ゼロの使い魔保管庫
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前 [[11-588]]不幸せな友人たち ティファニア
667 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2007/09/17(月...
長テーブルの向側、上座に座ったアンリエッタが、ナイフに...
不意に手を止めた。どことなく冷めた目つきで、ソースの滴る...
どきりとしながらも笑顔を作って問いかける。
「おや、いかがなさいました、女王様。料理に何か落ち度でも」
「珍しいですね」
抑揚のない声が返ってきた。アンリエッタは肉を皿に戻しな...
にこちらを見つめてくる。
「ベロー伯爵家では、毒入りの料理を客に出すのがしきたりな...
その言葉で、ベロー伯爵は計画の失敗を悟った。予想外のこ...
て声を張る。
「者ども」
そこまで叫んだところで、不意に扉が蹴破られた。部屋の外...
幾人もの人間が中に踏み込んでくる。彼らが身を包む制服は、...
ンリエッタの側近、銃士隊の紋章である。
呆然とするベロー伯爵を、銃士隊の隊員たちが速やかに取り...
眼前で鈍く光る鉄の刃に、ベロー伯爵は小さく息を呑む。
「妙な動きをなさいませぬよう」
警告してきたのは、晩餐が始まってからずっと、アンリエッ...
ス・シュヴァリエ・ド・ミランであった。こちらの生殺与奪を...
鋭い瞳は油断なく光っている。
「そうすれば、もう少しだけ長生きできましょう」
ベロー伯爵は、この後の己の運命を悟った。体から力が抜け...
「な、何が……」
「状況が理解できないご様子ですな」
こちらへの興味を失ったようにワイングラスを傾けているア...
「万一毒に気付かれたときのことを考えて、子飼いの兵をこの...
せていた。こちらを完全に信用しきった無邪気な女王は、護...
きていない。計画が察知された様子もないし、確実に成功す...
はありませんか」
己の考えを見透かされ、ベロー伯爵には返す言葉も浮かばな...
「貴族の権限を狭め、逆に平民の発言権を高めようとする。そ...
らしていたことは当の昔に察知していました。あえて気付か...
何も知らない娘のように無邪気に振舞う女王陛下を見て、『...
る』とあなたが思うようにね」
数日前謁見したときのアンリエッタの姿が、ベロー伯爵の頭...
談事に関して答えてやったとき、感極まったようにこちらの手...
方は、他には一人もおりませんわ」と目に涙を浮かべていた。...
は自分の向かい側に座り、冷めた表情でワイングラスを傾けて...
(この娘のことを、見誤ったというのか)
王位につく前の、何も知らぬ少女の姿と、数日前に謁見した...
目を完全に曇らせていたらしい。完全に、手玉に取られたのだ。
(女狐めが)
心の中で毒づいたところで、もはや何もかも遅い。アンリエ...
うし、銃士の侵入を容易く許しているところを見る限り、屋敷...
さえられているか、殺されてしまっているだろう。自分に全く...
遂げたのだ。
ベロー伯爵はガクリと肩を落とした。完全な敗北である。
そのとき、床を見つめていた視界の隅に、見慣れぬ誰かの足...
を上げると、そこに盆を持った一人の銃士がいた。無言のまま...
ロー伯爵の眼前に置く。
グラスになみなみと注がれたワインの意味するところが分か...
視線を向けると、ワイングラスを片手に持ったアンリエッタが...
668 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2007/09/17(月...
「毒杯です。お飲みなさい」
絶句するベロー伯爵に対し、アンリエッタは静かだが強い口...
「あなたは、常日頃から貴族の誇りや伝統のことを何度も何度...
ば、主君である女王をその手にかけようとしたことの意味は...
る心があるのならば、その毒杯を呷って自ら死を選びなさい...
に刺し貫かれて死にたくはないでしょう」
ベロー伯爵は、全く揺れぬアンリエッタの表情と、自分に突...
助かる道はない。ワイングラスを手に取ると、液面にかすかな...
や、手だけでなく、体全体が。突如として眼前に迫った死に対...
を台無しにしたアンリエッタに対する恨みのためなのかは分か...
(何故だ、何故こんなことになったのだ)
女王の勧める通りに毒入りのワインを呷ることもせず、ベロ...
(何故計画が露見した。何故わたしはこの女狐の能力を見誤っ...
女王を暗殺しようなどと)
「決心がつきませんか」
不意に、アンリエッタが言った。長テーブルの向側を見ると...
「最後の機会です。私自ら、あなたと盃を合わせて差し上げま...
死んでいけるのです。貴族の名誉を重んじるあなたには、最...
ベロー伯爵は目を見開く。急に頭がすっきりしてきた。ワイ...
底から上ってくる震えを、哄笑にして吐き散らした。
「名誉。最上の名誉ですと? あなたと杯を合わせることが?...
ろにし、卑しい平民にすり寄る売国奴め! 貴様は、このわ...
ベロー伯爵は胸元に手を差し入れる。そこには杖と短銃が隠...
ど成功するはずがない。ならば銃を使った方が僅かなりとも女...
瞬でそう判断し、力いっぱい銃把を握って腕を引き抜き、銃口...
かった指に力を込めた。
「意外ですね」
アンリエッタがそう言うのと、周囲の銃士たちがベロー伯爵...
ほぼ同時だった。ベロー伯爵の口から大量の血が溢れ出す。な...
らはどんどん力が抜けて、ついに引き金から離れてしまった。
さらに大量の血が、口から溢れてくる。体の端から急激に体...
けた。支えるものをなくした体が椅子から滑り落ち、意識が闇...
エッタの冷たい声を聞いた。
「平民の知の結晶である銃を手に、平民の磨いた牙である剣を...
を重んじるあなたには、似合わぬ最後になりましたね」
ベロー伯爵は、最後の力を振り絞って銃を放り出そうとする...
銃把は最後まで離れることなく、彼の右手に収まったままだっ...
アンリエッタに対する怨嗟の声を胸の中に響かせながら、ベ...
669 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2007/09/17(月...
数十分後、ベロー伯爵の邸宅の中を、銃士隊の隊員たちが忙...
を連行したり、まだ暗殺者がどこかに潜んでいないか念入りに...
トに危険がないか偵察したり、やることはいくらでもある。幸...
なり大きくなっているため、人手不足ということにはならない...
(と言っても、無謀な作戦だったことに変わりはないが)
先程までベロー伯爵の処刑劇が演じられていた広間の外、大...
吐く。上手くいったから良かったものの、相手がもう少し知恵...
はベロー伯爵ではなくアンリエッタの方だったはずである。
(ひょっとしたら、それでも構わないなどとお考えなのかもし...
近頃すっかり常態と化した感のある、アンリエッタの冷たい...
エスは不意に声をかけられた。
「隊長」
見ると、副官がそばに立っていた。アニエスと同じくうら若...
な銃と剣の使い手である。
「何か」
「はっ。反逆者たちを連行する準備が整いました。また、屋敷...
暗殺者などの影は見当たりません。帰還ルートに関しても、...
「ご苦労。陛下への反逆に加担しようとした不逞の輩だ。連行...
「了解いたしました」
副官は一礼したが、どことなく迷っているような表情で、ほ...
「どうした」
「いえ」
副官は一度そう答えてから、声を落として話し出した。
「ずいぶんと、お変わりになりましたね。女王陛下は」
アニエスはちらりと背後の扉に目をやる。アンリエッタはま...
外にも多数銃士を配置しているので、危険はないはずだ。
「変わられた、か。そう思うのか」
「ええ。冷たくなられた、というか、隙を失くされた、という...
になられましたし、喜ぶべきことなのでしょうが」
この副官は、アニエス同様真面目な性格であり、いつもなら...
などしない。それでもなお無駄口を叩いているのは、それだけ...
惑っているということなのだろう。
「我々は何よりも優先して陛下をお守りする盾であり、敵を排...
について、あれこれと疑問を差し挟むのは感心せんな」
「はっ、申し訳ございません。過ぎたことを申しました」
副官が慌てて居住まいを正す。「が、まあ」とアニエスは言...
「気持ちは分からんでもない。確かに、女王陛下はお変わりに...
るのだろうが」
「王族としての自覚、ですか」
「そうだ。陛下とて、アルビオンとの戦争を始めとする様々な...
家として成長もされようし、国を守る覚悟も自然と身につこ...
アニエスは、副官の肩を軽く叩いて微笑んだ。
「頼もしいことではないか。即位した当初は何も知らぬか弱い...
の自覚を持ち、我々を手足として治世を行う優れた為政者に...
けて戦う甲斐があるというものだろう」
副官は深々と頭を下げた。
「申し訳ございません、任務中だというのに、いらぬことを申...
「気にするな。我々の任務は責任重大だ。迷いを持ったまま行...
「はっ」
副官は一礼して、今度こそ立ち去った。迷いのなくなったそ...
670 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2007/09/17(月...
「国を守る覚悟、王としての自覚、か」
苦笑が漏れた。
「我ながら、心にもないことを言ったものだな」
呟き、アニエスは広間の扉を開いた。途端に、血の臭いが鼻...
扉のすぐそばに控えていた銃士隊員に外に出るよう指示し、人...
「陛下」
未だに長テーブルの椅子に座り、ワイングラスを傾けていた...
「なんですか、アニエス」
グラスの中に目を落としたまま、アンリエッタは興味なさげ...
かりで、部屋の中には血の臭いが強く漂っている。だと言うの...
く見せない。その様子は冷静と言うよりは投げやりと言ったほ...
とした不快感をもたらした。
「撤収の準備が整いました。引き続き、我々が王宮までお守り...
「そう急ぐこともないでしょう。もう少し、ここでゆっくりし...
インを持ってこさせなさい、アニエス」
「陛下、恐れながら申し上げます」
我慢しきれず、アニエスは苦言を呈した。
「どうか、ご自愛ください」
「何の話です?」
「今回の件についてもそうですが、わざわざ陛下の御身を危険...
