ゼロの使い魔保管庫
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63 名前: 白い百合の下で [sage] 投稿日: 2007/09/03(月) 0...
秋の嵐吹き荒れる夕方だった。
馬車から降りてすぐ、アンリエッタは丁重な礼を受けること...
その領主は、強まる雨風の中で立って、自らの領地への急な...
アンリエッタの馬車に同乗していたマザリーニが、まず彼に...
彼女もむろん、じゅうぶんに礼儀正しい言葉を述べた。
その三十代前半ほどの、刈りこんだあごひげを持つ若い領主...
じゅうぶんにハンサムと言えるだろう。
アンリエッタは彼をじっと見つめた。
白いドレスを着た女王といつもの黒衣の宰相が、この地の領...
雨をふせぐフードつきの外套をはおった才人が、同じ格好の...
ギーシュが無言でうなずいた。水精霊騎士隊の隊長と副隊長...
それはほかの者にも共通している。
領主は微笑をうかべつつ、嵐に負けないように声をはりあげ...
「是非ともわが館においでください、陛下。いえ、なにぶん急...
しかし、この嵐を避けるにじゅうぶんな屋根と乾いたベッド...
陛下の御身のまわりを世話させていただく侍女や召使たちに...
「あなたの善意をありがたく受けましょう。感謝します」
アンリエッタはそう言ってから、首をふった。
「しかし侍女なら一人、同行しておりますわ」
領主は破顔した。
「これは失礼しました。もちろん、かかる至尊の御身におかれ...
その言葉が途中で止まった。アンリエッタが馬車から降りて...
華奢な体つきのその侍女は、顔を完全に覆う仮面をつけてい...
その異様な光景に気を呑まれたのか、領主は立ち尽くしてい...
「彼女は疲れています。彼女のためにも、あなたの館で休息を...
「あ……ええ、もちろん……」
「何はともあれ、はやく貴殿の館の中に案内してくれないか?...
あぜんとしている領主にそううながしたのは、銃士隊隊長の...
…………………………
………………
……
中小の貴族としてはかなり富裕なほうであるらしき領主の、...
かごに山と盛られた白いパン。バターで焼いた鱒に溶けたチ...
野ウサギの骨を煮詰めてとったスープに、キャベツと玉葱と...
生食用のハーブは太った鶏の丸焼きにたっぷり添えてある。
数種のパイの具は牛肉や果物。
しかし、煉瓦造りの大きな食堂に通された客たちは、けっし...
食前の祈りが済むと、めいめいが黙々と食事をとる。
まだ嵐にさらされてでもいるかのように、領主が朗々と大き...
「突然の陛下のご来臨をたまわり、わが家にとってこれ以上の...
このたびの陛下の国土巡幸におかれては、近隣の領主らが宿...
残念ながらわが領地を通る予定はなかったように記憶していま...
アンリエッタがなにか言う前にマザリーニが、鶏の脂に汚れ...
「そのようなものですな。通るはずだった道は、泥でぬかるん...
馬車の轍がぬかるみにはまって動けなくなっても問題ですか...
このときアンリエッタはマザリーニをにらみ、つぶやいた。
「枢機卿は、慎重に過ぎますよ」
女王の険のある声を、宰相はさらに冷厳としてはねつけた。
「『天国へ行く方法は、地獄への道を避けること』ですよ。回...
女王と宰相のとげとげしい雰囲気を和らげようとてか、領主...
「宰相閣下の今のお言葉は、ロマリアの思想家のものですね?...
女王は儀礼上の笑みを浮かべたが、機嫌の悪さが透けて見え...
「わたくしは好きませんわ、あの思想家。言うことがあまりに…...
今度はマザリーニが口をはさむ。
「わたしも感性的には決して好きではありませんよ。しかし、...
二人の応酬を見て、処置なしとみてか領主は沈黙する。その...
食卓の上座のほうで繰り広げられているぴりぴりした会話に...
才人とギーシュはぽそぽそと囁きあっていた。
(おいギーシュ、姫さまと宰相さまはなんの喧嘩をしてるんだ?)
(ぼくにきかないでくれ。ああいう上流な方々の喧嘩は苦手なん...
(おまえ貴族のいいとこ出だろ!)
(そんなことより、君、あの怪我をした侍女の姿が見えないな)
(姫さまが、自分に割りあてられた部屋で休ませてるよ。銃士隊...
(……そうか。なあサイト、嫌な気分になってこないか?)
(ずっとしてるよ、吐き気を感じるほどな)
「ところで、お訊きしてよろしいでしょうか?」
宰相との舌戦をひとまずおいてか、アンリエッタが領主に顔...
領主は顔をあげ、たちまち笑みを浮かべて「なんなりと」と...
ただしその笑顔には、薄く緊張がたゆたっていた。
「近隣の領地の諸侯たちにも聞きましたが、あなたはずいぶん...
「革新的? 陛下はお優しい、近隣の領主どもならばわたしに...
『貴族とも思えない金回しの芸当をする』くらいのことは言...
いかにも、わたしは好意をもたれていません。彼らの基準か...
剣を使うなど平民の業にも手を染める……その貴族とも思えない...
「なるほど。見たところ、羽振りがよくていらっしゃる。この...
「ああ、『清貧』をこころがける陛下には、お気にさわりまし...
近隣の領主どもがわたしについて何をいおうと、それはやっ...
わたしは困った平民に金を貸しているのです。
前年が凶作のため次の年の作物苗が買えないという農民や、...
そして、わたしは決して法外な利子をとっておりません。無...
ところで、ワインはいかがしますか?」
…………………………
………………
……
晩餐の後である。
アンリエッタはアニエスとギーシュを物陰に読んだ。顔をひ...
隊長の二人に対し、声をひそめて告げる。
「アニエス、銃士隊は前もっていいふくめたとおりに。ギーシ...
ギーシュはがちがちに緊張して頭を下げ、アニエスはいつも...
「マザリーニ殿はいまだ反対なのですか?」
アンリエッタは首をふり、苦笑気味に答えた。
「枢機卿はわたくしの父のようなもの。たしかに今日はずっと...
厳父は娘に説教するものですし、彼の言うことは政治家として...
わたくしたちの意見は、そもそも根本から対立しているわけ...
ことここに至っては、彼も協力してくれるでしょう」
二人が退出しようとすると、アンリエッタは思い出したよう...
「それと、サイト殿を呼んできていただけませんか?」
急に呼ばれていぶかしげな顔をする才人に、アンリエッタは...
なるほどとうなずいた彼に、信頼の目を向ける。
「『ガンダールヴ』には、水精霊騎士隊をよろしくお願いした...
守ることにかけては、あなたがいればまさに百人力と信じて...
「はは……いや、買いかぶりっすよ。正直ルイズの虚無がないと...
「すみません、無理を言ってこのようなことにつき合わせて。...
いやあいつ今は一人で勝手に帰省してますし別にーなどと言...
かつて自分も、彼にうっすらと惹かれていたときがある。自...
それは親友のためにも喜ばしいことだったが、こうして顔を...
アンリエッタは未練を断つように小さく首をふると、微笑し...
…………………………
………………
……
アンリエッタは割り当てられた寝室に入った。天蓋でおおわ...
先に部屋にいて、ベッドに腰かけていた仮面の侍女は、あわ...
