ゼロの使い魔保管庫
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317 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/22(土...
「守らねばならん場所が、広すぎる」
大広間。作戦会議は早急にはじまった。今は、アニエスが卓...
「この館をかこむ塀は、長すぎるのだ。そのうえ高さはせいぜ...
集っているのはアンリエッタ、館の主である老領主、先刻に...
「館からあまりに離れているのだ。館から約100メイルの距離で...
これを、銃士隊五十二名、水精霊騎士隊三十一名、新たに来...
一人当たり4メイル以上の壁を担当せねばならない計算になる...
戦力が分散しすぎる」
アニエスはそう言ってから、面々を見渡した。
「言っておくが、『その他』の三十八名は、治療士、料理人、...
そして水精霊騎士隊および近衛兵については、メイジとして...
なぜ魔法が使えなくなったかは、今考えてもしかたがないの...
これで、どこから来るかわからぬ敵をしりぞけねばならぬ」
集まった者たちは、少しのあいだ誰も何も言わなかった。重...
ややあってから、館の主が白くなった頭をかいて言った。痩...
「まいったの。森中の塀については、はるか昔の先祖が築いた...
数代前、館の改築のとき、内側の壁を壊してしまったらしい。
街道に大規模な盗賊の横行する時代は過ぎ去っておったし、...
その慨嘆は、残念ながら現状を乗り越える役にはたたないよ...
「それならいっそ敵には壁を乗りこえるにまかせ、館にこもっ...
才人の提案に、アニエスと近衛の指揮官が同時に「駄目だ」...
「館にこもれば包囲され、火を放たれる。突撃してこられれば...
壁で撃退するしかない」
近衛メイジの指揮官がいまいましそうに床をけりつけた。も...
軍人らしい精悍な顔だちをゆがめて、その青年は罵声をはな...
「ちくしょう! 竜さえ残っていれば、包囲の上を飛び越えて...
アンリエッタが彼に問う。
「竜は全滅したのですか?」
318 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/22(土...
「……はい、投網や矢を使われて。真っ先に、敵は数匹いた竜を...
アニエスが彼に向き直った。
「竜はもう仕方がない。貴君には、今夜の作戦でわたしの指揮...
指揮官の顔がどす黒くなった。
ありありとその顔には、「メイジが、平民上がりの女の下に...
が、それでも現状の自分たちは平民に劣る戦闘力しかない、...
「今夜だけだ。おそらく潰走した近衛兵たちの一部は、来た道...
耐えてほしい、さまざまなことに。メイジには屈辱かもしれ...
アニエスは最後にアンリエッタを見た。まだ銃士隊服のまま...
「銃士隊長に采配をあずけます。ただ勝利のことを考えてくだ...
アンリエッタの発言をうけて、そこでマザリーニが手をあげ...
「言っておこう。われわれの勝利とは敵を破ることではない。...
アンリエッタが眉をひそめ、枢機卿に向けて口をひらいた――...
「近衛兵とは、そのために存在するのです。無論、陛下の身の...
なにかを言いたそうなアンリエッタの様子に気がつかないふ...
「大まかな方針は、壁で敵を防いでひたすら時間をかせぐ。銃...
細かいところは、現場に出る兵たちと一緒に伝える」
「ひたすら防戦、ですね」
緊張で顔色をやや青くしているギーシュが、ごくりと固唾を...
メイジの指揮官が、うなずいて彼に説明した。
「敵は弩(いしゆみ)を持っていた。銃もいくつか。壁からうっ...
実質的な戦力に勝る相手には、防壁に拠って援軍を待つしか...
319 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/22(土...
最後に、ルイズが提案した。
「アニエス、村はどう? あの村の石壁は、この館に来るとき...
「ラ・ヴァリエール殿、それは考えたが不可能だ。ああ、確か...
村まで移動しようとすれば、街道を押さえた敵に見つからな...
……逆にきわめて少人数なら、見つからないですむかもしれな...
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〈山羊〉は、近衛のメイジを奇襲したあとの死体転がる街道...
たった今駆けつけたその傭兵隊は、総勢三十名、全員が騎馬...
「あんたはたしか副隊長じゃなかったか? 数日前に俺が話を...
「前の隊長なら、まあ、いろいろあってね。そのおかげで来る...
そのひげ面でがっちりした体格の男がにやりと笑った。全身...
「……まあ、仕事さえしてくれるなら誰が代表だろうと構わんが」
傭兵隊という集団は、内部でさえときには血みどろなのであ...
「できればもう少し早く来てほしかったところだがな。すでに...
「だからいろいろあったんだって。まあ、もういいじゃねえか...
いやさ、前の隊長しか聞いていなかったんでな」
悪びれもせず金の交渉に入る傭兵隊長に、〈山羊〉は金額を...
「まあ、なかなかの額じゃねえか。しかし、相手はトリステイ...
後がこわそうだからな、ロマリアの南端まで逃げても」
〈山羊〉はぐるりと眼球をまわし、肩をすくめる。傭兵の貪...
とはいえ、「金を惜しむことはない」と雇い主である紫のロ...
その者は、とっくにこの場から去っており、代わって自分が...
「成功したら報酬に上乗せしよう、大幅に」と約束すると、...
「結構、結構」
それから、その男は笑みを消して鼻をこすり、腰にさした剣...
「じつは個人的にも悪い話ではないと思ってる。よくある話だ...
320 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/22(土...
傭兵隊長の言葉に適当に相槌を打ちながら、〈山羊〉は思考...
これで、兵力は百七十名を越した。もっと集めたかったが、...
トリステインやゲルマニアの当局に気づかれず、国境を越え...
それでも、敵よりは準備がととのっているはずだ。
敵はおもに銃士隊になるだろう。事前に調べたところ、今回...
武器でもこちらには銃と剣のほかに弓、弩(いしゆみ)があり...
しかし、向こう側には低いとはいえ石壁がある。おそらく、...
実質戦力に劣る以上、やつらがこちらの攻撃を耐え切る方法...
こちらは壁さえ突破すれば、勝てるだろう。
……いや、あるいは、それ以外でも決着がつくかもしれない。
〈山羊〉は目の前の傭兵隊長に指示をくだした。
「騎馬隊でわざわざ来てくれたのに悪いが、戦場は森になりそ...
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館。水精霊騎士隊・隊長および副隊長にあてられた一室。
今の状況は、作戦前の最後の猶予、ということになる。
気をきかせたのかギーシュが出て行ったため、才人は久々に...
しかし残念ながら、そう色っぽい状況とは言いがたい。才人...
「始祖に誓います。今までの道中、誰が相手であろうと、他の...
「語尾が震えてるわよ」
勘弁してくれ、と才人はげっそりしたため息をついた。
ベッドに腰掛けて足をぶらぶらさせている桃髪のご主人さま...
恋人関係になってから、ルイズは成長したと思う。心に余裕...
少し人当たりがよくなった。
少しヤキモチゆえの使い魔への暴力を抑えられるようになっ...
少し笑顔が多くなった。
少し素直になった。
321 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/22(土...
まあ、そこまではいい。カトレア方面への成長である。
しかし。
精神的な重圧をかけるのがうまくなった。
簡単に衝動的な暴力をふるわなくなった分、やると決めたら...
(そのへんはどう考えても、こいつの母ちゃんに似てきてるんだ...
烈風カリンことカリーヌから、「殿方の手綱の握り方」をあ...
あと暴力が減っただけで、ヤキモチ癖は変わってない。むし...
(今日いきなり電撃訪問してきたのだって、ほんとに驚かせるた...
……さて、問題は……俺が無実じゃねえってことで……)
耳の後ろにつっと冷や汗が流れた。
先ほどルイズに「誰にも下心からやましいことはしていない...
(そう、姫さまとちょっともやもやしたが、あの一連は下心でや...
軽くキス→落ち着いて安らかにお眠りなさい、的なもの。放っ...
手をにぎる→上におなじ。そうだこの感情、いわゆる父性愛と...
抱き合う→弱々しいつーか姫さまほんとに可憐って感じだよな...
「って違う! 最後がおかしい!」
青ざめてつい口走った才人に対し、ルイズは「……なんだかよ...
「まあ、何もないならいいわ。……わ、わたしだって本当は、あ...
だからつい、問い詰めるようなことになっちゃって悪かった...
頬をちょっと染めたルイズに隣を示され、才人は罪悪感と感...
「実は姫さまが、」
「ヨシ、死刑ニ処ス」
「早いぞ!?」
一瞬で下った判決に涙をこらえきれない。信頼はどこへ行っ...
322 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
「ふ、ふふ、姫さまが何かしら? 焼けぼっくいに火がついた...
「聞け! 聞いてくれ!」
とりあえず、才人は大まかなところを話した。
ただしさすがに命の危険を感じ、具体的に何をしたかとかは...
ただ、「今の姫さまはちょっと放っておけない」と本心を伝...
そして才人の心の動きとは別のところで、否応なしに重い話...
今日の事件についてはかなりの程度ルイズも当事者だが、十...
「悲惨な話ではあるけれど、どうしようもないと思うわ。姫さ...
「……意外だな。お前なら、姫さまをなぐさめにすっとんで行く...
「ええ、昔ならそうしたわ。でも今は……サイト、この問題は微...
父さまが言ってらしたわ、誰もが満足する施政はおこなえな...
きっと、これから先も姫さまが何かを決断するたびに、ある...
それが為政者なのよ。そして、形だけであれ王がまつりごと...
ルイズは一呼吸おいて、しんみりした声で続けた。
「女王の名において下された施政よ。それで起きた一部の民の...
ここで周りが下手になぐさめるばかりだと、姫さまは女王と...
わたしは侫臣にはなりたくないし、姫さまを君主として惰弱...
「……つまり、姫さまに頼り癖をつけさせるなってことか? 政...
「そう。まったく他人の声を気にしないほうが困るけどね、憎...
姫さまにはちゃんと、為政者としてやっていける素養はある...
ほろ苦いルイズの口調に、才人は首をふった。心から言う。
「お前は、本当に成長したよ」
王位継承権を与えられている以上、ラ・ヴァリエール家でそ...
あの公爵と奥方ならば、人の上に立つ者としての心得もりっ...
ルイズは、何かを考える表情になっていた。ベッドの上で腕...
323 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
「サイト、わたしは姫さまに忠誠を誓っているわ。臣下として...
ところで、あんたも姫さまの臣下よね?」
「え? うーん……まあ、水精霊騎士団の幹部だし、形はそうだ...
「形ってなに? 形ってなに? それまさか『内実は臣下じゃ...
うやむやになるところだったけど、さっきの話は後でもう少...
とにかく、あんたは女王陛下の臣下。わたしと同じく。だか...
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アンリエッタは赤いじゅうたんの敷かれた廊下を、静寂を壊...
この先には、才人の部屋がある。
さきほど、ギーシュが水精霊騎士隊の隊員達と外に出て行く...
自分が、なんでそこに行こうとしているのか、実のところア...
ルイズと話したいのか。才人の顔を見たいのか。それとも、...
全部当てはまるようにも思える。
襲撃が来るまでおそらく間もない。肌がひりつくような張り...
アンリエッタも同様であった。
大広間の会議のあと、マザリーニと館の主は二人してどこか...
館の召使たちの中に一人取り残されたアンリエッタは、どう...
ルイズと一緒にいるのに無粋かしら、と歩きながら悩むが、...
先ほど炉の前で抱きしめられた感触は、まだ鮮烈に体に残っ...
(いやだわ……はしたない)
ルイズもいるのである。いくらなんでも親友の前で、つい先...
つとめて忘れようとする。昔に決着がついたことなのだ、と...
そうやって自分に言い聞かせなければならないほど危ないと...
324 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
決して、昼間の村での出来事を吹っ切れたわけではない。と...
それを断って、沈鬱の沼から引き上げてくれたのが、あの抱...
あの瞬間を思い返すだけで、救われる気がする。忘れなけれ...
だから……どれだけ自戒しようとしても、ここしばらくのよう...
気がつくと扉が前にある。心の準備はできていないのに、手...
「……嫌だ、それなら言ってやる! やっぱり、俺は姫さまの臣...
手が止まった。ドアの向こうで、二人が争う声が聞こえる。
才人の声は完全に激しており、ルイズの声もまた大きいなが...
「子供みたいなこと言わないでよ! わたしは姫さまの臣下な...
「ちがう、俺はお前の身を守るのが役目だよ! くそっ、賛成...
「サイト。あんた、ガンダールヴの力、使える? 左手のルー...
いつもの力が出せないなら、護衛としての能力的にはアニエ...
「関係ねーだろ! ……使えねーよ。お前らが魔法を使えなくな...
ルイズ、俺はお前を守るからな。ふざけたことを言うんじゃ...
「サイト。あんたがわたしを守りたいと言ってくれるように、...
そんな怒らないでよ、死ぬ気なんかないわよ。うまくやるつ...
虚無が使えない今のわたしは、あんたの言うとおり本物の役...
「じゃ、俺はおまえと一緒にいくぞ。死ぬ気無いんだろ? 俺...
「サイト、冷静になって」
ルイズの声が、樫の板でできたドアを通して、廊下に立ち尽...
「ラ・ヴァリエール家は名門だわ。賊徒だって、わたしにそう...
「わかるかよ! 王家に手を出そうって連中だぞ、どれだけ名...
325 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
「……とにかく、敵の目標は姫さまで、わたしたちの第一に守る...
敵が姫さまに万が一にも触れるようなことがあってはならな...
今言ったことを、これから彼らの誰かに話してみる。理解し...
そのルイズの言葉を最後に、ドアに伸ばしたまま固まってい...
アンリエッタは、身を返して静かにその場を離れた。
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館の外。壁にかこまれた異様に広い『庭』。
誰もがてんてこ舞いで防戦の準備に取り掛かっていた。
あきれるほど長い壁ぞいには、かがり火が数メイルおきに燃...
アニエスは壁ぞいを歩いて見てまわる。近衛隊すべてと館の...
「もっとも弱いのはやはり、壁がとぎれて門がある、村へと続...
そこで、最大の戦力を保有する銃士隊は、まず一部が門の守...
長大な壁のほかの部分にそれ以外の近衛兵たちを貼りつけて...
敵は壁を乗り越えようとするだろう。それを叩き、同時に合...
(とは、言ったものの……うまくいくだろうか?)
アニエスは自信があるように振舞いはしたが、たぶん誰より...
石を積みあげて粘土でかため、固定しただけの『壁』は老朽...
それに、あまりに低すぎた。二メイル足らず、人の上背程度...
不安をふり払うように、彼女は声をはりあげた。
「敵の総数は、われわれと同じ程度だ。こちらは防げばよい、...
大声で、自分自身さえごまかす。
たしかに通常、城壁に拠って守るほうは、攻めるほうより数...
……それは守る必要のある箇所が広すぎず、また敵の接近を即...
壁の外をにらみつける。壁から五メイルほど距離をあけて、...
間伐がされているようで、木々の間隔は二〜四メイルほどだ...
326 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
(森だ。この森が忌々しい、これのせいでどこから敵が来るかわ...
それでもまだ壁の内側、庭の中の木が大幅に間引かれている...
おかげで馬を使い、庭を突っ切って反対側の壁に移動するこ...
(敵はどうやって攻めてくる? 通常なら、兵力を分散させるの...
となるとおそらく、敵は大胆に兵力をさいて壁を多方面から...
アニエスの思考を才人が読めれば、「モグラ叩きのようだな...
(どちらにしても一度数名での突破を許せば、そいつらを片付け...
そのときにはこの庭で、決死の白兵戦をするしかない。
その混乱のうちに、どうにか陛下に脱出していただき、馬で...
あるいは今日で死ぬかな、と自然に覚悟を決めてから、アニ...
見張りについたメイジ達に向けてである。彼らの一部は館の...
「レンガや石を集めて足元に積んでおけ! 銃は訓練していな...
壁と森の間は5メイル、この間にいる相手にはじゅうぶん有...
壁の内側ぞいのほうが、外側よりも若干地面が高い。つまり...
土一段の差だが、これは存外に有利な部分だった。
暗い森。狼の遠吠え。杉のこずえが白い月をさし、冷たい長...
アニエスの身が総毛だった――周囲の者たちが反応しているの...
ある場所で、ドラが連続して鳴らされている。興奮気味に、...
もう一つの音がそれに続いた。陰惨に長く引き伸ばされて。...
アニエスの前に飛んできた伝令役の銃士隊員が、馬に乗った...
「門です、門に来ました! 大挙して隊列を組んで、小道をの...
なるほど。序盤は正攻法か。壁の最も弱い部分に、人数をぶ...
アニエスは舌打ちして、ひかれてきた馬に自らもとびのった。
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館の古い物置部屋。館の主である老貴族が、苦労して床の一...
抜け道だった。
327 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
「この秘密の道は、街道近くの森の中に通じております。
いざというときの脱出のために先祖が作ったものですが、い...
老貴族の説明をうけて、ルイズはうなずいた。
(これなら、姫様の脱出も本当にできるわ)
ぐっと手をにぎる。館の主がさらに説明した。
「地下道は、気をつければ馬でさえ通れます。馬をひいていき...
「ありがとう! あとは馬車ね。わたしが乗ってきたラ・ヴァ...
「ば、馬車? 馬車はさすがに通れません」
「地下道じゃないわ。馬車のほうは正面から出て行くのよ」
館の主は首をひねりながら物置部屋から出て行った。
それを見送りながら、マザリーニがぼそりと言う。
「陛下への忠誠、まことに礼をいくら述べても足りない」
「いいえ、当然ですもの」
「なるほど、忠実な臣下としては当然かもしれません」
ルイズに向けられたマザリーニの声と目には、単なる感謝で...
「ですが、『友人』としてならどうでしょうな? これは陛下...
一瞬、言葉を失う。ルイズは眉根をよせた。
「……友人としても、陛下には逃げのびてほしいですわ。
なんだか、うちの使い魔と同じようなことを言うんですね」
「いや、失敬。たわごとと思って聞き流されよ。
では、すみやかに陛下を……」
328 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
そこまで話したとき、出て行ったばかりの老貴族があわただ...
悲鳴のように告げる。
「門が攻撃されております! だめです、正面からはもう出ら...
ルイズと枢機卿は顔を見合わせた。
遅かった、と互いの目に書いてあるのを読み取る。枢機卿が...
「いきなり策が狂いましたな」
自分が囮となって正面から馬車を走らせ、敵の目をひきつけ...
それが、ルイズの提案した計画だった。
考える。たしかに序盤からつまずいたが、取り返しがつかな...
「いえ、それなら、わたしも馬をひいてこの道から抜け出ます...
「結構。では、急いだほうがよいでしょうな。さっそく陛下を...
マザリーニが物置部屋から出かけたとき、三人もの人間が入...