でもありました」
「あら、特に問題はないでしょう。ベロー伯爵は叛意を抱いて...
かなか尻尾を出さなかった。だから私が愚かな少女の演技を...
彼は計画が露見していることになど全く気付かず、今日を好...
は見ての通りですが」
アンリエッタは口元に薄く微笑みを浮かべた。
「反乱分子の筆頭でもあったベロー伯爵が粛清されたとなれば...
しょう。改革は滞りなく進み、私はますます王としての評価...
る。何か問題がありますか、アニエス」
改革というのは、近頃のアンリエッタが強硬に推し進めてい...
策に関するものである。
魔法を操る貴族が支配権を握り、平民を抑圧している社会。...
るだけで、新たなものを生み出そうとしない社会。数千年前か...
いない原因はそこにあると唱えた女王アンリエッタは、今後は...
ていくと発表。平民出の銃士からなる銃士隊の権限と規模が拡...
要としない技術の研究に、以前とは比べ物にならないほどの資...
そういった平民の台頭を、多くの貴族が快く思わなかったの...
エッタへの不満を唱える輩もおり、トリステイン中に不穏な気...
今回のベロー伯爵の暗殺計画も、そういった風潮の中で持ち...
「それは結果論です、陛下。一歩間違えれば、死んでいたのは...
「そうならないためにあなたたちがいて、実際そうはならなか...
すか、アニエス。私は女王として、常に最善の選択をしてい...
女王として、という部分を、アンリエッタは殊更に強調する...
ることが多い。その理由を、アニエスはよく知っていた。
「……まだ、あの男のことを気に病まれているのですか」
「何のことかしら」
アンリエッタは素っ気なく言って、空になったワイングラス...
「サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガは、陛下の苦悩になど全...
た男です。ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールに関してもそれは...
くございませぬ」
「だから、何のことですか、アニエス。私は彼らのことなど一...
あくまでも、アンリエッタは素っ気ない口調で答える。が、...
ることに、アニエスは気付いていた。気付いていながら、あえ...
「出立の準備をなさってください。王宮までお送りいたします」
アンリエッタは返事をしなかった。
671 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2007/09/17(月...
残った仕事を全て済ませて王宮内の兵舎に戻り、自室の寝台...
けずにいた。アンリエッタの冷めた表情が、いつまで経っても...
(これというのも、全てはサイトたちが逃げ出したのが原因だ)
今はもう遠く離れた地にいるのであろう少年たちに、胸の中...
アンリエッタの変化は、明らかに彼らが東方に旅立ったのが...
には心を惹かれていた様子である。本当ならば、何もかも放り...
だが、ガリアの王位継承問題やゲルマニアの内紛等、刻々と...
そして、そういった難しい問題に直面することとなったアンリ...
ちは旅立った。
彼らが西方を去ったこと自体は、さほど間違った判断ではな...
の問題にしろ、才人たちはそれらに深く関わっていたのだ。西...
大きくなっただろう。
しかし、状況が慌しすぎたせいか、彼らはアンリエッタには...
まった。彼女は根本的に情が豊かな人間である。これでは、自...
うのも無理はない。
(陛下は、女王という立場に留まらざるを得ない自分に嫌気が...
平民の権利拡大を歓迎するような政策も、そういった情の表...
だが、それでも、アンリエッタはまだ決定的に変わってはい...
見捨てられたのだという思い込みのせいで多少自暴自棄にな...
悪する向きがあったのは昔からだ。政策に反対する貴族への対...
をすることがあるが、判断自体は割と冷静である。これが、た...
ない自分に完全に嫌気が差して引きこもってしまうとか、ある...
的な行動に向かっているのならば相当問題である。だが、今の...
が、それを忘れるために我を忘れて仕事に打ち込んでいるよう...
(どちらにしろ感情に振り回されている訳で、王としては致命...
それでも、今はまだ上手くいっている。平民からの支持はむ...
世の流れを読んでアンリエッタの政策に協力する者もいるほど...
エッタの施政は決して悪いものではない。
672 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2007/09/17(月...
だが、それは今だけに限った話である。想い人や友人に見捨...
いつか精神が限界を迎えて、抜け殻のようになってしまう可能...
買っているこの状況でそんなことになってしまったらと考える...
(サイト、お前達は今どこにいる。私では、お前達の代わりに...
アニエスの情報網と言えども、さすがに人類未踏の東方に消...
アンリエッタの心を癒すことが出来る唯一の人間がどこに行...
うがないのだった。
苛立ち紛れにアニエスが寝返りを打ったとき、部屋のドアが...
元に置いてあった剣を取り、警戒しながら入り口の扉に向かう。
「誰か」
問うと、聞き慣れた銃士隊員の声で返事が返ってきた。扉を...
「何だ。こんな時間に扉を叩いたのだ、火急の用なのだろうな」
「は、おそらく、そう思われますが」
銃士隊員は歯切れの悪い声で言いながら、用件を口にする。
「アニエス様の邸宅に客人がいらしたと、侍従の者が伝えに参...
「客人? こんな時間にか」
「はい。客人のお名前は」
銃士隊員が口にした名前を聞いて、アニエスは目を見開いた。
「ギーシュ・ド・グラモンだと。それは本当か」
念のため確認すると、銃士隊員は困惑した様子で頷いた。ア...
に命令する。
「わたしの馬を用意させろ。今すぐ邸宅に戻る」
「了解しました」
銃士隊員が一礼して去った後、アニエスははやる気持ちを抑...
東方に旅立った一団の中には、ギーシュ・ド・グラモンの名...
がアニエスの邸宅を訪れたということは、才人たちもまた西方...
何故才人ではなくギーシュが来たのか、またその用件は何か...
が、今はともかく邸宅に向かってギーシュの姿を確認するのが...
(お喜びください陛下、あなたの想い人が、東方から帰ってき...
才人とルイズが頭を下げ、非礼を詫びるのならば、根が優し...
の関係はまた元に戻るはずである。そうすれば、彼女も今日の...
この数ヶ月ほど、常に心を悩ませていた問題に解決の兆しが...
スは部屋を出た。
166 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2007/09/20(木...
深夜にも関わらず明りを灯された執務室に立ち、アンリエッ...
待っていた。
東方探検隊が帰還したらしいという報告を受けたのは、ほん...
既に就寝中だったアンリエッタだが、報告を受けるや否や跳...
を灯させた。
もうすぐ、アニエスが、彼女の屋敷を訪れたという探検隊の...
深夜、急な話ということもあって、部屋の中はまだ少し寒い...
ほどに、体が興奮で火照っていた。
(サイト殿が、帰ってきてくださった)
そう思うだけで鼓動が激しくなり、アンリエッタはたまらず...
彼女にとって、サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガというの...
ぐらい、特別な存在である。
過ちを犯しかけた自分を、体を張って何度も止めてくれた人。
自分のことを「アン」と呼んで、優しく肩を抱いてくれた人。
世界でただ一人だけ、自分のことを女王ではなく、アンリエ...
才人がいてくれれば、ほんの一時とはいえ、女王でもなんで...
今や一日のほとんどを政務に費やすことになったアンリエッ...
く、幸福な時間だった。
そのほんのわずかな幸せすらも、アンリエッタは手にするこ...
一人の少女の姿があったからだ。
ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール。アンリエッタにとっては幼...
どに憎い恋敵ともなった少女である。
才人を束縛し、独占しているルイズ。
才人が与えてくれる幸せを、欠片も残さず奪っていくルイズ。
才人を無理矢理引っ張って、自分から引き離してしまったル...
(今回の東方行きの件だってそう。きっと、ルイズが無理を言...
んだわ)
アンリエッタはほとんど確信に近い気持ちで、そう信じてい...
彼女は才人のことを覚えている。あの優しい眼差し、弱い自...
温もりを、今でも忘れてはいない。
そんな彼が、今、苦境に立たされているアンリエッタを放っ...
そう、彼は無理矢理ルイズに引っ張られていっただけであっ...
ることを忘れてしまった訳ではないのだと、彼女はよく自分の...
(そうよ。サイト殿が悪いんじゃないの。ルイズよ。全部、あ...
もちろん、ルイズがいなければ、そもそも才人はアンリエッ...
う。そんなことぐらいは、彼女にもよく分かっている。分かっ...
ちが止められないのだ。偽物だと知りつつ、蘇ったウェールズ...
うに。あのときは抑えがたい愛情が体を突き動かしていたが、...
上がる嫉妬の念が、胸の中で渦を巻いているようだ。
(でも、もういいの。サイト殿さえ戻ってきてくだされば、私...
もしも東方を旅している間に、サイトの心が完全にルイズに...
はそれで構わない。
それでも、彼は自分のことを覚えていてくれるはずだ。女王...
の少女としてのアンリエッタを覚えていてくれるはずだ。
自分には、その現実だけがあればいい。女王という立場に振...
けでもただの少女として扱ってくれる、彼さえいてくれれば。
ただのアンリエッタを知っている才人がいてさえくれれば、...
この後も女王としての責務に耐えていける気がするのだ。
そのとき、不意に執務室の扉がノックされた。
167 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2007/09/20(木...
「アニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン、参りました」
また、心臓が早鐘を打ち始める。アンリエッタは声が震えな...
「お入りなさい」
扉がゆっくりと開けられ、制服姿のアニエスが部屋に入って...
年が付き従っていた。
(サイト殿ではないのね)
少し気持ちが落ち込んだが、その少年も、記憶する限りでは...
り、彼らが帰還したのは間違いないということである。
「ギーシュ・ド・グラモン殿をお連れしました」
「ご苦労様です、アニエス。彼の報告は、今後の政情にも関わ...
こにいて、共に話を聞いてください」
「はっ」
アニエスが隣に立つ。アンリエッタは、跪いて頭を垂れてい...
