ゼロの使い魔保管庫
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10 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
秋の夜、トリステイン王国領。ゲルマニア国境近くの山中。
月夜とはいえ、足元は暗い。
黒衣の一団は、それでも急ぐ足を緩めなかった。
先頭に立って案内していた〈禿げ〉は、もう少しで足をすべ...
腰の杖を抜く暇もなかったので、とっさに首領格の〈山羊〉...
「気をつけろよ、〈禿げ〉。お前はこのあたりの出身だろうに」
頭を下げ、礼と謝罪を繰りかえし述べる〈禿げ〉に、〈山羊...
〈山羊〉は痩せて背が高い壮年の男で、あごに尖った黒いひ...
〈禿げ〉をふくめ、他の者も似たような格好だった。
「本当に、あんたらには迷惑をかけてばかりだ」
〈禿げ〉は、心底から頭をさげた。彼は一団の中でもっとも...
「なに、それほど気にすることはない。同志になった以上、助...
だが、お前、少しなまりすぎている。時間があれば体も鍛え...
〈山羊〉の言葉に、〈禿げ〉は「そのうち」と答えておいた。
トリステインの下級貴族出身である彼には、正直、平民が使...
この一団は変わったところがあり、大部分がメイジの集団で...
あの国は革新的だそうだから。
彼がこの一団に加わったのは、明確な目的があったからであ...
大仕事。ある貴人に深くかかわること。
(待っていろよ、女王)
かつての主君への深甚な憎悪をこめて、彼は胸中につぶやい...
11 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
朝。
アンリエッタは書類にサインした。マザリーニが机の前で説...
「これはかの領主の家系から、領主権を正式に剥奪するもので...
さっそく王都トリスタニアに送っておきましょう」
年若い女王は無言でうなずいた。正直、十日前のあの事件の...
旅といってもこれ自体が仕事、女王としての巡幸なのだが。
ここは屋根に緑の風見鶏がある館、その一室。
机と寝台、そして暖炉があるだけの質素な部屋。アンリエッ...
窓から見える針葉樹の木々。森におおわれたこの土地は、ゲ...
巡幸途中で訪れた土地の貴族の館であった。
説明は終わったが、マザリーニの講釈は続いた。
「国内の封建諸侯をたばねるため、君主はときとしてこのよう...
地下牢であの領主が言った言葉、『愛されるより恐怖される...
人間が裏切るのは、悪意からよりも弱さからであることのほ...
そして弱さは、愛よりも恐怖によって縛られるものです」
「枢機卿……」
アンリエッタは少々うんざりしたため息をついた。重厚なマ...
「その言葉は、何度も聞きました。ほかにもあなたから聞かさ...
『人に接するに誠実に、万民にあわれみ深く、しかし判断は感...
いえ、多いとはいいませんが」
「君主の心得としては、少なすぎますな」
マザリーニはあっさりと言ってのけた。
「それに、文句を覚えたということと、意味を理解していると...
理解していると思っていても、そうでないことが多いもので...
「わかりました、わかりました。要するに、貴族たちをおさえ...
12 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
アンリエッタは辟易しつつ、小言を終わらせるために自分か...
マザリーニはうなずくと、ふと窓の外を見た。
窓から数メイルの近い距離にある糸杉の木から、鳥の声が聞...
『rot! rot! rot!』
枢機卿の視線につられて、窓のほうを振りかえったアンリエ...
「まあ、あの小鳥だわ」
「ええ……しかし、王都の周辺では見かけない種類ですな。ゲル...
そういえばあの変わった鳴き声さえ、ゲルマニア訛りのよう...
マザリーニはそう言ってから、こほんとせき払いした。
「陛下、わたしはこれで……それと、そろそろこの地を離れなく...
この館の主も、そろそろわれわれの滞在が、財政的に大きな...
アンリエッタは窓のほうを向いたままだった。しかし、少し...
女王というよりは幼い子供を思わせるしぐさ。それを見て、...
老臣は背を向け、部屋から出て行った。
彼が出ていくのを背後に感じて、アンリエッタは再度重くた...
ほんとうに、いつまでも引きずっているべきではなかった。...
あの土地で民に虐政をしいていた領主は、死んだ。だが、そ...
領主の犯罪の……そしてアンリエッタ自身が行った政治の被害...
女王を傷つけようとした(真相はわからないが)彼女は、修道...
その少女が一週間前に閉じこめられた修道院は、この領地に...
(もう、思いきらなくては。この地から出立しましょう、明日に...
アンリエッタは決断すると、いつのまにかうつむけていた顔...
小さな、緑色の美しい鳥だった。
あの嵐の翌日から、その鳥は姿を見せはじめた。ためしにパ...
そのせいか、ついてきた。女王の一行の周りを飛ぶようにし...
「おいで、小鳥さん。またパンをあげるから」
窓をあけてアンリエッタが手をのばすと、小鳥はそこに止ま...
実はアンリエッタにとっても、戯れに言ってみたことだった...
13 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
「ごめんなさい、実はいまパンはないの」
そう謝ると、なあんだというように小鳥は羽ばたいて離れた。
糸杉の枝に戻っていく小鳥を見ていると、部屋のドアがノッ...
窓を閉めてふりむき、ドアの外に誰何する。
「だれ?」
「アニエスです」
入室許可をだす。銃士隊隊長は、マザリーニと同じ意見を持...
「そろそろわれわれは出立するべきです。これだけの人数の一...
加えて王都のほうから、増派されたメイジの護衛兵が来ます...
当初、この巡幸にはあまりメイジの護衛兵は連れてきていな...
それと平民女性からなる銃士隊のみの護衛でも、大きな危険...
これから先もこのようなことがないとは限らない、と女王の...
「ええ、わたくしもそう思っていました。なるべく早くにここ...
「……陛下。どこに行かれるつもりなのかは、察しがつきますが…...
「お願い、アニエス」
「御意」とアニエスは引き下がった。無表情ながらどこか、...
「しかし、気をつけていただきたい。街道のほうで、なにやら...
平民の傭兵団がうろついていたという情報もあります。悪質...
まさか王権にたてつくことはないでしょうが」
「もちろん、注意します」
14 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
その返答に一礼して、退出しようとしたアニエスが、「そう...
「サイトと何か、いさかいでもあったのですか?」
心臓がとびはねた。
「……な、なぜそう思うのですか?」
「いえね、たまたますれちがっても、隣のギーシュ殿にはごく...
あれは馬鹿ですが、悪い男ではありませんし、そろそろ機嫌...
あいつが陛下にたいして、なにか無礼をしたとかなら、わた...
アニエスは一見して真面目な表情。本気でいさかいがあった...
「喧嘩したわけではありません。……この前は彼にみっともない...
のちほどの護衛の件ですが、彼にもお願いすることにします...
アニエスが出て行ったあと、女王は座ったまま頭をかかえた。
予想外だったのはアニエスに少年の名を出されたことではな...
いや、うろたえる理由はわかっている。
あの嵐の後の夜、彼に口づけされた。「もう一度して、寝ら...
アンリエッタが求め、才人のしたそれはどちらかといえば、...
もしかしたらこれはルイズへの裏切りではないでしょうか、...
昔、彼とずっと雰囲気のある口づけを交わしたことがあった...
先ほどの枢機卿の言葉を思い出す。
『裏切りは、悪意よりも弱さから起こることが多い』。
(あれはまさに、わたくしの弱さから起きた裏切りなのかも……)
爪を噛みながら悶々とする。
(とにかく、普通にしていましょう。あれはサイト殿の善意でし...
いっそ……そうです、このあたりはラ・ヴァリエール領に近い...
われながら、名案のように思われた。恋人同士であるあの二...
その様子を想像したときかすかに胸が痛んだことは、気がつ...
15 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
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「なあサイト。それルイズからの手紙か?」
ギーシュが薄気味悪そうな顔でのぞきこんできたため、才人...
「な、なんでわかるんだよ」
「ニヤニヤ気持ち悪い笑みを浮かべたり、急に黙りこくったり...
ああうるせえ向こう行ってろよ、と才人は照れ隠しに乱暴な...
ギーシュは肩をすくめて地面にしゃがみこむと、自分の使い...
「聞いておくれヴェルダンデ。最近のぼくは怖いくらいに絶好...
しかも陛下はその後、顔を赤らめて目をそっと伏せられたの...
巡幸に付き従ってモンモンと離れているのは寂しいが、言え...
おやサイト、なんでまた怯えだすんだね?」
また握りつぶしてしまったルイズの手紙を握りしめつつ、才...
『もうすぐそっち行く』という内容の手紙、その最後の行に...
『姫さまの随行、きちんとつとめること。追記、でも色気を出...
キスしちゃいました。
いやあれは下心の産物ではない、と一心に念じる。
でも説明して、それが嫉妬深いご主人様兼恋人に通じるかは…...
とにかく無かったことにしよう、と才人は思うのであった。
(それにしても姫さま、どうも危なっかしい人なんだよなあ……あ...
手紙をまた広げながら、ぼんやりと思いかえす。
あれから、目を合わせることさえ避けられていた。
昨日ギーシュと館の中を歩いていて、アンリエッタとすれ違...
嫌われたのではなく意識されているらしい、と勘の良くない...
(頬染めて目を伏せられると妙な気分になっちまうんだよなぁ……...
実はちょっと名残惜しかったり。ルイズの前で言えば血がと...
16 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
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太陽はすでに昇っていた。
彼ら二人は崖の大岩の上に立って、眼下の村を見ていた。
〈禿げ〉の故郷に似た風景だった、森のなかにひらけた田園...
下級貴族の四男として生まれたため、出ていかざるを得なか...
が、正確には見下ろしているのは〈禿げ〉一人で、隣の〈鉤...
その平民出身の男は、乱杭歯をむき出しにしつつ、ときに鉄...
「われわれは共和主義を信奉している。われわれが目指すのは...
下級貴族のあんたも考えてみろよ、大貴族や王家のような連...
戦争で戦って死ぬのはおもに下級貴族であり、攻めこまれて...
人民はいまこそ立ちあがり、王政を打倒すべきなんだ」
相槌をときおりはさむものの、〈禿げ〉は憂鬱な気分でそれ...
たしかに彼も数日前にこの一団、共和制を実現するために戦...
(この平民はなんのためにこの一団に加えられたんだろう?)
〈禿げ〉は横を向き、〈鉤犬〉の貧相な面をじっくりとなが...
と、その小男はにやっと笑った。意外に狡猾な笑みだった。
「あんた、おれが役に立つのかと考えているのか? おれは『...
考えを読まれたことに、微妙に不快になり顔を前にもどす。...
「においでわかるのさ、なんでも。女と男が、富める者と貧し...
(性別はともかく、身分や貧富の差までわかるのか?)
〈禿げ〉には疑問だったが、あえて問いただそうとは思わな...
「おい、村に降りて情報を集めるぞ、〈鉤犬〉。〈禿げ〉、お...
〈山羊〉および他の同志たちが彼らの背後にやってきていた...
頭から黒いフードをかぶっている自分は、村人の注意をひく...
それでも、彼は「行く」と答えた。
〈山羊〉はうなずくとそばに来て、眼下の村を指ししめしな...
「見ろ。この村は街道から少し離れた場所にある。
街道を通るよからぬ輩を警戒してか、村はぐるりと石の壁で...
街道に面した石づくりの‘表門’と、村の裏手にある木ででき...
どちらもそこそこ重厚な門ながら、開閉はそれなりに早い。...
だが少人数のわれわれにとって問題なのは、むしろ、門を閉...
銃士隊という平民の女からなる集団と、騎士隊ごっこをして...
〈山羊〉はつづいて、村から離れた場所に見える大きな街道...
「そして、この村から街道をよこぎって、歩いて二時間ほどの...
いまは〈ねずみ〉一人がそちらに探りに行っている」
〈禿げ〉は逐一うなずきながらも、なんとなく村から少し離...
その視線の先、村の外にある風吹きわたる丘の上に、藤色の...
17 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
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その丘の上。
太陽のまぶしい午後、修道院。秋の花々が咲きほこる中庭。
藤色の壁にはツタがつたい、秋風に葉がときおり揺れる。
青い隻眼の少女は、中庭で同じテーブルについているアンリ...
