ゼロの使い魔保管庫
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202 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
夕日が山の端に最後の片鱗をのぞかせている。落日の瞬間だ...
早春の冷たい夜露がおりはじめた、アルビオンの緑豊かな森...
銃口から立ちのぼった硝煙の臭いと、いまも絶叫とともにま...
空き地の中にそびえる白い塔の番人は、爪と歯をもって、み...
空堀をわたり、塔へとつづく橋の上。そこで捕らえられて、...
それはおぞましいことにまだ続いている。
「アニエス……」
怯えからくるおののきを隠せないルイズの声に、アニエスは...
「けっして他の者から離れるなよ。あいつは速いし、飛ぶぞ」
それはルイズとおなじく戦慄している、自分と他全員の近衛...
ルイズを背にかばったまま、アニエスは後ずさりした。眼前...
その魔法人形(ガーゴイル)の姿は、人の頭に双の乳房、ライ...
「幻獣スフィンクスの人形か、人食いの魔獣を模した人形が番...
何をしている、次弾装填!」
マンティコア隊などのメイジ近衛兵とともに、蒼白になって...
その腕をルイズがつかむ。
「一度もどって、態勢を立て直したほうがいいわよ!
さっきの一斉射撃でもほとんど外れたし、当たっても効かな...
魔法もかわされた。何発かは命中したはずだが、銃弾のとき...
「わかっている、だがあれが夢中になっている今なら――」
唐突に悲鳴が絶えた。
絶息した犠牲者の腹から、血まみれの顔をそのスフィンクス...
アニエスはわれ知らず固唾を呑んだ。その獣の鋭い爪は、も...
髪がなくのっぺりとした頭部。血でよごれてわかりにくいが...
ちくしょうと呻き、アニエスはルイズに背中を向けたまま言...
「……逃げてすぐに館に戻るぞ、陛下が危ないかもしれん」
その言葉に衝撃を受けたのか、ルイズの声が高くなる。
「どういうこと!?」
203 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
「あの森林監督官、『王の森』にこんな怪物がいることを黙っ...
その意味にかぎり、サイトを館に残してきたのは正解だった...
背後でルイズがあいまいな表情でうなずく。
それを見てはいないが、アニエスは続けて激した言葉を吐い...
「ウォルター・クリザリングを締めあげてやる! 隠していた...
スフィンクスの四肢が動いた。
静かに悠然と、犠牲者をまたいで橋の上を歩いてくる。威嚇...
夕闇は青から藍にかわりつつある。それが黒に塗りつぶされ...
こいつは死なない。銃弾を命中させても魔法で焼いても平然...
聞いた伝説のとおりなら、こいつを動かす『永久薬(エリクシル)』...
その塔のなかに入れないのだ。扉は、何かの力でかたく閉ざ...
……が、このとき異変が起きた。
ルイズがあっと声を上げ、歩み寄るスフィンクスのことも忘...
あれだけ押し引きしてもびくともしなかった塔の鉄の扉が、...
「あれなら入れ――」
その声が途中で止まったのは、開く扉の向こうで蠢くものた...
ミノタウロス、首のない巨人、大サソリ、大きな毒牙のある...
塔の番人たちは、開いた扉の向こうから、なだれ落ちるよう...
わずかでも食い止められるとは思えない。
「射撃用意やめ、総員退却。みんな走れ」
アニエスはどうにかそれだけつぶやき、身をひるがえすとル...
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204 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
話はさかのぼる。
その日の午前のうちに。
アンリエッタは船室の窓から、眼下の森を見おろした。
宝石をはめこんだ王冠。冬から春先用のラムズウールの白ド...
早春の正午前、浮遊大陸アルビオンの澄んだ冷たい空気。
晴れた空の中、森の上をゆく中型のフネ、その最上級の船室。
背後のマザリーニの話を聞きながら、ガラスのはめられた窓...
下の広大な森にはシラカバ、ブナやオークの木々がうっそう...
ここはかつてのアルビオン王家の猟場であり、直轄領であっ...
広大な森の一画に、ぽつんと小さな尖塔が立っている。アン...
が、緋毛氈の敷かれた船室の中央に立っているマザリーニが...
「この規模のフネは商船には最適ですな。このようなフネを十...
やはり彼の力を借りようというラ・トゥール卿の申し出は、...
今回のアルビオン行の出費にせよ、ラ・トゥールの懐に負う...
「最近は、お金の話ばかりですわね」
アンリエッタに嫌味のつもりはなかったが、不用意につぶや...
黒衣の痩せた宰相は表情を変えもしなかったが、気分をいた...
「陛下、王家の台所は、先年のレコン・キスタとの戦争のこと...
本来トリステインは小国なれど豊かな国です。が、国土の収...
ましてやこの冬、あなたが強引に着手した平民軍の創設は、...
さすがに先ほどの発言は不注意だったので、くどくどと続く...
アンリエッタはこっそり円形の窓に向かってため息をついた。
言われることはいちいちもっともなのだった。
問題になっているのは、彼女が新設した志願兵による平民の...
数ヶ月前の秋の事件では、敵も味方もメイジではなく平民が...
そこで王都にもどったアンリエッタは、ながらくメイジ中心...
財源が問題だったが、それは一つの策でどうにかなった。し...
マザリーニが咳払いした。
205 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
「それと陛下、貴族たちをこれ以上怒らせることは避けなけれ...
……『武器税』は、さすがにやりすぎでしたな」
「枢機卿、あなたも巡幸の直後、言ったでしょうに。
いつか諸侯たちの力をそぐ必要があると。いまのトリステイ...
武器税によって王軍は、諸侯の力の一部を自分のものと出来...
女王は顔をあげて、枢機卿に強い視線を向ける。
そこには彼女なりの正義感と、政治的な思慮が介在している。
先の巡幸で、みずからの領民を虐げていた貴族を彼女は見た...
王権を強化すること、諸侯の過ぎた力をそぐこと、平民の権...
それは同一の線上にあるのではないか。そうアンリエッタは...
「私が申しあげたのは、気づかれないようにじわじわと、とい...
あなたが発案し、強引な手続きをへてとつぜんに施行した武...
いまの枢機卿は政治家の顔をしていたが、内実は弟子にたい...
「税を払いたくない貴族は、あせって武器を売る。すると世に...
それを王家が安く買いあげ、新設軍の軍備にまわす……はは、...
――あなたはときに利口な手を思いつきますが、他者を出し抜...
諸侯から買った恨みは、この先どう不利に働くかわかりませ...
マザリーニの陰気な表情は、アンリエッタをそう叱咤してい...
女王はごく薄くルージュをひいてある唇をかみしめた。
(大貴族たちは多くの免税特権を持っているわ。度をこした贅沢...
もともと、潔癖なところのあるアンリエッタである【9巻】。
思いさだめた後は、行動が拙速といえるほど果敢になること...
「マザリーニ。わたくしはトリステインの女王ではないの? ...
それなのにいちいち彼らの機嫌をうかがわねば、民のために...
「……あなたの祖父、偉大なるフィリップ三世が玉座にゆるぎな...
ですがいまの世では、貴族たちの『長』の地位と思ったほう...
マザリーニは最後にそれをのみ言うと、口をつぐんだ。
206 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
…………………………
………………
……
ほどなくフネは『桟橋』の木【2巻】に停泊した。
まず部下たちが降り、アンリエッタとマザリーニは最後にタ...
彼女を待つ数十名の中、並んだ桃色の髪と黒い髪が視界には...
どきりとして、女王はルイズと才人から目をそらした。彼ら...
降り立ったそこは、すぐ館の庭である。
煉瓦のように切石を積みあげてつくった外壁が立派な、館と...
その二人の男が片ひざをついて、女王の来臨を丁重にむかえ...
トリステインの河川都市トライェクトゥムの領主にして市の...
尖った口ひげ、たくましい体にぴったりしたダブレットおよ...
野心家とのうわさに外見も合わせているかのようなこのトリ...
その横。
この館の主、アルビオンの『王の森』の森林監督官、ウォル...
年齢は三十代前半とのこと。やや繊弱ながら美男といってい...
二人とアンリエッタが形どおりの挨拶をかわした後、ラ・ト...
「陛下、このようなあわただしい日程になって申しわけありま...
「まさか。マルシヤック公爵に引き止められるまま、ロンディ...
今回は、形としてはトリステイン出身の代王マルシヤック公...
クリザリングの館に寄るのは、そのついでということになる...
「では陛下、昼食会をかねて本題に入ってもよろしゅうござい...
旅の疲れも癒えぬうちに急な話、お許しください」
ラ・トゥールは礼儀正しくはあったが、まるで自分の館のよ...
館の主、クリザリング卿はそれを気にするふうもなく、アン...
207 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
…………………………
………………
……
サクラソウの咲きほこる中庭には樫のテーブルがしつらえら...
アンリエッタはそれを一瞥した。
白ワインで蒸したらしきヒラメ。シャッドという魚を胡椒を...
(魚介類?)
クリザリング卿が召使たちに指示を飛ばしている間、ラ・ト...
あっけにとられているうちに、横向きにした樽の栓がぬかれ...
飲んでみるようにすすめられ、わけがわからないながらもア...
フルーティーな味。甘いさわやかな、新物の白ワインだった。
「……なるほど」
ふいに横で、マザリーニがつぶやいた。理解の光がその目に...
「空路の交易拡大、というわけか。
王家にもとめるのは、投資ですかな?」
ラ・トゥール伯爵が、満面の笑みを浮かべた。
「さすがに明晰でいらっしゃる。そのとおり。
ここにそろえた新鮮な海の魚介類、質がよい新しいワイン――...
この空の国に海はなく、塩漬けのニシンやタラを下界と交易...
またアルビオン人はワインを飲む習慣があまりなく【7巻】...
これもまた、原産地であるガリアやロマリアと通じる大規模...
よって、とラ・トゥールは続けた。列席者の大半は、何を言...
「空路交易により、これらの新鮮な商品を安くアルビオンの民...
この私、トライェクトゥムのアルマン・ド・ラ・トゥールは...
クリザリング卿の船団と港を借り、株式会社という形で空路...
その株主として王家も参画しませんか。数年で、元手の数倍...
王家に対し、対等の呼びかけという形。アンリエッタは媚び...
208 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
「王家が援助しない場合には?」
「やむをえませぬ。大貴族やほかの都市におもな株主となって...
ここでマザリーニが受けた。
「資金のことだけではない。いまのアルビオンのような各国の...
現アルビオン当局の認可が下りるかどうかさえ疑わしい」
「ええ、その場合は、トリステイン王家以外でどうにかしてく...
援助してくれなければ他国にこの話を持ちこむ。そう言った...
アンリエッタはマザリーニと顔を見合わせてわずかに首をか...