先頭にいるギーシュの後ろに才人を見つける。どうにかこう...
「サイト」と言いかけて、最後に入ってきたアンリエッタに...
そのアンリエッタが、淡々と言った。
「サイト殿から、すべて聞きました。わたくしを逃がすと」
ルイズは才人をにらみつけた。いや、どのみち言わなければ...
マザリーニがこほんと咳払いした。『午後の予定は要人との...
「陛下、話が早そうですな。ではルイズ殿に従い、すみやかに...
玉体に万が一のことがあってはなりません。あなたの無事の...
アンリエッタは無言だった。水面のような静かな瞳で枢機卿...
彼女のこぶしが白くなるまで握りしめられるのをルイズは見...
ややあってアンリエッタは顔を上げた。その瞳に、悲しそう...
苦渋の念がこもった声で、彼女はつぶやいた。
「ルイズ、ごめんなさい。わたくしのために、こんなことまで...
329 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
「姫さま」
ルイズは声を出して女王の前に歩み寄り、その手を押し包む...
「勝手なことをして申し訳ありません。臣としての立場で僭越...
ですからどうか、ここから離れてください」
臣としての立場。そう言いながら、「姫さま」と呼んでいる...
彼女はルイズの手をにぎり返して、ためらいはしたがうなず...
マザリーニがふたたび咳払いして、館の主にうながした。
「馬を連れてきてくれないでしょうかね」
館の主が再度出て行った。召使たちに指図する声が聞こえる。
姫さま、とルイズはささやいた。
「申し訳ありません。これだけは我がままですが、サイトを護...
こんな馬鹿ですけど、剣の腕はいいから、役に立たせてやっ...
使い魔が怒りに満ちた形相で、ぐるんとこちらに顔を向ける...
「ルイズ、おまえ……!」
「サイト、落ち着けよ! 陛下の御前だぞ」
ギーシュがうろたえて彼を引き止めている。
そちらを向きたいという思いをこらえて、ルイズはできるだ...
「すぐ自分で引き取りにいくつもりですから。あずかっててく...
女王は、やわらかく微笑んだ。やはり、どこか悲しげに。
「わかっているわ、ルイズ。彼はあなたの騎士だもの、すぐあ...
才人がまた、何か言おうとしていた――それをギーシュも察し...
「ま、まあまあ。こんなときまで喧嘩することはないと思うが...
「……そんなの、必要ないわよ。どうせすぐその顔見るもん」
「ルイズ、意地をはってはなりませんよ」
アンリエッタが首をふった。
「彼と誓っておいたほうがいいわ。こういうことは、おろそか...
330 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
女王に呼びかけられたギーシュが、「あ、はい」とあわてて...
受け取り、そばの小さな卓に置いて、アンリエッタは手ずか...
「あなたはどうなさるの、枢機卿? とどまるのですか?」
「そうですな。見てのとおり老体ですからな、街道をひた走る...
飄々とうそぶく宰相に、「……そう。では、あなたとも杯を乾...
ルイズはちらりと才人を見た。
才人が自分を心配してくれるのは、わかっていた。この計画...
ワインをそそぐ音が、ほこりっぽい物置に響く。
彼女の脳裏に、なぜか幼い日に父公爵のもとを訪れた吟遊詩...
愛のために王を裏切った騎士が、王の追っ手と戦って傷つき...
(『今宵、別れの杯に、こぼるるものはわが血潮……かくてぞわれ...
やだ、これ、死別の詩よ。
そんなつもりはないわ。彼らはきっとわたしを人質にするは...
「誓いましょう。再会に」
アンリエッタがグラスをルイズとマザリーニに手渡してくる...
ルイズも、目をつぶってそれを飲みほした。下戸に近いため...
「ルイズ?」
アンリエッタが心配そうにのぞきこんできていた。
「大丈夫ですわ……姫さま。わたしお酒だって、少しは強くなっ...
いきなり、ろれつが回らない。
心配をかけまいと、心を落ち着けてからもう一度ちゃんとし...
331 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
「ルイズ。本当に……ごめんなさいね」
姫さま、なんでそんなことを言うんですか。そう言おうとし...
視界がぐにゃりと歪んだ。その歪みの中で、枢機卿がよろめ...
気がつくと自分も床に倒れている。最後の意識で、『ワイン...
あとは暗転。
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館の主とアンリエッタ自身が、鳴かぬよう板を噛ませた馬を...
手燭を手に、暗い地下道を無言で三十分も歩いただろうか。...
土が上にのって重いのか、顔を真っ赤にして力んでも持ち上...
夜の森の中に出る。
馬に階段をのぼらせながら、アンリエッタは思い返した。
(眠り薬が効いてよかったわ)
魔法は出ないのだが、ポーションはまだ効くらしい。
あの口論をドアの外で聞いたとき、ルイズが何をする気か予...
それで、明らかに不満げな才人から話を聞きだし、ギーシュ...
才人とギーシュが馬を受け取り、意識のないルイズとマザリ...
アンリエッタは、馬に乗った才人を見上げた。
手燭の火は地下道の中に置いてきていたが、木立からもれる...
才人は黙りこくっている。むっつりと女王の顔を見るだけで...
「ギーシュ殿、枢機卿をよろしく頼みます。ルイズとこの人が...
ギーシュも無言だった。何か言おうと口を開きかけて、彼は...
かわりに横で口を開いたのは、才人だった。
「これはやっぱり正しくない。あんたら二人は話し合うべきだ...
その言葉にアンリエッタが答える前に、館のほうで角笛とド...
意識のない者以外、誰もがさっとそちらを見る。
ギーシュが震える声でつぶやいた。
332 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
「始まったみたいだ」
アンリエッタは顔をもどして才人を見た。彼の腕の中にいる...
女王としての姿を、意識してよそおう。
わずかに微笑んで、彼に答えた。
「でも、やはりこうするしかないのです。望むと望まざるとに...
ルイズはわたくしの安全を考えてくれましたが、王家の義務...
あなたは王家の騎士ではありません。もともと、女王のため...
夜陰にまぎれ、ルイズを守って遠くへ逃げてください。ラ・...
これ以上言うことはありません。急いでください。
ルイズをよろしく頼みます。その子が、白百合の玉座の後継...
それが、別れの言葉だった。「ルイズとお幸せに」と付け加...
アンリエッタは優雅に一礼すると、彼の表情を見ないように...
館の主が、出入り口のふたをかぶせて、後ろにつき従った。
帰りは行きより早かった。館に戻ってすぐ、アンリエッタは...
(玉座は一人で座るしかない、父祖たちがずっとそうしてきたよ...
処女雪のような純白のドレス。
シルクの袖は手の甲までぴったり包む。胸元に大きな緑の石...
宝石をあしらった王冠を栗色の髪に載せる。
大広間に入り、肘掛け椅子に座す。
外からは銃声と叫びとドラの喧騒が届く。
しゃちほこばって直立していた館の主が、「陛下……よろしか...
アンリエッタは柔らかい椅子に身を沈めながら、彼に答えた。
「部下が戦っているときに、わたくしが真っ先に逃げれば、ト...
臣下らがわたくしの無事を優先していたとて、世人の口は残...
(重要なのは王家であってわたくし個人ではない。そして王家は...
わたくしは愚かな女王だった、今度のこれも愚行かもしれな...
333 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
「わたくしが座るところがトリステインの玉座、今夜ここから...
戦いの序盤から逃げる王が、名誉を全うできますか?
敵がわたくしの膝元で舞踏会を開いています。わたくしは彼...
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夜の森で馬を走らせるのは気ちがい沙汰である。ましてや山...
平原に出て、速やかに逃げる必要があった。街道は、どのみ...
才人はルイズを抱えて乗ったまま、慎重に馬を歩かせていた...
(馬が疲れるな……だけど、何かあってもすぐ走り出せるようにし...
逃避ぎみの思考で、そう判断する。
実のところ、この先の行動を、自分でも決めかねていた。
(姫さまはラ・ヴァリエール領まで逃げろと言った……けれど、そ...
ルイズが自分が囮になると言い出したのも、元はといえばそ...
アンリエッタはときどき詰めが甘い。とはいえ、まさか責め...
彼女は残り、自分たちはこうして逃がしてもらったのだから。
(それで……いいのか? 俺?)
最後に見た、木漏れたおぼろな月明かりに照らされるアンリ...
女王として凛と立とうとする顔。
けれど、うるんだ目がどこか切なげで、哀しい微笑をたたえ...
(ああ、そうか……さっき『俺もついていく』と言ったとき、ルイ...
「……サイト」
押し殺した声で、後ろのギーシュがささやいてくる。彼はお...
「ぼくは戻りたい。みんな、陛下を守るために戦ってる」
才人は振り向かなかった。ギーシュがさらに言いつのる。
334 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
「陛下の言われたとおり、きみは王家に使える騎士ではないか...
でも、ぼくには陛下を守る義務があるんだ、わが先祖が王家...
「……マザリーニ様を逃がせという命令を、たった今女王陛下か...
「いや、怖いよ。怖いがね、ぼくにはこのまま去るほうが耐え...
貴族としての、友人としての、隊長としての義務だ。
いや、きみだってどうなんだ? あえて義務を離れたところ...
お前ってやつはときどき凄いよ、と才人は背を向けたままた...
その質問を受けたとき、悩む必要があったのかと思うほどあ...
「……ギーシュ、そろそろ街道に出るぞ。全速力で馬を走らせる」
「いいのか!? それで……!」
「聞けって。村へ行く。あんな頑丈な石壁だったんだ、たぶん...
「ということは……戻るのだね!?」
ギーシュの声が明るくなる。そういえば自分もすっきりして...
「ああ、放っておけるわけねえだろ。戻る」
街道は月の下、ある程度見渡すことができた。
見る限り、誰もいなかった。後方からかすかに響く戦闘の音...
二人は必死に馬を飛ばす。一瞬でも早く、村に着いて中に入...
街道をたちまち横切り、村へと続く小道を駆けさせる。
ほどなく、村をかこむ石の壁が見えてきた。
まさに『城壁』といえるほどの堅牢なつくりで、館の壁より...
壁の内側からは赤々と光がもれており、村も夜通しで警戒し...
「あれなら、大丈夫そうだな……」
そう洩らしたとき、ギーシュが恐怖に満ちた声で呼びかけた。
「おいサイト、き、来た!」
335 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
何ぃ、とうめいて肩越しに振り向く。
背後から疾駆する者が二名。小道だけではなく、アザミやヒ...
反応が早い。騎馬隊を惜しみなく使って斥候に当てていたの...
(大丈夫だ、まだ離れてる! 先に門の中に入ってしまえば……)
そこで気づき、真っ青になった。
村の表門。昼間に壊された丸太づくりの裏門と違い、重厚で...
もちろん、がっちりと閉まっているはずだ。
「じょ――冗談じゃねえ!」
門の前にたどりつき、村人に呼びかけて、自分たちが女王の...
敵が追いつくまでにそれらの全てが電光石火で終わるとはま...
表門が近づいてくるにつれ、その確信はますます強まってい...
月とかがり火に照らされた石の門は、冷たく無慈悲にそびえ...
過酷な現実に、つねは底抜けに明るいギーシュでさえ言葉が...
才人は舌打ちして、馬からおりた。
デルフリンガーを抜いて、構える。馬の上から振り回すよう...
(こうなれば、あがいてやらあ)
続々と周囲に集まってくる騎馬の集団は、そんな才人を見て...
中でも一人、ひときわ大きく、派手な服を着た男が馬からお...
「俺たちはロマリアの騎馬傭兵隊……で、今夜は斥候役なんだ。...
小僧、構えを見たらそれなりに使えるようだが、平民同士な...
おれが一応、この傭兵隊の長さ。どうしても戦うつもりなら...
で、そこの娘っこを引き渡してくれないかね? 見たところ...
なあに心配するな、おれたちロマリア人はレディには優しい...
うなる才人の前に馬でたちふさがるようにして、ギーシュが...
「おまえたち、大貴族に手をかけようっていうのか? 考えて...
いっとくけど、この娘は女王陛下じゃないぞ。ぼくらのこと...
「あいにく、おれは共和主義者ではないが、王侯貴族のたぐい...
ちょうどいいことに、そこの娘っこと、ああ、お前もか。貴...
身をかざる金銀の装飾具をヂャラヂャラ鳴らしながら、その...
336 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
「ま、待てよ、唐突に貴族嫌いとはこれいかに」
「なぜって? おれたち傭兵隊を見ろ。力量(Virtu)の世界、才...
飯の種が戦なので、まさに命を賭けて食いつなぎ、そのくせ...
で、その一方、お前ら貴族は生まれたときから銀のさじで人...
一息で言ってから、剣をかまえている才人を見やる。
「そこの小僧みたいに、貴族に尻尾を振る平民は、貴族以上に...
人質になる貴族でもなく、レディでもない。殺してもかまわ...
「サイトは元平民だが、今じゃ貴族だぞ」
ギーシュが、うっかり口をすべらせた。
才人はげ、と内心でうめく。シュヴァリエになったときから...
だから、平民相手になるべく身分を申告しないようにしてい...
傭兵隊長の目が、すっと細まった。
表情を消し、「いま何といったね?」とたずねる。
その男は銀の打ち出しがあるベルトから、差していたナイフ...
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戦闘開始一時間後。
敵の攻撃は分散しだしている。開始前の予想通り、壁にとり...
最初に門に来た敵は撃退していた。今は門につながる小道を...
あのときはマスケット銃の一斉射撃を急ぎすぎた、とアニエ...
有効射程を見誤るという痛恨のミスをした。十名ばかりの敵...
一斉射撃で打ち倒せたのはせいぜい二、三名、のこりは門わ...
それらは、壁際で大勢待っていた銃士隊が剣で突き刺し、追...
337 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
(おかしい。あの突撃は明らかにあちらの失策だ。常識なら、あ...
それだけじゃない、壁に無我夢中で取りつこうとする奴らは、...
奴ら、度をこした興奮状態にある)
おそらく、血気にはやりすぎて、指揮官の手に余る狂躁状態...
(戦闘慣れしていない新兵のような連中か? なら、逆に幸いか...
マスケット銃に弾を押しこめつつ、敵の次の手と、こちらの...
遊撃の銃士隊以外で、数人が先ほど攻撃された場所に集まり...
(……こっちだって事実上の新兵だらけだな。水精霊騎士隊だけで...
ドラが館の裏手のほうで鳴った。それはすぐに止む。壁ぎわ...
横手で鳴る。これも止む。見たところ、石を投げて追い払っ...
反対側の横手――ドラが鳴り止まない。距離は直線で百五十メ...
アニエスは立ち上がり、「馬に乗れ。行くぞ」と銃士隊員に...
遊撃担当の銃士隊三十名が駆けつければ、もし壁を乗り越え...
(まだ滑り出しだが、この対策は有効のようだな)
そう思ってすばやく馬にまたがろうとした瞬間だった。
風を切る音とともに、アニエスの頭をかすめて矢が飛んでい...
「……壁にあまり騎馬で近寄らないほうがいいな。体が高い位置...
そうとだけ言ってあらためて馬に飛び乗る。
駆けだした後から、どっと冷たい汗が出た。
338 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
戦闘開始二時間後。
「……違う!」
アニエスはぎりっと歯噛みして地面を蹴りつけた。
敵の戦術が変わった。
飛び道具の雨を降らせてくるようになった。こちらは壁には...
それから突撃してくる。いっせいに壁に取りついて乗り越え...
これも正攻法だ。正攻法ゆえに、厄介きわまる。銃士隊が駆...
壁ぞいの内側は、地面が外側より高いぶん、乗り越えてきた...
どんどん、敵の動きがスムーズになっている。
(練達した兵、おそらく傭兵が混じっている! とくに飛び道具...
若く慣れていない兵の狂熱が冷め、動かしやすくなってきた...
二種類の敵。老練な傭兵と、命知らずで狂信的な兵。
壁の内側で、剣に突き刺されて瀕死だった敵兵の上にかがみ...
「こいつら、共和主義者です! その……陛下を狙うのは、すべ...
(共和主義者。ゲルマニア人。革新の国では、さまざまな思想が...
さすがにゲルマニア帝室と関係はあるまい。
ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世はアルビオン遠征の後、ハ...
では、何者がこのような大掛かりな襲撃を画策したのか?
(今夜死なずにいたら、必ず調べあげてやる)
剣を抜いたまま壁にはりつき、敵の雨あられと降らせる矢を...
夜には音が満ちている。かがり火の燃えるパチパチという音...
弩や銃の攻撃を受けるたびに、壁は砕けそうなほど震えがは...
この古くもろい壁が、アニエス達の命綱なのだった。
遠くの壁で、乗り越えようとしてくる敵に打ちかかるメイジ...
「でき得るかぎり一人に対して複数であたれ!
乗り越えられたら前後から襲いかかって速やかに決着をつけ...
貴族の誇りとかは全部忘れてしまえ!」
12 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
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〈山羊〉は森の中から、壁の攻防を見やっていた。
敵陣は壁ぞいにいくつもの火が焚かれており、壁の上に上体...
攻めよせるこちらは危なくなれば、森に逃げ込むだけでよい...
(こちらにはこの森、故国ゲルマニアの黒い森に似たこの環境が...
「それにしても、女王の手勢はよく戦う。銃士隊とやらの働き...
冷静な評価を口にする。それを聞いて、そばの〈鉤犬〉が不...
「なにを落ち着いてるんだ。どう見ても、こっちの犠牲のほう...
「心配するな、今のところきわめて予想通りの展開だ。
傷ついているのは若い共和主義者どもだ。傭兵どもはさすが...
傭兵たちとおなじく、〈山羊〉は慎重な性格だった。危険が...
味方の兵をなるべく失わない、という慎重さではない。敵を...
(それにしてもこいつ、白シャツ姿でそばに来ないで欲しいも...
〈鉤犬〉をじろりと見て〈山羊〉はそう思った。
自分のように黒衣ならともかく、夜でも目立つ白だ。万が一...
「……敵の指揮官は最善を尽くしている。奮戦といっていい。だ...
策などいまさら必要ない。敵もこちらの意図に気づくだろう...
そうかい、と答える〈鉤犬〉があまり面白くなさそうな様子...
こいつの同志である共和主義者どもが、捨て駒のように扱わ...
(残念だな、決着は俺がかき集めた傭兵どもがつけるだろうよ。...
〈鉤犬〉が横顔を見つめてくるのがわかった。無視している...
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肘掛け椅子に座り、アンリエッタは目を閉じて黙然としてい...
13 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
召使たちも外の戦いに駆りだされているが、全員ではない。...
「さすがに女王様は落ち着いてらっしゃる」という類の言葉...
いまは『動じない女王』を演じているだけである。
誰にも劣らず怖かった。待ち続けた後に何がくるのかわから...
