ゼロの使い魔保管庫
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365 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
青年は、馬に乗って必死に街道を駆けていた。元々急ぐ旅で...
ないという思いもあったので、鞭や拍車の類は一切身につけて...
る辺り、馬にも危険な状況だということが分かっているのかも...
(婆ちゃん、この辺りなら絶対安全だって言ってたのに!)
静かな自信に満ちた表情で断言していた祖母の顔を恨めしく...
を振り返る。遠くでもうもうと土煙が立ち込め、その向こうか...
いる。向こうも諦めるつもりはないらしい。
(無事に逃げ切れるだろうか)
青年は不安だった。相手は大人数だし、全員馬に乗っている...
ころは差は縮まらないが、しつこく追い回されては持久力の方...
どうしたものかと思案に暮れていたとき、青年はふと、前方...
(フクロウ、か?)
まだ時刻は昼間である。夜行性のフクロウが飛んでいるとい...
思ったとき、突然フクロウが飛びながらこちらを振り向いた。
「オイデ、オイデ」
しかも喋った。ギョッと目を見張る青年に対して、フクロウ...
に向かって飛んでいく。見ると、そこに馬でも何とか通れそう...
(どうする)
青年は判断に迷う。森は奥が見えないぐらいに薄暗く、フク...
で魔女に手招きされているような状況である。
だが、迷いは一瞬だった。青年は手綱を絞り、馬を森の獣道...
(どうせ、このまま逃げていてもいずれは力尽きてしまうだろ...
賭けてみるしかない)
青年がそう決心できたのは、何故か喋るフクロウというもの...
かったというのも大きい。
「昔、お友達の家に行ったとき、飛んできたフクロウが喋り出...
そんな風に、祖母が笑って話していたからかもしれない。
青年はフクロウの背を追って、ひたすら馬を駆けさせる。幸...
鉄の音は遠ざかりつつあった。先導がいるこちらと違い、向こ...
速度が落ちるのは当たり前だった。
(これなら、逃げ切れるかもしれない)
青年の胸に安堵が広がる。獣道はじょじょに上に向かって傾...
森から抜け出すと、そこは小高い丘の中腹だった。フクロウは...
も後を追った。
小高い丘を登りきると、そこに一軒の家が建っていた。小さ...
の庭先のテーブルの前に、一人の老婦人が腰掛けている。フク...
空気に溶けるように消えてしまった。
(やっぱり、魔女なのか)
青年は再び緊張する。老婦人は、こちらを見て穏やかに微笑...
「こんにちは。旅のお方かしら」
その皺だらけの顔を見ると、全身からすーっと緊張が消えて...
の祖母と同年代ぐらいだったので、親近感が沸いたのかもしれ...
の敷地に乗り入れさせ、その背から下りた。
「お騒がせしてしまって申し訳ありません。あのフクロウは、...
「ええ。なんだか下が騒がしかったから、幻を飛ばしたのよ。...
老婦人はティーポットを傾けてカップに紅茶を注ぎながら、...
「ご存知なら、すぐに逃げてください。今は森を抜け出すのに...
ぐにここに登ってきますよ」
「あら、向こうはずいぶんとご執心なのね」
「あ、いえ。もしかしたらもう諦めているかもしれませんが、...
青年を追ってきている男たちは、この近辺を縄張りにする盗...
脇に広がっているため、潜伏するには好都合なのだろう。青年...
突然前後左右から襲い掛かられたのだ。馬が自分の判断で走り...
なっていたことか。
366 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
「とにかく、早く逃げてください。足腰のお加減が悪いのでし...
青年が申し出ると、老婦人は少し首を傾げた。
「それはありがたいのだけれど、もうその子は限界なんじゃな...
青年は、はっとして馬の様子を見る。確かに息は絶え絶えだ...
だがそれでも、「まだ行ける」と言うように、気丈に一声鳴い...
にあふれ、青年は自然とその頬を撫でてやっていた。
「好かれているのね、あなた。見た目どおり、いい人みたいだ...
「いえ。愛馬をこんな目に合わせている、とんでもない飼い主...
せめてこいつだけでも逃がしてやろうと、青年は手綱を放し...
が、馬はその場を動かず、じっとこちらを見つめていた。
「あなたと離れたくないみたいね。ここで死んでもいいから一...
老婦人はふと、遠くを見るように目を細めた。
「わたしにも昔、そんな人がいたのだけれどね」
そのとき、丘の下の方から無数の馬蹄の音が響いてきた。は...
ら馬に乗った集団が丘を駆け上ってくるのが見える。彼らは、...
に到着した。
「おうおう、ずいぶんと逃げ回ってくれたもんじゃねえか、え...
先頭に立った男が、馬上からこちらを睨みつけてきた。
「だが、それもここまでよ。抵抗せずに大人しくするなら、せ...
そこで初めて老婦人に気付いたらしく、男は彼女を見て眉根...
「なんだ、こんなとこに一人で住んでいやがるとは、妙なババ...
い退屈な人生だろうよ。せっかくだからまとめて殺して、テ...
使ってやるから有難く思え。まあ、こんな枯れ木みてえなバ...
りゃしねえだろうがな」
男たちが高笑いを響かせた。
青年は、どうにかしてこの親切な老婦人だけでも逃がせない...
そのとき、老婦人が青年の背後で盛大にため息を吐いた。
「やれやれ。これでも三十年ぐらい前までは引く手数多だった...
どことなく寂しげに呟きながら、老婦人はテーブルに両肘を...
「警告してあげるわ」
「なに」
男が高笑いを止めて、怪訝そうに老婦人を見る。彼女は淡々...
「今あなたが枯れ木と呼ばわったこのババアはね、自尊心のせ...
ような、馬鹿みたいに気位の高い人間なの」
「だからなんだ」
「要するにね」
老婦人は、枯れ木のような細い腕を、テーブルの上に置いて...
「わたしがまだギリギリのところで怒りを抑えている間に、と...
ことよ。その豚より醜い顔と野良犬より薄汚い体を引き摺っ...
さい。さもないと」
木の棒の先端を男たちに向けながら、老婦人は皺だらけの顔...
盗賊たちは今や完全に笑いを納め、殺気だった気配を発しな...
男が、顔を真っ赤にしながら怒鳴った。
「さもないとどうするってんだ、ええ、このババアが!」
367 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
盗賊たちが、一斉に馬を走らせようとする。それと同時に、...
その途端、突如としていくつもの爆音が重なり合って轟いた...
何の前触れもなく爆発四散し、周囲に金属の破片を撒き散らし...
馬に突き刺さり、周囲が悲鳴で満たされる。
そんな凄惨な光景を見て、老婦人はにっこりと笑った。
「さもないと、次は体が弾けて、今の外見以上に見苦しい死に...
そうすることに躊躇はないとでも言いたげに、老婦人はこれ...
賊たちの中から悲鳴が上がった。
「このババア、メイジだぞ!」
「逃げろ、燃やされちまうぞ!」
口々に叫びながら、男たちは無我夢中で逃げ去った。
後には、すまし顔で紅茶を啜る老婦人と、今の顛末をただ呆...
そして疲れたようにその場に座り伏せる彼の愛馬だけが残され...
「失礼な連中ね」
老婦人が不満げに呟いたので、青年はようやく正気に戻った...
彼を、老婦人は軽く手招きした。
「こちらへどうぞ。せっかくだから、この枯れ木のようなババ...
老婦人が悪戯っぽく言う。その表情を見ていると、先程の彼...
結局、青年は愛馬を庭先の木につなぎ、老婦人の茶飲み話に...
桶を借りて水を注ぎ、馬の前に置いてやってから、青年は老...
「ずいぶんと大切にしているのね」
夢中で水を飲んでいる馬を見つめて、老婦人が微笑む。何と...
「祖母の言いつけで、動物は大切に扱うようにしているんです...
