ゼロの使い魔保管庫
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71 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:18:33 ID:IGcxM+4w
塔の内部は、黄泉のように暗かった。空気がよどみ、窓もな...
陰鬱な暗影が空間をしめ、水滴の落ちるような音がどこかか...
どうやら螺旋をまいているらしき石の階段。終わりなく続く...
才人とアンリエッタはその急な階段をのぼる。
どんな仕かけか、のぼってゆくと壁のともし火が順繰りに灯...
おぼろな明かりの下で歩いていると、階段の横にある材質不...
立ち止まり壁に手をつきながら、アンリエッタは額に汗をに...
その壁がいやに温かい。まるで人肌のように。
見ると、壁の色は紫と赤紫のまだらだった。アンリエッタは...
(さっきは赤に見えたのに)
「大丈夫ですか?」
才人の声に、アンリエッタはやや硬い表情でうなずいた。
それから、たぶん才人も懸念しているだろうことを、問いの...
「サイト殿。この階段は、最上階に着くのでしょうか……?」
沈黙した才人も、顔がこわばっているのは同じである。
上りはじめて、それなりの時が経つのだ。
にもかかわらず今もなお、連綿と続く階段をひたすら上って...
塔の外貌から判断しても、こんなにも長く上りつづけて最上...
「……やっぱり扉を開けてみますか」
才人の提案に、アンリエッタは顔をしかめる。
階段の横にときおり存在している、木や鉄や石でできた無装...
そこで手が止まったのは、コンコンと向こう側からノックが...
代わりにドアによりかかっているらしき何かの笑い声と、そ...
本来は好奇心旺盛な才人が、そのドアを開けるのは即座に断...
……そんなこともあり、ドアには近寄りたくもない二人だった...
「わかりました、どこかを開けましょう」
72 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:18:59 ID:IGcxM+4w
注意して様子をうかがってから、とは言う必要もない。
また上りだしてほどなく現われた木のドアに、意を決して二...
開けて唖然とする。
横に階段と似たような陰々たる通路が続いていた。数メイル...
少し行ったところで通路の右手横側に、真鍮製のドアがある...
知らず才人の服の袖をにぎりながら、アンリエッタは震えた...
(空間がおかしいわ……)
背後のほうで大音響がした。叩きつけられるようにドアの閉...
飛び上がらんばかりにおどろき、背後を見る。
開け放していた階段への扉、と認識したとき、恐怖がこみあ...
誰かが閉めたとしか思えない音だったのだ。
すぐに幽寂がもどってきた。才人が固唾をのむ音が、通路に...
戻る気にならない。気配はないが、今曲がったばかりの角に...
デルフリンガーを抜いている才人が、不断の緊張で空気を張...
アンリエッタは真鍮製のドアに目をあてた。
才人がそれを見てとって、即座に反応する。
「……いっそ、そっちに入りますか」
ちょっと待ってください、とアンリエッタは額をおさえた。
自分は一刻も早く最上階に着いて、盛られた薬の効果を断ち...
しかし、この通路をこのまま進むのはひどくためらわれた。
けっきょく、通路に入って間もおかず、二つ目のドアを開け...
狭い通路の冥府じみた昏暗から一転して、そこはそれなりに...
埃のつもった大理石の白い床には雑然と書類や、フラスコや...
部屋の反対側にまた扉がある。
机のうえに置かれたランプの白い光が周囲を照らし、そして―...
「こりゃなんだよ?」
どうやら安全と見てとって、才人が後ろ手にドアをしめなが...
水銀のように張力が高そうなその黄金の液は、塵埃が上にか...
アンリエッタと才人が近寄ると、その表面がさざなみだった。
73 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:19:27 ID:IGcxM+4w
才人がためつすがめつそれを見ている横で、アンリエッタは...
ランプの置いてある机に乱雑にちらばった書類。
床の書類はふるび、変色してくずれかかっているものまであ...
その一枚、女物の銀の櫛が重しとして載せられている紙に意...
『侍従によると、食事は角羊のスープを好むという』
それはアンリエッタの好物である。【公式設定】
それを拾いあげ、少女は几帳面な文体の字に目をはしらせた。
『土壇場であのいまいましい侍従が値をつりあげた。王女の髪...
腹立たしいが、数週間続いた園遊会もまもなく終わる。それ...
背筋をなにかの予感がはしり、アンリエッタは紙面の年号を...
ブリミル暦六二三九年。
その後につづく日付を、息をのんで食いいるように見る。彼...
あわてて次の紙面を手に取るが、日付はすでに数ヶ月とんで...
『私には、詩吟の才も絵心もないようだ。狂おしの情をあらわ...
まして異国の姫君に会うような機会は、この先この領地にと...
管理などマークに任せて、さっさと出て行ってしまおうか。...
この忌々しい森を受け継がねばならなかったためにアカデミ...
クリザリング家の家督を要求するものがいるなら、この森と...
『耐え難い。幾度あきらめようとしたことか。寝てもさめても...
この想いが叶う見込みがないことなどよく分かっている。い...
この領地で、わずかなりと興味を引きそうなものなど他に無...
『塔の中は宝の山だ。これほどの知の結集はアカデミー以外に...
さまざまな計画が頭に浮かぶ。決心できたことがある。
やってみるだけやってみよう。どうせ誰にも迷惑をかけない...
『塔に入って半年になる。塔のメイジが遺した記述をすべて解...
塔の出入り口で選別されるからくりも、クリザリング家の血...
だが望みどおりの魔法人形(ガーゴイル)を作るために必要な血の...
そこまで読んでなぜか不吉を覚え、心音が大きくはねた。
74 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:19:59 ID:IGcxM+4w
『[人体の設計図]は家系によって構造が大きく決まるが、それ...
血というのは言葉の上のことで、設計図は血のみならず皮膚...
あのとき櫛を買っておいてよかった。
櫛にわずか数本のこっていた愛しき栗色の髪を使い、以下に...
「姫さま!」
切迫した才人の呼び声がひびき、アンリエッタは紙を手にし...
同時に、机のうえに小さな緑色の影がまいおりている。
剣をふりあげかけていた才人が、それを凝視したまま当惑の...
「鳥? なんでこんなところに」
アンリエッタもあぜんとそれを見つめる。見覚えのある鳥だ...
とうに内容が理解不能になっていた紙が、力のぬけた指から...
その緑色の小鳥は、小さな足でとびはねて机のはしに近寄り...
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闇はまだ紫色にわだかまっているが、朝が近くなってきたこ...
森の一味に先導された防護拠点は、谷だった。涸れた渓谷。
はるか昔の水蝕によって地層にうがたれた谷間。
橋はかかっておらず、断崖の一方から一方にわたるには、一...
断崖から谷底におり、反対側の断崖にのぼれるよう岩肌に彫...
「『王の森』中にはいくつかこのような場所がある。過去にア...
ここでは敵がいったん谷底におりて登ってこようとすれば、...
高所からの攻撃の効果は見てのとおりだ」
王軍が誘導されて逃走してきたこの渓谷で待っていたマーク...
アニエスはその説明を聞きながら、眼下にくすぶる破壊の余...
かがり火を背に、マーク・レンデルは感心しきりという口調...
「しかしまあ、一瞬でかたがついたな」
……王軍兵士らが谷底におり、命からがらこちら側の岸に駆け...
あとは狙いをつける必要もなく、密集した敵に断崖の上から...
王軍をおって谷底に下り、ひしめく魔法人形たちに向けて銃...
75 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:21:19 ID:IGcxM+4w
とはいえ、物理的に行動不能になるほどその体を破壊されな...
火で焼かれ、穴をうがたれて金色の液体をこぼしながらも、...
崖にとりついてわらわらと這いあがりだした異形たちに、王...
まさしく一瞬であった。
ディスペルではもしかしたらまた動き出すかもしれないので...
光球とともに谷底は完膚なきまでに、動くものがすべて灰燼...
「……なんだかな……虚無とは便利なものだな。
ラ・ヴァリエール殿が息をついて攻撃でき、敵がそれをまと...
近衛隊は逃げるばかりだったな」
微妙に複雑な気分のアニエスなのだった。
周囲を見ると、魔法衛士隊も銃士隊もトライェクトゥムの兵...
森の無法者の一味が罠を提供し、ルイズが掃討した。王軍お...
ふんとラ・トゥール伯爵が鼻をならした横で、マザリーニが...
「一度背を向けて走りだしたら、その間はどうしようもあるま...
隊列をそろえて行う効果的な斉射が望めないのだから、反撃...
「アニエス、虚無が撃てないあいだ手をひいてくれたあなたと...
……ところで、そろそろ犬コロ共のところに行かないかしら?」
枢機卿に続きさりげなくアニエスに気をつかう声をだしたあ...
今のはもしかすると陛下まで含めていないか? と首をひね...
「しかし気をつけなくてはなるまい。たった今掃滅した魔法人...
ルイズは小さなあごをつまんでむー、とうなり、それから顔...
「あいつは厄介だけど、サイトの馬鹿がいればなんとかなるか...
とにかく合流しましょう」
案内をうながす目をマーク・レンデルにあてると、森の無法...
「陛下なら塔だ」
76 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:21:53 ID:IGcxM+4w
うなずきかけて絶句し、ルイズはまじまじと彼を見る。
アニエスが自分の耳をうたがう表情で狼狽の声をあげた。
「おい、どういうことだ!」
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暗い足元を、なにか長いものがのたくって這っていった。
ひっとアンリエッタはのどの奥で悲鳴をもらし、才人の袖を...
ともし火の下、才人の顔色もよく見ればいいとは言えない。
「……離れないでくださいよ」
押し殺した声は、剣をぬいた少年がそれだけ神経を張りつめ...
先を飛んでいるらしき小鳥のrot! rot! という声がかれらを...
あの部屋でアンリエッタが見知っている小鳥と出会った後、...
先を飛び、扉をくちばしで叩いて、まるで先導するかのよう...
ものは試しについて行ってみよう――ためらいはしたものの結...
歩くと申しわけ程度の明かりがともる暗い通路は、よくよく...
水滴がしたたるような音。壁の向こうでからくり仕掛けが回...
通路から扉をあけて部屋に入り、通りぬけてまた通路に、そ...
(最上階に行くのに、階段を下りることまでするなんて)
アンリエッタは肌着の上に羽織った才人のマントを前でしっ...
異様な光景を何度も見た。
途中のひとつの部屋では最初からドアが開いており、その中...
その男たちはよく見ると上半身だけで、断ち切られた胴体が...
また別の部屋には、「……四十日間水銀と狼の牙と馬の胎盤を...
とくに黒々とした通路のひとつでは、ひざの関節が逆向きに...
壁のくぼみから首のない七面鳥がよたよた出て来もしたし、...
それらの全てが手をくわえられた魔法人形か、あるいはこの...
先をとぶ小鳥に置いていかれてはならない、とばかりに二人...
77 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:22:28 ID:IGcxM+4w
解毒薬の効果はその間にも刻一刻とうすれていき、アンリエ...
才人の腕にしがみつくようにして、ともすればもつれる足を...
よどんだ闇の中、お互いの体温だけが恐怖を追いはらう存在...
黄金色の液溜りが、通路や階段のそこかしこに多く見うけら...
これがなんであるのか、二人には見当もつかないが、〈永久...
すれちがう塔の不気味な住人たちのなかには、体の欠けた部...
……小鳥の羽音をたどり、四つ目の階段を上りはじめたとき。
闇がたむろする踊り場に、おぼろに新たなともし火がついた。
ひびの入った大きな鏡が壁にすえつけられていた。
才人が慎重に踊り場に足をのせて、剣先を鏡にむけつつ通り...
腕を引かれるままそれに従いつつ、ちらと鏡に目を送って――...
彼女は目を大きくあけ、「うそ」とつぶやいた。
凍ったように、体が動かない。
古い大きな鏡の中に、よく知った姿があった。
金の髪。青い瞳。
頭をかきそうな照れくさげな微笑。
ウェールズ様、とアンリエッタはその姿を見つめて蒼白にな...
それはゆっくりと手をあげて、出てこようとするかのように...
水の波紋のように鏡が波打った。
意識せずアンリエッタの体がよろめいた。
声に出して名を呼びそうになり――彼女はすんでのところでそ...
唇をかむ。涙があふれた。
(死んだわ、あの人はもう死んだのよ)
あのラグドリアン湖のほとり。アンリエッタの腕の中で、完...
幼い日の盲目の恋が、しがみついていた夢がくだけた日のこ...
皮肉にもその痛みの記憶が、目の前の光景を、危険な幻と認...
ぐいと強く、乱暴なほどに才人があせった様子で腕をひいた。
「早く!」
78 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:22:56 ID:IGcxM+4w
アンリエッタは顔をどうにか鏡からそむけ、踊り場をはなれ...
いやに焦る様子の才人はひきずるほどに力をこめていたが、...
幻影とわかってはいても心が千々にみだれていて、ともすれ...
陰鬱な静けさのみが後に残された。
踊り場が闇の底にきえたころ、アンリエッタはかすかにもれ...
「ありがとう、サイト殿……あの鏡の幻を拒めても、あそこから...
振りかえった才人の顔は、アンリエッタの予想していた外に...
おののいた表情。
「姫さま……鏡なんてあそこになかった。俺が見たのは……」
いや、と少年は言葉を切る。
彼がけっきょく何を見たのか語られずじまいだったが、アン...
見るものさえ食い違いだしている。
「……はやく上がりましょう。このいかれた塔はもうたくさんだ。
気づいてますか? 空気が違う。この階段の上から風がおり...
ますます強くアンリエッタの腕を引っぱって、才人は階段を...
引かれる少女は、二種類の薬のせめぎ合いに息を切らせて一...
急速に解毒薬の効果が薄れはじめている。
理性がなくなるのもそう遠くないだろう。
だが幸いに、幻惑と暗闇にみちたこの狂気の塔をさまようこ...
確かに階段の上からは、どことなくにおいの違う空気がただ...
森の樹脂のにおい混じる澄んだ外気が。
上る。
まっすぐ、ときに螺旋をかいて上へとつづく階段を。
途中から意識がぐらぐらしはじめたが、才人に肩をささえら...
茫洋と儚げな視線を階段に落としながら、アンリエッタの五...
黒い髪。黒い瞳。
つねはルイズを支える腕。服の上からはわかりにくいが、意...
薄れた思考にさきほど見た金色の髪と青い瞳がちらつき、そ...
心にある冷えた暗黒が、満たしてほしいと切なく疼く。
79 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:23:22 ID:IGcxM+4w
熱にあえぎながら、首をふる。
二人を混同しているわけではない。死んだウェールズとの絆...
とはいえ外見は似てさえいないが、彼らの内面に誇り高さや...
かれらへの自分の、恋のあり方も。
心弱くも人を恋い、甘い夢を捨てきれない。本来、自由が許...
その弱さがもたらす狂気にも似た衝動で、駄目だと頭でわか...
今のこの想いももしかしたら将来、そのような狂気につなが...
それでもやはり同じ夢を、未練がましく抱く。
――形となって添えずとも、
――せめては影と添えたなら。
(馬鹿なことを、薬のせいだわ……)
肩を支えられていなければ倒れこみそうなほど、ぐったりと...
今夜どんどん強まっていく、横の少年への恋慕の情は、盛ら...
……その全部が本当に薬のせいなのかは、いま考えるべきでは...
にもかかわらず、つづいて危険な疑問がうかんだ。
(でも……もしこれが解毒できたその後、心が変わっていなければ...
自分の心を、やはり制御できなくなれば?)
幸いにも、それを深く考えることはなかった。
前を急かすようにとびまわっていた案内役の小鳥が「rot!」...