何時間たったのだろうか。
長い夜。本当に長く感じる。何度も爪を噛みたくなり、その...
この戦いは自分のために行われている。敵は自分を狙い、味...
彼らのためにせめて今夜だけは、自分はその価値がある『女...
ふと、アンリエッタは薄く目を開けた。
館の主が、地図を卓の上に広げて見ていた。ときおり、外か...
「なにをしているのですか? なぜ、地図を」
声をかけると、その老貴族は顔を上げた。
「陛下……防備が突破されたおりには、乱戦となるでしょう。敗...
(わたくしは『少なくとも、部下たちが敗れる前に逃げることは...
でも、考えたくはない。逃げるわたくしの後ろで、アニエス...
「ありがとう、あなたには感謝します」
感謝という形の、柔らかい拒絶だった。それを敏感に感じ取...
「わしも戦いに出てまいります。その許可をいただけませんか」
「……なぜ? あなたは老体です」
「わしはこの館の主です。自分の館に敵が攻めてきているとき...
気にやまなくてよいのです、と言いかけて、アンリエッタは...
「では……直接戦うよりも、井戸でくんだ水などを持っていって...
「御意」と老貴族は頭をさげて、大広間にいた召使たちを呼...
「ここら一帯の地図でございます。一応でも目をお通しくださ...
14 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
召使たちを引き連れて、館の主が出ていくと、アンリエッタ...
静かになった広間の中で、ぼんやりと、地図に目を落とす。
街道とその周囲の地形を見ながら、友人たちを案じる。
(ルイズたちは、無事に逃げられたかしら)
壁にかかった燭台の火の下で、地図をひたすら眺めつづける。
どれだけ経ったのだろうか。呼びかけられたような気がして...
衝撃を覚える。
「女王陛下、また会いましたなあ」
暗い大広間の出入り口に、二人の人間が立っていた。
背の高い男と、低い男。低いほうは、昼間に見た顔である。
「『王は玉座に座してけり、もののふ周りに居ならびて』……と...
外の攻防が抜き差しならないからといっても、ちょっとこっ...
〈鉤犬〉は乱杭歯をむきだして、満面の笑みをうかべた。
「なぜここに、と言いたそうですなあ。お教えして進ぜましょ...
〈ねずみ〉が、そういうものがあるのではと言い出したので...
その苦労はむくわれ、森の中に通じていた秘密の通路を見つ...
解せませんね、あなたあそこを通ったでしょう? においが...
〈鉤犬〉の得意そうな声とともに、無表情の大男が前に出た...
アンリエッタ同様呆然としていた館の侍女二人のうち、老い...
展開は残酷だった。
大男はためらいもなく三日月刀をひらめかせ、老侍女の肩か...
「な……なんということを……」
アンリエッタは蒼白になり、思わず立ち上がっていた。
「紹介しましょう、〈ねずみ〉です。メイジですが、このとお...
彼はもともと、共和主義を信奉するわたしの同志の出でして...
その金壺眼の大男を示しながら、〈鉤犬〉が紹介した。
15 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「こう見えても彼は繊細で、情報を集めることや仕かけに関す...
〈山羊〉なんかにこの手柄をゆずることもあるまい、と思い...
さあ、あきらめはつきましたかね?」
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戦闘開始から、どれだけ経っただろうか。
波が、退いた。敵はいったん退却した。
夜が白みだすまで、数刻だろう。
散乱した屍の数を見る限り、敵の損害のほうが、間違いなく...
それなのに、アニエスは重い疲労と危険な焦慮を感じている。
(消えていない、森にいる……われわれの損害だって、死者が多く...
傷だけではない。疲労が味方をむしばんでいる。精神と肉体...
戦う意志を捨てず、目に光はあるのに、棍棒をにぎることも...
壁に寄りかかって、繰り返し胃液を吐き続けている者。
銃士隊員の中からも、戦闘不能者が出た。となりに立って銃...
この『消耗』という魔物に、全員が取りつかれていた。
(ちくしょう、敵は攻めたいところを攻め、休みたいときに休め...
それに、主導権を握られているという状況は、われわれの精...
敵のほうが損害が多くても、このままだとわれわれは一気に...
とどめに、弾が尽きかけてやがる)
アニエスは壁に背をあずけたまま、銃に弾をこめる作業をは...
巡幸に出るとき用意した、マスケット銃につめるありったけ...
近衛メイジの指揮官が、座ったまま黙々と手を動かしている...
彼は手にしていたくわを投げ出し、あえいでアニエスの横に...
しばらくして、放心したような声が横から聞こえた。
「平民の戦が、こうまで惨烈なものだとはな」
16 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
アニエスは顔も上げず応じた。
「泥臭く、血生臭いだろ」
「見てまわってきたが、うちの連中の半ばは、やっとのことで...
「こんな戦いだとメイジは使えん。わかっていたことだ」
メイジの指揮官は、精悍な顔を不愉快そうにゆがませてアニ...
「……敵を殺すことにためらいのある連中ではないはずだ。それ...
「杖を振って離れた敵を殺すことと、手ずから持った剣や棍棒...
「おい、銃士隊長、ひとつ聞きたい。なんで奴らは意気阻喪し...
この数は、通常の戦ならとっくに敗走してるぞ」
「なぜなら、奴らはわれわれが弱りつつあるのを感じてるから...
アニエスは奥歯が砕けるかと思うほど歯を食いしばった。
敵は、一兵一兵にいたるまで士気が高い。
主導権を握っていることを知っており、着実にこちらの力が...
「加えて、少なくとも一部は命を惜しんでないからさ。立派な...
せいぜい一人でも多く殺してやる。命知らずの敵には通常、...
ああ、陛下に手をかけさせるものか、と隣でメイジの指揮官...
アニエスは弾をこめおわり、よろめいて立ち上がろうとした...
それを、指揮官が手でとめた。
「細かいことは俺がしてくる。貴様はもう少し休め。水でも飲...
水筒を放られる。きょとんとしてアニエスは受け取った。気...
立ち上がって歩み去ろうとする指揮官に、「れ……礼を言う」...
今夜昇格したばかりの若い指揮官は、むっつりと顔をそらし...
「この際言っておくが、平民出の女を働かせすぎた今夜は、貴...
水筒に口をつけかけていたアニエスはむせて吹きだした。こ...
「なにがおかしい!」とむきになって指揮官が顔を赤くし、...
その首を、壁の後ろから飛んできた矢がつらぬいた。横転し...
アニエスの笑いが凍りついた。
水筒をぐっとあおる。銃を手に立ち上がって壁の向こうを見...
17 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
少年といっていいほどの若い敵兵が、木の切り株を転がして...
やった、とばかりに誇らしげな笑みを浮かべていた。アニエ...
ゆっくりとその背を狙い、石のような心で引き金をひいた。...
……その直後だった。森から角笛が鳴らされたのは。
戦闘再開の合図。近くから激しく打ち鳴らされるドラの音と...
目を向けて、アニエスは痛烈に舌打ちする。
考える間もなく、壁を乗りこえて外側に降りたつ。銃士隊の...
丸太に二本の縄を巻きつけ、縄の両端を屈強な男四人がつか...
縄を手放してアニエスに応戦しようとした一人の首筋を斬り...
逃げる男たちに目もくれず、自らも背をむけて壁にとりつく。
「なんて無茶を!」と口々に言いながら、銃士隊員や近衛の...
体裁をつくろう余裕もなく、無様に壁の内側に滑り落ちる。...
(ついに簡易な破城槌まで、作ってきた)
ずん、ずん、と壁にさらに振動が伝わる。遠くのほうでも、...
壁の内側にあお向けに倒れこみ、夜空を見あげたままアニエ...
(消耗を狙っていたんだ、最初から。
多方面から長時間、波状に攻めよせることで、ただでさえ不...
飛び道具はもうない、壁は遠からず穴を開けられ、敵がなだ...
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アンリエッタは立ち尽くして、歩み寄ってくる〈ねずみ〉を...
その手の三日月刀は老侍女の血でぬらぬらし、蝋燭の火とあ...
ひっ、と隣でおびえた声があがる。若い侍女が怯えきってへ...
固唾をのみながら、アンリエッタは問うた。恐怖に麻痺しそ...
「……殺すのですか、わたくしを」
18 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
〈ねずみ〉の足が止まった。その巨体の中で、ただひとつ呼...
「あくまで手こずらせられたら別だが、おそらくそうはなるま...
邪魔されぬよう、玄関はとうに鍵をかけて閉めてきたぜ。叫...
〈ねずみ〉に続き、〈鉤犬〉が後方で手をひろげ、大仰に話...
「すぐ殺すには陛下は貴重すぎますよ。
あなたの父は王、祖父も王、さかのぼったあまたの先祖たち...
このような血を利用したいと思う者は多いのですよ。
わたし自身は共和主義者でして、王家の血など、反吐の出る...
(王位継承者はルイズよ。わたくしに何かあれば彼女が次の女王...
そう思いながらも、アンリエッタは次の質問をした。
「共和主義者? ではあなたがたは、レコン・キスタのような…...
「いや、違いますね。あれは有名ですが、われわれとは関わり...
とりあえず、あなたには会ってもらいたい人がいます。あち...
生きてさえいればいいし、手に余るようなら殺してもいいと...
質問は、もう受け付けませんよ。そろそろ……」
「離れろ!」
この瞬間に、怒声が響いた。
大広間の入り口に、またしても人影があった。
アンリエッタの衝撃は、〈鉤犬〉と〈ねずみ〉が現れたとき...
黒い髪と瞳。手には抜きつれた大剣。
ビロードの黒いマントは自分が与えたもの。騎士の証。
走り続けてきたらしく、その少年は呼吸を荒げ、額に汗を光...
手は怪我したのか、血のにじむ白い布を巻いていた。
19 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
信じられない思いでその少年を見ながら、アンリエッタは唇...
「サイト殿……?」
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才人は呼吸をととのえながら、もう一度同じことを言った。
「その人から、離れろ」
広間内の人間は、一様に驚きの目で彼を見ていた。昼間の〈...
「〈ねずみ〉、この小僧、俺たちとおなじ地下道を通ってここ...
呼びかけられた大男が、才人の全身と剣をじろじろ見ていた...
ものも言わないまま、無造作にこちらに歩いてくる。
才人はその男の血に濡れた三日月刀と、庶民の服をまとった...
ガンダールヴの力なしで、このような大男を相手するのは、...
が、自信がまったくないわけではなかった。
これまでたびたび、アニエスに稽古をつけてもらっていた。...
(成長したのは、ルイズだけってわけじゃねえぞ)
「踊るか、小僧」
〈ねずみ〉の声と、斬撃が同時だった。とっさにデルフリン...
分厚い刀が引かれ、横殴りの猛烈な斬撃がもう一度来る。
あわてて才人は飛びすさった。
(こんなの下手に続けて受けたら、デルフを弾かれる!)
それを追いかけるように、〈ねずみ〉が進んでくる。力にま...
速度がどんどん上がっていく。縦に、横に、袈裟がけに三日...
20 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
技もへったくれもない。にもかかわらず、才人はよろよろと...
単純な膂力はそれだけで厄介だった。必死に受けながら舌打...
(この野郎、一撃がやたら重いぞ)
その一撃が、風を巻いて連続している。
耐えかねて、床に転がって逃げる。アンリエッタの悲鳴が聞...
幸いなことに敵の追撃をうまくかわし、床を蹴って立ち上が...
『背と体重がある相手に、正面からぶつかるんじゃねえよ。攻...
デルフリンガーが口を利いた。
そういうことはもっと早く言え、と内心で毒づく。口を開く...
手首をひるがえしてどうにか右からの一撃を食い止め、弾き...
才人は無我夢中で、アニエスに叩きこまれたとおり足を動か...
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ゆれる蝋燭の火に照らされた大広間。アンリエッタの面前で...
蒼白になってそれを見守ることしか出来なかった。それは自...
〈ねずみ〉の猛烈に回転する刀の勢いに、近寄ることもかな...
三日月刀に付着していた血が飛びちり、アンリエッタの顔ま...
拭きとることさえ忘れて、アンリエッタは見ていた。
三日月刀の苛烈さに対し、一方の才人は決して足をとめない...
二人はぐるぐると位置をかえ、ときおり火花がちる勢いで鋼...
視界の端で〈鉤犬〉が動いた。はっと我にかえってアンリエ...
〈鉤犬〉の顔からは笑みが消えていた。この男は〈ねずみ〉...
(敵の男は強いけれど、サイト殿はぜんぶ防いでいるもの)
21 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
広間の闘いは、まだ一見して〈ねずみ〉が猛烈な攻勢で押し...
しかし、その男からは最初の勢いが薄れてきたように見えた...
くらべて、才人のほうはまだ衰えが来ていなかった。
彼は最初から汗みずくだったし、呼吸も〈ねずみ〉同様速か...
(あの男は疲れてきた、そしてサイト殿はどんどん迅くなってい...
〈ねずみ〉はおそらく、これまでそうだったように、数合で...
その瞬間に才人が踏みこみ、叫びながら打ちかかりだした。...
一瞬で攻守が逆転したのは、誰の目にも明らかだった。
弧をかいて払われたデルフリンガーが〈ねずみ〉の腕を浅く...
転がる椅子をとびこえて打ちかかった才人の剣を、どうにか...
その小さな目にいまや浮かんでいる、恐怖の色をアンリエッ...
「アンリエッタアア!」
〈ねずみ〉は大喝し、三日月刀をふりかぶり、肘掛け椅子の...
才人はよく反応したといえたろう。腕をとっさに伸ばし、デ...
それと同時に、武器を捨てた〈ねずみ〉の巨体が才人にぶつ...
体重でまさる〈ねずみ〉が才人にのしかかり、剣を持つ手を...
息を呑み、〈鉤犬〉のことも忘れて駆け寄ろうとしたアンリ...
「ヴェルダンデ、かかれ!」
大広間の戸口から、茶色い獣が飛びこんでくると、才人をお...
その後から走りこんできた少年が、手にしていたワイン瓶を...
瓶が砕け、〈ねずみ〉が昏倒する。ほうほうの態でその下か...
「ギーシュ……お前、おせえよ」
「きみが敵の目を考えず突っぱしるからだろうがね! わき目...
22 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「サイト殿、ギーシュ殿!」
ぎゃあぎゃあと騒いでいる二人のもとに、アンリエッタは今...
ギーシュがさっと膝をついた。彼の手にも、才人と同じよう...
「へ、陛下! 命令に背いたこと、それに遅参しましたことは...
「あとにしろって。まだ敵はいる」
左手の折られた指をおさえて立ち上がりながら、才人がさえ...
「〈鉤犬〉という男がいなくなっています……あなた、見ました...
広間の隅で震えていた侍女に質問する。「た、たった今出て...
「逃げたか。抜け道を使ってかな? ギーシュ、あの抜け道は...
「わからん。正直、ぼくも森の地下道出入り口での乱闘を最後...
「出てみたら敵に囲まれてましたって寒い事態は避けたいな。...
そう才人が締める。その腕をアンリエッタがつかんだ。
「状況とはいったいどういうことなのですか?」と訊くつも...
そのはずだったのに、別の言葉が自然とすべり出た。
「なんで……なんで、来てくれたの?」
才人はおもいきりうろたえた顔をした。
指の痛みも忘れたようにきょときょとと視線をさまよわせ、...
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壁の一箇所が、ついに粉砕された。
どうにか一人がくぐりぬけられる程度の狭いはざまだが、た...
時をさほど置かず、壁の数箇所がさらに丸太で突きくずされ...
銃士隊がかけつける余裕はなかった。怒涛の勢いで壁のあち...
23 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
(もう対応が追いつかない。一定以上の数に侵入されて、壁にま...
アニエスはほぞを噛んだ。
彼女がけっしておちいるまいとしてきた最悪の状況が、目の...
駄目押しのように、門が――必死で支えてきた鉄格子の門が、...
敵兵が銃士隊と剣戟を交わしながらどっと乱入し、庭中に弩...
それだけでなく、門の向こうの小道から、三十名ほどの騎馬...
(敗れた。あとは、この庭で徹底して抵抗し、混乱の中で陛下を...
最期の時だな、と覚悟を決める。
この場にいない才人やギーシュが恨めしくなる。特に才人が...
途中から来た館の主から、簡単に聞いてもいた。彼らはラ・...
それでも、やはり「陛下を置いていったのか」と愚痴を言い...
アンリエッタに、逃げなければなりませんと告げるために馬...
(な、なぜ鍵がかかっているのだ!?)
あわてたとき、鍵をはずす音がして内側から扉が開かれた。
予想外の顔が現れる。
「あ、アニエスさん」
「サイト!? ギーシュ殿まで、脱出したのではなかったか!?」
彼らの後ろからアンリエッタが顔を出し、感極まった様子で...
その前に、今夜新たに聞く種類の音がひびいた。
アニエスはぽかんとして振りかえる。
(この音は……ラッパ? そうだ、ラッパが鳴っている)
角笛でもなく、ドラでもない。突撃ラッパが鳴っていた。
彼女の目前の庭で、信じがたい展開が起こっていた。
小道を駆け上って門から入ってきた騎馬隊が、壁を突破した...
24 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「……援軍?」
呆然としながらアニエスは、確認するようにおそるおそる口...
才人の苦笑気味な声が、「ちょっと違いますけどね……」と後...
状況はすぐに明らかになった。背後から突っこまれた敵の悲...
「裏切り、裏切りだ! ロマリアの騎馬傭兵隊が裏切った!」
しばし無言の後、アニエスは才人とギーシュの顔を見た。な...
「お前たちがやったのか?」
「ああ……うん……どちらかといえばサイトが」
「いやギーシュが」
「どっちでもいい。とにかく大した手柄だ」
らしくなく譲り合う二人を、手放しで褒めた瞬間、背後から...
「陛下、ここは危険です。混乱の中でもあなたは格好の標的で...
おいサイト、街道は安全なんだな?」
「ええ、街道を張ってた傭兵隊が丸ごと寝返りましたし」
「結構だ。馬三頭持っていけ、陛下を無事にここから離せ。わ...
「アニエス!」
「心配はいりません、陛下。背後からの攻撃によって敵は混乱...
寝返ったのは三十名ほどの少数らしいですが、これで勝算が...
勝って陛下のお褒めをいただくつもりなのですから、死には...
にやりとアニエスは笑ってみせた。
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アンリエッタの馬を、騎馬の銃士隊が押しつつむようにして...
25 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「村へ行きましょう」
小道をくだり、三人で馬を走らせつつ、ギーシュが提案した...
折れた左手の小指をかばってなんとか手綱をあやつりながら...