特に犬が大好きで、我が家には10匹や20匹では足りないほど...
老婦人の暖かみのある雰囲気に、自然とそんなことを話して...
一本の剣が飾ってあるのに気がついた。鞘も柄も、ずいぶんと...
「あれは何ですか」
「ああ、あの剣ね」
老婦人は家の方を見て目を細める。その瞳から、隠しきれな...
「あれはね、ある人と交わした、約束の証よ」
「約束、というと」
「必ずまた戻ってくるっていう、約束」
老婦人はそう言って目を閉じる。
約束の証に剣を置いていくということは、相手は剣士だった...
たのを見る限り、老婦人はメイジのはずだった。ということは...
(それで相手が剣士っていうのは、どうも不思議だな。いや、...
なところに一人で住んでいるんだろう)
いろいろと興味が沸いてきたが、不躾に尋ねるのは躊躇われ...
「犬、ね」
「え、なんですか」
「ああいえ、さっき、あなたのお婆さまが犬を大切にされてい...
「ええ、そうですが」
犬を妙な名前で呼ばわる祖母の姿を思い出し、青年は頷く。
「わたしのそばにも昔、そんな感じの人がいたのよ」
話の流れからするに、多分その「犬のような人」というのが...
早く情報を整理しながら、青年は尋ねた。
「犬のような人、と言うと、召使か何かですか」
もしもこの推測が当たっていれば、老婦人は昔道ならぬ恋を...
首を横に振った。
「いいえ。ある意味、召使よりも位が低かったわ。だから、わ...
老婦人は懐かしむように微笑んだ。
「それでもその人は、わたしのことを一生懸命守ってくれたし...
段々彼に心を惹かれていったわ」
「へえ。でも、今はご一緒ではないようですが」
話したくないことかもしれないと思いつつ、どうしても興味...
368 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
「ええ。いろいろあって、その人とは一緒にはなれなかったわ...
「帰るべきところ、ですか」
「ええ」
その場所を見つめるように、老婦人は空に向かって頭を傾け...
「とても、遠いところよ。帰るのも、こちらに戻るのも大変な...
「でも、お二人は愛し合っておられたんでしょう」
「そうね。だから、わたしが望めば引き留めることも出来たの...
変に高いプライドのおかげかしら、どんな理由があったとし...
は出来なかったのよ。彼はそこにいろいろなものを残してき...
きだったのよ」
老婦人はティーカップに両手を添えて、静かに目を閉じた。
「でもわたし、彼を帰したのを後悔したことは、今まで一度も...
老婦人は、いい夢でも見ているかのように、幸せそうに微笑...
「彼はね、約束してくれたのよ」
「何をですか」
「自分なりにけじめをつけたら、必ずわたしのところに戻って...
紅茶を一口啜り、老婦人はため息を吐くように言った。
「もう、四十年以上も昔の話になるわね」
「じゃあもしかして、あなたは、今でもその人のことを待ち続...
その気の遠くなるような歳月を思いながら男が問いかけると...
「ええ、そうよ。彼と別れてから、わたしはずっと一人で待ち...
見つけても、あの人はもう帰ってこないから忘れろと説得さ...
と、誰かに愛を囁かれても。わたしはただひたすら、彼だけ...
老婦人は、自分の細い腕を見つめて、少しだけ悲しそうな顔...
「そうしている内に、こんな痩せた枯れ木のような老婆になっ...
ことなど覚えてはいないでしょうね。それでもまだ、わたし...
を信じているのよ」
そう言って微笑む老婦人の顔は、今は確かに皺だらけだが、...
ことを窺わせる。
青年は何も言えなくなってしまった。彼女の人生は、他人の...
これほどの美貌や貴族階級という地位があれば、当然つかめる...
ことすらせず、ただただいつ帰ってくるか分からない思い人を...
らも忘れ去られ、錆びついてしまった約束の証の剣だけを抱え...
せた枯れ木。
「あら、ごめんなさいね」
老婦人は茶目っ気のある笑みを浮かべた。
「あなたが真剣に聞いてくれるものだから、ついついこんな楽...
「いえ、楽しくないだなんて」
「そんなことよりも、外のことを聞かせていただけないかしら...
れに疎くなってしまってね」
「外のこと、ですか。そうですね」
青年が自分の知る限り最近の情勢を話し始めると、老婦人は...
の中ずいぶんと変わったものねえ」と楽しそうに相槌を打ち始...
虚とすら思えるこれまでの人生を、ほとんど感じさせなかった。
(いや、少なくとも、彼女にとっては空虚なんかじゃなかった...
青年には、彼女が不幸だとは思えなかった。今目の前にいる...
はかけ離れているほど、活力に溢れているように見えるからだ。
この痩せた枯れ木は、今にも花を咲かせそうなほどに、空に...
目の前で愉快そうに笑っている老婦人を見ていると、自然と...
と微笑みを浮かべていた。
369 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
そうしてしばらく話をしたあと、青年はティーカップを置い...
「それでは、そろそろお暇します。紅茶、ごちそうさまでした」
「そう。ごめんなさいね、旅の途中だというのに、こんな寂し...
せてしまって」
老婦人は冗談っぽい口調でそう言った。青年は笑って首を振...
「いえ。とても楽しかったです。祖母にいい土産話が出来まし...
「ありがとう。あなたのお婆さまにもよろしくね。ところで」
と、老婦人が不意に青年の頭を見て、懐かしそうに目を細め...
「お婆さまも、あなたみたいに綺麗な黒髪をしてらっしゃるの...
青年は自分の黒い前髪をつまみながら、祖母の姿を頭に思い...
「そうですね。僕が子供の頃はまだ黒い髪の方が多かったかな...
なってしまいましたが」
「そう。いえね、昔わたしと恋敵だった人も、黒髪だったから...
んかしたくなったのは」
老婦人は口元に手を当ててくすくすと微笑んだ。
「ところで、これからどうなさるのかしら」
「ちょっとした用事で村を出てきて、それはもう済ませてしま...
青年の馬は、休んだおかげで少しは元気を取り戻したようだ...
が、今から丘を下りて街道に戻れば、日が落ちる前に今日泊ま...
「まあ、それほど急ぐ訳でもありませんし、帰りは護衛つきの...
る限り安全になるように心がけるつもりですが」
「ええ。その方がいいでしょうね。さっきのあなたのお話を聞...
気配が漂っているみたいだし」
老婦人は、少し心配そうにそう言った。
青年は馬を連れて丘の下り始めに立ち、家の方を振り返った...
が、老婦人の背後から暖かな日差しを注いでいる。
「それでは、いろいろとお世話になりました」
「ええ、道中気をつけて」
微笑んでそう言いかけた老婦人が、不意に目を見開いて絶句...
一体どうしたのかと思ったとき、青年は老婦人の視線が自分...
の背後にある、何かを見ているのだ。
振り向くと、誰かが森を抜け、丘を登ってこちらに向かって...
白髪頭から、それが老人であることが分かる。
その老人は、痩せて見える体にも関わらず力強く背筋を伸ば...
てくるのだった。
(まさか)
信じられないものを見ているような老婦人の表情から、青年...
鳴った。そして、自分がとても劇的な瞬間に立ち会おうとして...
う慌てて馬を連れ、脇に避けた。
370 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
丘を登ってきた老人は、青年には目もくれずに老婦人の前に...
「久しぶり。約束どおり、戻ってきたよ」
と優しい口調で声をかけた。
老婦人はその言葉で動揺から立ち直ったようだった。少々そ...
「あら、どちら様かしら。私、痩せた枯れ木みたいな老人を友...
と澄まして言う。老人は苦笑いを浮かべた。
「相変わらず意地の悪い奴だな。俺がお前を見間違えると思う...
それを聞いてどことなく安堵したように、老婦人は得意そう...
「それはわたしだって同じよ。あなたがどんな風になっても、...