そっと顔を覆う仮面を外す。
髪は漆黒、瞳は青。美しい少女だった。
トリステインの花と呼ばれるアンリエッタと並べても、おさ...
ただ、その右目をふくむ顔の三分の一は……仮面の下でさらに...
「そう慌てないで、ゆっくり動いて。あなたはまだ傷ついてい...
「でも……昨日からこんな、女王陛下にあまりにおそれ多いばか...
「わたくしを見なさい。ね、ただの少女でしょう? あなたと...
「同じ? 私とアンリエッタ陛下が?」
侍女はとまどう表情になった。
「いいえ、同じじゃないです」
「同じです」
アンリエッタは侍女を抱きしめた。
昨夜は彼女を治療し、彼女の話を聞き、彼女のために泣いた...
アンリエッタは、貴種らしく他人の気持ちにやや鈍いところ...
(マザリーニ、あなたは『王は民への憐れみを忘れてはなりませ...
このとき、アンリエッタは普段なら決して話さないことを話...
「不思議に、あなたとわたくしはどこかが似ている気さえする...
よろしければ、わたくしの話も聞いてください」
そしてアンリエッタは告白した。幼き日のウェールズとの恋...
かつての連合軍がアルビオンを攻めた戦は、自分の復讐心か...
「何人も死にました……悔やまなかった日はありません。わかっ...
あなたも、必要以上に壁をつくらないでくださいな」
アンリエッタが話し終わったとき、その侍女は呆然と青い片...
ややあって、その侍女はごくりと固唾をのんだ。
「アンリエッタ様……あの……あの、昨夜話していないこともある...
私の兄は兵士でした。
アルビオンとの戦の中で、補給部隊で物資を管理する役目で...
だから私は、国家に対する犯罪者の身内でもあるのです」
「……そうだったのですか。でもそれは、あなたの兄上のことで...
美しい侍女は、黙って同年代の女王を見つめた。それから、...
「あの……アンリエッタ様、本当に慈悲深い言葉を……」
アンリエッタは困ってそっと手をにぎった。かたくなに心を...
「そうね、わたくしも唐突すぎました。あなたが落ち着くのを...
でも、あなたはわたくしの侍女になったのですから、着替え...
「は、はい喜んで……あの、よければお手の世話も。爪をとぐこ...
マザリーニが、領主をともなって訪れたとき、アンリエッタ...
下半身はふわりとしたスカートに同じく黒い靴。上半身はぴ...
領主がドアの外から大声で、アンリエッタに来訪を告げたと...
片目の侍女は差し出された手をおしいただき、棒ヤスリで慎...
来訪をうけてベッドから立ち上がりはしたものの、手をのべ...
かすかに震えを体に走らせた侍女に、安心させるようにささ...
「だいじょうぶです。あなたは爪とぎに専念していてください...
領主が、アンリエッタの出した入室許可に応じてドアを開け...
領主に続いたマザリーニは、アンリエッタの服をちらと見て...
「一見、簡素でありながら上質な服ですな」
一瞬のこわばりから解けたらしく、マザリーニに追随するよ...
「いや、何よりも陛下がお美しい。つねはトリステインの紋章...
アンリエッタは上品に一礼した。
「ありがとうございます」
「しかし両者が合うかとなるとまた別ですな。同じデザインな...
いきなりの枢機卿の駄目だしに、領主がぎょっとしたように...
「……ええ、前にも言われましたわね。黒は合わない、と。
しかし枢機卿、わたくしはわたくしなりに思うところはある...
わたくしに求められているのは、自分の考えであれ他人の考...
黒はたぶん、今夜にふさわしいと思います」
「今宵、あなたが演じようとしているのは道化の役ですよ。自...
マザリーニは苛々をこめて言った。
領主がそっと彼の黒衣の袖を引っ張っているのは、「もうお...
アンリエッタは一心に爪をみがく侍女を一瞬だけ見てから、...
「枢機卿、あなたはわたくしをあくまで愚弄するおつもりです...
王の威を傷つけることは、立派な罪ですよ」
「王権の尊さについて、陛下は真に理解してさえいらっしゃり...
あなたは、いつまで子供でいるつもりなのですか?」
切り返すマザリーニの冷たい言葉を、アンリエッタはそれま...
(さあ、ここからだ)
「もう分からず屋と話すつもりはありません。じゅうぶんです。
牢で頭を冷やしなさい。
この館に地下牢はありますか?」
その問いかけは、領主に向けて発されたものだった。
若い富裕な領主は、驚愕に目を見開いた。
「い……いけません、陛下……仮にもマザリーニ様のような国家の...
「わたくしはそのようなことの確認を求めたのですか? 地下...
アンリエッタの鋭い呼び声からほとんど間をおかず、銃士隊...
明らかに、前もって用意していた。
沈黙するマザリーニの前に立ちふさがるようにして、領主は...
「お待ちください、これはこのような高貴な方を遇する道では...
マザリーニ様にたのまれて、わたしは陛下とマザリーニ様の...
正式な逮捕状もない、これは法にのっとっていません……せめ...
「あなたも王権に逆らうのですか? マザリーニ、あなたは地...
アンリエッタの確認に、宰相は肩をすくめてみせた。
「まあ、陛下がそれを望まれるなら、わたしとしてはこの我が...
あっさりとあきらめた宰相を、領主は信じがたいものを見る...
アニエスに従ってきた銃士隊員たちが、めいめいの剣を抜き...
主君のそばに控えたアニエスが、声を領主にかけた。
「早く案内してくれないか? それとも……地下牢を見せたくな...
侍女がこのとき、顔をあげて震える声ではっきりと告げた。
「地下牢の場所なら、私が知っています」
ハンサムな領主の呆けたような表情に、ゆっくりと状況に対...
そして、変わって笑みが広がっていった。残忍な怒りに満ち...
…………………………
………………
……
地下牢は陰惨きわまった。
暗さと猛烈な悪臭の中で、生き物のうごめく気配とうめき声...
手燭の明かりを侍女に持たせて、アンリエッタ達はその中を...
銃士隊員たちは、マザリーニを囲むと見せて、巧妙に領主を...
アンリエッタは火に照らされる囚人たちの、「人」から変わ...
地下牢はもとより快適な場所ではないが、この牢は、まさし...
牢ごとの明かり窓さえなく、牢の外の通路に光がさしこまな...
床は糞尿と腐った血でぬるぬるし、うじが囚人の体から離れ...
(ひどい……)
アニエスが、顔の前をびっしりと飛びまわる蝿を手で追いな...
「ここの牢はつねに満杯のようですね。あそこの牢なんか、死...
マザリーニがひょうひょうと答える。
「老人だからな。拷問されるのもごめんこうむるよ。あの壁の...
しかし、よくここまで地獄を体現する牢を作れたものだ、最...
「……マザリーニ」
「何です? 陛下」
「あなたは、このような光景をみてもなお、この領主を即刻処...
王都に戻り、詳細に調べ上げ、警備隊をつかわし、司直の裁...
この男の邪悪な支配はそれだけ長らえ、ここの囚人たちはそ...
それでもまだ、急ぐべきではなかったと言うのですか」
マザリーニは奇妙な笑みを浮かべている領主を冷たい目で見...
「陛下、この男が通常より残忍であることは、今となっては疑...
ですが、このような自ら御身を危地に入れるようなことが、...
