ゼロの使い魔保管庫
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降臨祭の第七日・昼(クリスマス特別編・シリアス) ボルボX氏
ハルケギニアの新年となるヤラの月。年明けから十日間続く...
トリステインの各市町村において、お祭りさわぎが繰りひろ...
村落を見おろす丘の上。領主の館の広大な庭。
庭の一角に高くそびえる鐘楼から、七つの鐘の音がひびき、...
厚くたれこむ雲が冬空をおおい、そこから幾万幾億もの白い...
若い村役人は雪の舞う庭にたたずみながら、昼でもほの暗い...
村役人が歯ぎしりをこらえたのは、にやにやしながら彼を見...
(あの行商人、ついに間に合わなかった。てめえが被告だっての...
正午の鐘を合図として、裁判がはじまるはずだった。
出廷義務のある者――領主の名代であるその息子と家令、提訴...
領主の家臣である十数人のメイジ兵たちや、裁判とは直接関...
被告である行商人のみが、出廷していない。
カンシー伯の家令である〈赤騎士〉が、赤い甲冑を鳴らして...
ことさらに村役人のほうを見て。
「さて皆さん、街道の〈黒騎士〉からたったいま手紙で報告が...
つまり被告は出廷しないようです……欠席理由の申し立ては今...
これはカンシー伯の名でひらかれた法廷に対する、深刻な侮...
〈赤騎士〉の得々とした宣告とともに、その横でとつぜんの...
野外に運ばせたテーブルの上につっぷして、領主の跡継ぎが...
カンシー伯爵の息子がこぶしでテーブルをたたくたびに、銀...
七面鳥の脂で唇をてらてらと光らせたその男は、勝ちほこる...
横の〈赤騎士〉と意味深長な笑みを交わしてから、並んだ人...
「なあおい、だらだらとこの寒い中、わかりきった判決のため...
煩雑な手続きはうんざりだ、陪審団の名前読み上げなんぞ省...
被告は逃げたんだ! これははっきりと、有罪の証に見える...
(そんな無茶な)と思ったにしても、それを口に出して言った...
十二、三歳ほどの一人の娘以外には。
「待ってください、欠席の咎は罰金刑だけのはずです!
父さんは来ますから! 以前の手紙でちゃんと帰ってくると...
遅れているだけです、きっと雪で馬車が通れなくなって……」
「ほう? まあ、ありえないことじゃないな。この辺の雪は深...
だが、それなら交通不能と見た時点で、欠席理由を記した手...
やはり逃げたんだよ。あるいは盗賊や狼に襲われて、永遠に...
領主の跡継ぎの楽しむような声に、娘が赤ぎれになりかけて...
いまにも爆発しそうな激情が、その目の奥にちらちら見えた。
それを隣ではらはらしつつ見ながら、村役人は心中で何度も...
ここ数年帰らないカンシー伯の名代として土地を統治し、ま...
裁判に間に合わず罪をかぶせられることになった、あのとん...
目をそらし耳をふさいで安全だけは確保しているはずだった...
それを突っぱねられなかった、自分自身の馬鹿さ加減を。
(弁護の証人なんてやるんじゃなかった、これで俺の未来も終わ...
あのどら息子は、俺が被告を弁護する側の証人として出廷し...
今からでも「被告は素行不良の人格破綻者で、以前から有罪...
それに、あの忌々しい行商人は実際に有罪なのである。「被...
――とはいえ、領主の跡継ぎも共犯者である。
父の名代として領主特権を利用し、被告となっている行商人...
役目柄、領地の経営状況をかなりの程度知る村役人は、それ...
提訴人たちのほうを見る。
訴えでた商人たちは、あからさまに喜色を面に出していた。
(ああ、儲けてた同業者を排斥できて満足だろうよ。
実はあんたらの目の前にいるそいつが、あんたらが妬んで訴...
村役人は皮肉をこめて内心そう考える。
だが、それをうっかり口にして言えば、今度は自分が危なく...
横にたたずむ少女をちらりと見る。
(この小娘が助けてなんて泣きついたからだ。こいつら姉弟に面...
ああ、あの時しこたま酒をあおってさえいなければ、こんな...
ふとその小娘が村役人を見あげた。青年は黙って目をそらし...