そこまで言って、微笑が崩れた。皺だらけの顔が歪んで泣き...
くなったように、老人の胸に飛び込んだ。
「お帰りなさい。ずっと、ずっと待ってたのよ」
「ああ、ただいま。ごめんな、こんなに遅くなっちまって」
老人が優しい手つきで老婦人の頭を撫でる。ようやく帰って...
人はそっと微笑んだ。
「本当、遅れすぎだわ。おかげでこんなに老けちゃって、今日...
だって言われちゃった」
「それは俺だって同じだよ。向こうじゃ妖怪枯れ木ジジイなん...
「まあ」
二人は抱き合ったまま見つめあい、若者のように笑いあった...
ないかもしれない。青年から見れば、老婦人と老人は、そこら...
を響かせている。
「本当に、待っててくれたんだな」
老人が言った。
「当たり前じゃない。約束したもの。でも」
老婦人が、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「正直、ちょっと不安だったわね。あんたってかなりの助平だ...
んか忘れて他の女とくっついてるんじゃないかって、何度も...
「そりゃ俺だって同じだよ」
老人も苦笑する。
「モグラみてえな俺と違って、お前は美人だったものな。俺が...
まうんじゃないかと、気が気じゃなかったさ」
老婦人が、少女のように唇を尖らせた。
「まあ、失礼ね。わたし、そんな不貞な女じゃありませんこと...
「お前こそ、俺の一途さを疑ってもらっちゃあ困るね」
「何言ってんの、昔あれだけフラフラして、わたしを泣かせて...
「そりゃお前がなかなか俺の気持ちに応えてくれなかったから...
二人はまた笑いあう。先に笑いを収めたのは、老婦人の方だ...
「わたしは、あなた以外の人と愛を語り合ったことなんて一度...
老人も、自分の胸の中の老婦人の顔をじっと見つめて頷いた。
「俺もさ。お前以外の女なんて目に入らなかった。ただずっと...
る方法を探し続けてたんだ」
「それは寂しい人生だったこと」
「そうでもないさ。まだ、これからがある」
371 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
そう言って、老人は一度老婦人から体を離す。懐に手を入れ...
り出した。老婦人が無言で受け取って蓋を開けると、中には大...
れていた。
「これ」
老婦人が、戸惑うように老人と指輪を交互に見比べる。老人...
「ずいぶん遅れちまったけどな。俺の気持ちは変わってないよ」
「本当にいいの?」
老婦人は不安げな表情で問いかけた。老人が眉をひそめる。
「何が」
「見ての通り、わたしは本当に、痩せた枯れ木みたいになっち...
を過ごそうなんて、いくらあなたでも冒険が過ぎるんじゃな...
老婦人は、自分の細い腕を見て泣きそうな顔をする。老人は...
「さっきも言ったろ。痩せた枯れ木みたいになったのは俺も同...
老人は眩しそうに目を細め、壊れものを扱うような優しい手...
「痩せた枯れ木なんていうけど、俺には今でも、お前が枝一杯...
老婦人の頬がかすかに赤くなった。
「言い過ぎでしょ、こんなババアに。顔は皺だらけ頭は真っ白...
ここに来て急に自信をなくし始めたように、老婦人は悲しげ...
老人はうんざりしたように頭に手をやった。
「お前って相変わらず面倒な女だな。分かった、じゃあはっき...
老人は老婦人の手を取り、強く彼女を抱き寄せた。かすかに...
づけ、先程の言葉どおり、はっきりとした口調で言う。
「ババア結婚してくれ」
老婦人の顔が一瞬で真っ赤に染まった。老人の手を乱暴に振...
だったかのように激しく怒鳴る。
「なによそのプロポーズ。ふざけてんの」
「うるせーな、お前があんまりババアババア言うから仕方ねえ...
拗ねたようにそっぽを向く老人に、老婦人はますます顔を赤...
「だからって」
「あのな」
老人は咳払いすると、再び真顔になって、熱っぽい口調で言...
「俺は、お前がどんだけ年食おうがしわくちゃになろうが痩せ...
とはどうでもいいんだよ。美少女だろうがババアだろうが関...
が好きだし、おばさんならおばさんのお前が好きだ。だから...
だよ。要するに、お前が好きなんだ。愛してるんだよ。だか...
そう言って、老人は再び老婦人の手を握り締めた。
「ババア結婚してくれ」
老婦人の顔の赤みは、とっくに引いていた。彼女は呆れたよ...
「あんたって、本当に全然変わってないのね」
「だから、お互い様だろ。で、返事は」
「そうね」
老婦人は、指輪をそっと左手の薬指にはめた。それを老人に...
「いいわ。そのふざけたプロポーズ、受けてあげる。痩せた枯...
一緒に暮らしてあげるわよ」
先程の怒りの仕返しとでも言うような、皮肉っぽい口調であ...
「それは正しくねえな」
老人も負けずに皮肉っぽく返す。
「正確には、くたばるまで、じゃねえよ。くたばった後もだ」
老婦人は大袈裟に顔をしかめた。
「なにあんた、犬のくせに貴族の娘と同じ墓に入ろうっての」
「当然だろ。そのぐらいする気がなけりゃ、ここには立ってね...
老人は自信ありげに断言する。
老婦人は微笑ながら両手を大きく広げ、彼を抱きしめる。彼...
く、強く抱きしめた。
「ここまで来たんだ。どこまでだって一緒に行くさ」
「ええ。どこまででも、着いてきてみせなさいよ」
二人は互いに囁きあうと、少しだけ体を離して見詰め合った...
ろに顔を寄せ合い、静かに唇を重ねあう。
夕陽の中で体を寄せ合う二人が、今一時だけ若者に戻ったよ...
ただ黙って彼らの姿を見つめていた。
372 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
「ヘッ、こんな辺鄙なところで、汚ぇジジイと枯れたババアが...
しなかったぜ」
突然、背後から嘲笑を含んだ声が響き渡った。青年は慌てて...
ころに、荒々しい雰囲気の男が立っていた。後ろには、先程逃...
(しまった。あの連中、頭目をつれて戻ってきたのか)
しかも、新たに現れた頭目は、先程の盗賊たちとは比べ物に...
部下がチンピラだとすると、この男は極道だ。悪の道を極めた...
気配が、青年の背筋を震わせる。
「久しぶりだってのに、とんだ邪魔者の登場だな」
「本当ね」
老婦人と老人は、静かに体を離して闖入者を睨みつけた。
「俺の子分をずいぶん可愛がってくれたみてえじゃねえか」
言葉に憤怒を滲ませながら、頭目が馬を下りてゆっくりとこ...
「舐められたらやっていけねえ身分なんでな。悪ぃが全員まと...
頭目は、腰に下げていた長い得物を抜き放った。驚いたこと...
頭目は目を閉じ、静かに詠唱を始める。炎が飛んでくるのか...
は咄嗟に目を閉じ、顔を手でかばう。
しかし、頭目が詠唱を終えても、派手な音は何一つしなかっ...
「風は偏在するってな」
頭目の得意げな声が、いくつも重なり合ってその場に響き渡...
かった場所に、頭目と同じ姿の男が5人も立っていたのだ。
「分身の魔法か。ずいぶん懐かしいものを使うねえ」
老人がふざけた様子で口笛を鳴らす。頭目を恐れているよう...
も同様だった。
「スクウェアクラスの魔法を使えるような男が、こんなところ...
彼らが全く慄く様子を見せなかったためか、頭目は少し調子...
をゆがめ、唾を飛ばして怒鳴る。
「うるせえな。親父もお袋も大罪人だったんでな。表街道は歩...
ら受け継いだ盗賊団と、親父から受け継いだ『閃光』の二つ...
からな、腕一本でどこまでものし上がってやるさ」
二つ名のことを聞いたとき、老人と老婦人は目を丸くして顔...