「おい、ヴェルダンデを背負って騎馬は変じゃないか」
「離れたがらないんだ。置いていけというのかね!?」
「いや、まあそりゃ、俺にとっても恩人だけどよ……」
両脇を並んで駆ける二人の、微妙に緊張感に欠ける会話を聞...
ポーションは効いたし、ギーシュの使い魔は使役できた。た...
一方で、使えなくなったガンダールヴの能力にしろメイジの...
(この身の内側にちゃんと、魔力は高まる。放てないのではなく...
これから調べなければならないことが、山ほどできた。誰が...
いかに共和主義者でも、王権が憎いという理由だけでこのよ...
〈ねずみ〉に斬り殺された老侍女を思いだして歯噛みする。
(今夜のこと、けっして捨ててはおけないわ)
トリステインの王権に対する挑戦を受けとった。今度こそは...
そう決意したとき街道に出た。
気のゆるみがあった――戦場はすでに後方、ここで待ち伏せが...
街道と交錯する小道、その両脇の森の中から、いきなり馬群...
闇に融けているような黒衣の七人組。昼間の一団。火のメイ...
〈山羊〉という首領が、アンリエッタにもっとも近い位置に...
女王が串刺しにされる前に、並走していた才人が乗っていた...
叫び声とともに馬が横だおしになり、〈山羊〉と才人が地面...
ぶつけた側の才人のほうが、落馬の衝撃を前もって覚悟でき...
アンリエッタはとっさにあぶみを踏みしめ、地面の才人に手...
「乗って――早く!」
ぐずぐずすると包囲される。才人の判断も早かった。指が折...
26 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「村のほうは駄目です! 街道のあちらへ」
ギーシュがさけぶ。黒衣たちは周囲を半包囲し、逃げ道をふ...
才人に「しっかりつかまってくださいまし」と言っておく。...
背後で起き上がったらしき〈山羊〉の怒鳴り声が聞こえた。...
二つの月の下、モグラを背負ったギーシュの馬と並び、飛ぶ...
ひたすらに走り続ける。気がつけば、東の空がかすかに白み...
(今は北に向かっているのね、ラ・ヴァリエール領方面に)
「あいつら、飛び道具を持っていないようだ」
それだけは助かった、と才人が密着したままつぶやいた。ア...
「けれどたぶん、このままでは追いつかれます」
一人が一頭に乗っている七人組と比べ、こちらは馬の負担が...
「サイト殿、もし止まって戦うとなれば、どうなるでしょう?」
「みんな死にます」
即答だった。彼はアニエスの薫陶を受けてか、戦力差につい...
「三対七という時点で望み薄ですが、加えて姫さまとギーシュ...
まともに打ち合える俺は左の小指を折られてます。ガンダー...
「ではやはり、このまま逃げるしかありませんわね」
「……魔法が使える状況にさえなれば、姫さまの水魔法で怪我を...
ギーシュがニメイルほどあけた横に馬をならばせて、駆けな...
「サイト、昼間見たと思うが連中は火系統のメイジだ。それも...
「正直、危ないと思う、でも今よりは格段にましさ!」
彼らの大声での会話を聞きながら、アンリエッタは思考をめ...
(この魔法を使えないという現象は、永続するとは思えない。あ...
でも、どんな要素で? 時間がたてば解けるのか、範囲が決...
27 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「陛下!」
ギーシュの絶叫が届いた。直後、後ろから火球が連続して飛...
(魔法!?)
馬首をわずかに横に向け、進路変更する。一弾目と二弾目の...
四弾目はかわせない、と思ったとき、後ろからしがみついて...
考える余裕もなく言われるまま手綱を手放す。
アンリエッタの体にまわされていた才人の手にぐっと力がこ...
さらに五弾目が飛んできたが、左手でアンリエッタをかかえ...
あらためてアンリエッタの体を軽々と抱き上げ、ギーシュの...
「サイト、そりゃきみのいつもの……お、こっちも魔法使えるぞ...
ギーシュが歓喜の声をあげ、取り出した杖をふって石つぶて...
「……ギーシュ、街道をはずれよう、とにかく足をとめるな、囲...
指が痛いのか、走りながら才人は涙目になっている。
その腕の中で、アンリエッタの思考に何かがよぎった。
重要なことのように思われ、必死にそれを捕まえようとする。
火のメイジたち。彼らに追われる自分。
この国。地形。地図、館で見た地図。
ここは街道、あの領地からやや北上し、ラ・ヴァリエール領...
平原から山地に入り、谷間を縫うように……
あっと声をあげ、「サイト殿!」と呼んだ。街道から横とび...
才人はろくに考えなかったのか、即座に「それでいきましょ...
「よ、よろしいのですか?」
「試さないよりましです、後がない。ギーシュ、東に馬をまわ...
28 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「東だと!? あっちは山地になってる! 追い詰められるぞ!」
「そこを目指すんだよ! どのみち平原よりはましだ、背中を...
アザミ野を突っ切って並走しながら彼らは怒鳴りあう。アン...
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馬を飛ばして追いながら、〈山羊〉は怒りに満ち、呪ってい...
とりわけ、ここまで手こずらせた女王とその臣下たちを。
あの傭兵隊が裏切ったと知ったとき、〈山羊〉たちは即座に...
女王が先に逃がされるはずだと読んで街道で待ちぶせし、そ...
(それももう終わりだ、もう追いつくぞ)
彼らは山地に逃げこんだ。少し時間はかかるだろうが、七匹...
その時は、わりあい早くに来た。
〈山羊〉たち七名が馬から降り、そこに踏みこんだとき、女...
追っ手が来たことに気づき、少年は剣を構えて女王の前にた...
〈山羊〉はせせら笑った。
(なにも、こんな自ら袋のねずみになるような場所に迷いこまな...
狭い場所なら、多少は数の不利が消えるという腹づもりか?)
その場所は木々がひらけ、地面が陥没して十メイル四方ほど...
高さ数メイルの崖が彼らの後ろにそびえており、その下部に...
剣をかまえているのとは別の、金髪の少年が、はらはらした...
昨日の昼のように慇懃に頭をさげ、〈山羊〉は女王に話しか...
「チェックメイトとまいりましょうか。結局われわれの勝ちで...
黒髪の少年があせった顔で背後に向き、おいギーシュ、ヴェ...
少年の肩越しに女王がまっすぐ面を向けてきて、凛然とした...
「そうですか? あなたがたの兵は壊滅したと思いますわ、お...
29 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「今夜のこれはチェスだったのですよ、陛下。わたしにとって...
何人死のうと、何人捕らわれようと、何人が裏切って何人が...
陛下という貴重な駒を奪いあうゲームで、あなたを手にすれ...
〈山羊〉は杖を抜き、前に歩き出した。
その歩きが、ふと止まる。
(何だ……?)
地面が、かすかに震えた。ヴェルダンデ! とはしゃいだ調...
それから――水が来た。
泥水が、穴からすさまじい量と勢いで噴きだした。茶色い獣...
たちまち穴の口が、噴きだす水で広がりだす。穴の周囲の土...
金髪の少年がいまや引きつった笑みでそれを見ていた。どれ...
固まっている〈山羊〉たちの前で、崖そのものが崩れ、土と...
……時間にして十数秒後。
〈山羊〉は表情をゆがめ、ずぶ濡れになった黒衣をふって水...
冷たい水がくぼ地に、膝の下くらいまで貯まっていた。
離れたところで水音がした。
少女が左手で肩を抱くようにして水から起き上がってくる。...
朝の曙光を受けながら、女王は水面のように静かな目で、〈...
「このような小規模なダムが、この一帯には数多いのです。平...
アンリエッタの言葉を聞いても、〈山羊〉はなぜかうまく頭...
(この崖の上はため池だ、その底近くに穴を開けたのか……)
「トリステインは水の国【11巻】。この国の女王であるわたく...
〈山羊〉は足元を見た。膝までの水。突然、おぞ気が走った。
(ここはため池の水があふれたときの『受け皿』のような場所だ...
自分たち火系統を得意とするメイジにとって、大量の水の中...
そして、悪夢に取り巻かれていた。
30 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
水から上がれ、と仲間に向けて絶叫しようとした〈山羊〉の...
女王が右手の杖をふると、その少年は水の鎧で覆われていく。
手に大剣をもち、無造作に少年は〈山羊〉たちに向けて歩い...
〈山羊〉ほか数名があがくように杖をふり、火球を少年に飛...
〈山羊〉の目の前で、少年騎士が腰をねじって大剣を横にか...
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
〈山羊〉をはじめ四人がデルフリンガーの剣の平で頭を強打...
残りの三人は逃げようとして、動く水に足をとられて倒れ、...
男たちをその場で縛り、浅い池と化したくぼ地から押しあげ...
ヴェルダンデを背負ったギーシュがくぼ地からあがり、「馬...
アンリエッタはそれを見送る。
そばでは才人がへたへたと水の中に座りこみ、「つっかれた...
「ええ、疲れる夜でした。誰にとっても。
この呪わしい夜に死んだものも傷ついたものも、わたくしの...
あの黒衣の首領が言ったように、彼らはわたくしを狙ってこ...
「……姫さま。あのさ」
「わかっています、サイト殿……罪悪感にとらわれすぎて判断を...
「それだけじゃないですよ」
才人は冷たい水に尻をついて座りこんだままで、アンリエッ...
「姫さま、自分が死んでもいいと思ってたでしょうが。王家の...
でも、ルイズや枢機卿さまやアニエスさんが姫さまを守ろう...
今回、自分が女王だから狙われたって? そりゃどう考えて...
アンリエッタは才人を見下ろした。そっとしゃがみこみ、彼...
服が肌にはりつき、あらわになった体のラインにどぎまぎし...
礼を言ってそれを受けとり、まといながらアンリエッタは館...
31 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「今度は答えてくださいまし。なぜ、来てくれたのですか?」
才人の目が露骨に泳いだ。冷たい水の中に座り込んでいるの...
「あなたは王家の騎士ではない、だから王家に尽くす義務はあ...
「あー……まあ、いやね……さっきも言っただろほら、ほかの人が...
「つまり、どういうことでしょうか?」
顔を寄せて真剣に問い詰める。才人は目の前でなにやら必死...
「ほら、王家の騎士じゃなくても一応騎士の誓いをしましたし...
あの、姫さま、ちょっと近いんでは……」
「つまり、『女王』ではなく『レディ』を助けに来てくれた、...
彼の顔をのぞきこむような体勢。互いの息がかかる。
信じられないくらい熱く、どこか暗くて秘めやかな火が胸に...
この夜の最後くらいは、女王でなくてもいいと思う。ルイズ...
アンリエッタの持つ、一種の狂気のような衝動。何もかも忘...
重ねただけの唇を離して、アンリエッタは自分のものと思え...
「レディとしての、お礼ですから……」
困惑とやっちまったよ感と、わずかにアンリエッタと同じ熱...
一回目より多少長いキスの後、唇を離した。
「……あーもう、ちくしょう」と才人が、何かに負けたように...
アンリエッタは待っていたように、力をぬいて彼の腕の中に...
けっきょく二人は、ギーシュが戻ってくる寸前まで、朝日を...
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
その、ちょっと前。
朝の光をあびる館。治療士たちがとびまわるように負傷者を...
戦闘が終了した庭で、戦闘の事後処理をしながら、アニエス...
夜の戦いは、近衛兵側が勝利した。それにはこの騎馬傭兵隊...
彼らは壁が突破されるまで戦闘に参加せず、斥候役だったの...
メイジたちの魔法が戻ってからは、一瞬で決着がついたが、...
事態を知って急きょ援軍に駆けつけた近隣の領主の兵までい...
32 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「つまり、貴様は〈山羊〉と呼ばれる者に雇われただけで、そ...
「そんなところだ。おれについては、実際には雇われたかとい...
「……傭兵隊の悪評はよく聞くが、とりあえずこれからも貴様ら...
「おい、ひでえなあ。誠意は見せたはずだぜ。うちの隊の者は...
「わかってる。正直、貴様らがいなければもたなかった」
「礼はいいから、女王陛下から恩賞がほしい」
にっこりと笑って人差し指と親指をこすり合わせるひげ面の...
アニエスは呆れ気味に苦笑をもらした。あけすけすぎて怒る...
「最初は敵対するため集まったくせに。大逆罪は本来、共謀段...
お前のようなやつは逆に憎みきれん。いいだろう、昨夜の連...
その保証に、傭兵隊長は待っていたとばかりに「いやあ、じ...
いかん疲れすぎている、と空を一度あおいでから見直す。
見直す。
ぶるぶると手が震えだした。目がコインでもはめられそうな...
「き……き……貴様、この額はなんだ……?」
常識外の数字が並んでいた。冗談抜きでトリステインの国家...
「いやあ、多かったかね? 〈山羊〉ってやつに保証された数...
もとの額でも、傭兵隊に払うには常軌を逸した額である。そ...
「ふざけるな! 限度ってものがあるだろうが!」
「しかし、おたくの別の近衛隊長からは保証書をもらっている。
払わないなら別にいいぞ、『トリステイン王家は命を救われ...
33 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
傭兵隊長がふところから、ぺらりと二枚の紙を出した。金額...
『ギーシュ・ド・グラモンこれを確約す』
『ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエ...
きっちり手形は血印であり、おそらく本物。
このまま地面にぶったおれて眠ることができればどれだけ楽...
そのとき背後から、「アニエス! アニエス!」と聞き覚え...
村から馬車を走らせてたった今駆けつけたらしきルイズが、...
「姫さまは!? サイトは無事なの!? 朝起きたら村の民家で寝...
半狂乱のルイズに、アニエスは振り返りもせず無言。かわり...
「ああ、あの黒髪小僧が自分の手の皮をちょっと切って、あん...
そうそう、おれだってただの守銭奴じゃない。条件次第で、...
「その……条件を言ってみろ……」
地獄の底からわきあがってくるようなアニエスの声にも動じ...
「トリステインの貴族の位をくれ。伝統と格式あるトリステイ...
貴族に生まれただけでふんぞりかえる輩が大嫌いだったが、...
それを聞いた瞬間思ったんだよ。『話のわかる女王陛下じゃ...
「き……貴様な、調子に乗ってると……
いや待て、頼むから待ってくれ、こういうことはわたしの一...
怒りに引きつっていたアニエスの顔がさっと青ざめた。振り...
「陛下やサイト達は村にいないのか?」
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男たちを縛って二人ずつなどで乗せた馬が四頭。
「……しまった。縛ったはいいが、どのみち人手がないと馬をひ...
ギーシュがうなっている。結局さるぐつわを噛まして森中に...
34 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「あら、竜が」
才人のマントを濡れた服の上にまとったアンリエッタが、空...
才人は目をほそめた。いやな予感がする。それはいきなり的...
やがて、近隣を捜索していたのが合図をうけたのか、数匹が...
その場で待つ三人の前に、風とともに彼らは降り立ち、その...
なぜ来ているのか、タバサのシルフィード。その背に乗って...
彼女の姿を見ると、先ほどのアンリエッタとのキスを思い返...
アニエスはすたすたと歩いてきてさっとアンリエッタの前に...
心のこもった「陛下、無事でようございました」「それは、...
馬にくくりつけられた男たちをみて、アニエスがうなずいた。
「即座に銃士隊を連れてきてこいつらを引っ立て……と言いたい...
この竜も、大貴族の領地からつかわされたものでございます...
アンリエッタにそれだけ言うと、戦の後で疲労困憊している...
「ギーシュ殿、ちょっとお話があるのだが、よろしいか?」
「な、なにかな? うわちょっと、ぼくをどこへ連れて行っ……...
「なにを不思議なことをおっしゃる。あの大手柄がなくば、わ...
サイトは……とりあえずラ・ヴァリエール殿に任せるとする」
ちらりと才人に目をむけて、アニエスはギーシュを草むらに...
才人は思う。たぶん今これからが、自分の正念場。〈ねずみ...
目の前では、ルイズがアンリエッタの前にひざまずき、アニ...
臣下としての言葉を一通り述べると、ルイズは立ってアンリ...
それから――いきなりルイズは、アンリエッタの頬を打った。
才人はぎょっとする。叩かれたアンリエッタのほうも、目を...
「薬なんか……ひどい……よかった、姫さま、サイトも……無事でほ...
徐々にアンリエッタの目もうるんでいった。ルイズを抱きし...
35 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
ひしと抱き合っている二人をほっとした目で見ながら、才人...
「タバサ、お前までいつのまに来たんだ。驚いたよ」
「……今朝駆けつけたばかり。巡幸している女王陛下に伝えよう...
戦闘の知らせを朝一番に受け取った」
「伝えること?」
「『危険があるかもしれない』と。遅かったけど……魔法を使え...
「ああ。ガンダールヴの力まで使えなくなった。ありゃ何なん...
「〈解呪石(ディスペルストーン)〉。古い書物で見たことがある。砕け...
「なんでそんなものを……タバサ、誰だ? そんなことをしたの...
「……だれが画策したのかは、わたしにも謎。
わたしはゲルマニアのキュルケの家に行っていた。そこで国...
才人は考えようとして、やめた。怒りはつのるが、敵が何者...
かたく抱き合っているアンリエッタとルイズを見る。
誰か知らないが、たいせつな人たちに手を出した報いはきっ...
その彼の目の前で、アンリエッタが涙をふきながら、抱き合...
「あなたにひっぱたかれたのは、幼いころを別にすればこれで...
「理由も一部は同じですわね」
さらっと返ってきたルイズの言葉に、石化したようにアンリ...
36 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
才人はなんのことかわからなかったが、先ほどのいやな予感...
横でタバサが、なんでもないことのようにつぶやいた。
「……じつは、あなたたちが気づく前からシルフィードで見つけ...
え? いつから? ……そういえばルイズはシルフィードに乗...
「具体的には、あなたと女王陛下が池でしたことを見ていた」
なるほど。たしかにあの時は夢中になっていて、他が見えて...
才人はそろそろとこの場から遠ざかろうとする。と、固まっ...
「ねえ犬。どこへ行く気かしら」
ルイズが深呼吸すると、アンリエッタの肩をつかんで、女王...
「姫さま、率直に答えてください。わたしを友人と思ってくれ...
――本気に、なったのですか?」
大いにアンリエッタはうろたえていた。目を閉じ、開き、お...
その頬が赤らんでいる。
彼女はためらいを見せた後、ごめんなさい、とつぶやいてか...
「――だと、思います……」
その答えを聞いて、才人の顔まで熱くなった。もっとも、す...
ルイズは「ふふ、いいですわ」と震えながらかろうじて笑み...
自信がなく、うろたえるばかりだった昔のルイズではないの...
「姫さま、わたしもいまさらお譲りする気はありませんから。...
笑みの構成は六割の怒り、三割の礼儀、一割の寛容である。
「再戦、ですわね?」
終了行:
317 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/22(土...