実のところ、これは試してみる価値のある話に聞こえた。す...
ラ・トゥールが強気に出ているのも、最初から弱気に出ると...
クリザリング卿が、話がどうでもよいかのような表情を浮か...
「クリザリング卿はどうなのでしょうか? この話において、...
たしか、わたくしたちがトリステインを出る前には、クリザ...
答えたのはラ・トゥールだった。
「むろんです。急な話ではありましたが、数日前に合意はすで...
ええと、アルビオン人ということで肩身が狭くてですな。彼...
われわれと組めば事業を拡大さえもできるというわけです。...
クリザリング卿が不遇という話に、アンリエッタは気まずい...
女王はじめトリステイン政府がアルビオン人を差別し、抑圧...
生粋のアルビオン人が階級を問わず、さまざまなところで忍...
結構です、とアンリエッタはうなずいた。
「では、王政府としてはこの話を真剣に考えさせていただき――」
「お待ちいただきたい、商談とは別に、手前には申しあぐるべ...
女王をさえぎったのは、クリザリング卿だった。本来はそれ...
大きな眼球でアンリエッタに粘つくような視線を送っていた...
209 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
「天地も人も照覧あれかし。火と水と土と風と虚無にかけて、...
手前ウォルター・クリザリングは、あなたに求婚します、ト...
中庭の誰もが絶句した。
アンリエッタは呆然と、目の前にひざまずいたその『王の森...
ひざまずく彼の背後ではラ・トゥールが目をむき、殴りつけ...
この男にとっても明らかに、これは想定外だったようである。
ところ狭しと食卓に並べられた魚料理は、誰にも手をつけら...
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「ただいま戻りました、陛下」
波乱の昼食会の後、数刻ばかり。
石の鈍色の壁、館の一室。
集っているのはアンリエッタとアニエス、それにルイズと才...
アニエスは革の手袋を脱ぎ、アンリエッタの机の横に直立し...
彼女はアンリエッタの船が到着する一足先、早朝にこの領地...
アンリエッタは調査から帰ってきた部下に、ほっとした顔を...
「ご苦労さまでした。やはり、なにか変わったことがありまし...
「はい。周辺地域でのうわさ話のとおり、ここはおかしなとこ...
われわれ銃士隊は朝から数時間『王の森』を歩きました。地...
その名が出たとき、女王がやや動揺した様子を見せた。ルイ...
アニエスが「陛下?」と不審そうに眉をよせる。
「いえ……気にしないで。報告を続けてください」
「では陛下、申し上げます。ラ・ヴァリエール殿の『虚無』の...
われわれは空の上から見た塔をさぐりました。
塔の扉は堅固に閉ざされていますが、錠らしきものが見当た...
210 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
あの塔だわ、とアンリエッタは一人ごちた。空の上から見た...
ルイズと才人も見ていたようで、のみこめた顔である。
その二人のうち主人のほうが、発言した。
「わたしの虚無で、その塔の扉をどうにかしようというわけ?」
「しかり。貴殿ならどうにかできるかもしれん」
「待って、アニエス。その前に、なぜそんなことをする必要が...
姫さ……陛下の思し召しであれば、むろん従うけれども」
アンリエッタとアニエスは顔を見合わせた。
「話していなかったの、アニエス?」
「……失念していました。忙しくて顔を合わせる機会がそうはな...
アニエスにぎろりとにらまれ、横からのルイズの視線もちょ...
前回の事件の余波で、傭兵隊長相手に彼とギーシュの作った...
大手柄を立てておきながら大ひんしゅくを買った彼らは、こ...
その冒険譚については……思い出したくもない。
(数ヶ月であれを一割返せたって、かなり奇跡的な話だと思うん...
才人の内心のぼやきをよそに、女性陣は目を見交わしあって...
「秋の事件にかかわる話なのです。あなたたちも当事者ですか...
アニエス、彼らにあらためて説明してください」
御意、と女王に頭を下げ、銃士隊長は二人に向きなおった。
「これまで事後経過を明かさなかったことは詫びよう。
先日、陛下を襲撃した者たちは死んでいるのだ。首謀格の八...
王都に護送する途中で、囚人用の竜車の中で奇怪な死をとげ...
淡々と語るアニエスに、わずかに息を呑んだルイズがまた質...
「奇怪な死、とは?」
211 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
「互いに首を絞めて殺しあった。または自死した。
最後に死んだらしき〈山羊〉だが、こいつは舌を噛み切り、...
ちなみに竜車には、頭も通らない明かり窓、それも鉄格子の...
この異様な話をはじめて聞かされた二人の表情はこわばった。
すでに報告は受けていたアンリエッタも、うそ寒い様子で机...
内輪の四人のみ集ったこの部屋の内部が、急に薄暗さを増し...
「だが、私は納得できん。あの襲撃に関する多くの情報が、や...
あれから数ヶ月だが、銃士隊は今なお調査にかかっている。...
武器の出所や敵兵の陳述内容、資金の流れを調べても、決定...
この際、関係がありそうなところを片端から探ることにした」
ルイズが話にうなずく。
上質の黒テン毛皮のマフを巻いた以外、いつもの魔法学院の...
こちらもいつものパーカーの上に、防寒のため冬用の騎士の...
「怪しげなところって、ここアルビオンだけど。なにか目星が...
「目星といえるほどはっきりしたものではない。正直に言うと...
各国の利害がからみあう地とはいえ、アルビオンはトリステ...
いくつか明らかになったことがある。まずここ『王の森』の...
「アニエス、それが? 盗賊みたいなあぶれ者って、わりとど...
「いや、話としてはここからが本命だ。
――〈永久薬(エリクシール)〉があるという、この森には。荒唐無稽...
その薬は『永遠』と『富』を生むという。周辺地域でまこと...
耳慣れない〈永久薬〉という単語に、とまどう様子のルイズ...
才人が横からのぞきこむ。読んであげるから顔をひっこめな...
「王の森の〈永久薬〉。千年前に、有能な錬金術師ゆえアルビ...
「〈永久薬〉の効果は、これを投与された物質を変質させ、効...
「最後に〈永久薬〉をみずからに使った『塔のメイジ』は、今...
ここまで読みあげて、ルイズはなにか言いたげに顔を上げた...
212 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
「〈永久薬〉の作り方は塔の秘奥であり、千年間、さまざまな...
ある者は無限に金をうみだそうと考え、杖に錬金の魔法をか...
その杖は触れるものを際限なく金に変え、持ち主をまず金塊...
……アニエス。これらのヨタ話が、先の事件と関係あるの?」
「怪しいことは何でも調べておきたい。
とにかく、先年の事件では大量の資金が動いたのだ。武器を...
それにもかかわらず、トリステインやゲルマニア内部で資金...
潜在敵国であるガリアの陰謀と考えられなくもないが、もっ...
半眼になったルイズに、至極まじめに答えるアニエスだった。
「この領地に、ほかに妙なことがないではないのだ。
現アルビオン政府によると、この館の主は『王の森の警備』...
「それはさっき話に出たマーク・レンデルというならず者のた...
船団をつかって盗賊を追いつめるなら、監督官としての公務...
「平民の盗賊団だ。それにフネまでを使い、長い期間をへても...
……クリザリング卿はフネの一部を交易に使っている。
政府から支給された風石を横領して動力費を浮かせているの...
それでも、どこか妙な気がする」
「……わかったわよ。とにかく一緒に行きましょう」
そうアニエスに告げたルイズは、ふとアンリエッタを見た。
ルイズとアニエスが話していた間、女王と才人はほとんど発...
久しぶりに会った二人はたがいに軽く横を向き、卓をはさん...
ルイズの目がすっと細まった。
そういえばこちらの問題もあったのである。再戦うんぬん。
まあこの二人なに意識しちゃってんのかしらふふふ、と全く...
とりあえず気晴らしに卓の下で才人の足をぐりっと踏み、小...
「アニエス、それでいつ行くの?」
「今から」
「ちょ、ちょっと待って! 急すぎない!? 夜になっちゃうわ...
213 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
「陛下を筆頭に、王宮の者はだれもかれも忙しいんだ。時間を...
銃士隊が同行するから安心しろ」
ここで、アンリエッタが反応した。
「メイジも付けましょう。近衛隊を割いて連れて行きなさい、...
それと少し席をはずしてくれないかしら。ルイズと少し話し...
メイジがあまり好きではないアニエスは嬉しそうではなかっ...
才人もこれまた軽くうなずいて席を立つ。
アンリエッタに二人だけの話をもちかけられ、淡々どころで...
…………………………
………………
……
「クリザリング卿の求婚をどう思いますか、ルイズ?」
二人が去った後、アンリエッタは開口一番、謹厳な声でそう...
アホ使い魔の話が飛び出すかもしれない、とルイズは戦々恐...
それを隠すように自分自身も姿勢をただし、誠実な臣下の顔...
「問題外ですわ。たかが一代官の身分で、あのような場での求...
アンリエッタはうなずいた。こちらも政治家をこころがけよ...
二人は、なにもクリザリング卿が、女王にくらべて低い身分...
ただ、求婚という時点で、ことは「公」に属するものに切り...
身分。公式的に相手を選ぶとすれば、アンリエッタの身分に...
王族の結婚とは、相手の身分と家格が高いことを最低限の基...
「実はさきに枢機卿やラ・トゥール卿とも話したのよ。クリザ...
あの船団や港が手に入ること、さらにアカデミーの英才であ...
はっきりした声でアンリエッタはそう言った。
椅子から立ち上がり、窓辺によって山の稜線を見つめる。そ...
政治的な思考にほとほと疲れているのか、アンリエッタの背...
「それがクリザリング卿にわかっていないはずはないのに……
なぜ彼は、あのような行動をとったのかしら」
214 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
なにを目的とするか。どんな利益があるのか。
むろん彼女と結婚した場合、相手にはいくらでも利益がある...
である以上、アンリエッタと結婚できるものならば、国内国...
……が、この場合はそこが焦点ではない。
ルイズに言ったとおり、即答せず返事を保留しているといっ...
この話がもれれば、彼は世人から常識知らずとして失笑を買...
「クリザリング卿が明言したわけではないけれど、求婚を断っ...
でもラ・トゥール伯爵は、船団と港を簡単にあきらめたくは...
クリザリング卿との提携が失敗しても、王家としてはラ・ト...
マザリーニの言うとおり、今は王家もまだ苦しいですし……」
遠くを見ながらつぶやいているアンリエッタを、ルイズはど...
どうしても、この人は政治的な呪縛から逃れられないだろう...
「……あの、姫さま、わたしに話って、それだけなのですか?」
ルイズの気遣うような声に、アンリエッタは穏やかにふりむ...
幼なじみを見る目に、どう切り出したらいいものか悩む色が...