たように笑いあった。頭目がさらに顔を赤くする。
「何がおかしいんだ」
「いいえ、別に。ただ、ずいぶんと大それた望みだと思ったの...
「全くだな。さって、それじゃ、やりますか。な、あいつ、持...
「はいはい」
老人の頼みに答えて、老婦人は軽やかな足取りで家の方に向...
出来まいと高をくくっているのか、頭目は特に何も言わない。
老婦人は、玄関に飾られていたあの古びた大剣を持って戻っ...
「はい、どうぞ」
「うわ、なんでこんなボロくなってんだこいつ」
老人は剣を受け取ると、嫌そうに顔をしかめた。老婦人が肩...
「あんたが行っちゃったあと、『相棒が戻るまで起こさねえで...
ちゃったのよ。あれ以来一回も抜いてないわ」
「相変わらずだなこいつも。まあいいや、抜けばまた元に戻る...
気楽そうに言って、老人は剣を鞘から引き抜いた。途端にど...
373 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
「おいデルフ、起きろよ」
老人が剣に向かって話しかける。一体何をしているのかと思...
「んあ……なんだよ人がせっかく……って、ひょっとして相棒かい」
寝惚けた声が、驚いた声に変わる。青年は目を見張った。ど...
びた剣らしい。
(そういや、婆ちゃんの昔の友達も、喋る剣を持ってたとか言...
そんなことを思い出す青年の前で、剣は感心したような、あ...
「こりゃたまげたね。まさか本当に戻ってくるとは……それにし...
たいになっちゃってまあ」
「相変わらず口の減らねえ野郎だな。だが安心したぜ。状況は...
老人は苦笑しながら鞘を背中につけ、右手に握った剣に問い...
「まあ大体ね」
「だったらそんな錆びついたなまくらの振りなんかしてねえで...
「へいへい。全く剣使いが荒いんだから」
剣は、内容とは裏腹に嬉しそうな声で文句を垂れながら、突...
た。次の瞬間、その刀身は一瞬前まで錆びついていたのが信じ...
鈍い輝きを宿していた。
「どうだい。俺っちは昔と何も変わらねえだろうが」
「ちぇっ、一人だけ若返りやがって。まあいいけどよ」
「おい、馬鹿げた芝居はもう終わりか」
それまで黙っていた頭目が、嘲るように言った。
「そのご立派な剣で俺と勝負しようってのか。あんまり舐めん...
そんな玩具でメイジに敵うとでも思うのか」
「テメエこそ、ちょっと数が増えたぐらいで歴戦の勇者に勝て...
老人は自信ありげに笑うと、柄を握っている右手に、ゆっく...
「かかって来いよ。枯れてもなお衰えぬ伝説ってやつを、お前...
呟きと共に、老人の左手の甲が眩く輝き始める。
「そんな子供騙しで!」
分身した頭目たちが、老人に向かって一斉に魔法を放った。...
静かに剣を振り上げる。
そして青年は、伝説を見た。
374 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
五分後には、既に勝負がついていた。
剣の作用か老人の腕によるものか、あらゆる魔法を無効化さ...
早く退散した。素人目に見ても、実に鮮やかな引き際である。...
まる人間は普通のチンピラとは違うらしい。
こうして、日暮れの丘に再び静寂が戻ってきたのである。
「お疲れ様。なんだ、すっかりヨボヨボになった思ってたのに...
「そりゃそうだ。ルーンは健在だし、一日だって鍛錬は欠かし...
かなり激しく立ち回ったように見えたが、老人は息を乱して...
に感嘆する青年の前で、老人は呆れたようにため息を吐いた。
「しっかし、ついてそうそうこんな物騒なことになるとは思い...
「そうね。最近、また世の中が乱れてきてるみたいだし」
老婦人は、青年の方をちらりと見ながら言う。老人は驚いた...
「そうなのか」
「ええ。ねえ、さっきの話、この人にも教えてくださらないか...
「あ、はい」
促されて、青年は二人の方に歩み寄る。老人が怪訝そうに首...
「そういや、さっきからちょっと気になってたんだが、あんた...
「ああ、僕は」
青年が自己紹介するよりも早く、老人は何かに気付いたよう...
「まさか、こいつの愛人とか」
「違うわよ、馬鹿ね」
老婦人が例の木の棒で老人の頭を小突く。
「と言うか、失礼でしょう。こんな若い人に、そんな疑いをか...
「そうだよな」
老人はほっと息を吐く。
「こんな痩せた枯れ木みてえなババアを気にかける男なんて、...
「一言余計なのよこの枯れ木ジジイ!
老人らしくない喧嘩が始まったので、青年が説明を始めるの...
375 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
かつてのアルビオン王国の滅亡に端を発する一連の戦争が終...
近までそこそこ穏やかな時間が流れていた。
だが、ニ、三年ほど前から、その平和にも徐々に翳りが見え...
そのきっかけがなんだったのかは、一般民に過ぎない青年に...
ただ、そんな一般民にも分かるぐらい、ハルケギニアの至る...
ゲルマニアでは、最近勢力を伸ばしてきたツェルプストー家...
既に偶発的な小競り合いが頻発しており、表面上はその都度和...
を集めて開戦の機会を窺っているという噂である。
ガリアでは、ずっと権力の座に居座り続けたイザベラ前女王...
は二人の有力候補がいる。前女王の嫡男と、王家に縁深いオル...
れば前女王の嫡男が王位に着くのが当然であるが、資質として...
優れているため、各々を王にと推す派閥同士が対立し合い、内...
トリステインも状態は同じようなもので、数年前に王政が幕...
巡る争いが未だに収まっていない。今現在は旧近衛隊の隊長で...
る老女傑、ミラン卿がギリギリのところで治安を維持している...
旧王家が滅亡して以来各国分割統治の状態にあるアルビオン...
フの女性を教祖として崇める謎の宗教団体が、日に日に発言力...
模な騒乱が勃発すると予想されている。
「という訳で、僕が住んでいる田舎の村でも、住民は不安な日...
なところまで出かけることになったのも、所用以上にハルケ...
かったですし」
長い説明を聞いた老人と老婦人は、顔を見合わせて苦笑した。
「どうやら、お前と一緒に静かな老後を送るには、困難が多す...
「そうみたいね。さて、どうしましょうか」
答えは予想出来ているとでも言いたげに、老婦人は自信に満...
然と言わんばかりに頷いた。
「決まってんだろ。行くともさ」
「そうね。あんたって、そういう奴よね」
「やれやれ、仕方ねえから俺っちも付き合ってやるよ」
老人の背中で、剣が鞘から少し抜け出して喋る。老人と老婦...
笑みを浮かべて言った。
「当たり前だろ」
「今まで寝てた分、刀身が砕けるまで働いてもらうわよ」
「うひゃあ、勘弁してくれよ」
剣が情けない声を上げて鞘に引っ込む。老人と老婦人は、ま...
青年が説明している間に夕暮れも遠くに去り、暗い夜空には...
の夜空を見上げながら、老人は穏やかに呟いた。
「じゃあ、もう少しだけ、頑張ろうな」
「ええ。今度はもう離れない。ずっと一緒よ」
老人と老婦人は、その言葉を証明するように、固く手を取り...
その光景を見たとき、青年の背筋に震えが走った。
この、世界中の誰からも忘れ去れた二本の枯れ木は、日の光...
浴びて、大輪の花を咲かせることだろう。その花の香はハルケ...
望の朝へと導いていくに違いない。
何故か、そんな予感が全身を震わせていた。
(婆ちゃんへの土産話が、また一つ増えたみたいだな)
そんなことを考えながら、青年は老人と老婦人の背中をいつ...
かくしてこの日、忘れ去られた伝説は、ハルケギニアの片隅...
この地が再び平穏な時間を取り戻すのは、これより五年ほど...