「お久しぶりですね、ギーシュ・ド・グラモン殿」
「はっ。このような夜分に申し訳ございません。女王陛下につ...
緊張して固くなっているギーシュの声を、アンリエッタはも...
「口上は不要です。顔を上げてください」
「はっ」
若干困惑したように、ギーシュが躊躇いがちに顔を上げた。
「まずは報告を聞きましょう。このような夜分に参ったのです...
とがあるのでしょう」
「はい。仰る通りです。至急陛下のお耳に入れ、また、恐れな...
ございます」
硬い声で話すギーシュは眉間に皺を寄せており、何か非常に...
な風に緊張した表情を浮かべるような少年だっただろうか、と...
は話の先を促す。
「分かりました。私に出来ることであれば、力になりましょう」
それは偽らざる本心だった。東方探検隊のギーシュが力を借...
いと言っているのと同じである。たとえ誰が何を言おうが、必...
だった。
(そうよ。私は今度こそ守ってみせる。私の愛しい人、私の小...
強く心に言い聞かせるアンリエッタの前で、ギーシュは何か...
を閉じて唇を真一文字に引き結んでいた。次に目蓋を上げたと...
ど力がこもっていた。
「では、お話いたします。ですが、その前に一つだけ、どうし...
「なんでしょうか」
「陛下は、サイトのことを覚えておられますか」
心臓が大きく脈を打つ。それを悟られないよう、アンリエッ...
「ええ、もちろんです。サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ殿...
「そうです。陛下、サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガは」
ギーシュはそこで言葉を切って、大きく一度、呼吸をした。...
「東方の地にて、命を落としました」
168 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2007/09/20(木...
一瞬、ギーシュが何を言っているのか分からなかった。
(サイトが、死んだ?)
心の中で反芻してみても、やはり信じられない。
ほんの少しだけ、悪質な冗談なのではないかと思ってもみた...
いぐらいの苦痛に歪んでいるように見え、とても嘘をついてい...
(それは本当ですか)
と、思わず質問しそうになって、寸でのところで踏みとどま...
置いて、自分が言葉を発する訳にはいかない。
(そうだ、陛下は)
アニエスは慌ててアンリエッタの顔を窺う。彼女の顔には、...
目を見開いて、瞬きもせずに硬直している。無反応ではなく、...
ができないといった様子である。
(サイトが、死んだ)
アンリエッタの様子を伺いながら、アニエスはもう一度心の...
だが、やはりどうにも信じられなかった。
七万の大軍に突撃して満身創痍になりながら、それでも死な...
頼りない少年だったが、彼が死ぬなどとは想像もしていなかっ...
言っても、死にかけながらも生き延びて、いつかは平気な顔で...
かったのだ。
(だが、そうか。サイトは、死んだのか)
考えてみれば、別段おかしな話ではない。何せ、東方は人間...
る。並の人間ならば、足を踏み入れただけでも殺されてもおか...
(そうだ、おかしな話ではない。サイトは、死んだのだ)
心に無理矢理言い聞かせて、アニエスは何とか納得した。
彼女自身彼とは友好があったが、職業柄と過去の出来事から...
胸が痛まないと言えば嘘になるが、正気を失ってしまうほど動...
(しかし、陛下はどうか)
改めて、アニエスはアンリエッタの様子を窺った。年若き女...
やがてぎこちない口調で呟くように言った。
「死んだ。サイト殿が」
「はい」
「間違いないのですか」
「間違いようがありません。わたしたちは、オストラント号に...
たのですから」
「そう、ですか。サイト殿が、死んだ」
アンリエッタはもう一度呟いたあと、顔を伏せて押し黙って...
執務室内に、重い沈黙が満ちる。アンリエッタは何も言わな...
られるらしく、ギーシュもまた床に視線を落として押し黙って...
きを促した。
「ギーシュ殿。そのことについて、もう少し詳しくお聞かせ願...
「詳しく、ですか。そうですね」
ギーシュは困惑しながら、才人が命を落とすに至った経緯を...
俯いていたアンリエッタが反応を示したのは、才人が命を落...
語ったときだった。
169 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2007/09/20(木...
「それで、わたしたちが止める間もなくルイズが飛び出して、...
「ルイズですって?」
不意に、アンリエッタが顔を上げた。呆然と見開かれていた...
「では、サイト殿は、ルイズを庇って命を落とされたのですか」
その部分がとても重要だとでも言わんばかりに、アンリエッ...
やや気圧されながら、ギーシュは躊躇いがちに頷いた。
「そういうことに、なると思います」
「そうですか」
そう言ったきり、アンリエッタはまた俯いてしまった。垂れ...
じられた口元からは何の感情もうかがい知ることが出来ない。
また沈黙が訪れるかと思いきや、アンリエッタが不意に静か...
「ギーシュ殿」
「はい」
「サイト殿は、最後に何と言い残されましたか」
その声はとても静かだったが、底冷えがするほどに深い響き...
分の全存在を賭けてでもいるかのような、背筋が震えるほどの...
ギーシュもそれを感じ取ったらしく、答えるまでには若干間...
「ルイズを、幸せに……と。それが、サイトの最後の言葉です」
「それだけですか。他には、何か」
何かにひどく恋焦がれるように、アンリエッタが食い下がる...
「他には、何も。船に連れ戻したときには、もう完全に手遅れ...
そのときのことを思い出したのか、ギーシュは少し、唇を噛...
「本当に、最後の力を振り絞って、言い残したのだと思います」
「そうですか。ルイズを幸せに、と……そうですか」
小さく呟き、アンリエッタはまた顔を伏せてしまった。先程...
が、見る見る内に消えていく。それと同時にアンリエッタ自身...
アニエスは居た堪れない気持ちになった。
そのとき、アンリエッタがゆっくりと顔を上げた。驚くべき...
だった。と言っても、ここ最近アニエスが見慣れていた、自暴...
ない。特にその瞳は、奥深くに氷河の存在を感じさせるほどに...
(お変わりになられた)
アニエスは瞬時に確信した。今この瞬間、アンリエッタの中...
させるほどの何かが、この年若い女王の中で生まれ落ちたのだ。
「話してくださって、ありがとうございました」
労うような慈愛に満ちた口調にも関わらず、どこか相手をぞ...
タが言った。
「大変な旅路だったようですね。ギーシュ殿、よく無事に帰還...
「はっ、いえ、わたしは」
喜びを表す気にはなれないらしく、ギーシュは曖昧に言いよ...
「ところで、私の助力が必要だという件に関してですが。それ...
アンリエッタの口元に微笑が浮かぶ。
「ルイズに関すること、ではありませんか」
その微笑の裏に言葉では言い表し難い何かが潜んでいるよう...
109 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2008/02/02(土...
アンリエッタとギーシュは、ルイズの処遇について話し合っ...
ておくことである。シエスタの提案どおり、才人の死に関する...
思わせておく、というのが計画の根幹だった。
「そのためには、ルイズを徹底的に外界から引き離し、なおか...
うにしなければなりません」
「そこで私の力が必要になるのですね?」
「はい。具体的には……」
計画自体は既にほとんど完成されていた。だからこそ、アニ...
(陛下は、この計画を強引に変えさせて、ルイズを取り巻く嘘...
先ほどのアンリエッタの微笑から、そんな風に勘ぐってしま...
だが、傍らでアニエスが聞いていた限り、アンリエッタは計...
が残る箇所を指摘し、その穴を的確に埋めてみせたのである。...
白み始めたころ、計画は持ち込まれた当初よりもかなり完成度...
「女王陛下」
部屋を辞する直前、ギーシュはアンリエッタの眼前に膝を突...
「私たちの力だけでは、ルイズの幸福を保つのは困難だったで...
力を賜った今、それはもはや不可能な話ではなくなりました」
アンリエッタは労わるような微笑で応えた。
「お気になさらないでください、ギーシュ殿。私はただ、大切...
と思っただけなのですから。あれほど愛していたサイト殿を失...
「はっ……」
ギーシュはさらに深く頭を下げた。その肩が小刻みに震えて...
彼はやがてそっと目元を拭ったあと、立ち上がってきびきびと...
「それでは、失礼いたします。夜半突然の来訪の上、このよう...
あると承知しておりますが」
「構いません。すぐに準備を整え、ルイズを迎えに行ってあげ...
審がってはいけませんから」
ギーシュは再度礼を述べて、慌しく部屋を出て行った。彼は...
いるというオストラント号に戻り、ルイズを迎える準備に奔走...
アニエスと二人だけになった途端、アンリエッタは長く息を...
顔を伏せ、沈黙する。それから、不意に肩を震わせ、低い笑い...
じょに大きくなり、ついには全身を揺さぶるほどの狂笑と化し...
その笑い声から滲み出る強烈な悪意に背筋を強張らせながら...
「いかがなさいましたか、陛下」
アンリエッタは狂おしく笑いながら応えた。
「だって、あんまりおかしいんですもの。アニエス、聞いたで...
のかを。ああ、なんて馬鹿なルイズ。愛しい愛しいサイト殿が...
忘れ去って、よりにもよって彼と幸福な結婚をしたと信じ込ん...
にはそれがお似合いだわ。だって昔から道化だったんですもの...
110 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2008/02/02(土...
「なんでしょうか、陛下」
「あなたは、私があの子を取り巻く偽りの幸せを、壊すつもり...
実際その通りだったが肯定することも躊躇われ、アニエスは...
エッタは構わずに、奇妙なほど優しい微笑を浮かべて言った。
「でも、そんなことをするつもりはありません。私は、あの子...
幻想に抱かれながら生きていく手伝いをするつもりです」
「それは、陛下のルイズに対する友情故でございましょうか?」
違うと知りつつも、アニエスは問いかけた。案の定、アンリ...
その瞳には、死にかけて痙攣している獲物を面白がって見下ろ...
「違うわ。私はねアニエス、表ではあの子の幸福を喜びながら...
るつもりなのよ。私が手に入れられなかったサイト殿の愛情を...