階段が終わり、屋根裏部屋のような狭い空間があった。
いや、正確には、向かいがわの壁にわずか数段をのこしてい...
声がひびいた。第三の人間の。
「ほんとうに来れたのだな」
森林管理官ウォルター・クリザリング卿の声だった。
手首に包帯をまいているその男の目が、飛びまわる緑色の小...
二人を案内した小鳥は、いままで上ってきた階段にまた飛び...
クリザリングはややあっけにとられた様子だったが、すぐに...
「少々話すか」
80 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:23:54 ID:IGcxM+4w
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明け方ともなれば東の空が白みはじめ、星の光が追われてい...
塔のふもとに、王軍を主とする一行はあつまった。
「まるでガリアの画家の書いた『勝利せるスフィンクス』ね」
渋面のルイズが、塔の頂を見あげてそう評した。
天をさす尖塔の頂上にとまって、彫像のように微動だにしな...
人面獅子身の魔法人形は、塔にせまった一行の何本ものたい...
「へたに刺激せず様子をみるか、それとも戦うか」
「戦うといっても、さっき大きなエクスプロージョンを撃った...
アニエスとルイズがそう言葉を交わしたとき、スフィンクス...
転瞬、翼が広げられて、その姿が暁闇の中でぶれた。
「気をつけろ」とマーク・レンデルが叫んだときには、獣は...
反応がとっさにおくれたルイズやアニエスがあわてて杖や銃...
その途中で空からどさりと投げ落とされたのは、延髄をかみ...
それを見て顔面をひきつらせながら、ルイズが言った。
「……やっぱり迅いわ」
「……密集しろ。武器を上空に向け、いつでも対応できるように...
いまのを見たあとでは、油断するなという必要さえない。
アニエスの号令にしたがい、銃士隊と、暫時ながら彼女の指...
トライェクトゥムの兵たちも、指図するラ・トゥール伯爵を...
マーク・レンデルが見上げて舌打ちする。
「あの呪われるべき魔法人形は、俺の仲間を何人も殺した。
他の〈永久薬〉の効果を受けた人形どもと同じで、止めたけ...
囲むことさえ難しいんだ」
ルイズが元森番に向き直った。
「地面に落として動きを止めたらどうにかできるわけよね?」
81 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:24:22 ID:IGcxM+4w
「ああ。もしそんなことが出来るなら直接、斧で壊してやるさ。
メイジの方々もいるし、足さえどうにか止めればいいのだ」
「ディスペルを命中させたらいいわけね。塔の扉とおなじです...
けっこうよ、次にあれが降りてきたらそうするわ。エクスプ...
「この距離でも銃の一斉射撃なら何発かは当たるかもしれな...
「銃弾など当たっても無駄だとわかっているだろう。
それでどうにかなるようなら、俺たちがこの場で矢を何本で...
アニエスが突き立てるようなまなざしを送った。
「どのみちあの魔法人形は危険だし、この塔のなかに陛下がい...
塔の中では人形に襲われることはないというが、おまえも実...
先走らずわれわれを待てばよかったものを」
マーク・レンデルはアンリエッタと才人を塔に送ったことに...
元森番が、肩をすくめて答える。
「そうは言っても最初は逃げていたあんたらが、あの魔法人形...
この塔の頂上にいる『塔のメイジ』さえ陛下に解放していた...
どのみち、塔の扉を開けられるのは陛下だけで、陛下の様子...
さらになにか言いつのろうとしたアニエスを、ルイズがとど...
「アニエス、もういいわ……どうせサイトの馬鹿が積極策に賛同...
お、お、女の子がからむときは特にね。……考えてみれば、い...
「私は知らん」とアニエスがやや気おされている。
ルイズの怒りと諦念のこもった論評は、多分に曲解している...
もっともルイズは、無茶という意味では自分も同様のケがあ...
「とにかくあと少し、朝日が昇るまで待ってみるのがいいわ。
それでも出てこなかったら、今度はエクスプロージョンを塔...
開かないなら壊して入ればいいのよ」
82 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:24:52 ID:IGcxM+4w
言葉をかわす人間たちを一顧だにせず、塔の上でスフィンク...
その瞳のない目は悠遠なる森のかなた、天と地の境界線を見...
刻一刻明るさを増してゆく東の空には、暁の雲が紫にたなび...
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「まだ階段はあるが実質、ここが最上階だ。
そこの半階分の階段をのぼり、扉一枚をへだてた向こうに、...
ウォルター・クリザリングの声が、角ドーム状のレンガの天...
いままで塔のなかで見なかったもの、飾り窓がここにはあっ...
ゆらぐ火焔のような形や六芒星の形の窓には色とりどりのス...
それでも、外には朝が来ているのか定かではない。飾り窓も...
部屋の片すみにあるネズミが通れる程度の小さな穴からは、...
「陛下……いや、どうせだからアンリエッタ姫と呼ばせてもらお...
あなたはここに来た。おそらくマーク・レンデルにでも吹き...
たしかにそうすれば手前が王軍にけしかけた魔法人形たちは...
じつのところ塔に入れるなら、あなた自身が魔法人形たちに...
このとき、ルイズによってすでにそれらの魔法人形たちは壊...
声もとどかない態で、息荒くぐったりと頭をうつむけている...
「〈永久薬〉って厄介なしろものも万能じゃないようだな」
「ああ、万能どころか。永久薬は要するに『無尽の動力、また...
魔法人形となったこの身にしても不死など夢、せいぜい不老...
だから塔のメイジの心臓を破壊すれば多くの魔法人形が止ま...
マーク・レンデルのもとに来た斥候からクリザリングの正体...
彼の行なった業そのものに、いわく言いがたい反発をおぼえ...
が、才人の面にでている気色などに注目せず、クリザリング...
「千年前、ゲルマニアからアルビオンに流れてきた『塔のメイ...
しかし塔のメイジは〈永久薬〉をつかってアルビオン王家に...
韻々と床天井や壁にはねかえり、荘厳ささえおびた声が歴史...
83 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:25:41 ID:IGcxM+4w
「反乱はふせがれ、塔のメイジは本来禁じられた技であった『...
以来、その子孫であるクリザリング家は代々、特別に世襲の...
ここに入れるのはわが一族のみだった。この塔で錬金術を探...
『制約』をかけた当のアルビオン王家のみがこの上位に立っ...
才人はアンリエッタを気にかけながら、いらだたしげに応対...
「よくしゃべるな。いろいろと守秘義務があるんじゃないのか...
「アンリエッタ姫が今ここに来ている以上、どうやらその歴史...
この機会にいろいろ吐き出しておかずば、わが一族が代々な...
まだ重要なことはほかにもある。この塔自体が、『塔のメイ...
だから、塔を統括していた塔のメイジが十重二十重に『制約...
時間がたつほど弱っていく女王のほうが気になっていた才人...
「そこの扉はクリザリング家のものですら入れない。千年前よ...
だが塔の入り口がすでにアンリエッタ姫をアルビオン王家の...
ところでたった今、疑問がわいた。
塔が強引に、他者の手によってあばかれることに対しては手...
だがアンリエッタ姫はたまたま塔の『血』を基準にした判定...
他人事のようにあごを撫でてつぶやいているクリザリングに...
「話は終わったんだな。
いいからそこを通せよ」
声に気迫をふくんでいる。
才人に肩を支えられてやっとのことでここまで来たアンリエ...
ここにいたっては、彼は実力で押しとおるつもりだった。
森林管理官の目が才人を素どおりし、アンリエッタの様子に...
「おや、アンリエッタ姫は調子が悪いのか? それはよろしく...
クリザリングの声に対し、才人は「薬を盛っておいて白々し...
最初は空とぼけていると思ったが……違う気がする。
どことは言えないが、妙だった。
84 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:26:12 ID:IGcxM+4w
だが、才人が問いただすより先に、汗をしたたらせながらア...
才人は止めようとして思いとどまり、ただいつでも前に飛び...
アンリエッタはにじり寄るように扉にむかっていく。正面に...
「ウォルター・クリザリング卿……」
階段に足をかけながら、アンリエッタの熱にうかされた苦し...
「あなたの、求婚は……お断り、します」
おもわずといった様子で少女に道を譲っていたクリザリング...
「それは残念だ」
階段の上で、風のルビーとアンリエッタの血統に反応した扉...
………………………………………
……………………
…………
奥行きのある衣装だんす程度の、狭い空間。
まがりなりにも窓やたいまつがあった塔のほかの部分と違い...
千年間の完全な暗黒にようやく差しこんだ光は、今アンリエ...
開いた瞬間に異臭がふきつけ、朦朧としていながらもそれを...
人間の姿はなかった。より正確には、人体の完全な姿がなか...
戸口に立ったアンリエッタの足元を、中からあふれ出した金...
靴をぬらし、階段にこぼれ落ちていく。
それに嫌悪感をしめすことも忘れて、アンリエッタは中の光...
流れだしていく黄金溶液の中、リンゴほどの大きさの金色の...
心臓の形をしているそれは絶え間なく脈打ち、光り、そして...
流れだしていた〈黄金の血〉ごと、しゅうしゅうと煙をあげ...
同時にアンリエッタをさいなんでいた体の熱と重みが、淡雪...
慄然としながら階段を下りるように後ずさりつつ、アンリエ...
………………………………………
……………………
…………
85 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:26:42 ID:IGcxM+4w
「……やはり人体そのものはとうに崩壊していたようだな。
〈永久薬〉である血と心臓だけ残っていたか」
薬の効果をはらった少女が階段をおりてくると、クリザリン...
「扉が開けられれば心臓を自壊させるよう、千年前のアルビオ...
塔自体におよぼされていた諸々の、〈永久薬〉の効果も切れ...
たしかに、すべてが一変していた。
あの重苦しくよどみ、呼吸器にへばりつく黒い霧と血漿の臭...
ステンドグラスを通ってくるかすかな光は、今ならはっきり...
まだ弱いが、妖気ただよわない好もしい光だった。
最前の光景を思いかえして眉をひそめ、クリザリングに向か...
「この塔はもっと早く、こうなるべきだったと思います。
人は人としての死をむかえるべきだわ」
「ふむ……」
まともに答えず、クリザリングは思案顔になる。
それから彼は天井を見た。
つられて、アンリエッタが顔を上げる。
その刹那、ガラスの破砕音が影とともに室内にとびこんだ。
壁の一つの窓が外側から猛然と突きやぶられ、ステンドグラ...
青や赤や紫の色のついた綺羅たるガラスの破片が、床に落ち...
アンリエッタの反応より早く、才人がその前に飛びだしてデ...
だがその一剣は、魔法人形の歯にがっちりとくわえられて止...
窓を破って飛びこんできたスフィンクスは黒い刀身をぎりぎ...
剣をつかんだまま、あわてて半身になって才人が避ける。
ぱっと両者は離れたが、才人がわずかに後退したのに対し、...
焦った才人がデルフリンガーで迅突を送ろうとした瞬間、そ...
両者ともに、おどろくべき反応速度だった。
たがいに争う動きは止まらずまたも床を蹴り、壁や天井をは...
才人の剣がスフィンクスの体を浅くだが切り裂き、傷口から...
それでも魔法人形はまったく意に介さずガチガチ歯を鳴らし...
86 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:27:32 ID:IGcxM+4w
「隅にいろ、姫さま!」
ガンダールヴの力を使っていながらスピードで拮抗され、さ...
あまりの戦闘展開の速さに、余人が手出ししようにもかなわ...
アンリエッタは血相を変えて、泰然とたたずむクリザリング...
「クリザリング卿!」
「あの魔法人形は手前から供給された〈黄金の血〉で動いてい...
塔のメイジの心臓が破壊されたからといって止まりはしない」
「あれを止めなさい! 今すぐです!」
「さて」
自分の首に手をあててごきりと鳴らし、クリザリングは万事...
「先祖伝来の役目を失い、加えてどうやら長年の懸想も破れた...
が、塔の力のほとんどは失せたとはいえ、始末するレポート...
それを片付ける間、邪魔されてはなるまい。あれには足止め...
「邪魔など……!」
言いつのりかけて口をつぐみ、アンリエッタは破れた窓にか...
体を旋転させ、渾身の斬撃でどうにか魔法人形をとびすさら...
その背中から腕をまわし、少年の驚きにかまわずアンリエッ...
才人がうろたえ声を出す。
「待った、あのちょっと、落ち……!」
………………………………………
……………………
…………
落ちた。
いまや山の陰から太陽が顔をだす寸前の、それなりに明るい...
下の地表には百名をこす人間があつまっていた。
多くが近衛隊であることも落下する前の一瞬に見てとれた。...
87 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:28:28 ID:IGcxM+4w
森の朝もやのなかを、尖塔の壁に沿うように落下し、数十メ...
地面に激突する前に、フライが間に合った。
体勢をととのえてから、塔の前の地面にふわりと舞い降りる...
冷や汗が一気に噴出し、心臓がばくばく猛抗議している。
「……姫さま……次やるときは前もって言って……」
「す、すみません、落ちる前から唱えていたのだけれど、あそ...
この人けっこう考えが甘いんだよな、と寿命を縮められた才...
それらを押し分けて出てきたルイズが、ものも言わずいきな...
膝立ちの才人が目を丸くして、抱きついてきた恋人の背をな...
アンリエッタが二人を少しのあいだ見て、それから黙って目...
ルイズは人の目を思い出したように顔を赤くして才人から離...
「上だ、来る!」
とっさにマーク・レンデルの声が鞭のように人々の意識を叩...
才人が起きあがると、ワシの翼をもって急降下してきていた...
アニエスが舌打ちし、肩にかついでいたマスケット銃をかま...
「やはりゴーレムを呼び出してみるか」とは、ラ・トゥール...
ほかにも「風の刃で翼を切ってやる」と意気ごむ者、「血を...
またもスフィンクスが獰猛なうなりを発して壁面から飛び立...
恨みをのせた悪罵をつぶやき、森の無法者一味の一人が長弓...
ひゅうと鳴って飛んだ矢が、魔法人形の後肢を見事につらぬ...
せいぜい鬱憤ばらし程度の効果しかなかったことはだれの目...
才人が剣の平をたたいた。
「おいデルフ、なんかいい知恵ないか?」
『手こずってんね。そうさねえ』
妙にのんびりとデルフリンガーがつぶやく。横で聞いていな...
88 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:28:53 ID:IGcxM+4w
「あるならさっさと言いなさい!」
『飛んでる相手なんだから飛び道具使えよ』
「だからいくら当たっても……あ」
ルイズが何かに気づいたように目をみはる。
才人をひきよせて、何事かささやく。
少し考えた才人が、マーク・レンデルをよばわった。
そうしている間に、スフィンクスはなおも降下をはかってき...
その猛禽を思わせる動きには、しかし生物の狩猟にある荒々...
不幸にして目をつけられた若い銃士隊員が、場違い感のぬぐ...
隊員は無傷ですんだが銃身は前肢の一撃で折れまがり、魔法...
怒声と詠唱が地表の人間たちから聞こえ、続いて魔法と銃弾...
目の前を飛び回られながら決定的な手のないことに憤懣をお...
その頭上で悠々と向きをかえ、スフィンクスは何度目かの降...
このとき、飛んだ矢が今度はその翼をつらぬいた。
血も凍るようなおめき声が、その魔獣ののどから発せられ、...
魔法人形は空中できりきり舞いしつつ落下し、大地に激しく...
人々が感じた地面の震えがおさまる前に飛びおきたが、今の...
スフィンクスの瞳のない目が、自分を射抜いた黒髪の騎士を...
才人はマーク・レンデルに借りた、自分の背丈より大きいイ...
杖をふっているルイズの手の中で、矢にふたたび虚無魔法が...