見あげてくる目は、必死に彼にすがる色を捨てていなかった...
もうできることは何もない、父親は救えないよ――とはとても...
(おまえの親父が悪いんだぞ、あんな馬鹿貴族の口車にのって禁...
そう念じようとはしても、村役人はやはり釈然としない思い...
ずっと人質がわりに村に住まわせられていた行商人の娘が、...
娘には「自分の知るかぎり、被告はそんなことをする人間で...
領地の裁判では、被告をよく知る証人がそう保証するだけで...
(……けどな、俺以外に弁護しようっていう証人が一人も出てこな...
その反対の印象を語る証人は、提訴人側に山ほど並んでるん...
いや、それどころか、陪審団ふくめ村人がまとめて骨抜きに...
村役人は恨みをこめて、広場の一角の陪審団席を見やった。
おどおどと村出身の陪審員たちが視線をそらす。苦々しい思...
(あの行商人はともかく、俺までずいぶんあっさり見捨てるんだ...
それは仕方ないといえば仕方ないのだった。だれも自分たち...
(俺だって村役人なんてやりたくなかったんだぞ。あんたらが勝...
そのくせ俺がお貴族さまに逆らったら即座に見て見ぬふりか...
こんな土地、いっそ捨ててしまおうか。それがいい、今日が...
心の中で、陪審団のひとりひとりを先祖にさかのぼってまで...
目立たないようにそっと周囲を確認する。
前方、領主の跡継ぎの周囲できらめくのは、数名のメイジ兵...
カンシー伯の家臣、または跡継ぎ自身の子飼いである。当然...
後方には半端な鎧や鎖かたびらを身につけた、鋼の剣や戦用...
この後もよおされる武芸試合のために集められた、傭兵出身...
(この庭には人が多い。目をぬすんで逃げるのは無理、突破は論...
……なぜ今すぐ逃げることなんて考えるんだ、俺は?)
村役人の脳裏になにか、不吉な予感が浮きあがってきていた。
領主の跡継ぎが口の端にあらたな笑みをきざむ。彼は村役人...
「おい、めくらの坊主、おまえの親父はおまえたちを見捨てて...
目を閉じて、寒さと恐怖で震えていた男の子が、びくりとし...
それを見て、行商人の娘が「弟になにもしないで」と叫んだ。
領主の跡継ぎがそれを聞いて表情を消したときに、村役人は...
本気に見えるほど力をこめて、ただし方向を選んで。
驚きの悲鳴とともに、娘が横手の厚く積もった雪のうえに倒...
「若様になんていう口を利くんだ、小娘! 失礼いたしました...
この娘は、父親が犯罪人と決まりそうなんで気が動転してい...
あのう、ただもし、被告の馬鹿野郎の財産を没収して牢に入...
卑屈な笑みをうかべつつそう切りだした村役人に対し、領主...
「だからこの坊主をうちで働かせてやるんじゃないか、うちの...
こいつは、自分から金が欲しいと言って館にやってきたんだ...
心配しなくても給金はちゃんと払うさ、これは立派な雇用だ...
(なにが雇用だ)と村役人は内心毒づきながら、顔ではにこに...
「ええ、まったくおっしゃるとおりで。しかし、この娘にした...
その子はまだ小さいですし、こういうことは身内が納得する...
必死に言いすがる村役人に、うるさそうに跡継ぎが手を振る。
「もういい。こいつはとうに、一生ぼくに仕えるということで...
おまえも口先だけでどうにかなると考えている薄っぺらい人...
おまえら平民は、もっと自分で努力して道をひらくべきなん...
村役人は声をのんだ。
恐怖で一瞬、足元の地面が消えたような感覚をあじわう。詰...
「武芸試合に? 剣をもって闘え、と?」
「そうとも、闘えばいいんだ。チャンスはいつでも転がってい...
優勝すれば被告が裁判に欠席した罰金、捕らえられたあとの...
……それどころか知ってのとおり一年間、わが家中で貴族のよ...
自分の考えがよほど気に入ったのか、ナイフとフォークでリ...
「そうしよう、もうこの武芸試合で優勝した金以外は受け取ら...
自分で出るのが嫌なら、代わりに戦ってくれる奇特な奴を見...