「アンリエッタ様、本日はようこそおいでくださいました。あ...
アンリエッタは口を開きかけて、閉じた。
まだ挨拶と、ここの暮らしに不都合はないかという問いしか...
背後のアニエスが咳払いしたのが聞こえた。
少女の青い瞳は、深い淵のように澄んで暗かった。
「ここはとっても快適な暮らしです、と言えばアンリエッタ様...
食べ物には事欠かず、お庭には空と風と花があります。歌を...
なにより、痛いことはもうありません。
これでじゅうぶん、死ぬまでの長い長い時間を耐えていけま...
狂人としてこの修道院に入れられた少女は、あくまで笑みを...
「それにしても、女王陛下には見えない服装ですねえ、アンリ...
ここに来たと村人に知られないためでしょうか?」
図星ではある。今回は完全に私事であり、村を通ってくると...
どのみち、護衛として銃士隊や水精霊騎士隊が幾人か同行し...
アンリエッタはこわばった口をどうにか開いて、言葉を発し...
「なにか、必要なものはありますか」
「いいえ、何もありませんよ」
「何でもいいのです、望みがあるなら……」
「アンリエッタ様」
隻眼の少女の声にこめられた拒絶の意思は、女王の舌をふた...
18 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
「お帰りください、そして願わくばもう来られませんように。
私があなたから受け取るのは、この終のすみかだけでじゅう...
これ以上の厚意を、けっしてアンリエッタ様からは受け取り...
少女はゆっくり立ち上がってテーブルに背を向け、ふらふら...
何も言えないまま座っているアンリエッタに、アニエスが背...
「潮時です、陛下。行きましょう」
アンリエッタは一瞬、泣きそうに顔をゆがめてからぎこちな...
救いを求めて来たわけではなかったけれども、どこかでそれ...
せめて彼女にできることをしたいという思いは、裏を返せば...
そしてそれは少女に、当然のように突き放された。
(わたくしはなんと醜い……)
自己嫌悪を強く抱きつつ、アニエスに付き添われて歩み去る...
聖ナル聖ナル、聖ナル君、
暗キハコノ世ヲ覆ウトモ、
タダ君ノミハ、聖ナル方、
栄耀栄華ヲ極メエン……
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丘を下り、田園の中を通る道を歩いていく。石壁にかこまれ...
借りてきた館の質素な馬車を、そちらに置いてあるのだった。
麦の穂は金にかがやき、道端にはコスモスをはじめとした花...
麦畑の中の農夫たちが、汗をぬぐいつつちらちらと視線をな...
のどかな秋の午後の風景だったが、アンリエッタの足取りは...
付き従っているアニエスと才人も、気分が沈鬱にならざるを...
『あの女王の娘っこ、なんだかひどくしょげてるぜ。相棒、な...
「デルフ、デリカシーってもんを覚えような。なんでも首をつ...
19 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
デルフリンガーが沈黙した。よりによって才人にしみじみし...
才人は前を歩くアンリエッタを見やった。栗色の頭がわずか...
才人はアニエスと同じく、護衛として付いていったのだった...
したがって、どんなことがあったのかわからず、推測するし...
まあいちいち俺がなぐさめるわけにもいかねえしな、と彼に...
姫さまにはアニエスさんだっている。宰相さんもいる。何よ...
とはいえアンリエッタを見ていると感じる危なっかしさに、...
(どうしたもんかね。男だったら酒飲ませればなんとかなるんだ...
あ、でも姫さまも酒はたしなむんだよな。
そういえば、あの村の裏門をくぐってすぐに居酒屋があった...
そんなことをつらつら考えているうちに村まで戻っていた。...
それはすぐそばに建っていた。
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
〈禿げ〉は落ち葉をふみしめていらいらと歩き回っていた。...
〈山羊〉は杉の切り株に座って知らせを聞いていた。
村はずれの森の中で待機している者は、〈禿げ〉と首領であ...
そして今ここに、館を偵察してから知らせを持って戻ってき...
総勢九名の、ささやかな一団といえた……だが、〈鉤犬〉以外...
「女王が? 館から出た?」
〈山羊〉の声は〈禿げ〉にも届いていた。〈禿げ〉は足をと...
「本当か? 女王のような、たとえ多くの護衛がいなくとも目...
それとも村には来ず、そのまま森にでも入ったというのか」
知らせを持ってきた〈ねずみ〉に、〈山羊〉が繰り返したず...
〈ねずみ〉が答えた。
「確かなことはわからん。俺は館で召使たちの話を盗み聞きし...
その話だと、午後から館では女王の姿が見えないらしい。御...
そして有名なマザリーニ枢機卿が館の主にこぼしていたとい...
20 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
〈禿げ〉は口をはさんだ。
「あの女王は、庶民の娘に変装することがあると軍でも囁かれ...
もし本当にそうだとするなら、これは絶好のチャンスではな...
それを聞いて〈山羊〉と〈ねずみ〉が顔を見合わせた。〈山...
「〈山羊〉、さらに付け加えておくことがある。先ほど村中で...
〈鉤犬〉は、村中で見つけたある街娘姿の少女に注目してい...
〈山羊〉は顔をしかめ、〈禿げ〉は我しらず身をのりだして...
「さあね。だが、〈鉤犬〉にはわかるんだ、知ってのとおり。
そしてほかの五人も口をそろえて言うことには、その少女の...
「その娘はどこにいるのだ?」
「村はずれの酒屋、村外の修道院につながる道に面した店に」
「……その娘に護衛らしきものは?」
「いる。村にいた水精霊騎士隊隊員が集まっている。多くはな...
〈禿げ〉は沸騰するような興奮をおさえられなくなった。〈...
「どうやら当たったようではないか、行こう」
〈山羊〉はむっつりと〈禿げ〉を見つめ、ふってわいたこの...
「あまりにも早すぎる。この村に訪れたとたん、女王に手をか...
「〈山羊〉、あんた悠長なことを言うな。そばにいる護衛は三...
これは間違いなく、願ってもない好機だぞ!」
〈山羊〉は冷たい目で彼をにらみ、それからしぶしぶのよう...
「まあ、それならば行ってみよう。〈鉤犬〉たちはそこにいる...
そうでなければ、いったん逃げるべきだな……あらためて待ち...
〈禿げ〉はその尻込みした様子に、我慢ならなくなるところ...
ゲルマニア生まれの『火』系統のメイジのくせに、この男は...
まあいい。とにかく、アンリエッタ陛下にようやく拝謁がか...
〈禿げ〉は目深にかぶった黒フードをぐっと下に引っ張った。
21 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
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最近はあやしい連中が多すぎる、と村の居酒屋の主はためい...
まだ昼であるにもかかわらず、せまい店内には人間が詰まっ...
領主様の館に女王陛下が滞在していることと、なにか関係が...
テーブルに座ってちびちび飲んでいる少女。田舎娘では断じ...
あれは身分の高い者の変装にちがいない。自分でさえわかる...
それにしても、美しい少女ではある。
六人組の旅芸人らしき一座。こいつらもあやしい。たしかに...
しかし、それは普通は夜だ。純粋に客として来たにしては、...
そして六人組は、どうやら少女に注意をはらっているようだ...
と、六人組の一人、左手に鉄の鉤をつけたものが立ち上がっ...
その男は「相席いいかね」と言うと、返事もまたずに少女の...
少女は戸惑ったように、その小男を見ている。護衛たちも同...
警戒の視線を突き刺されながら、平然とした様子で、その鉤...
居酒屋の主人はついつい耳をすませた。
「あんたはやんごとなき身分の出だね、違うか?」
その指摘に、主人は思わずおいおい、とつぶやいた。
そういうことは、薄々わかっていても面と向かって切り出す...
自分だって興味津々ではあるが、まさかそこまで大胆なこと...
少女は驚きに目を見開いていた。ややあって、「……何の根拠...
居酒屋内にいるすべての人間の注目をあつめ、気をよくした...
「あんたからは高貴な者のにおいがする。
最上質の香水の匂い、ごくわずかにつけてほのかに香らせた...
シーツの糊の匂い、おそらく毎日洗って糊づけしてあるらし...
贅をこらした料理の匂い、香辛料をふんだんに使ったものが。
石鹸と薬草の匂いは、湯を満たしてハーブを入れた風呂のも...
小男が口をとざすと、店内がしんと静まった。主人はひそか...
と、少女が口をひらいた。
「……それで?」
「いや、どうということもない……ただね、確認したかったのさ...
あんた、トリステイン王家の縁者だな? それも、とても中...
22 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
いまや少女は完全に、固まった顔をしていた。
鉤の男が女王陛下の名を呼び捨てにしたことに、居酒屋の主...
「……無礼者!」
少女は鋭く声高に叫んで、杖を引きぬいた。
その瞬間、椅子を蹴たてて六人組が立ち上がり、同じくさっ...
「アンリエッタ陛下、われわれと一緒に来てもらいたいね。彼...
そう言った瞬間に、鉤の男はテーブル越しに胸ぐらを、少女...
目を白黒させる鉤の男の体が邪魔になり、六人組はとっさに...
胸ぐらをつかまれたままの男が、背後の六人組に向けて叫ん...
「落ち着け! 女王の系統は『水』だ、直接攻撃に向いてはい...
店内で爆発が起こった。
冗談のような威力で、店の扉のあたりの壁が粉みじんに吹き...
六人組はあるいは爆風で床に叩きふせられ、あるいは扉ごと...
起こった絶叫は、おのれの店が損壊するのを見た主人のもの...
胸ぐらをつかまれたまま凍りついている鉤の男に、少女が杖...
「まずそこが間違ってんのよ。たしかにわたし、畏れ多くも、...
「あ……あんたは?」
その桃色の髪をした少女は、面白くもなさそうに名乗った。
「ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール」
23 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
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〈ねずみ〉が先に立って居酒屋のほうに歩いていく。その二...
〈ねずみ〉と距離をあけたのは無関係をよそおうためである。
前を見たまま〈山羊〉が言葉を発してきた。
「〈禿げ〉、アンリエッタ女王はどのような人となりだ? 俺...
タルブの戦のとき女王は結婚式の途中だったが、みずから走...
この話をきくかぎり、烈女という印象になるがね。
たとえば、民を人質にとるとすれば、彼女にはどれだけ効果...
〈禿げ〉は一瞬、人質をとる? と顔をしかめかけた。下級...
どのような手段も選んでいられない事態になるかもしれない...
しかし答える必要はなくなった。「まあそれはいいか」とつ...
「トリステイン人であるお前だけが、まがりなりにも女王の顔...
その確認に、〈禿げ〉は記憶をさぐった。過去の閲兵式で、...
いずれもやや遠目からであったが、そう簡単には忘れない。
あのころは彼も、女王に忠誠を誓った軍人の一人であり、周...
あの栗色の髪、幼さの残る美貌は、強く印象に残っている。
感慨をこめて「ああ」と〈禿げ〉が首肯すると、〈山羊〉は...
「お前の復讐ももうじき成るわけだが……お前、あの女王をどう...
「さあ、自分でもわからないな。ただ何かせずにはいられない...
おいおい、とでも言いたそうな顔で〈山羊〉が横を見てくる...
「冗談だ。最後まできちんとやるさ。捕らえる、それができな...
それを聞き、〈山羊〉が自分のあごひげをいじりながら、目...
「いいのか、〈禿げ〉? お前以外、俺たちは平民の〈鉤犬〉...
だがお前はトリステイン人だ。しかも、元軍人だろう。女王...
〈禿げ〉はその言葉に、少し考えた。
(あるかもしれない。俺の心をおおっている火を吹き消せば、そ...
結局、彼は言った。
「あのような年若い小娘であろうとも、至尊の頂にいる者であ...
だから〈山羊〉、これ以上心配するな。俺がかつて持ってい...
24 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
〈禿げ〉が言い終えないうちに轟音がひびき、前方に見えて...
目と鼻の先で起きたことに絶句して立ち尽くしたらしい〈ね...
居酒屋の爆発に、村人、銃士隊、水精霊騎士隊のだれもが目...
「あの馬鹿ども――何をやった!」
〈山羊〉がうめき、様子を見ようとしてか、止めていた足を...