ルイズは身を硬くした。まさか。
「ルイズ、サイト殿のことだけれど」
来た。
ルイズの目に警戒が浮かぶのを見て、アンリエッタは落ち着...
「いえ、あの、誤解しないでね。
わたくし、あなたたちの間に今さら入ろうとは思っていない...
「……え? でも、先の事件のときにおっしゃったことは」
「あれはあれで、本心だと思うの。たしかに……あの事件のとき...
彼にあんなことまでしておいて今さらだけど、ごめんなさい。
けれど、その、『再戦』は、何といえばいいのか、わたくし...
アンリエッタはもじもじと、前で組み合わせた手の指先を動...
なぜかルイズには、説明されずとも彼女の心情がわかった。
不意にこみあげたのは、同情の念だった。臣下が王に示すの...
215 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
「姫さま、わかりました。申し訳ありません。軽々しくあのよ...
結婚さえ政治的に決めることを求められるアンリエッタが、...
それでも才人が誰のものかはっきり定まっていなかったなら...
土俵に上がることをしりごみしたアンリエッタと、これ以上...
両者ともに悄然と肩を落として沈黙をつづけていた。
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「塔の探索隊はこんなものか。これだけ見える人数がいれば、...
陛下の護衛はラ・トゥールの同行した警備兵に任せることに...
だが念のため、陛下のおそばには護衛としてサイトを置いて...
アニエスに説明されながら、ルイズは館の廊下を歩く。
才人をアンリエッタの護衛に残すという点でやや眉をうごか...
「出かける前に、クリザリング卿に念のため通告しておこう。...
館の主の部屋の前でたちどまり、アニエスはノックして返事...
その青年は、昼時にみずからが起こした騒ぎなど忘れたよう...
まぶたを閉じたまま、その唇のみが動いて言葉をつむぐ。
「用は」
「ああ、これから森中の塔に行く。あの塔を開くつもりだが、...
「好きにするがいいさ」
どうでもよさそうな声。アニエスは眉をひそめて問いかけた。
「あの塔のなかに何があるのか、訊いてよいか?」
「狂気と、歳月そのものが」
「……思わせぶりなことを聞きたいのではない。具体的にはなに...
「〈永久薬〉を作るための施設だから、そのための設備がある...
216 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
恬淡とした態度でいきなり直球を投げられて、精神的にたた...
「言っておくが、〈永久薬〉のことを話してやる気にはまった...
「……ああ! そうさせてもらおう」
わけのわからない対応をされ、アニエスが険悪な声を出す。...
「クリザリング卿、わたしもいいかしら。なんで陛下に求婚し...
彼女も直球を投げた。
森林監督官はかすかに目をあけてルイズを見、薄ぼんやりと...
そのまま語りだす。
「ウォルター・クリザリングの父親が死に、アカデミーからこ...
アルビオン王家のプリンス・ウェールズに随従した多くの臣...
クリザリングの独白を聞いてルイズは、違和感と驚きを感じ...
違和感は、自分のことを第三者のように語ったこと。
驚きは、その園遊会は彼女らの主君にも深く関係があったか...
トリステイン王家主催の大園遊会で、十四歳のアンリエッタ...
(姫さまはお綺麗だもの、ウェールズさまの他にもあの方に懸想...
「クリザリングはそこでトリステインの姫君を見た。
真昼の月かと思うほど、真珠のように白かった。歩みさえ踊...
クリザリングはこの領地に戻ると、アカデミーに寄稿するつ...
内容はまぎれもなく愛を語っているはずだったが、それは異...
それきり口をつぐんだクリザリングに、ややあってアニエス...
「行くぞ」とルイズにうながしながら、最後に一つとばかり...
「マーク・レンデルなる無法者を、なぜ長くのさばらせておく...
「あれは以前はわが配下で、森番の筆頭だった。よく森を知っ...
目をまたつぶったクリザリング卿は、今度はまぶたを持ち上...
もうしゃべる気はないと見て取った二人は、彼を静寂ととも...
217 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
…………………………
………………
……
「おまえか」
ウォルター・クリザリングと周囲に呼ばれている青年は、目...
一羽の緑色の小鳥が、窓辺でrot! rot! と鳴いている。
辟易したように彼はつぶやいた。
「遊びまわるのも大概にするがいい。正直、アルビオンに腰を...
おまえが下界で起こした、去年の愚かな騒ぎを許容する気は...
小鳥が沈黙して首をひねる。青年はその黒い目の奥を見る。
小鳥の目をとおしてこちらを見ているはずの者の、悪意と嘲...
「あの求婚を見ていたのか? あれこそ狂気と笑うのか? あ...
おまえの言うとおり、〈永久薬〉の名など幻想だ。どのみち...
人生とやらには倦じ果てた。ラ・トゥール、あの商人貴族の...
息をついで、彼は言う。
「だから思い残しのないように、すべてのことを片づけようと...
さきほど向かったあの女たちにしろ、無駄骨に終わるのみだ...
知ってのとおりアルビオン王が消えた今、クリザリング家の...
その小鳥が、首をかしげていた。その目が小さなブドウほど...
舌打ちをして、青年は目をあわせてやった。
吐き気をともなう感覚の衝撃が来る。ガラスの微細な破片が...
直接脳に投影される映像を、見る。
さきほども見た桃色の髪があった。
そのまま、相手の見せたいものを見せられ続ける。
218 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
青年は、いつのまにか椅子から立ち上がっていた。
血相が変わっている。
「……虚無の魔法だというのか? ああ、そんなものもこの世に...
その映像、たしかに本物だろうな? おまえがよくやるよう...
本物だとしたら、たしかに不安だな。万が一にも塔が暴かれ...
では、狂いの境地を楽しむのも終わりにしよう。念に念を入...
飛び立つ小鳥に目もくれず、青年は部屋の隅に歩き、巨大な...
なかからうなり声と腐った血の臭いとともに出てきたそれは...
「ウォルター・クリザリング」は無造作に命令した。
「塔に行く者たちを襲え。館からじゅうぶんに離れてから仕留...
この部屋に先ほど来た少女、この部屋に満ちるにおいの持ち...
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数刻後。冒頭のルイズたちの苦難と同時刻、館。
晩餐。
アンリエッタは食卓の上座で、ラ・トゥールの秘書官に注が...
料理には合っていないが。
クリザリング卿はテーブルの向かい側でつつましやかに、マ...
昼時の、彼の常識を超えた求婚によって、このアルビオン貴...
つまり周囲は、この何を考えているかわからない男を、とり...
アンリエッタにしてもラ・トゥールにしても、いずれ彼とは...
ラ・トゥールはアンリエッタの右手側の席に座り、ワイング...
ワインの給仕役をつとめる秘書官は、アンリエッタが小さめ...
あまり食欲はなかった。
いささかワインのまわった頭で、アンリエッタは広間の隅で...
才人は赤茶けた煉瓦の壁の前で、手を後ろにくんで佇立して...
アンリエッタはグラスを手に、その姿をぼうっと見つめた。...
(ルイズのことを心配しているのかしら)
219 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
たぶんそうだろう。多くの近衛兵がついており問題はないは...
ワインをあおりながらなんとなく少年を見るアンリエッタの...
「……いまとなっては河川都市のいずれも、私がみずからの裁量...
数月前、わが都市トライェクトゥムの参事会が、正当な都市...
トライェクトゥムは河川都市の盟主のようなものですから、...
「ほう、トライェクトゥムにとっても河川都市全体にとっても...
しかし並々ならぬご苦労もされておいでと思いますが。交易...
「ええ、もちろん中には、少数ですが不満な者がおります。か...
ですが、それを打破して新たな貿易路線を開拓することは、...
……いや、失礼、熱が入ってしまいました。晩餐でなんとも野...
「いやいや、実に興味ぶかい。陛下にとっても多くを学べるい...
「ええ、はい、興味ぶかいお話でした」
うわの空で返事するアンリエッタを、マザリーニが呆れた目...
それにも反応せず、少女はグラスをちびりとかたむけてから...
(心配ないわよ、ルイズ。
サイト殿は、あなたのことだけが大事なのだから。
少し離れても心配するほど、本当にあなたが大事なのだから)
…………………………
………………
……
晩餐のあと。アンリエッタにあてがわれた寝室。
まだ日没からそう間もなく、早い時刻だったが、故国を離れ...
彼女はすぐに休むつもりだった。
召使の女が入ってきて、寝室の暖炉の火をかき消した。
残った熾火のみが、暗い室内に赤い光をもたらしている。退...
腰帯がついた、裾がレースになった薄絹の肌着のみの姿で、...
アルコールの余韻にたゆたいながら、アンリエッタはもう一...
(クリザリング卿はどうして、わたくしに求婚したのかしら。
そもそも、あれは本気なのかしら)
220 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
クリザリング卿が自分を見たときの顔を思い浮かべる。
わからない。ただ勘ながら、あれはまるきりの冗談ではない...
かといって、身分違いも気にしないという真摯な想いを寄せ...
布のうえでしどけなく寝返りをうつ。
人目を考えず自由に恋愛する権利など、王族に生まれたとき...
互いに想い、身分と家格がつりあってさえ結ばれなかった。
彼女がはじめて想いを寄せた相手は、このアルビオンの皇太...
夜の影のなか、熾火がくすぶる暖炉。寝台のうえで、少女は...
指にはめた風のルビーは、今夜はいまだ外していない。
この空の上の白の国、彼女のかつての想い人がいたアルビオ...
(あなたはここの王になるはずでした、そしてわたくしはゲルマ...
運命は烈風となって、その未来は羽毛のように吹き散らされ...
「国のために嫁ぐ」ことを当然と育てられ、実際にゲルマニ...
子供の盲目的な恋だったかもしれない。それでも子供なりに...
自由を奪われていく姫としての暮らしの中、それだけを夢見...
つくろっていた愚かさをさらけ出すほどに。
ウェールズの亡霊が現れたとき、彼が死者だとわかっていな...
夢は砕けた。当たり前のように叶わず、無残な形で終わった。
アンリエッタはぼんやりと爪を噛む。
(焦がれて狂って、残ったものは……みじめさと悔恨と、罪だけだ...
まもなく嫁ぐはずだったアンリエッタが、危険をおかして亡...
そして最後の瞬間に、彼は愛を誓ってくれなかった。彼女に...
それらはたぶん、彼の優しさというべきなのだろうけれども。
それでも、アンリエッタの抱いた愁傷は、その瞬間を思い返...
せめて心が添えていたなら、夜毎に自分はこうも寂しさを覚...
わからない。ただ、冷えて乾いた暗黒が胸にあるのは確かだ...
221 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
後になって、それを埋めてくれる相手がいるかもしれない、...