お節介な友人方がお膳立てした、偽物の幸福の中で無邪気な夢...
アンリエッタは小さく身震いした。
「ああ、なんて素敵なのかしら! 本来なら、私があの子から...
に、今やそれは完全に逆転したのだわ。私は確かにサイト殿の...
れど、ただ本当の記憶を持って生きている、あの子が気付かな...
おいて、あの子の全てを嘲笑い、見下すことが出来るのだから」
そうしてまたひとしきり哄笑を上げたあと、アンリエッタは...
少しの沈黙の後、彼女の頬を一筋の涙が流れた。
「でも、私がサイト殿の愛情を受けることは、もう二度とない...
ぽつりとした呟きと共に、アンリエッタの頬を滂沱の涙が流...
「ねえアニエス、あの方の最後の願いを覚えているかしら? ...
――『ルイズを幸せに』と。その一瞬、あの方の心を占めていた...
けだったでしょうね。きっと、あの方の死を看取ることも出来...
とができなかった私のことなど、あの方の心には微塵も浮かば...
も、この身が引きちぎれるほどに激しく、あの方の愛情だけを...
震える声は、いつしか悲痛な叫びに変わっていた。
「どうしてあの子だったの? どうして私ではなかったの? ...
え出来れば、あの方の心の片隅にでも存在していることが出来...
方があの子だけに心を奪われたまま死んでゆくことなんて、絶...
ニエス、どうして? 何故なの? 何故私は、こんな遠く離れ...
ずに、帰ることもない彼の帰りを待ち続けていなければならな...
その慟哭は、アニエスの胸に陰鬱な痛みをもたらした。
哀れな恋敵を嘲笑し、己の不幸だけを嘆くアンリエッタのこ...
ことは出来ない。
(この方は、ただ他の誰よりも情が深いだけなのだ)
愛情、優しさ、憎悪、嫉妬。全てが常人の何百倍も強く、ま...
う女だ。誰よりも女らしい女だ。だからこそ、これほどまでに...
嘆くことが出来る。
(サイト、何故貴様はこの方を残して死んでしまったのだ)
死人に問いかけても無駄なことだとは知りつつ、アニエスは...
(貴様さえ無事に帰ってきてくれれば、この方の心がこうも深...
ただろうに。貴様がこの方に笑顔を向けてくれさえすればよか...
をこれほどまでに憎悪することもなく、全てが平穏の内に治ま...
だが、その幸福な未来はもはや永遠に幻となってしまった。...
の最後の希望を打ち砕いたのだ。
もう二度と、彼女が他人の愛に期待することはないかもしれ...
111 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2008/02/02(土...
その事実はアニエス自身の心にも暗い影を落としたが、打ち...
だ、アンリエッタは押し殺された声で泣き続けているのだ。
どうするべきか、アニエスは少し考えた。まさか自分の慰め...
かと言って彼女をこの部屋でずっと泣かせたままにしておくわ...
(せめて寝室までお送りしよう。今日の執務はなんとか取りや...
考えながら、アニエスは声をかけた。
「陛下」
泣き声がぴたりと止んだ。
「陛下?」
アンリエッタが繰り返す。非常に小さかったが、それでも聞...
迫力の篭った声だった。アニエスの背筋が震えた。
(……なんだ?)
心臓が早鐘を打ち始める。椅子に座って俯いたまま、微動だ...
問いかけてきた。
「アニエス。今、あなたは私のことを何と呼びましたか?」
わけの分からぬまま、アニエスは答えた。
「はっ。陛下、と」
「陛下。陛下……そう、そうだったわね」
アンリエッタの肩が震え出した。続く声音で、泣いているの...
「私は、このトリステイン王国を治める、アンリエッタ・ド・...
笑い声はじょじょに高まり、部屋全体に反響するほどになっ...
眩暈を感じた。足がふらつき、よろめきそうになる。何か、悪...
不快感があった。
笑い声が止んだ。
「ありがとう、アニエス」
アンリエッタがにっこりと微笑む。
「あなたのおかげで、私は自分の望みがはっきりと分かったよ...
「はっ。左様で、ございますか」
どう返事をしたものか、アニエスは迷った。
今、目の前のアンリエッタはとても透き通った美しい微笑を...
の顔に常に付きまとっていた倦怠と悲嘆の色がすっかり消えう...
ら一転してこの表情である。どう考えても尋常ではない。
「ねえアニエス。私はね、全て分かったような気がします」
表情を変えないまま、アンリエッタが穏やかな表情で語り始...
「私の不幸の源が、一体どこにあるのか」
アンリエッタは己の胸に手を置いた。
「それは、私が女王陛下だから。想い人と共に在ることどころ...
ぬ、王という人種だから。かつて『王になどならなければよか...
枢機卿は私に言われました。『そう思わぬ王はおらぬものです...
アンリエッタが薄く目を開く。剣のような鋭さだった。
「『王になどならなければよかった』あの頃の思いは、今もな...
今日という悲惨な日を経て、より一層強くなったような気がい...
アンリエッタは強い声音で宣言した。
112 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2008/02/02(土...
「私は、王をやめます」
「陛下!?」
アニエスが目を見張ると、アンリエッタは口元を手で隠して...
「アニエス。まるでこの世の終わりが来るのを知ったような驚...
「同じようなものです。陛下、どうかお考え直しください。陛...
早口に説得しようとするアニエスを、アンリエッタは手の平...
が浮かんでいる。
「落ち着きなさい。何も、今すぐにやめると言っているわけで...
ステインが保たないことは十分に理解しているつもりです」
「では……?」
「つまり、私などいなくてもいい状況を作り出せばいいのです...
くださいますわね?」
問いかけるアンリエッタの瞳の奥底に、暗い悦びが宿ってい...
(この方は、己の激情をぶつけるべき相手を見つけたのだな)
アニエスは踵を揃え、背筋を伸ばした。
「分かりました。このアニエス、及ばずながら、陛下のお力に...
「ええ、お願いしますね、私の隊長殿。まずはね」
アンリエッタは楽しげな様子で、己の策を語り始める。今こ...
綿密かつ具体的な計画が、歌のようにその唇から流れ出す。
(いや、今この場で考え出したのではない。この方は、今まで...
えていたに違いない)
今までそれは、単なる妄想や思いつきの類に過ぎなかった。...
てて並べ立てられ、より洗練され、現実的な計画に仕立て上げ...
その原動力となるものが何なのかがよく分かっているだけに...
(陛下、憎悪以外の情を全て失くされましたか。ですが、それ...
りませぬし、止めようとも思いませぬ。せめてあなたの傍らで...
せていただきましょう)
アンリエッタの声に相槌を打ちながら、アニエスは心の中で...
113 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2008/02/02(土...
アンリエッタ・ド・トリステインは、トリステイン王朝最後...
とは言え、それは同時代のガリア王であるイザベラや『一代...
ツェルプストー王朝の女帝キュルケにしても同様であるから、...
違っていたのは、ほぼ全ての国において、革命が武器を手に...
のに対し、唯一トリステインのみは無血の革命を成し遂げたこ...
国力を損なうこともなく、この混沌とした時代にあっても、一...
はなかった。
この穏やかな政権の譲渡は、アンリエッタ女王が事前にこう...
縮小や平民の登用などに心血を注いできた、努力の結果である...
に事を運び、誰にも気付かれぬまま、全ての準備を終えた。そ...
学者の一人が、彼女を評価した有名な言葉に表されている。
「トリステインの白百合は、剣でも切れぬ鉄の華」
鉄の華に例えられるほど、彼女は政治の場において無慈悲で...
いうことだ。
故に後世の人々は、彼女のことを人間的な情とは縁の薄い、...
かべることが多い。
しかし、近年発見された一冊の手記は、そういったアンリエ...
びている。終生女王の剣としてその傍にあった、近衛隊長アニ...
したとされるものだ。
以下が、その内容を一部抜粋したものである。
「――アンリエッタ・ド・トリステインは、非常に感情の激しい...
を知りはすまい。彼らの中に、あの強烈な感情の発露を見た者...
彼女は実に冷静に政務を遂行している。そのたゆまぬ努力の...
どよく知っている。彼女は、女王である自らの手で、長く続い...
だが、それは多くの者たちが評価しているように、時代の流...
彼女が国や民のことを一番に考える政治家の鑑だからでもない。
私は今、ここに彼女の真の姿を記しておくことにする。
アンリエッタ・ド・トリステインは、強い意志力を持った優...
でが激しい情に満たされた、どこまでも女性らしい女性なのだ...
彼女の行動は、全てがそのあまりにも人間的な感情に基づい...
達に政権を譲渡しようとしているのは、単にそれが王政に対す...
そう、彼女は王政という制度そのものを憎んでいる。王政が...
全て奪い去ったと考えているからだ。――常に彼女の傍らにあっ...
違っていないようにも思う。
王政の象徴とも言える王自らの手で、王政を終わらせること...
り下ろし、嘲笑いながら自らの手で泥を塗りたくること。それ...
そ、あれほど激しい情を持つ女性が、あれほど冷徹に行動でき...
今、私の耳には王政の終わりを告げる鐘の音が聞こえている...
現するだろう。トリステインは、平穏のまま革命を終えること...
それ自体は女王の功績ではない。たまたま、時代の流れが彼...
彼女としては、無血だろうが多くの血が流されようが、自分を...
出来れば、あとはどうでも良いのだ。
一人の女性として運命に愛されなかった女王が、政治家とし...
実に皮肉なことだ。おそらく、これからもそれは変わらないだ...
た、たった一つの愛を勝ち得ることは永遠にない。
我が哀れな主の魂が、死後天上でゼロの使い魔と共にあるこ...
――アンリエッタ・ド・トリステインは、各国歴代の王の中で...
にその名を留めている――
#br
続き [[27-192]]不幸せな友人たち 罪人
終了行:
前 [[11-588]]不幸せな友人たち ティファニア
667 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2007/09/17(月...