〈禿げ〉はその後につづこうとして……既視感を覚えた。
横を見る。
家々の窓や戸から見ている村人……仲間と一緒に駆けてくる杖...
雷に打たれたように、〈禿げ〉は一点を見て動きを止めた。...
あの少女。
彼女が歩くと王冠が輝いた。栗色の髪が風にほどけた。処女...
いま見ている彼女は変装していた。王冠はなく、髪を結って...
それでも〈禿げ〉には彼女がわかった。多くのトリステイン...
今では憎悪をこめて思い浮かべるとしても、やはりその姿は...
見つけたぞ、アンリエッタ陛下。彼はそうつぶやくと、マン...
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まさか、ほんとうに居酒屋に誘うわけにもいかない。
才人は一瞥をなげたのみで、女王とアニエスの後ろにつきし...
(ルイズもうすぐこっち来るとか言ってたよなぁ。あいつが話し...
俺もそろそろあいつと会いたいしな……ルイズが来たら来たで...
晴れて恋人関係になってから起きたあれこれの騒動を思い返...
25 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
その笑みは、背後で起きた轟音によって瞬時に吹き飛んだ。
居酒屋の扉がふっとび、二人ほどが外に投げ出されてきたの...
さすがに度肝を抜かれたのは、前を歩いていた二人も同じら...
「な……なんだ?」
アニエスがさりげなく腰の剣の柄に手を置きつつ、つぶやく。
才人はぞぞっと背筋に冷たい虫がはったのを感じた。
今の爆発は、激しく覚えがあった。
アンリエッタも同じことを思ったのか、「あれはまさか?」...
たちまち人がよってきて、あたりは喧騒に包まれていく。
才人はある予感から、野次馬を押分けて居酒屋の中に駆けこ...
今の女王は、少年のような格好をしていた。まず髪を結いあ...
体に密着する、板金で補強された鎖かたびら。下は乗馬服の...
つまり銃士隊員の服装であった。
この一週間、暇つぶしに村中をうろついている銃士隊員は結...
しかし、才人はアンリエッタの、その凛々しく中性的な印象...
騒ぎの中、杖を手にして女王にゆっくり歩み寄る男の姿を。...
才人の視線に気づいたアニエスが体ごと振りかえる。
次の動きは迅速だった。彼女は拳銃を抜き、アンリエッタと...
アンリエッタがふりむき、才人がデルフリンガーを肩から抜...
「なんだ、貴様は!」
「どけ、女。そして少年」
その男は杖をつきつけ、短く言った。
「用があるのは女王だけだ」
「なんの用か言ってみろ」
アニエスの詰問に、男は答えなかった。フードの奥に見える...
敵意が膨れあがるのを肌で感じ、才人は先に打ちこむべきか...
と、男が彼らの背後、アンリエッタのさらに後ろにむけて叫...
26 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
「〈山羊〉、この娘だ! 栗色の髪の、銃士隊の服を着た娘が...
才人は肩越しにふりかえる。
居酒屋の中に踏みこみかけていた男が、振り向いて顔をゆが...
「そっちだと?」
他に居酒屋の外に倒れていた、旅芸人のような服装をした男...
その一人が、うろたえた態で罵った。
「か……〈鉤犬〉の畜生めが、突っ走ってとんだどじを踏みやが...
その罵声に答えたのは、彼らの頭上で巻き起こった再度の爆...
直撃を避けようととっさに転がる男たち。それを見やりなが...
アンリエッタも同様だったらしく、半壊した居酒屋から出て...
「「ルイズ」」
「え、サイト……って、姫さま!? その格好、いえ、まずこの連...
「わたくしを……そう」
アンリエッタが唇をかたく引き結び、視線を前にもどす。
才人もそれで、フードの男に向けて顔をもどした。
男は口の中で短く何かを唱え……アニエスが「貴様」と怒鳴っ...
とっさに体の前でかまえたデルフリンガーで吸収したものの...
エア・ハンマーを撃ち出しながらその男は、風弾の反動で飛...
しかし驚いていたのは、呪文をかき消されたその男のほうだ...
「なるほど……平民上がりでも女王の護衛ともなると、いささか...
アニエスが、一発きりの拳銃を投げ捨て、剣をシャッと抜く...
才人もまた、過去に腕のいいメイジと対したときに何度も抱...
27 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
〈山羊〉と呼びかけられた黒衣の男が合図すると、頭をふっ...
しかし、横合いから飛んできた大量の氷の矢や石つぶて、銃...
このとき、村中をぶらついていた水精霊騎士隊および銃士隊...
アンリエッタはとっさに叫んだ。
「村の人は速やかにここから離れなさい!」
アニエスもフードの男と向かい合ったまま、周囲へむけて鋭...
「門を閉めろ!」
それに対する黒衣の男たちの反応も、いっそ見事なほど早か...
〈山羊〉が「逃げろ」と一声叫び、裏門のほうに身をひるが...
アンリエッタは、五メイルほど前方で、フードの男がぎりっ...
だが男たちがそのまま遁走することはできなかった。
間一髪、村の裏門は地響きをたてて外側から閉められ、彼ら...
が、その丸太を組み合わせた重量感のある門に、彼らの放っ...
フードの男がいきなり自らの起こした風に乗って前に突っこ...
アニエスと才人、およびその後ろのアンリエッタを迂回して...
風竜の体当たりかと見まがうほどの威力で、エア・ハンマー...
……が、そこまでだった。
いくつもの銃声が響き、男たちの一人が絶叫をあげて肩をお...
扉は半分壊れたが、いまだ炎と高熱を放ち、とても生身では...
居酒屋の中からは、水精霊騎士隊の少年三人に両腕をつかま...
剣を手にしたアニエスが、硝煙のにおいを払うように大声で...
「たとえ回復魔法であれ、もう一度でも詠唱をとなえれば、そ...
さてムッシュ、愚行はここらで幕引きだ。
それともまさか、こちらの数の優位を無視するまでに愚かか...
28 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
男たちは答えなかった。
やがて、〈山羊〉が杖をおさめた。アンリエッタは、これで...
〈山羊〉は、アンリエッタに視線を向けていた。そして慇懃...
「お初にお目にかかります、トリステインの女王アンリエッタ...
われわれはあなたを連れ去るつもりでしたが、このとおり惨...
そこでひたすら、女王の寛容にすがろうと思います――見逃し...
その言葉に誰もが目をむいた。
害しようとした本人に助けを求めるという、正気とも思えな...
「おまえたちが触れようとした人は、白百合の玉座の主なのだ...
受けられる寛容は、裁判を受けさせてもらえることくらいだ...
「あいにく、降服して死刑台をのぼらせてもらう気はありませ...
なぜこのようなことを起こしたか、説明しようと思います」
〈山羊〉に対し、なおも言葉を続けようとしたアニエスを制...
(『敵に対しては、剛毅に』)
マザリーニの教えを、心でつぶやく。彼女は凛とした声で問...
「では言いなさい。なぜこのようなことを、誰のために起こし...
「なぜなら、陛下は民の上にのしかかる者、旧弊の代表者であ...
アルビオンのさる思想家は言いましたよ。強大な力を持つ王...
誰のために? われわれは民の代弁者です、少なくともあな...
アンリエッタは表情を動かさなかった。ただ、静かに呼吸を...
(彼はわたくしを怒らせようとしているのかしら?)
どう見ても、〈山羊〉は挑発していた――ただ、この場であえ...
このようなゲーム、対話による駆け引きを、アンリエッタは...
〈山羊〉の挑発に、けっきょく彼女は反論した。
29 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
「わたくしが国を害し、多くの民が王権をくつがえすほどの憎...
しかし、そうではないと思います。わたくしはたしかに未熟...
しかも聞くところ、あなたの言葉はゲルマニア訛りがありま...
外国からのご高説はありがたいものですが、わたくしはまず...
「では陛下、あなたの民から聞きなさい。彼はかつてあなたの...
疑いなく〈山羊〉は女王の反論を待っていた。即座に、彼は...
「前へ出て話せ――〈禿げ〉」
フードの男が、〈山羊〉の横に進み出る。そのこっけいな呼...
その笑いが、〈禿げ〉と呼ばれた男がフードを後ろに払い、...
〈禿げ〉はぐるりと見渡した。最後に、アンリエッタに目を...
「二目と見られぬほど、醜いだろう? 先の大遠征のときだっ...
落ちる途中で無我夢中で自らにレビテーションをかけた。下...
ご覧のとおり、どれだけ治癒魔法をかけてもらっても、髪も...
アンリエッタは、いま自分がどんな表情をしているのかわか...
アニエスがアンリエッタの顔を見て、我慢できなくなったよ...
「軍人ならその職についた瞬間、どのような戦傷も、死さえも...
「違う。まったく恨まなかったといえば嘘だが、この傷のこと...
〈禿げ〉は暗く燃え盛る目で、アンリエッタを見つめた。
「俺はここから少し離れた領地にある、貧しい下級貴族の家の...
だから、軍に入ったのだ。アルビオン戦役の一年前にな。
幼いころから一緒だった俺の恋人は、そのあたり一帯でも評...
覚えがあるだろう、あんたに恨み言を述べたせいで、首をは...
アンリエッタは固まっていた。最後の部分の言葉、その意味...
(彼は……彼は、何をいっているの? 青い瞳に、黒い髪? それ...
30 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
「俺はこの傷のために、故郷に帰れなくなった。こんな化け物...
悲嘆にくれながら、俺はすべてを諦めることにした。岸に流...
俺は、炎に焼かれてフネから落ちた。戦死か、死者に限りな...
すっかり変わったこの顔のため、たとえ知り合いが見ても俺...
〈禿げ〉は急に声を高め、絶叫するように口を大きく開けた。
「だから――だからずっと知らなかった、彼女の父が貧窮し、彼...
一週間前に、ある人が教えてくれるまで、俺はなにも知らな...
「その、領主は、」
「そうだ、あんたが遅まきながら十日前に断罪した領主だ! ...
彼女はその後で、あんたに恨み言をぶつけただろう? 館の...
そしてあんたはその後で、彼女の首をはねさせた。
わかってるさ、女王陛下の誇りは尊く、それを傷つけようと...
だが、それが許せない者もいるんだ。
俺は自分が、あの獣の領主が、そしてあんたが憎い! 彼女...
だから、自分も死ぬつもりで、あんたに一矢報いようとした...
そんな顔をして、どうした? 殺した娘のことを、いまさら...
アンリエッタは呆然としたまま〈禿げ〉に言った。
「その娘なら、生きています」
〈禿げ〉の焼けただれた顔から表情が消えた。アンリエッタ...
「……なんだって? なんと言った?」
「生きています――その娘は、生きているのです! わたくしは...
「――嘘だ! 俺は見た、火に照らされた夜の庭で、彼女があん...
彼女が拘束され、手を縛られて銃士隊に連れて行かれるのを。
次の朝早く馬車に押しこめられて、そのまま人気の無いとこ...
すべて見た、念のために数日前に故郷に寄り、人々に話を聞...
31 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
アニエスが、これも唖然とした顔で指摘した。
「ああ、ほとんどの部分が真実だ。首をはねたこと以外が。疑...
どうやってそんなものを見ることが……いや、まずおまえにそ...
〈禿げ〉が、その問いに答えることは無かった。
真横に立っていた〈山羊〉が、手首をひるがえしてその首を...
とっさに撃とうとした者がいたかもしれない。しかし〈山羊...
〈山羊〉はずるずるとその体を盾にしたまま、煙をあげる門...
その男は、メイジのくせに帯剣していたが、今その剣をすら...
「女王陛下、彼の話を聞きましたね? ああ、そこの銃士隊長...
この哀れな男の人生、あなたによって狂わされた人生を、あ...
そしてこの男の可哀想な恋人にこう言ってやりなさい、『あ...
「き……貴様……」
アニエスが怒りに口も利けない有様で、一斉射撃の合図の手...
アンリエッタはそれを呆然と見ていた。見ていただけのはず...
「待って、アニエス……! 撃たないで!」
待って。お願いだから。アンリエッタはそう口走っていた。
近衛兵たちは女王のその言葉で動揺していた。忠実な彼らは...
ルイズと才人が問うようにアンリエッタを見ているのが、視...