ああそれと、この庭から出るなよ……めくら、おまえは館の中...
村役人はしばしの逡巡のあと、「わかりました」と承諾した。
また気まぐれに思いついた遊びであろうが、これを断れば領...
そうなればどんなことになるか知れたものではない。
(畜生、どうしようもない。代役をたてることが出来るならまだ...
……ちょっと待てよ、代理といっても要するに、自分が闘って...
くそ、とにかく、こいつの目の前から離れて考えよう)
呆然と雪の上にへたりこんでいる行商人の娘の腕をつかみ、...
引きずるようにしてテーブルから離れながら、村役人は小声...
「貴族に、とりわけあの男みたいな奴に『平民に生意気な口を...
お前の父親のことも置いておけ、いま騒いだってどうにもな...
ずっ、と鼻をすする音が聞こえた。かたわらを見下ろして、...
こちらの子供も泣き出したのである。ずっとこらえていたも...
「だって……あの子は目が見えないのに、あんな扱い……なんで、...
父さんだって、あの子の目を治すのに、たくさんのお金と腕...
「それを人に決して言うなよ。口をすべらせば本当に殺されか...
厳しくいましめてから、村役人は肩越しにテーブルのほうを...
男の子は盲いた目をしょぼしょぼさせて涙をぬぐい、召使に...
あの坊主はこの数日でそこそこひどい目にあわされたし、今...
(坊主、助けてやりたくてもこの状況は俺にはちょっと荷が重す...
余計なことを気に病むからだ。暮らしやすいよう、村内でち...
「何だったんだ?」
第三者の声が自分に向けてかけられたと気づくまで、数瞬が...
村役人の目の前に、二人の若い人間が立っていた。どちらも...
問いかけてきたのは、剣を吊った凛々しい剣士のほうである...
どう答えればいいのか村役人がとまどっているうち、二人組...
少しきつい印象があるが相当に整った面立ちの、桃色がかっ...
「いや、なんだかワケありのよう……」
「人様の領地にはね、いろいろあんの。
あんたは領地を持ってないからそのへん知らないんでしょう...
よけいなおせっかいは、下手すりゃ紛争や決闘に発展するの...
その二人の話を聞きながら、(あまり良くないどころか、あの...
平民を集めての武芸試合はあの男にとって、最高権力者とし...
「他の王様」になりうる、しかも自分がまねいた覚えのない...
(だけど待てよ、これはチャンスじゃないか?)
どうやらこの桃色髪の少女は貴族らしい。服装は二人とも貴...
それならば領主の跡継ぎも、自分たち領民を扱うようにはけ...
急流にかけた水車のように思考が回転し、ひとつの打算をは...
「助けてくれ!」
恥も外聞もかなぐり捨て、小声ではあるが彼はそう叫んで、...
村役人に袖を引かれてうながされ、行商人の娘が同じように...
とつぜんの困惑は、こんどは剣士と桃色髪の少女の側にあっ...
「な、なによいきなり……立ちなさいよちょっと、周りに見られ...
「助けてくれ! 俺たちは武芸試合に出ることを強要されてる...
押し殺した声で、よどみなくぶちまけていく。
背中に、離れたところにいるはずの領主の跡継ぎの視線を感...
場の「他の王様」に、つまりべつの貴族の庇護にすがる。そ...
「聞いてくれ。この領地のいまの支配者であるあいつ、カンシ...
最初は猫で、犬で、山の獣で、それらを同種あるいは異種間...
この武芸試合はその一環だ。一年に一度、腕に覚えがあると...
「それは聞いてる。変わった嗜好だけど……他人の趣味だし、と...
「あいつはなんでも面白半分に闘わせて楽しもうとするんだ!...
この館には数人の盲人が雇われてる。めくらを数人、囲いの...
目が見えないやつらが殴り合うから展開がどうなるかわから...
村役人が吐き捨てた直後、隣にひざまずいている行商人の娘...
「おねがいです、助けてください、おにいさん。
うちの目の見えない弟が、あの若様に仕えなきゃならなくな...
ぼそぼそとつむがれる涙声はたぶん、同情を引くには最適だ...
まさしく貴族の同情こそ、いまの自分たちには必要なもので...