デルフリンガーが得意げに言った。
『あの反射使いのエルフとやったときの応用だぁな。あんとき...
原始的な構造ながら弩(ボウガン)より飛距離が長く、連射が...
武器を使いこなすというガンダールヴの能力のたまものでは...
ルイズからディスペルをまぶした第二矢を受け取って、才人...
放つ。
89 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:29:22 ID:IGcxM+4w
なにげないが手際がなめらかでこれ以上なく速く、しかも狙...
今しも走りだしかけていたスフィンクスの、わき腹の皮膚と...
致死毒を流しこまれたように魔法人形は一瞬で転倒した。
時をおかずマーク・レンデル以下森の無法者たちが斧や鉈を...
なかなかに酸鼻な光景を見て、アンリエッタとルイズがやや...
彼女らとて、〈永久薬〉の効果で復活する可能性があるため...
弓を下ろした才人の横で、アニエスがいろいろと疲れのある...
「おまえらが揃うと、片づくのが本当に早かったな……ここまで...
いっそ最初から組ませておけばよかったのか」
微妙にやさぐれているアニエスに対し、アンリエッタがフォ...
「えー……ええと、あなたがサイト殿を残す判断をしてくれたお...
それを背後で聞いていたルイズの表情に、複雑そうな色が浮...
彼女はだまって才人に向き、じっと見つめる。
才人も沈黙して見返す。
ややあってルイズが手をのばし、才人のパーカーのチャック...
口づけの痕が、少年の鎖骨から首筋にかけて余すところなく...
振りかえって気づいたアンリエッタが頬に朱を散らしてうつ...
キスマークを目にして、ルイズの無表情の沈黙が鬼のごとき...
先ほど抱きついてきたときよりも震えているルイズに、才人...
「……言っとくが完全に事故だからな? ――ぅぐぐぐ!?」
ルイズが才人の首に手をかけてぎりぎりと絞めはじめた。
その場に押したおして馬乗りになり、衆人環視のなか使い魔...
以前は「ルイズ、レディのすることではないわ」とルイズの...
金色の返り血にべっとり濡れて戻ってきたマーク・レンデル...
要するに、平和な朝が戻ってきていた。
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
しばし後。
塔の内部。
90 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:29:47 ID:IGcxM+4w
……「ウォルター・クリザリング」は歩く。
塔のメイジの千年前の秘術により無限の広がりを持っていた...
だが入れなくなったなら、それはそれでいい。問題は、残っ...
すべて火にくべてしまうつもりだった。
手燭を持って、暗い階段を降りゆく。
扉をあけてあちこちに入り、油をまいて炎を放ってゆく。
上階から下階へ、火と煙を満たしながら歩みを止めない。
その歩みが止まったのは、最後近くの一つの部屋、その開け...
室内に動くものがいた。
紫のローブをはおったその者は、立ったまま書類の束をめく...
クリザリングは挨拶もなく乾いた声で「なんだ、その姿は」...
「ああ、この格好と声か?」
歌うような、男とも女ともつかない声が返る。オペラにたと...
「私が女性型であることを見てとると、舐めてかかってくるや...
いちいち肋骨の間に刃を通してやるのも面倒なので、ローブ...
声は自分でいじらせてもらったよ。薬でのどを少し変えた」
女王と対したときよりずっと警戒した声が、クリザリングの...
「この塔に帰ってくることを許した覚えはない」
「覚えはなくとも、今となっては強制できまい。
私はお前の許しを得たから入るのではなく、塔の入り口が解...
クリザリングは思いかえす。先ほどの小鳥はこの者の使い魔...
あれはおそらく空気を取り入れる穴から入ってきたのだろう。
その小鳥に女王を先導させ、最上階に連れてきたのはこの、...
非難めく言葉を発する。
「おまえ、塔を解放するのは反対だと昨日言っていたくせに」
「嘘だよ、悪いな」
「その紙を出せ。燃やさねばならない」
91 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:30:14 ID:IGcxM+4w
「嫌だよ。持っていく」
ことごとく人を食ったにべもない返答に、情動の薄い森林管...
「おまえをたたき出したとき、余分な金をすべてくれてやった...
「ああ、不満だ。なにもかも。
持ち出していた薬のおかげで、この半日はなかなか楽しい喜...
「……女王の様子がおかしかったのは、おまえの仕業か?」
「なに、指示してほれ薬をね。女王の危機感をあおるだけなら...
女王の護衛は優秀だなあ、私の思惑どおり塔を解放するのに...
なんだ、そんな顔をして? 破滅願望をかかえていたおまえ...
クリザリングはじっと相手を見つめ、うんざりしたようにつ...
「確かにそうだが、造ったホムンクルスふぜいに運命を左右さ...
ましてや、陥れられて喜ぶはずがあろうか?」
失笑が紫ローブの者のフードの陰からもれた。
「いかにもおまえに造られたホムンクルスではあるが、おま...
「おまえの抱いた計画など要するに、『懸想した相手を造りだ...
熱意をかたむけてこの塔の錬金術の蘊奥をきわめた一代の秀...
悪くはないが、どうにもいじましく笑える話じゃないか」
立ちつくすクリザリングは否定しない。
かつての人間であったころの彼が塔に入った動機は、まさに...
フードの陰で、その者の優美な唇が嘲笑まじりに言葉をつむ...
「おまえは人を捨てて以降も卑小だ。破滅を望む心を内側に、...
どうせ破滅を望むなら、それは外に向け積極的におこない、...
毒にも薬にもならないよりは、強烈な毒であるべきだ。あた...
人の快楽は主として『消費』にともなう。富を例にあげると...
そして古来、王侯らがしめした富の究極の消費とは、最終的...
歌うような。
コントラルトの音域の。
92 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:31:01 ID:IGcxM+4w
「だから、金銀を持つならそれを溶かして庭園の泉を満たす。...
その破壊の楽しみの果てにこそわれわれの人造の心にも、想...
認識できる他者など要するに『自己以外のすべて』にすぎな...
私はそれを実践するつもりだ」
「怪物め」
クリザリングの短く硬い声に、紫ローブの者はくすりと笑い...
「ひどい言い様だ。お前が私を造ったのだろうに。
それに私のほうが、身体においてお前より人間に近いではな...
人間の体にともなう種々の快楽をこの身に備えておいて欲し...
「スフィンクス」
紫のローブをまとったホムンクルスに答えず、クリザリング...
ずるずると体をひきずって、彼の手がけた魔法人形が入って...
翼は折れ、四肢は三本までが途中から絶たれ、胴体は大きく...
クリザリングは命令した。
「そいつを殺せ。ここで禍根を断て。
これについてはアンリエッタ姫のいったとおり、ずっと前に...
その命令にしたがい、体をひきずって這いよってくる魔獣を...
「コカトリス、止めさせろ」
どこかにいた緑色の小鳥がクリザリングの眼前に唐突に舞い...
避けるひまもなくその目にのぞきこまれ、クリザリングは凍...
その後は石化したように動けなくなった。魔法人形の体の、...
紫ローブのホムンクルスは、なんでもないことのように言う。
「コカトリスの眼の力は、二種類あるとお前知っているだろう...
塔で造られた魔法人形であるこの緑色の小鳥にそなわる異能...
「おまえの〈黄金の血〉をコカトリスには飲ませておいた。赤...
ひとつは、その視認した映像を他者に伝えること。
通常の使い魔にも備わった能力を、さらに高めたようなもの...
また見た記憶をつぎ合わせて映像を「編集」することもでき...
93 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:32:33 ID:IGcxM+4w
もうひとつ、今使っている能力は、古来から邪眼と呼ばれた...
目を合わせた相手の意思をねじふせ、随意筋の動きを支配し...
ただしこちらの力は、コカトリスが血を飲んだことのある相...
「私が造ったこいつは便利だろう、〈山羊〉を始末するときに...
ところでじつは私は、おまえに用があったんだ。しかし本題...
私はもともとあの女王にそれほど興味はなかった。オリジナ...
コカトリスにクリザリングを拘束させたまま、壊れかけのス...
紫ローブをまとったその者。
錬金術的肉体編成の一つの完成形、肉の器でできた命ある魔...
千年間熟成された塔の狂気を、存分に宿したホムンクルス。
「アンリエッタ・ド・トリステイン……白百合の玉座の女王、ト...
タルブの戦勝をもたらして即位し、平民を抜擢して新たな手...
権力ゲームに勝って政権掌握し、侵略されることで始まった...
栄光に満ちたこれまでの結果をみて最初は、面白みのない名...
ローブのすそをひるがえし、ホムンクルスは腰にさしていた...
「おそらくあの女王の内面を満たすのは、暗愚と過誤と、無知...
行動を読ませない要素を持った、きわめて人間らしい女王。...
最初は邪魔者の女王を消してからトリステインを引っかきま...
それはクリザリングにナイフの柄を差しだす。
コカトリスの邪眼の力が、そのナイフを受け取ることをクリ...
「だがおまえ、『アンリエッタ姫』がからむと、私が遊ぼうと...
まあいいさ、こちらはこちらでこの冬の間、新しい遊び仲間...
さて、私は地獄の季節を見るつもりだ。そのために、おまえ...
さあコカトリス、彼を見ろ。
胸をみずから切りひらかせ、その黄金の心臓をつかみださせ...
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
朝日のさす港。主のいないクリザリング邸の前。
桟橋の木につながれたフネの出港準備は終わり、タラップが...
その前で、アンリエッタはラ・トゥール伯爵と向かいあって...
94 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:35:12 ID:IGcxM+4w
女王は近衛兵のほとんどを遠巻きに控えさせているとはいえ...
それに対しトライェクトゥムの領主は一人きりである。その...
彼の一見して落ち着きはらっているが裏側に緊張の透けてみ...
(わたくしに薬を盛ったのは、ほんとうにクリザリング卿だった...
今回の事件にはさまざまに不可解な部分が残っている。
あの森林管理官が、少なくともかつてアンリエッタに懸想し...
だが心のどこかが納得していなかった。
結果としてクリザリング卿には何も残らなかった。
一方のラ・トゥール伯爵は、アンリエッタが何も言わなけれ...
この港や、〈永久薬〉を使った風石はもうないがそれ自体で...
看過するには、彼一人が得をしすぎている。
だから、彼女はラ・トゥールを呼んで、その反応を見ている...
彼女はまがりなりにもこの男の主君であり、反逆行為の存在...
(でも……印象だけで言えば、彼が犯人であるとも思えないわ)
今、泰然をよそおいながらこちらの様子をうかがうラ・トゥ...
だが、自分自身にいだくやましさの色は見当たらないのだ。
むろん直感で決めるのは間違っているにしても……そもそも事...
アンリエッタは判断に困り、横のマザリーニを助けを求める...
ほれ薬の一件を聞いた宰相もまた、考えこむそぶりを見せて...
マザリーニがそっと、アンリエッタの手に紙片をすべりこま...
“商談を受けたとだけいいなさい”
「陛下……?」
ややためらいがちにラ・トゥールが声をかけてきた。
すこし考えたあと、アンリエッタはごまかすように笑みをつ...
「いえ、このたびはご苦労さまでした。事業についての提携は...
ラ・トゥール伯爵がぱっと喜色満面になる。
「陛下! それでは昨夜の晩餐の席で語ったことをも、お聞き...
95 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:35:41 ID:IGcxM+4w
(ええと、なにを要求されていたかしら?)
晩餐のときはぼんやりしていた女王はやや慌てたが、心得た...
「ああ、事業を潤滑にすすめていただくため、貴君にトライェ...
武装権、市場の開催権、下級裁判権などの権利の多くを、王...
ただし、市政の決定のすべてには市参事会の同意が必要であ...
恐縮しながらも、隠しきれない喜びをたたえてラ・トゥール...
「……枢機卿、説明していただいてもよろしいかしら」
「なんなりと」
「あなたの言うとおりに、ラ・トゥール伯爵を問いつめること...
けれど、それでよかったの?」
ラ・トゥールに好感をもてなかったらしいアニエスが、同意...
マザリーニはうなずく。
「いまさらあの男を問いつめて、われわれが何を得るでしょう...
すくなくともこの先、あの男はわれわれに忠実だと言えます...
じつのところ、ラ・トゥール伯爵のトライェクトゥムにおけ...
彼はみずからの地歩をかためるため、王政府との結びつきを...
「そのために、彼が王権に侮辱を加えたのかもしれないことを...
「世にあらわにならない侮辱は、王が守るべき名誉にとって存...
陛下、悔しいかもしれませんが、あなたの災難についてはこ...
それに、私個人の印象ですが、彼があなたに薬を盛ったとは...
「それは、わたくしも感じたけれど……では、彼に都市の大権を...
数代前に実権をうばわれたラ・トゥール家が、王家のお墨つ...
商提携するだけならともかく、王家がそこまで認める必要が...
「いえ陛下、いまのラ・トゥール伯爵はすでに市参事会の筆頭...
これまで王政府の名において参事会に認めていた特権を、そ...
毒食らわば皿まで、ですよ。われわれがトライェクトゥムの...
彼は平民を愛するような人間ではなさそうですが、得になら...
96 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:36:25 ID:IGcxM+4w
いちおうの納得はしたものの、不満げな表情にアンリエッタ...
マザリーニが懇々と言いきかせてくる。
「またラ・トゥールは、改革を行おうとしている一点では、あ...
トライェクトゥムで改革を拒み、既得権にしがみついている...
めぐりめぐって改革の成果を世に印象づけ、われわれの手駒...
最後にこれが重要ですが、ここ最近あなたの施政において、...
「……わかりました」
いまだすっきりしない感はあるものの、アンリエッタはひと...
ここしばらくの国政では、自分の意向を通しすぎたという負...
彼女はマーク・レンデルに向きなおる。
「森番殿、今回のことでは大いに助けられました。あなたの助...
トリステインではいま、指揮官も平民からなる軍隊を育てて...
トリステインに来てみませんか? 新設軍の軍事顧問として...
「陛下……もったいないお言葉ですが、私は粗野な野人でして。...
苦笑気味にことわられ、アンリエッタは「そうですか、無理...
マーク・レンデルがひざまずいた。
「陛下、感謝を申しあげねばならないのはわれわれのほうです。
本来なら陛下の言葉に逆らうべきではありませんが、いま少...
塔の残骸を完全に焼きこぼちます。それがウォルターの望み...
ですが、陛下になにか苦難あれば馳せ参じて微力をつくすこ...
ありがとう、と答え、アンリエッタは次にアニエスに向きな...
「隊長殿も、ほんとうにご苦労さまでした。
なにか報告があるかしら」
「はい。クリザリング卿の富についてです。その財を成したや...
先年の秋の事件とかかわりあるかもしれません。
ですが、いまは陛下もお疲れではありませんか?」
97 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:37:09 ID:IGcxM+4w
「気にしないで……いえ、そうね、いったん帰国してから詳しく...
サイト殿。ルイズ」
最後に彼女は、才人とルイズに向きなおった。
屈託なく、とはいかないらしい。声が硬い。
「ルイズ、ありがとう。あなたの活躍は聞きました、あなたは...
サイト殿には本当に、あの、ご迷惑を……」
「いえ、大したことでは……」
昨日の昼とおなじく、妙にぎこちなく視線をそらしあう才人...
ルイズは深呼吸の後、声をかけた。
「あの、姫さま」
「あ、な、なにかしらルイズ」
「ちょっとお話しても?」
「も、もちろん……いえ、待って、それも帰国してからゆっくり...
いまはその、みんな疲れていることですし。あなたたちにも...
妙にあわてつつアンリエッタはスカートをつまんで、そそく...