自分を叱咤して止めてくれた『使い魔さん』のことを考えて...
一度あきらめたはずだったけれど、先の秋にまた心を燃えた...
(サイト殿のことはもう考えてはだめ、忘れなくては)
どのみち、それも叶うことはないのだから。これが恋である...
彼女なりに、この冬のあいだ考えていたことだった。
どうせ終わるのなら、傷が浅いうちに、いま自分の意思では...
だから今日ルイズにちゃんと言ったのだった、張り合うつも...
ただ救いとしては、しばらく続いたルイズとの気まずさもこ...
それなのに、ゆっくり冷えていく部屋の夜気の中、少しずつ...
彼は今夜、すぐ近くにいるのだ。
思い浮かべてしまう。黒い髪の毛、黒い瞳。
ぶっきらぼうな優しさ。
時折ルイズに向ける深い愛情のまなざし。
彼はいま、この部屋と廊下をはさんで反対側の部屋に寝てい...
彼はどんな夢を見るのだろう。それともルイズのことを気に...
想像するぶんだけ、独り寝の寂しさがますますつのり、まど...
(……なにか、おかしくないかしら?)
妙だった。アンリエッタはベッドから身を起こした。
どこかに違和感がある。あの少年のことが、頭からまったく...
首をふってまぶたを押さえようとしたとき、どくりと胸が強...
気がつくとふらふらと立ち上がり、部屋を出て心の命じると...
われに返り、女王ははっと顔色をかえてその手をはなす。
まさか、と思った瞬間に、胸の中で予兆のあったなにかがは...
呼吸が荒くせわしなくなり、体温が熱くなっていく。
よろめいて心臓をおさえるように胸元をつかんでから、アン...
大して多くもなく、侍従が念のために携帯させるそれには、...
222 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
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夢うつつに、起きてサイト殿、と呼びかけられたような気が...
「……んにゃ?」
体をゆすぶられ、寝ぼけまなこで才人はベッドから上体を起...
暗い部屋の中。ベッドの上、起き上がった彼の目の前に、や...
おもわず声をあげようとして、才人は口を温かい手のひらで...
どこか重苦しい声で、その人影はささやいた。
「わたくしです、静かに」
「ひ、姫さま?」
何だってまた。才人はそう問おうとして気づいた。アンリエ...
彼女はベッドから離れ、ベランダに出るガラス窓のそばに立...
月光の中で振り向きながら、肌着にガウンをまとったのみの...
「毒の類を盛られました。おそらく晩餐のときに」
一瞬で目が覚め、才人ははね起きた。血相を変えた彼の様子...
「だいじょうぶ、解毒薬は服用しました。さいわいにも即効性...
いまはまだ正直、気分がすぐれませんが、じきに良くなるで...
それに、正確には毒というわけではなかったので……いえ、と...
よくわからず、才人はとまどった声でたずねた。
「毒ではない?」
「ええ、ですが善意の産物とはとても言えません。
聞いてください、サイト殿。ルイズやアニエスたちを即刻呼...
アンリエッタの言葉が終わらぬうちに、突然の轟音が夜を裂...
息をのんだ二人が一呼吸置く間もなく、窓の外から銃声と、...
アンリエッタがよろめくように後じさって窓から離れた。
223 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
廊下のほうからも何者かの叫びが聞こえた。
才人はとっさにベッドから降り、靴をはくのもそこそこにド...
何故そうしたのか、自分でも明確な説明はできなかったが、...
才人がドアから離れないうちに、廊下を走ってくる音が聞こ...
すぐに音をたててノブが回され、つづいてドアが外から激し...
才人はドアから距離をとる。入ってこようとしている外の誰...
返事はなく、唐突にドアが体当たりをされたように激しく揺...
堅い樫のドアが内側にややゆがんだのを見て、(魔法をぶつけ...
愕然と立ち尽くしているアンリエッタを振り向き、才人は「...
アンリエッタが信じられないとばかりに首をふる。
「このような……こんな大胆な真似をするなんて。以前とは違う...
領主は平民の共和主義者と違い、多くは領地から離れられな...
「これがラ・トゥール伯爵、クリザリング卿のいずれが起こし...
今この館では、アンリエッタ以外ではその二人しか、まとも...
女王の護衛の多くが出はらっている今、外の戦闘はおそらく...
才人は深く考えることは避け、早口でせっついた。
「そこは俺にだってわかりませんよ。相手が誰でもいまはとに...
館を出て、速やかにアニエスたちのあとを追い、合流する。...
才人は身をひるがえしてベッド枕元のデルフリンガーをつか...
ガラス窓をあけベランダに出て、アンリエッタに「魔法で飛...
ベランダの白木の桟、すこし離れた箇所に飛来した炎の玉が...
同時に背後で、くりかえし魔法をぶつけられていた部屋のド...
やべえ猶予がねえ、と青くなった才人は、とっさにアンリエ...
ほっそりした柔らかい体が腕のなかで驚きにこわばるのも、...
ガンダールヴの身体能力を発揮して、さっさと下に飛び降り...
224 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
昼のようにあかるい月光に照らされた館の庭では、どちらが...
開始から数分もたたないというのに、炎と矢と叫喚が溢れは...
それをまわりこんで避け、ひたすら離れるように、才人は森...
ガンダールヴの力を出すため、アンリエッタを両腕でかかえ...
館をとりまくブナの森に逃げこむことには成功した。
ほんの少しでも怒号ひびく戦場から遠ざかるべく、暗い森の...
「お、おろしてくださいまし」と腕の中から妙にかぼそい声...
居心地悪そうに才人の胸でちぢまっているアンリエッタが、...
それが少しずつ熱っぽく朦朧とした顔になっていくが、闇の...
…………………………
………………
……
長くガンダールヴの力を使うわけにもいかず、けっきょく才...
うなだれたブナの枝がときおり顔に当たり、夜露でぬれる。
青寂びた月光が木の葉のあいだから洩れている。それが夜風...
「サイト殿、待って、待って、わたくし……!」
アンリエッタがその声とともに、よろめくように極端に遅く...
少々ばてるのが早いなと思うが、疲れるのは無理もない。と...
足を止めたのは、木々のひらけた森中の空き地だった。月と...
「姫さま、失礼しました。でも、やっぱり今は急がなきゃ。
それで、ルイズたちの向かった場所ですけど」
デルフリンガーをおさめ、葉の露と汗でぬれた額を服の袖で...
アンリエッタの様子が妙である。
走っていたときからであろうが、寒さとは別の種類の震えが...
「……姫さま?」
大きく胸を上下させ、白い呼気が荒いのは走ったためとして...
月明のなか、わずかに伏せられた少女の瞳がうるんでいるの...
そのあえぐように薄く開いている唇が震え、「もうだめ」と...
「姫さま? どうし――」
225 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
才人の声は途中で封じられた。問いを発しかけた口ごとふさ...
倒れこむように少年の胸にすがりついたアンリエッタが、の...
才人が目を白黒させている間に、唇が一度離される。
「ちょ、何、」
才人がテンパった声を出せたのはつかの間、すぐまた湿った...
アンリエッタの体、唇と吐息。すべてが熱く柔らかく激しい。
露にしめった栗色の髪からただよう良い匂い。
華奢な身体でもぐいぐいと押しつけられると、才人までよろ...
ななめにかしいだ大きな倒木にぶつかり、背をあずける。そ...
冷たい地面に尻をつけて座りこんだ才人に、抱きついたまま...
「ちょっと――ちょっと待った! なんなんです一体……むぐ」
パニックになりかけたところでひときわ深く唇を重ねられる。
かえって閃くものがあった。唐突な錯乱、盛られたという毒...
ま、まさか、とアンリエッタの肩をつかんで離しながら問い...
「盛られたのって……『惚れ薬』のたぐい?」
その問いに、アンリエッタはうるんだ目を伏せて荒い息をつ...
マジかよおい、と才人はうめいた。
たいがいろくでもない結果しか生まないあの薬の仲間に、ま...
「待ってください、解毒薬をのんだのでは?」
「のみました! のんだ、のに……おかしいのです、どんどんぶ...
ほとんど唇がふれあう距離で、ささやきを交わす。
苦しげな熱っぽい声。月光でさえわかるほど、アンリエッタ...
原因がわかっても、対処法がわからない。
才人がアンリエッタの肩をつかんだまま固まっているうちに...
「ちょっ、待て姫さま待ったストップ、しっかり気を持って!」
「ち、違います、服の下に解毒薬が!
ああもう、背中側にまわって……!」
226 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
万が一のために、とっさに万能解毒薬をアンリエッタは懐に...
その肌着はサッシュベルトで腰のあたりを締める様式なので...
どのみち胸元の紐か腰の帯かをほどかねばならないのである。
「サ、サイト殿、取り出してください」
至近距離でそう言われ、才人は絶句した。
つまりなにか。えり元から背中に手を突っこんで解毒薬を取...
あ、う、とうめいて逡巡する才人に、とうとうアンリエッタ...
「はやくして、わたくしに意思があるうちに早くして!」
やむをえず、才人はアンリエッタの暗紫色の絹ガウンを取り...
すがるように才人のマントの前をつかみ、かぼそく震えてい...
その声と、汗で蒸れた素肌の温かくすべやかな感触に、才人...
「え、えっと、あれ? あ、腰帯のあたりまで落ちてるのか……」
肌着に腕までを突っこむと、少女の身体がびくんとはねた。
「あっ、くっ、くすぐらないで!」
くすぐってねえよ妙な声を出すなよ、と才人はますます動揺...
頭をうつむけて、もぞもぞと背中で動く才人の手に耐えてい...
「……あ……ぁ…………」
227 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
聞くな俺聞くな、と少年は腕を深くまで進めてまさぐりなが...
「……やっぱり、……だめ……」
ふと、アンリエッタの顔が上げられた。
才人はぞくりとした。自分を見つめる少女の目の奥、異様な...
何を言うひまもなく、また首に腕をまわされて唇を奪われる...
待ておい何だこの状況、と才人はその舌を自分の舌で必死で...
湿った微風と木漏れる月光が混ざった森の中。冷たい泥の上...
この状況下で混乱しかけていた才人が気づかなかったのは、...
夜風を切って矢が飛んだ。それは二人の近くの木に突き立ち...
はっとして顔を起こした才人に、「動くなよ」と今度は上方...
「獣の待ち伏せに、妙なものがかかったな。数人がおまえたち...
といっても、どうやらおまえたちは我々の敵ではないと思え...
「誰だよ、あんたら?」
才人は剣を抜きかけた手をそのままに、そうたずねた。
頭上から身をおどらせた人影が、地面に降り立った。
中肉中背の、小太りの農夫のような風貌をしたその男は、あ...