「あの子は自分が何の役にも立たないなんて気にしてて……わた...
……弟はここ数日で、おなじ盲人だけどずっと体が大きい人た...
あの若様は、囲いのなかに野豚を入れて、それを殴り殺すよ...
言葉もない態で聞いている二人組が、目と目を見交わした。
話の途中から不快そうに眉をしかめていた剣士が、おもむろ...
「……それで、『助けてくれ』とは? なにをしてほしいんだ?」
連れの剣士に桃色髪の少女はちらと目をむけたが、今度は制...
…………………………
………………
……
冬の鴉鳴く白い庭、木の柵にかこまれた長方形の試合場。武...
村役人は、行商人の娘と手を握ったまま、これから始まる予...
彼らのために出場することを承諾してくれた剣士は、一本の...
その最初の試合は、全員参加の混戦である。
出場する全員が、首に赤い布を巻いていた。
他人の布を一枚だけ奪って柵の外に出れば合格である。自分...
最初のこの一戦で半数がふるいおとされる。混乱の中で、重...
「どうかあの方に、始祖の恩寵がありますように……」
行商人の娘が食い入るように試合場を見つめつつ、祈りをつ...
村役人は気まずくなった。本当なら、自分があの危険な場に...
(しょうがないだろ、俺はまっとうな生き方してるんだ。武器な...
気炎をあげつつ試合場にむらがった戦士たちは、腕自慢の男...
村役人の代理として出場してくれた剣士は、そう大柄ではな...
「遊びがすぎるわ」
村役人から少し離れて立っていた桃色髪の少女が、冷ややか...
ぎくりとして彼は試合を見ることも忘れ、その貴族らしき少...
うんざりしたようにその少女が首をふった。
「あなたたちのことじゃないわよ。この馬鹿馬鹿しいちゃんば...
ほんともう……いつも姫さまに言いつかった仕事でさんざん剣...
妙に不機嫌そうな声である。
首をちぢめるように聞いている村役人と行商人の娘に対し、...
「あなたたちを放り出したりしないわよ。
後からあらためて詳しく話を聞かせ――」
試合開始の鐘が鳴り、少女も口をつぐんだ。
…………………………
………………
……
「密集しての乱戦では、転んだらまず終わりなんだ」
剣士は短く、それだけ言った。
額の傷からたらりと一滴、血が流れた。
その頭に包帯を巻きながら、桃色髪の少女が怒鳴りつけた。
「心臓が縮んだわよ! なに一発もらってんのよ」
まったく心臓がちぢむ光景だった。村役人は慙愧の念にたえ...
乱戦の中で、やはり優位にたっていたのは、左右に薙ぐよう...
その猛威の陰でよく見えなかったが、どうやら剣士は最初は...
しゃがんで相手の首から布をほどいていたときに他のだれか...
「そう心配するな、次から一対一だ。剣を持てるならこっちの...
重傷者も除外して、残った勝ち抜き戦参加者は総勢十六名か...
ふむ、選手番号は十一番、と……」
ぎゃんぎゃん騒ぐ桃色髪の少女を軽くいなして、包帯を巻か...
言うとおり、このあとは一対一の試合である。くじ引きで対...
領主の跡継ぎの意向により、飛び道具以外でおのおの得意な...
「あの、なんといって感謝すればよいか……」
申し訳なさに消え入りそうな声で頭をさげた村役人に、剣士...
「礼は勝ち残ったあとに言ってくれればいい。
そんなことより、もっとはっきり事情をつかんでおきたい」
詳しく話せ、と言われて村役人は言葉に詰まった。
思わずかたわらの行商人の娘を見下ろすと、こちらも動揺し...
この娘にとっては、親の恥でもあるのだ。
うろたえる二人の様子を見ていた剣士が、「いや、やはり今...
「とりあえず何戦か勝ってからにしよう。
事情を聞いておいて、初戦でいきなり負けたりしたら格好が...
冗談めかしてそう剣士がそう言ったとき、「三番! 十一番...
自分の番号を呼ばれた剣士が舌打ちする。
「いきなり最初の戦いか。まあいい、なるべくさっさと決着を...
……そうだ、連絡文をハトには仕込んでおいたからな。持って...