「に……逃げたのかしら」
後ろ姿を見送りながら、呆然とルイズがつぶやいた。
なんとも口をだしかねている才人は、かたくなに沈黙を保っ...
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
数日後。
トリステイン北東部の低湿地帯。
堤防、灌漑、堰などによって水が人工的に制御されてきた地...
陽光が水にきらめく大河のほとりを、馬に乗ったラ・トゥー...
ゲルマニアの奥から端を発し、とうとうたる流れとなってト...
河畔には国境をまたいでいくつもの都市が点在し、物流きわ...
なかでも最大の都市トライェクトゥムをかこむ五重の堅牢な...
98 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:37:51 ID:IGcxM+4w
トライェクトゥムの市の紋章は、「ハンマーと鉄床」である。
遠い昔にラ・トゥール家が、王家に都市領主としての実権を...
むろん平民が公職につくことがおもてむき禁じられているト...
しかし、独特の選挙方式でこれまでは、平民が陰ながらの選...
それも現参事会筆頭役人、かれアルマン・ド・ラ・トゥール...
水のたたえられた堀の大きな石橋を歩く。
市の入り口、ハンマーと鉄床の紋章がきざまれた、幾重にも...
ラ・トゥールはちらと横目で、馬をならばせている秘書を見...
「下りろ」
ぞんざいに言い捨て、率先してみずから機敏にひらりと馬か...
秘書はおどおどしていたが、素直にしたがって下りた。
下馬した瞬間、体をひるがえしたラ・トゥールの拳がとび、...
鼻血をこぼして殴打によろめく暇もなく、都市領主の太い腕...
血走った目が、顔の下半分にだらだらと血をながす秘書の顔...
「ふざけているのか、貴様? 森を逃げているとき、あの平民...
おまえだろ? なにをした、あの晩餐の席で? ワインを注...
私が秘書の責任をとらされたらどうするつもりだったんだ、...
誰の差し金だかわかっているんだぞ、あの狐野郎だ、ベルナ...
「違わんな」
春の陽ざしのなか、木枯らしより冷たい声がラ・トゥールの...
ゆっくりとラ・トゥール伯爵はそちらに目をむける。
「ベルナール」
彼の長年の政敵がそこにいた。
僧服をまとった、少壮の年齢の男。ひげはなく頭もそってお...
周囲が冬に戻ったかと錯覚させるような声。その雰囲気はタ...
トライェクトゥムでもっともラ・トゥールを警戒させ、その...
「離してやれ、アルマン。おまえの言うとおり、責任はわたし...
99 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:38:55 ID:IGcxM+4w
秘書は、血をふきこぼす鼻を押さえて、憎しみに満ちた目で...
ラ・トゥール伯爵はその視線にこたえることもなく現れた男...
「ウォルター・クリザリング自身が陛下に薬を盛ったにしては...
となると、ワインの給仕をまかせていたこいつが怪しいに決...
ベルナール、これでお前は破滅だ。トリステイン国王に毒を...
「女王に毒を盛ったうんぬんは知らんな。
まあ、『万事、協力者にしたがえ』と指示したのはわたしだ...
ベルナール・ギィはそっけなくそう言い、手をあげた。
杖を取りだしたラ・トゥールがなにか言うより先に、その背...
絶叫して割れた頭を片手でおさえ、うずくまったラ・トゥー...
頭部を血まみれにしたラ・トゥールは、見おろす者の一片の...
さらに気づく。
アーチ門の向こう、市内部のほうから、いくつもの人影が現...
平民の商人、職人組合の親方たち。靴職人も毛皮職人も、ろ...
かれらに影の投票で選ばれた、古くからいた参事会員たちも。
だれもが、冷酷な目で彼を見ていた。
「おい、貴様ら……私は参事会内での正式な投票で選ばれた、貴...
クーデターを起こされたと知り、ラ・トゥールは信じられな...
「しかも女王陛下の許しを得て、名実ともにそろった都市領主...
その決定に逆らう気か! これは私に対するのみならず、国...
「正式な投票とやらを行ったおまえの子飼い、または賄賂をう...
『組合親方連による参事会員選出』などの、長年の平民重視...
まあ暗殺や脅迫については証拠はおまえにもみ消されてしま...
反逆でいいとも」
あっさり認められ、かえってラ・トゥール伯爵の面に恐怖の...
ベルナール・ギィの後ろでは、いっせいに都市の有力者たち...
「このラ・トゥールの野郎が示した『空路交易』の案に、王家...
平民主体の船の水路交易から、風石と風魔法でうごく空のフ...
王政府はそれを無視しやがった」
100 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:39:38 ID:IGcxM+4w
「ああ、だれもかれも恃むにたらん。ラ・トゥールを掣肘して...
「我らを見放しただけではない、王政府はラ・トゥールの味方...
トライェクトゥムは王家に深く干渉され、ほしいままに利権...
「こうなれば傭兵を雇おう。うちの息子も市民兵に志願すると...
「まてよ、相手は襲撃してくる群盗とはわけが違うんだぞ。ト...
彼らの蜂の巣をつついたような議論のなかで、最後のせりふ...
「そ、そうだ、反逆の結果を考えていないのか! 王家を敵に...
どれだけトライェクトゥムが富裕でも、一都市対一国で勝て...
直後に、ベルナール・ギィの凍てつくような声が一同の上を...
「いい機会だからみな聞け、するなら一都市対一国にはしない。
『武器税』で、いま貴族たちは王家に反感をいだいている。...
女王の施行した武器税のため、王軍のみならずわれわれも出...
さて、だれか棺おけ職人を呼んでこい。作っておいた棺を届...
「ああ、それならここに持ってきましたぜ」
朗らかな声とともに、鉄の棺が縄でくくられてずるずると引...
縄の端は牛にくくりつけられており、その牛の鼻面をさらに...
その横で、竜にまたがってやってきた紫のローブの者が、「...
緑色の小鳥が周りをとびまわっている。
ベルナール・ギィ、都市トライェクトゥムでもっとも冷えて...
「数百年前、ラ・トゥール家の当主たちは、反抗の色を見せた...
子孫の身で試してみるがいい、アルマン」
引導を言いわたされたとき、絶句していたラ・トゥールの表...
恐怖と焦慮と憎悪を激情にかえて、ラ・トゥール伯爵は絶叫...
「……この、分不相応に欲をだす平民ども! 平民にすりよる誇...
おまえら全部呪われろ、五体を裂かれて地獄に落ちろ……!」
破れかぶれの悪罵を聞いて、顔色を変えたのは市民たちでは...
かれは前に出ると、ラ・トゥールの腹を蹴りあげた。
うめいて横転した彼の胃の上あたりを執拗に蹴りつづける。
101 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:40:20 ID:IGcxM+4w
「分不相応といったか? 俺たち平民だって儲けてなにが悪い...
六千年だ、六千年だぞ、貴族の圧政に呻吟し、富と力を奪わ...
てめえらは生まれもった立場にものをいわせて、商売で成功...
てめえらこそが地獄に落ちろ! 共和主義の勝利をそこから...
〈鉤犬〉のわめき声に対し、場の幾人かが顔をしかめた。
ラ・トゥール反対派の古い参事会員たちである。かれらも一...
この一幕が目に入らないかのように、ベルナール・ギィがア...
紫ローブの者をふくめ、数人が集まると彼は話しはじめた。
「政府の決定、アルマンを支持するというのはおそらく女王で...
これまでのように平民主体の都市自衛軍が、メイジ主体の貴...
その場合わたしとて、決起するのは危険と判断したろう」
不安まじりの視線が、市の有力者たちからそそがれる。
彼は「しかし」とふところから、小さな石を取りだした。
「ここに高い金をはらって買いあつめた希少な〈解呪石(ディスペ...
なかんずく、この協力してくれる御仁の話では〈永久薬〉と...
紫ローブの者を、ベルナール・ギィは振りかえった。
その者は微笑の波動をたゆたわせて、肩にかついだ革袋をし...
肩にとまった緑色の小鳥がrotと鳴く横で、フードの奥から声...
「まあ、私にしても〈永久薬〉と〈解呪石〉を組み合わせる試...
基本は風石その他に効果を及ぼすときとかわらないようだ。...
それを聞いてベルナール・ギィはうなずき、聴衆に向きなお...
「この効果がおよぼされる範囲内で、王家と諸侯の主戦力であ...
最終的に政治的妥協を目指すとしても、われわれはまず戦う...
そのための手段と好機がそろっているのだから、ためらう法...
一度言葉を切る。
それから、ラ・トゥール伯爵を蹴りつづけている〈鉤犬〉の...
「さしあたり〈王権同盟〉に注意する必要がある。他国に援軍...
一両日中にゲルマニアでは東部で『たまたま』大貴族が皇帝...
ロマリアとはいくつもの都市国家と、商取引や銀行の融資を...
もちろんわれわれ内部でも、王権同盟の敵視する共和主義者...
102 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:41:22 ID:IGcxM+4w
ちらと再度、紫ローブの者に目を走らせる。
視線をうけた側は、「わかった」とうなずいた。
「けっこう。ではアルマンをそろそろ棺に入れよう」
肉屋の親方が手を上げた。
「河に放りこむ前に、棺を市中で引きまわすことを市民は望...
「棺おけが壊れないとも限らんから引きずるのはすすめない。
それでもやりたいなら好きにしたらよかろう」
………………………………………
……………………
…………
……トライェクトゥム伯アルマン・ド・ラ・トゥールが入れら...
並んで立っているのはベルナール・ギィのみである。
後方には〈鉤犬〉と、ほか数人の下男が控えている。
「あの女王は、反乱が起きるとすれば諸侯からだと思っていて...
「なぜわれわれが、多大な損をこうむってまで彼女の理想につ...
都市民以外の平民、たとえば農民などと一緒にされねばなら...
彼らを救うために改革が必要と。けっこうな話だ、ただし都...
ベルナール・ギィの言葉は、凍った刃のようだった。
彼は続ける。
「王家と話し合う余地がないのはそこだ。女王陛下の考える『...
われわれ都市民は、われわれの利益を優先する。他者を押し...
われわれの利益のためには他の平民は犠牲になってもいいと...
都市民の権益をそこなう改革も、改革の過程で王権が都市へ...
そう言いきる男に対し、にやっと紫ローブのフードの陰で、...
「要は女王の政治がむかう先が気にいらないのだな。だから私...
女王がラ・トゥールと提携する方向に進んだことによって、...
おまえは内乱を起こし、この機会を利用して、都市の力を伸...
ベルナール・ギィはそれに対し鼻を鳴らした。
103 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:42:12 ID:IGcxM+4w
「貴君には貴君のもくろみがあったろう。それでも双方に利益...
だがこの先のことについてはわたし及び参事会の決定にした...
さて、きちんと始末はつけていただこう」
言い残して歩きだし、アーチ門をくぐって消えていく。
紫ローブの者は、ひかえていた〈鉤犬〉に向きなおって言っ...
「牛をここへ」
「牛、ですか?」
首をひねりながら、〈鉤犬〉は牛を連れてきた。
牛に先ほど棺おけを引かせて持ってきたのだが、今その棺は...
「牛などなにに使うんですかね?」
その問いを無視して、残っていた二名の下男に「竜を」と声...
先ほどまで乗っていた竜がひかれてくる。
わけがわからず見守る〈鉤犬〉の前で、二頭の獣に縄をむす...
「死ぬまで動かぬよう直立させよ」
ぐりんと小鳥の首がフクロウのように回転し、その黒目がブ...
小鳥の目に見すえられ、〈鉤犬〉はその場に固まった。直立...
かつて忠誠の証として、この鳥に〈山羊〉たちともども自分...
かろうじて声は出た。だから〈鉤犬〉は顔をゆがめて叫んだ。
「待った! 待ってくれ、何をする気だ!」
その首に、二本の輪縄がかけられた。
一本は牛に。一本は竜につながり、それらの獣はたがいに反...
下男が一名ずつその鼻面のあたりについていた。
〈鉤犬〉の顔をのぞきこみ、紫ローブはくすりと笑った。
「残念だな、ベルナール・ギィは、あからさまな共和主義者は...
そういえば、おまえには先の秋の責任をとらせていなかった...
死んでみるのもきっと楽しいぞ、自分でやったことはないが」
愕然としている〈鉤犬〉に、優しげな声を出す。
104 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:42:44 ID:IGcxM+4w
「もちろん、おまえがゲルマニアからかきあつめてきて待機さ...
〈カラカル〉に彼らの指揮をまかせることにする。情念だけ...
その言葉に、〈鉤犬〉は目をむいて悲鳴をあげた。
「あのような奴に、わが同志をゆだねると!?」
「あいつだって退屈しているんだ。
先の秋は、おまえと〈山羊〉が口をそろえて反対したから同...
その戦闘理念が遺憾なく発揮されるのを見たい、だから今度...
今よりはじまるこの王侯のゲームで」
〈鉤犬〉の首にかけられた二本の輪縄に手をのべて、ほっそ...
「わたしはこのゲームに最善をつくすと約束するよ、〈鉤犬〉。
この先に共和国が誕生するかどうかはどうでもいいが、王政...
安心したろう? だから死ね。先の秋の失敗を、一足先にま...
わたしは駒の失敗を、許しておいてやる気はないんだ。
そうささやかれて、〈鉤犬〉は遅まきながら理解した。自分...
この人物は、彼が信じてきたような存在ではない。その非情...
どこか似ていながらも決定的に違う。
これは、理想をいだく革命家の苛烈さなどではない。
これは――退屈を埋めるものを求める暴君の、愉悦まじりの残...
「とはいえ、顔も見ずに従ってきてくれたことを思うと、少し...
いい機会だから、見てみろ。どうせなら驚いてくれると嬉し...
彼の目の前で、紫のローブに手がかけられ、それがばさりと...
柔らかい栗色の髪が、さらりと風にほどける。
105 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:43:12 ID:IGcxM+4w
〈鉤犬〉はその者にとって、最後に理想的な反応を示したとい...
彼はぽかんと口をあけ、首にかかっている二つの縄さえ忘れ...
「アンリエッタ女王?」
脱いだ紫のローブの下には黒いドレス。
黒は陛下に似合わない、と枢機卿マザリーニが評したことが...
だが、同じ顔を持ちながら、この魔法人形の一種、肉の器で...
外観は「オリジナル」と同じ、けれどその魂はまるで違う。
白と黒ほどに違う。
白昼の幽霊を見たような表情の〈鉤犬〉に答えず、彼女は市...
「百合とハンマーの激突の下で、聖俗貴賎の区別なく、狼のよ...
水晶のゴブレットにたたえた紅の酒を乾し、ブロンズの水盤...
わたしはオリジナルと遊ぶことにする。これと同じ形をした...
細指でなぞる花弁のような唇が、三日月の形にゆがむ笑みを...
「滅亡哀歌を歌わせてやる。
ダンス・マカブルを踊らせてやる」
顔を前にもどし、言葉もない様子の〈鉤犬〉を見て、そのホ...
ひかれる竜と牛が鈍重に、相反する方向に歩きだす。
〈鉤犬〉が思いだしたようにわめき声をあげようとした矢先...
数歩下がって黒いドレスの彼女はそれを楽しげに見ていたが...
紫のローブをばさりと羽織りながら、髪をなびかせ、喜色を...
吟唱するように口ずさみ、どす黒く麗々と歩をはこぶ。
「さあ開幕といこうじゃないか。
王侯のゲーム、殺戮、火炎と鋼のダンス。人の世が飽きず繰...
戦、戦だ、乱痴気さわぎの血の宴だ。
『かくて始原の昔より、かくて無数の星霜を、
慈悲悔恨のゆるみ無く、修羅の戦いたけなわに――』」
終了行:
71 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:18:33 ID:IGcxM+4w
塔の内部は、黄泉のように暗かった。空気がよどみ、窓もな...
