さんの姿はどこにも見...
飛んでいってしまったのだ、あっちの世界に。
空っぽの座席を眺めていると、わたしの心も空っぽになって...
「ああ、しまった」
と、不意に背後で教授が叫んだ。
「これじゃ、果たして実験が成功したかどうか分からんじゃな...
この人はやっぱり精神病院に行くべきかもしれない、とわた...
「頼む、あんたも行ってくれ。大丈夫、今度はあっちからでも...
それはつまり、やっぱり片道切符になるということだろうか。
わたしは再び、空っぽの座席に目を戻す。
平賀さんの最後の微笑が、いくつもの寂しげな微笑を全て塗...
あの表情以外、何も思い出せなくなっている。
わたしはこれから、寂しげな微笑ではなくてあの吹っ切れた...
だが、それも当然かもしれない。わたしはさっき初めて、平...
あの人の存在が、わたしの心にいつまで残り続けるのかは分...
もしも消えるどころか強くなっていくようなら、わたしがこ...
未練も迷いも全て吹っ切って飛んでいく力というのは、そう...
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