長テーブルの向側、上座に座ったアンリエッタが、ナイフに...
不意に手を止めた。どことなく冷めた目つきで、ソースの滴る...
どきりとしながらも笑顔を作って問いかける。
「おや、いかがなさいました、女王様。料理に何か落ち度でも」
「珍しいですね」
抑揚のない声が返ってきた。アンリエッタは肉を皿に戻しな...
にこちらを見つめてくる。
「ベロー伯爵家では、毒入りの料理を客に出すのがしきたりな...
その言葉で、ベロー伯爵は計画の失敗を悟った。予想外のこ...
て声を張る。
「者ども」
そこまで叫んだところで、不意に扉が蹴破られた。部屋の外...
幾人もの人間が中に踏み込んでくる。彼らが身を包む制服は、...
ンリエッタの側近、銃士隊の紋章である。
呆然とするベロー伯爵を、銃士隊の隊員たちが速やかに取り...
眼前で鈍く光る鉄の刃に、ベロー伯爵は小さく息を呑む。
「妙な動きをなさいませぬよう」
警告してきたのは、晩餐が始まってからずっと、アンリエッ...
ス・シュヴァリエ・ド・ミランであった。こちらの生殺与奪を...
鋭い瞳は油断なく光っている。
「そうすれば、もう少しだけ長生きできましょう」
ベロー伯爵は、この後の己の運命を悟った。体から力が抜け...
「な、何が……」
「状況が理解できないご様子ですな」
こちらへの興味を失ったようにワイングラスを傾けているア...
「万一毒に気付かれたときのことを考えて、子飼いの兵をこの...
せていた。こちらを完全に信用しきった無邪気な女王は、護...
きていない。計画が察知された様子もないし、確実に成功す...
はありませんか」
己の考えを見透かされ、ベロー伯爵には返す言葉も浮かばな...
「貴族の権限を狭め、逆に平民の発言権を高めようとする。そ...
らしていたことは当の昔に察知していました。あえて気付か...
何も知らない娘のように無邪気に振舞う女王陛下を見て、『...
る』とあなたが思うようにね」
数日前謁見したときのアンリエッタの姿が、ベロー伯爵の頭...
談事に関して答えてやったとき、感極まったようにこちらの手...
方は、他には一人もおりませんわ」と目に涙を浮かべていた。...
は自分の向かい側に座り、冷めた表情でワイングラスを傾けて...
(この娘のことを、見誤ったというのか)
王位につく前の、何も知らぬ少女の姿と、数日前に謁見した...
目を完全に曇らせていたらしい。完全に、手玉に取られたのだ。
(女狐めが)
心の中で毒づいたところで、もはや何もかも遅い。アンリエ...
うし、銃士の侵入を容易く許しているところを見る限り、屋敷...
さえられているか、殺されてしまっているだろう。自分に全く...
遂げたのだ。
ベロー伯爵はガクリと肩を落とした。完全な敗北である。
そのとき、床を見つめていた視界の隅に、見慣れぬ誰かの足...
を上げると、そこに盆を持った一人の銃士がいた。無言のまま...
ロー伯爵の眼前に置く。
グラスになみなみと注がれたワインの意味するところが分か...
視線を向けると、ワイングラスを片手に持ったアンリエッタが...
668 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2007/09/17(月...
「毒杯です。お飲みなさい」
絶句するベロー伯爵に対し、アンリエッタは静かだが強い口...
「あなたは、常日頃から貴族の誇りや伝統のことを何度も何度...
ば、主君である女王をその手にかけようとしたことの意味は...
る心があるのならば、その毒杯を呷って自ら死を選びなさい...
に刺し貫かれて死にたくはないでしょう」
ベロー伯爵は、全く揺れぬアンリエッタの表情と、自分に突...
助かる道はない。ワイングラスを手に取ると、液面にかすかな...
や、手だけでなく、体全体が。突如として眼前に迫った死に対...
を台無しにしたアンリエッタに対する恨みのためなのかは分か...
(何故だ、何故こんなことになったのだ)
女王の勧める通りに毒入りのワインを呷ることもせず、ベロ...
(何故計画が露見した。何故わたしはこの女狐の能力を見誤っ...
女王を暗殺しようなどと)
「決心がつきませんか」
不意に、アンリエッタが言った。長テーブルの向側を見ると...
「最後の機会です。私自ら、あなたと盃を合わせて差し上げま...
死んでいけるのです。貴族の名誉を重んじるあなたには、最...
ベロー伯爵は目を見開く。急に頭がすっきりしてきた。ワイ...
底から上ってくる震えを、哄笑にして吐き散らした。
「名誉。最上の名誉ですと? あなたと杯を合わせることが?...
ろにし、卑しい平民にすり寄る売国奴め! 貴様は、このわ...
ベロー伯爵は胸元に手を差し入れる。そこには杖と短銃が隠...
ど成功するはずがない。ならば銃を使った方が僅かなりとも女...
瞬でそう判断し、力いっぱい銃把を握って腕を引き抜き、銃口...
かった指に力を込めた。
「意外ですね」
アンリエッタがそう言うのと、周囲の銃士たちがベロー伯爵...
ほぼ同時だった。ベロー伯爵の口から大量の血が溢れ出す。な...
らはどんどん力が抜けて、ついに引き金から離れてしまった。
さらに大量の血が、口から溢れてくる。体の端から急激に体...
けた。支えるものをなくした体が椅子から滑り落ち、意識が闇...
エッタの冷たい声を聞いた。
「平民の知の結晶である銃を手に、平民の磨いた牙である剣を...
を重んじるあなたには、似合わぬ最後になりましたね」
ベロー伯爵は、最後の力を振り絞って銃を放り出そうとする...
銃把は最後まで離れることなく、彼の右手に収まったままだっ...
アンリエッタに対する怨嗟の声を胸の中に響かせながら、ベ...
669 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2007/09/17(月...
数十分後、ベロー伯爵の邸宅の中を、銃士隊の隊員たちが忙...
を連行したり、まだ暗殺者がどこかに潜んでいないか念入りに...
トに危険がないか偵察したり、やることはいくらでもある。幸...
なり大きくなっているため、人手不足ということにはならない...
(と言っても、無謀な作戦だったことに変わりはないが)
先程までベロー伯爵の処刑劇が演じられていた広間の外、大...
吐く。上手くいったから良かったものの、相手がもう少し知恵...
はベロー伯爵ではなくアンリエッタの方だったはずである。
(ひょっとしたら、それでも構わないなどとお考えなのかもし...
近頃すっかり常態と化した感のある、アンリエッタの冷たい...
エスは不意に声をかけられた。
「隊長」
見ると、副官がそばに立っていた。アニエスと同じくうら若...
な銃と剣の使い手である。
「何か」
「はっ。反逆者たちを連行する準備が整いました。また、屋敷...
暗殺者などの影は見当たりません。帰還ルートに関しても、...
「ご苦労。陛下への反逆に加担しようとした不逞の輩だ。連行...
「了解いたしました」
副官は一礼したが、どことなく迷っているような表情で、ほ...
「どうした」
「いえ」
副官は一度そう答えてから、声を落として話し出した。
「ずいぶんと、お変わりになりましたね。女王陛下は」
アニエスはちらりと背後の扉に目をやる。アンリエッタはま...
外にも多数銃士を配置しているので、危険はないはずだ。
「変わられた、か。そう思うのか」
「ええ。冷たくなられた、というか、隙を失くされた、という...
になられましたし、喜ぶべきことなのでしょうが」
この副官は、アニエス同様真面目な性格であり、いつもなら...
などしない。それでもなお無駄口を叩いているのは、それだけ...
惑っているということなのだろう。
「我々は何よりも優先して陛下をお守りする盾であり、敵を排...
について、あれこれと疑問を差し挟むのは感心せんな」
「はっ、申し訳ございません。過ぎたことを申しました」
副官が慌てて居住まいを正す。「が、まあ」とアニエスは言...
「気持ちは分からんでもない。確かに、女王陛下はお変わりに...
るのだろうが」
「王族としての自覚、ですか」
「そうだ。陛下とて、アルビオンとの戦争を始めとする様々な...
家として成長もされようし、国を守る覚悟も自然と身につこ...
アニエスは、副官の肩を軽く叩いて微笑んだ。
「頼もしいことではないか。即位した当初は何も知らぬか弱い...
の自覚を持ち、我々を手足として治世を行う優れた為政者に...
けて戦う甲斐があるというものだろう」
副官は深々と頭を下げた。
「申し訳ございません、任務中だというのに、いらぬことを申...
「気にするな。我々の任務は責任重大だ。迷いを持ったまま行...
「はっ」
副官は一礼して、今度こそ立ち去った。迷いのなくなったそ...
670 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2007/09/17(月...
「国を守る覚悟、王としての自覚、か」
苦笑が漏れた。
「我ながら、心にもないことを言ったものだな」
呟き、アニエスは広間の扉を開いた。途端に、血の臭いが鼻...
扉のすぐそばに控えていた銃士隊員に外に出るよう指示し、人...
「陛下」
未だに長テーブルの椅子に座り、ワイングラスを傾けていた...
「なんですか、アニエス」
グラスの中に目を落としたまま、アンリエッタは興味なさげ...
かりで、部屋の中には血の臭いが強く漂っている。だと言うの...
く見せない。その様子は冷静と言うよりは投げやりと言ったほ...
とした不快感をもたらした。
「撤収の準備が整いました。引き続き、我々が王宮までお守り...
「そう急ぐこともないでしょう。もう少し、ここでゆっくりし...
インを持ってこさせなさい、アニエス」
「陛下、恐れながら申し上げます」
我慢しきれず、アニエスは苦言を呈した。
「どうか、ご自愛ください」
「何の話です?」
「今回の件についてもそうですが、わざわざ陛下の御身を危険...