そのとき、両脇を固められていた手に鉤のある男が、身をよ...
間髪を入れず、その小男は這いつくばりながら懇願をはじめ...
「お願いです、陛下、どうかお慈悲を、王の寛容を……わたしは...
ですがそれは過ちでした、あなたは優しい方だと一目見たら...
ですからどうかこの哀れな命を助けてください、ああお願い...
その男はひざまずいて顔を哀れっぽくゆがめ、涙を流しなが...
「見てください、わたしは障害者です、戦傷者です、戦争によ...
わたしの名はハンスです、生まれたところはゲルマニア北東...
32 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
黙れ、とだれかがその男に怒鳴っていた。
アンリエッタはうつろな目で、その卑屈に泣いてすがってい...
名前など、彼女はけっして知りたくなかった。殺さないでく...
〈山羊〉がたたみかけるように呼びかけた。
「陛下、われわれはその〈鉤犬〉の言うとおり、もうあなたを...
あなたはすでに、われわれを屈服させ、妥協させているので...
(『敵には剛毅に』でも、これはいったいどうすれば……攻撃すれ...
枢機卿は『しかし膝を屈した敵には寛容に』と続けていまし...
違う、こんな見え透いた嘘に乗ってはならない……でも、きっ...
唇まで蒼白になりながら、彼女は必死に考えた。実際には考...
頭が、ガンガン鳴っていた。
その前で、男たちの一人が杖を振って門の残骸を今度こそ吹...
その瞬間に「撃ちなさい」といえば、たぶん彼らを掃討でき...
今まで地面に這いつくばっていた〈鉤犬〉と呼ばれた男が、...
その背中を撃てという命令さえ、アンリエッタは下せなかっ...
アニエスが門を歯噛みしながらにらみつけている。彼女は鎖...
女王を害しようとした男たちは、全員が逃げおおせた。
33 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
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〈禿げ〉が目覚めたとき、すでに夕方になっていた。
話し声が聞こえた。彼は寝かされていた地面で、ゆっくりと...
何者かと話している〈山羊〉の、不機嫌そうな声が聞こえて...
「――最悪ではなくとも、非常に悪い幕開けでした。これで女王...
加えて、他人のふりをして一人だけさっさと逃げてやがった...
女王が襲撃されたという連絡が行ったので、あと一日のとこ...
おい、〈鉤犬〉、お前が俺の部下だったなら、最低でもお前...
「そう言うなよ。とにかく、みんな無事じゃないか」
「そのために貴重な『保険』まで使ってしまったんだぞ! こ...
ここはどこだ、と〈禿げ〉は横になったままぼんやりと周囲...
道端。それもかなり広い道の。国家が手を加えた、軍隊が通...
いさかいをしていた〈山羊〉と〈鉤犬〉の会話に、別人の声...
「もういい。お前たち、女王をどう思った?」
覚えのある声。一気に覚醒し、〈禿げ〉は首をまわしてそち...
全身を紫のローブでおおった者がいた。緑色の小鳥がその肩...
しばらく沈黙していた〈山羊〉が、薄く笑った。
「助かりました。もっと冷徹に判断する、容赦ない性格かと思...
怯まずまっすぐ俺を見て話していた。あの女王はたしかに勇...
そしてそれ以上に善良で優しく、甘く愚かな、かわいい子だ...
〈山羊〉の言葉に、〈鉤犬〉も笑みをこぼし、舌なめずりを...
「ああ、邪悪なる王権に対するに手段を選んでいられないとは...
「まったくだ。『ハンス』という名前だの結婚して子供が三人...
〈鉤犬〉の虚言の大罪はともかくとして、当初の予定通りに...
34 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
〈鉤犬〉を横からあざけった後、〈山羊〉は紫のローブの者...
「百人以上のメイジの近衛兵。これがそのままだと、われわれ...
紫のローブはうなずいて、ふところから何かを取り出した。...
それは乾いた音をたてて粉々になり、塵のようになって足の...
「〈解呪石(ディスペルストーン)〉は貴重なものだ。世界のほとんどの...
これはゲルマニアの山中で見つかった……始祖が残した宝で伝...
この最大級の大きさがある解呪石の効力は、半径一万数千メ...
その問いに、〈山羊〉は街道をはずれた草深き原野を指さす...
「そこらにいますよ。見えるところにいるのは一部ですがね。...
すでに街道の横にひそむようにして、配置についています。
みな平民とはいえ、それなりに荒事に慣れた者です。半数は...
残り半数は傭兵や、職にあぶれた私兵を集めました。こいつ...
紫のローブは愚問というようにうなずき、ぼそぼそとささや...
「〈鉤犬〉は理想のために、お前は金のために戦う。わたしが...
これはわたしにとってはトリステイン王家を滅ぼすための、...
成功した先のわれわれの目的はそれぞれ違っても、成功条件...
つまり女王を消すことだと、手駒たちにもよく飲みこませよ」
『rot』とその肩の小鳥が一声鳴いた。
〈禿げ〉はよろよろと立ちあがった。
会話していた三人の視線が集中した。〈禿げ〉は刺すような...
「お前ら……正気か? 精兵であろうとも百人の平民と、十人の...
〈山羊〉が微笑した。
「おや、〈禿げ〉、まだ心配してくれるのかね?」
〈禿げ〉は黙って、紫のローブだけを凝視した。食いしばっ...
35 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
「どういうことだ? あんたから見せられた映像、その肩にと...
女王は、彼女を殺していないと言った。思えばあれは、嘘を...
その者は答えなかった。〈禿げ〉を完全に無視して、顔を向...
かわりに〈鉤犬〉が横から口を出した。紫のローブの者に話...
「こいつ、放っておくと間違いなく裏切りますよ」
〈山羊〉もうなずいて、雇い主に向き直る。
「『保険』のために預かりましたが、さっそく使用してしまっ...
〈禿げ〉は自分のローブの中にある杖を、手が白くなるほど...
「〈山羊〉、女王に人質は効果があるか、と貴様は村で訊きや...
万一のときの人質として使うため、貴様らは嘘を教えて俺を...
紫のローブが、このとき初めて〈禿げ〉に向けて言った。か...
「お前は生きる意味を見失っていた。故郷に戻って恋人に壊れ...
この九日間、生きていることを実感しただろう? 廃人であ...
そして、嘘であったのは、女が死んだという一点のみだ。ほ...
お前が故郷に帰らなかった間、暗黒の中で女が苦しみぬいた...
〈禿げ〉は杖をふところから取り出した。生きていようとど...
(ここで、こいつと刺し違えてやる)
素早く風刃の呪文を詠唱して、殺すつもりで杖を振った――が...
〈禿げ〉は愕然として、再度こころみた。同じく、魔法は出...
何度も繰り返す。魔力は高まる。だが、それが発される前に...
〈鉤犬〉がくすくすと笑った。
「近衛のメイジ百人! ところで、そいつら魔法が使えないな...
〈禿げ〉は狂ったように杖を振るのをやめ、絶望と怒りをこ...
〈山羊〉が、その前に立ちふさがった。
彼は剣を抜いていた。それを、〈禿げ〉の胸に突き通してか...
「剣を習っておくといいと、言ってやっただろ? こういうと...
赤い夕日が街道を照らし、鮮血がたらたらと剣に貫かれた胸...
あの緑色の小鳥が、とまっていた肩から飛びあがって道端の...
36 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
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日は落ちていた。
こちらに向かっていた近衛兵たちは、連絡をうけて急行して...
館に戻り、アンリエッタは自分に当てられた部屋の中で、暖...
まだ銃士隊の服装のまま、着替えていない。
すでに夜だが明かりもつけず、炉の中で燃える熾火を見つめ...
重い疲労を感じていた。
(けっきょく誰も救えなかった。あのときためらったことは、最...
〈禿げ〉と呼ばれていたあの若者は、夕方に死体になって発...
その報告を聞いたとき、アンリエッタは怒るよりも悲しむよ...
『なぜ、彼らはこうも堂々と、トリステインの王権を侮辱する...
話をアニエスから聞いたマザリーニが答えた。容赦なく、ア...
『王権の体現者たる陛下を恐れておらぬからです。そのような...
仮に死んでも治らぬような馬鹿であっても、死ねば逆らいま...
青い目の少女のことを考えた。
彼の死を彼女に決して知られてはならない、それだけは確か...
本音をいえば話したい。許して、と泣いて謝りたい。
けれどそれは、まさしく自分の勝手というものだった。
(実は生きていた、けれどまた死んだと教えて、彼女の心をさら...
そして、自分はこのことをも背負わねばならない。あの戦の...
アンリエッタは今、王冠を頭に載せていなかった。けれどそ...
秋の夜はさむい、とぼんやり思う。炉の火は赤々と燃えてい...
せめてワインが欲しかった。あるいは、手を握って、そして……
37 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
「――ま、姫さま!」
はっと気づいて、顔をあげた。正面から、誰かがかがみこん...
黒い瞳に黒い髪。アンリエッタは誰が自分のそばに来て、呼...
「サイト殿、なんで……?」
「なんでって、その……部屋の前を通りかかってふと心配になっ...
普通は、女王から許しの言葉を得ない場合、臣下は勝手に入...
けれど、才人は正確にはアンリエッタの臣下ではない。
それに……彼はこういう少年だった。アンリエッタをそれなり...
アンリエッタは「それは、ご心配をおかけしました。でも、...
なのに、次に出てきた言葉は、どろどろの弱音だった。
「また、失敗してしまいました……」
才人はとても困った顔をしていた。それから、「そんな思い...
「姫さま、しょうがねえって。あれはとっさに反応できないよ」
「いいえ、それでもわたくしは的確に反応するべきだったので...
突然感情が激した。
それから、たかぶった精神が急降下していく。
「……わたくしの弱さは、部下の働きを裏切ったのです」
「だから、そんなこと言うなって」
才人は、へどもどしながら必死になぐさめようとしている。
震える肩にそっと彼の手が置かれた。
疲れた心のどこかで、いや、『どこか』とさえ言えないほど...
突然、ルイズのことを思い出した。実家への帰省中だったが...
街娘の姿でいたのは、まず村にひそんで水精霊騎士隊に才人...
館に帰ってきてからつい一時間ほど前、気をつかったアンリ...
38 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
(いけないわ、これは……)
思わず、身を離すようにのけぞって顔をそむける。
「姫さま?」
「出て行ってくださいまし。これ以上、考えることを増やさな...
毅然として言えはしなかった。震えて、自分でもみっともな...
たぶん、それがまずかった。
気がつくと手を引かれて立たされ、抱きとめられていた。
「落ち着けって。俺、馬鹿だからこんなことしか言えねえけど...
なあ、そんな震えないでくれよ」
彼の声は、困惑と心配に満ちていた。壊れ物を扱うような、...
少年の体の温かさに、冷えていた体がじんわり温まっていく...
振りほどく気にはどうしてもなれなかった。というより、こ...
「それなら、もっと強く抱いてくださいまし。何も考えないで...
才人が戸惑っていたのは短い間だった。彼の腕に力がこめら...
炉の火が、赤々と燃えている。
互いに伝わる心臓の音が、ほんの少しだけ早い。だが、不思...
急にドンドン、と部屋の扉が激しい勢いでたたかれた。
はっとして二人が身を離す。アンリエッタが「ど、どうぞ」...
尋常ではなく血相を変えていた。
「陛下、トリスタニアから来た増派の近衛兵が、ここから八千...
無音の雷が室内に落ちた。
39 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
アンリエッタは、頭をふった。まさに青天の霹靂だったが、...
比較的冷静に、状況を問う。
「……なぜ、そんなことになるのです? 近衛兵たちは軍の中で...
「陛下」
アニエスが緊張した声で、仰天するようなことを告げた。
「敗残兵たちの一部がこの館に逃げこみました。彼らが言うに...
そしてなぜか、われわれは魔法を使えなくなったのだ、と近...
彼らは惨敗しました。当然のことながら、敵にはほとんど被...
アニエスの後ろから、ルイズまでが歩いてきた。彼女の声も...
「試しましたが、わたしも虚無が使えませんわ。水精霊騎士隊...
秋の月が空に光る。それでも暗い、そして長い夜が始まった...