「どうも。マーク・レンデルだ」
終了行:
202 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
夕日が山の端に最後の片鱗をのぞかせている。落日の瞬間だ...
早春の冷たい夜露がおりはじめた、アルビオンの緑豊かな森...
銃口から立ちのぼった硝煙の臭いと、いまも絶叫とともにま...
空き地の中にそびえる白い塔の番人は、爪と歯をもって、み...
空堀をわたり、塔へとつづく橋の上。そこで捕らえられて、...
それはおぞましいことにまだ続いている。
「アニエス……」
怯えからくるおののきを隠せないルイズの声に、アニエスは...
「けっして他の者から離れるなよ。あいつは速いし、飛ぶぞ」
それはルイズとおなじく戦慄している、自分と他全員の近衛...
ルイズを背にかばったまま、アニエスは後ずさりした。眼前...
その魔法人形(ガーゴイル)の姿は、人の頭に双の乳房、ライ...
「幻獣スフィンクスの人形か、人食いの魔獣を模した人形が番...
何をしている、次弾装填!」
マンティコア隊などのメイジ近衛兵とともに、蒼白になって...
その腕をルイズがつかむ。
「一度もどって、態勢を立て直したほうがいいわよ!
さっきの一斉射撃でもほとんど外れたし、当たっても効かな...
魔法もかわされた。何発かは命中したはずだが、銃弾のとき...
「わかっている、だがあれが夢中になっている今なら――」
唐突に悲鳴が絶えた。
絶息した犠牲者の腹から、血まみれの顔をそのスフィンクス...
アニエスはわれ知らず固唾を呑んだ。その獣の鋭い爪は、も...
髪がなくのっぺりとした頭部。血でよごれてわかりにくいが...
ちくしょうと呻き、アニエスはルイズに背中を向けたまま言...
「……逃げてすぐに館に戻るぞ、陛下が危ないかもしれん」
その言葉に衝撃を受けたのか、ルイズの声が高くなる。
「どういうこと!?」
203 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
「あの森林監督官、『王の森』にこんな怪物がいることを黙っ...
その意味にかぎり、サイトを館に残してきたのは正解だった...
背後でルイズがあいまいな表情でうなずく。
それを見てはいないが、アニエスは続けて激した言葉を吐い...
「ウォルター・クリザリングを締めあげてやる! 隠していた...
スフィンクスの四肢が動いた。
静かに悠然と、犠牲者をまたいで橋の上を歩いてくる。威嚇...
夕闇は青から藍にかわりつつある。それが黒に塗りつぶされ...
こいつは死なない。銃弾を命中させても魔法で焼いても平然...
聞いた伝説のとおりなら、こいつを動かす『永久薬(エリクシル)』...
その塔のなかに入れないのだ。扉は、何かの力でかたく閉ざ...
……が、このとき異変が起きた。
ルイズがあっと声を上げ、歩み寄るスフィンクスのことも忘...
あれだけ押し引きしてもびくともしなかった塔の鉄の扉が、...
「あれなら入れ――」
その声が途中で止まったのは、開く扉の向こうで蠢くものた...
ミノタウロス、首のない巨人、大サソリ、大きな毒牙のある...
塔の番人たちは、開いた扉の向こうから、なだれ落ちるよう...
わずかでも食い止められるとは思えない。
「射撃用意やめ、総員退却。みんな走れ」
アニエスはどうにかそれだけつぶやき、身をひるがえすとル...
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204 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
話はさかのぼる。
その日の午前のうちに。
アンリエッタは船室の窓から、眼下の森を見おろした。
宝石をはめこんだ王冠。冬から春先用のラムズウールの白ド...
早春の正午前、浮遊大陸アルビオンの澄んだ冷たい空気。
晴れた空の中、森の上をゆく中型のフネ、その最上級の船室。
背後のマザリーニの話を聞きながら、ガラスのはめられた窓...
下の広大な森にはシラカバ、ブナやオークの木々がうっそう...
ここはかつてのアルビオン王家の猟場であり、直轄領であっ...
広大な森の一画に、ぽつんと小さな尖塔が立っている。アン...
が、緋毛氈の敷かれた船室の中央に立っているマザリーニが...
「この規模のフネは商船には最適ですな。このようなフネを十...
やはり彼の力を借りようというラ・トゥール卿の申し出は、...
今回のアルビオン行の出費にせよ、ラ・トゥールの懐に負う...
「最近は、お金の話ばかりですわね」
アンリエッタに嫌味のつもりはなかったが、不用意につぶや...
黒衣の痩せた宰相は表情を変えもしなかったが、気分をいた...
「陛下、王家の台所は、先年のレコン・キスタとの戦争のこと...
本来トリステインは小国なれど豊かな国です。が、国土の収...
ましてやこの冬、あなたが強引に着手した平民軍の創設は、...
さすがに先ほどの発言は不注意だったので、くどくどと続く...
アンリエッタはこっそり円形の窓に向かってため息をついた。
言われることはいちいちもっともなのだった。
問題になっているのは、彼女が新設した志願兵による平民の...
数ヶ月前の秋の事件では、敵も味方もメイジではなく平民が...
そこで王都にもどったアンリエッタは、ながらくメイジ中心...
財源が問題だったが、それは一つの策でどうにかなった。し...
マザリーニが咳払いした。
205 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
「それと陛下、貴族たちをこれ以上怒らせることは避けなけれ...
……『武器税』は、さすがにやりすぎでしたな」
「枢機卿、あなたも巡幸の直後、言ったでしょうに。
いつか諸侯たちの力をそぐ必要があると。いまのトリステイ...
武器税によって王軍は、諸侯の力の一部を自分のものと出来...
女王は顔をあげて、枢機卿に強い視線を向ける。
そこには彼女なりの正義感と、政治的な思慮が介在している。
先の巡幸で、みずからの領民を虐げていた貴族を彼女は見た...
王権を強化すること、諸侯の過ぎた力をそぐこと、平民の権...
それは同一の線上にあるのではないか。そうアンリエッタは...
「私が申しあげたのは、気づかれないようにじわじわと、とい...
あなたが発案し、強引な手続きをへてとつぜんに施行した武...
いまの枢機卿は政治家の顔をしていたが、内実は弟子にたい...
「税を払いたくない貴族は、あせって武器を売る。すると世に...
それを王家が安く買いあげ、新設軍の軍備にまわす……はは、...
――あなたはときに利口な手を思いつきますが、他者を出し抜...
諸侯から買った恨みは、この先どう不利に働くかわかりませ...
マザリーニの陰気な表情は、アンリエッタをそう叱咤してい...
女王はごく薄くルージュをひいてある唇をかみしめた。
(大貴族たちは多くの免税特権を持っているわ。度をこした贅沢...
もともと、潔癖なところのあるアンリエッタである【9巻】。
思いさだめた後は、行動が拙速といえるほど果敢になること...
「マザリーニ。わたくしはトリステインの女王ではないの? ...
それなのにいちいち彼らの機嫌をうかがわねば、民のために...
「……あなたの祖父、偉大なるフィリップ三世が玉座にゆるぎな...
ですがいまの世では、貴族たちの『長』の地位と思ったほう...
マザリーニは最後にそれをのみ言うと、口をつぐんだ。
206 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
…………………………
………………
……
ほどなくフネは『桟橋』の木【2巻】に停泊した。
まず部下たちが降り、アンリエッタとマザリーニは最後にタ...
彼女を待つ数十名の中、並んだ桃色の髪と黒い髪が視界には...
どきりとして、女王はルイズと才人から目をそらした。彼ら...
降り立ったそこは、すぐ館の庭である。
煉瓦のように切石を積みあげてつくった外壁が立派な、館と...
その二人の男が片ひざをついて、女王の来臨を丁重にむかえ...
トリステインの河川都市トライェクトゥムの領主にして市の...
尖った口ひげ、たくましい体にぴったりしたダブレットおよ...
野心家とのうわさに外見も合わせているかのようなこのトリ...
その横。
この館の主、アルビオンの『王の森』の森林監督官、ウォル...
年齢は三十代前半とのこと。やや繊弱ながら美男といってい...
二人とアンリエッタが形どおりの挨拶をかわした後、ラ・ト...
「陛下、このようなあわただしい日程になって申しわけありま...
「まさか。マルシヤック公爵に引き止められるまま、ロンディ...
今回は、形としてはトリステイン出身の代王マルシヤック公...
クリザリングの館に寄るのは、そのついでということになる...
「では陛下、昼食会をかねて本題に入ってもよろしゅうござい...
旅の疲れも癒えぬうちに急な話、お許しください」
ラ・トゥールは礼儀正しくはあったが、まるで自分の館のよ...
館の主、クリザリング卿はそれを気にするふうもなく、アン...
207 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
…………………………
………………
……
サクラソウの咲きほこる中庭には樫のテーブルがしつらえら...
アンリエッタはそれを一瞥した。
白ワインで蒸したらしきヒラメ。シャッドという魚を胡椒を...
(魚介類?)
クリザリング卿が召使たちに指示を飛ばしている間、ラ・ト...
あっけにとられているうちに、横向きにした樽の栓がぬかれ...
飲んでみるようにすすめられ、わけがわからないながらもア...
フルーティーな味。甘いさわやかな、新物の白ワインだった。
「……なるほど」
ふいに横で、マザリーニがつぶやいた。理解の光がその目に...
「空路の交易拡大、というわけか。
王家にもとめるのは、投資ですかな?」
ラ・トゥール伯爵が、満面の笑みを浮かべた。
「さすがに明晰でいらっしゃる。そのとおり。
ここにそろえた新鮮な海の魚介類、質がよい新しいワイン――...
この空の国に海はなく、塩漬けのニシンやタラを下界と交易...
またアルビオン人はワインを飲む習慣があまりなく【7巻】...
これもまた、原産地であるガリアやロマリアと通じる大規模...
よって、とラ・トゥールは続けた。列席者の大半は、何を言...
「空路交易により、これらの新鮮な商品を安くアルビオンの民...
この私、トライェクトゥムのアルマン・ド・ラ・トゥールは...
クリザリング卿の船団と港を借り、株式会社という形で空路...
その株主として王家も参画しませんか。数年で、元手の数倍...
王家に対し、対等の呼びかけという形。アンリエッタは媚び...
208 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
「王家が援助しない場合には?」
「やむをえませぬ。大貴族やほかの都市におもな株主となって...
ここでマザリーニが受けた。
「資金のことだけではない。いまのアルビオンのような各国の...
現アルビオン当局の認可が下りるかどうかさえ疑わしい」
「ええ、その場合は、トリステイン王家以外でどうにかしてく...
援助してくれなければ他国にこの話を持ちこむ。そう言った...
アンリエッタはマザリーニと顔を見合わせてわずかに首をか...
実のところ、これは試してみる価値のある話に聞こえた。す...