終了行:
365 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
青年は、馬に乗って必死に街道を駆けていた。元々急ぐ旅で...
ないという思いもあったので、鞭や拍車の類は一切身につけて...
る辺り、馬にも危険な状況だということが分かっているのかも...
(婆ちゃん、この辺りなら絶対安全だって言ってたのに!)
静かな自信に満ちた表情で断言していた祖母の顔を恨めしく...
を振り返る。遠くでもうもうと土煙が立ち込め、その向こうか...
いる。向こうも諦めるつもりはないらしい。
(無事に逃げ切れるだろうか)
青年は不安だった。相手は大人数だし、全員馬に乗っている...
ころは差は縮まらないが、しつこく追い回されては持久力の方...
どうしたものかと思案に暮れていたとき、青年はふと、前方...
(フクロウ、か?)
まだ時刻は昼間である。夜行性のフクロウが飛んでいるとい...
思ったとき、突然フクロウが飛びながらこちらを振り向いた。
「オイデ、オイデ」
しかも喋った。ギョッと目を見張る青年に対して、フクロウ...
に向かって飛んでいく。見ると、そこに馬でも何とか通れそう...
(どうする)
青年は判断に迷う。森は奥が見えないぐらいに薄暗く、フク...
で魔女に手招きされているような状況である。
だが、迷いは一瞬だった。青年は手綱を絞り、馬を森の獣道...
(どうせ、このまま逃げていてもいずれは力尽きてしまうだろ...
賭けてみるしかない)
青年がそう決心できたのは、何故か喋るフクロウというもの...
かったというのも大きい。
「昔、お友達の家に行ったとき、飛んできたフクロウが喋り出...
そんな風に、祖母が笑って話していたからかもしれない。
青年はフクロウの背を追って、ひたすら馬を駆けさせる。幸...
鉄の音は遠ざかりつつあった。先導がいるこちらと違い、向こ...
速度が落ちるのは当たり前だった。
(これなら、逃げ切れるかもしれない)
青年の胸に安堵が広がる。獣道はじょじょに上に向かって傾...
森から抜け出すと、そこは小高い丘の中腹だった。フクロウは...
も後を追った。
小高い丘を登りきると、そこに一軒の家が建っていた。小さ...
の庭先のテーブルの前に、一人の老婦人が腰掛けている。フク...
空気に溶けるように消えてしまった。
(やっぱり、魔女なのか)
青年は再び緊張する。老婦人は、こちらを見て穏やかに微笑...
「こんにちは。旅のお方かしら」
その皺だらけの顔を見ると、全身からすーっと緊張が消えて...
の祖母と同年代ぐらいだったので、親近感が沸いたのかもしれ...
の敷地に乗り入れさせ、その背から下りた。
「お騒がせしてしまって申し訳ありません。あのフクロウは、...
「ええ。なんだか下が騒がしかったから、幻を飛ばしたのよ。...
老婦人はティーポットを傾けてカップに紅茶を注ぎながら、...
「ご存知なら、すぐに逃げてください。今は森を抜け出すのに...
ぐにここに登ってきますよ」
「あら、向こうはずいぶんとご執心なのね」
「あ、いえ。もしかしたらもう諦めているかもしれませんが、...
青年を追ってきている男たちは、この近辺を縄張りにする盗...
脇に広がっているため、潜伏するには好都合なのだろう。青年...
突然前後左右から襲い掛かられたのだ。馬が自分の判断で走り...
なっていたことか。
366 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
「とにかく、早く逃げてください。足腰のお加減が悪いのでし...
青年が申し出ると、老婦人は少し首を傾げた。
「それはありがたいのだけれど、もうその子は限界なんじゃな...
青年は、はっとして馬の様子を見る。確かに息は絶え絶えだ...
だがそれでも、「まだ行ける」と言うように、気丈に一声鳴い...
にあふれ、青年は自然とその頬を撫でてやっていた。
「好かれているのね、あなた。見た目どおり、いい人みたいだ...
「いえ。愛馬をこんな目に合わせている、とんでもない飼い主...
せめてこいつだけでも逃がしてやろうと、青年は手綱を放し...
が、馬はその場を動かず、じっとこちらを見つめていた。
「あなたと離れたくないみたいね。ここで死んでもいいから一...
老婦人はふと、遠くを見るように目を細めた。
「わたしにも昔、そんな人がいたのだけれどね」
そのとき、丘の下の方から無数の馬蹄の音が響いてきた。は...
ら馬に乗った集団が丘を駆け上ってくるのが見える。彼らは、...
に到着した。
「おうおう、ずいぶんと逃げ回ってくれたもんじゃねえか、え...
先頭に立った男が、馬上からこちらを睨みつけてきた。
「だが、それもここまでよ。抵抗せずに大人しくするなら、せ...
そこで初めて老婦人に気付いたらしく、男は彼女を見て眉根...
「なんだ、こんなとこに一人で住んでいやがるとは、妙なババ...
い退屈な人生だろうよ。せっかくだからまとめて殺して、テ...
使ってやるから有難く思え。まあ、こんな枯れ木みてえなバ...
りゃしねえだろうがな」
男たちが高笑いを響かせた。
青年は、どうにかしてこの親切な老婦人だけでも逃がせない...
そのとき、老婦人が青年の背後で盛大にため息を吐いた。
「やれやれ。これでも三十年ぐらい前までは引く手数多だった...
どことなく寂しげに呟きながら、老婦人はテーブルに両肘を...
「警告してあげるわ」
「なに」
男が高笑いを止めて、怪訝そうに老婦人を見る。彼女は淡々...
「今あなたが枯れ木と呼ばわったこのババアはね、自尊心のせ...
ような、馬鹿みたいに気位の高い人間なの」
「だからなんだ」
「要するにね」
老婦人は、枯れ木のような細い腕を、テーブルの上に置いて...
「わたしがまだギリギリのところで怒りを抑えている間に、と...
ことよ。その豚より醜い顔と野良犬より薄汚い体を引き摺っ...
さい。さもないと」
木の棒の先端を男たちに向けながら、老婦人は皺だらけの顔...
盗賊たちは今や完全に笑いを納め、殺気だった気配を発しな...
男が、顔を真っ赤にしながら怒鳴った。
「さもないとどうするってんだ、ええ、このババアが!」
367 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
盗賊たちが、一斉に馬を走らせようとする。それと同時に、...
その途端、突如としていくつもの爆音が重なり合って轟いた...
何の前触れもなく爆発四散し、周囲に金属の破片を撒き散らし...
馬に突き刺さり、周囲が悲鳴で満たされる。
そんな凄惨な光景を見て、老婦人はにっこりと笑った。
「さもないと、次は体が弾けて、今の外見以上に見苦しい死に...
そうすることに躊躇はないとでも言いたげに、老婦人はこれ...
賊たちの中から悲鳴が上がった。
「このババア、メイジだぞ!」
「逃げろ、燃やされちまうぞ!」
口々に叫びながら、男たちは無我夢中で逃げ去った。
後には、すまし顔で紅茶を啜る老婦人と、今の顛末をただ呆...
そして疲れたようにその場に座り伏せる彼の愛馬だけが残され...
「失礼な連中ね」
老婦人が不満げに呟いたので、青年はようやく正気に戻った...
彼を、老婦人は軽く手招きした。
「こちらへどうぞ。せっかくだから、この枯れ木のようなババ...
老婦人が悪戯っぽく言う。その表情を見ていると、先程の彼...
結局、青年は愛馬を庭先の木につなぎ、老婦人の茶飲み話に...
桶を借りて水を注ぎ、馬の前に置いてやってから、青年は老...
「ずいぶんと大切にしているのね」
夢中で水を飲んでいる馬を見つめて、老婦人が微笑む。何と...
「祖母の言いつけで、動物は大切に扱うようにしているんです...
特に犬が大好きで、我が家には10匹や20匹では足りないほど...