だれもが試合場に注目しているときに、気づかれないように...
剣士が桃色髪の少女の耳元でささやき、自分のものらしい背...
少女が「わかったわ」とうなずき、ごそごそと渡された背嚢...
村役人の耳に、気のせいかクルッポーと鳴き声が聞こえた。...
…………………………
………………
……
もう幾度目かに、熾烈に動きつづける両者の間合いが重なっ...
対戦者の振り下ろしたハルバードが、剣士の頭上に剛猛な勢...
代理の剣士は、地面を噛んだハルバードの先端をすかさず踏...
閃光のように鋭い、そして繊細な一撃をうけ、対戦者の右手...
剣士はとびのいて叫んだ。
「骨に届いたぞ、降参してはやく治療を受けろ!
後遺症がのこれば、得物をうまく握れなくなるぞ」
対戦者は剣士をにらみつけ、どくどくと血を雪泥の上にこぼ...
その大柄な男から急速に敵意がしぼんでいくのが、村役人に...
「そうしよう」とその男はつぶやき、背をむけてのっそりと...
ただ、代理の剣士は治療してもらえない。
走りよってくるメイジたちは、代理の剣士だけには目さえ向...
剣士もこだわらず、さっさと木の柵をこえて戻ってくる。
「なんて狭い了見なの、あいつら! 決勝の前に傷をふさいで...
あんた最初の戦いの前に『さっさと決着をつける』とか楽勝...
「しょうがないだろう、槍やハルバードなんて使われては。こ...
こんなのは全部かすり傷だ。出血にさえ気をつければいい」
苦笑する剣士の腕の傷に、服の上からかたく布を巻きながら...
はらはらさせられたのがよほど不機嫌なのか、「人の領地に...
「だいたいこんな武芸試合、おかしいわよ! 貴族主導のスポ...
それにしたって普通は木剣とかでしょう!? この一対一でも...
この地の領主は何やってるのよ、あんな馬鹿息子を野放しに...
「まったくだな。だが実は、木剣より真剣の立会いのほうがこ...
受け答えのあいだも、剣士の傷口に巻いた白布にはじんわり...
……いたたまれなくなり、村役人は何か言わざるをえない気分...
「領主さま、カンシー伯爵は数年前に、ゲルマニア方面へ長い...
留守を任されたあの若様は、それまでは領主さまの顔色をう...
数年待っても連絡が何もなかったからか、これで羽根を伸ば...
流される血を見つつ、やましさから口早に語りつづける。
「〈赤騎士〉と名乗る家令はいさめるどころか、これまた悪知...
あの二人組は風車小屋とかの使用料をつりあげたりして、金...
若い貴族仲間をあつめての賭けトランプや近くの都市にある...
あのころは領民たちは、本気で集団での逃散を考えたほどに...
が、領民にとっては幸いなことに、領主の跡継ぎはべつの金...
「被告になってる男は、もともと都市の商人だったらしい。
あるとき市の有力者の妻に迫られてことわったんだが、恥を...
娘と、目の見えない息子をかかえて流浪してたのが、この領...
「ちょっと待て、そんないっぺんに早口で話すな。
たしかに何戦か勝ったら話せとは言ったが、いきなり素直に...
村役人は首をふった。
「あんたは、次は決勝というところまで戦ってくれたんだ。い...
そこにこめた感謝は嘘ではなかった。ただ、それ以上に罪悪...
それに、どうせ頼るなら弱い腹を見せて、何もかもを投げ出...
行商人の娘に「言うぞ」と彼は確認した。娘はしばし迷いを...
「被告の罪科の焦点だったのは……媚薬の原料などの、一般での...
そういったわずかでも高価な闇の品は、ここの近くにあるわ...
正直に言うと、被告はここ以外の法廷でも有罪判決をくらう...
だがおそらく、この話をもちかけたのは若様自身だ。ここの...
桃色髪の少女が、小さなあごに手をあててうなった。
「なるほど、たしかにね。
領主に特別に庇護されていれば、一般への禁制品だって買い...
政府の役人にでも嗅ぎつけられれば別だけど、まず安泰だわ...
そしてじっさいに切り捨てられたわけである。
理由などいくらでも思いつく。あの商人は最近、あまり領主...