でもありました」
「あら、特に問題はないでしょう。ベロー伯爵は叛意を抱いて...
かなか尻尾を出さなかった。だから私が愚かな少女の演技を...
彼は計画が露見していることになど全く気付かず、今日を好...
は見ての通りですが」
アンリエッタは口元に薄く微笑みを浮かべた。
「反乱分子の筆頭でもあったベロー伯爵が粛清されたとなれば...
しょう。改革は滞りなく進み、私はますます王としての評価...
る。何か問題がありますか、アニエス」
改革というのは、近頃のアンリエッタが強硬に推し進めてい...
策に関するものである。
魔法を操る貴族が支配権を握り、平民を抑圧している社会。...
るだけで、新たなものを生み出そうとしない社会。数千年前か...
いない原因はそこにあると唱えた女王アンリエッタは、今後は...
ていくと発表。平民出の銃士からなる銃士隊の権限と規模が拡...
要としない技術の研究に、以前とは比べ物にならないほどの資...
そういった平民の台頭を、多くの貴族が快く思わなかったの...
エッタへの不満を唱える輩もおり、トリステイン中に不穏な気...
今回のベロー伯爵の暗殺計画も、そういった風潮の中で持ち...
「それは結果論です、陛下。一歩間違えれば、死んでいたのは...
「そうならないためにあなたたちがいて、実際そうはならなか...
すか、アニエス。私は女王として、常に最善の選択をしてい...
女王として、という部分を、アンリエッタは殊更に強調する...
ることが多い。その理由を、アニエスはよく知っていた。
「……まだ、あの男のことを気に病まれているのですか」
「何のことかしら」
アンリエッタは素っ気なく言って、空になったワイングラス...
「サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガは、陛下の苦悩になど全...
た男です。ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールに関してもそれは...
くございませぬ」
「だから、何のことですか、アニエス。私は彼らのことなど一...
あくまでも、アンリエッタは素っ気ない口調で答える。が、...
ることに、アニエスは気付いていた。気付いていながら、あえ...
「出立の準備をなさってください。王宮までお送りいたします」
アンリエッタは返事をしなかった。
671 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2007/09/17(月...
残った仕事を全て済ませて王宮内の兵舎に戻り、自室の寝台...
けずにいた。アンリエッタの冷めた表情が、いつまで経っても...
(これというのも、全てはサイトたちが逃げ出したのが原因だ)
今はもう遠く離れた地にいるのであろう少年たちに、胸の中...
アンリエッタの変化は、明らかに彼らが東方に旅立ったのが...
には心を惹かれていた様子である。本当ならば、何もかも放り...
だが、ガリアの王位継承問題やゲルマニアの内紛等、刻々と...
そして、そういった難しい問題に直面することとなったアンリ...
ちは旅立った。
彼らが西方を去ったこと自体は、さほど間違った判断ではな...
の問題にしろ、才人たちはそれらに深く関わっていたのだ。西...
大きくなっただろう。
しかし、状況が慌しすぎたせいか、彼らはアンリエッタには...
まった。彼女は根本的に情が豊かな人間である。これでは、自...
うのも無理はない。
(陛下は、女王という立場に留まらざるを得ない自分に嫌気が...
平民の権利拡大を歓迎するような政策も、そういった情の表...
だが、それでも、アンリエッタはまだ決定的に変わってはい...
見捨てられたのだという思い込みのせいで多少自暴自棄にな...
悪する向きがあったのは昔からだ。政策に反対する貴族への対...
をすることがあるが、判断自体は割と冷静である。これが、た...
ない自分に完全に嫌気が差して引きこもってしまうとか、ある...
的な行動に向かっているのならば相当問題である。だが、今の...
が、それを忘れるために我を忘れて仕事に打ち込んでいるよう...
(どちらにしろ感情に振り回されている訳で、王としては致命...
それでも、今はまだ上手くいっている。平民からの支持はむ...
世の流れを読んでアンリエッタの政策に協力する者もいるほど...
エッタの施政は決して悪いものではない。
672 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2007/09/17(月...
だが、それは今だけに限った話である。想い人や友人に見捨...
いつか精神が限界を迎えて、抜け殻のようになってしまう可能...
買っているこの状況でそんなことになってしまったらと考える...
(サイト、お前達は今どこにいる。私では、お前達の代わりに...
アニエスの情報網と言えども、さすがに人類未踏の東方に消...
アンリエッタの心を癒すことが出来る唯一の人間がどこに行...
うがないのだった。
苛立ち紛れにアニエスが寝返りを打ったとき、部屋のドアが...
元に置いてあった剣を取り、警戒しながら入り口の扉に向かう。
「誰か」
問うと、聞き慣れた銃士隊員の声で返事が返ってきた。扉を...
「何だ。こんな時間に扉を叩いたのだ、火急の用なのだろうな」
「は、おそらく、そう思われますが」
銃士隊員は歯切れの悪い声で言いながら、用件を口にする。
「アニエス様の邸宅に客人がいらしたと、侍従の者が伝えに参...
「客人? こんな時間にか」
「はい。客人のお名前は」
銃士隊員が口にした名前を聞いて、アニエスは目を見開いた。
「ギーシュ・ド・グラモンだと。それは本当か」
念のため確認すると、銃士隊員は困惑した様子で頷いた。ア...
に命令する。
「わたしの馬を用意させろ。今すぐ邸宅に戻る」
「了解しました」
銃士隊員が一礼して去った後、アニエスははやる気持ちを抑...
東方に旅立った一団の中には、ギーシュ・ド・グラモンの名...
がアニエスの邸宅を訪れたということは、才人たちもまた西方...
何故才人ではなくギーシュが来たのか、またその用件は何か...
が、今はともかく邸宅に向かってギーシュの姿を確認するのが...
(お喜びください陛下、あなたの想い人が、東方から帰ってき...
才人とルイズが頭を下げ、非礼を詫びるのならば、根が優し...
の関係はまた元に戻るはずである。そうすれば、彼女も今日の...
この数ヶ月ほど、常に心を悩ませていた問題に解決の兆しが...
スは部屋を出た。
166 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2007/09/20(木...
深夜にも関わらず明りを灯された執務室に立ち、アンリエッ...
待っていた。
東方探検隊が帰還したらしいという報告を受けたのは、ほん...
既に就寝中だったアンリエッタだが、報告を受けるや否や跳...
を灯させた。
もうすぐ、アニエスが、彼女の屋敷を訪れたという探検隊の...
深夜、急な話ということもあって、部屋の中はまだ少し寒い...
ほどに、体が興奮で火照っていた。
(サイト殿が、帰ってきてくださった)
そう思うだけで鼓動が激しくなり、アンリエッタはたまらず...
彼女にとって、サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガというの...
ぐらい、特別な存在である。
過ちを犯しかけた自分を、体を張って何度も止めてくれた人。
自分のことを「アン」と呼んで、優しく肩を抱いてくれた人。
世界でただ一人だけ、自分のことを女王ではなく、アンリエ...
才人がいてくれれば、ほんの一時とはいえ、女王でもなんで...
今や一日のほとんどを政務に費やすことになったアンリエッ...
く、幸福な時間だった。
そのほんのわずかな幸せすらも、アンリエッタは手にするこ...
一人の少女の姿があったからだ。
ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール。アンリエッタにとっては幼...
どに憎い恋敵ともなった少女である。
才人を束縛し、独占しているルイズ。
才人が与えてくれる幸せを、欠片も残さず奪っていくルイズ。
才人を無理矢理引っ張って、自分から引き離してしまったル...
(今回の東方行きの件だってそう。きっと、ルイズが無理を言...
んだわ)
アンリエッタはほとんど確信に近い気持ちで、そう信じてい...
彼女は才人のことを覚えている。あの優しい眼差し、弱い自...
温もりを、今でも忘れてはいない。
そんな彼が、今、苦境に立たされているアンリエッタを放っ...
そう、彼は無理矢理ルイズに引っ張られていっただけであっ...
ることを忘れてしまった訳ではないのだと、彼女はよく自分の...
(そうよ。サイト殿が悪いんじゃないの。ルイズよ。全部、あ...
もちろん、ルイズがいなければ、そもそも才人はアンリエッ...
う。そんなことぐらいは、彼女にもよく分かっている。分かっ...
ちが止められないのだ。偽物だと知りつつ、蘇ったウェールズ...
うに。あのときは抑えがたい愛情が体を突き動かしていたが、...
上がる嫉妬の念が、胸の中で渦を巻いているようだ。
(でも、もういいの。サイト殿さえ戻ってきてくだされば、私...
もしも東方を旅している間に、サイトの心が完全にルイズに...
はそれで構わない。
それでも、彼は自分のことを覚えていてくれるはずだ。女王...
の少女としてのアンリエッタを覚えていてくれるはずだ。
自分には、その現実だけがあればいい。女王という立場に振...
けでもただの少女として扱ってくれる、彼さえいてくれれば。
ただのアンリエッタを知っている才人がいてさえくれれば、...
この後も女王としての責務に耐えていける気がするのだ。
そのとき、不意に執務室の扉がノックされた。
167 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2007/09/20(木...
「アニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン、参りました」
また、心臓が早鐘を打ち始める。アンリエッタは声が震えな...
「お入りなさい」
扉がゆっくりと開けられ、制服姿のアニエスが部屋に入って...
年が付き従っていた。
(サイト殿ではないのね)
少し気持ちが落ち込んだが、その少年も、記憶する限りでは...
り、彼らが帰還したのは間違いないということである。
「ギーシュ・ド・グラモン殿をお連れしました」
「ご苦労様です、アニエス。彼の報告は、今後の政情にも関わ...
こにいて、共に話を聞いてください」
「はっ」
アニエスが隣に立つ。アンリエッタは、跪いて頭を垂れてい...
「お久しぶりですね、ギーシュ・ド・グラモン殿」
「はっ。このような夜分に申し訳ございません。女王陛下につ...