そのとき、笑い声が響いた。
明るく、心底おかしげに。
領主は腹をかかえて体を折り、笑っていた。そして、彼は笑...
「陛下、陛下、まったくこれはひどい。わたしはあなたの忠実...
王権に対し反逆の意思はありません。そのわたしに対し、あ...
この晩、わたしは杖さえ持たないまま御前にまかりこしたの...
「王権に対し反逆の意思がない?」
アンリエッタは冷ややかに領主に答えた。
「王の良民を守らずして、何が王への忠誠ですか? あなたに...
「良民! 良民!」
ほとんど爆笑の勢いで、領主は叫んだ。
「こいつらは金を返さない債務者であり、わたしは領主として...
最低限の利率にもかかわらず返せない者たちです。ほかの債...
くず共ですよ、こいつらは。そして自らこの運命を選んだの...
疑いならこいつらの書いた証文書を見るといい、『返せなけ...
この牢獄ですか? 陛下、あなたのお嫌いというロマリアの...
「領主の地位を悪用して、武力と裁判権と徴税権をちらつかせ...
アンリエッタは狂笑する領主に、片目の侍女を示した。唐突...
「あなたはこの娘の美しさに惹かれ、この娘の父が作ったほう...
「ええ、彼は私の体を、文字通り切り刻みました」
アンリエッタの冷たい怒りの声にかぶせるように、淡々とし...
「そういう性質なのでしょう。刃物を使うこともあれば、針や...
彼の好む道具には、使いこんだ形跡がありましたから」
領主は笑い声はやんだものの、いまだに笑みの形に顔をゆが...
「陛下、陛下、その娘は気が狂っているのですよ……その無くな...
娘は残った青い目をきらめかせ、微笑を返した。
「そうでもしなければ、あなた私を棄ててくれなかったでしょ...
耐え切れないという表情で、アンリエッタが叫んだ。
「この娘が手足を縛られ、のどをつぶして棄てられていたのも...
全身の傷、背中にまで刻まれた傷跡も、自分自身でつけたも...
わたくしは彼女を治療するときに、すべて見たのですよ。
もしわたくしたち一行がたまたま通りかかって、その中の一...
領主は黙った。笑みのまま。
暗い地下牢の中、侍女の持つ燭台の明かりだけが、ちらちら...
アンリエッタは緊張を悟られまいと、ひそかに息を呑む。
と、領主は、唇をまくれあがらせて吐き捨てた。
「あの愚か者ども、殺して捨てろと命じたのに。直接手をかけ...
どうやら彼らには罰を与える必要がありそうです、これも主...
罪を認めたとみてとって、アンリエッタは静かに宣告した。
「彼らには、女王つまりわたくしと国家の名において、罪に見...
「陛下、そうお思いですか? この日あなたを出迎えたとき、...
何の準備もしないと思っていたのですか?
いいえ、あなたがわたしを小ざかしく問い詰める意図は丸見...
領主は私兵をかかえるものです。彼らは集まり、もうここに...
その言葉に合わせて、地上から銃声がひびいた。
マザリーニがはっと顔をあげた。
アニエスが大して慌てる様子もなく言う。
「銃士隊、および水精霊騎士隊が完全武装で警戒している。ま...
「本気で言っているのか、そこの女? 魔法の使えぬ女どもと...
領主の嘲笑に、誰も答えなかった。
ガンダールヴの存在まで説明してやることはない。
かわりに、アンリエッタはもう一度宣告した。
「おとなしく罪に服しなさい。明白な反逆に移った時点で、あ...
領主は肩をすくめた。
「ええ、陛下にはしてやられましたよ。
本来なら、わたし自身があの兵どもを統率しているはずだっ...
しかし、つい先ほどマザリーニ卿にうながされ、御前に出る...
突然で、迅速な動きだった。
領主は自分に突きつけられた銃士隊の三人の剣のうち、一本...
その銃士隊員を蹴倒し、背後から突きこまれた二本の剣を払っ...
そのまま女王に向けて突進する。
アニエスが無造作にその前に、剣をぬいて立ちはだかった。...
二条の剣閃が走った。
領主の突きはアニエスの胸甲の上をすべり、アニエスの剣は...
「なるほど、貴様は変わったやつだ。貴族でありながら剣も使...
だが、鎧を着ていないものばかり相手にしてきたようだな?
陛下を人質にしようとしたのだろうが・・・玉体に手をかけ...
アニエスの言葉に、領主は首を貫かれたままごぼごぼと血で...
アンリエッタはその光景を見ていた。
(王は役者、王は道化・・・)
心を、できるかぎり冷たく保つ。
最後まで、怯まぬ女王を演じきらなければならなかった。
アニエスの剣が首から抜かれ、かつて彼女の臣下だった領主...
アンリエッタは黒いドレスの裾をつまんで一礼した。
…………………………
………………
……
(……ようやく終わった)
嵐が止んでいる地上にもどり、灯火に照らされた城の庭に出...
あの牢獄の陰々たる空気を、肺腑から追い出すように。
かすかに血と牢獄の臭いのする黒いドレスを、一刻も早く脱...
けれども、この夜にはまだやることがあった。報告を受けね...
目の前にギーシュと才人が駆け寄ってくる。
どちらも服や髪がボロボロになっていたが、大怪我はなさそ...
「やりましたよ! 連中は大挙してやってきましたが、追い返...
「ギーシュてめえ、メイジを半分くらい俺一人にまわしやがっ...
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人をあわててなだめ、治癒魔法をかけ...
火傷を治療してもらいながら、才人がアンリエッタに聞いた。
「終わったんですよね? 姫さま、今度からちょっと危ないこ...
(マザリーニと同じことを言うのね)
なぜかおかしくなり、アンリエッタは軽やかに笑った。
「こう見えてもわたくしは昔、なかなかおてんばだったのです...
「……アンリエッタ様」
静かな声で呼ばれた。アンリエッタは振り向いた。あの片目...
「あ……ええ、これで全て終わりましたわ。あなた……これからど...
アンリエッタは侍女の前に歩み寄り、抱いていた心配を疑問...
「あなたさえ良ければ、わたくしの王宮で仕え――」
「アンリエッタ様、お手を」
女王の言葉をさえぎって、侍女はそう言った。
「あなた……?」
「お手の手入れをあと少し。終わっていませんもの」
侍女の唐突な要求にとまどいながらも、アンリエッタは言わ...
侍女は棒ヤスリを取り出すと、丁寧にその爪をといで短くし...
そして、片目を伏せたまま、「話さなかったことがもう少し...
「私の父は腕の良い金銀細工師でした。
お金についてはだらしなく、借金がほうぼうにありましたが...
ですから、借金の取り立ても、決してひどくはありませんで...
遅れてはいましたが、父は返していましたし、細工の注文が...
でも、ある日それが一変しました」
侍女は顔を上げずに、爪をみがきながらしゃべり続ける。ア...
「父は近衛兵団の杖の、銀の鎖飾りの一部を、大きな工房から...
でもある日、新しく王位についた方が、『華美な悪弊』とし...
落雷を受けたような衝撃を感じ、アンリエッタは凍りついた。
(近衛兵団の杖の、銀の鎖飾り? それは……それは……高等法院長...
「それで父は当座の仕事のめどを失いました。
債権者は、父にこれまでのようには金が入ってこないかもし...
そしてある日、私に目をつけたあの領主が、父を見放した債...