また、長年一人の人間が特権を駆使して商にたずさわってい...
切り捨て時、だったのだろう。
行商人の娘がこらえきれずに首をふって嘆く。
「父さんは、目の見えない弟をメイジの医師に診せて治してや...
「出まかせを言われたに決まってるでしょ。その場の傷ならま...
気の毒そうに、しかし断固として桃色髪の少女が言った。娘...
そこに気づいたからあの商人は反抗的になっていたのかもし...
剣士が天をあおいで嘆息した。
「『領主名代の横暴というだけなら、いざとなれば王政府に訴...
それはかなりまずいな、訴えられなかったのはわからなくも...
禁制品の密売となると、塩の密売や貨幣の偽造ほどでなくと...
かりに王政府の役人がこれを知ったとして、領主の息子を牢...
たとえ利用されていただけとしても。
「厄介だな。あの領主の息子とやらは、そんな自分の弱みを知...
そう言うと、剣士はちらりと意味深に村役人を見る。
彼はぎくりとする。これまで、そのことは考えないようにし...
だが先ほど「ここから出るな」と言い渡されたことといい、...
べつの貴族の庇護さえあればどうにかなる、と思っていたが...
「決勝をはじめる。十一番、八番、試合場に上がれ!」
〈赤騎士〉の声がとどき、一同のつかの間の重苦しい沈黙は...
だからといって、明るい気分にはむろんならない。
試合場に上がってきた最後の対戦者を見て、剣士が表情をひ...
「やはり、まずすべて終わってから考えよう。
相手も剣か。けっこうだ、負けるものか」
…………………………
………………
……
天地は白さをましていく。空よりふる雪がちらちら揺れる、...
鋼も、氷のように冷えている。
けれど流れる血は熱い。
流れるようなゆるりとした動きで対戦者が剣を繰りだすたび...
その対戦者、壮年の男は背も剣士とかわらず、目に見えて激...
だが、おそらく相当に強いのだろう。代理の剣士がまったく...
剣士が足をフルに使って、前後左右に跳びまわっているのに...
そうかと思えば、一瞬だけ前にとびだし剣をひらめかせてす...
「剣なんてわたしも知らないけれど。
なんて言えばいいのか、相手は安定してるわ」
桃色髪の少女が、ためらいがちにそう批評した。
食い入るように試合場をみつめるその表情に、落ち着きをよ...
村役人は答えることはせず、黙って試合場を見ていた。代理...
剣士は負けるかもしれない。傷をおわず負けることはないだ...
(心臓を痛めてまで見てどうする? 俺が見てなくても、決着は...
それに俺に武芸などわからないんだ、と村役人は首をふる。
彼は剣さえ知らない平民であり、他人の力を利用して自分の...
それでも、増すばかりの恐怖そして罪悪感に、目をそらすこ...
テーブルから領主の跡継ぎが村役人を見つめていた。
自分の靴にはいずっていた虫を見下ろすような冷酷な目で。
彼が唇をひらいた。距離は離れていたが、その声は雪ふる空...
「ほんとうに代理に出る物好きがいるとは思わなかったよ。
ぼくは本当はおまえが戦うのを見たかったんだが」
村役人はわれ知らず後じさった。
理屈以外のなにかがはっきり知らせたのである。
(やっぱりこいつ今日俺たちを、特に俺を殺す気だ)
彼は職分上、領主の跡継ぎがおこなっている不正に気づいて...
領地の経営にかかわっている彼は、その気になれば領主の跡...
自分自身の命のために、それを告発する気などさらさらなか...
(まずい、極めてまずい! ここから出るなとあいつは言った、...
そうと知っても、いまさら逃れるすべなどあるはずがない)
…………村役人の焦りをよそに、試合場では代理の剣士もまた苦...
じりじりと距離をつめようとする対戦者に、わずかながら剣...
先の試合での出血、そして今しがたつけられた新たな傷。体...
この対戦者は執拗に、剣士の手足を狙っていた。少しずつ、...
幾重にも分かれた蛇の舌のように剣の残像がおどり、剣士の...
いまやはっきりと見える形でその男は、剣士を追いこむよう...
…………突然のラッパが鳴り響き、館の木造りの門が開け放たれ...