陰鬱な暗影が空間をしめ、水滴の落ちるような音がどこかか...
どうやら螺旋をまいているらしき石の階段。終わりなく続く...
才人とアンリエッタはその急な階段をのぼる。
どんな仕かけか、のぼってゆくと壁のともし火が順繰りに灯...
おぼろな明かりの下で歩いていると、階段の横にある材質不...
立ち止まり壁に手をつきながら、アンリエッタは額に汗をに...
その壁がいやに温かい。まるで人肌のように。
見ると、壁の色は紫と赤紫のまだらだった。アンリエッタは...
(さっきは赤に見えたのに)
「大丈夫ですか?」
才人の声に、アンリエッタはやや硬い表情でうなずいた。
それから、たぶん才人も懸念しているだろうことを、問いの...
「サイト殿。この階段は、最上階に着くのでしょうか……?」
沈黙した才人も、顔がこわばっているのは同じである。
上りはじめて、それなりの時が経つのだ。
にもかかわらず今もなお、連綿と続く階段をひたすら上って...
塔の外貌から判断しても、こんなにも長く上りつづけて最上...
「……やっぱり扉を開けてみますか」
才人の提案に、アンリエッタは顔をしかめる。
階段の横にときおり存在している、木や鉄や石でできた無装...
そこで手が止まったのは、コンコンと向こう側からノックが...
代わりにドアによりかかっているらしき何かの笑い声と、そ...
本来は好奇心旺盛な才人が、そのドアを開けるのは即座に断...
……そんなこともあり、ドアには近寄りたくもない二人だった...
「わかりました、どこかを開けましょう」
72 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:18:59 ID:IGcxM+4w
注意して様子をうかがってから、とは言う必要もない。
また上りだしてほどなく現われた木のドアに、意を決して二...
開けて唖然とする。
横に階段と似たような陰々たる通路が続いていた。数メイル...
少し行ったところで通路の右手横側に、真鍮製のドアがある...
知らず才人の服の袖をにぎりながら、アンリエッタは震えた...
(空間がおかしいわ……)
背後のほうで大音響がした。叩きつけられるようにドアの閉...
飛び上がらんばかりにおどろき、背後を見る。
開け放していた階段への扉、と認識したとき、恐怖がこみあ...
誰かが閉めたとしか思えない音だったのだ。
すぐに幽寂がもどってきた。才人が固唾をのむ音が、通路に...
戻る気にならない。気配はないが、今曲がったばかりの角に...
デルフリンガーを抜いている才人が、不断の緊張で空気を張...
アンリエッタは真鍮製のドアに目をあてた。
才人がそれを見てとって、即座に反応する。
「……いっそ、そっちに入りますか」
ちょっと待ってください、とアンリエッタは額をおさえた。
自分は一刻も早く最上階に着いて、盛られた薬の効果を断ち...
しかし、この通路をこのまま進むのはひどくためらわれた。
けっきょく、通路に入って間もおかず、二つ目のドアを開け...
狭い通路の冥府じみた昏暗から一転して、そこはそれなりに...
埃のつもった大理石の白い床には雑然と書類や、フラスコや...
部屋の反対側にまた扉がある。
机のうえに置かれたランプの白い光が周囲を照らし、そして―...
「こりゃなんだよ?」
どうやら安全と見てとって、才人が後ろ手にドアをしめなが...
水銀のように張力が高そうなその黄金の液は、塵埃が上にか...
アンリエッタと才人が近寄ると、その表面がさざなみだった。
73 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:19:27 ID:IGcxM+4w
才人がためつすがめつそれを見ている横で、アンリエッタは...
ランプの置いてある机に乱雑にちらばった書類。
床の書類はふるび、変色してくずれかかっているものまであ...
その一枚、女物の銀の櫛が重しとして載せられている紙に意...
『侍従によると、食事は角羊のスープを好むという』
それはアンリエッタの好物である。【公式設定】
それを拾いあげ、少女は几帳面な文体の字に目をはしらせた。
『土壇場であのいまいましい侍従が値をつりあげた。王女の髪...
腹立たしいが、数週間続いた園遊会もまもなく終わる。それ...
背筋をなにかの予感がはしり、アンリエッタは紙面の年号を...
ブリミル暦六二三九年。
その後につづく日付を、息をのんで食いいるように見る。彼...
あわてて次の紙面を手に取るが、日付はすでに数ヶ月とんで...
『私には、詩吟の才も絵心もないようだ。狂おしの情をあらわ...
まして異国の姫君に会うような機会は、この先この領地にと...
管理などマークに任せて、さっさと出て行ってしまおうか。...
この忌々しい森を受け継がねばならなかったためにアカデミ...
クリザリング家の家督を要求するものがいるなら、この森と...
『耐え難い。幾度あきらめようとしたことか。寝てもさめても...
この想いが叶う見込みがないことなどよく分かっている。い...
この領地で、わずかなりと興味を引きそうなものなど他に無...
『塔の中は宝の山だ。これほどの知の結集はアカデミー以外に...
さまざまな計画が頭に浮かぶ。決心できたことがある。
やってみるだけやってみよう。どうせ誰にも迷惑をかけない...
『塔に入って半年になる。塔のメイジが遺した記述をすべて解...
塔の出入り口で選別されるからくりも、クリザリング家の血...
だが望みどおりの魔法人形(ガーゴイル)を作るために必要な血の...
そこまで読んでなぜか不吉を覚え、心音が大きくはねた。
74 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:19:59 ID:IGcxM+4w
『[人体の設計図]は家系によって構造が大きく決まるが、それ...
血というのは言葉の上のことで、設計図は血のみならず皮膚...
あのとき櫛を買っておいてよかった。
櫛にわずか数本のこっていた愛しき栗色の髪を使い、以下に...
「姫さま!」
切迫した才人の呼び声がひびき、アンリエッタは紙を手にし...
同時に、机のうえに小さな緑色の影がまいおりている。
剣をふりあげかけていた才人が、それを凝視したまま当惑の...
「鳥? なんでこんなところに」
アンリエッタもあぜんとそれを見つめる。見覚えのある鳥だ...
とうに内容が理解不能になっていた紙が、力のぬけた指から...
その緑色の小鳥は、小さな足でとびはねて机のはしに近寄り...
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闇はまだ紫色にわだかまっているが、朝が近くなってきたこ...
森の一味に先導された防護拠点は、谷だった。涸れた渓谷。
はるか昔の水蝕によって地層にうがたれた谷間。
橋はかかっておらず、断崖の一方から一方にわたるには、一...
断崖から谷底におり、反対側の断崖にのぼれるよう岩肌に彫...
「『王の森』中にはいくつかこのような場所がある。過去にア...
ここでは敵がいったん谷底におりて登ってこようとすれば、...
高所からの攻撃の効果は見てのとおりだ」
王軍が誘導されて逃走してきたこの渓谷で待っていたマーク...
アニエスはその説明を聞きながら、眼下にくすぶる破壊の余...
かがり火を背に、マーク・レンデルは感心しきりという口調...
「しかしまあ、一瞬でかたがついたな」
……王軍兵士らが谷底におり、命からがらこちら側の岸に駆け...
あとは狙いをつける必要もなく、密集した敵に断崖の上から...
王軍をおって谷底に下り、ひしめく魔法人形たちに向けて銃...
75 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:21:19 ID:IGcxM+4w
とはいえ、物理的に行動不能になるほどその体を破壊されな...
火で焼かれ、穴をうがたれて金色の液体をこぼしながらも、...
崖にとりついてわらわらと這いあがりだした異形たちに、王...
まさしく一瞬であった。
ディスペルではもしかしたらまた動き出すかもしれないので...
光球とともに谷底は完膚なきまでに、動くものがすべて灰燼...
「……なんだかな……虚無とは便利なものだな。
ラ・ヴァリエール殿が息をついて攻撃でき、敵がそれをまと...
近衛隊は逃げるばかりだったな」
微妙に複雑な気分のアニエスなのだった。
周囲を見ると、魔法衛士隊も銃士隊もトライェクトゥムの兵...
森の無法者の一味が罠を提供し、ルイズが掃討した。王軍お...
ふんとラ・トゥール伯爵が鼻をならした横で、マザリーニが...
「一度背を向けて走りだしたら、その間はどうしようもあるま...
隊列をそろえて行う効果的な斉射が望めないのだから、反撃...
「アニエス、虚無が撃てないあいだ手をひいてくれたあなたと...
……ところで、そろそろ犬コロ共のところに行かないかしら?」
枢機卿に続きさりげなくアニエスに気をつかう声をだしたあ...
今のはもしかすると陛下まで含めていないか? と首をひね...
「しかし気をつけなくてはなるまい。たった今掃滅した魔法人...
ルイズは小さなあごをつまんでむー、とうなり、それから顔...
「あいつは厄介だけど、サイトの馬鹿がいればなんとかなるか...
とにかく合流しましょう」
案内をうながす目をマーク・レンデルにあてると、森の無法...
「陛下なら塔だ」
76 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:21:53 ID:IGcxM+4w
うなずきかけて絶句し、ルイズはまじまじと彼を見る。
アニエスが自分の耳をうたがう表情で狼狽の声をあげた。
「おい、どういうことだ!」
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
暗い足元を、なにか長いものがのたくって這っていった。
ひっとアンリエッタはのどの奥で悲鳴をもらし、才人の袖を...
ともし火の下、才人の顔色もよく見ればいいとは言えない。
「……離れないでくださいよ」
押し殺した声は、剣をぬいた少年がそれだけ神経を張りつめ...
先を飛んでいるらしき小鳥のrot! rot! という声がかれらを...
あの部屋でアンリエッタが見知っている小鳥と出会った後、...
先を飛び、扉をくちばしで叩いて、まるで先導するかのよう...
ものは試しについて行ってみよう――ためらいはしたものの結...
歩くと申しわけ程度の明かりがともる暗い通路は、よくよく...
水滴がしたたるような音。壁の向こうでからくり仕掛けが回...
通路から扉をあけて部屋に入り、通りぬけてまた通路に、そ...
(最上階に行くのに、階段を下りることまでするなんて)
アンリエッタは肌着の上に羽織った才人のマントを前でしっ...
異様な光景を何度も見た。
途中のひとつの部屋では最初からドアが開いており、その中...
その男たちはよく見ると上半身だけで、断ち切られた胴体が...
また別の部屋には、「……四十日間水銀と狼の牙と馬の胎盤を...
とくに黒々とした通路のひとつでは、ひざの関節が逆向きに...
壁のくぼみから首のない七面鳥がよたよた出て来もしたし、...
それらの全てが手をくわえられた魔法人形か、あるいはこの...
先をとぶ小鳥に置いていかれてはならない、とばかりに二人...
77 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:22:28 ID:IGcxM+4w
解毒薬の効果はその間にも刻一刻とうすれていき、アンリエ...
才人の腕にしがみつくようにして、ともすればもつれる足を...
よどんだ闇の中、お互いの体温だけが恐怖を追いはらう存在...
黄金色の液溜りが、通路や階段のそこかしこに多く見うけら...
これがなんであるのか、二人には見当もつかないが、〈永久...
すれちがう塔の不気味な住人たちのなかには、体の欠けた部...
……小鳥の羽音をたどり、四つ目の階段を上りはじめたとき。
闇がたむろする踊り場に、おぼろに新たなともし火がついた。
ひびの入った大きな鏡が壁にすえつけられていた。
才人が慎重に踊り場に足をのせて、剣先を鏡にむけつつ通り...
腕を引かれるままそれに従いつつ、ちらと鏡に目を送って――...
彼女は目を大きくあけ、「うそ」とつぶやいた。
凍ったように、体が動かない。
古い大きな鏡の中に、よく知った姿があった。
金の髪。青い瞳。
頭をかきそうな照れくさげな微笑。
ウェールズ様、とアンリエッタはその姿を見つめて蒼白にな...
それはゆっくりと手をあげて、出てこようとするかのように...
水の波紋のように鏡が波打った。
意識せずアンリエッタの体がよろめいた。
声に出して名を呼びそうになり――彼女はすんでのところでそ...
唇をかむ。涙があふれた。
(死んだわ、あの人はもう死んだのよ)
あのラグドリアン湖のほとり。アンリエッタの腕の中で、完...
幼い日の盲目の恋が、しがみついていた夢がくだけた日のこ...
皮肉にもその痛みの記憶が、目の前の光景を、危険な幻と認...
ぐいと強く、乱暴なほどに才人があせった様子で腕をひいた。
「早く!」
78 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:22:56 ID:IGcxM+4w
アンリエッタは顔をどうにか鏡からそむけ、踊り場をはなれ...
いやに焦る様子の才人はひきずるほどに力をこめていたが、...
幻影とわかってはいても心が千々にみだれていて、ともすれ...
陰鬱な静けさのみが後に残された。
踊り場が闇の底にきえたころ、アンリエッタはかすかにもれ...
「ありがとう、サイト殿……あの鏡の幻を拒めても、あそこから...
振りかえった才人の顔は、アンリエッタの予想していた外に...
おののいた表情。
「姫さま……鏡なんてあそこになかった。俺が見たのは……」
いや、と少年は言葉を切る。
彼がけっきょく何を見たのか語られずじまいだったが、アン...
見るものさえ食い違いだしている。
「……はやく上がりましょう。このいかれた塔はもうたくさんだ。
気づいてますか? 空気が違う。この階段の上から風がおり...
ますます強くアンリエッタの腕を引っぱって、才人は階段を...
引かれる少女は、二種類の薬のせめぎ合いに息を切らせて一...
急速に解毒薬の効果が薄れはじめている。
理性がなくなるのもそう遠くないだろう。
だが幸いに、幻惑と暗闇にみちたこの狂気の塔をさまようこ...
確かに階段の上からは、どことなくにおいの違う空気がただ...
森の樹脂のにおい混じる澄んだ外気が。
上る。
まっすぐ、ときに螺旋をかいて上へとつづく階段を。
途中から意識がぐらぐらしはじめたが、才人に肩をささえら...
茫洋と儚げな視線を階段に落としながら、アンリエッタの五...
黒い髪。黒い瞳。
つねはルイズを支える腕。服の上からはわかりにくいが、意...
薄れた思考にさきほど見た金色の髪と青い瞳がちらつき、そ...
心にある冷えた暗黒が、満たしてほしいと切なく疼く。
79 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:23:22 ID:IGcxM+4w
熱にあえぎながら、首をふる。
二人を混同しているわけではない。死んだウェールズとの絆...
とはいえ外見は似てさえいないが、彼らの内面に誇り高さや...
かれらへの自分の、恋のあり方も。
心弱くも人を恋い、甘い夢を捨てきれない。本来、自由が許...
その弱さがもたらす狂気にも似た衝動で、駄目だと頭でわか...
今のこの想いももしかしたら将来、そのような狂気につなが...
それでもやはり同じ夢を、未練がましく抱く。
――形となって添えずとも、
――せめては影と添えたなら。
(馬鹿なことを、薬のせいだわ……)
肩を支えられていなければ倒れこみそうなほど、ぐったりと...
今夜どんどん強まっていく、横の少年への恋慕の情は、盛ら...
……その全部が本当に薬のせいなのかは、いま考えるべきでは...
にもかかわらず、つづいて危険な疑問がうかんだ。
(でも……もしこれが解毒できたその後、心が変わっていなければ...
自分の心を、やはり制御できなくなれば?)
幸いにも、それを深く考えることはなかった。
前を急かすようにとびまわっていた案内役の小鳥が「rot!」...