訴える? 借金したのは間違いないことで、裁くのは土地の...
連れて行かれたくなければ、期日までに金を返すしかありま...
領主の上にいるはずの王様は何をしているのだろう、とも思...
アンリエッタは凍りついたまま、侍女を見ていた。思考も舌...
侍女の灰色の服、その袖から見える素肌には、いくつもの傷...
「……王軍で補給担当の部隊の兵になっていた兄は、それを知る...
そのときはすでにアルビオンとの戦になっていました。兄は...
平時ならねえ。平時なら、補給物資を売りさばいたくらいで...
顔を上げないまま、侍女は肩をふるわせた。泣いているのか...
「アンリエッタ様、アンリエッタ様、あなたのお手手はとても...
華奢で細い指、傷の無い白い肌、爪だって完璧な形。
私みたいに全身が傷だらけじゃないです」
侍女は一つだけ残った青い青い目を上げて、アンリエッタの...
手入れしていた彼女の指を口にふくみ、舌をはわせて、まだ...
ぷちりぷちりと爪を噛み切っていく。
「私にも恋人がいました……あなたのウェールズ王子ほどハンサ...
彼の爪が伸びてくると、よくこの糸切り歯で爪を噛み切って...
彼も兵士として、あの戦に行っていましたよ……でも、連絡が...
兄が金を作れず、父が牢の中で死んで、私はあの男にさいな...
この館に出入りする商人にようやく接触し、彼の消息を聞き...
彼は戦死したんですって。本当におかしい話、私は死ぬに死...
アンリエッタはがたがたと震えていた。
(『あなたとわたくしはどこがが似ている気さえ……』わたくしは...
先ほど、地下牢で領主と相対していたときには、女王として...
なのに、青い目の前で、今の彼女は、ただの黒いドレスを着...
そのとき横から――飛びかかる勢いで――アニエスが侍女を押し...
「申し訳ありません、陛下! でも……このヤスリは先が尖って...
「………………ぁ……」
アンリエッタは口に両手を当てて、我知らずあとずさった。
アニエスに組み伏せられた侍女は首をねじまげ、青く深い瞳...
「アンリエッタ様、あなたはご自分と私は同じだと言ってくだ...
それなら、なぜ私が恋人のため、父と兄と自分のために復讐...
『私と同じ』あなたは復讐することができたのに。私にはわ...
アニエスが怒鳴った。
「おまえの、全ての不幸が陛下のせいか!? あの戦はアルビオ...
少女は青い、青い、青い一つきりの瞳で、地面からただアン...
「先に……でも、その後の、私の恋人と兄を奪った大遠征は? ...
トリステインの白い百合の紋章の下で、オリヴァー・クロム...
アンリエッタ様の復讐のために戦場に行ったと、アンリエッ...
…………………………
………………
……
「死んだ領主の罪を公表します。財産は国家が差し押さえます...
死者に鞭打つほどに苛烈に行いましょう。国内の諸侯たちも...
マザリーニの事務的な言葉に、返事は返ってこなかった。
枢機卿はアニエス、そして才人と顔を見合わせ、三人して深...
彼は、主君に声をかけた。
「陛下、それ以上飲むのはおよしなさい」
やはり返事は無い。
「陛下。どうしようもないのですよ、どんな施政も万人を幸福...
かならず、どこかでしわ寄せがくるのです。彼女はあなたの...
多くの民は、あなたを慕っていますよ」
「うそです」
弱弱しい声。アンリエッタは、椅子に腰かけてワイングラス...
目に光はなく、グラスをつかむ手に力はなかった。
素肌に薄手の、淡いピンクの夜着をはおっただけのしどけな...
「枢機卿、あなたは正しい、あなたの言うとおりでした……わた...
「陛下! ……このようなことは決して言いたくありませんが、...
自分の感情に振り回されてはなりません!」
「マザリーニ、出て行って、おねがい。今は……」
マザリーニは悲しげに息を吐き、そして背を向けた。
出がけに、アニエスと才人に目配せしていく。
アニエスが、気が重そうに口を開いた。
「陛下、あの少女のことですが……彼女は、なかば気が触れてい...
そういう名目で、修道院に入れることにしました。院の外へ...
びくりとアンリエッタが震えた。それから、か細い声で訊く。
「……それは……幽閉ではありませんか」
「いかにも。ほかにどうします? 古来より、王の玉体を傷つ...
「だめ。絶対にだめ」
ほとんどすすり泣くような声で、アンリエッタは拒否した。
「彼女はわたくしの体をなにも傷つけていない、ただ爪を噛ん...
心は痛んでいるでしょう? と問うような目でアニエスは主...
「……彼女自身が復讐の意思をはっきりと口にしましたよ。それ...
どちらにしても、これ以外に彼女が死罪に問われず生きる道...
狂人の支離滅裂な行動であったということにすれば救えるの...
……彼女が本当に狂っていたのかそうでないのか、わたしにも...
虚脱したような女王を痛ましげに見やり、アニエスは黙って...
そして、『任せるぞ』とばかりに才人の肩をぽんと叩いて退...
その女傑の後姿を見送ってから、才人は最後に取り残された...
濁った目でどこかを見つめながら、ちびちびとワインをなめ...
「あ……あのさ、姫さま、俺の周りの人たちには平民もけっこう...
どっちかといえば好かれてるんじゃねえかな」
「……ほんとう?」
「本当本当! マジだって! だ、だから元気出してください...
「それは、きっとその方たちが、わたくしのために誰か大切な...
アンリエッタは机にぶつかるほどに頭を垂れた。
衝撃が深すぎて、悔恨の涙さえ出てこない。
(わたくしは愚か者、自分のために死んだ者が何人もいると、ち...
震える手でボトルのワインをグラスにそそぐ。
目の前で才人が何か言っている声が、水の中のようにくぐも...
グラスをふと見つめる。グラスになみなみと注がれた赤いワ...
「う――ええぇぇっ!」
突如として吐き気がこみあげ、アンリエッタは口を押さえて...
気がつくと、少年に抱え上げられていた。
そのままベッドに横たえられ、寝具をかぶせられる。
「寝ろよ! いいから、もう寝ちまえよ。一晩寝れば、きっと...
怒ったような才人の声。涙でぼやけた目で、彼の顔を見上げ...
自分を心配してくれていることが、なぜかはっきりわかった。
「眠れません……」
弱々しく首をふる。
「だって目をつぶると、青い瞳が見えるのです……」
罪を責める声も聞こえる。
『トリステインの白い百合の紋章の下で……』と。
ふと、唇を重ねられた。
少年が離れたあと、彼をぼんやりと見上げる。
才人は顔を赤らめて、アンリエッタの手をにぎっていた。
「……それは、ルイズにするような?」
「……あいつ、キスして触れててやればよく眠れるから」
少女はほんのかすかに、嗚咽を漏らした。少年の手を握りか...
「おねがい、もう一度してくださいまし。言われたように眠り...
才人は言われたとおりに唇を重ねた。
アンリエッタが彼の手をにぎりしめたまま眠ったあと、彼は...
「あー……俺ルイズいるのにな……なんかヤベエ」
『ホントにな。いいのか?』
「うわデルフ、いきなりしゃべるなよ! ほっとけないんだよ...
秋の夜、静寂が満ちる嵐の後。
白百合の紋の国、白い寝台の上、
赤い罪悪感にまみれて、
白い女王は眠る。
終了行:
63 名前: 白い百合の下で [sage] 投稿日: 2007/09/03(月) 0...