終了行:
10 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
秋の夜、トリステイン王国領。ゲルマニア国境近くの山中。
月夜とはいえ、足元は暗い。
黒衣の一団は、それでも急ぐ足を緩めなかった。
先頭に立って案内していた〈禿げ〉は、もう少しで足をすべ...
腰の杖を抜く暇もなかったので、とっさに首領格の〈山羊〉...
「気をつけろよ、〈禿げ〉。お前はこのあたりの出身だろうに」
頭を下げ、礼と謝罪を繰りかえし述べる〈禿げ〉に、〈山羊...
〈山羊〉は痩せて背が高い壮年の男で、あごに尖った黒いひ...
〈禿げ〉をふくめ、他の者も似たような格好だった。
「本当に、あんたらには迷惑をかけてばかりだ」
〈禿げ〉は、心底から頭をさげた。彼は一団の中でもっとも...
「なに、それほど気にすることはない。同志になった以上、助...
だが、お前、少しなまりすぎている。時間があれば体も鍛え...
〈山羊〉の言葉に、〈禿げ〉は「そのうち」と答えておいた。
トリステインの下級貴族出身である彼には、正直、平民が使...
この一団は変わったところがあり、大部分がメイジの集団で...
あの国は革新的だそうだから。
彼がこの一団に加わったのは、明確な目的があったからであ...
大仕事。ある貴人に深くかかわること。
(待っていろよ、女王)
かつての主君への深甚な憎悪をこめて、彼は胸中につぶやい...
11 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
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朝。
アンリエッタは書類にサインした。マザリーニが机の前で説...
「これはかの領主の家系から、領主権を正式に剥奪するもので...
さっそく王都トリスタニアに送っておきましょう」
年若い女王は無言でうなずいた。正直、十日前のあの事件の...
旅といってもこれ自体が仕事、女王としての巡幸なのだが。
ここは屋根に緑の風見鶏がある館、その一室。
机と寝台、そして暖炉があるだけの質素な部屋。アンリエッ...
窓から見える針葉樹の木々。森におおわれたこの土地は、ゲ...
巡幸途中で訪れた土地の貴族の館であった。
説明は終わったが、マザリーニの講釈は続いた。
「国内の封建諸侯をたばねるため、君主はときとしてこのよう...
地下牢であの領主が言った言葉、『愛されるより恐怖される...
人間が裏切るのは、悪意からよりも弱さからであることのほ...
そして弱さは、愛よりも恐怖によって縛られるものです」
「枢機卿……」
アンリエッタは少々うんざりしたため息をついた。重厚なマ...
「その言葉は、何度も聞きました。ほかにもあなたから聞かさ...
『人に接するに誠実に、万民にあわれみ深く、しかし判断は感...
いえ、多いとはいいませんが」
「君主の心得としては、少なすぎますな」
マザリーニはあっさりと言ってのけた。
「それに、文句を覚えたということと、意味を理解していると...
理解していると思っていても、そうでないことが多いもので...
「わかりました、わかりました。要するに、貴族たちをおさえ...
12 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
アンリエッタは辟易しつつ、小言を終わらせるために自分か...
マザリーニはうなずくと、ふと窓の外を見た。
窓から数メイルの近い距離にある糸杉の木から、鳥の声が聞...
『rot! rot! rot!』
枢機卿の視線につられて、窓のほうを振りかえったアンリエ...
「まあ、あの小鳥だわ」
「ええ……しかし、王都の周辺では見かけない種類ですな。ゲル...
そういえばあの変わった鳴き声さえ、ゲルマニア訛りのよう...
マザリーニはそう言ってから、こほんとせき払いした。
「陛下、わたしはこれで……それと、そろそろこの地を離れなく...
この館の主も、そろそろわれわれの滞在が、財政的に大きな...
アンリエッタは窓のほうを向いたままだった。しかし、少し...
女王というよりは幼い子供を思わせるしぐさ。それを見て、...
老臣は背を向け、部屋から出て行った。
彼が出ていくのを背後に感じて、アンリエッタは再度重くた...
ほんとうに、いつまでも引きずっているべきではなかった。...
あの土地で民に虐政をしいていた領主は、死んだ。だが、そ...
領主の犯罪の……そしてアンリエッタ自身が行った政治の被害...
女王を傷つけようとした(真相はわからないが)彼女は、修道...
その少女が一週間前に閉じこめられた修道院は、この領地に...
(もう、思いきらなくては。この地から出立しましょう、明日に...
アンリエッタは決断すると、いつのまにかうつむけていた顔...
小さな、緑色の美しい鳥だった。
あの嵐の翌日から、その鳥は姿を見せはじめた。ためしにパ...
そのせいか、ついてきた。女王の一行の周りを飛ぶようにし...
「おいで、小鳥さん。またパンをあげるから」
窓をあけてアンリエッタが手をのばすと、小鳥はそこに止ま...
実はアンリエッタにとっても、戯れに言ってみたことだった...
13 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
「ごめんなさい、実はいまパンはないの」
そう謝ると、なあんだというように小鳥は羽ばたいて離れた。
糸杉の枝に戻っていく小鳥を見ていると、部屋のドアがノッ...
窓を閉めてふりむき、ドアの外に誰何する。
「だれ?」
「アニエスです」
入室許可をだす。銃士隊隊長は、マザリーニと同じ意見を持...
「そろそろわれわれは出立するべきです。これだけの人数の一...
加えて王都のほうから、増派されたメイジの護衛兵が来ます...
当初、この巡幸にはあまりメイジの護衛兵は連れてきていな...
それと平民女性からなる銃士隊のみの護衛でも、大きな危険...
これから先もこのようなことがないとは限らない、と女王の...
「ええ、わたくしもそう思っていました。なるべく早くにここ...
「……陛下。どこに行かれるつもりなのかは、察しがつきますが…...
「お願い、アニエス」
「御意」とアニエスは引き下がった。無表情ながらどこか、...
「しかし、気をつけていただきたい。街道のほうで、なにやら...
平民の傭兵団がうろついていたという情報もあります。悪質...
まさか王権にたてつくことはないでしょうが」
「もちろん、注意します」
14 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
その返答に一礼して、退出しようとしたアニエスが、「そう...
「サイトと何か、いさかいでもあったのですか?」
心臓がとびはねた。
「……な、なぜそう思うのですか?」
「いえね、たまたますれちがっても、隣のギーシュ殿にはごく...
あれは馬鹿ですが、悪い男ではありませんし、そろそろ機嫌...
あいつが陛下にたいして、なにか無礼をしたとかなら、わた...
アニエスは一見して真面目な表情。本気でいさかいがあった...
「喧嘩したわけではありません。……この前は彼にみっともない...
のちほどの護衛の件ですが、彼にもお願いすることにします...
アニエスが出て行ったあと、女王は座ったまま頭をかかえた。
予想外だったのはアニエスに少年の名を出されたことではな...
いや、うろたえる理由はわかっている。
あの嵐の後の夜、彼に口づけされた。「もう一度して、寝ら...
アンリエッタが求め、才人のしたそれはどちらかといえば、...
もしかしたらこれはルイズへの裏切りではないでしょうか、...
昔、彼とずっと雰囲気のある口づけを交わしたことがあった...
先ほどの枢機卿の言葉を思い出す。
『裏切りは、悪意よりも弱さから起こることが多い』。
(あれはまさに、わたくしの弱さから起きた裏切りなのかも……)
爪を噛みながら悶々とする。
(とにかく、普通にしていましょう。あれはサイト殿の善意でし...
いっそ……そうです、このあたりはラ・ヴァリエール領に近い...
われながら、名案のように思われた。恋人同士であるあの二...
その様子を想像したときかすかに胸が痛んだことは、気がつ...
15 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
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「なあサイト。それルイズからの手紙か?」
ギーシュが薄気味悪そうな顔でのぞきこんできたため、才人...
「な、なんでわかるんだよ」
「ニヤニヤ気持ち悪い笑みを浮かべたり、急に黙りこくったり...
ああうるせえ向こう行ってろよ、と才人は照れ隠しに乱暴な...
ギーシュは肩をすくめて地面にしゃがみこむと、自分の使い...
「聞いておくれヴェルダンデ。最近のぼくは怖いくらいに絶好...
しかも陛下はその後、顔を赤らめて目をそっと伏せられたの...
巡幸に付き従ってモンモンと離れているのは寂しいが、言え...
おやサイト、なんでまた怯えだすんだね?」
また握りつぶしてしまったルイズの手紙を握りしめつつ、才...
『もうすぐそっち行く』という内容の手紙、その最後の行に...
『姫さまの随行、きちんとつとめること。追記、でも色気を出...
キスしちゃいました。
いやあれは下心の産物ではない、と一心に念じる。
でも説明して、それが嫉妬深いご主人様兼恋人に通じるかは…...
とにかく無かったことにしよう、と才人は思うのであった。
(それにしても姫さま、どうも危なっかしい人なんだよなあ……あ...
手紙をまた広げながら、ぼんやりと思いかえす。
あれから、目を合わせることさえ避けられていた。
昨日ギーシュと館の中を歩いていて、アンリエッタとすれ違...
嫌われたのではなく意識されているらしい、と勘の良くない...
(頬染めて目を伏せられると妙な気分になっちまうんだよなぁ……...
実はちょっと名残惜しかったり。ルイズの前で言えば血がと...
16 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
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太陽はすでに昇っていた。
彼ら二人は崖の大岩の上に立って、眼下の村を見ていた。
〈禿げ〉の故郷に似た風景だった、森のなかにひらけた田園...
下級貴族の四男として生まれたため、出ていかざるを得なか...
が、正確には見下ろしているのは〈禿げ〉一人で、隣の〈鉤...
その平民出身の男は、乱杭歯をむき出しにしつつ、ときに鉄...
「われわれは共和主義を信奉している。われわれが目指すのは...
下級貴族のあんたも考えてみろよ、大貴族や王家のような連...
戦争で戦って死ぬのはおもに下級貴族であり、攻めこまれて...
人民はいまこそ立ちあがり、王政を打倒すべきなんだ」
相槌をときおりはさむものの、〈禿げ〉は憂鬱な気分でそれ...
たしかに彼も数日前にこの一団、共和制を実現するために戦...
(この平民はなんのためにこの一団に加えられたんだろう?)
〈禿げ〉は横を向き、〈鉤犬〉の貧相な面をじっくりとなが...
と、その小男はにやっと笑った。意外に狡猾な笑みだった。
「あんた、おれが役に立つのかと考えているのか? おれは『...
考えを読まれたことに、微妙に不快になり顔を前にもどす。...
「においでわかるのさ、なんでも。女と男が、富める者と貧し...
(性別はともかく、身分や貧富の差までわかるのか?)
〈禿げ〉には疑問だったが、あえて問いただそうとは思わな...
「おい、村に降りて情報を集めるぞ、〈鉤犬〉。〈禿げ〉、お...
〈山羊〉および他の同志たちが彼らの背後にやってきていた...
頭から黒いフードをかぶっている自分は、村人の注意をひく...
それでも、彼は「行く」と答えた。
〈山羊〉はうなずくとそばに来て、眼下の村を指ししめしな...
「見ろ。この村は街道から少し離れた場所にある。
街道を通るよからぬ輩を警戒してか、村はぐるりと石の壁で...
街道に面した石づくりの‘表門’と、村の裏手にある木ででき...
どちらもそこそこ重厚な門ながら、開閉はそれなりに早い。...
だが少人数のわれわれにとって問題なのは、むしろ、門を閉...
銃士隊という平民の女からなる集団と、騎士隊ごっこをして...
〈山羊〉はつづいて、村から離れた場所に見える大きな街道...
「そして、この村から街道をよこぎって、歩いて二時間ほどの...
いまは〈ねずみ〉一人がそちらに探りに行っている」
〈禿げ〉は逐一うなずきながらも、なんとなく村から少し離...
その視線の先、村の外にある風吹きわたる丘の上に、藤色の...
17 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
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その丘の上。
太陽のまぶしい午後、修道院。秋の花々が咲きほこる中庭。
藤色の壁にはツタがつたい、秋風に葉がときおり揺れる。
青い隻眼の少女は、中庭で同じテーブルについているアンリ...
「アンリエッタ様、本日はようこそおいでくださいました。あ...