老婦人の暖かみのある雰囲気に、自然とそんなことを話して...
一本の剣が飾ってあるのに気がついた。鞘も柄も、ずいぶんと...
「あれは何ですか」
「ああ、あの剣ね」
老婦人は家の方を見て目を細める。その瞳から、隠しきれな...
「あれはね、ある人と交わした、約束の証よ」
「約束、というと」
「必ずまた戻ってくるっていう、約束」
老婦人はそう言って目を閉じる。
約束の証に剣を置いていくということは、相手は剣士だった...
たのを見る限り、老婦人はメイジのはずだった。ということは...
(それで相手が剣士っていうのは、どうも不思議だな。いや、...
なところに一人で住んでいるんだろう)
いろいろと興味が沸いてきたが、不躾に尋ねるのは躊躇われ...
「犬、ね」
「え、なんですか」
「ああいえ、さっき、あなたのお婆さまが犬を大切にされてい...
「ええ、そうですが」
犬を妙な名前で呼ばわる祖母の姿を思い出し、青年は頷く。
「わたしのそばにも昔、そんな感じの人がいたのよ」
話の流れからするに、多分その「犬のような人」というのが...
早く情報を整理しながら、青年は尋ねた。
「犬のような人、と言うと、召使か何かですか」
もしもこの推測が当たっていれば、老婦人は昔道ならぬ恋を...
首を横に振った。
「いいえ。ある意味、召使よりも位が低かったわ。だから、わ...
老婦人は懐かしむように微笑んだ。
「それでもその人は、わたしのことを一生懸命守ってくれたし...
段々彼に心を惹かれていったわ」
「へえ。でも、今はご一緒ではないようですが」
話したくないことかもしれないと思いつつ、どうしても興味...
368 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
「ええ。いろいろあって、その人とは一緒にはなれなかったわ...
「帰るべきところ、ですか」
「ええ」
その場所を見つめるように、老婦人は空に向かって頭を傾け...
「とても、遠いところよ。帰るのも、こちらに戻るのも大変な...
「でも、お二人は愛し合っておられたんでしょう」
「そうね。だから、わたしが望めば引き留めることも出来たの...
変に高いプライドのおかげかしら、どんな理由があったとし...
は出来なかったのよ。彼はそこにいろいろなものを残してき...
きだったのよ」
老婦人はティーカップに両手を添えて、静かに目を閉じた。
「でもわたし、彼を帰したのを後悔したことは、今まで一度も...
老婦人は、いい夢でも見ているかのように、幸せそうに微笑...
「彼はね、約束してくれたのよ」
「何をですか」
「自分なりにけじめをつけたら、必ずわたしのところに戻って...
紅茶を一口啜り、老婦人はため息を吐くように言った。
「もう、四十年以上も昔の話になるわね」
「じゃあもしかして、あなたは、今でもその人のことを待ち続...
その気の遠くなるような歳月を思いながら男が問いかけると...
「ええ、そうよ。彼と別れてから、わたしはずっと一人で待ち...
見つけても、あの人はもう帰ってこないから忘れろと説得さ...
と、誰かに愛を囁かれても。わたしはただひたすら、彼だけ...
老婦人は、自分の細い腕を見つめて、少しだけ悲しそうな顔...
「そうしている内に、こんな痩せた枯れ木のような老婆になっ...
ことなど覚えてはいないでしょうね。それでもまだ、わたし...
を信じているのよ」
そう言って微笑む老婦人の顔は、今は確かに皺だらけだが、...
ことを窺わせる。
青年は何も言えなくなってしまった。彼女の人生は、他人の...
これほどの美貌や貴族階級という地位があれば、当然つかめる...
ことすらせず、ただただいつ帰ってくるか分からない思い人を...
らも忘れ去られ、錆びついてしまった約束の証の剣だけを抱え...
せた枯れ木。
「あら、ごめんなさいね」
老婦人は茶目っ気のある笑みを浮かべた。
「あなたが真剣に聞いてくれるものだから、ついついこんな楽...
「いえ、楽しくないだなんて」
「そんなことよりも、外のことを聞かせていただけないかしら...
れに疎くなってしまってね」
「外のこと、ですか。そうですね」
青年が自分の知る限り最近の情勢を話し始めると、老婦人は...
の中ずいぶんと変わったものねえ」と楽しそうに相槌を打ち始...
虚とすら思えるこれまでの人生を、ほとんど感じさせなかった。
(いや、少なくとも、彼女にとっては空虚なんかじゃなかった...
青年には、彼女が不幸だとは思えなかった。今目の前にいる...
はかけ離れているほど、活力に溢れているように見えるからだ。
この痩せた枯れ木は、今にも花を咲かせそうなほどに、空に...
目の前で愉快そうに笑っている老婦人を見ていると、自然と...
と微笑みを浮かべていた。
369 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
そうしてしばらく話をしたあと、青年はティーカップを置い...
「それでは、そろそろお暇します。紅茶、ごちそうさまでした」
「そう。ごめんなさいね、旅の途中だというのに、こんな寂し...
せてしまって」
老婦人は冗談っぽい口調でそう言った。青年は笑って首を振...
「いえ。とても楽しかったです。祖母にいい土産話が出来まし...
「ありがとう。あなたのお婆さまにもよろしくね。ところで」
と、老婦人が不意に青年の頭を見て、懐かしそうに目を細め...
「お婆さまも、あなたみたいに綺麗な黒髪をしてらっしゃるの...
青年は自分の黒い前髪をつまみながら、祖母の姿を頭に思い...
「そうですね。僕が子供の頃はまだ黒い髪の方が多かったかな...
なってしまいましたが」
「そう。いえね、昔わたしと恋敵だった人も、黒髪だったから...
んかしたくなったのは」
老婦人は口元に手を当ててくすくすと微笑んだ。
「ところで、これからどうなさるのかしら」
「ちょっとした用事で村を出てきて、それはもう済ませてしま...
青年の馬は、休んだおかげで少しは元気を取り戻したようだ...
が、今から丘を下りて街道に戻れば、日が落ちる前に今日泊ま...
「まあ、それほど急ぐ訳でもありませんし、帰りは護衛つきの...
る限り安全になるように心がけるつもりですが」
「ええ。その方がいいでしょうね。さっきのあなたのお話を聞...
気配が漂っているみたいだし」
老婦人は、少し心配そうにそう言った。
青年は馬を連れて丘の下り始めに立ち、家の方を振り返った...
が、老婦人の背後から暖かな日差しを注いでいる。
「それでは、いろいろとお世話になりました」
「ええ、道中気をつけて」
微笑んでそう言いかけた老婦人が、不意に目を見開いて絶句...
一体どうしたのかと思ったとき、青年は老婦人の視線が自分...
の背後にある、何かを見ているのだ。
振り向くと、誰かが森を抜け、丘を登ってこちらに向かって...
白髪頭から、それが老人であることが分かる。
その老人は、痩せて見える体にも関わらず力強く背筋を伸ば...
てくるのだった。
(まさか)
信じられないものを見ているような老婦人の表情から、青年...
鳴った。そして、自分がとても劇的な瞬間に立ち会おうとして...
う慌てて馬を連れ、脇に避けた。
370 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
丘を登ってきた老人は、青年には目もくれずに老婦人の前に...
「久しぶり。約束どおり、戻ってきたよ」
と優しい口調で声をかけた。
老婦人はその言葉で動揺から立ち直ったようだった。少々そ...
「あら、どちら様かしら。私、痩せた枯れ木みたいな老人を友...
と澄まして言う。老人は苦笑いを浮かべた。
「相変わらず意地の悪い奴だな。俺がお前を見間違えると思う...
それを聞いてどことなく安堵したように、老婦人は得意そう...
「それはわたしだって同じよ。あなたがどんな風になっても、...