「守らねばならん場所が、広すぎる」
大広間。作戦会議は早急にはじまった。今は、アニエスが卓...
「この館をかこむ塀は、長すぎるのだ。そのうえ高さはせいぜ...
集っているのはアンリエッタ、館の主である老領主、先刻に...
「館からあまりに離れているのだ。館から約100メイルの距離で...
これを、銃士隊五十二名、水精霊騎士隊三十一名、新たに来...
一人当たり4メイル以上の壁を担当せねばならない計算になる...
戦力が分散しすぎる」
アニエスはそう言ってから、面々を見渡した。
「言っておくが、『その他』の三十八名は、治療士、料理人、...
そして水精霊騎士隊および近衛兵については、メイジとして...
なぜ魔法が使えなくなったかは、今考えてもしかたがないの...
これで、どこから来るかわからぬ敵をしりぞけねばならぬ」
集まった者たちは、少しのあいだ誰も何も言わなかった。重...
ややあってから、館の主が白くなった頭をかいて言った。痩...
「まいったの。森中の塀については、はるか昔の先祖が築いた...
数代前、館の改築のとき、内側の壁を壊してしまったらしい。
街道に大規模な盗賊の横行する時代は過ぎ去っておったし、...
その慨嘆は、残念ながら現状を乗り越える役にはたたないよ...
「それならいっそ敵には壁を乗りこえるにまかせ、館にこもっ...
才人の提案に、アニエスと近衛の指揮官が同時に「駄目だ」...
「館にこもれば包囲され、火を放たれる。突撃してこられれば...
壁で撃退するしかない」
近衛メイジの指揮官がいまいましそうに床をけりつけた。も...
軍人らしい精悍な顔だちをゆがめて、その青年は罵声をはな...
「ちくしょう! 竜さえ残っていれば、包囲の上を飛び越えて...
アンリエッタが彼に問う。
「竜は全滅したのですか?」
318 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/22(土...
「……はい、投網や矢を使われて。真っ先に、敵は数匹いた竜を...
アニエスが彼に向き直った。
「竜はもう仕方がない。貴君には、今夜の作戦でわたしの指揮...
指揮官の顔がどす黒くなった。
ありありとその顔には、「メイジが、平民上がりの女の下に...
が、それでも現状の自分たちは平民に劣る戦闘力しかない、...
「今夜だけだ。おそらく潰走した近衛兵たちの一部は、来た道...
耐えてほしい、さまざまなことに。メイジには屈辱かもしれ...
アニエスは最後にアンリエッタを見た。まだ銃士隊服のまま...
「銃士隊長に采配をあずけます。ただ勝利のことを考えてくだ...
アンリエッタの発言をうけて、そこでマザリーニが手をあげ...
「言っておこう。われわれの勝利とは敵を破ることではない。...
アンリエッタが眉をひそめ、枢機卿に向けて口をひらいた――...
「近衛兵とは、そのために存在するのです。無論、陛下の身の...
なにかを言いたそうなアンリエッタの様子に気がつかないふ...
「大まかな方針は、壁で敵を防いでひたすら時間をかせぐ。銃...
細かいところは、現場に出る兵たちと一緒に伝える」
「ひたすら防戦、ですね」
緊張で顔色をやや青くしているギーシュが、ごくりと固唾を...
メイジの指揮官が、うなずいて彼に説明した。
「敵は弩(いしゆみ)を持っていた。銃もいくつか。壁からうっ...
実質的な戦力に勝る相手には、防壁に拠って援軍を待つしか...
319 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/22(土...
最後に、ルイズが提案した。
「アニエス、村はどう? あの村の石壁は、この館に来るとき...
「ラ・ヴァリエール殿、それは考えたが不可能だ。ああ、確か...
村まで移動しようとすれば、街道を押さえた敵に見つからな...
……逆にきわめて少人数なら、見つからないですむかもしれな...
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〈山羊〉は、近衛のメイジを奇襲したあとの死体転がる街道...
たった今駆けつけたその傭兵隊は、総勢三十名、全員が騎馬...
「あんたはたしか副隊長じゃなかったか? 数日前に俺が話を...
「前の隊長なら、まあ、いろいろあってね。そのおかげで来る...
そのひげ面でがっちりした体格の男がにやりと笑った。全身...
「……まあ、仕事さえしてくれるなら誰が代表だろうと構わんが」
傭兵隊という集団は、内部でさえときには血みどろなのであ...
「できればもう少し早く来てほしかったところだがな。すでに...
「だからいろいろあったんだって。まあ、もういいじゃねえか...
いやさ、前の隊長しか聞いていなかったんでな」
悪びれもせず金の交渉に入る傭兵隊長に、〈山羊〉は金額を...
「まあ、なかなかの額じゃねえか。しかし、相手はトリステイ...
後がこわそうだからな、ロマリアの南端まで逃げても」
〈山羊〉はぐるりと眼球をまわし、肩をすくめる。傭兵の貪...
とはいえ、「金を惜しむことはない」と雇い主である紫のロ...
その者は、とっくにこの場から去っており、代わって自分が...
「成功したら報酬に上乗せしよう、大幅に」と約束すると、...
「結構、結構」
それから、その男は笑みを消して鼻をこすり、腰にさした剣...
「じつは個人的にも悪い話ではないと思ってる。よくある話だ...
320 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/22(土...
傭兵隊長の言葉に適当に相槌を打ちながら、〈山羊〉は思考...
これで、兵力は百七十名を越した。もっと集めたかったが、...
トリステインやゲルマニアの当局に気づかれず、国境を越え...
それでも、敵よりは準備がととのっているはずだ。
敵はおもに銃士隊になるだろう。事前に調べたところ、今回...
武器でもこちらには銃と剣のほかに弓、弩(いしゆみ)があり...
しかし、向こう側には低いとはいえ石壁がある。おそらく、...
実質戦力に劣る以上、やつらがこちらの攻撃を耐え切る方法...
こちらは壁さえ突破すれば、勝てるだろう。
……いや、あるいは、それ以外でも決着がつくかもしれない。
〈山羊〉は目の前の傭兵隊長に指示をくだした。
「騎馬隊でわざわざ来てくれたのに悪いが、戦場は森になりそ...
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館。水精霊騎士隊・隊長および副隊長にあてられた一室。
今の状況は、作戦前の最後の猶予、ということになる。
気をきかせたのかギーシュが出て行ったため、才人は久々に...
しかし残念ながら、そう色っぽい状況とは言いがたい。才人...
「始祖に誓います。今までの道中、誰が相手であろうと、他の...
「語尾が震えてるわよ」
勘弁してくれ、と才人はげっそりしたため息をついた。
ベッドに腰掛けて足をぶらぶらさせている桃髪のご主人さま...
恋人関係になってから、ルイズは成長したと思う。心に余裕...
少し人当たりがよくなった。
少しヤキモチゆえの使い魔への暴力を抑えられるようになっ...
少し笑顔が多くなった。
少し素直になった。
321 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/22(土...
まあ、そこまではいい。カトレア方面への成長である。
しかし。
精神的な重圧をかけるのがうまくなった。
簡単に衝動的な暴力をふるわなくなった分、やると決めたら...
(そのへんはどう考えても、こいつの母ちゃんに似てきてるんだ...
烈風カリンことカリーヌから、「殿方の手綱の握り方」をあ...
あと暴力が減っただけで、ヤキモチ癖は変わってない。むし...
(今日いきなり電撃訪問してきたのだって、ほんとに驚かせるた...
……さて、問題は……俺が無実じゃねえってことで……)
耳の後ろにつっと冷や汗が流れた。
先ほどルイズに「誰にも下心からやましいことはしていない...
(そう、姫さまとちょっともやもやしたが、あの一連は下心でや...
軽くキス→落ち着いて安らかにお眠りなさい、的なもの。放っ...
手をにぎる→上におなじ。そうだこの感情、いわゆる父性愛と...
抱き合う→弱々しいつーか姫さまほんとに可憐って感じだよな...
「って違う! 最後がおかしい!」
青ざめてつい口走った才人に対し、ルイズは「……なんだかよ...
「まあ、何もないならいいわ。……わ、わたしだって本当は、あ...
だからつい、問い詰めるようなことになっちゃって悪かった...
頬をちょっと染めたルイズに隣を示され、才人は罪悪感と感...
「実は姫さまが、」
「ヨシ、死刑ニ処ス」
「早いぞ!?」
一瞬で下った判決に涙をこらえきれない。信頼はどこへ行っ...
322 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
「ふ、ふふ、姫さまが何かしら? 焼けぼっくいに火がついた...
「聞け! 聞いてくれ!」
とりあえず、才人は大まかなところを話した。
ただしさすがに命の危険を感じ、具体的に何をしたかとかは...
ただ、「今の姫さまはちょっと放っておけない」と本心を伝...
そして才人の心の動きとは別のところで、否応なしに重い話...
今日の事件についてはかなりの程度ルイズも当事者だが、十...
「悲惨な話ではあるけれど、どうしようもないと思うわ。姫さ...
「……意外だな。お前なら、姫さまをなぐさめにすっとんで行く...
「ええ、昔ならそうしたわ。でも今は……サイト、この問題は微...
父さまが言ってらしたわ、誰もが満足する施政はおこなえな...
きっと、これから先も姫さまが何かを決断するたびに、ある...
それが為政者なのよ。そして、形だけであれ王がまつりごと...
ルイズは一呼吸おいて、しんみりした声で続けた。
「女王の名において下された施政よ。それで起きた一部の民の...
ここで周りが下手になぐさめるばかりだと、姫さまは女王と...
わたしは侫臣にはなりたくないし、姫さまを君主として惰弱...
「……つまり、姫さまに頼り癖をつけさせるなってことか? 政...
「そう。まったく他人の声を気にしないほうが困るけどね、憎...
姫さまにはちゃんと、為政者としてやっていける素養はある...
ほろ苦いルイズの口調に、才人は首をふった。心から言う。
「お前は、本当に成長したよ」
王位継承権を与えられている以上、ラ・ヴァリエール家でそ...
あの公爵と奥方ならば、人の上に立つ者としての心得もりっ...
ルイズは、何かを考える表情になっていた。ベッドの上で腕...
323 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
「サイト、わたしは姫さまに忠誠を誓っているわ。臣下として...
ところで、あんたも姫さまの臣下よね?」
「え? うーん……まあ、水精霊騎士団の幹部だし、形はそうだ...
「形ってなに? 形ってなに? それまさか『内実は臣下じゃ...
うやむやになるところだったけど、さっきの話は後でもう少...
とにかく、あんたは女王陛下の臣下。わたしと同じく。だか...
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アンリエッタは赤いじゅうたんの敷かれた廊下を、静寂を壊...
この先には、才人の部屋がある。
さきほど、ギーシュが水精霊騎士隊の隊員達と外に出て行く...
自分が、なんでそこに行こうとしているのか、実のところア...
ルイズと話したいのか。才人の顔を見たいのか。それとも、...
全部当てはまるようにも思える。
襲撃が来るまでおそらく間もない。肌がひりつくような張り...
アンリエッタも同様であった。
大広間の会議のあと、マザリーニと館の主は二人してどこか...
館の召使たちの中に一人取り残されたアンリエッタは、どう...
ルイズと一緒にいるのに無粋かしら、と歩きながら悩むが、...
先ほど炉の前で抱きしめられた感触は、まだ鮮烈に体に残っ...
(いやだわ……はしたない)
ルイズもいるのである。いくらなんでも親友の前で、つい先...
つとめて忘れようとする。昔に決着がついたことなのだ、と...
そうやって自分に言い聞かせなければならないほど危ないと...
324 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
決して、昼間の村での出来事を吹っ切れたわけではない。と...
それを断って、沈鬱の沼から引き上げてくれたのが、あの抱...
あの瞬間を思い返すだけで、救われる気がする。忘れなけれ...
だから……どれだけ自戒しようとしても、ここしばらくのよう...
気がつくと扉が前にある。心の準備はできていないのに、手...
「……嫌だ、それなら言ってやる! やっぱり、俺は姫さまの臣...
手が止まった。ドアの向こうで、二人が争う声が聞こえる。
才人の声は完全に激しており、ルイズの声もまた大きいなが...
「子供みたいなこと言わないでよ! わたしは姫さまの臣下な...
「ちがう、俺はお前の身を守るのが役目だよ! くそっ、賛成...
「サイト。あんた、ガンダールヴの力、使える? 左手のルー...
いつもの力が出せないなら、護衛としての能力的にはアニエ...
「関係ねーだろ! ……使えねーよ。お前らが魔法を使えなくな...
ルイズ、俺はお前を守るからな。ふざけたことを言うんじゃ...
「サイト。あんたがわたしを守りたいと言ってくれるように、...
そんな怒らないでよ、死ぬ気なんかないわよ。うまくやるつ...
虚無が使えない今のわたしは、あんたの言うとおり本物の役...
「じゃ、俺はおまえと一緒にいくぞ。死ぬ気無いんだろ? 俺...
「サイト、冷静になって」
ルイズの声が、樫の板でできたドアを通して、廊下に立ち尽...
「ラ・ヴァリエール家は名門だわ。賊徒だって、わたしにそう...
「わかるかよ! 王家に手を出そうって連中だぞ、どれだけ名...
325 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
「……とにかく、敵の目標は姫さまで、わたしたちの第一に守る...
敵が姫さまに万が一にも触れるようなことがあってはならな...
今言ったことを、これから彼らの誰かに話してみる。理解し...
そのルイズの言葉を最後に、ドアに伸ばしたまま固まってい...
アンリエッタは、身を返して静かにその場を離れた。
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館の外。壁にかこまれた異様に広い『庭』。
誰もがてんてこ舞いで防戦の準備に取り掛かっていた。
あきれるほど長い壁ぞいには、かがり火が数メイルおきに燃...
アニエスは壁ぞいを歩いて見てまわる。近衛隊すべてと館の...
「もっとも弱いのはやはり、壁がとぎれて門がある、村へと続...
そこで、最大の戦力を保有する銃士隊は、まず一部が門の守...
長大な壁のほかの部分にそれ以外の近衛兵たちを貼りつけて...
敵は壁を乗り越えようとするだろう。それを叩き、同時に合...
(とは、言ったものの……うまくいくだろうか?)
アニエスは自信があるように振舞いはしたが、たぶん誰より...
石を積みあげて粘土でかため、固定しただけの『壁』は老朽...
それに、あまりに低すぎた。二メイル足らず、人の上背程度...
不安をふり払うように、彼女は声をはりあげた。
「敵の総数は、われわれと同じ程度だ。こちらは防げばよい、...
大声で、自分自身さえごまかす。
たしかに通常、城壁に拠って守るほうは、攻めるほうより数...
……それは守る必要のある箇所が広すぎず、また敵の接近を即...
壁の外をにらみつける。壁から五メイルほど距離をあけて、...
間伐がされているようで、木々の間隔は二〜四メイルほどだ...
326 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
(森だ。この森が忌々しい、これのせいでどこから敵が来るかわ...
それでもまだ壁の内側、庭の中の木が大幅に間引かれている...
おかげで馬を使い、庭を突っ切って反対側の壁に移動するこ...
(敵はどうやって攻めてくる? 通常なら、兵力を分散させるの...
となるとおそらく、敵は大胆に兵力をさいて壁を多方面から...
アニエスの思考を才人が読めれば、「モグラ叩きのようだな...
(どちらにしても一度数名での突破を許せば、そいつらを片付け...
そのときにはこの庭で、決死の白兵戦をするしかない。
その混乱のうちに、どうにか陛下に脱出していただき、馬で...
あるいは今日で死ぬかな、と自然に覚悟を決めてから、アニ...
見張りについたメイジ達に向けてである。彼らの一部は館の...
「レンガや石を集めて足元に積んでおけ! 銃は訓練していな...
壁と森の間は5メイル、この間にいる相手にはじゅうぶん有...
壁の内側ぞいのほうが、外側よりも若干地面が高い。つまり...
土一段の差だが、これは存外に有利な部分だった。
暗い森。狼の遠吠え。杉のこずえが白い月をさし、冷たい長...
アニエスの身が総毛だった――周囲の者たちが反応しているの...
ある場所で、ドラが連続して鳴らされている。興奮気味に、...
もう一つの音がそれに続いた。陰惨に長く引き伸ばされて。...
アニエスの前に飛んできた伝令役の銃士隊員が、馬に乗った...
「門です、門に来ました! 大挙して隊列を組んで、小道をの...
なるほど。序盤は正攻法か。壁の最も弱い部分に、人数をぶ...
アニエスは舌打ちして、ひかれてきた馬に自らもとびのった。
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館の古い物置部屋。館の主である老貴族が、苦労して床の一...
抜け道だった。
327 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
「この秘密の道は、街道近くの森の中に通じております。
いざというときの脱出のために先祖が作ったものですが、い...
老貴族の説明をうけて、ルイズはうなずいた。
(これなら、姫様の脱出も本当にできるわ)
ぐっと手をにぎる。館の主がさらに説明した。
「地下道は、気をつければ馬でさえ通れます。馬をひいていき...
「ありがとう! あとは馬車ね。わたしが乗ってきたラ・ヴァ...
「ば、馬車? 馬車はさすがに通れません」
「地下道じゃないわ。馬車のほうは正面から出て行くのよ」
館の主は首をひねりながら物置部屋から出て行った。
それを見送りながら、マザリーニがぼそりと言う。
「陛下への忠誠、まことに礼をいくら述べても足りない」
「いいえ、当然ですもの」
「なるほど、忠実な臣下としては当然かもしれません」
ルイズに向けられたマザリーニの声と目には、単なる感謝で...
「ですが、『友人』としてならどうでしょうな? これは陛下...
一瞬、言葉を失う。ルイズは眉根をよせた。
「……友人としても、陛下には逃げのびてほしいですわ。
なんだか、うちの使い魔と同じようなことを言うんですね」
「いや、失敬。たわごとと思って聞き流されよ。
では、すみやかに陛下を……」
328 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
そこまで話したとき、出て行ったばかりの老貴族があわただ...
悲鳴のように告げる。
「門が攻撃されております! だめです、正面からはもう出ら...
ルイズと枢機卿は顔を見合わせた。
遅かった、と互いの目に書いてあるのを読み取る。枢機卿が...
「いきなり策が狂いましたな」
自分が囮となって正面から馬車を走らせ、敵の目をひきつけ...
それが、ルイズの提案した計画だった。
考える。たしかに序盤からつまずいたが、取り返しがつかな...
「いえ、それなら、わたしも馬をひいてこの道から抜け出ます...
「結構。では、急いだほうがよいでしょうな。さっそく陛下を...
マザリーニが物置部屋から出かけたとき、三人もの人間が入...
先頭にいるギーシュの後ろに才人を見つける。どうにかこう...