アンリエッタは口を開きかけて、閉じた。
まだ挨拶と、ここの暮らしに不都合はないかという問いしか...
背後のアニエスが咳払いしたのが聞こえた。
少女の青い瞳は、深い淵のように澄んで暗かった。
「ここはとっても快適な暮らしです、と言えばアンリエッタ様...
食べ物には事欠かず、お庭には空と風と花があります。歌を...
なにより、痛いことはもうありません。
これでじゅうぶん、死ぬまでの長い長い時間を耐えていけま...
狂人としてこの修道院に入れられた少女は、あくまで笑みを...
「それにしても、女王陛下には見えない服装ですねえ、アンリ...
ここに来たと村人に知られないためでしょうか?」
図星ではある。今回は完全に私事であり、村を通ってくると...
どのみち、護衛として銃士隊や水精霊騎士隊が幾人か同行し...
アンリエッタはこわばった口をどうにか開いて、言葉を発し...
「なにか、必要なものはありますか」
「いいえ、何もありませんよ」
「何でもいいのです、望みがあるなら……」
「アンリエッタ様」
隻眼の少女の声にこめられた拒絶の意思は、女王の舌をふた...
18 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
「お帰りください、そして願わくばもう来られませんように。
私があなたから受け取るのは、この終のすみかだけでじゅう...
これ以上の厚意を、けっしてアンリエッタ様からは受け取り...
少女はゆっくり立ち上がってテーブルに背を向け、ふらふら...
何も言えないまま座っているアンリエッタに、アニエスが背...
「潮時です、陛下。行きましょう」
アンリエッタは一瞬、泣きそうに顔をゆがめてからぎこちな...
救いを求めて来たわけではなかったけれども、どこかでそれ...
せめて彼女にできることをしたいという思いは、裏を返せば...
そしてそれは少女に、当然のように突き放された。
(わたくしはなんと醜い……)
自己嫌悪を強く抱きつつ、アニエスに付き添われて歩み去る...
聖ナル聖ナル、聖ナル君、
暗キハコノ世ヲ覆ウトモ、
タダ君ノミハ、聖ナル方、
栄耀栄華ヲ極メエン……
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丘を下り、田園の中を通る道を歩いていく。石壁にかこまれ...
借りてきた館の質素な馬車を、そちらに置いてあるのだった。
麦の穂は金にかがやき、道端にはコスモスをはじめとした花...
麦畑の中の農夫たちが、汗をぬぐいつつちらちらと視線をな...
のどかな秋の午後の風景だったが、アンリエッタの足取りは...
付き従っているアニエスと才人も、気分が沈鬱にならざるを...
『あの女王の娘っこ、なんだかひどくしょげてるぜ。相棒、な...
「デルフ、デリカシーってもんを覚えような。なんでも首をつ...
19 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
デルフリンガーが沈黙した。よりによって才人にしみじみし...
才人は前を歩くアンリエッタを見やった。栗色の頭がわずか...
才人はアニエスと同じく、護衛として付いていったのだった...
したがって、どんなことがあったのかわからず、推測するし...
まあいちいち俺がなぐさめるわけにもいかねえしな、と彼に...
姫さまにはアニエスさんだっている。宰相さんもいる。何よ...
とはいえアンリエッタを見ていると感じる危なっかしさに、...
(どうしたもんかね。男だったら酒飲ませればなんとかなるんだ...
あ、でも姫さまも酒はたしなむんだよな。
そういえば、あの村の裏門をくぐってすぐに居酒屋があった...
そんなことをつらつら考えているうちに村まで戻っていた。...
それはすぐそばに建っていた。
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〈禿げ〉は落ち葉をふみしめていらいらと歩き回っていた。...
〈山羊〉は杉の切り株に座って知らせを聞いていた。
村はずれの森の中で待機している者は、〈禿げ〉と首領であ...
そして今ここに、館を偵察してから知らせを持って戻ってき...
総勢九名の、ささやかな一団といえた……だが、〈鉤犬〉以外...
「女王が? 館から出た?」
〈山羊〉の声は〈禿げ〉にも届いていた。〈禿げ〉は足をと...
「本当か? 女王のような、たとえ多くの護衛がいなくとも目...
それとも村には来ず、そのまま森にでも入ったというのか」
知らせを持ってきた〈ねずみ〉に、〈山羊〉が繰り返したず...
〈ねずみ〉が答えた。
「確かなことはわからん。俺は館で召使たちの話を盗み聞きし...
その話だと、午後から館では女王の姿が見えないらしい。御...
そして有名なマザリーニ枢機卿が館の主にこぼしていたとい...
20 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
〈禿げ〉は口をはさんだ。
「あの女王は、庶民の娘に変装することがあると軍でも囁かれ...
もし本当にそうだとするなら、これは絶好のチャンスではな...
それを聞いて〈山羊〉と〈ねずみ〉が顔を見合わせた。〈山...
「〈山羊〉、さらに付け加えておくことがある。先ほど村中で...
〈鉤犬〉は、村中で見つけたある街娘姿の少女に注目してい...
〈山羊〉は顔をしかめ、〈禿げ〉は我しらず身をのりだして...
「さあね。だが、〈鉤犬〉にはわかるんだ、知ってのとおり。
そしてほかの五人も口をそろえて言うことには、その少女の...
「その娘はどこにいるのだ?」
「村はずれの酒屋、村外の修道院につながる道に面した店に」
「……その娘に護衛らしきものは?」
「いる。村にいた水精霊騎士隊隊員が集まっている。多くはな...
〈禿げ〉は沸騰するような興奮をおさえられなくなった。〈...
「どうやら当たったようではないか、行こう」
〈山羊〉はむっつりと〈禿げ〉を見つめ、ふってわいたこの...
「あまりにも早すぎる。この村に訪れたとたん、女王に手をか...
「〈山羊〉、あんた悠長なことを言うな。そばにいる護衛は三...
これは間違いなく、願ってもない好機だぞ!」
〈山羊〉は冷たい目で彼をにらみ、それからしぶしぶのよう...
「まあ、それならば行ってみよう。〈鉤犬〉たちはそこにいる...
そうでなければ、いったん逃げるべきだな……あらためて待ち...
〈禿げ〉はその尻込みした様子に、我慢ならなくなるところ...
ゲルマニア生まれの『火』系統のメイジのくせに、この男は...
まあいい。とにかく、アンリエッタ陛下にようやく拝謁がか...
〈禿げ〉は目深にかぶった黒フードをぐっと下に引っ張った。
21 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
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最近はあやしい連中が多すぎる、と村の居酒屋の主はためい...
まだ昼であるにもかかわらず、せまい店内には人間が詰まっ...
領主様の館に女王陛下が滞在していることと、なにか関係が...
テーブルに座ってちびちび飲んでいる少女。田舎娘では断じ...
あれは身分の高い者の変装にちがいない。自分でさえわかる...
それにしても、美しい少女ではある。
六人組の旅芸人らしき一座。こいつらもあやしい。たしかに...
しかし、それは普通は夜だ。純粋に客として来たにしては、...
そして六人組は、どうやら少女に注意をはらっているようだ...
と、六人組の一人、左手に鉄の鉤をつけたものが立ち上がっ...
その男は「相席いいかね」と言うと、返事もまたずに少女の...
少女は戸惑ったように、その小男を見ている。護衛たちも同...
警戒の視線を突き刺されながら、平然とした様子で、その鉤...
居酒屋の主人はついつい耳をすませた。
「あんたはやんごとなき身分の出だね、違うか?」
その指摘に、主人は思わずおいおい、とつぶやいた。
そういうことは、薄々わかっていても面と向かって切り出す...
自分だって興味津々ではあるが、まさかそこまで大胆なこと...
少女は驚きに目を見開いていた。ややあって、「……何の根拠...
居酒屋内にいるすべての人間の注目をあつめ、気をよくした...
「あんたからは高貴な者のにおいがする。
最上質の香水の匂い、ごくわずかにつけてほのかに香らせた...
シーツの糊の匂い、おそらく毎日洗って糊づけしてあるらし...
贅をこらした料理の匂い、香辛料をふんだんに使ったものが。
石鹸と薬草の匂いは、湯を満たしてハーブを入れた風呂のも...
小男が口をとざすと、店内がしんと静まった。主人はひそか...
と、少女が口をひらいた。
「……それで?」
「いや、どうということもない……ただね、確認したかったのさ...
あんた、トリステイン王家の縁者だな? それも、とても中...
22 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
いまや少女は完全に、固まった顔をしていた。
鉤の男が女王陛下の名を呼び捨てにしたことに、居酒屋の主...
「……無礼者!」
少女は鋭く声高に叫んで、杖を引きぬいた。
その瞬間、椅子を蹴たてて六人組が立ち上がり、同じくさっ...
「アンリエッタ陛下、われわれと一緒に来てもらいたいね。彼...
そう言った瞬間に、鉤の男はテーブル越しに胸ぐらを、少女...
目を白黒させる鉤の男の体が邪魔になり、六人組はとっさに...
胸ぐらをつかまれたままの男が、背後の六人組に向けて叫ん...
「落ち着け! 女王の系統は『水』だ、直接攻撃に向いてはい...
店内で爆発が起こった。
冗談のような威力で、店の扉のあたりの壁が粉みじんに吹き...
六人組はあるいは爆風で床に叩きふせられ、あるいは扉ごと...
起こった絶叫は、おのれの店が損壊するのを見た主人のもの...
胸ぐらをつかまれたまま凍りついている鉤の男に、少女が杖...
「まずそこが間違ってんのよ。たしかにわたし、畏れ多くも、...
「あ……あんたは?」
その桃色の髪をした少女は、面白くもなさそうに名乗った。
「ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール」
23 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
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〈ねずみ〉が先に立って居酒屋のほうに歩いていく。その二...
〈ねずみ〉と距離をあけたのは無関係をよそおうためである。
前を見たまま〈山羊〉が言葉を発してきた。
「〈禿げ〉、アンリエッタ女王はどのような人となりだ? 俺...
タルブの戦のとき女王は結婚式の途中だったが、みずから走...
この話をきくかぎり、烈女という印象になるがね。
たとえば、民を人質にとるとすれば、彼女にはどれだけ効果...
〈禿げ〉は一瞬、人質をとる? と顔をしかめかけた。下級...
どのような手段も選んでいられない事態になるかもしれない...
しかし答える必要はなくなった。「まあそれはいいか」とつ...
「トリステイン人であるお前だけが、まがりなりにも女王の顔...
その確認に、〈禿げ〉は記憶をさぐった。過去の閲兵式で、...
いずれもやや遠目からであったが、そう簡単には忘れない。
あのころは彼も、女王に忠誠を誓った軍人の一人であり、周...
あの栗色の髪、幼さの残る美貌は、強く印象に残っている。
感慨をこめて「ああ」と〈禿げ〉が首肯すると、〈山羊〉は...
「お前の復讐ももうじき成るわけだが……お前、あの女王をどう...
「さあ、自分でもわからないな。ただ何かせずにはいられない...
おいおい、とでも言いたそうな顔で〈山羊〉が横を見てくる...
「冗談だ。最後まできちんとやるさ。捕らえる、それができな...
それを聞き、〈山羊〉が自分のあごひげをいじりながら、目...
「いいのか、〈禿げ〉? お前以外、俺たちは平民の〈鉤犬〉...
だがお前はトリステイン人だ。しかも、元軍人だろう。女王...
〈禿げ〉はその言葉に、少し考えた。
(あるかもしれない。俺の心をおおっている火を吹き消せば、そ...
結局、彼は言った。
「あのような年若い小娘であろうとも、至尊の頂にいる者であ...
だから〈山羊〉、これ以上心配するな。俺がかつて持ってい...
24 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
〈禿げ〉が言い終えないうちに轟音がひびき、前方に見えて...
目と鼻の先で起きたことに絶句して立ち尽くしたらしい〈ね...
居酒屋の爆発に、村人、銃士隊、水精霊騎士隊のだれもが目...
「あの馬鹿ども――何をやった!」
〈山羊〉がうめき、様子を見ようとしてか、止めていた足を...