階段が終わり、屋根裏部屋のような狭い空間があった。
いや、正確には、向かいがわの壁にわずか数段をのこしてい...
声がひびいた。第三の人間の。
「ほんとうに来れたのだな」
森林管理官ウォルター・クリザリング卿の声だった。
手首に包帯をまいているその男の目が、飛びまわる緑色の小...
二人を案内した小鳥は、いままで上ってきた階段にまた飛び...
クリザリングはややあっけにとられた様子だったが、すぐに...
「少々話すか」
80 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:23:54 ID:IGcxM+4w
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明け方ともなれば東の空が白みはじめ、星の光が追われてい...
塔のふもとに、王軍を主とする一行はあつまった。
「まるでガリアの画家の書いた『勝利せるスフィンクス』ね」
渋面のルイズが、塔の頂を見あげてそう評した。
天をさす尖塔の頂上にとまって、彫像のように微動だにしな...
人面獅子身の魔法人形は、塔にせまった一行の何本ものたい...
「へたに刺激せず様子をみるか、それとも戦うか」
「戦うといっても、さっき大きなエクスプロージョンを撃った...
アニエスとルイズがそう言葉を交わしたとき、スフィンクス...
転瞬、翼が広げられて、その姿が暁闇の中でぶれた。
「気をつけろ」とマーク・レンデルが叫んだときには、獣は...
反応がとっさにおくれたルイズやアニエスがあわてて杖や銃...
その途中で空からどさりと投げ落とされたのは、延髄をかみ...
それを見て顔面をひきつらせながら、ルイズが言った。
「……やっぱり迅いわ」
「……密集しろ。武器を上空に向け、いつでも対応できるように...
いまのを見たあとでは、油断するなという必要さえない。
アニエスの号令にしたがい、銃士隊と、暫時ながら彼女の指...
トライェクトゥムの兵たちも、指図するラ・トゥール伯爵を...
マーク・レンデルが見上げて舌打ちする。
「あの呪われるべき魔法人形は、俺の仲間を何人も殺した。
他の〈永久薬〉の効果を受けた人形どもと同じで、止めたけ...
囲むことさえ難しいんだ」
ルイズが元森番に向き直った。
「地面に落として動きを止めたらどうにかできるわけよね?」
81 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:24:22 ID:IGcxM+4w
「ああ。もしそんなことが出来るなら直接、斧で壊してやるさ。
メイジの方々もいるし、足さえどうにか止めればいいのだ」
「ディスペルを命中させたらいいわけね。塔の扉とおなじです...
けっこうよ、次にあれが降りてきたらそうするわ。エクスプ...
「この距離でも銃の一斉射撃なら何発かは当たるかもしれな...
「銃弾など当たっても無駄だとわかっているだろう。
それでどうにかなるようなら、俺たちがこの場で矢を何本で...
アニエスが突き立てるようなまなざしを送った。
「どのみちあの魔法人形は危険だし、この塔のなかに陛下がい...
塔の中では人形に襲われることはないというが、おまえも実...
先走らずわれわれを待てばよかったものを」
マーク・レンデルはアンリエッタと才人を塔に送ったことに...
元森番が、肩をすくめて答える。
「そうは言っても最初は逃げていたあんたらが、あの魔法人形...
この塔の頂上にいる『塔のメイジ』さえ陛下に解放していた...
どのみち、塔の扉を開けられるのは陛下だけで、陛下の様子...
さらになにか言いつのろうとしたアニエスを、ルイズがとど...
「アニエス、もういいわ……どうせサイトの馬鹿が積極策に賛同...
お、お、女の子がからむときは特にね。……考えてみれば、い...
「私は知らん」とアニエスがやや気おされている。
ルイズの怒りと諦念のこもった論評は、多分に曲解している...
もっともルイズは、無茶という意味では自分も同様のケがあ...
「とにかくあと少し、朝日が昇るまで待ってみるのがいいわ。
それでも出てこなかったら、今度はエクスプロージョンを塔...
開かないなら壊して入ればいいのよ」
82 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:24:52 ID:IGcxM+4w
言葉をかわす人間たちを一顧だにせず、塔の上でスフィンク...
その瞳のない目は悠遠なる森のかなた、天と地の境界線を見...
刻一刻明るさを増してゆく東の空には、暁の雲が紫にたなび...
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「まだ階段はあるが実質、ここが最上階だ。
そこの半階分の階段をのぼり、扉一枚をへだてた向こうに、...
ウォルター・クリザリングの声が、角ドーム状のレンガの天...
いままで塔のなかで見なかったもの、飾り窓がここにはあっ...
ゆらぐ火焔のような形や六芒星の形の窓には色とりどりのス...
それでも、外には朝が来ているのか定かではない。飾り窓も...
部屋の片すみにあるネズミが通れる程度の小さな穴からは、...
「陛下……いや、どうせだからアンリエッタ姫と呼ばせてもらお...
あなたはここに来た。おそらくマーク・レンデルにでも吹き...
たしかにそうすれば手前が王軍にけしかけた魔法人形たちは...
じつのところ塔に入れるなら、あなた自身が魔法人形たちに...
このとき、ルイズによってすでにそれらの魔法人形たちは壊...
声もとどかない態で、息荒くぐったりと頭をうつむけている...
「〈永久薬〉って厄介なしろものも万能じゃないようだな」
「ああ、万能どころか。永久薬は要するに『無尽の動力、また...
魔法人形となったこの身にしても不死など夢、せいぜい不老...
だから塔のメイジの心臓を破壊すれば多くの魔法人形が止ま...
マーク・レンデルのもとに来た斥候からクリザリングの正体...
彼の行なった業そのものに、いわく言いがたい反発をおぼえ...
が、才人の面にでている気色などに注目せず、クリザリング...
「千年前、ゲルマニアからアルビオンに流れてきた『塔のメイ...
しかし塔のメイジは〈永久薬〉をつかってアルビオン王家に...
韻々と床天井や壁にはねかえり、荘厳ささえおびた声が歴史...
83 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:25:41 ID:IGcxM+4w
「反乱はふせがれ、塔のメイジは本来禁じられた技であった『...
以来、その子孫であるクリザリング家は代々、特別に世襲の...
ここに入れるのはわが一族のみだった。この塔で錬金術を探...
『制約』をかけた当のアルビオン王家のみがこの上位に立っ...
才人はアンリエッタを気にかけながら、いらだたしげに応対...
「よくしゃべるな。いろいろと守秘義務があるんじゃないのか...
「アンリエッタ姫が今ここに来ている以上、どうやらその歴史...
この機会にいろいろ吐き出しておかずば、わが一族が代々な...
まだ重要なことはほかにもある。この塔自体が、『塔のメイ...
だから、塔を統括していた塔のメイジが十重二十重に『制約...
時間がたつほど弱っていく女王のほうが気になっていた才人...
「そこの扉はクリザリング家のものですら入れない。千年前よ...
だが塔の入り口がすでにアンリエッタ姫をアルビオン王家の...
ところでたった今、疑問がわいた。
塔が強引に、他者の手によってあばかれることに対しては手...
だがアンリエッタ姫はたまたま塔の『血』を基準にした判定...
他人事のようにあごを撫でてつぶやいているクリザリングに...
「話は終わったんだな。
いいからそこを通せよ」
声に気迫をふくんでいる。
才人に肩を支えられてやっとのことでここまで来たアンリエ...
ここにいたっては、彼は実力で押しとおるつもりだった。
森林管理官の目が才人を素どおりし、アンリエッタの様子に...
「おや、アンリエッタ姫は調子が悪いのか? それはよろしく...
クリザリングの声に対し、才人は「薬を盛っておいて白々し...
最初は空とぼけていると思ったが……違う気がする。
どことは言えないが、妙だった。
84 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:26:12 ID:IGcxM+4w
だが、才人が問いただすより先に、汗をしたたらせながらア...
才人は止めようとして思いとどまり、ただいつでも前に飛び...
アンリエッタはにじり寄るように扉にむかっていく。正面に...
「ウォルター・クリザリング卿……」
階段に足をかけながら、アンリエッタの熱にうかされた苦し...
「あなたの、求婚は……お断り、します」
おもわずといった様子で少女に道を譲っていたクリザリング...
「それは残念だ」
階段の上で、風のルビーとアンリエッタの血統に反応した扉...
………………………………………
……………………
…………
奥行きのある衣装だんす程度の、狭い空間。
まがりなりにも窓やたいまつがあった塔のほかの部分と違い...
千年間の完全な暗黒にようやく差しこんだ光は、今アンリエ...
開いた瞬間に異臭がふきつけ、朦朧としていながらもそれを...
人間の姿はなかった。より正確には、人体の完全な姿がなか...
戸口に立ったアンリエッタの足元を、中からあふれ出した金...
靴をぬらし、階段にこぼれ落ちていく。
それに嫌悪感をしめすことも忘れて、アンリエッタは中の光...
流れだしていく黄金溶液の中、リンゴほどの大きさの金色の...
心臓の形をしているそれは絶え間なく脈打ち、光り、そして...
流れだしていた〈黄金の血〉ごと、しゅうしゅうと煙をあげ...
同時にアンリエッタをさいなんでいた体の熱と重みが、淡雪...
慄然としながら階段を下りるように後ずさりつつ、アンリエ...
………………………………………
……………………
…………
85 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:26:42 ID:IGcxM+4w
「……やはり人体そのものはとうに崩壊していたようだな。
〈永久薬〉である血と心臓だけ残っていたか」
薬の効果をはらった少女が階段をおりてくると、クリザリン...
「扉が開けられれば心臓を自壊させるよう、千年前のアルビオ...
塔自体におよぼされていた諸々の、〈永久薬〉の効果も切れ...
たしかに、すべてが一変していた。
あの重苦しくよどみ、呼吸器にへばりつく黒い霧と血漿の臭...
ステンドグラスを通ってくるかすかな光は、今ならはっきり...
まだ弱いが、妖気ただよわない好もしい光だった。
最前の光景を思いかえして眉をひそめ、クリザリングに向か...
「この塔はもっと早く、こうなるべきだったと思います。
人は人としての死をむかえるべきだわ」
「ふむ……」
まともに答えず、クリザリングは思案顔になる。
それから彼は天井を見た。
つられて、アンリエッタが顔を上げる。
その刹那、ガラスの破砕音が影とともに室内にとびこんだ。
壁の一つの窓が外側から猛然と突きやぶられ、ステンドグラ...
青や赤や紫の色のついた綺羅たるガラスの破片が、床に落ち...
アンリエッタの反応より早く、才人がその前に飛びだしてデ...
だがその一剣は、魔法人形の歯にがっちりとくわえられて止...
窓を破って飛びこんできたスフィンクスは黒い刀身をぎりぎ...
剣をつかんだまま、あわてて半身になって才人が避ける。
ぱっと両者は離れたが、才人がわずかに後退したのに対し、...
焦った才人がデルフリンガーで迅突を送ろうとした瞬間、そ...
両者ともに、おどろくべき反応速度だった。
たがいに争う動きは止まらずまたも床を蹴り、壁や天井をは...
才人の剣がスフィンクスの体を浅くだが切り裂き、傷口から...
それでも魔法人形はまったく意に介さずガチガチ歯を鳴らし...
86 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:27:32 ID:IGcxM+4w
「隅にいろ、姫さま!」
ガンダールヴの力を使っていながらスピードで拮抗され、さ...
あまりの戦闘展開の速さに、余人が手出ししようにもかなわ...
アンリエッタは血相を変えて、泰然とたたずむクリザリング...
「クリザリング卿!」
「あの魔法人形は手前から供給された〈黄金の血〉で動いてい...
塔のメイジの心臓が破壊されたからといって止まりはしない」
「あれを止めなさい! 今すぐです!」
「さて」
自分の首に手をあててごきりと鳴らし、クリザリングは万事...
「先祖伝来の役目を失い、加えてどうやら長年の懸想も破れた...
が、塔の力のほとんどは失せたとはいえ、始末するレポート...
それを片付ける間、邪魔されてはなるまい。あれには足止め...
「邪魔など……!」
言いつのりかけて口をつぐみ、アンリエッタは破れた窓にか...
体を旋転させ、渾身の斬撃でどうにか魔法人形をとびすさら...
その背中から腕をまわし、少年の驚きにかまわずアンリエッ...
才人がうろたえ声を出す。
「待った、あのちょっと、落ち……!」
………………………………………
……………………
…………
落ちた。
いまや山の陰から太陽が顔をだす寸前の、それなりに明るい...
下の地表には百名をこす人間があつまっていた。
多くが近衛隊であることも落下する前の一瞬に見てとれた。...
87 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:28:28 ID:IGcxM+4w
森の朝もやのなかを、尖塔の壁に沿うように落下し、数十メ...
地面に激突する前に、フライが間に合った。
体勢をととのえてから、塔の前の地面にふわりと舞い降りる...
冷や汗が一気に噴出し、心臓がばくばく猛抗議している。
「……姫さま……次やるときは前もって言って……」
「す、すみません、落ちる前から唱えていたのだけれど、あそ...
この人けっこう考えが甘いんだよな、と寿命を縮められた才...
それらを押し分けて出てきたルイズが、ものも言わずいきな...
膝立ちの才人が目を丸くして、抱きついてきた恋人の背をな...
アンリエッタが二人を少しのあいだ見て、それから黙って目...
ルイズは人の目を思い出したように顔を赤くして才人から離...
「上だ、来る!」
とっさにマーク・レンデルの声が鞭のように人々の意識を叩...
才人が起きあがると、ワシの翼をもって急降下してきていた...
アニエスが舌打ちし、肩にかついでいたマスケット銃をかま...
「やはりゴーレムを呼び出してみるか」とは、ラ・トゥール...
ほかにも「風の刃で翼を切ってやる」と意気ごむ者、「血を...
またもスフィンクスが獰猛なうなりを発して壁面から飛び立...
恨みをのせた悪罵をつぶやき、森の無法者一味の一人が長弓...
ひゅうと鳴って飛んだ矢が、魔法人形の後肢を見事につらぬ...
せいぜい鬱憤ばらし程度の効果しかなかったことはだれの目...
才人が剣の平をたたいた。
「おいデルフ、なんかいい知恵ないか?」
『手こずってんね。そうさねえ』
妙にのんびりとデルフリンガーがつぶやく。横で聞いていな...
88 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:28:53 ID:IGcxM+4w
「あるならさっさと言いなさい!」
『飛んでる相手なんだから飛び道具使えよ』
「だからいくら当たっても……あ」
ルイズが何かに気づいたように目をみはる。
才人をひきよせて、何事かささやく。
少し考えた才人が、マーク・レンデルをよばわった。
そうしている間に、スフィンクスはなおも降下をはかってき...
その猛禽を思わせる動きには、しかし生物の狩猟にある荒々...
不幸にして目をつけられた若い銃士隊員が、場違い感のぬぐ...
隊員は無傷ですんだが銃身は前肢の一撃で折れまがり、魔法...
怒声と詠唱が地表の人間たちから聞こえ、続いて魔法と銃弾...
目の前を飛び回られながら決定的な手のないことに憤懣をお...
その頭上で悠々と向きをかえ、スフィンクスは何度目かの降...
このとき、飛んだ矢が今度はその翼をつらぬいた。
血も凍るようなおめき声が、その魔獣ののどから発せられ、...
魔法人形は空中できりきり舞いしつつ落下し、大地に激しく...
人々が感じた地面の震えがおさまる前に飛びおきたが、今の...
スフィンクスの瞳のない目が、自分を射抜いた黒髪の騎士を...
才人はマーク・レンデルに借りた、自分の背丈より大きいイ...
杖をふっているルイズの手の中で、矢にふたたび虚無魔法が...