緊張して固くなっているギーシュの声を、アンリエッタはも...
「口上は不要です。顔を上げてください」
「はっ」
若干困惑したように、ギーシュが躊躇いがちに顔を上げた。
「まずは報告を聞きましょう。このような夜分に参ったのです...
とがあるのでしょう」
「はい。仰る通りです。至急陛下のお耳に入れ、また、恐れな...
ございます」
硬い声で話すギーシュは眉間に皺を寄せており、何か非常に...
な風に緊張した表情を浮かべるような少年だっただろうか、と...
は話の先を促す。
「分かりました。私に出来ることであれば、力になりましょう」
それは偽らざる本心だった。東方探検隊のギーシュが力を借...
いと言っているのと同じである。たとえ誰が何を言おうが、必...
だった。
(そうよ。私は今度こそ守ってみせる。私の愛しい人、私の小...
強く心に言い聞かせるアンリエッタの前で、ギーシュは何か...
を閉じて唇を真一文字に引き結んでいた。次に目蓋を上げたと...
ど力がこもっていた。
「では、お話いたします。ですが、その前に一つだけ、どうし...
「なんでしょうか」
「陛下は、サイトのことを覚えておられますか」
心臓が大きく脈を打つ。それを悟られないよう、アンリエッ...
「ええ、もちろんです。サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガ殿...
「そうです。陛下、サイト・シュヴァリエ・ド・ヒラガは」
ギーシュはそこで言葉を切って、大きく一度、呼吸をした。...
「東方の地にて、命を落としました」
168 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2007/09/20(木...
一瞬、ギーシュが何を言っているのか分からなかった。
(サイトが、死んだ?)
心の中で反芻してみても、やはり信じられない。
ほんの少しだけ、悪質な冗談なのではないかと思ってもみた...
いぐらいの苦痛に歪んでいるように見え、とても嘘をついてい...
(それは本当ですか)
と、思わず質問しそうになって、寸でのところで踏みとどま...
置いて、自分が言葉を発する訳にはいかない。
(そうだ、陛下は)
アニエスは慌ててアンリエッタの顔を窺う。彼女の顔には、...
目を見開いて、瞬きもせずに硬直している。無反応ではなく、...
ができないといった様子である。
(サイトが、死んだ)
アンリエッタの様子を伺いながら、アニエスはもう一度心の...
だが、やはりどうにも信じられなかった。
七万の大軍に突撃して満身創痍になりながら、それでも死な...
頼りない少年だったが、彼が死ぬなどとは想像もしていなかっ...
言っても、死にかけながらも生き延びて、いつかは平気な顔で...
かったのだ。
(だが、そうか。サイトは、死んだのか)
考えてみれば、別段おかしな話ではない。何せ、東方は人間...
る。並の人間ならば、足を踏み入れただけでも殺されてもおか...
(そうだ、おかしな話ではない。サイトは、死んだのだ)
心に無理矢理言い聞かせて、アニエスは何とか納得した。
彼女自身彼とは友好があったが、職業柄と過去の出来事から...
胸が痛まないと言えば嘘になるが、正気を失ってしまうほど動...
(しかし、陛下はどうか)
改めて、アニエスはアンリエッタの様子を窺った。年若き女...
やがてぎこちない口調で呟くように言った。
「死んだ。サイト殿が」
「はい」
「間違いないのですか」
「間違いようがありません。わたしたちは、オストラント号に...
たのですから」
「そう、ですか。サイト殿が、死んだ」
アンリエッタはもう一度呟いたあと、顔を伏せて押し黙って...
執務室内に、重い沈黙が満ちる。アンリエッタは何も言わな...
られるらしく、ギーシュもまた床に視線を落として押し黙って...
きを促した。
「ギーシュ殿。そのことについて、もう少し詳しくお聞かせ願...
「詳しく、ですか。そうですね」
ギーシュは困惑しながら、才人が命を落とすに至った経緯を...
俯いていたアンリエッタが反応を示したのは、才人が命を落...
語ったときだった。
169 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2007/09/20(木...
「それで、わたしたちが止める間もなくルイズが飛び出して、...
「ルイズですって?」
不意に、アンリエッタが顔を上げた。呆然と見開かれていた...
「では、サイト殿は、ルイズを庇って命を落とされたのですか」
その部分がとても重要だとでも言わんばかりに、アンリエッ...
やや気圧されながら、ギーシュは躊躇いがちに頷いた。
「そういうことに、なると思います」
「そうですか」
そう言ったきり、アンリエッタはまた俯いてしまった。垂れ...
じられた口元からは何の感情もうかがい知ることが出来ない。
また沈黙が訪れるかと思いきや、アンリエッタが不意に静か...
「ギーシュ殿」
「はい」
「サイト殿は、最後に何と言い残されましたか」
その声はとても静かだったが、底冷えがするほどに深い響き...
分の全存在を賭けてでもいるかのような、背筋が震えるほどの...
ギーシュもそれを感じ取ったらしく、答えるまでには若干間...
「ルイズを、幸せに……と。それが、サイトの最後の言葉です」
「それだけですか。他には、何か」
何かにひどく恋焦がれるように、アンリエッタが食い下がる...
「他には、何も。船に連れ戻したときには、もう完全に手遅れ...
そのときのことを思い出したのか、ギーシュは少し、唇を噛...
「本当に、最後の力を振り絞って、言い残したのだと思います」
「そうですか。ルイズを幸せに、と……そうですか」
小さく呟き、アンリエッタはまた顔を伏せてしまった。先程...
が、見る見る内に消えていく。それと同時にアンリエッタ自身...
アニエスは居た堪れない気持ちになった。
そのとき、アンリエッタがゆっくりと顔を上げた。驚くべき...
だった。と言っても、ここ最近アニエスが見慣れていた、自暴...
ない。特にその瞳は、奥深くに氷河の存在を感じさせるほどに...
(お変わりになられた)
アニエスは瞬時に確信した。今この瞬間、アンリエッタの中...
させるほどの何かが、この年若い女王の中で生まれ落ちたのだ。
「話してくださって、ありがとうございました」
労うような慈愛に満ちた口調にも関わらず、どこか相手をぞ...
タが言った。
「大変な旅路だったようですね。ギーシュ殿、よく無事に帰還...
「はっ、いえ、わたしは」
喜びを表す気にはなれないらしく、ギーシュは曖昧に言いよ...
「ところで、私の助力が必要だという件に関してですが。それ...
アンリエッタの口元に微笑が浮かぶ。
「ルイズに関すること、ではありませんか」
その微笑の裏に言葉では言い表し難い何かが潜んでいるよう...
109 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2008/02/02(土...
アンリエッタとギーシュは、ルイズの処遇について話し合っ...
ておくことである。シエスタの提案どおり、才人の死に関する...
思わせておく、というのが計画の根幹だった。
「そのためには、ルイズを徹底的に外界から引き離し、なおか...
うにしなければなりません」
「そこで私の力が必要になるのですね?」
「はい。具体的には……」
計画自体は既にほとんど完成されていた。だからこそ、アニ...
(陛下は、この計画を強引に変えさせて、ルイズを取り巻く嘘...
先ほどのアンリエッタの微笑から、そんな風に勘ぐってしま...
だが、傍らでアニエスが聞いていた限り、アンリエッタは計...
が残る箇所を指摘し、その穴を的確に埋めてみせたのである。...
白み始めたころ、計画は持ち込まれた当初よりもかなり完成度...
「女王陛下」
部屋を辞する直前、ギーシュはアンリエッタの眼前に膝を突...
「私たちの力だけでは、ルイズの幸福を保つのは困難だったで...
力を賜った今、それはもはや不可能な話ではなくなりました」
アンリエッタは労わるような微笑で応えた。
「お気になさらないでください、ギーシュ殿。私はただ、大切...
と思っただけなのですから。あれほど愛していたサイト殿を失...
「はっ……」
ギーシュはさらに深く頭を下げた。その肩が小刻みに震えて...
彼はやがてそっと目元を拭ったあと、立ち上がってきびきびと...
「それでは、失礼いたします。夜半突然の来訪の上、このよう...
あると承知しておりますが」
「構いません。すぐに準備を整え、ルイズを迎えに行ってあげ...
審がってはいけませんから」
ギーシュは再度礼を述べて、慌しく部屋を出て行った。彼は...
いるというオストラント号に戻り、ルイズを迎える準備に奔走...
アニエスと二人だけになった途端、アンリエッタは長く息を...
顔を伏せ、沈黙する。それから、不意に肩を震わせ、低い笑い...
じょに大きくなり、ついには全身を揺さぶるほどの狂笑と化し...
その笑い声から滲み出る強烈な悪意に背筋を強張らせながら...
「いかがなさいましたか、陛下」
アンリエッタは狂おしく笑いながら応えた。
「だって、あんまりおかしいんですもの。アニエス、聞いたで...
のかを。ああ、なんて馬鹿なルイズ。愛しい愛しいサイト殿が...
忘れ去って、よりにもよって彼と幸福な結婚をしたと信じ込ん...
にはそれがお似合いだわ。だって昔から道化だったんですもの...
110 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2008/02/02(土...
「なんでしょうか、陛下」
「あなたは、私があの子を取り巻く偽りの幸せを、壊すつもり...
実際その通りだったが肯定することも躊躇われ、アニエスは...
エッタは構わずに、奇妙なほど優しい微笑を浮かべて言った。
「でも、そんなことをするつもりはありません。私は、あの子...
幻想に抱かれながら生きていく手伝いをするつもりです」
「それは、陛下のルイズに対する友情故でございましょうか?」
違うと知りつつも、アニエスは問いかけた。案の定、アンリ...
その瞳には、死にかけて痙攣している獲物を面白がって見下ろ...
「違うわ。私はねアニエス、表ではあの子の幸福を喜びながら...
るつもりなのよ。私が手に入れられなかったサイト殿の愛情を...