「サイト」と言いかけて、最後に入ってきたアンリエッタに...
そのアンリエッタが、淡々と言った。
「サイト殿から、すべて聞きました。わたくしを逃がすと」
ルイズは才人をにらみつけた。いや、どのみち言わなければ...
マザリーニがこほんと咳払いした。『午後の予定は要人との...
「陛下、話が早そうですな。ではルイズ殿に従い、すみやかに...
玉体に万が一のことがあってはなりません。あなたの無事の...
アンリエッタは無言だった。水面のような静かな瞳で枢機卿...
彼女のこぶしが白くなるまで握りしめられるのをルイズは見...
ややあってアンリエッタは顔を上げた。その瞳に、悲しそう...
苦渋の念がこもった声で、彼女はつぶやいた。
「ルイズ、ごめんなさい。わたくしのために、こんなことまで...
329 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
「姫さま」
ルイズは声を出して女王の前に歩み寄り、その手を押し包む...
「勝手なことをして申し訳ありません。臣としての立場で僭越...
ですからどうか、ここから離れてください」
臣としての立場。そう言いながら、「姫さま」と呼んでいる...
彼女はルイズの手をにぎり返して、ためらいはしたがうなず...
マザリーニがふたたび咳払いして、館の主にうながした。
「馬を連れてきてくれないでしょうかね」
館の主が再度出て行った。召使たちに指図する声が聞こえる。
姫さま、とルイズはささやいた。
「申し訳ありません。これだけは我がままですが、サイトを護...
こんな馬鹿ですけど、剣の腕はいいから、役に立たせてやっ...
使い魔が怒りに満ちた形相で、ぐるんとこちらに顔を向ける...
「ルイズ、おまえ……!」
「サイト、落ち着けよ! 陛下の御前だぞ」
ギーシュがうろたえて彼を引き止めている。
そちらを向きたいという思いをこらえて、ルイズはできるだ...
「すぐ自分で引き取りにいくつもりですから。あずかっててく...
女王は、やわらかく微笑んだ。やはり、どこか悲しげに。
「わかっているわ、ルイズ。彼はあなたの騎士だもの、すぐあ...
才人がまた、何か言おうとしていた――それをギーシュも察し...
「ま、まあまあ。こんなときまで喧嘩することはないと思うが...
「……そんなの、必要ないわよ。どうせすぐその顔見るもん」
「ルイズ、意地をはってはなりませんよ」
アンリエッタが首をふった。
「彼と誓っておいたほうがいいわ。こういうことは、おろそか...
330 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
女王に呼びかけられたギーシュが、「あ、はい」とあわてて...
受け取り、そばの小さな卓に置いて、アンリエッタは手ずか...
「あなたはどうなさるの、枢機卿? とどまるのですか?」
「そうですな。見てのとおり老体ですからな、街道をひた走る...
飄々とうそぶく宰相に、「……そう。では、あなたとも杯を乾...
ルイズはちらりと才人を見た。
才人が自分を心配してくれるのは、わかっていた。この計画...
ワインをそそぐ音が、ほこりっぽい物置に響く。
彼女の脳裏に、なぜか幼い日に父公爵のもとを訪れた吟遊詩...
愛のために王を裏切った騎士が、王の追っ手と戦って傷つき...
(『今宵、別れの杯に、こぼるるものはわが血潮……かくてぞわれ...
やだ、これ、死別の詩よ。
そんなつもりはないわ。彼らはきっとわたしを人質にするは...
「誓いましょう。再会に」
アンリエッタがグラスをルイズとマザリーニに手渡してくる...
ルイズも、目をつぶってそれを飲みほした。下戸に近いため...
「ルイズ?」
アンリエッタが心配そうにのぞきこんできていた。
「大丈夫ですわ……姫さま。わたしお酒だって、少しは強くなっ...
いきなり、ろれつが回らない。
心配をかけまいと、心を落ち着けてからもう一度ちゃんとし...
331 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
「ルイズ。本当に……ごめんなさいね」
姫さま、なんでそんなことを言うんですか。そう言おうとし...
視界がぐにゃりと歪んだ。その歪みの中で、枢機卿がよろめ...
気がつくと自分も床に倒れている。最後の意識で、『ワイン...
あとは暗転。
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館の主とアンリエッタ自身が、鳴かぬよう板を噛ませた馬を...
手燭を手に、暗い地下道を無言で三十分も歩いただろうか。...
土が上にのって重いのか、顔を真っ赤にして力んでも持ち上...
夜の森の中に出る。
馬に階段をのぼらせながら、アンリエッタは思い返した。
(眠り薬が効いてよかったわ)
魔法は出ないのだが、ポーションはまだ効くらしい。
あの口論をドアの外で聞いたとき、ルイズが何をする気か予...
それで、明らかに不満げな才人から話を聞きだし、ギーシュ...
才人とギーシュが馬を受け取り、意識のないルイズとマザリ...
アンリエッタは、馬に乗った才人を見上げた。
手燭の火は地下道の中に置いてきていたが、木立からもれる...
才人は黙りこくっている。むっつりと女王の顔を見るだけで...
「ギーシュ殿、枢機卿をよろしく頼みます。ルイズとこの人が...
ギーシュも無言だった。何か言おうと口を開きかけて、彼は...
かわりに横で口を開いたのは、才人だった。
「これはやっぱり正しくない。あんたら二人は話し合うべきだ...
その言葉にアンリエッタが答える前に、館のほうで角笛とド...
意識のない者以外、誰もがさっとそちらを見る。
ギーシュが震える声でつぶやいた。
332 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
「始まったみたいだ」
アンリエッタは顔をもどして才人を見た。彼の腕の中にいる...
女王としての姿を、意識してよそおう。
わずかに微笑んで、彼に答えた。
「でも、やはりこうするしかないのです。望むと望まざるとに...
ルイズはわたくしの安全を考えてくれましたが、王家の義務...
あなたは王家の騎士ではありません。もともと、女王のため...
夜陰にまぎれ、ルイズを守って遠くへ逃げてください。ラ・...
これ以上言うことはありません。急いでください。
ルイズをよろしく頼みます。その子が、白百合の玉座の後継...
それが、別れの言葉だった。「ルイズとお幸せに」と付け加...
アンリエッタは優雅に一礼すると、彼の表情を見ないように...
館の主が、出入り口のふたをかぶせて、後ろにつき従った。
帰りは行きより早かった。館に戻ってすぐ、アンリエッタは...
(玉座は一人で座るしかない、父祖たちがずっとそうしてきたよ...
処女雪のような純白のドレス。
シルクの袖は手の甲までぴったり包む。胸元に大きな緑の石...
宝石をあしらった王冠を栗色の髪に載せる。
大広間に入り、肘掛け椅子に座す。
外からは銃声と叫びとドラの喧騒が届く。
しゃちほこばって直立していた館の主が、「陛下……よろしか...
アンリエッタは柔らかい椅子に身を沈めながら、彼に答えた。
「部下が戦っているときに、わたくしが真っ先に逃げれば、ト...
臣下らがわたくしの無事を優先していたとて、世人の口は残...
(重要なのは王家であってわたくし個人ではない。そして王家は...
わたくしは愚かな女王だった、今度のこれも愚行かもしれな...
333 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
「わたくしが座るところがトリステインの玉座、今夜ここから...
戦いの序盤から逃げる王が、名誉を全うできますか?
敵がわたくしの膝元で舞踏会を開いています。わたくしは彼...
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夜の森で馬を走らせるのは気ちがい沙汰である。ましてや山...
平原に出て、速やかに逃げる必要があった。街道は、どのみ...
才人はルイズを抱えて乗ったまま、慎重に馬を歩かせていた...
(馬が疲れるな……だけど、何かあってもすぐ走り出せるようにし...
逃避ぎみの思考で、そう判断する。
実のところ、この先の行動を、自分でも決めかねていた。
(姫さまはラ・ヴァリエール領まで逃げろと言った……けれど、そ...
ルイズが自分が囮になると言い出したのも、元はといえばそ...
アンリエッタはときどき詰めが甘い。とはいえ、まさか責め...
彼女は残り、自分たちはこうして逃がしてもらったのだから。
(それで……いいのか? 俺?)
最後に見た、木漏れたおぼろな月明かりに照らされるアンリ...
女王として凛と立とうとする顔。
けれど、うるんだ目がどこか切なげで、哀しい微笑をたたえ...
(ああ、そうか……さっき『俺もついていく』と言ったとき、ルイ...
「……サイト」
押し殺した声で、後ろのギーシュがささやいてくる。彼はお...
「ぼくは戻りたい。みんな、陛下を守るために戦ってる」
才人は振り向かなかった。ギーシュがさらに言いつのる。
334 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
「陛下の言われたとおり、きみは王家に使える騎士ではないか...
でも、ぼくには陛下を守る義務があるんだ、わが先祖が王家...
「……マザリーニ様を逃がせという命令を、たった今女王陛下か...
「いや、怖いよ。怖いがね、ぼくにはこのまま去るほうが耐え...
貴族としての、友人としての、隊長としての義務だ。
いや、きみだってどうなんだ? あえて義務を離れたところ...
お前ってやつはときどき凄いよ、と才人は背を向けたままた...
その質問を受けたとき、悩む必要があったのかと思うほどあ...
「……ギーシュ、そろそろ街道に出るぞ。全速力で馬を走らせる」
「いいのか!? それで……!」
「聞けって。村へ行く。あんな頑丈な石壁だったんだ、たぶん...
「ということは……戻るのだね!?」
ギーシュの声が明るくなる。そういえば自分もすっきりして...
「ああ、放っておけるわけねえだろ。戻る」
街道は月の下、ある程度見渡すことができた。
見る限り、誰もいなかった。後方からかすかに響く戦闘の音...
二人は必死に馬を飛ばす。一瞬でも早く、村に着いて中に入...
街道をたちまち横切り、村へと続く小道を駆けさせる。
ほどなく、村をかこむ石の壁が見えてきた。
まさに『城壁』といえるほどの堅牢なつくりで、館の壁より...
壁の内側からは赤々と光がもれており、村も夜通しで警戒し...
「あれなら、大丈夫そうだな……」
そう洩らしたとき、ギーシュが恐怖に満ちた声で呼びかけた。
「おいサイト、き、来た!」
335 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
何ぃ、とうめいて肩越しに振り向く。
背後から疾駆する者が二名。小道だけではなく、アザミやヒ...
反応が早い。騎馬隊を惜しみなく使って斥候に当てていたの...
(大丈夫だ、まだ離れてる! 先に門の中に入ってしまえば……)
そこで気づき、真っ青になった。
村の表門。昼間に壊された丸太づくりの裏門と違い、重厚で...
もちろん、がっちりと閉まっているはずだ。
「じょ――冗談じゃねえ!」
門の前にたどりつき、村人に呼びかけて、自分たちが女王の...
敵が追いつくまでにそれらの全てが電光石火で終わるとはま...
表門が近づいてくるにつれ、その確信はますます強まってい...
月とかがり火に照らされた石の門は、冷たく無慈悲にそびえ...
過酷な現実に、つねは底抜けに明るいギーシュでさえ言葉が...
才人は舌打ちして、馬からおりた。
デルフリンガーを抜いて、構える。馬の上から振り回すよう...
(こうなれば、あがいてやらあ)
続々と周囲に集まってくる騎馬の集団は、そんな才人を見て...
中でも一人、ひときわ大きく、派手な服を着た男が馬からお...
「俺たちはロマリアの騎馬傭兵隊……で、今夜は斥候役なんだ。...
小僧、構えを見たらそれなりに使えるようだが、平民同士な...
おれが一応、この傭兵隊の長さ。どうしても戦うつもりなら...
で、そこの娘っこを引き渡してくれないかね? 見たところ...
なあに心配するな、おれたちロマリア人はレディには優しい...
うなる才人の前に馬でたちふさがるようにして、ギーシュが...
「おまえたち、大貴族に手をかけようっていうのか? 考えて...
いっとくけど、この娘は女王陛下じゃないぞ。ぼくらのこと...
「あいにく、おれは共和主義者ではないが、王侯貴族のたぐい...
ちょうどいいことに、そこの娘っこと、ああ、お前もか。貴...
身をかざる金銀の装飾具をヂャラヂャラ鳴らしながら、その...
336 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
「ま、待てよ、唐突に貴族嫌いとはこれいかに」
「なぜって? おれたち傭兵隊を見ろ。力量(Virtu)の世界、才...
飯の種が戦なので、まさに命を賭けて食いつなぎ、そのくせ...
で、その一方、お前ら貴族は生まれたときから銀のさじで人...
一息で言ってから、剣をかまえている才人を見やる。
「そこの小僧みたいに、貴族に尻尾を振る平民は、貴族以上に...
人質になる貴族でもなく、レディでもない。殺してもかまわ...
「サイトは元平民だが、今じゃ貴族だぞ」
ギーシュが、うっかり口をすべらせた。
才人はげ、と内心でうめく。シュヴァリエになったときから...
だから、平民相手になるべく身分を申告しないようにしてい...
傭兵隊長の目が、すっと細まった。
表情を消し、「いま何といったね?」とたずねる。
その男は銀の打ち出しがあるベルトから、差していたナイフ...
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戦闘開始一時間後。
敵の攻撃は分散しだしている。開始前の予想通り、壁にとり...
最初に門に来た敵は撃退していた。今は門につながる小道を...
あのときはマスケット銃の一斉射撃を急ぎすぎた、とアニエ...
有効射程を見誤るという痛恨のミスをした。十名ばかりの敵...
一斉射撃で打ち倒せたのはせいぜい二、三名、のこりは門わ...
それらは、壁際で大勢待っていた銃士隊が剣で突き刺し、追...
337 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
(おかしい。あの突撃は明らかにあちらの失策だ。常識なら、あ...
それだけじゃない、壁に無我夢中で取りつこうとする奴らは、...
奴ら、度をこした興奮状態にある)
おそらく、血気にはやりすぎて、指揮官の手に余る狂躁状態...
(戦闘慣れしていない新兵のような連中か? なら、逆に幸いか...
マスケット銃に弾を押しこめつつ、敵の次の手と、こちらの...
遊撃の銃士隊以外で、数人が先ほど攻撃された場所に集まり...
(……こっちだって事実上の新兵だらけだな。水精霊騎士隊だけで...
ドラが館の裏手のほうで鳴った。それはすぐに止む。壁ぎわ...
横手で鳴る。これも止む。見たところ、石を投げて追い払っ...
反対側の横手――ドラが鳴り止まない。距離は直線で百五十メ...
アニエスは立ち上がり、「馬に乗れ。行くぞ」と銃士隊員に...
遊撃担当の銃士隊三十名が駆けつければ、もし壁を乗り越え...
(まだ滑り出しだが、この対策は有効のようだな)
そう思ってすばやく馬にまたがろうとした瞬間だった。
風を切る音とともに、アニエスの頭をかすめて矢が飛んでい...
「……壁にあまり騎馬で近寄らないほうがいいな。体が高い位置...
そうとだけ言ってあらためて馬に飛び乗る。
駆けだした後から、どっと冷たい汗が出た。
338 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/23(日...
戦闘開始二時間後。
「……違う!」
アニエスはぎりっと歯噛みして地面を蹴りつけた。
敵の戦術が変わった。
飛び道具の雨を降らせてくるようになった。こちらは壁には...
それから突撃してくる。いっせいに壁に取りついて乗り越え...
これも正攻法だ。正攻法ゆえに、厄介きわまる。銃士隊が駆...
壁ぞいの内側は、地面が外側より高いぶん、乗り越えてきた...
どんどん、敵の動きがスムーズになっている。
(練達した兵、おそらく傭兵が混じっている! とくに飛び道具...
若く慣れていない兵の狂熱が冷め、動かしやすくなってきた...
二種類の敵。老練な傭兵と、命知らずで狂信的な兵。
壁の内側で、剣に突き刺されて瀕死だった敵兵の上にかがみ...
「こいつら、共和主義者です! その……陛下を狙うのは、すべ...
(共和主義者。ゲルマニア人。革新の国では、さまざまな思想が...
さすがにゲルマニア帝室と関係はあるまい。
ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世はアルビオン遠征の後、ハ...
では、何者がこのような大掛かりな襲撃を画策したのか?
(今夜死なずにいたら、必ず調べあげてやる)
剣を抜いたまま壁にはりつき、敵の雨あられと降らせる矢を...
夜には音が満ちている。かがり火の燃えるパチパチという音...
弩や銃の攻撃を受けるたびに、壁は砕けそうなほど震えがは...
この古くもろい壁が、アニエス達の命綱なのだった。
遠くの壁で、乗り越えようとしてくる敵に打ちかかるメイジ...
「でき得るかぎり一人に対して複数であたれ!
乗り越えられたら前後から襲いかかって速やかに決着をつけ...
貴族の誇りとかは全部忘れてしまえ!」
12 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
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〈山羊〉は森の中から、壁の攻防を見やっていた。
敵陣は壁ぞいにいくつもの火が焚かれており、壁の上に上体...
攻めよせるこちらは危なくなれば、森に逃げ込むだけでよい...
(こちらにはこの森、故国ゲルマニアの黒い森に似たこの環境が...
「それにしても、女王の手勢はよく戦う。銃士隊とやらの働き...
冷静な評価を口にする。それを聞いて、そばの〈鉤犬〉が不...
「なにを落ち着いてるんだ。どう見ても、こっちの犠牲のほう...
「心配するな、今のところきわめて予想通りの展開だ。
傷ついているのは若い共和主義者どもだ。傭兵どもはさすが...
傭兵たちとおなじく、〈山羊〉は慎重な性格だった。危険が...
味方の兵をなるべく失わない、という慎重さではない。敵を...
(それにしてもこいつ、白シャツ姿でそばに来ないで欲しいも...
〈鉤犬〉をじろりと見て〈山羊〉はそう思った。
自分のように黒衣ならともかく、夜でも目立つ白だ。万が一...
「……敵の指揮官は最善を尽くしている。奮戦といっていい。だ...
策などいまさら必要ない。敵もこちらの意図に気づくだろう...
そうかい、と答える〈鉤犬〉があまり面白くなさそうな様子...
こいつの同志である共和主義者どもが、捨て駒のように扱わ...
(残念だな、決着は俺がかき集めた傭兵どもがつけるだろうよ。...
〈鉤犬〉が横顔を見つめてくるのがわかった。無視している...
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肘掛け椅子に座り、アンリエッタは目を閉じて黙然としてい...
13 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
召使たちも外の戦いに駆りだされているが、全員ではない。...
「さすがに女王様は落ち着いてらっしゃる」という類の言葉...
いまは『動じない女王』を演じているだけである。
誰にも劣らず怖かった。待ち続けた後に何がくるのかわから...