デルフリンガーが得意げに言った。
『あの反射使いのエルフとやったときの応用だぁな。あんとき...
原始的な構造ながら弩(ボウガン)より飛距離が長く、連射が...
武器を使いこなすというガンダールヴの能力のたまものでは...
ルイズからディスペルをまぶした第二矢を受け取って、才人...
放つ。
89 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:29:22 ID:IGcxM+4w
なにげないが手際がなめらかでこれ以上なく速く、しかも狙...
今しも走りだしかけていたスフィンクスの、わき腹の皮膚と...
致死毒を流しこまれたように魔法人形は一瞬で転倒した。
時をおかずマーク・レンデル以下森の無法者たちが斧や鉈を...
なかなかに酸鼻な光景を見て、アンリエッタとルイズがやや...
彼女らとて、〈永久薬〉の効果で復活する可能性があるため...
弓を下ろした才人の横で、アニエスがいろいろと疲れのある...
「おまえらが揃うと、片づくのが本当に早かったな……ここまで...
いっそ最初から組ませておけばよかったのか」
微妙にやさぐれているアニエスに対し、アンリエッタがフォ...
「えー……ええと、あなたがサイト殿を残す判断をしてくれたお...
それを背後で聞いていたルイズの表情に、複雑そうな色が浮...
彼女はだまって才人に向き、じっと見つめる。
才人も沈黙して見返す。
ややあってルイズが手をのばし、才人のパーカーのチャック...
口づけの痕が、少年の鎖骨から首筋にかけて余すところなく...
振りかえって気づいたアンリエッタが頬に朱を散らしてうつ...
キスマークを目にして、ルイズの無表情の沈黙が鬼のごとき...
先ほど抱きついてきたときよりも震えているルイズに、才人...
「……言っとくが完全に事故だからな? ――ぅぐぐぐ!?」
ルイズが才人の首に手をかけてぎりぎりと絞めはじめた。
その場に押したおして馬乗りになり、衆人環視のなか使い魔...
以前は「ルイズ、レディのすることではないわ」とルイズの...
金色の返り血にべっとり濡れて戻ってきたマーク・レンデル...
要するに、平和な朝が戻ってきていた。
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
しばし後。
塔の内部。
90 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:29:47 ID:IGcxM+4w
……「ウォルター・クリザリング」は歩く。
塔のメイジの千年前の秘術により無限の広がりを持っていた...
だが入れなくなったなら、それはそれでいい。問題は、残っ...
すべて火にくべてしまうつもりだった。
手燭を持って、暗い階段を降りゆく。
扉をあけてあちこちに入り、油をまいて炎を放ってゆく。
上階から下階へ、火と煙を満たしながら歩みを止めない。
その歩みが止まったのは、最後近くの一つの部屋、その開け...
室内に動くものがいた。
紫のローブをはおったその者は、立ったまま書類の束をめく...
クリザリングは挨拶もなく乾いた声で「なんだ、その姿は」...
「ああ、この格好と声か?」
歌うような、男とも女ともつかない声が返る。オペラにたと...
「私が女性型であることを見てとると、舐めてかかってくるや...
いちいち肋骨の間に刃を通してやるのも面倒なので、ローブ...
声は自分でいじらせてもらったよ。薬でのどを少し変えた」
女王と対したときよりずっと警戒した声が、クリザリングの...
「この塔に帰ってくることを許した覚えはない」
「覚えはなくとも、今となっては強制できまい。
私はお前の許しを得たから入るのではなく、塔の入り口が解...
クリザリングは思いかえす。先ほどの小鳥はこの者の使い魔...
あれはおそらく空気を取り入れる穴から入ってきたのだろう。
その小鳥に女王を先導させ、最上階に連れてきたのはこの、...
非難めく言葉を発する。
「おまえ、塔を解放するのは反対だと昨日言っていたくせに」
「嘘だよ、悪いな」
「その紙を出せ。燃やさねばならない」
91 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:30:14 ID:IGcxM+4w
「嫌だよ。持っていく」
ことごとく人を食ったにべもない返答に、情動の薄い森林管...
「おまえをたたき出したとき、余分な金をすべてくれてやった...
「ああ、不満だ。なにもかも。
持ち出していた薬のおかげで、この半日はなかなか楽しい喜...
「……女王の様子がおかしかったのは、おまえの仕業か?」
「なに、指示してほれ薬をね。女王の危機感をあおるだけなら...
女王の護衛は優秀だなあ、私の思惑どおり塔を解放するのに...
なんだ、そんな顔をして? 破滅願望をかかえていたおまえ...
クリザリングはじっと相手を見つめ、うんざりしたようにつ...
「確かにそうだが、造ったホムンクルスふぜいに運命を左右さ...
ましてや、陥れられて喜ぶはずがあろうか?」
失笑が紫ローブの者のフードの陰からもれた。
「いかにもおまえに造られたホムンクルスではあるが、おま...
「おまえの抱いた計画など要するに、『懸想した相手を造りだ...
熱意をかたむけてこの塔の錬金術の蘊奥をきわめた一代の秀...
悪くはないが、どうにもいじましく笑える話じゃないか」
立ちつくすクリザリングは否定しない。
かつての人間であったころの彼が塔に入った動機は、まさに...
フードの陰で、その者の優美な唇が嘲笑まじりに言葉をつむ...
「おまえは人を捨てて以降も卑小だ。破滅を望む心を内側に、...
どうせ破滅を望むなら、それは外に向け積極的におこない、...
毒にも薬にもならないよりは、強烈な毒であるべきだ。あた...
人の快楽は主として『消費』にともなう。富を例にあげると...
そして古来、王侯らがしめした富の究極の消費とは、最終的...
歌うような。
コントラルトの音域の。
92 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:31:01 ID:IGcxM+4w
「だから、金銀を持つならそれを溶かして庭園の泉を満たす。...
その破壊の楽しみの果てにこそわれわれの人造の心にも、想...
認識できる他者など要するに『自己以外のすべて』にすぎな...
私はそれを実践するつもりだ」
「怪物め」
クリザリングの短く硬い声に、紫ローブの者はくすりと笑い...
「ひどい言い様だ。お前が私を造ったのだろうに。
それに私のほうが、身体においてお前より人間に近いではな...
人間の体にともなう種々の快楽をこの身に備えておいて欲し...
「スフィンクス」
紫のローブをまとったホムンクルスに答えず、クリザリング...
ずるずると体をひきずって、彼の手がけた魔法人形が入って...
翼は折れ、四肢は三本までが途中から絶たれ、胴体は大きく...
クリザリングは命令した。
「そいつを殺せ。ここで禍根を断て。
これについてはアンリエッタ姫のいったとおり、ずっと前に...
その命令にしたがい、体をひきずって這いよってくる魔獣を...
「コカトリス、止めさせろ」
どこかにいた緑色の小鳥がクリザリングの眼前に唐突に舞い...
避けるひまもなくその目にのぞきこまれ、クリザリングは凍...
その後は石化したように動けなくなった。魔法人形の体の、...
紫ローブのホムンクルスは、なんでもないことのように言う。
「コカトリスの眼の力は、二種類あるとお前知っているだろう...
塔で造られた魔法人形であるこの緑色の小鳥にそなわる異能...
「おまえの〈黄金の血〉をコカトリスには飲ませておいた。赤...
ひとつは、その視認した映像を他者に伝えること。
通常の使い魔にも備わった能力を、さらに高めたようなもの...
また見た記憶をつぎ合わせて映像を「編集」することもでき...
93 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:32:33 ID:IGcxM+4w
もうひとつ、今使っている能力は、古来から邪眼と呼ばれた...
目を合わせた相手の意思をねじふせ、随意筋の動きを支配し...
ただしこちらの力は、コカトリスが血を飲んだことのある相...
「私が造ったこいつは便利だろう、〈山羊〉を始末するときに...
ところでじつは私は、おまえに用があったんだ。しかし本題...
私はもともとあの女王にそれほど興味はなかった。オリジナ...
コカトリスにクリザリングを拘束させたまま、壊れかけのス...
紫ローブをまとったその者。
錬金術的肉体編成の一つの完成形、肉の器でできた命ある魔...
千年間熟成された塔の狂気を、存分に宿したホムンクルス。
「アンリエッタ・ド・トリステイン……白百合の玉座の女王、ト...
タルブの戦勝をもたらして即位し、平民を抜擢して新たな手...
権力ゲームに勝って政権掌握し、侵略されることで始まった...
栄光に満ちたこれまでの結果をみて最初は、面白みのない名...
ローブのすそをひるがえし、ホムンクルスは腰にさしていた...
「おそらくあの女王の内面を満たすのは、暗愚と過誤と、無知...
行動を読ませない要素を持った、きわめて人間らしい女王。...
最初は邪魔者の女王を消してからトリステインを引っかきま...
それはクリザリングにナイフの柄を差しだす。
コカトリスの邪眼の力が、そのナイフを受け取ることをクリ...
「だがおまえ、『アンリエッタ姫』がからむと、私が遊ぼうと...
まあいいさ、こちらはこちらでこの冬の間、新しい遊び仲間...
さて、私は地獄の季節を見るつもりだ。そのために、おまえ...
さあコカトリス、彼を見ろ。
胸をみずから切りひらかせ、その黄金の心臓をつかみださせ...
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
朝日のさす港。主のいないクリザリング邸の前。
桟橋の木につながれたフネの出港準備は終わり、タラップが...
その前で、アンリエッタはラ・トゥール伯爵と向かいあって...
94 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:35:12 ID:IGcxM+4w
女王は近衛兵のほとんどを遠巻きに控えさせているとはいえ...
それに対しトライェクトゥムの領主は一人きりである。その...
彼の一見して落ち着きはらっているが裏側に緊張の透けてみ...
(わたくしに薬を盛ったのは、ほんとうにクリザリング卿だった...
今回の事件にはさまざまに不可解な部分が残っている。
あの森林管理官が、少なくともかつてアンリエッタに懸想し...
だが心のどこかが納得していなかった。
結果としてクリザリング卿には何も残らなかった。
一方のラ・トゥール伯爵は、アンリエッタが何も言わなけれ...
この港や、〈永久薬〉を使った風石はもうないがそれ自体で...
看過するには、彼一人が得をしすぎている。
だから、彼女はラ・トゥールを呼んで、その反応を見ている...
彼女はまがりなりにもこの男の主君であり、反逆行為の存在...
(でも……印象だけで言えば、彼が犯人であるとも思えないわ)
今、泰然をよそおいながらこちらの様子をうかがうラ・トゥ...
だが、自分自身にいだくやましさの色は見当たらないのだ。
むろん直感で決めるのは間違っているにしても……そもそも事...
アンリエッタは判断に困り、横のマザリーニを助けを求める...
ほれ薬の一件を聞いた宰相もまた、考えこむそぶりを見せて...
マザリーニがそっと、アンリエッタの手に紙片をすべりこま...
“商談を受けたとだけいいなさい”
「陛下……?」
ややためらいがちにラ・トゥールが声をかけてきた。
すこし考えたあと、アンリエッタはごまかすように笑みをつ...
「いえ、このたびはご苦労さまでした。事業についての提携は...
ラ・トゥール伯爵がぱっと喜色満面になる。
「陛下! それでは昨夜の晩餐の席で語ったことをも、お聞き...
95 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:35:41 ID:IGcxM+4w
(ええと、なにを要求されていたかしら?)
晩餐のときはぼんやりしていた女王はやや慌てたが、心得た...
「ああ、事業を潤滑にすすめていただくため、貴君にトライェ...
武装権、市場の開催権、下級裁判権などの権利の多くを、王...
ただし、市政の決定のすべてには市参事会の同意が必要であ...
恐縮しながらも、隠しきれない喜びをたたえてラ・トゥール...
「……枢機卿、説明していただいてもよろしいかしら」
「なんなりと」
「あなたの言うとおりに、ラ・トゥール伯爵を問いつめること...
けれど、それでよかったの?」
ラ・トゥールに好感をもてなかったらしいアニエスが、同意...
マザリーニはうなずく。
「いまさらあの男を問いつめて、われわれが何を得るでしょう...
すくなくともこの先、あの男はわれわれに忠実だと言えます...
じつのところ、ラ・トゥール伯爵のトライェクトゥムにおけ...
彼はみずからの地歩をかためるため、王政府との結びつきを...
「そのために、彼が王権に侮辱を加えたのかもしれないことを...
「世にあらわにならない侮辱は、王が守るべき名誉にとって存...
陛下、悔しいかもしれませんが、あなたの災難についてはこ...
それに、私個人の印象ですが、彼があなたに薬を盛ったとは...
「それは、わたくしも感じたけれど……では、彼に都市の大権を...
数代前に実権をうばわれたラ・トゥール家が、王家のお墨つ...
商提携するだけならともかく、王家がそこまで認める必要が...
「いえ陛下、いまのラ・トゥール伯爵はすでに市参事会の筆頭...
これまで王政府の名において参事会に認めていた特権を、そ...
毒食らわば皿まで、ですよ。われわれがトライェクトゥムの...
彼は平民を愛するような人間ではなさそうですが、得になら...
96 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:36:25 ID:IGcxM+4w
いちおうの納得はしたものの、不満げな表情にアンリエッタ...
マザリーニが懇々と言いきかせてくる。
「またラ・トゥールは、改革を行おうとしている一点では、あ...
トライェクトゥムで改革を拒み、既得権にしがみついている...
めぐりめぐって改革の成果を世に印象づけ、われわれの手駒...
最後にこれが重要ですが、ここ最近あなたの施政において、...
「……わかりました」
いまだすっきりしない感はあるものの、アンリエッタはひと...
ここしばらくの国政では、自分の意向を通しすぎたという負...
彼女はマーク・レンデルに向きなおる。
「森番殿、今回のことでは大いに助けられました。あなたの助...
トリステインではいま、指揮官も平民からなる軍隊を育てて...
トリステインに来てみませんか? 新設軍の軍事顧問として...
「陛下……もったいないお言葉ですが、私は粗野な野人でして。...
苦笑気味にことわられ、アンリエッタは「そうですか、無理...
マーク・レンデルがひざまずいた。
「陛下、感謝を申しあげねばならないのはわれわれのほうです。
本来なら陛下の言葉に逆らうべきではありませんが、いま少...
塔の残骸を完全に焼きこぼちます。それがウォルターの望み...
ですが、陛下になにか苦難あれば馳せ参じて微力をつくすこ...
ありがとう、と答え、アンリエッタは次にアニエスに向きな...
「隊長殿も、ほんとうにご苦労さまでした。
なにか報告があるかしら」
「はい。クリザリング卿の富についてです。その財を成したや...
先年の秋の事件とかかわりあるかもしれません。
ですが、いまは陛下もお疲れではありませんか?」
97 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:37:09 ID:IGcxM+4w
「気にしないで……いえ、そうね、いったん帰国してから詳しく...
サイト殿。ルイズ」
最後に彼女は、才人とルイズに向きなおった。
屈託なく、とはいかないらしい。声が硬い。
「ルイズ、ありがとう。あなたの活躍は聞きました、あなたは...
サイト殿には本当に、あの、ご迷惑を……」
「いえ、大したことでは……」
昨日の昼とおなじく、妙にぎこちなく視線をそらしあう才人...
ルイズは深呼吸の後、声をかけた。
「あの、姫さま」
「あ、な、なにかしらルイズ」
「ちょっとお話しても?」
「も、もちろん……いえ、待って、それも帰国してからゆっくり...
いまはその、みんな疲れていることですし。あなたたちにも...
妙にあわてつつアンリエッタはスカートをつまんで、そそく...
「に……逃げたのかしら」
後ろ姿を見送りながら、呆然とルイズがつぶやいた。
なんとも口をだしかねている才人は、かたくなに沈黙を保っ...