ラ・トゥールが強気に出ているのも、最初から弱気に出ると...
クリザリング卿が、話がどうでもよいかのような表情を浮か...
「クリザリング卿はどうなのでしょうか? この話において、...
たしか、わたくしたちがトリステインを出る前には、クリザ...
答えたのはラ・トゥールだった。
「むろんです。急な話ではありましたが、数日前に合意はすで...
ええと、アルビオン人ということで肩身が狭くてですな。彼...
われわれと組めば事業を拡大さえもできるというわけです。...
クリザリング卿が不遇という話に、アンリエッタは気まずい...
女王はじめトリステイン政府がアルビオン人を差別し、抑圧...
生粋のアルビオン人が階級を問わず、さまざまなところで忍...
結構です、とアンリエッタはうなずいた。
「では、王政府としてはこの話を真剣に考えさせていただき――」
「お待ちいただきたい、商談とは別に、手前には申しあぐるべ...
女王をさえぎったのは、クリザリング卿だった。本来はそれ...
大きな眼球でアンリエッタに粘つくような視線を送っていた...
209 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
「天地も人も照覧あれかし。火と水と土と風と虚無にかけて、...
手前ウォルター・クリザリングは、あなたに求婚します、ト...
中庭の誰もが絶句した。
アンリエッタは呆然と、目の前にひざまずいたその『王の森...
ひざまずく彼の背後ではラ・トゥールが目をむき、殴りつけ...
この男にとっても明らかに、これは想定外だったようである。
ところ狭しと食卓に並べられた魚料理は、誰にも手をつけら...
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「ただいま戻りました、陛下」
波乱の昼食会の後、数刻ばかり。
石の鈍色の壁、館の一室。
集っているのはアンリエッタとアニエス、それにルイズと才...
アニエスは革の手袋を脱ぎ、アンリエッタの机の横に直立し...
彼女はアンリエッタの船が到着する一足先、早朝にこの領地...
アンリエッタは調査から帰ってきた部下に、ほっとした顔を...
「ご苦労さまでした。やはり、なにか変わったことがありまし...
「はい。周辺地域でのうわさ話のとおり、ここはおかしなとこ...
われわれ銃士隊は朝から数時間『王の森』を歩きました。地...
その名が出たとき、女王がやや動揺した様子を見せた。ルイ...
アニエスが「陛下?」と不審そうに眉をよせる。
「いえ……気にしないで。報告を続けてください」
「では陛下、申し上げます。ラ・ヴァリエール殿の『虚無』の...
われわれは空の上から見た塔をさぐりました。
塔の扉は堅固に閉ざされていますが、錠らしきものが見当た...
210 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
あの塔だわ、とアンリエッタは一人ごちた。空の上から見た...
ルイズと才人も見ていたようで、のみこめた顔である。
その二人のうち主人のほうが、発言した。
「わたしの虚無で、その塔の扉をどうにかしようというわけ?」
「しかり。貴殿ならどうにかできるかもしれん」
「待って、アニエス。その前に、なぜそんなことをする必要が...
姫さ……陛下の思し召しであれば、むろん従うけれども」
アンリエッタとアニエスは顔を見合わせた。
「話していなかったの、アニエス?」
「……失念していました。忙しくて顔を合わせる機会がそうはな...
アニエスにぎろりとにらまれ、横からのルイズの視線もちょ...
前回の事件の余波で、傭兵隊長相手に彼とギーシュの作った...
大手柄を立てておきながら大ひんしゅくを買った彼らは、こ...
その冒険譚については……思い出したくもない。
(数ヶ月であれを一割返せたって、かなり奇跡的な話だと思うん...
才人の内心のぼやきをよそに、女性陣は目を見交わしあって...
「秋の事件にかかわる話なのです。あなたたちも当事者ですか...
アニエス、彼らにあらためて説明してください」
御意、と女王に頭を下げ、銃士隊長は二人に向きなおった。
「これまで事後経過を明かさなかったことは詫びよう。
先日、陛下を襲撃した者たちは死んでいるのだ。首謀格の八...
王都に護送する途中で、囚人用の竜車の中で奇怪な死をとげ...
淡々と語るアニエスに、わずかに息を呑んだルイズがまた質...
「奇怪な死、とは?」
211 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
「互いに首を絞めて殺しあった。または自死した。
最後に死んだらしき〈山羊〉だが、こいつは舌を噛み切り、...
ちなみに竜車には、頭も通らない明かり窓、それも鉄格子の...
この異様な話をはじめて聞かされた二人の表情はこわばった。
すでに報告は受けていたアンリエッタも、うそ寒い様子で机...
内輪の四人のみ集ったこの部屋の内部が、急に薄暗さを増し...
「だが、私は納得できん。あの襲撃に関する多くの情報が、や...
あれから数ヶ月だが、銃士隊は今なお調査にかかっている。...
武器の出所や敵兵の陳述内容、資金の流れを調べても、決定...
この際、関係がありそうなところを片端から探ることにした」
ルイズが話にうなずく。
上質の黒テン毛皮のマフを巻いた以外、いつもの魔法学院の...
こちらもいつものパーカーの上に、防寒のため冬用の騎士の...
「怪しげなところって、ここアルビオンだけど。なにか目星が...
「目星といえるほどはっきりしたものではない。正直に言うと...
各国の利害がからみあう地とはいえ、アルビオンはトリステ...
いくつか明らかになったことがある。まずここ『王の森』の...
「アニエス、それが? 盗賊みたいなあぶれ者って、わりとど...
「いや、話としてはここからが本命だ。
――〈永久薬(エリクシール)〉があるという、この森には。荒唐無稽...
その薬は『永遠』と『富』を生むという。周辺地域でまこと...
耳慣れない〈永久薬〉という単語に、とまどう様子のルイズ...
才人が横からのぞきこむ。読んであげるから顔をひっこめな...
「王の森の〈永久薬〉。千年前に、有能な錬金術師ゆえアルビ...
「〈永久薬〉の効果は、これを投与された物質を変質させ、効...
「最後に〈永久薬〉をみずからに使った『塔のメイジ』は、今...
ここまで読みあげて、ルイズはなにか言いたげに顔を上げた...
212 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
「〈永久薬〉の作り方は塔の秘奥であり、千年間、さまざまな...
ある者は無限に金をうみだそうと考え、杖に錬金の魔法をか...
その杖は触れるものを際限なく金に変え、持ち主をまず金塊...
……アニエス。これらのヨタ話が、先の事件と関係あるの?」
「怪しいことは何でも調べておきたい。
とにかく、先年の事件では大量の資金が動いたのだ。武器を...
それにもかかわらず、トリステインやゲルマニア内部で資金...
潜在敵国であるガリアの陰謀と考えられなくもないが、もっ...
半眼になったルイズに、至極まじめに答えるアニエスだった。
「この領地に、ほかに妙なことがないではないのだ。
現アルビオン政府によると、この館の主は『王の森の警備』...
「それはさっき話に出たマーク・レンデルというならず者のた...
船団をつかって盗賊を追いつめるなら、監督官としての公務...
「平民の盗賊団だ。それにフネまでを使い、長い期間をへても...
……クリザリング卿はフネの一部を交易に使っている。
政府から支給された風石を横領して動力費を浮かせているの...
それでも、どこか妙な気がする」
「……わかったわよ。とにかく一緒に行きましょう」
そうアニエスに告げたルイズは、ふとアンリエッタを見た。
ルイズとアニエスが話していた間、女王と才人はほとんど発...
久しぶりに会った二人はたがいに軽く横を向き、卓をはさん...
ルイズの目がすっと細まった。
そういえばこちらの問題もあったのである。再戦うんぬん。
まあこの二人なに意識しちゃってんのかしらふふふ、と全く...
とりあえず気晴らしに卓の下で才人の足をぐりっと踏み、小...
「アニエス、それでいつ行くの?」
「今から」
「ちょ、ちょっと待って! 急すぎない!? 夜になっちゃうわ...
213 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
「陛下を筆頭に、王宮の者はだれもかれも忙しいんだ。時間を...
銃士隊が同行するから安心しろ」
ここで、アンリエッタが反応した。
「メイジも付けましょう。近衛隊を割いて連れて行きなさい、...
それと少し席をはずしてくれないかしら。ルイズと少し話し...
メイジがあまり好きではないアニエスは嬉しそうではなかっ...
才人もこれまた軽くうなずいて席を立つ。
アンリエッタに二人だけの話をもちかけられ、淡々どころで...
…………………………
………………
……
「クリザリング卿の求婚をどう思いますか、ルイズ?」
二人が去った後、アンリエッタは開口一番、謹厳な声でそう...
アホ使い魔の話が飛び出すかもしれない、とルイズは戦々恐...
それを隠すように自分自身も姿勢をただし、誠実な臣下の顔...
「問題外ですわ。たかが一代官の身分で、あのような場での求...
アンリエッタはうなずいた。こちらも政治家をこころがけよ...
二人は、なにもクリザリング卿が、女王にくらべて低い身分...
ただ、求婚という時点で、ことは「公」に属するものに切り...
身分。公式的に相手を選ぶとすれば、アンリエッタの身分に...
王族の結婚とは、相手の身分と家格が高いことを最低限の基...
「実はさきに枢機卿やラ・トゥール卿とも話したのよ。クリザ...
あの船団や港が手に入ること、さらにアカデミーの英才であ...
はっきりした声でアンリエッタはそう言った。
椅子から立ち上がり、窓辺によって山の稜線を見つめる。そ...
政治的な思考にほとほと疲れているのか、アンリエッタの背...
「それがクリザリング卿にわかっていないはずはないのに……
なぜ彼は、あのような行動をとったのかしら」
214 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
なにを目的とするか。どんな利益があるのか。
むろん彼女と結婚した場合、相手にはいくらでも利益がある...
である以上、アンリエッタと結婚できるものならば、国内国...
……が、この場合はそこが焦点ではない。
ルイズに言ったとおり、即答せず返事を保留しているといっ...
この話がもれれば、彼は世人から常識知らずとして失笑を買...
「クリザリング卿が明言したわけではないけれど、求婚を断っ...
でもラ・トゥール伯爵は、船団と港を簡単にあきらめたくは...
クリザリング卿との提携が失敗しても、王家としてはラ・ト...
マザリーニの言うとおり、今は王家もまだ苦しいですし……」
遠くを見ながらつぶやいているアンリエッタを、ルイズはど...
どうしても、この人は政治的な呪縛から逃れられないだろう...
「……あの、姫さま、わたしに話って、それだけなのですか?」
ルイズの気遣うような声に、アンリエッタは穏やかにふりむ...
幼なじみを見る目に、どう切り出したらいいものか悩む色が...