何時間たったのだろうか。
長い夜。本当に長く感じる。何度も爪を噛みたくなり、その...
この戦いは自分のために行われている。敵は自分を狙い、味...
彼らのためにせめて今夜だけは、自分はその価値がある『女...
ふと、アンリエッタは薄く目を開けた。
館の主が、地図を卓の上に広げて見ていた。ときおり、外か...
「なにをしているのですか? なぜ、地図を」
声をかけると、その老貴族は顔を上げた。
「陛下……防備が突破されたおりには、乱戦となるでしょう。敗...
(わたくしは『少なくとも、部下たちが敗れる前に逃げることは...
でも、考えたくはない。逃げるわたくしの後ろで、アニエス...
「ありがとう、あなたには感謝します」
感謝という形の、柔らかい拒絶だった。それを敏感に感じ取...
「わしも戦いに出てまいります。その許可をいただけませんか」
「……なぜ? あなたは老体です」
「わしはこの館の主です。自分の館に敵が攻めてきているとき...
気にやまなくてよいのです、と言いかけて、アンリエッタは...
「では……直接戦うよりも、井戸でくんだ水などを持っていって...
「御意」と老貴族は頭をさげて、大広間にいた召使たちを呼...
「ここら一帯の地図でございます。一応でも目をお通しくださ...
14 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
召使たちを引き連れて、館の主が出ていくと、アンリエッタ...
静かになった広間の中で、ぼんやりと、地図に目を落とす。
街道とその周囲の地形を見ながら、友人たちを案じる。
(ルイズたちは、無事に逃げられたかしら)
壁にかかった燭台の火の下で、地図をひたすら眺めつづける。
どれだけ経ったのだろうか。呼びかけられたような気がして...
衝撃を覚える。
「女王陛下、また会いましたなあ」
暗い大広間の出入り口に、二人の人間が立っていた。
背の高い男と、低い男。低いほうは、昼間に見た顔である。
「『王は玉座に座してけり、もののふ周りに居ならびて』……と...
外の攻防が抜き差しならないからといっても、ちょっとこっ...
〈鉤犬〉は乱杭歯をむきだして、満面の笑みをうかべた。
「なぜここに、と言いたそうですなあ。お教えして進ぜましょ...
〈ねずみ〉が、そういうものがあるのではと言い出したので...
その苦労はむくわれ、森の中に通じていた秘密の通路を見つ...
解せませんね、あなたあそこを通ったでしょう? においが...
〈鉤犬〉の得意そうな声とともに、無表情の大男が前に出た...
アンリエッタ同様呆然としていた館の侍女二人のうち、老い...
展開は残酷だった。
大男はためらいもなく三日月刀をひらめかせ、老侍女の肩か...
「な……なんということを……」
アンリエッタは蒼白になり、思わず立ち上がっていた。
「紹介しましょう、〈ねずみ〉です。メイジですが、このとお...
彼はもともと、共和主義を信奉するわたしの同志の出でして...
その金壺眼の大男を示しながら、〈鉤犬〉が紹介した。
15 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「こう見えても彼は繊細で、情報を集めることや仕かけに関す...
〈山羊〉なんかにこの手柄をゆずることもあるまい、と思い...
さあ、あきらめはつきましたかね?」
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戦闘開始から、どれだけ経っただろうか。
波が、退いた。敵はいったん退却した。
夜が白みだすまで、数刻だろう。
散乱した屍の数を見る限り、敵の損害のほうが、間違いなく...
それなのに、アニエスは重い疲労と危険な焦慮を感じている。
(消えていない、森にいる……われわれの損害だって、死者が多く...
傷だけではない。疲労が味方をむしばんでいる。精神と肉体...
戦う意志を捨てず、目に光はあるのに、棍棒をにぎることも...
壁に寄りかかって、繰り返し胃液を吐き続けている者。
銃士隊員の中からも、戦闘不能者が出た。となりに立って銃...
この『消耗』という魔物に、全員が取りつかれていた。
(ちくしょう、敵は攻めたいところを攻め、休みたいときに休め...
それに、主導権を握られているという状況は、われわれの精...
敵のほうが損害が多くても、このままだとわれわれは一気に...
とどめに、弾が尽きかけてやがる)
アニエスは壁に背をあずけたまま、銃に弾をこめる作業をは...
巡幸に出るとき用意した、マスケット銃につめるありったけ...
近衛メイジの指揮官が、座ったまま黙々と手を動かしている...
彼は手にしていたくわを投げ出し、あえいでアニエスの横に...
しばらくして、放心したような声が横から聞こえた。
「平民の戦が、こうまで惨烈なものだとはな」
16 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
アニエスは顔も上げず応じた。
「泥臭く、血生臭いだろ」
「見てまわってきたが、うちの連中の半ばは、やっとのことで...
「こんな戦いだとメイジは使えん。わかっていたことだ」
メイジの指揮官は、精悍な顔を不愉快そうにゆがませてアニ...
「……敵を殺すことにためらいのある連中ではないはずだ。それ...
「杖を振って離れた敵を殺すことと、手ずから持った剣や棍棒...
「おい、銃士隊長、ひとつ聞きたい。なんで奴らは意気阻喪し...
この数は、通常の戦ならとっくに敗走してるぞ」
「なぜなら、奴らはわれわれが弱りつつあるのを感じてるから...
アニエスは奥歯が砕けるかと思うほど歯を食いしばった。
敵は、一兵一兵にいたるまで士気が高い。
主導権を握っていることを知っており、着実にこちらの力が...
「加えて、少なくとも一部は命を惜しんでないからさ。立派な...
せいぜい一人でも多く殺してやる。命知らずの敵には通常、...
ああ、陛下に手をかけさせるものか、と隣でメイジの指揮官...
アニエスは弾をこめおわり、よろめいて立ち上がろうとした...
それを、指揮官が手でとめた。
「細かいことは俺がしてくる。貴様はもう少し休め。水でも飲...
水筒を放られる。きょとんとしてアニエスは受け取った。気...
立ち上がって歩み去ろうとする指揮官に、「れ……礼を言う」...
今夜昇格したばかりの若い指揮官は、むっつりと顔をそらし...
「この際言っておくが、平民出の女を働かせすぎた今夜は、貴...
水筒に口をつけかけていたアニエスはむせて吹きだした。こ...
「なにがおかしい!」とむきになって指揮官が顔を赤くし、...
その首を、壁の後ろから飛んできた矢がつらぬいた。横転し...
アニエスの笑いが凍りついた。
水筒をぐっとあおる。銃を手に立ち上がって壁の向こうを見...
17 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
少年といっていいほどの若い敵兵が、木の切り株を転がして...
やった、とばかりに誇らしげな笑みを浮かべていた。アニエ...
ゆっくりとその背を狙い、石のような心で引き金をひいた。...
……その直後だった。森から角笛が鳴らされたのは。
戦闘再開の合図。近くから激しく打ち鳴らされるドラの音と...
目を向けて、アニエスは痛烈に舌打ちする。
考える間もなく、壁を乗りこえて外側に降りたつ。銃士隊の...
丸太に二本の縄を巻きつけ、縄の両端を屈強な男四人がつか...
縄を手放してアニエスに応戦しようとした一人の首筋を斬り...
逃げる男たちに目もくれず、自らも背をむけて壁にとりつく。
「なんて無茶を!」と口々に言いながら、銃士隊員や近衛の...
体裁をつくろう余裕もなく、無様に壁の内側に滑り落ちる。...
(ついに簡易な破城槌まで、作ってきた)
ずん、ずん、と壁にさらに振動が伝わる。遠くのほうでも、...
壁の内側にあお向けに倒れこみ、夜空を見あげたままアニエ...
(消耗を狙っていたんだ、最初から。
多方面から長時間、波状に攻めよせることで、ただでさえ不...
飛び道具はもうない、壁は遠からず穴を開けられ、敵がなだ...
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アンリエッタは立ち尽くして、歩み寄ってくる〈ねずみ〉を...
その手の三日月刀は老侍女の血でぬらぬらし、蝋燭の火とあ...
ひっ、と隣でおびえた声があがる。若い侍女が怯えきってへ...
固唾をのみながら、アンリエッタは問うた。恐怖に麻痺しそ...
「……殺すのですか、わたくしを」
18 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
〈ねずみ〉の足が止まった。その巨体の中で、ただひとつ呼...
「あくまで手こずらせられたら別だが、おそらくそうはなるま...
邪魔されぬよう、玄関はとうに鍵をかけて閉めてきたぜ。叫...
〈ねずみ〉に続き、〈鉤犬〉が後方で手をひろげ、大仰に話...
「すぐ殺すには陛下は貴重すぎますよ。
あなたの父は王、祖父も王、さかのぼったあまたの先祖たち...
このような血を利用したいと思う者は多いのですよ。
わたし自身は共和主義者でして、王家の血など、反吐の出る...
(王位継承者はルイズよ。わたくしに何かあれば彼女が次の女王...
そう思いながらも、アンリエッタは次の質問をした。
「共和主義者? ではあなたがたは、レコン・キスタのような…...
「いや、違いますね。あれは有名ですが、われわれとは関わり...
とりあえず、あなたには会ってもらいたい人がいます。あち...
生きてさえいればいいし、手に余るようなら殺してもいいと...
質問は、もう受け付けませんよ。そろそろ……」
「離れろ!」
この瞬間に、怒声が響いた。
大広間の入り口に、またしても人影があった。
アンリエッタの衝撃は、〈鉤犬〉と〈ねずみ〉が現れたとき...
黒い髪と瞳。手には抜きつれた大剣。
ビロードの黒いマントは自分が与えたもの。騎士の証。
走り続けてきたらしく、その少年は呼吸を荒げ、額に汗を光...
手は怪我したのか、血のにじむ白い布を巻いていた。
19 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
信じられない思いでその少年を見ながら、アンリエッタは唇...
「サイト殿……?」
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才人は呼吸をととのえながら、もう一度同じことを言った。
「その人から、離れろ」
広間内の人間は、一様に驚きの目で彼を見ていた。昼間の〈...
「〈ねずみ〉、この小僧、俺たちとおなじ地下道を通ってここ...
呼びかけられた大男が、才人の全身と剣をじろじろ見ていた...
ものも言わないまま、無造作にこちらに歩いてくる。
才人はその男の血に濡れた三日月刀と、庶民の服をまとった...
ガンダールヴの力なしで、このような大男を相手するのは、...
が、自信がまったくないわけではなかった。
これまでたびたび、アニエスに稽古をつけてもらっていた。...
(成長したのは、ルイズだけってわけじゃねえぞ)
「踊るか、小僧」
〈ねずみ〉の声と、斬撃が同時だった。とっさにデルフリン...
分厚い刀が引かれ、横殴りの猛烈な斬撃がもう一度来る。
あわてて才人は飛びすさった。
(こんなの下手に続けて受けたら、デルフを弾かれる!)
それを追いかけるように、〈ねずみ〉が進んでくる。力にま...
速度がどんどん上がっていく。縦に、横に、袈裟がけに三日...
20 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
技もへったくれもない。にもかかわらず、才人はよろよろと...
単純な膂力はそれだけで厄介だった。必死に受けながら舌打...
(この野郎、一撃がやたら重いぞ)
その一撃が、風を巻いて連続している。
耐えかねて、床に転がって逃げる。アンリエッタの悲鳴が聞...
幸いなことに敵の追撃をうまくかわし、床を蹴って立ち上が...
『背と体重がある相手に、正面からぶつかるんじゃねえよ。攻...
デルフリンガーが口を利いた。
そういうことはもっと早く言え、と内心で毒づく。口を開く...
手首をひるがえしてどうにか右からの一撃を食い止め、弾き...
才人は無我夢中で、アニエスに叩きこまれたとおり足を動か...
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
ゆれる蝋燭の火に照らされた大広間。アンリエッタの面前で...
蒼白になってそれを見守ることしか出来なかった。それは自...
〈ねずみ〉の猛烈に回転する刀の勢いに、近寄ることもかな...
三日月刀に付着していた血が飛びちり、アンリエッタの顔ま...
拭きとることさえ忘れて、アンリエッタは見ていた。
三日月刀の苛烈さに対し、一方の才人は決して足をとめない...
二人はぐるぐると位置をかえ、ときおり火花がちる勢いで鋼...
視界の端で〈鉤犬〉が動いた。はっと我にかえってアンリエ...
〈鉤犬〉の顔からは笑みが消えていた。この男は〈ねずみ〉...
(敵の男は強いけれど、サイト殿はぜんぶ防いでいるもの)
21 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
広間の闘いは、まだ一見して〈ねずみ〉が猛烈な攻勢で押し...
しかし、その男からは最初の勢いが薄れてきたように見えた...
くらべて、才人のほうはまだ衰えが来ていなかった。
彼は最初から汗みずくだったし、呼吸も〈ねずみ〉同様速か...
(あの男は疲れてきた、そしてサイト殿はどんどん迅くなってい...
〈ねずみ〉はおそらく、これまでそうだったように、数合で...
その瞬間に才人が踏みこみ、叫びながら打ちかかりだした。...
一瞬で攻守が逆転したのは、誰の目にも明らかだった。
弧をかいて払われたデルフリンガーが〈ねずみ〉の腕を浅く...
転がる椅子をとびこえて打ちかかった才人の剣を、どうにか...
その小さな目にいまや浮かんでいる、恐怖の色をアンリエッ...
「アンリエッタアア!」
〈ねずみ〉は大喝し、三日月刀をふりかぶり、肘掛け椅子の...
才人はよく反応したといえたろう。腕をとっさに伸ばし、デ...
それと同時に、武器を捨てた〈ねずみ〉の巨体が才人にぶつ...
体重でまさる〈ねずみ〉が才人にのしかかり、剣を持つ手を...
息を呑み、〈鉤犬〉のことも忘れて駆け寄ろうとしたアンリ...
「ヴェルダンデ、かかれ!」
大広間の戸口から、茶色い獣が飛びこんでくると、才人をお...
その後から走りこんできた少年が、手にしていたワイン瓶を...
瓶が砕け、〈ねずみ〉が昏倒する。ほうほうの態でその下か...
「ギーシュ……お前、おせえよ」
「きみが敵の目を考えず突っぱしるからだろうがね! わき目...
22 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「サイト殿、ギーシュ殿!」
ぎゃあぎゃあと騒いでいる二人のもとに、アンリエッタは今...
ギーシュがさっと膝をついた。彼の手にも、才人と同じよう...
「へ、陛下! 命令に背いたこと、それに遅参しましたことは...
「あとにしろって。まだ敵はいる」
左手の折られた指をおさえて立ち上がりながら、才人がさえ...
「〈鉤犬〉という男がいなくなっています……あなた、見ました...
広間の隅で震えていた侍女に質問する。「た、たった今出て...
「逃げたか。抜け道を使ってかな? ギーシュ、あの抜け道は...
「わからん。正直、ぼくも森の地下道出入り口での乱闘を最後...
「出てみたら敵に囲まれてましたって寒い事態は避けたいな。...
そう才人が締める。その腕をアンリエッタがつかんだ。
「状況とはいったいどういうことなのですか?」と訊くつも...
そのはずだったのに、別の言葉が自然とすべり出た。
「なんで……なんで、来てくれたの?」
才人はおもいきりうろたえた顔をした。
指の痛みも忘れたようにきょときょとと視線をさまよわせ、...
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壁の一箇所が、ついに粉砕された。
どうにか一人がくぐりぬけられる程度の狭いはざまだが、た...
時をさほど置かず、壁の数箇所がさらに丸太で突きくずされ...
銃士隊がかけつける余裕はなかった。怒涛の勢いで壁のあち...
23 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
(もう対応が追いつかない。一定以上の数に侵入されて、壁にま...
アニエスはほぞを噛んだ。
彼女がけっしておちいるまいとしてきた最悪の状況が、目の...
駄目押しのように、門が――必死で支えてきた鉄格子の門が、...
敵兵が銃士隊と剣戟を交わしながらどっと乱入し、庭中に弩...
それだけでなく、門の向こうの小道から、三十名ほどの騎馬...
(敗れた。あとは、この庭で徹底して抵抗し、混乱の中で陛下を...
最期の時だな、と覚悟を決める。
この場にいない才人やギーシュが恨めしくなる。特に才人が...
途中から来た館の主から、簡単に聞いてもいた。彼らはラ・...
それでも、やはり「陛下を置いていったのか」と愚痴を言い...
アンリエッタに、逃げなければなりませんと告げるために馬...
(な、なぜ鍵がかかっているのだ!?)
あわてたとき、鍵をはずす音がして内側から扉が開かれた。
予想外の顔が現れる。
「あ、アニエスさん」
「サイト!? ギーシュ殿まで、脱出したのではなかったか!?」
彼らの後ろからアンリエッタが顔を出し、感極まった様子で...
その前に、今夜新たに聞く種類の音がひびいた。
アニエスはぽかんとして振りかえる。
(この音は……ラッパ? そうだ、ラッパが鳴っている)
角笛でもなく、ドラでもない。突撃ラッパが鳴っていた。
彼女の目前の庭で、信じがたい展開が起こっていた。
小道を駆け上って門から入ってきた騎馬隊が、壁を突破した...
24 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「……援軍?」
呆然としながらアニエスは、確認するようにおそるおそる口...
才人の苦笑気味な声が、「ちょっと違いますけどね……」と後...
状況はすぐに明らかになった。背後から突っこまれた敵の悲...
「裏切り、裏切りだ! ロマリアの騎馬傭兵隊が裏切った!」
しばし無言の後、アニエスは才人とギーシュの顔を見た。な...
「お前たちがやったのか?」
「ああ……うん……どちらかといえばサイトが」
「いやギーシュが」
「どっちでもいい。とにかく大した手柄だ」
らしくなく譲り合う二人を、手放しで褒めた瞬間、背後から...
「陛下、ここは危険です。混乱の中でもあなたは格好の標的で...
おいサイト、街道は安全なんだな?」
「ええ、街道を張ってた傭兵隊が丸ごと寝返りましたし」
「結構だ。馬三頭持っていけ、陛下を無事にここから離せ。わ...
「アニエス!」
「心配はいりません、陛下。背後からの攻撃によって敵は混乱...
寝返ったのは三十名ほどの少数らしいですが、これで勝算が...
勝って陛下のお褒めをいただくつもりなのですから、死には...
にやりとアニエスは笑ってみせた。
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アンリエッタの馬を、騎馬の銃士隊が押しつつむようにして...
25 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「村へ行きましょう」
小道をくだり、三人で馬を走らせつつ、ギーシュが提案した...
折れた左手の小指をかばってなんとか手綱をあやつりながら...
「おい、ヴェルダンデを背負って騎馬は変じゃないか」
「離れたがらないんだ。置いていけというのかね!?」
「いや、まあそりゃ、俺にとっても恩人だけどよ……」
両脇を並んで駆ける二人の、微妙に緊張感に欠ける会話を聞...