秋の嵐吹き荒れる夕方だった。
馬車から降りてすぐ、アンリエッタは丁重な礼を受けること...
その領主は、強まる雨風の中で立って、自らの領地への急な...
アンリエッタの馬車に同乗していたマザリーニが、まず彼に...
彼女もむろん、じゅうぶんに礼儀正しい言葉を述べた。
その三十代前半ほどの、刈りこんだあごひげを持つ若い領主...
じゅうぶんにハンサムと言えるだろう。
アンリエッタは彼をじっと見つめた。
白いドレスを着た女王といつもの黒衣の宰相が、この地の領...
雨をふせぐフードつきの外套をはおった才人が、同じ格好の...
ギーシュが無言でうなずいた。水精霊騎士隊の隊長と副隊長...
それはほかの者にも共通している。
領主は微笑をうかべつつ、嵐に負けないように声をはりあげ...
「是非ともわが館においでください、陛下。いえ、なにぶん急...
しかし、この嵐を避けるにじゅうぶんな屋根と乾いたベッド...
陛下の御身のまわりを世話させていただく侍女や召使たちに...
「あなたの善意をありがたく受けましょう。感謝します」
アンリエッタはそう言ってから、首をふった。
「しかし侍女なら一人、同行しておりますわ」
領主は破顔した。
「これは失礼しました。もちろん、かかる至尊の御身におかれ...
その言葉が途中で止まった。アンリエッタが馬車から降りて...
華奢な体つきのその侍女は、顔を完全に覆う仮面をつけてい...
その異様な光景に気を呑まれたのか、領主は立ち尽くしてい...
「彼女は疲れています。彼女のためにも、あなたの館で休息を...
「あ……ええ、もちろん……」
「何はともあれ、はやく貴殿の館の中に案内してくれないか?...
あぜんとしている領主にそううながしたのは、銃士隊隊長の...
…………………………
………………
……
中小の貴族としてはかなり富裕なほうであるらしき領主の、...
かごに山と盛られた白いパン。バターで焼いた鱒に溶けたチ...
野ウサギの骨を煮詰めてとったスープに、キャベツと玉葱と...
生食用のハーブは太った鶏の丸焼きにたっぷり添えてある。
数種のパイの具は牛肉や果物。
しかし、煉瓦造りの大きな食堂に通された客たちは、けっし...
食前の祈りが済むと、めいめいが黙々と食事をとる。
まだ嵐にさらされてでもいるかのように、領主が朗々と大き...
「突然の陛下のご来臨をたまわり、わが家にとってこれ以上の...
このたびの陛下の国土巡幸におかれては、近隣の領主らが宿...
残念ながらわが領地を通る予定はなかったように記憶していま...
アンリエッタがなにか言う前にマザリーニが、鶏の脂に汚れ...
「そのようなものですな。通るはずだった道は、泥でぬかるん...
馬車の轍がぬかるみにはまって動けなくなっても問題ですか...
このときアンリエッタはマザリーニをにらみ、つぶやいた。
「枢機卿は、慎重に過ぎますよ」
女王の険のある声を、宰相はさらに冷厳としてはねつけた。
「『天国へ行く方法は、地獄への道を避けること』ですよ。回...
女王と宰相のとげとげしい雰囲気を和らげようとてか、領主...
「宰相閣下の今のお言葉は、ロマリアの思想家のものですね?...
女王は儀礼上の笑みを浮かべたが、機嫌の悪さが透けて見え...
「わたくしは好きませんわ、あの思想家。言うことがあまりに…...
今度はマザリーニが口をはさむ。
「わたしも感性的には決して好きではありませんよ。しかし、...
二人の応酬を見て、処置なしとみてか領主は沈黙する。その...
食卓の上座のほうで繰り広げられているぴりぴりした会話に...
才人とギーシュはぽそぽそと囁きあっていた。
(おいギーシュ、姫さまと宰相さまはなんの喧嘩をしてるんだ?)
(ぼくにきかないでくれ。ああいう上流な方々の喧嘩は苦手なん...
(おまえ貴族のいいとこ出だろ!)
(そんなことより、君、あの怪我をした侍女の姿が見えないな)
(姫さまが、自分に割りあてられた部屋で休ませてるよ。銃士隊...
(……そうか。なあサイト、嫌な気分になってこないか?)
(ずっとしてるよ、吐き気を感じるほどな)
「ところで、お訊きしてよろしいでしょうか?」
宰相との舌戦をひとまずおいてか、アンリエッタが領主に顔...
領主は顔をあげ、たちまち笑みを浮かべて「なんなりと」と...
ただしその笑顔には、薄く緊張がたゆたっていた。
「近隣の領地の諸侯たちにも聞きましたが、あなたはずいぶん...
「革新的? 陛下はお優しい、近隣の領主どもならばわたしに...
『貴族とも思えない金回しの芸当をする』くらいのことは言...
いかにも、わたしは好意をもたれていません。彼らの基準か...
剣を使うなど平民の業にも手を染める……その貴族とも思えない...
「なるほど。見たところ、羽振りがよくていらっしゃる。この...
「ああ、『清貧』をこころがける陛下には、お気にさわりまし...
近隣の領主どもがわたしについて何をいおうと、それはやっ...
わたしは困った平民に金を貸しているのです。
前年が凶作のため次の年の作物苗が買えないという農民や、...
そして、わたしは決して法外な利子をとっておりません。無...
ところで、ワインはいかがしますか?」
…………………………
………………
……
晩餐の後である。
アンリエッタはアニエスとギーシュを物陰に読んだ。顔をひ...
隊長の二人に対し、声をひそめて告げる。
「アニエス、銃士隊は前もっていいふくめたとおりに。ギーシ...
ギーシュはがちがちに緊張して頭を下げ、アニエスはいつも...
「マザリーニ殿はいまだ反対なのですか?」
アンリエッタは首をふり、苦笑気味に答えた。
「枢機卿はわたくしの父のようなもの。たしかに今日はずっと...
厳父は娘に説教するものですし、彼の言うことは政治家として...
わたくしたちの意見は、そもそも根本から対立しているわけ...
ことここに至っては、彼も協力してくれるでしょう」
二人が退出しようとすると、アンリエッタは思い出したよう...
「それと、サイト殿を呼んできていただけませんか?」
急に呼ばれていぶかしげな顔をする才人に、アンリエッタは...
なるほどとうなずいた彼に、信頼の目を向ける。
「『ガンダールヴ』には、水精霊騎士隊をよろしくお願いした...
守ることにかけては、あなたがいればまさに百人力と信じて...
「はは……いや、買いかぶりっすよ。正直ルイズの虚無がないと...
「すみません、無理を言ってこのようなことにつき合わせて。...
いやあいつ今は一人で勝手に帰省してますし別にーなどと言...
かつて自分も、彼にうっすらと惹かれていたときがある。自...
それは親友のためにも喜ばしいことだったが、こうして顔を...
アンリエッタは未練を断つように小さく首をふると、微笑し...
…………………………
………………
……
アンリエッタは割り当てられた寝室に入った。天蓋でおおわ...
先に部屋にいて、ベッドに腰かけていた仮面の侍女は、あわ...