〈禿げ〉はその後につづこうとして……既視感を覚えた。
横を見る。
家々の窓や戸から見ている村人……仲間と一緒に駆けてくる杖...
雷に打たれたように、〈禿げ〉は一点を見て動きを止めた。...
あの少女。
彼女が歩くと王冠が輝いた。栗色の髪が風にほどけた。処女...
いま見ている彼女は変装していた。王冠はなく、髪を結って...
それでも〈禿げ〉には彼女がわかった。多くのトリステイン...
今では憎悪をこめて思い浮かべるとしても、やはりその姿は...
見つけたぞ、アンリエッタ陛下。彼はそうつぶやくと、マン...
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まさか、ほんとうに居酒屋に誘うわけにもいかない。
才人は一瞥をなげたのみで、女王とアニエスの後ろにつきし...
(ルイズもうすぐこっち来るとか言ってたよなぁ。あいつが話し...
俺もそろそろあいつと会いたいしな……ルイズが来たら来たで...
晴れて恋人関係になってから起きたあれこれの騒動を思い返...
25 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
その笑みは、背後で起きた轟音によって瞬時に吹き飛んだ。
居酒屋の扉がふっとび、二人ほどが外に投げ出されてきたの...
さすがに度肝を抜かれたのは、前を歩いていた二人も同じら...
「な……なんだ?」
アニエスがさりげなく腰の剣の柄に手を置きつつ、つぶやく。
才人はぞぞっと背筋に冷たい虫がはったのを感じた。
今の爆発は、激しく覚えがあった。
アンリエッタも同じことを思ったのか、「あれはまさか?」...
たちまち人がよってきて、あたりは喧騒に包まれていく。
才人はある予感から、野次馬を押分けて居酒屋の中に駆けこ...
今の女王は、少年のような格好をしていた。まず髪を結いあ...
体に密着する、板金で補強された鎖かたびら。下は乗馬服の...
つまり銃士隊員の服装であった。
この一週間、暇つぶしに村中をうろついている銃士隊員は結...
しかし、才人はアンリエッタの、その凛々しく中性的な印象...
騒ぎの中、杖を手にして女王にゆっくり歩み寄る男の姿を。...
才人の視線に気づいたアニエスが体ごと振りかえる。
次の動きは迅速だった。彼女は拳銃を抜き、アンリエッタと...
アンリエッタがふりむき、才人がデルフリンガーを肩から抜...
「なんだ、貴様は!」
「どけ、女。そして少年」
その男は杖をつきつけ、短く言った。
「用があるのは女王だけだ」
「なんの用か言ってみろ」
アニエスの詰問に、男は答えなかった。フードの奥に見える...
敵意が膨れあがるのを肌で感じ、才人は先に打ちこむべきか...
と、男が彼らの背後、アンリエッタのさらに後ろにむけて叫...
26 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
「〈山羊〉、この娘だ! 栗色の髪の、銃士隊の服を着た娘が...
才人は肩越しにふりかえる。
居酒屋の中に踏みこみかけていた男が、振り向いて顔をゆが...
「そっちだと?」
他に居酒屋の外に倒れていた、旅芸人のような服装をした男...
その一人が、うろたえた態で罵った。
「か……〈鉤犬〉の畜生めが、突っ走ってとんだどじを踏みやが...
その罵声に答えたのは、彼らの頭上で巻き起こった再度の爆...
直撃を避けようととっさに転がる男たち。それを見やりなが...
アンリエッタも同様だったらしく、半壊した居酒屋から出て...
「「ルイズ」」
「え、サイト……って、姫さま!? その格好、いえ、まずこの連...
「わたくしを……そう」
アンリエッタが唇をかたく引き結び、視線を前にもどす。
才人もそれで、フードの男に向けて顔をもどした。
男は口の中で短く何かを唱え……アニエスが「貴様」と怒鳴っ...
とっさに体の前でかまえたデルフリンガーで吸収したものの...
エア・ハンマーを撃ち出しながらその男は、風弾の反動で飛...
しかし驚いていたのは、呪文をかき消されたその男のほうだ...
「なるほど……平民上がりでも女王の護衛ともなると、いささか...
アニエスが、一発きりの拳銃を投げ捨て、剣をシャッと抜く...
才人もまた、過去に腕のいいメイジと対したときに何度も抱...
27 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
〈山羊〉と呼びかけられた黒衣の男が合図すると、頭をふっ...
しかし、横合いから飛んできた大量の氷の矢や石つぶて、銃...
このとき、村中をぶらついていた水精霊騎士隊および銃士隊...
アンリエッタはとっさに叫んだ。
「村の人は速やかにここから離れなさい!」
アニエスもフードの男と向かい合ったまま、周囲へむけて鋭...
「門を閉めろ!」
それに対する黒衣の男たちの反応も、いっそ見事なほど早か...
〈山羊〉が「逃げろ」と一声叫び、裏門のほうに身をひるが...
アンリエッタは、五メイルほど前方で、フードの男がぎりっ...
だが男たちがそのまま遁走することはできなかった。
間一髪、村の裏門は地響きをたてて外側から閉められ、彼ら...
が、その丸太を組み合わせた重量感のある門に、彼らの放っ...
フードの男がいきなり自らの起こした風に乗って前に突っこ...
アニエスと才人、およびその後ろのアンリエッタを迂回して...
風竜の体当たりかと見まがうほどの威力で、エア・ハンマー...
……が、そこまでだった。
いくつもの銃声が響き、男たちの一人が絶叫をあげて肩をお...
扉は半分壊れたが、いまだ炎と高熱を放ち、とても生身では...
居酒屋の中からは、水精霊騎士隊の少年三人に両腕をつかま...
剣を手にしたアニエスが、硝煙のにおいを払うように大声で...
「たとえ回復魔法であれ、もう一度でも詠唱をとなえれば、そ...
さてムッシュ、愚行はここらで幕引きだ。
それともまさか、こちらの数の優位を無視するまでに愚かか...
28 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
男たちは答えなかった。
やがて、〈山羊〉が杖をおさめた。アンリエッタは、これで...
〈山羊〉は、アンリエッタに視線を向けていた。そして慇懃...
「お初にお目にかかります、トリステインの女王アンリエッタ...
われわれはあなたを連れ去るつもりでしたが、このとおり惨...
そこでひたすら、女王の寛容にすがろうと思います――見逃し...
その言葉に誰もが目をむいた。
害しようとした本人に助けを求めるという、正気とも思えな...
「おまえたちが触れようとした人は、白百合の玉座の主なのだ...
受けられる寛容は、裁判を受けさせてもらえることくらいだ...
「あいにく、降服して死刑台をのぼらせてもらう気はありませ...
なぜこのようなことを起こしたか、説明しようと思います」
〈山羊〉に対し、なおも言葉を続けようとしたアニエスを制...
(『敵に対しては、剛毅に』)
マザリーニの教えを、心でつぶやく。彼女は凛とした声で問...
「では言いなさい。なぜこのようなことを、誰のために起こし...
「なぜなら、陛下は民の上にのしかかる者、旧弊の代表者であ...
アルビオンのさる思想家は言いましたよ。強大な力を持つ王...
誰のために? われわれは民の代弁者です、少なくともあな...
アンリエッタは表情を動かさなかった。ただ、静かに呼吸を...
(彼はわたくしを怒らせようとしているのかしら?)
どう見ても、〈山羊〉は挑発していた――ただ、この場であえ...
このようなゲーム、対話による駆け引きを、アンリエッタは...
〈山羊〉の挑発に、けっきょく彼女は反論した。
29 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
「わたくしが国を害し、多くの民が王権をくつがえすほどの憎...
しかし、そうではないと思います。わたくしはたしかに未熟...
しかも聞くところ、あなたの言葉はゲルマニア訛りがありま...
外国からのご高説はありがたいものですが、わたくしはまず...
「では陛下、あなたの民から聞きなさい。彼はかつてあなたの...
疑いなく〈山羊〉は女王の反論を待っていた。即座に、彼は...
「前へ出て話せ――〈禿げ〉」
フードの男が、〈山羊〉の横に進み出る。そのこっけいな呼...
その笑いが、〈禿げ〉と呼ばれた男がフードを後ろに払い、...
〈禿げ〉はぐるりと見渡した。最後に、アンリエッタに目を...
「二目と見られぬほど、醜いだろう? 先の大遠征のときだっ...
落ちる途中で無我夢中で自らにレビテーションをかけた。下...
ご覧のとおり、どれだけ治癒魔法をかけてもらっても、髪も...
アンリエッタは、いま自分がどんな表情をしているのかわか...
アニエスがアンリエッタの顔を見て、我慢できなくなったよ...
「軍人ならその職についた瞬間、どのような戦傷も、死さえも...
「違う。まったく恨まなかったといえば嘘だが、この傷のこと...
〈禿げ〉は暗く燃え盛る目で、アンリエッタを見つめた。
「俺はここから少し離れた領地にある、貧しい下級貴族の家の...
だから、軍に入ったのだ。アルビオン戦役の一年前にな。
幼いころから一緒だった俺の恋人は、そのあたり一帯でも評...
覚えがあるだろう、あんたに恨み言を述べたせいで、首をは...
アンリエッタは固まっていた。最後の部分の言葉、その意味...
(彼は……彼は、何をいっているの? 青い瞳に、黒い髪? それ...
30 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
「俺はこの傷のために、故郷に帰れなくなった。こんな化け物...
悲嘆にくれながら、俺はすべてを諦めることにした。岸に流...
俺は、炎に焼かれてフネから落ちた。戦死か、死者に限りな...
すっかり変わったこの顔のため、たとえ知り合いが見ても俺...
〈禿げ〉は急に声を高め、絶叫するように口を大きく開けた。
「だから――だからずっと知らなかった、彼女の父が貧窮し、彼...
一週間前に、ある人が教えてくれるまで、俺はなにも知らな...
「その、領主は、」
「そうだ、あんたが遅まきながら十日前に断罪した領主だ! ...
彼女はその後で、あんたに恨み言をぶつけただろう? 館の...
そしてあんたはその後で、彼女の首をはねさせた。
わかってるさ、女王陛下の誇りは尊く、それを傷つけようと...
だが、それが許せない者もいるんだ。
俺は自分が、あの獣の領主が、そしてあんたが憎い! 彼女...
だから、自分も死ぬつもりで、あんたに一矢報いようとした...
そんな顔をして、どうした? 殺した娘のことを、いまさら...
アンリエッタは呆然としたまま〈禿げ〉に言った。
「その娘なら、生きています」
〈禿げ〉の焼けただれた顔から表情が消えた。アンリエッタ...
「……なんだって? なんと言った?」
「生きています――その娘は、生きているのです! わたくしは...
「――嘘だ! 俺は見た、火に照らされた夜の庭で、彼女があん...
彼女が拘束され、手を縛られて銃士隊に連れて行かれるのを。
次の朝早く馬車に押しこめられて、そのまま人気の無いとこ...
すべて見た、念のために数日前に故郷に寄り、人々に話を聞...
31 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
アニエスが、これも唖然とした顔で指摘した。
「ああ、ほとんどの部分が真実だ。首をはねたこと以外が。疑...
どうやってそんなものを見ることが……いや、まずおまえにそ...
〈禿げ〉が、その問いに答えることは無かった。
真横に立っていた〈山羊〉が、手首をひるがえしてその首を...
とっさに撃とうとした者がいたかもしれない。しかし〈山羊...
〈山羊〉はずるずるとその体を盾にしたまま、煙をあげる門...
その男は、メイジのくせに帯剣していたが、今その剣をすら...
「女王陛下、彼の話を聞きましたね? ああ、そこの銃士隊長...
この哀れな男の人生、あなたによって狂わされた人生を、あ...
そしてこの男の可哀想な恋人にこう言ってやりなさい、『あ...
「き……貴様……」
アニエスが怒りに口も利けない有様で、一斉射撃の合図の手...
アンリエッタはそれを呆然と見ていた。見ていただけのはず...
「待って、アニエス……! 撃たないで!」
待って。お願いだから。アンリエッタはそう口走っていた。
近衛兵たちは女王のその言葉で動揺していた。忠実な彼らは...
ルイズと才人が問うようにアンリエッタを見ているのが、視...
そのとき、両脇を固められていた手に鉤のある男が、身をよ...