そこまで言って、微笑が崩れた。皺だらけの顔が歪んで泣き...
くなったように、老人の胸に飛び込んだ。
「お帰りなさい。ずっと、ずっと待ってたのよ」
「ああ、ただいま。ごめんな、こんなに遅くなっちまって」
老人が優しい手つきで老婦人の頭を撫でる。ようやく帰って...
人はそっと微笑んだ。
「本当、遅れすぎだわ。おかげでこんなに老けちゃって、今日...
だって言われちゃった」
「それは俺だって同じだよ。向こうじゃ妖怪枯れ木ジジイなん...
「まあ」
二人は抱き合ったまま見つめあい、若者のように笑いあった...
ないかもしれない。青年から見れば、老婦人と老人は、そこら...
を響かせている。
「本当に、待っててくれたんだな」
老人が言った。
「当たり前じゃない。約束したもの。でも」
老婦人が、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「正直、ちょっと不安だったわね。あんたってかなりの助平だ...
んか忘れて他の女とくっついてるんじゃないかって、何度も...
「そりゃ俺だって同じだよ」
老人も苦笑する。
「モグラみてえな俺と違って、お前は美人だったものな。俺が...
まうんじゃないかと、気が気じゃなかったさ」
老婦人が、少女のように唇を尖らせた。
「まあ、失礼ね。わたし、そんな不貞な女じゃありませんこと...
「お前こそ、俺の一途さを疑ってもらっちゃあ困るね」
「何言ってんの、昔あれだけフラフラして、わたしを泣かせて...
「そりゃお前がなかなか俺の気持ちに応えてくれなかったから...
二人はまた笑いあう。先に笑いを収めたのは、老婦人の方だ...
「わたしは、あなた以外の人と愛を語り合ったことなんて一度...
老人も、自分の胸の中の老婦人の顔をじっと見つめて頷いた。
「俺もさ。お前以外の女なんて目に入らなかった。ただずっと...
る方法を探し続けてたんだ」
「それは寂しい人生だったこと」
「そうでもないさ。まだ、これからがある」
371 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
そう言って、老人は一度老婦人から体を離す。懐に手を入れ...
り出した。老婦人が無言で受け取って蓋を開けると、中には大...
れていた。
「これ」
老婦人が、戸惑うように老人と指輪を交互に見比べる。老人...
「ずいぶん遅れちまったけどな。俺の気持ちは変わってないよ」
「本当にいいの?」
老婦人は不安げな表情で問いかけた。老人が眉をひそめる。
「何が」
「見ての通り、わたしは本当に、痩せた枯れ木みたいになっち...
を過ごそうなんて、いくらあなたでも冒険が過ぎるんじゃな...
老婦人は、自分の細い腕を見て泣きそうな顔をする。老人は...
「さっきも言ったろ。痩せた枯れ木みたいになったのは俺も同...
老人は眩しそうに目を細め、壊れものを扱うような優しい手...
「痩せた枯れ木なんていうけど、俺には今でも、お前が枝一杯...
老婦人の頬がかすかに赤くなった。
「言い過ぎでしょ、こんなババアに。顔は皺だらけ頭は真っ白...
ここに来て急に自信をなくし始めたように、老婦人は悲しげ...
老人はうんざりしたように頭に手をやった。
「お前って相変わらず面倒な女だな。分かった、じゃあはっき...
老人は老婦人の手を取り、強く彼女を抱き寄せた。かすかに...
づけ、先程の言葉どおり、はっきりとした口調で言う。
「ババア結婚してくれ」
老婦人の顔が一瞬で真っ赤に染まった。老人の手を乱暴に振...
だったかのように激しく怒鳴る。
「なによそのプロポーズ。ふざけてんの」
「うるせーな、お前があんまりババアババア言うから仕方ねえ...
拗ねたようにそっぽを向く老人に、老婦人はますます顔を赤...
「だからって」
「あのな」
老人は咳払いすると、再び真顔になって、熱っぽい口調で言...
「俺は、お前がどんだけ年食おうがしわくちゃになろうが痩せ...
とはどうでもいいんだよ。美少女だろうがババアだろうが関...
が好きだし、おばさんならおばさんのお前が好きだ。だから...
だよ。要するに、お前が好きなんだ。愛してるんだよ。だか...
そう言って、老人は再び老婦人の手を握り締めた。
「ババア結婚してくれ」
老婦人の顔の赤みは、とっくに引いていた。彼女は呆れたよ...
「あんたって、本当に全然変わってないのね」
「だから、お互い様だろ。で、返事は」
「そうね」
老婦人は、指輪をそっと左手の薬指にはめた。それを老人に...
「いいわ。そのふざけたプロポーズ、受けてあげる。痩せた枯...
一緒に暮らしてあげるわよ」
先程の怒りの仕返しとでも言うような、皮肉っぽい口調であ...
「それは正しくねえな」
老人も負けずに皮肉っぽく返す。
「正確には、くたばるまで、じゃねえよ。くたばった後もだ」
老婦人は大袈裟に顔をしかめた。
「なにあんた、犬のくせに貴族の娘と同じ墓に入ろうっての」
「当然だろ。そのぐらいする気がなけりゃ、ここには立ってね...
老人は自信ありげに断言する。
老婦人は微笑ながら両手を大きく広げ、彼を抱きしめる。彼...
く、強く抱きしめた。
「ここまで来たんだ。どこまでだって一緒に行くさ」
「ええ。どこまででも、着いてきてみせなさいよ」
二人は互いに囁きあうと、少しだけ体を離して見詰め合った...
ろに顔を寄せ合い、静かに唇を重ねあう。
夕陽の中で体を寄せ合う二人が、今一時だけ若者に戻ったよ...
ただ黙って彼らの姿を見つめていた。
372 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
「ヘッ、こんな辺鄙なところで、汚ぇジジイと枯れたババアが...
しなかったぜ」
突然、背後から嘲笑を含んだ声が響き渡った。青年は慌てて...
ころに、荒々しい雰囲気の男が立っていた。後ろには、先程逃...
(しまった。あの連中、頭目をつれて戻ってきたのか)
しかも、新たに現れた頭目は、先程の盗賊たちとは比べ物に...
部下がチンピラだとすると、この男は極道だ。悪の道を極めた...
気配が、青年の背筋を震わせる。
「久しぶりだってのに、とんだ邪魔者の登場だな」
「本当ね」
老婦人と老人は、静かに体を離して闖入者を睨みつけた。
「俺の子分をずいぶん可愛がってくれたみてえじゃねえか」
言葉に憤怒を滲ませながら、頭目が馬を下りてゆっくりとこ...
「舐められたらやっていけねえ身分なんでな。悪ぃが全員まと...
頭目は、腰に下げていた長い得物を抜き放った。驚いたこと...
頭目は目を閉じ、静かに詠唱を始める。炎が飛んでくるのか...
は咄嗟に目を閉じ、顔を手でかばう。
しかし、頭目が詠唱を終えても、派手な音は何一つしなかっ...
「風は偏在するってな」
頭目の得意げな声が、いくつも重なり合ってその場に響き渡...
かった場所に、頭目と同じ姿の男が5人も立っていたのだ。
「分身の魔法か。ずいぶん懐かしいものを使うねえ」
老人がふざけた様子で口笛を鳴らす。頭目を恐れているよう...
も同様だった。
「スクウェアクラスの魔法を使えるような男が、こんなところ...
彼らが全く慄く様子を見せなかったためか、頭目は少し調子...
をゆがめ、唾を飛ばして怒鳴る。
「うるせえな。親父もお袋も大罪人だったんでな。表街道は歩...
ら受け継いだ盗賊団と、親父から受け継いだ『閃光』の二つ...
からな、腕一本でどこまでものし上がってやるさ」
二つ名のことを聞いたとき、老人と老婦人は目を丸くして顔...