そっと顔を覆う仮面を外す。
髪は漆黒、瞳は青。美しい少女だった。
トリステインの花と呼ばれるアンリエッタと並べても、おさ...
ただ、その右目をふくむ顔の三分の一は……仮面の下でさらに...
「そう慌てないで、ゆっくり動いて。あなたはまだ傷ついてい...
「でも……昨日からこんな、女王陛下にあまりにおそれ多いばか...
「わたくしを見なさい。ね、ただの少女でしょう? あなたと...
「同じ? 私とアンリエッタ陛下が?」
侍女はとまどう表情になった。
「いいえ、同じじゃないです」
「同じです」
アンリエッタは侍女を抱きしめた。
昨夜は彼女を治療し、彼女の話を聞き、彼女のために泣いた...
アンリエッタは、貴種らしく他人の気持ちにやや鈍いところ...
(マザリーニ、あなたは『王は民への憐れみを忘れてはなりませ...
このとき、アンリエッタは普段なら決して話さないことを話...
「不思議に、あなたとわたくしはどこかが似ている気さえする...
よろしければ、わたくしの話も聞いてください」
そしてアンリエッタは告白した。幼き日のウェールズとの恋...
かつての連合軍がアルビオンを攻めた戦は、自分の復讐心か...
「何人も死にました……悔やまなかった日はありません。わかっ...
あなたも、必要以上に壁をつくらないでくださいな」
アンリエッタが話し終わったとき、その侍女は呆然と青い片...
ややあって、その侍女はごくりと固唾をのんだ。
「アンリエッタ様……あの……あの、昨夜話していないこともある...
私の兄は兵士でした。
アルビオンとの戦の中で、補給部隊で物資を管理する役目で...
だから私は、国家に対する犯罪者の身内でもあるのです」
「……そうだったのですか。でもそれは、あなたの兄上のことで...
美しい侍女は、黙って同年代の女王を見つめた。それから、...
「あの……アンリエッタ様、本当に慈悲深い言葉を……」
アンリエッタは困ってそっと手をにぎった。かたくなに心を...
「そうね、わたくしも唐突すぎました。あなたが落ち着くのを...
でも、あなたはわたくしの侍女になったのですから、着替え...
「は、はい喜んで……あの、よければお手の世話も。爪をとぐこ...
マザリーニが、領主をともなって訪れたとき、アンリエッタ...
下半身はふわりとしたスカートに同じく黒い靴。上半身はぴ...
領主がドアの外から大声で、アンリエッタに来訪を告げたと...
片目の侍女は差し出された手をおしいただき、棒ヤスリで慎...
来訪をうけてベッドから立ち上がりはしたものの、手をのべ...
かすかに震えを体に走らせた侍女に、安心させるようにささ...
「だいじょうぶです。あなたは爪とぎに専念していてください...
領主が、アンリエッタの出した入室許可に応じてドアを開け...
領主に続いたマザリーニは、アンリエッタの服をちらと見て...
「一見、簡素でありながら上質な服ですな」
一瞬のこわばりから解けたらしく、マザリーニに追随するよ...
「いや、何よりも陛下がお美しい。つねはトリステインの紋章...
アンリエッタは上品に一礼した。
「ありがとうございます」
「しかし両者が合うかとなるとまた別ですな。同じデザインな...
いきなりの枢機卿の駄目だしに、領主がぎょっとしたように...
「……ええ、前にも言われましたわね。黒は合わない、と。
しかし枢機卿、わたくしはわたくしなりに思うところはある...
わたくしに求められているのは、自分の考えであれ他人の考...
黒はたぶん、今夜にふさわしいと思います」
「今宵、あなたが演じようとしているのは道化の役ですよ。自...
マザリーニは苛々をこめて言った。
領主がそっと彼の黒衣の袖を引っ張っているのは、「もうお...
アンリエッタは一心に爪をみがく侍女を一瞬だけ見てから、...
「枢機卿、あなたはわたくしをあくまで愚弄するおつもりです...
王の威を傷つけることは、立派な罪ですよ」
「王権の尊さについて、陛下は真に理解してさえいらっしゃり...
あなたは、いつまで子供でいるつもりなのですか?」
切り返すマザリーニの冷たい言葉を、アンリエッタはそれま...
(さあ、ここからだ)
「もう分からず屋と話すつもりはありません。じゅうぶんです。
牢で頭を冷やしなさい。
この館に地下牢はありますか?」
その問いかけは、領主に向けて発されたものだった。
若い富裕な領主は、驚愕に目を見開いた。
「い……いけません、陛下……仮にもマザリーニ様のような国家の...
「わたくしはそのようなことの確認を求めたのですか? 地下...
アンリエッタの鋭い呼び声からほとんど間をおかず、銃士隊...
明らかに、前もって用意していた。
沈黙するマザリーニの前に立ちふさがるようにして、領主は...
「お待ちください、これはこのような高貴な方を遇する道では...
マザリーニ様にたのまれて、わたしは陛下とマザリーニ様の...
正式な逮捕状もない、これは法にのっとっていません……せめ...
「あなたも王権に逆らうのですか? マザリーニ、あなたは地...
アンリエッタの確認に、宰相は肩をすくめてみせた。
「まあ、陛下がそれを望まれるなら、わたしとしてはこの我が...
あっさりとあきらめた宰相を、領主は信じがたいものを見る...
アニエスに従ってきた銃士隊員たちが、めいめいの剣を抜き...
主君のそばに控えたアニエスが、声を領主にかけた。
「早く案内してくれないか? それとも……地下牢を見せたくな...
侍女がこのとき、顔をあげて震える声ではっきりと告げた。
「地下牢の場所なら、私が知っています」
ハンサムな領主の呆けたような表情に、ゆっくりと状況に対...
そして、変わって笑みが広がっていった。残忍な怒りに満ち...
…………………………
………………
……
地下牢は陰惨きわまった。
暗さと猛烈な悪臭の中で、生き物のうごめく気配とうめき声...
手燭の明かりを侍女に持たせて、アンリエッタ達はその中を...
銃士隊員たちは、マザリーニを囲むと見せて、巧妙に領主を...
アンリエッタは火に照らされる囚人たちの、「人」から変わ...
地下牢はもとより快適な場所ではないが、この牢は、まさし...
牢ごとの明かり窓さえなく、牢の外の通路に光がさしこまな...
床は糞尿と腐った血でぬるぬるし、うじが囚人の体から離れ...
(ひどい……)
アニエスが、顔の前をびっしりと飛びまわる蝿を手で追いな...
「ここの牢はつねに満杯のようですね。あそこの牢なんか、死...
マザリーニがひょうひょうと答える。
「老人だからな。拷問されるのもごめんこうむるよ。あの壁の...
しかし、よくここまで地獄を体現する牢を作れたものだ、最...
「……マザリーニ」
「何です? 陛下」
「あなたは、このような光景をみてもなお、この領主を即刻処...
王都に戻り、詳細に調べ上げ、警備隊をつかわし、司直の裁...
この男の邪悪な支配はそれだけ長らえ、ここの囚人たちはそ...
それでもまだ、急ぐべきではなかったと言うのですか」
マザリーニは奇妙な笑みを浮かべている領主を冷たい目で見...
「陛下、この男が通常より残忍であることは、今となっては疑...
ですが、このような自ら御身を危地に入れるようなことが、...
そのとき、笑い声が響いた。
明るく、心底おかしげに。
領主は腹をかかえて体を折り、笑っていた。そして、彼は笑...