お節介な友人方がお膳立てした、偽物の幸福の中で無邪気な夢...
アンリエッタは小さく身震いした。
「ああ、なんて素敵なのかしら! 本来なら、私があの子から...
に、今やそれは完全に逆転したのだわ。私は確かにサイト殿の...
れど、ただ本当の記憶を持って生きている、あの子が気付かな...
おいて、あの子の全てを嘲笑い、見下すことが出来るのだから」
そうしてまたひとしきり哄笑を上げたあと、アンリエッタは...
少しの沈黙の後、彼女の頬を一筋の涙が流れた。
「でも、私がサイト殿の愛情を受けることは、もう二度とない...
ぽつりとした呟きと共に、アンリエッタの頬を滂沱の涙が流...
「ねえアニエス、あの方の最後の願いを覚えているかしら? ...
――『ルイズを幸せに』と。その一瞬、あの方の心を占めていた...
けだったでしょうね。きっと、あの方の死を看取ることも出来...
とができなかった私のことなど、あの方の心には微塵も浮かば...
も、この身が引きちぎれるほどに激しく、あの方の愛情だけを...
震える声は、いつしか悲痛な叫びに変わっていた。
「どうしてあの子だったの? どうして私ではなかったの? ...
え出来れば、あの方の心の片隅にでも存在していることが出来...
方があの子だけに心を奪われたまま死んでゆくことなんて、絶...
ニエス、どうして? 何故なの? 何故私は、こんな遠く離れ...
ずに、帰ることもない彼の帰りを待ち続けていなければならな...
その慟哭は、アニエスの胸に陰鬱な痛みをもたらした。
哀れな恋敵を嘲笑し、己の不幸だけを嘆くアンリエッタのこ...
ことは出来ない。
(この方は、ただ他の誰よりも情が深いだけなのだ)
愛情、優しさ、憎悪、嫉妬。全てが常人の何百倍も強く、ま...
う女だ。誰よりも女らしい女だ。だからこそ、これほどまでに...
嘆くことが出来る。
(サイト、何故貴様はこの方を残して死んでしまったのだ)
死人に問いかけても無駄なことだとは知りつつ、アニエスは...
(貴様さえ無事に帰ってきてくれれば、この方の心がこうも深...
ただろうに。貴様がこの方に笑顔を向けてくれさえすればよか...
をこれほどまでに憎悪することもなく、全てが平穏の内に治ま...
だが、その幸福な未来はもはや永遠に幻となってしまった。...
の最後の希望を打ち砕いたのだ。
もう二度と、彼女が他人の愛に期待することはないかもしれ...
111 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2008/02/02(土...
その事実はアニエス自身の心にも暗い影を落としたが、打ち...
だ、アンリエッタは押し殺された声で泣き続けているのだ。
どうするべきか、アニエスは少し考えた。まさか自分の慰め...
かと言って彼女をこの部屋でずっと泣かせたままにしておくわ...
(せめて寝室までお送りしよう。今日の執務はなんとか取りや...
考えながら、アニエスは声をかけた。
「陛下」
泣き声がぴたりと止んだ。
「陛下?」
アンリエッタが繰り返す。非常に小さかったが、それでも聞...
迫力の篭った声だった。アニエスの背筋が震えた。
(……なんだ?)
心臓が早鐘を打ち始める。椅子に座って俯いたまま、微動だ...
問いかけてきた。
「アニエス。今、あなたは私のことを何と呼びましたか?」
わけの分からぬまま、アニエスは答えた。
「はっ。陛下、と」
「陛下。陛下……そう、そうだったわね」
アンリエッタの肩が震え出した。続く声音で、泣いているの...
「私は、このトリステイン王国を治める、アンリエッタ・ド・...
笑い声はじょじょに高まり、部屋全体に反響するほどになっ...
眩暈を感じた。足がふらつき、よろめきそうになる。何か、悪...
不快感があった。
笑い声が止んだ。
「ありがとう、アニエス」
アンリエッタがにっこりと微笑む。
「あなたのおかげで、私は自分の望みがはっきりと分かったよ...
「はっ。左様で、ございますか」
どう返事をしたものか、アニエスは迷った。
今、目の前のアンリエッタはとても透き通った美しい微笑を...
の顔に常に付きまとっていた倦怠と悲嘆の色がすっかり消えう...
ら一転してこの表情である。どう考えても尋常ではない。
「ねえアニエス。私はね、全て分かったような気がします」
表情を変えないまま、アンリエッタが穏やかな表情で語り始...
「私の不幸の源が、一体どこにあるのか」
アンリエッタは己の胸に手を置いた。
「それは、私が女王陛下だから。想い人と共に在ることどころ...
ぬ、王という人種だから。かつて『王になどならなければよか...
枢機卿は私に言われました。『そう思わぬ王はおらぬものです...
アンリエッタが薄く目を開く。剣のような鋭さだった。
「『王になどならなければよかった』あの頃の思いは、今もな...
今日という悲惨な日を経て、より一層強くなったような気がい...
アンリエッタは強い声音で宣言した。
112 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2008/02/02(土...
「私は、王をやめます」
「陛下!?」
アニエスが目を見張ると、アンリエッタは口元を手で隠して...
「アニエス。まるでこの世の終わりが来るのを知ったような驚...
「同じようなものです。陛下、どうかお考え直しください。陛...
早口に説得しようとするアニエスを、アンリエッタは手の平...
が浮かんでいる。
「落ち着きなさい。何も、今すぐにやめると言っているわけで...
ステインが保たないことは十分に理解しているつもりです」
「では……?」
「つまり、私などいなくてもいい状況を作り出せばいいのです...
くださいますわね?」
問いかけるアンリエッタの瞳の奥底に、暗い悦びが宿ってい...
(この方は、己の激情をぶつけるべき相手を見つけたのだな)
アニエスは踵を揃え、背筋を伸ばした。
「分かりました。このアニエス、及ばずながら、陛下のお力に...
「ええ、お願いしますね、私の隊長殿。まずはね」
アンリエッタは楽しげな様子で、己の策を語り始める。今こ...
綿密かつ具体的な計画が、歌のようにその唇から流れ出す。
(いや、今この場で考え出したのではない。この方は、今まで...
えていたに違いない)
今までそれは、単なる妄想や思いつきの類に過ぎなかった。...
てて並べ立てられ、より洗練され、現実的な計画に仕立て上げ...
その原動力となるものが何なのかがよく分かっているだけに...
(陛下、憎悪以外の情を全て失くされましたか。ですが、それ...
りませぬし、止めようとも思いませぬ。せめてあなたの傍らで...
せていただきましょう)
アンリエッタの声に相槌を打ちながら、アニエスは心の中で...
113 名前: 不幸せな友人たち [sage] 投稿日: 2008/02/02(土...
アンリエッタ・ド・トリステインは、トリステイン王朝最後...
とは言え、それは同時代のガリア王であるイザベラや『一代...
ツェルプストー王朝の女帝キュルケにしても同様であるから、...
違っていたのは、ほぼ全ての国において、革命が武器を手に...
のに対し、唯一トリステインのみは無血の革命を成し遂げたこ...
国力を損なうこともなく、この混沌とした時代にあっても、一...
はなかった。
この穏やかな政権の譲渡は、アンリエッタ女王が事前にこう...
縮小や平民の登用などに心血を注いできた、努力の結果である...
に事を運び、誰にも気付かれぬまま、全ての準備を終えた。そ...
学者の一人が、彼女を評価した有名な言葉に表されている。
「トリステインの白百合は、剣でも切れぬ鉄の華」
鉄の華に例えられるほど、彼女は政治の場において無慈悲で...
いうことだ。
故に後世の人々は、彼女のことを人間的な情とは縁の薄い、...
かべることが多い。
しかし、近年発見された一冊の手記は、そういったアンリエ...
びている。終生女王の剣としてその傍にあった、近衛隊長アニ...
したとされるものだ。
以下が、その内容を一部抜粋したものである。
「――アンリエッタ・ド・トリステインは、非常に感情の激しい...
を知りはすまい。彼らの中に、あの強烈な感情の発露を見た者...
彼女は実に冷静に政務を遂行している。そのたゆまぬ努力の...
どよく知っている。彼女は、女王である自らの手で、長く続い...
だが、それは多くの者たちが評価しているように、時代の流...
彼女が国や民のことを一番に考える政治家の鑑だからでもない。
私は今、ここに彼女の真の姿を記しておくことにする。
アンリエッタ・ド・トリステインは、強い意志力を持った優...
でが激しい情に満たされた、どこまでも女性らしい女性なのだ...
彼女の行動は、全てがそのあまりにも人間的な感情に基づい...
達に政権を譲渡しようとしているのは、単にそれが王政に対す...
そう、彼女は王政という制度そのものを憎んでいる。王政が...
全て奪い去ったと考えているからだ。――常に彼女の傍らにあっ...
違っていないようにも思う。
王政の象徴とも言える王自らの手で、王政を終わらせること...
り下ろし、嘲笑いながら自らの手で泥を塗りたくること。それ...
そ、あれほど激しい情を持つ女性が、あれほど冷徹に行動でき...
今、私の耳には王政の終わりを告げる鐘の音が聞こえている...
現するだろう。トリステインは、平穏のまま革命を終えること...
それ自体は女王の功績ではない。たまたま、時代の流れが彼...
彼女としては、無血だろうが多くの血が流されようが、自分を...
出来れば、あとはどうでも良いのだ。
一人の女性として運命に愛されなかった女王が、政治家とし...
実に皮肉なことだ。おそらく、これからもそれは変わらないだ...
た、たった一つの愛を勝ち得ることは永遠にない。
我が哀れな主の魂が、死後天上でゼロの使い魔と共にあるこ...
――アンリエッタ・ド・トリステインは、各国歴代の王の中で...
にその名を留めている――
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続き [[27-192]]不幸せな友人たち 罪人
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