間髪を入れず、その小男は這いつくばりながら懇願をはじめ...
「お願いです、陛下、どうかお慈悲を、王の寛容を……わたしは...
ですがそれは過ちでした、あなたは優しい方だと一目見たら...
ですからどうかこの哀れな命を助けてください、ああお願い...
その男はひざまずいて顔を哀れっぽくゆがめ、涙を流しなが...
「見てください、わたしは障害者です、戦傷者です、戦争によ...
わたしの名はハンスです、生まれたところはゲルマニア北東...
32 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
黙れ、とだれかがその男に怒鳴っていた。
アンリエッタはうつろな目で、その卑屈に泣いてすがってい...
名前など、彼女はけっして知りたくなかった。殺さないでく...
〈山羊〉がたたみかけるように呼びかけた。
「陛下、われわれはその〈鉤犬〉の言うとおり、もうあなたを...
あなたはすでに、われわれを屈服させ、妥協させているので...
(『敵には剛毅に』でも、これはいったいどうすれば……攻撃すれ...
枢機卿は『しかし膝を屈した敵には寛容に』と続けていまし...
違う、こんな見え透いた嘘に乗ってはならない……でも、きっ...
唇まで蒼白になりながら、彼女は必死に考えた。実際には考...
頭が、ガンガン鳴っていた。
その前で、男たちの一人が杖を振って門の残骸を今度こそ吹...
その瞬間に「撃ちなさい」といえば、たぶん彼らを掃討でき...
今まで地面に這いつくばっていた〈鉤犬〉と呼ばれた男が、...
その背中を撃てという命令さえ、アンリエッタは下せなかっ...
アニエスが門を歯噛みしながらにらみつけている。彼女は鎖...
女王を害しようとした男たちは、全員が逃げおおせた。
33 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
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〈禿げ〉が目覚めたとき、すでに夕方になっていた。
話し声が聞こえた。彼は寝かされていた地面で、ゆっくりと...
何者かと話している〈山羊〉の、不機嫌そうな声が聞こえて...
「――最悪ではなくとも、非常に悪い幕開けでした。これで女王...
加えて、他人のふりをして一人だけさっさと逃げてやがった...
女王が襲撃されたという連絡が行ったので、あと一日のとこ...
おい、〈鉤犬〉、お前が俺の部下だったなら、最低でもお前...
「そう言うなよ。とにかく、みんな無事じゃないか」
「そのために貴重な『保険』まで使ってしまったんだぞ! こ...
ここはどこだ、と〈禿げ〉は横になったままぼんやりと周囲...
道端。それもかなり広い道の。国家が手を加えた、軍隊が通...
いさかいをしていた〈山羊〉と〈鉤犬〉の会話に、別人の声...
「もういい。お前たち、女王をどう思った?」
覚えのある声。一気に覚醒し、〈禿げ〉は首をまわしてそち...
全身を紫のローブでおおった者がいた。緑色の小鳥がその肩...
しばらく沈黙していた〈山羊〉が、薄く笑った。
「助かりました。もっと冷徹に判断する、容赦ない性格かと思...
怯まずまっすぐ俺を見て話していた。あの女王はたしかに勇...
そしてそれ以上に善良で優しく、甘く愚かな、かわいい子だ...
〈山羊〉の言葉に、〈鉤犬〉も笑みをこぼし、舌なめずりを...
「ああ、邪悪なる王権に対するに手段を選んでいられないとは...
「まったくだ。『ハンス』という名前だの結婚して子供が三人...
〈鉤犬〉の虚言の大罪はともかくとして、当初の予定通りに...
34 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
〈鉤犬〉を横からあざけった後、〈山羊〉は紫のローブの者...
「百人以上のメイジの近衛兵。これがそのままだと、われわれ...
紫のローブはうなずいて、ふところから何かを取り出した。...
それは乾いた音をたてて粉々になり、塵のようになって足の...
「〈解呪石(ディスペルストーン)〉は貴重なものだ。世界のほとんどの...
これはゲルマニアの山中で見つかった……始祖が残した宝で伝...
この最大級の大きさがある解呪石の効力は、半径一万数千メ...
その問いに、〈山羊〉は街道をはずれた草深き原野を指さす...
「そこらにいますよ。見えるところにいるのは一部ですがね。...
すでに街道の横にひそむようにして、配置についています。
みな平民とはいえ、それなりに荒事に慣れた者です。半数は...
残り半数は傭兵や、職にあぶれた私兵を集めました。こいつ...
紫のローブは愚問というようにうなずき、ぼそぼそとささや...
「〈鉤犬〉は理想のために、お前は金のために戦う。わたしが...
これはわたしにとってはトリステイン王家を滅ぼすための、...
成功した先のわれわれの目的はそれぞれ違っても、成功条件...
つまり女王を消すことだと、手駒たちにもよく飲みこませよ」
『rot』とその肩の小鳥が一声鳴いた。
〈禿げ〉はよろよろと立ちあがった。
会話していた三人の視線が集中した。〈禿げ〉は刺すような...
「お前ら……正気か? 精兵であろうとも百人の平民と、十人の...
〈山羊〉が微笑した。
「おや、〈禿げ〉、まだ心配してくれるのかね?」
〈禿げ〉は黙って、紫のローブだけを凝視した。食いしばっ...
35 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
「どういうことだ? あんたから見せられた映像、その肩にと...
女王は、彼女を殺していないと言った。思えばあれは、嘘を...
その者は答えなかった。〈禿げ〉を完全に無視して、顔を向...
かわりに〈鉤犬〉が横から口を出した。紫のローブの者に話...
「こいつ、放っておくと間違いなく裏切りますよ」
〈山羊〉もうなずいて、雇い主に向き直る。
「『保険』のために預かりましたが、さっそく使用してしまっ...
〈禿げ〉は自分のローブの中にある杖を、手が白くなるほど...
「〈山羊〉、女王に人質は効果があるか、と貴様は村で訊きや...
万一のときの人質として使うため、貴様らは嘘を教えて俺を...
紫のローブが、このとき初めて〈禿げ〉に向けて言った。か...
「お前は生きる意味を見失っていた。故郷に戻って恋人に壊れ...
この九日間、生きていることを実感しただろう? 廃人であ...
そして、嘘であったのは、女が死んだという一点のみだ。ほ...
お前が故郷に帰らなかった間、暗黒の中で女が苦しみぬいた...
〈禿げ〉は杖をふところから取り出した。生きていようとど...
(ここで、こいつと刺し違えてやる)
素早く風刃の呪文を詠唱して、殺すつもりで杖を振った――が...
〈禿げ〉は愕然として、再度こころみた。同じく、魔法は出...
何度も繰り返す。魔力は高まる。だが、それが発される前に...
〈鉤犬〉がくすくすと笑った。
「近衛のメイジ百人! ところで、そいつら魔法が使えないな...
〈禿げ〉は狂ったように杖を振るのをやめ、絶望と怒りをこ...
〈山羊〉が、その前に立ちふさがった。
彼は剣を抜いていた。それを、〈禿げ〉の胸に突き通してか...
「剣を習っておくといいと、言ってやっただろ? こういうと...
赤い夕日が街道を照らし、鮮血がたらたらと剣に貫かれた胸...
あの緑色の小鳥が、とまっていた肩から飛びあがって道端の...
36 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
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日は落ちていた。
こちらに向かっていた近衛兵たちは、連絡をうけて急行して...
館に戻り、アンリエッタは自分に当てられた部屋の中で、暖...
まだ銃士隊の服装のまま、着替えていない。
すでに夜だが明かりもつけず、炉の中で燃える熾火を見つめ...
重い疲労を感じていた。
(けっきょく誰も救えなかった。あのときためらったことは、最...
〈禿げ〉と呼ばれていたあの若者は、夕方に死体になって発...
その報告を聞いたとき、アンリエッタは怒るよりも悲しむよ...
『なぜ、彼らはこうも堂々と、トリステインの王権を侮辱する...
話をアニエスから聞いたマザリーニが答えた。容赦なく、ア...
『王権の体現者たる陛下を恐れておらぬからです。そのような...
仮に死んでも治らぬような馬鹿であっても、死ねば逆らいま...
青い目の少女のことを考えた。
彼の死を彼女に決して知られてはならない、それだけは確か...
本音をいえば話したい。許して、と泣いて謝りたい。
けれどそれは、まさしく自分の勝手というものだった。
(実は生きていた、けれどまた死んだと教えて、彼女の心をさら...
そして、自分はこのことをも背負わねばならない。あの戦の...
アンリエッタは今、王冠を頭に載せていなかった。けれどそ...
秋の夜はさむい、とぼんやり思う。炉の火は赤々と燃えてい...
せめてワインが欲しかった。あるいは、手を握って、そして……
37 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
「――ま、姫さま!」
はっと気づいて、顔をあげた。正面から、誰かがかがみこん...
黒い瞳に黒い髪。アンリエッタは誰が自分のそばに来て、呼...
「サイト殿、なんで……?」
「なんでって、その……部屋の前を通りかかってふと心配になっ...
普通は、女王から許しの言葉を得ない場合、臣下は勝手に入...
けれど、才人は正確にはアンリエッタの臣下ではない。
それに……彼はこういう少年だった。アンリエッタをそれなり...
アンリエッタは「それは、ご心配をおかけしました。でも、...
なのに、次に出てきた言葉は、どろどろの弱音だった。
「また、失敗してしまいました……」
才人はとても困った顔をしていた。それから、「そんな思い...
「姫さま、しょうがねえって。あれはとっさに反応できないよ」
「いいえ、それでもわたくしは的確に反応するべきだったので...
突然感情が激した。
それから、たかぶった精神が急降下していく。
「……わたくしの弱さは、部下の働きを裏切ったのです」
「だから、そんなこと言うなって」
才人は、へどもどしながら必死になぐさめようとしている。
震える肩にそっと彼の手が置かれた。
疲れた心のどこかで、いや、『どこか』とさえ言えないほど...
突然、ルイズのことを思い出した。実家への帰省中だったが...
街娘の姿でいたのは、まず村にひそんで水精霊騎士隊に才人...
館に帰ってきてからつい一時間ほど前、気をつかったアンリ...
38 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
(いけないわ、これは……)
思わず、身を離すようにのけぞって顔をそむける。
「姫さま?」
「出て行ってくださいまし。これ以上、考えることを増やさな...
毅然として言えはしなかった。震えて、自分でもみっともな...
たぶん、それがまずかった。
気がつくと手を引かれて立たされ、抱きとめられていた。
「落ち着けって。俺、馬鹿だからこんなことしか言えねえけど...
なあ、そんな震えないでくれよ」
彼の声は、困惑と心配に満ちていた。壊れ物を扱うような、...
少年の体の温かさに、冷えていた体がじんわり温まっていく...
振りほどく気にはどうしてもなれなかった。というより、こ...
「それなら、もっと強く抱いてくださいまし。何も考えないで...
才人が戸惑っていたのは短い間だった。彼の腕に力がこめら...
炉の火が、赤々と燃えている。
互いに伝わる心臓の音が、ほんの少しだけ早い。だが、不思...
急にドンドン、と部屋の扉が激しい勢いでたたかれた。
はっとして二人が身を離す。アンリエッタが「ど、どうぞ」...
尋常ではなく血相を変えていた。
「陛下、トリスタニアから来た増派の近衛兵が、ここから八千...
無音の雷が室内に落ちた。
39 名前: 裏切りは赤〈上〉(白い百合の下で・2) [sage] 投...
アンリエッタは、頭をふった。まさに青天の霹靂だったが、...
比較的冷静に、状況を問う。
「……なぜ、そんなことになるのです? 近衛兵たちは軍の中で...
「陛下」
アニエスが緊張した声で、仰天するようなことを告げた。
「敗残兵たちの一部がこの館に逃げこみました。彼らが言うに...
そしてなぜか、われわれは魔法を使えなくなったのだ、と近...
彼らは惨敗しました。当然のことながら、敵にはほとんど被...
アニエスの後ろから、ルイズまでが歩いてきた。彼女の声も...
「試しましたが、わたしも虚無が使えませんわ。水精霊騎士隊...
秋の月が空に光る。それでも暗い、そして長い夜が始まった...
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