「陛下、陛下、まったくこれはひどい。わたしはあなたの忠実...
王権に対し反逆の意思はありません。そのわたしに対し、あ...
この晩、わたしは杖さえ持たないまま御前にまかりこしたの...
「王権に対し反逆の意思がない?」
アンリエッタは冷ややかに領主に答えた。
「王の良民を守らずして、何が王への忠誠ですか? あなたに...
「良民! 良民!」
ほとんど爆笑の勢いで、領主は叫んだ。
「こいつらは金を返さない債務者であり、わたしは領主として...
最低限の利率にもかかわらず返せない者たちです。ほかの債...
くず共ですよ、こいつらは。そして自らこの運命を選んだの...
疑いならこいつらの書いた証文書を見るといい、『返せなけ...
この牢獄ですか? 陛下、あなたのお嫌いというロマリアの...
「領主の地位を悪用して、武力と裁判権と徴税権をちらつかせ...
アンリエッタは狂笑する領主に、片目の侍女を示した。唐突...
「あなたはこの娘の美しさに惹かれ、この娘の父が作ったほう...
「ええ、彼は私の体を、文字通り切り刻みました」
アンリエッタの冷たい怒りの声にかぶせるように、淡々とし...
「そういう性質なのでしょう。刃物を使うこともあれば、針や...
彼の好む道具には、使いこんだ形跡がありましたから」
領主は笑い声はやんだものの、いまだに笑みの形に顔をゆが...
「陛下、陛下、その娘は気が狂っているのですよ……その無くな...
娘は残った青い目をきらめかせ、微笑を返した。
「そうでもしなければ、あなた私を棄ててくれなかったでしょ...
耐え切れないという表情で、アンリエッタが叫んだ。
「この娘が手足を縛られ、のどをつぶして棄てられていたのも...
全身の傷、背中にまで刻まれた傷跡も、自分自身でつけたも...
わたくしは彼女を治療するときに、すべて見たのですよ。
もしわたくしたち一行がたまたま通りかかって、その中の一...
領主は黙った。笑みのまま。
暗い地下牢の中、侍女の持つ燭台の明かりだけが、ちらちら...
アンリエッタは緊張を悟られまいと、ひそかに息を呑む。
と、領主は、唇をまくれあがらせて吐き捨てた。
「あの愚か者ども、殺して捨てろと命じたのに。直接手をかけ...
どうやら彼らには罰を与える必要がありそうです、これも主...
罪を認めたとみてとって、アンリエッタは静かに宣告した。
「彼らには、女王つまりわたくしと国家の名において、罪に見...
「陛下、そうお思いですか? この日あなたを出迎えたとき、...
何の準備もしないと思っていたのですか?
いいえ、あなたがわたしを小ざかしく問い詰める意図は丸見...
領主は私兵をかかえるものです。彼らは集まり、もうここに...
その言葉に合わせて、地上から銃声がひびいた。
マザリーニがはっと顔をあげた。
アニエスが大して慌てる様子もなく言う。
「銃士隊、および水精霊騎士隊が完全武装で警戒している。ま...
「本気で言っているのか、そこの女? 魔法の使えぬ女どもと...
領主の嘲笑に、誰も答えなかった。
ガンダールヴの存在まで説明してやることはない。
かわりに、アンリエッタはもう一度宣告した。
「おとなしく罪に服しなさい。明白な反逆に移った時点で、あ...
領主は肩をすくめた。
「ええ、陛下にはしてやられましたよ。
本来なら、わたし自身があの兵どもを統率しているはずだっ...
しかし、つい先ほどマザリーニ卿にうながされ、御前に出る...
突然で、迅速な動きだった。
領主は自分に突きつけられた銃士隊の三人の剣のうち、一本...
その銃士隊員を蹴倒し、背後から突きこまれた二本の剣を払っ...
そのまま女王に向けて突進する。
アニエスが無造作にその前に、剣をぬいて立ちはだかった。...
二条の剣閃が走った。
領主の突きはアニエスの胸甲の上をすべり、アニエスの剣は...
「なるほど、貴様は変わったやつだ。貴族でありながら剣も使...
だが、鎧を着ていないものばかり相手にしてきたようだな?
陛下を人質にしようとしたのだろうが・・・玉体に手をかけ...
アニエスの言葉に、領主は首を貫かれたままごぼごぼと血で...
アンリエッタはその光景を見ていた。
(王は役者、王は道化・・・)
心を、できるかぎり冷たく保つ。
最後まで、怯まぬ女王を演じきらなければならなかった。
アニエスの剣が首から抜かれ、かつて彼女の臣下だった領主...
アンリエッタは黒いドレスの裾をつまんで一礼した。
…………………………
………………
……
(……ようやく終わった)
嵐が止んでいる地上にもどり、灯火に照らされた城の庭に出...
あの牢獄の陰々たる空気を、肺腑から追い出すように。
かすかに血と牢獄の臭いのする黒いドレスを、一刻も早く脱...
けれども、この夜にはまだやることがあった。報告を受けね...
目の前にギーシュと才人が駆け寄ってくる。
どちらも服や髪がボロボロになっていたが、大怪我はなさそ...
「やりましたよ! 連中は大挙してやってきましたが、追い返...
「ギーシュてめえ、メイジを半分くらい俺一人にまわしやがっ...
ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人をあわててなだめ、治癒魔法をかけ...
火傷を治療してもらいながら、才人がアンリエッタに聞いた。
「終わったんですよね? 姫さま、今度からちょっと危ないこ...
(マザリーニと同じことを言うのね)
なぜかおかしくなり、アンリエッタは軽やかに笑った。
「こう見えてもわたくしは昔、なかなかおてんばだったのです...
「……アンリエッタ様」
静かな声で呼ばれた。アンリエッタは振り向いた。あの片目...
「あ……ええ、これで全て終わりましたわ。あなた……これからど...
アンリエッタは侍女の前に歩み寄り、抱いていた心配を疑問...
「あなたさえ良ければ、わたくしの王宮で仕え――」
「アンリエッタ様、お手を」
女王の言葉をさえぎって、侍女はそう言った。
「あなた……?」
「お手の手入れをあと少し。終わっていませんもの」
侍女の唐突な要求にとまどいながらも、アンリエッタは言わ...
侍女は棒ヤスリを取り出すと、丁寧にその爪をといで短くし...
そして、片目を伏せたまま、「話さなかったことがもう少し...
「私の父は腕の良い金銀細工師でした。
お金についてはだらしなく、借金がほうぼうにありましたが...
ですから、借金の取り立ても、決してひどくはありませんで...
遅れてはいましたが、父は返していましたし、細工の注文が...
でも、ある日それが一変しました」
侍女は顔を上げずに、爪をみがきながらしゃべり続ける。ア...
「父は近衛兵団の杖の、銀の鎖飾りの一部を、大きな工房から...
でもある日、新しく王位についた方が、『華美な悪弊』とし...
落雷を受けたような衝撃を感じ、アンリエッタは凍りついた。
(近衛兵団の杖の、銀の鎖飾り? それは……それは……高等法院長...
「それで父は当座の仕事のめどを失いました。
債権者は、父にこれまでのようには金が入ってこないかもし...
そしてある日、私に目をつけたあの領主が、父を見放した債...
訴える? 借金したのは間違いないことで、裁くのは土地の...