たように笑いあった。頭目がさらに顔を赤くする。
「何がおかしいんだ」
「いいえ、別に。ただ、ずいぶんと大それた望みだと思ったの...
「全くだな。さって、それじゃ、やりますか。な、あいつ、持...
「はいはい」
老人の頼みに答えて、老婦人は軽やかな足取りで家の方に向...
出来まいと高をくくっているのか、頭目は特に何も言わない。
老婦人は、玄関に飾られていたあの古びた大剣を持って戻っ...
「はい、どうぞ」
「うわ、なんでこんなボロくなってんだこいつ」
老人は剣を受け取ると、嫌そうに顔をしかめた。老婦人が肩...
「あんたが行っちゃったあと、『相棒が戻るまで起こさねえで...
ちゃったのよ。あれ以来一回も抜いてないわ」
「相変わらずだなこいつも。まあいいや、抜けばまた元に戻る...
気楽そうに言って、老人は剣を鞘から引き抜いた。途端にど...
373 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
「おいデルフ、起きろよ」
老人が剣に向かって話しかける。一体何をしているのかと思...
「んあ……なんだよ人がせっかく……って、ひょっとして相棒かい」
寝惚けた声が、驚いた声に変わる。青年は目を見張った。ど...
びた剣らしい。
(そういや、婆ちゃんの昔の友達も、喋る剣を持ってたとか言...
そんなことを思い出す青年の前で、剣は感心したような、あ...
「こりゃたまげたね。まさか本当に戻ってくるとは……それにし...
たいになっちゃってまあ」
「相変わらず口の減らねえ野郎だな。だが安心したぜ。状況は...
老人は苦笑しながら鞘を背中につけ、右手に握った剣に問い...
「まあ大体ね」
「だったらそんな錆びついたなまくらの振りなんかしてねえで...
「へいへい。全く剣使いが荒いんだから」
剣は、内容とは裏腹に嬉しそうな声で文句を垂れながら、突...
た。次の瞬間、その刀身は一瞬前まで錆びついていたのが信じ...
鈍い輝きを宿していた。
「どうだい。俺っちは昔と何も変わらねえだろうが」
「ちぇっ、一人だけ若返りやがって。まあいいけどよ」
「おい、馬鹿げた芝居はもう終わりか」
それまで黙っていた頭目が、嘲るように言った。
「そのご立派な剣で俺と勝負しようってのか。あんまり舐めん...
そんな玩具でメイジに敵うとでも思うのか」
「テメエこそ、ちょっと数が増えたぐらいで歴戦の勇者に勝て...
老人は自信ありげに笑うと、柄を握っている右手に、ゆっく...
「かかって来いよ。枯れてもなお衰えぬ伝説ってやつを、お前...
呟きと共に、老人の左手の甲が眩く輝き始める。
「そんな子供騙しで!」
分身した頭目たちが、老人に向かって一斉に魔法を放った。...
静かに剣を振り上げる。
そして青年は、伝説を見た。
374 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
五分後には、既に勝負がついていた。
剣の作用か老人の腕によるものか、あらゆる魔法を無効化さ...
早く退散した。素人目に見ても、実に鮮やかな引き際である。...
まる人間は普通のチンピラとは違うらしい。
こうして、日暮れの丘に再び静寂が戻ってきたのである。
「お疲れ様。なんだ、すっかりヨボヨボになった思ってたのに...
「そりゃそうだ。ルーンは健在だし、一日だって鍛錬は欠かし...
かなり激しく立ち回ったように見えたが、老人は息を乱して...
に感嘆する青年の前で、老人は呆れたようにため息を吐いた。
「しっかし、ついてそうそうこんな物騒なことになるとは思い...
「そうね。最近、また世の中が乱れてきてるみたいだし」
老婦人は、青年の方をちらりと見ながら言う。老人は驚いた...
「そうなのか」
「ええ。ねえ、さっきの話、この人にも教えてくださらないか...
「あ、はい」
促されて、青年は二人の方に歩み寄る。老人が怪訝そうに首...
「そういや、さっきからちょっと気になってたんだが、あんた...
「ああ、僕は」
青年が自己紹介するよりも早く、老人は何かに気付いたよう...
「まさか、こいつの愛人とか」
「違うわよ、馬鹿ね」
老婦人が例の木の棒で老人の頭を小突く。
「と言うか、失礼でしょう。こんな若い人に、そんな疑いをか...
「そうだよな」
老人はほっと息を吐く。
「こんな痩せた枯れ木みてえなババアを気にかける男なんて、...
「一言余計なのよこの枯れ木ジジイ!
老人らしくない喧嘩が始まったので、青年が説明を始めるの...
375 名前: Please Mr.Lostman [sage] 投稿日: 2007/09/23(...
かつてのアルビオン王国の滅亡に端を発する一連の戦争が終...
近までそこそこ穏やかな時間が流れていた。
だが、ニ、三年ほど前から、その平和にも徐々に翳りが見え...
そのきっかけがなんだったのかは、一般民に過ぎない青年に...
ただ、そんな一般民にも分かるぐらい、ハルケギニアの至る...
ゲルマニアでは、最近勢力を伸ばしてきたツェルプストー家...
既に偶発的な小競り合いが頻発しており、表面上はその都度和...
を集めて開戦の機会を窺っているという噂である。
ガリアでは、ずっと権力の座に居座り続けたイザベラ前女王...
は二人の有力候補がいる。前女王の嫡男と、王家に縁深いオル...
れば前女王の嫡男が王位に着くのが当然であるが、資質として...
優れているため、各々を王にと推す派閥同士が対立し合い、内...
トリステインも状態は同じようなもので、数年前に王政が幕...
巡る争いが未だに収まっていない。今現在は旧近衛隊の隊長で...
る老女傑、ミラン卿がギリギリのところで治安を維持している...
旧王家が滅亡して以来各国分割統治の状態にあるアルビオン...
フの女性を教祖として崇める謎の宗教団体が、日に日に発言力...
模な騒乱が勃発すると予想されている。
「という訳で、僕が住んでいる田舎の村でも、住民は不安な日...
なところまで出かけることになったのも、所用以上にハルケ...
かったですし」
長い説明を聞いた老人と老婦人は、顔を見合わせて苦笑した。
「どうやら、お前と一緒に静かな老後を送るには、困難が多す...
「そうみたいね。さて、どうしましょうか」
答えは予想出来ているとでも言いたげに、老婦人は自信に満...
然と言わんばかりに頷いた。
「決まってんだろ。行くともさ」
「そうね。あんたって、そういう奴よね」
「やれやれ、仕方ねえから俺っちも付き合ってやるよ」
老人の背中で、剣が鞘から少し抜け出して喋る。老人と老婦...
笑みを浮かべて言った。
「当たり前だろ」
「今まで寝てた分、刀身が砕けるまで働いてもらうわよ」
「うひゃあ、勘弁してくれよ」
剣が情けない声を上げて鞘に引っ込む。老人と老婦人は、ま...
青年が説明している間に夕暮れも遠くに去り、暗い夜空には...
の夜空を見上げながら、老人は穏やかに呟いた。
「じゃあ、もう少しだけ、頑張ろうな」
「ええ。今度はもう離れない。ずっと一緒よ」
老人と老婦人は、その言葉を証明するように、固く手を取り...
その光景を見たとき、青年の背筋に震えが走った。
この、世界中の誰からも忘れ去れた二本の枯れ木は、日の光...
浴びて、大輪の花を咲かせることだろう。その花の香はハルケ...
望の朝へと導いていくに違いない。
何故か、そんな予感が全身を震わせていた。
(婆ちゃんへの土産話が、また一つ増えたみたいだな)
そんなことを考えながら、青年は老人と老婦人の背中をいつ...
かくしてこの日、忘れ去られた伝説は、ハルケギニアの片隅...
この地が再び平穏な時間を取り戻すのは、これより五年ほど...
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