ポーションは効いたし、ギーシュの使い魔は使役できた。た...
一方で、使えなくなったガンダールヴの能力にしろメイジの...
(この身の内側にちゃんと、魔力は高まる。放てないのではなく...
これから調べなければならないことが、山ほどできた。誰が...
いかに共和主義者でも、王権が憎いという理由だけでこのよ...
〈ねずみ〉に斬り殺された老侍女を思いだして歯噛みする。
(今夜のこと、けっして捨ててはおけないわ)
トリステインの王権に対する挑戦を受けとった。今度こそは...
そう決意したとき街道に出た。
気のゆるみがあった――戦場はすでに後方、ここで待ち伏せが...
街道と交錯する小道、その両脇の森の中から、いきなり馬群...
闇に融けているような黒衣の七人組。昼間の一団。火のメイ...
〈山羊〉という首領が、アンリエッタにもっとも近い位置に...
女王が串刺しにされる前に、並走していた才人が乗っていた...
叫び声とともに馬が横だおしになり、〈山羊〉と才人が地面...
ぶつけた側の才人のほうが、落馬の衝撃を前もって覚悟でき...
アンリエッタはとっさにあぶみを踏みしめ、地面の才人に手...
「乗って――早く!」
ぐずぐずすると包囲される。才人の判断も早かった。指が折...
26 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「村のほうは駄目です! 街道のあちらへ」
ギーシュがさけぶ。黒衣たちは周囲を半包囲し、逃げ道をふ...
才人に「しっかりつかまってくださいまし」と言っておく。...
背後で起き上がったらしき〈山羊〉の怒鳴り声が聞こえた。...
二つの月の下、モグラを背負ったギーシュの馬と並び、飛ぶ...
ひたすらに走り続ける。気がつけば、東の空がかすかに白み...
(今は北に向かっているのね、ラ・ヴァリエール領方面に)
「あいつら、飛び道具を持っていないようだ」
それだけは助かった、と才人が密着したままつぶやいた。ア...
「けれどたぶん、このままでは追いつかれます」
一人が一頭に乗っている七人組と比べ、こちらは馬の負担が...
「サイト殿、もし止まって戦うとなれば、どうなるでしょう?」
「みんな死にます」
即答だった。彼はアニエスの薫陶を受けてか、戦力差につい...
「三対七という時点で望み薄ですが、加えて姫さまとギーシュ...
まともに打ち合える俺は左の小指を折られてます。ガンダー...
「ではやはり、このまま逃げるしかありませんわね」
「……魔法が使える状況にさえなれば、姫さまの水魔法で怪我を...
ギーシュがニメイルほどあけた横に馬をならばせて、駆けな...
「サイト、昼間見たと思うが連中は火系統のメイジだ。それも...
「正直、危ないと思う、でも今よりは格段にましさ!」
彼らの大声での会話を聞きながら、アンリエッタは思考をめ...
(この魔法を使えないという現象は、永続するとは思えない。あ...
でも、どんな要素で? 時間がたてば解けるのか、範囲が決...
27 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「陛下!」
ギーシュの絶叫が届いた。直後、後ろから火球が連続して飛...
(魔法!?)
馬首をわずかに横に向け、進路変更する。一弾目と二弾目の...
四弾目はかわせない、と思ったとき、後ろからしがみついて...
考える余裕もなく言われるまま手綱を手放す。
アンリエッタの体にまわされていた才人の手にぐっと力がこ...
さらに五弾目が飛んできたが、左手でアンリエッタをかかえ...
あらためてアンリエッタの体を軽々と抱き上げ、ギーシュの...
「サイト、そりゃきみのいつもの……お、こっちも魔法使えるぞ...
ギーシュが歓喜の声をあげ、取り出した杖をふって石つぶて...
「……ギーシュ、街道をはずれよう、とにかく足をとめるな、囲...
指が痛いのか、走りながら才人は涙目になっている。
その腕の中で、アンリエッタの思考に何かがよぎった。
重要なことのように思われ、必死にそれを捕まえようとする。
火のメイジたち。彼らに追われる自分。
この国。地形。地図、館で見た地図。
ここは街道、あの領地からやや北上し、ラ・ヴァリエール領...
平原から山地に入り、谷間を縫うように……
あっと声をあげ、「サイト殿!」と呼んだ。街道から横とび...
才人はろくに考えなかったのか、即座に「それでいきましょ...
「よ、よろしいのですか?」
「試さないよりましです、後がない。ギーシュ、東に馬をまわ...
28 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「東だと!? あっちは山地になってる! 追い詰められるぞ!」
「そこを目指すんだよ! どのみち平原よりはましだ、背中を...
アザミ野を突っ切って並走しながら彼らは怒鳴りあう。アン...
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馬を飛ばして追いながら、〈山羊〉は怒りに満ち、呪ってい...
とりわけ、ここまで手こずらせた女王とその臣下たちを。
あの傭兵隊が裏切ったと知ったとき、〈山羊〉たちは即座に...
女王が先に逃がされるはずだと読んで街道で待ちぶせし、そ...
(それももう終わりだ、もう追いつくぞ)
彼らは山地に逃げこんだ。少し時間はかかるだろうが、七匹...
その時は、わりあい早くに来た。
〈山羊〉たち七名が馬から降り、そこに踏みこんだとき、女...
追っ手が来たことに気づき、少年は剣を構えて女王の前にた...
〈山羊〉はせせら笑った。
(なにも、こんな自ら袋のねずみになるような場所に迷いこまな...
狭い場所なら、多少は数の不利が消えるという腹づもりか?)
その場所は木々がひらけ、地面が陥没して十メイル四方ほど...
高さ数メイルの崖が彼らの後ろにそびえており、その下部に...
剣をかまえているのとは別の、金髪の少年が、はらはらした...
昨日の昼のように慇懃に頭をさげ、〈山羊〉は女王に話しか...
「チェックメイトとまいりましょうか。結局われわれの勝ちで...
黒髪の少年があせった顔で背後に向き、おいギーシュ、ヴェ...
少年の肩越しに女王がまっすぐ面を向けてきて、凛然とした...
「そうですか? あなたがたの兵は壊滅したと思いますわ、お...
29 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「今夜のこれはチェスだったのですよ、陛下。わたしにとって...
何人死のうと、何人捕らわれようと、何人が裏切って何人が...
陛下という貴重な駒を奪いあうゲームで、あなたを手にすれ...
〈山羊〉は杖を抜き、前に歩き出した。
その歩きが、ふと止まる。
(何だ……?)
地面が、かすかに震えた。ヴェルダンデ! とはしゃいだ調...
それから――水が来た。
泥水が、穴からすさまじい量と勢いで噴きだした。茶色い獣...
たちまち穴の口が、噴きだす水で広がりだす。穴の周囲の土...
金髪の少年がいまや引きつった笑みでそれを見ていた。どれ...
固まっている〈山羊〉たちの前で、崖そのものが崩れ、土と...
……時間にして十数秒後。
〈山羊〉は表情をゆがめ、ずぶ濡れになった黒衣をふって水...
冷たい水がくぼ地に、膝の下くらいまで貯まっていた。
離れたところで水音がした。
少女が左手で肩を抱くようにして水から起き上がってくる。...
朝の曙光を受けながら、女王は水面のように静かな目で、〈...
「このような小規模なダムが、この一帯には数多いのです。平...
アンリエッタの言葉を聞いても、〈山羊〉はなぜかうまく頭...
(この崖の上はため池だ、その底近くに穴を開けたのか……)
「トリステインは水の国【11巻】。この国の女王であるわたく...
〈山羊〉は足元を見た。膝までの水。突然、おぞ気が走った。
(ここはため池の水があふれたときの『受け皿』のような場所だ...
自分たち火系統を得意とするメイジにとって、大量の水の中...
そして、悪夢に取り巻かれていた。
30 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
水から上がれ、と仲間に向けて絶叫しようとした〈山羊〉の...
女王が右手の杖をふると、その少年は水の鎧で覆われていく。
手に大剣をもち、無造作に少年は〈山羊〉たちに向けて歩い...
〈山羊〉ほか数名があがくように杖をふり、火球を少年に飛...
〈山羊〉の目の前で、少年騎士が腰をねじって大剣を横にか...
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〈山羊〉をはじめ四人がデルフリンガーの剣の平で頭を強打...
残りの三人は逃げようとして、動く水に足をとられて倒れ、...
男たちをその場で縛り、浅い池と化したくぼ地から押しあげ...
ヴェルダンデを背負ったギーシュがくぼ地からあがり、「馬...
アンリエッタはそれを見送る。
そばでは才人がへたへたと水の中に座りこみ、「つっかれた...
「ええ、疲れる夜でした。誰にとっても。
この呪わしい夜に死んだものも傷ついたものも、わたくしの...
あの黒衣の首領が言ったように、彼らはわたくしを狙ってこ...
「……姫さま。あのさ」
「わかっています、サイト殿……罪悪感にとらわれすぎて判断を...
「それだけじゃないですよ」
才人は冷たい水に尻をついて座りこんだままで、アンリエッ...
「姫さま、自分が死んでもいいと思ってたでしょうが。王家の...
でも、ルイズや枢機卿さまやアニエスさんが姫さまを守ろう...
今回、自分が女王だから狙われたって? そりゃどう考えて...
アンリエッタは才人を見下ろした。そっとしゃがみこみ、彼...
服が肌にはりつき、あらわになった体のラインにどぎまぎし...
礼を言ってそれを受けとり、まといながらアンリエッタは館...
31 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「今度は答えてくださいまし。なぜ、来てくれたのですか?」
才人の目が露骨に泳いだ。冷たい水の中に座り込んでいるの...
「あなたは王家の騎士ではない、だから王家に尽くす義務はあ...
「あー……まあ、いやね……さっきも言っただろほら、ほかの人が...
「つまり、どういうことでしょうか?」
顔を寄せて真剣に問い詰める。才人は目の前でなにやら必死...
「ほら、王家の騎士じゃなくても一応騎士の誓いをしましたし...
あの、姫さま、ちょっと近いんでは……」
「つまり、『女王』ではなく『レディ』を助けに来てくれた、...
彼の顔をのぞきこむような体勢。互いの息がかかる。
信じられないくらい熱く、どこか暗くて秘めやかな火が胸に...
この夜の最後くらいは、女王でなくてもいいと思う。ルイズ...
アンリエッタの持つ、一種の狂気のような衝動。何もかも忘...
重ねただけの唇を離して、アンリエッタは自分のものと思え...
「レディとしての、お礼ですから……」
困惑とやっちまったよ感と、わずかにアンリエッタと同じ熱...
一回目より多少長いキスの後、唇を離した。
「……あーもう、ちくしょう」と才人が、何かに負けたように...
アンリエッタは待っていたように、力をぬいて彼の腕の中に...
けっきょく二人は、ギーシュが戻ってくる寸前まで、朝日を...
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その、ちょっと前。
朝の光をあびる館。治療士たちがとびまわるように負傷者を...
戦闘が終了した庭で、戦闘の事後処理をしながら、アニエス...
夜の戦いは、近衛兵側が勝利した。それにはこの騎馬傭兵隊...
彼らは壁が突破されるまで戦闘に参加せず、斥候役だったの...
メイジたちの魔法が戻ってからは、一瞬で決着がついたが、...
事態を知って急きょ援軍に駆けつけた近隣の領主の兵までい...
32 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「つまり、貴様は〈山羊〉と呼ばれる者に雇われただけで、そ...
「そんなところだ。おれについては、実際には雇われたかとい...
「……傭兵隊の悪評はよく聞くが、とりあえずこれからも貴様ら...
「おい、ひでえなあ。誠意は見せたはずだぜ。うちの隊の者は...
「わかってる。正直、貴様らがいなければもたなかった」
「礼はいいから、女王陛下から恩賞がほしい」
にっこりと笑って人差し指と親指をこすり合わせるひげ面の...
アニエスは呆れ気味に苦笑をもらした。あけすけすぎて怒る...
「最初は敵対するため集まったくせに。大逆罪は本来、共謀段...
お前のようなやつは逆に憎みきれん。いいだろう、昨夜の連...
その保証に、傭兵隊長は待っていたとばかりに「いやあ、じ...
いかん疲れすぎている、と空を一度あおいでから見直す。
見直す。
ぶるぶると手が震えだした。目がコインでもはめられそうな...
「き……き……貴様、この額はなんだ……?」
常識外の数字が並んでいた。冗談抜きでトリステインの国家...
「いやあ、多かったかね? 〈山羊〉ってやつに保証された数...
もとの額でも、傭兵隊に払うには常軌を逸した額である。そ...
「ふざけるな! 限度ってものがあるだろうが!」
「しかし、おたくの別の近衛隊長からは保証書をもらっている。
払わないなら別にいいぞ、『トリステイン王家は命を救われ...
33 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
傭兵隊長がふところから、ぺらりと二枚の紙を出した。金額...
『ギーシュ・ド・グラモンこれを確約す』
『ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエ...
きっちり手形は血印であり、おそらく本物。
このまま地面にぶったおれて眠ることができればどれだけ楽...
そのとき背後から、「アニエス! アニエス!」と聞き覚え...
村から馬車を走らせてたった今駆けつけたらしきルイズが、...
「姫さまは!? サイトは無事なの!? 朝起きたら村の民家で寝...
半狂乱のルイズに、アニエスは振り返りもせず無言。かわり...
「ああ、あの黒髪小僧が自分の手の皮をちょっと切って、あん...
そうそう、おれだってただの守銭奴じゃない。条件次第で、...
「その……条件を言ってみろ……」
地獄の底からわきあがってくるようなアニエスの声にも動じ...
「トリステインの貴族の位をくれ。伝統と格式あるトリステイ...
貴族に生まれただけでふんぞりかえる輩が大嫌いだったが、...
それを聞いた瞬間思ったんだよ。『話のわかる女王陛下じゃ...
「き……貴様な、調子に乗ってると……
いや待て、頼むから待ってくれ、こういうことはわたしの一...
怒りに引きつっていたアニエスの顔がさっと青ざめた。振り...
「陛下やサイト達は村にいないのか?」
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男たちを縛って二人ずつなどで乗せた馬が四頭。
「……しまった。縛ったはいいが、どのみち人手がないと馬をひ...
ギーシュがうなっている。結局さるぐつわを噛まして森中に...
34 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
「あら、竜が」
才人のマントを濡れた服の上にまとったアンリエッタが、空...
才人は目をほそめた。いやな予感がする。それはいきなり的...
やがて、近隣を捜索していたのが合図をうけたのか、数匹が...
その場で待つ三人の前に、風とともに彼らは降り立ち、その...
なぜ来ているのか、タバサのシルフィード。その背に乗って...
彼女の姿を見ると、先ほどのアンリエッタとのキスを思い返...
アニエスはすたすたと歩いてきてさっとアンリエッタの前に...
心のこもった「陛下、無事でようございました」「それは、...
馬にくくりつけられた男たちをみて、アニエスがうなずいた。
「即座に銃士隊を連れてきてこいつらを引っ立て……と言いたい...
この竜も、大貴族の領地からつかわされたものでございます...
アンリエッタにそれだけ言うと、戦の後で疲労困憊している...
「ギーシュ殿、ちょっとお話があるのだが、よろしいか?」
「な、なにかな? うわちょっと、ぼくをどこへ連れて行っ……...
「なにを不思議なことをおっしゃる。あの大手柄がなくば、わ...
サイトは……とりあえずラ・ヴァリエール殿に任せるとする」
ちらりと才人に目をむけて、アニエスはギーシュを草むらに...
才人は思う。たぶん今これからが、自分の正念場。〈ねずみ...
目の前では、ルイズがアンリエッタの前にひざまずき、アニ...
臣下としての言葉を一通り述べると、ルイズは立ってアンリ...
それから――いきなりルイズは、アンリエッタの頬を打った。
才人はぎょっとする。叩かれたアンリエッタのほうも、目を...
「薬なんか……ひどい……よかった、姫さま、サイトも……無事でほ...
徐々にアンリエッタの目もうるんでいった。ルイズを抱きし...
35 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
ひしと抱き合っている二人をほっとした目で見ながら、才人...
「タバサ、お前までいつのまに来たんだ。驚いたよ」
「……今朝駆けつけたばかり。巡幸している女王陛下に伝えよう...
戦闘の知らせを朝一番に受け取った」
「伝えること?」
「『危険があるかもしれない』と。遅かったけど……魔法を使え...
「ああ。ガンダールヴの力まで使えなくなった。ありゃ何なん...
「〈解呪石(ディスペルストーン)〉。古い書物で見たことがある。砕け...
「なんでそんなものを……タバサ、誰だ? そんなことをしたの...
「……だれが画策したのかは、わたしにも謎。
わたしはゲルマニアのキュルケの家に行っていた。そこで国...
才人は考えようとして、やめた。怒りはつのるが、敵が何者...
かたく抱き合っているアンリエッタとルイズを見る。
誰か知らないが、たいせつな人たちに手を出した報いはきっ...
その彼の目の前で、アンリエッタが涙をふきながら、抱き合...
「あなたにひっぱたかれたのは、幼いころを別にすればこれで...
「理由も一部は同じですわね」
さらっと返ってきたルイズの言葉に、石化したようにアンリ...
36 名前: 裏切りは赤〈下〉 [sage] 投稿日: 2007/09/25(火)...
才人はなんのことかわからなかったが、先ほどのいやな予感...
横でタバサが、なんでもないことのようにつぶやいた。
「……じつは、あなたたちが気づく前からシルフィードで見つけ...
え? いつから? ……そういえばルイズはシルフィードに乗...
「具体的には、あなたと女王陛下が池でしたことを見ていた」
なるほど。たしかにあの時は夢中になっていて、他が見えて...
才人はそろそろとこの場から遠ざかろうとする。と、固まっ...
「ねえ犬。どこへ行く気かしら」
ルイズが深呼吸すると、アンリエッタの肩をつかんで、女王...
「姫さま、率直に答えてください。わたしを友人と思ってくれ...
――本気に、なったのですか?」
大いにアンリエッタはうろたえていた。目を閉じ、開き、お...
その頬が赤らんでいる。
彼女はためらいを見せた後、ごめんなさい、とつぶやいてか...
「――だと、思います……」
その答えを聞いて、才人の顔まで熱くなった。もっとも、す...
ルイズは「ふふ、いいですわ」と震えながらかろうじて笑み...
自信がなく、うろたえるばかりだった昔のルイズではないの...
「姫さま、わたしもいまさらお譲りする気はありませんから。...
笑みの構成は六割の怒り、三割の礼儀、一割の寛容である。
「再戦、ですわね?」
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