連れて行かれたくなければ、期日までに金を返すしかありま...
領主の上にいるはずの王様は何をしているのだろう、とも思...
アンリエッタは凍りついたまま、侍女を見ていた。思考も舌...
侍女の灰色の服、その袖から見える素肌には、いくつもの傷...
「……王軍で補給担当の部隊の兵になっていた兄は、それを知る...
そのときはすでにアルビオンとの戦になっていました。兄は...
平時ならねえ。平時なら、補給物資を売りさばいたくらいで...
顔を上げないまま、侍女は肩をふるわせた。泣いているのか...
「アンリエッタ様、アンリエッタ様、あなたのお手手はとても...
華奢で細い指、傷の無い白い肌、爪だって完璧な形。
私みたいに全身が傷だらけじゃないです」
侍女は一つだけ残った青い青い目を上げて、アンリエッタの...
手入れしていた彼女の指を口にふくみ、舌をはわせて、まだ...
ぷちりぷちりと爪を噛み切っていく。
「私にも恋人がいました……あなたのウェールズ王子ほどハンサ...
彼の爪が伸びてくると、よくこの糸切り歯で爪を噛み切って...
彼も兵士として、あの戦に行っていましたよ……でも、連絡が...
兄が金を作れず、父が牢の中で死んで、私はあの男にさいな...
この館に出入りする商人にようやく接触し、彼の消息を聞き...
彼は戦死したんですって。本当におかしい話、私は死ぬに死...
アンリエッタはがたがたと震えていた。
(『あなたとわたくしはどこがが似ている気さえ……』わたくしは...
先ほど、地下牢で領主と相対していたときには、女王として...
なのに、青い目の前で、今の彼女は、ただの黒いドレスを着...
そのとき横から――飛びかかる勢いで――アニエスが侍女を押し...
「申し訳ありません、陛下! でも……このヤスリは先が尖って...
「………………ぁ……」
アンリエッタは口に両手を当てて、我知らずあとずさった。
アニエスに組み伏せられた侍女は首をねじまげ、青く深い瞳...
「アンリエッタ様、あなたはご自分と私は同じだと言ってくだ...
それなら、なぜ私が恋人のため、父と兄と自分のために復讐...
『私と同じ』あなたは復讐することができたのに。私にはわ...
アニエスが怒鳴った。
「おまえの、全ての不幸が陛下のせいか!? あの戦はアルビオ...
少女は青い、青い、青い一つきりの瞳で、地面からただアン...
「先に……でも、その後の、私の恋人と兄を奪った大遠征は? ...
トリステインの白い百合の紋章の下で、オリヴァー・クロム...
アンリエッタ様の復讐のために戦場に行ったと、アンリエッ...
…………………………
………………
……
「死んだ領主の罪を公表します。財産は国家が差し押さえます...
死者に鞭打つほどに苛烈に行いましょう。国内の諸侯たちも...
マザリーニの事務的な言葉に、返事は返ってこなかった。
枢機卿はアニエス、そして才人と顔を見合わせ、三人して深...
彼は、主君に声をかけた。
「陛下、それ以上飲むのはおよしなさい」
やはり返事は無い。
「陛下。どうしようもないのですよ、どんな施政も万人を幸福...
かならず、どこかでしわ寄せがくるのです。彼女はあなたの...
多くの民は、あなたを慕っていますよ」
「うそです」
弱弱しい声。アンリエッタは、椅子に腰かけてワイングラス...
目に光はなく、グラスをつかむ手に力はなかった。
素肌に薄手の、淡いピンクの夜着をはおっただけのしどけな...
「枢機卿、あなたは正しい、あなたの言うとおりでした……わた...
「陛下! ……このようなことは決して言いたくありませんが、...
自分の感情に振り回されてはなりません!」
「マザリーニ、出て行って、おねがい。今は……」
マザリーニは悲しげに息を吐き、そして背を向けた。
出がけに、アニエスと才人に目配せしていく。
アニエスが、気が重そうに口を開いた。
「陛下、あの少女のことですが……彼女は、なかば気が触れてい...
そういう名目で、修道院に入れることにしました。院の外へ...
びくりとアンリエッタが震えた。それから、か細い声で訊く。
「……それは……幽閉ではありませんか」
「いかにも。ほかにどうします? 古来より、王の玉体を傷つ...
「だめ。絶対にだめ」
ほとんどすすり泣くような声で、アンリエッタは拒否した。
「彼女はわたくしの体をなにも傷つけていない、ただ爪を噛ん...
心は痛んでいるでしょう? と問うような目でアニエスは主...
「……彼女自身が復讐の意思をはっきりと口にしましたよ。それ...
どちらにしても、これ以外に彼女が死罪に問われず生きる道...
狂人の支離滅裂な行動であったということにすれば救えるの...
……彼女が本当に狂っていたのかそうでないのか、わたしにも...
虚脱したような女王を痛ましげに見やり、アニエスは黙って...
そして、『任せるぞ』とばかりに才人の肩をぽんと叩いて退...
その女傑の後姿を見送ってから、才人は最後に取り残された...
濁った目でどこかを見つめながら、ちびちびとワインをなめ...
「あ……あのさ、姫さま、俺の周りの人たちには平民もけっこう...
どっちかといえば好かれてるんじゃねえかな」
「……ほんとう?」
「本当本当! マジだって! だ、だから元気出してください...
「それは、きっとその方たちが、わたくしのために誰か大切な...
アンリエッタは机にぶつかるほどに頭を垂れた。
衝撃が深すぎて、悔恨の涙さえ出てこない。
(わたくしは愚か者、自分のために死んだ者が何人もいると、ち...
震える手でボトルのワインをグラスにそそぐ。
目の前で才人が何か言っている声が、水の中のようにくぐも...
グラスをふと見つめる。グラスになみなみと注がれた赤いワ...
「う――ええぇぇっ!」
突如として吐き気がこみあげ、アンリエッタは口を押さえて...
気がつくと、少年に抱え上げられていた。
そのままベッドに横たえられ、寝具をかぶせられる。
「寝ろよ! いいから、もう寝ちまえよ。一晩寝れば、きっと...
怒ったような才人の声。涙でぼやけた目で、彼の顔を見上げ...
自分を心配してくれていることが、なぜかはっきりわかった。
「眠れません……」
弱々しく首をふる。
「だって目をつぶると、青い瞳が見えるのです……」
罪を責める声も聞こえる。
『トリステインの白い百合の紋章の下で……』と。
ふと、唇を重ねられた。
少年が離れたあと、彼をぼんやりと見上げる。
才人は顔を赤らめて、アンリエッタの手をにぎっていた。
「……それは、ルイズにするような?」
「……あいつ、キスして触れててやればよく眠れるから」
少女はほんのかすかに、嗚咽を漏らした。少年の手を握りか...
「おねがい、もう一度してくださいまし。言われたように眠り...
才人は言われたとおりに唇を重ねた。
アンリエッタが彼の手をにぎりしめたまま眠ったあと、彼は...
「あー……俺ルイズいるのにな……なんかヤベエ」
『ホントにな。いいのか?』
「うわデルフ、いきなりしゃべるなよ! ほっとけないんだよ...
秋の夜、静寂が満ちる嵐の後。
白百合の紋の国、白い寝台の上、
赤い罪悪感にまみれて、
白い女王は眠る。
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