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
数日後。
トリステイン北東部の低湿地帯。
堤防、灌漑、堰などによって水が人工的に制御されてきた地...
陽光が水にきらめく大河のほとりを、馬に乗ったラ・トゥー...
ゲルマニアの奥から端を発し、とうとうたる流れとなってト...
河畔には国境をまたいでいくつもの都市が点在し、物流きわ...
なかでも最大の都市トライェクトゥムをかこむ五重の堅牢な...
98 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:37:51 ID:IGcxM+4w
トライェクトゥムの市の紋章は、「ハンマーと鉄床」である。
遠い昔にラ・トゥール家が、王家に都市領主としての実権を...
むろん平民が公職につくことがおもてむき禁じられているト...
しかし、独特の選挙方式でこれまでは、平民が陰ながらの選...
それも現参事会筆頭役人、かれアルマン・ド・ラ・トゥール...
水のたたえられた堀の大きな石橋を歩く。
市の入り口、ハンマーと鉄床の紋章がきざまれた、幾重にも...
ラ・トゥールはちらと横目で、馬をならばせている秘書を見...
「下りろ」
ぞんざいに言い捨て、率先してみずから機敏にひらりと馬か...
秘書はおどおどしていたが、素直にしたがって下りた。
下馬した瞬間、体をひるがえしたラ・トゥールの拳がとび、...
鼻血をこぼして殴打によろめく暇もなく、都市領主の太い腕...
血走った目が、顔の下半分にだらだらと血をながす秘書の顔...
「ふざけているのか、貴様? 森を逃げているとき、あの平民...
おまえだろ? なにをした、あの晩餐の席で? ワインを注...
私が秘書の責任をとらされたらどうするつもりだったんだ、...
誰の差し金だかわかっているんだぞ、あの狐野郎だ、ベルナ...
「違わんな」
春の陽ざしのなか、木枯らしより冷たい声がラ・トゥールの...
ゆっくりとラ・トゥール伯爵はそちらに目をむける。
「ベルナール」
彼の長年の政敵がそこにいた。
僧服をまとった、少壮の年齢の男。ひげはなく頭もそってお...
周囲が冬に戻ったかと錯覚させるような声。その雰囲気はタ...
トライェクトゥムでもっともラ・トゥールを警戒させ、その...
「離してやれ、アルマン。おまえの言うとおり、責任はわたし...
99 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:38:55 ID:IGcxM+4w
秘書は、血をふきこぼす鼻を押さえて、憎しみに満ちた目で...
ラ・トゥール伯爵はその視線にこたえることもなく現れた男...
「ウォルター・クリザリング自身が陛下に薬を盛ったにしては...
となると、ワインの給仕をまかせていたこいつが怪しいに決...
ベルナール、これでお前は破滅だ。トリステイン国王に毒を...
「女王に毒を盛ったうんぬんは知らんな。
まあ、『万事、協力者にしたがえ』と指示したのはわたしだ...
ベルナール・ギィはそっけなくそう言い、手をあげた。
杖を取りだしたラ・トゥールがなにか言うより先に、その背...
絶叫して割れた頭を片手でおさえ、うずくまったラ・トゥー...
頭部を血まみれにしたラ・トゥールは、見おろす者の一片の...
さらに気づく。
アーチ門の向こう、市内部のほうから、いくつもの人影が現...
平民の商人、職人組合の親方たち。靴職人も毛皮職人も、ろ...
かれらに影の投票で選ばれた、古くからいた参事会員たちも。
だれもが、冷酷な目で彼を見ていた。
「おい、貴様ら……私は参事会内での正式な投票で選ばれた、貴...
クーデターを起こされたと知り、ラ・トゥールは信じられな...
「しかも女王陛下の許しを得て、名実ともにそろった都市領主...
その決定に逆らう気か! これは私に対するのみならず、国...
「正式な投票とやらを行ったおまえの子飼い、または賄賂をう...
『組合親方連による参事会員選出』などの、長年の平民重視...
まあ暗殺や脅迫については証拠はおまえにもみ消されてしま...
反逆でいいとも」
あっさり認められ、かえってラ・トゥール伯爵の面に恐怖の...
ベルナール・ギィの後ろでは、いっせいに都市の有力者たち...
「このラ・トゥールの野郎が示した『空路交易』の案に、王家...
平民主体の船の水路交易から、風石と風魔法でうごく空のフ...
王政府はそれを無視しやがった」
100 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:39:38 ID:IGcxM+4w
「ああ、だれもかれも恃むにたらん。ラ・トゥールを掣肘して...
「我らを見放しただけではない、王政府はラ・トゥールの味方...
トライェクトゥムは王家に深く干渉され、ほしいままに利権...
「こうなれば傭兵を雇おう。うちの息子も市民兵に志願すると...
「まてよ、相手は襲撃してくる群盗とはわけが違うんだぞ。ト...
彼らの蜂の巣をつついたような議論のなかで、最後のせりふ...
「そ、そうだ、反逆の結果を考えていないのか! 王家を敵に...
どれだけトライェクトゥムが富裕でも、一都市対一国で勝て...
直後に、ベルナール・ギィの凍てつくような声が一同の上を...
「いい機会だからみな聞け、するなら一都市対一国にはしない。
『武器税』で、いま貴族たちは王家に反感をいだいている。...
女王の施行した武器税のため、王軍のみならずわれわれも出...
さて、だれか棺おけ職人を呼んでこい。作っておいた棺を届...
「ああ、それならここに持ってきましたぜ」
朗らかな声とともに、鉄の棺が縄でくくられてずるずると引...
縄の端は牛にくくりつけられており、その牛の鼻面をさらに...
その横で、竜にまたがってやってきた紫のローブの者が、「...
緑色の小鳥が周りをとびまわっている。
ベルナール・ギィ、都市トライェクトゥムでもっとも冷えて...
「数百年前、ラ・トゥール家の当主たちは、反抗の色を見せた...
子孫の身で試してみるがいい、アルマン」
引導を言いわたされたとき、絶句していたラ・トゥールの表...
恐怖と焦慮と憎悪を激情にかえて、ラ・トゥール伯爵は絶叫...
「……この、分不相応に欲をだす平民ども! 平民にすりよる誇...
おまえら全部呪われろ、五体を裂かれて地獄に落ちろ……!」
破れかぶれの悪罵を聞いて、顔色を変えたのは市民たちでは...
かれは前に出ると、ラ・トゥールの腹を蹴りあげた。
うめいて横転した彼の胃の上あたりを執拗に蹴りつづける。
101 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:40:20 ID:IGcxM+4w
「分不相応といったか? 俺たち平民だって儲けてなにが悪い...
六千年だ、六千年だぞ、貴族の圧政に呻吟し、富と力を奪わ...
てめえらは生まれもった立場にものをいわせて、商売で成功...
てめえらこそが地獄に落ちろ! 共和主義の勝利をそこから...
〈鉤犬〉のわめき声に対し、場の幾人かが顔をしかめた。
ラ・トゥール反対派の古い参事会員たちである。かれらも一...
この一幕が目に入らないかのように、ベルナール・ギィがア...
紫ローブの者をふくめ、数人が集まると彼は話しはじめた。
「政府の決定、アルマンを支持するというのはおそらく女王で...
これまでのように平民主体の都市自衛軍が、メイジ主体の貴...
その場合わたしとて、決起するのは危険と判断したろう」
不安まじりの視線が、市の有力者たちからそそがれる。
彼は「しかし」とふところから、小さな石を取りだした。
「ここに高い金をはらって買いあつめた希少な〈解呪石(ディスペ...
なかんずく、この協力してくれる御仁の話では〈永久薬〉と...
紫ローブの者を、ベルナール・ギィは振りかえった。
その者は微笑の波動をたゆたわせて、肩にかついだ革袋をし...
肩にとまった緑色の小鳥がrotと鳴く横で、フードの奥から声...
「まあ、私にしても〈永久薬〉と〈解呪石〉を組み合わせる試...
基本は風石その他に効果を及ぼすときとかわらないようだ。...
それを聞いてベルナール・ギィはうなずき、聴衆に向きなお...
「この効果がおよぼされる範囲内で、王家と諸侯の主戦力であ...
最終的に政治的妥協を目指すとしても、われわれはまず戦う...
そのための手段と好機がそろっているのだから、ためらう法...
一度言葉を切る。
それから、ラ・トゥール伯爵を蹴りつづけている〈鉤犬〉の...
「さしあたり〈王権同盟〉に注意する必要がある。他国に援軍...
一両日中にゲルマニアでは東部で『たまたま』大貴族が皇帝...
ロマリアとはいくつもの都市国家と、商取引や銀行の融資を...
もちろんわれわれ内部でも、王権同盟の敵視する共和主義者...
102 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:41:22 ID:IGcxM+4w
ちらと再度、紫ローブの者に目を走らせる。
視線をうけた側は、「わかった」とうなずいた。
「けっこう。ではアルマンをそろそろ棺に入れよう」
肉屋の親方が手を上げた。
「河に放りこむ前に、棺を市中で引きまわすことを市民は望...
「棺おけが壊れないとも限らんから引きずるのはすすめない。
それでもやりたいなら好きにしたらよかろう」
………………………………………
……………………
…………
……トライェクトゥム伯アルマン・ド・ラ・トゥールが入れら...
並んで立っているのはベルナール・ギィのみである。
後方には〈鉤犬〉と、ほか数人の下男が控えている。
「あの女王は、反乱が起きるとすれば諸侯からだと思っていて...
「なぜわれわれが、多大な損をこうむってまで彼女の理想につ...
都市民以外の平民、たとえば農民などと一緒にされねばなら...
彼らを救うために改革が必要と。けっこうな話だ、ただし都...
ベルナール・ギィの言葉は、凍った刃のようだった。
彼は続ける。
「王家と話し合う余地がないのはそこだ。女王陛下の考える『...
われわれ都市民は、われわれの利益を優先する。他者を押し...
われわれの利益のためには他の平民は犠牲になってもいいと...
都市民の権益をそこなう改革も、改革の過程で王権が都市へ...
そう言いきる男に対し、にやっと紫ローブのフードの陰で、...
「要は女王の政治がむかう先が気にいらないのだな。だから私...
女王がラ・トゥールと提携する方向に進んだことによって、...
おまえは内乱を起こし、この機会を利用して、都市の力を伸...
ベルナール・ギィはそれに対し鼻を鳴らした。
103 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:42:12 ID:IGcxM+4w
「貴君には貴君のもくろみがあったろう。それでも双方に利益...
だがこの先のことについてはわたし及び参事会の決定にした...
さて、きちんと始末はつけていただこう」
言い残して歩きだし、アーチ門をくぐって消えていく。
紫ローブの者は、ひかえていた〈鉤犬〉に向きなおって言っ...
「牛をここへ」
「牛、ですか?」
首をひねりながら、〈鉤犬〉は牛を連れてきた。
牛に先ほど棺おけを引かせて持ってきたのだが、今その棺は...
「牛などなにに使うんですかね?」
その問いを無視して、残っていた二名の下男に「竜を」と声...
先ほどまで乗っていた竜がひかれてくる。
わけがわからず見守る〈鉤犬〉の前で、二頭の獣に縄をむす...
「死ぬまで動かぬよう直立させよ」
ぐりんと小鳥の首がフクロウのように回転し、その黒目がブ...
小鳥の目に見すえられ、〈鉤犬〉はその場に固まった。直立...
かつて忠誠の証として、この鳥に〈山羊〉たちともども自分...
かろうじて声は出た。だから〈鉤犬〉は顔をゆがめて叫んだ。
「待った! 待ってくれ、何をする気だ!」
その首に、二本の輪縄がかけられた。
一本は牛に。一本は竜につながり、それらの獣はたがいに反...
下男が一名ずつその鼻面のあたりについていた。
〈鉤犬〉の顔をのぞきこみ、紫ローブはくすりと笑った。
「残念だな、ベルナール・ギィは、あからさまな共和主義者は...
そういえば、おまえには先の秋の責任をとらせていなかった...
死んでみるのもきっと楽しいぞ、自分でやったことはないが」
愕然としている〈鉤犬〉に、優しげな声を出す。
104 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:42:44 ID:IGcxM+4w
「もちろん、おまえがゲルマニアからかきあつめてきて待機さ...
〈カラカル〉に彼らの指揮をまかせることにする。情念だけ...
その言葉に、〈鉤犬〉は目をむいて悲鳴をあげた。
「あのような奴に、わが同志をゆだねると!?」
「あいつだって退屈しているんだ。
先の秋は、おまえと〈山羊〉が口をそろえて反対したから同...
その戦闘理念が遺憾なく発揮されるのを見たい、だから今度...
今よりはじまるこの王侯のゲームで」
〈鉤犬〉の首にかけられた二本の輪縄に手をのべて、ほっそ...
「わたしはこのゲームに最善をつくすと約束するよ、〈鉤犬〉。
この先に共和国が誕生するかどうかはどうでもいいが、王政...
安心したろう? だから死ね。先の秋の失敗を、一足先にま...
わたしは駒の失敗を、許しておいてやる気はないんだ。
そうささやかれて、〈鉤犬〉は遅まきながら理解した。自分...
この人物は、彼が信じてきたような存在ではない。その非情...
どこか似ていながらも決定的に違う。
これは、理想をいだく革命家の苛烈さなどではない。
これは――退屈を埋めるものを求める暴君の、愉悦まじりの残...
「とはいえ、顔も見ずに従ってきてくれたことを思うと、少し...
いい機会だから、見てみろ。どうせなら驚いてくれると嬉し...
彼の目の前で、紫のローブに手がかけられ、それがばさりと...
柔らかい栗色の髪が、さらりと風にほどける。
105 :黄金溶液〈下〉:2008/01/06(日) 22:43:12 ID:IGcxM+4w
〈鉤犬〉はその者にとって、最後に理想的な反応を示したとい...
彼はぽかんと口をあけ、首にかかっている二つの縄さえ忘れ...
「アンリエッタ女王?」
脱いだ紫のローブの下には黒いドレス。
黒は陛下に似合わない、と枢機卿マザリーニが評したことが...
だが、同じ顔を持ちながら、この魔法人形の一種、肉の器で...
外観は「オリジナル」と同じ、けれどその魂はまるで違う。
白と黒ほどに違う。
白昼の幽霊を見たような表情の〈鉤犬〉に答えず、彼女は市...
「百合とハンマーの激突の下で、聖俗貴賎の区別なく、狼のよ...
水晶のゴブレットにたたえた紅の酒を乾し、ブロンズの水盤...
わたしはオリジナルと遊ぶことにする。これと同じ形をした...
細指でなぞる花弁のような唇が、三日月の形にゆがむ笑みを...
「滅亡哀歌を歌わせてやる。
ダンス・マカブルを踊らせてやる」
顔を前にもどし、言葉もない様子の〈鉤犬〉を見て、そのホ...
ひかれる竜と牛が鈍重に、相反する方向に歩きだす。
〈鉤犬〉が思いだしたようにわめき声をあげようとした矢先...
数歩下がって黒いドレスの彼女はそれを楽しげに見ていたが...
紫のローブをばさりと羽織りながら、髪をなびかせ、喜色を...
吟唱するように口ずさみ、どす黒く麗々と歩をはこぶ。
「さあ開幕といこうじゃないか。
王侯のゲーム、殺戮、火炎と鋼のダンス。人の世が飽きず繰...
戦、戦だ、乱痴気さわぎの血の宴だ。
『かくて始原の昔より、かくて無数の星霜を、
慈悲悔恨のゆるみ無く、修羅の戦いたけなわに――』」
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