ルイズは身を硬くした。まさか。
「ルイズ、サイト殿のことだけれど」
来た。
ルイズの目に警戒が浮かぶのを見て、アンリエッタは落ち着...
「いえ、あの、誤解しないでね。
わたくし、あなたたちの間に今さら入ろうとは思っていない...
「……え? でも、先の事件のときにおっしゃったことは」
「あれはあれで、本心だと思うの。たしかに……あの事件のとき...
彼にあんなことまでしておいて今さらだけど、ごめんなさい。
けれど、その、『再戦』は、何といえばいいのか、わたくし...
アンリエッタはもじもじと、前で組み合わせた手の指先を動...
なぜかルイズには、説明されずとも彼女の心情がわかった。
不意にこみあげたのは、同情の念だった。臣下が王に示すの...
215 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
「姫さま、わかりました。申し訳ありません。軽々しくあのよ...
結婚さえ政治的に決めることを求められるアンリエッタが、...
それでも才人が誰のものかはっきり定まっていなかったなら...
土俵に上がることをしりごみしたアンリエッタと、これ以上...
両者ともに悄然と肩を落として沈黙をつづけていた。
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「塔の探索隊はこんなものか。これだけ見える人数がいれば、...
陛下の護衛はラ・トゥールの同行した警備兵に任せることに...
だが念のため、陛下のおそばには護衛としてサイトを置いて...
アニエスに説明されながら、ルイズは館の廊下を歩く。
才人をアンリエッタの護衛に残すという点でやや眉をうごか...
「出かける前に、クリザリング卿に念のため通告しておこう。...
館の主の部屋の前でたちどまり、アニエスはノックして返事...
その青年は、昼時にみずからが起こした騒ぎなど忘れたよう...
まぶたを閉じたまま、その唇のみが動いて言葉をつむぐ。
「用は」
「ああ、これから森中の塔に行く。あの塔を開くつもりだが、...
「好きにするがいいさ」
どうでもよさそうな声。アニエスは眉をひそめて問いかけた。
「あの塔のなかに何があるのか、訊いてよいか?」
「狂気と、歳月そのものが」
「……思わせぶりなことを聞きたいのではない。具体的にはなに...
「〈永久薬〉を作るための施設だから、そのための設備がある...
216 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
恬淡とした態度でいきなり直球を投げられて、精神的にたた...
「言っておくが、〈永久薬〉のことを話してやる気にはまった...
「……ああ! そうさせてもらおう」
わけのわからない対応をされ、アニエスが険悪な声を出す。...
「クリザリング卿、わたしもいいかしら。なんで陛下に求婚し...
彼女も直球を投げた。
森林監督官はかすかに目をあけてルイズを見、薄ぼんやりと...
そのまま語りだす。
「ウォルター・クリザリングの父親が死に、アカデミーからこ...
アルビオン王家のプリンス・ウェールズに随従した多くの臣...
クリザリングの独白を聞いてルイズは、違和感と驚きを感じ...
違和感は、自分のことを第三者のように語ったこと。
驚きは、その園遊会は彼女らの主君にも深く関係があったか...
トリステイン王家主催の大園遊会で、十四歳のアンリエッタ...
(姫さまはお綺麗だもの、ウェールズさまの他にもあの方に懸想...
「クリザリングはそこでトリステインの姫君を見た。
真昼の月かと思うほど、真珠のように白かった。歩みさえ踊...
クリザリングはこの領地に戻ると、アカデミーに寄稿するつ...
内容はまぎれもなく愛を語っているはずだったが、それは異...
それきり口をつぐんだクリザリングに、ややあってアニエス...
「行くぞ」とルイズにうながしながら、最後に一つとばかり...
「マーク・レンデルなる無法者を、なぜ長くのさばらせておく...
「あれは以前はわが配下で、森番の筆頭だった。よく森を知っ...
目をまたつぶったクリザリング卿は、今度はまぶたを持ち上...
もうしゃべる気はないと見て取った二人は、彼を静寂ととも...
217 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
…………………………
………………
……
「おまえか」
ウォルター・クリザリングと周囲に呼ばれている青年は、目...
一羽の緑色の小鳥が、窓辺でrot! rot! と鳴いている。
辟易したように彼はつぶやいた。
「遊びまわるのも大概にするがいい。正直、アルビオンに腰を...
おまえが下界で起こした、去年の愚かな騒ぎを許容する気は...
小鳥が沈黙して首をひねる。青年はその黒い目の奥を見る。
小鳥の目をとおしてこちらを見ているはずの者の、悪意と嘲...
「あの求婚を見ていたのか? あれこそ狂気と笑うのか? あ...
おまえの言うとおり、〈永久薬〉の名など幻想だ。どのみち...
人生とやらには倦じ果てた。ラ・トゥール、あの商人貴族の...
息をついで、彼は言う。
「だから思い残しのないように、すべてのことを片づけようと...
さきほど向かったあの女たちにしろ、無駄骨に終わるのみだ...
知ってのとおりアルビオン王が消えた今、クリザリング家の...
その小鳥が、首をかしげていた。その目が小さなブドウほど...
舌打ちをして、青年は目をあわせてやった。
吐き気をともなう感覚の衝撃が来る。ガラスの微細な破片が...
直接脳に投影される映像を、見る。
さきほども見た桃色の髪があった。
そのまま、相手の見せたいものを見せられ続ける。
218 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
青年は、いつのまにか椅子から立ち上がっていた。
血相が変わっている。
「……虚無の魔法だというのか? ああ、そんなものもこの世に...
その映像、たしかに本物だろうな? おまえがよくやるよう...
本物だとしたら、たしかに不安だな。万が一にも塔が暴かれ...
では、狂いの境地を楽しむのも終わりにしよう。念に念を入...
飛び立つ小鳥に目もくれず、青年は部屋の隅に歩き、巨大な...
なかからうなり声と腐った血の臭いとともに出てきたそれは...
「ウォルター・クリザリング」は無造作に命令した。
「塔に行く者たちを襲え。館からじゅうぶんに離れてから仕留...
この部屋に先ほど来た少女、この部屋に満ちるにおいの持ち...
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数刻後。冒頭のルイズたちの苦難と同時刻、館。
晩餐。
アンリエッタは食卓の上座で、ラ・トゥールの秘書官に注が...
料理には合っていないが。
クリザリング卿はテーブルの向かい側でつつましやかに、マ...
昼時の、彼の常識を超えた求婚によって、このアルビオン貴...
つまり周囲は、この何を考えているかわからない男を、とり...
アンリエッタにしてもラ・トゥールにしても、いずれ彼とは...
ラ・トゥールはアンリエッタの右手側の席に座り、ワイング...
ワインの給仕役をつとめる秘書官は、アンリエッタが小さめ...
あまり食欲はなかった。
いささかワインのまわった頭で、アンリエッタは広間の隅で...
才人は赤茶けた煉瓦の壁の前で、手を後ろにくんで佇立して...
アンリエッタはグラスを手に、その姿をぼうっと見つめた。...
(ルイズのことを心配しているのかしら)
219 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
たぶんそうだろう。多くの近衛兵がついており問題はないは...
ワインをあおりながらなんとなく少年を見るアンリエッタの...
「……いまとなっては河川都市のいずれも、私がみずからの裁量...
数月前、わが都市トライェクトゥムの参事会が、正当な都市...
トライェクトゥムは河川都市の盟主のようなものですから、...
「ほう、トライェクトゥムにとっても河川都市全体にとっても...
しかし並々ならぬご苦労もされておいでと思いますが。交易...
「ええ、もちろん中には、少数ですが不満な者がおります。か...
ですが、それを打破して新たな貿易路線を開拓することは、...
……いや、失礼、熱が入ってしまいました。晩餐でなんとも野...
「いやいや、実に興味ぶかい。陛下にとっても多くを学べるい...
「ええ、はい、興味ぶかいお話でした」
うわの空で返事するアンリエッタを、マザリーニが呆れた目...
それにも反応せず、少女はグラスをちびりとかたむけてから...
(心配ないわよ、ルイズ。
サイト殿は、あなたのことだけが大事なのだから。
少し離れても心配するほど、本当にあなたが大事なのだから)
…………………………
………………
……
晩餐のあと。アンリエッタにあてがわれた寝室。
まだ日没からそう間もなく、早い時刻だったが、故国を離れ...
彼女はすぐに休むつもりだった。
召使の女が入ってきて、寝室の暖炉の火をかき消した。
残った熾火のみが、暗い室内に赤い光をもたらしている。退...
腰帯がついた、裾がレースになった薄絹の肌着のみの姿で、...
アルコールの余韻にたゆたいながら、アンリエッタはもう一...
(クリザリング卿はどうして、わたくしに求婚したのかしら。
そもそも、あれは本気なのかしら)
220 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
クリザリング卿が自分を見たときの顔を思い浮かべる。
わからない。ただ勘ながら、あれはまるきりの冗談ではない...
かといって、身分違いも気にしないという真摯な想いを寄せ...
布のうえでしどけなく寝返りをうつ。
人目を考えず自由に恋愛する権利など、王族に生まれたとき...
互いに想い、身分と家格がつりあってさえ結ばれなかった。
彼女がはじめて想いを寄せた相手は、このアルビオンの皇太...
夜の影のなか、熾火がくすぶる暖炉。寝台のうえで、少女は...
指にはめた風のルビーは、今夜はいまだ外していない。
この空の上の白の国、彼女のかつての想い人がいたアルビオ...
(あなたはここの王になるはずでした、そしてわたくしはゲルマ...
運命は烈風となって、その未来は羽毛のように吹き散らされ...
「国のために嫁ぐ」ことを当然と育てられ、実際にゲルマニ...
子供の盲目的な恋だったかもしれない。それでも子供なりに...
自由を奪われていく姫としての暮らしの中、それだけを夢見...
つくろっていた愚かさをさらけ出すほどに。
ウェールズの亡霊が現れたとき、彼が死者だとわかっていな...
夢は砕けた。当たり前のように叶わず、無残な形で終わった。
アンリエッタはぼんやりと爪を噛む。
(焦がれて狂って、残ったものは……みじめさと悔恨と、罪だけだ...
まもなく嫁ぐはずだったアンリエッタが、危険をおかして亡...
そして最後の瞬間に、彼は愛を誓ってくれなかった。彼女に...
それらはたぶん、彼の優しさというべきなのだろうけれども。
それでも、アンリエッタの抱いた愁傷は、その瞬間を思い返...
せめて心が添えていたなら、夜毎に自分はこうも寂しさを覚...
わからない。ただ、冷えて乾いた暗黒が胸にあるのは確かだ...
221 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
後になって、それを埋めてくれる相手がいるかもしれない、...
自分を叱咤して止めてくれた『使い魔さん』のことを考えて...
一度あきらめたはずだったけれど、先の秋にまた心を燃えた...
(サイト殿のことはもう考えてはだめ、忘れなくては)
どのみち、それも叶うことはないのだから。これが恋である...
彼女なりに、この冬のあいだ考えていたことだった。
どうせ終わるのなら、傷が浅いうちに、いま自分の意思では...
だから今日ルイズにちゃんと言ったのだった、張り合うつも...
ただ救いとしては、しばらく続いたルイズとの気まずさもこ...
それなのに、ゆっくり冷えていく部屋の夜気の中、少しずつ...
彼は今夜、すぐ近くにいるのだ。
思い浮かべてしまう。黒い髪の毛、黒い瞳。
ぶっきらぼうな優しさ。
時折ルイズに向ける深い愛情のまなざし。
彼はいま、この部屋と廊下をはさんで反対側の部屋に寝てい...
彼はどんな夢を見るのだろう。それともルイズのことを気に...
想像するぶんだけ、独り寝の寂しさがますますつのり、まど...
(……なにか、おかしくないかしら?)
妙だった。アンリエッタはベッドから身を起こした。
どこかに違和感がある。あの少年のことが、頭からまったく...
首をふってまぶたを押さえようとしたとき、どくりと胸が強...
気がつくとふらふらと立ち上がり、部屋を出て心の命じると...
われに返り、女王ははっと顔色をかえてその手をはなす。
まさか、と思った瞬間に、胸の中で予兆のあったなにかがは...
呼吸が荒くせわしなくなり、体温が熱くなっていく。
よろめいて心臓をおさえるように胸元をつかんでから、アン...
大して多くもなく、侍従が念のために携帯させるそれには、...
222 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
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夢うつつに、起きてサイト殿、と呼びかけられたような気が...
「……んにゃ?」
体をゆすぶられ、寝ぼけまなこで才人はベッドから上体を起...
暗い部屋の中。ベッドの上、起き上がった彼の目の前に、や...
おもわず声をあげようとして、才人は口を温かい手のひらで...
どこか重苦しい声で、その人影はささやいた。
「わたくしです、静かに」
「ひ、姫さま?」
何だってまた。才人はそう問おうとして気づいた。アンリエ...
彼女はベッドから離れ、ベランダに出るガラス窓のそばに立...
月光の中で振り向きながら、肌着にガウンをまとったのみの...
「毒の類を盛られました。おそらく晩餐のときに」
一瞬で目が覚め、才人ははね起きた。血相を変えた彼の様子...
「だいじょうぶ、解毒薬は服用しました。さいわいにも即効性...
いまはまだ正直、気分がすぐれませんが、じきに良くなるで...
それに、正確には毒というわけではなかったので……いえ、と...
よくわからず、才人はとまどった声でたずねた。
「毒ではない?」
「ええ、ですが善意の産物とはとても言えません。
聞いてください、サイト殿。ルイズやアニエスたちを即刻呼...
アンリエッタの言葉が終わらぬうちに、突然の轟音が夜を裂...
息をのんだ二人が一呼吸置く間もなく、窓の外から銃声と、...
アンリエッタがよろめくように後じさって窓から離れた。
223 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
廊下のほうからも何者かの叫びが聞こえた。
才人はとっさにベッドから降り、靴をはくのもそこそこにド...
何故そうしたのか、自分でも明確な説明はできなかったが、...
才人がドアから離れないうちに、廊下を走ってくる音が聞こ...
すぐに音をたててノブが回され、つづいてドアが外から激し...
才人はドアから距離をとる。入ってこようとしている外の誰...
返事はなく、唐突にドアが体当たりをされたように激しく揺...
堅い樫のドアが内側にややゆがんだのを見て、(魔法をぶつけ...
愕然と立ち尽くしているアンリエッタを振り向き、才人は「...
アンリエッタが信じられないとばかりに首をふる。
「このような……こんな大胆な真似をするなんて。以前とは違う...
領主は平民の共和主義者と違い、多くは領地から離れられな...
「これがラ・トゥール伯爵、クリザリング卿のいずれが起こし...
今この館では、アンリエッタ以外ではその二人しか、まとも...
女王の護衛の多くが出はらっている今、外の戦闘はおそらく...
才人は深く考えることは避け、早口でせっついた。
「そこは俺にだってわかりませんよ。相手が誰でもいまはとに...
館を出て、速やかにアニエスたちのあとを追い、合流する。...
才人は身をひるがえしてベッド枕元のデルフリンガーをつか...
ガラス窓をあけベランダに出て、アンリエッタに「魔法で飛...
ベランダの白木の桟、すこし離れた箇所に飛来した炎の玉が...
同時に背後で、くりかえし魔法をぶつけられていた部屋のド...
やべえ猶予がねえ、と青くなった才人は、とっさにアンリエ...
ほっそりした柔らかい体が腕のなかで驚きにこわばるのも、...
ガンダールヴの身体能力を発揮して、さっさと下に飛び降り...
224 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
昼のようにあかるい月光に照らされた館の庭では、どちらが...
開始から数分もたたないというのに、炎と矢と叫喚が溢れは...
それをまわりこんで避け、ひたすら離れるように、才人は森...
ガンダールヴの力を出すため、アンリエッタを両腕でかかえ...
館をとりまくブナの森に逃げこむことには成功した。
ほんの少しでも怒号ひびく戦場から遠ざかるべく、暗い森の...
「お、おろしてくださいまし」と腕の中から妙にかぼそい声...
居心地悪そうに才人の胸でちぢまっているアンリエッタが、...
それが少しずつ熱っぽく朦朧とした顔になっていくが、闇の...
…………………………
………………
……
長くガンダールヴの力を使うわけにもいかず、けっきょく才...
うなだれたブナの枝がときおり顔に当たり、夜露でぬれる。
青寂びた月光が木の葉のあいだから洩れている。それが夜風...
「サイト殿、待って、待って、わたくし……!」
アンリエッタがその声とともに、よろめくように極端に遅く...
少々ばてるのが早いなと思うが、疲れるのは無理もない。と...
足を止めたのは、木々のひらけた森中の空き地だった。月と...
「姫さま、失礼しました。でも、やっぱり今は急がなきゃ。
それで、ルイズたちの向かった場所ですけど」
デルフリンガーをおさめ、葉の露と汗でぬれた額を服の袖で...
アンリエッタの様子が妙である。
走っていたときからであろうが、寒さとは別の種類の震えが...
「……姫さま?」
大きく胸を上下させ、白い呼気が荒いのは走ったためとして...
月明のなか、わずかに伏せられた少女の瞳がうるんでいるの...
そのあえぐように薄く開いている唇が震え、「もうだめ」と...
「姫さま? どうし――」
225 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
才人の声は途中で封じられた。問いを発しかけた口ごとふさ...
倒れこむように少年の胸にすがりついたアンリエッタが、の...
才人が目を白黒させている間に、唇が一度離される。
「ちょ、何、」
才人がテンパった声を出せたのはつかの間、すぐまた湿った...
アンリエッタの体、唇と吐息。すべてが熱く柔らかく激しい。
露にしめった栗色の髪からただよう良い匂い。
華奢な身体でもぐいぐいと押しつけられると、才人までよろ...
ななめにかしいだ大きな倒木にぶつかり、背をあずける。そ...
冷たい地面に尻をつけて座りこんだ才人に、抱きついたまま...
「ちょっと――ちょっと待った! なんなんです一体……むぐ」
パニックになりかけたところでひときわ深く唇を重ねられる。
かえって閃くものがあった。唐突な錯乱、盛られたという毒...
ま、まさか、とアンリエッタの肩をつかんで離しながら問い...
「盛られたのって……『惚れ薬』のたぐい?」
その問いに、アンリエッタはうるんだ目を伏せて荒い息をつ...
マジかよおい、と才人はうめいた。
たいがいろくでもない結果しか生まないあの薬の仲間に、ま...
「待ってください、解毒薬をのんだのでは?」
「のみました! のんだ、のに……おかしいのです、どんどんぶ...
ほとんど唇がふれあう距離で、ささやきを交わす。
苦しげな熱っぽい声。月光でさえわかるほど、アンリエッタ...
原因がわかっても、対処法がわからない。
才人がアンリエッタの肩をつかんだまま固まっているうちに...
「ちょっ、待て姫さま待ったストップ、しっかり気を持って!」
「ち、違います、服の下に解毒薬が!
ああもう、背中側にまわって……!」
226 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
万が一のために、とっさに万能解毒薬をアンリエッタは懐に...
その肌着はサッシュベルトで腰のあたりを締める様式なので...
どのみち胸元の紐か腰の帯かをほどかねばならないのである。
「サ、サイト殿、取り出してください」
至近距離でそう言われ、才人は絶句した。
つまりなにか。えり元から背中に手を突っこんで解毒薬を取...
あ、う、とうめいて逡巡する才人に、とうとうアンリエッタ...
「はやくして、わたくしに意思があるうちに早くして!」
やむをえず、才人はアンリエッタの暗紫色の絹ガウンを取り...
すがるように才人のマントの前をつかみ、かぼそく震えてい...
その声と、汗で蒸れた素肌の温かくすべやかな感触に、才人...
「え、えっと、あれ? あ、腰帯のあたりまで落ちてるのか……」
肌着に腕までを突っこむと、少女の身体がびくんとはねた。
「あっ、くっ、くすぐらないで!」
くすぐってねえよ妙な声を出すなよ、と才人はますます動揺...
頭をうつむけて、もぞもぞと背中で動く才人の手に耐えてい...
「……あ……ぁ…………」
227 :黄金溶液〈上〉(白い百合の下で・3):2007/11/28(水) ...
聞くな俺聞くな、と少年は腕を深くまで進めてまさぐりなが...
「……やっぱり、……だめ……」
ふと、アンリエッタの顔が上げられた。
才人はぞくりとした。自分を見つめる少女の目の奥、異様な...
何を言うひまもなく、また首に腕をまわされて唇を奪われる...
待ておい何だこの状況、と才人はその舌を自分の舌で必死で...
湿った微風と木漏れる月光が混ざった森の中。冷たい泥の上...
この状況下で混乱しかけていた才人が気づかなかったのは、...
夜風を切って矢が飛んだ。それは二人の近くの木に突き立ち...
はっとして顔を起こした才人に、「動くなよ」と今度は上方...
「獣の待ち伏せに、妙なものがかかったな。数人がおまえたち...
といっても、どうやらおまえたちは我々の敵ではないと思え...
「誰だよ、あんたら?」
才人は剣を抜きかけた手をそのままに、そうたずねた。
頭上から身をおどらせた人影が、地面に降り立った。
中肉中背の、小太りの農夫のような風貌をしたその男は、あ...
「どうも。マーク・レンデルだ」
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