試合場であらそう二人をのぞき、群衆の視線のあつまる中を...
村役人はほぞを噛み、(やはり来た)という思いでそれを見や...
最悪にかぎりなく近い展開だった。
その者は馬をすすませ、領主の跡継ぎから二十歩という地点...
黒い鎧で全身をかため、黒い兜で頭部まですっぽりと覆った...
その後ろでは、フードをかぶった従者らしき者もまた下馬し...
(こんちくしょう、やっぱり勝ち抜き戦の後にもう一試合して〈...
「カンシー伯爵の息子がやとってる平民の戦士って、あれがそ...
桃色髪の少女が一瞬だけ試合場から目を放してその甲冑の男...
村役人もはっと気づいたように少女を見かえして、うなずく。
「……ああ、この二年連続で〈黒騎士〉をつとめている奴だ。
年に一度の武芸試合で勝ちぬいた者は、〈黒騎士〉に挑戦す...
今日を締めくくる試合のために、ここに来たんだろう」
村役人の見ている前で、黒い甲冑の剣士はがちゃがちゃと甲...
冷えかけた七面鳥の肉を切り分けている領主の跡継ぎが、ナ...
「どうだった?」
その質問に、数度咳ばらいしてから黒い甲冑の男は答えた。
「あなたの予想通りでした。今朝方、全部片付きました。
まったく寒い、動かないでいると鎧が氷のように冷たくなる…...
「ご苦労だった」
にんまりと笑みをたたえて、領主の跡継ぎが称賛する。
違和感のある受け答えに、様子をうかがっていた村役人は眉...
(なんだ? 待てよ、なにか……)
ことさらに考えようとしたわけでもないのに、さまざまな疑...
被告はついに来なかった。その娘には、帰ってくると約束し...
待機させられていた武芸試合の挑戦者たち。まるで領主の跡...
人がまばらな、つまり目撃者の少ない大雪の街道。
「盗賊や狼」の脅し文句。
どこかに出かけていた〈黒騎士〉。
突然にして、村役人は答えをつかんだ。
けっして難しい謎ではなかった。もともと、どこかでそうで...
それでもやはり愕然と目をむいて立ち尽くす。
(あいつら、あの行商人の乗った馬車を襲ったんだ)
禁制品密売の罪を押しつけたうえで、余計なことをしゃべら...
被告が裁判に出るためこちらに帰るこの日。どの街道を通る...
そこまでやるのか、と村役人は歯噛みした。
領内の通行安全を保障するはずの領主権が、本気でみずから...
主君の命をうけた〈黒騎士〉が馬車を襲い、一人残らず殺し...
いや、死体も馬車ものこさず隠蔽され、被告はそもそも来な...
提訴人たちのほうを見る。
訴えでた商人たちは妙に居心地わるそうに庭の隅にかたまっ...
(おまえらは裏の事情を知らず、儲けてる同僚をやっかんで訴え...
どら息子に話を持ちかけられて一芝居うったんだろう? あ...
だがそうだとしたら、その貴族はあの行商人を計画的に使い...
苦虫をかみつぶしながら、村役人は暗く目を落とした。
(だが俺たちはその前に、今日死にそうだな)
…………………………
………………
……
試合場の激闘は、まさにたけなわとなっていた。
とうとう試合場の隅、まだあまり踏みこまれていない雪原の...
これまでの対戦者の武器とはほとんど触れることもなかった...
踏み荒らされていく雪に赤い点がぽたぽたとついていた。代...
「まずいのかしら」
舞う雪より顔色が白くなっている桃色髪の少女が、ぽつりと...
銀光が繚乱する中、必死の形相で刺突をくいとめた剣士が、...
対戦者の剣がその頭上にきらめき、落ちかかった。
まともに受けようとしていればたぶん死なずとも重傷はまぬ...
幸いにして自分の剣でわれとわが身を傷つけることもなく、...
対戦者が淡々とそちら側に体の向きをかえる。
呼吸はこれ以上なく乱れ、体は雪まみれで血と汗に汚れてい...
が、その瞳が対戦者の背後をみとめて、一瞬揺れたように見...
見るまに汗みどろのその顔が、不敵な笑みを浮かべて対戦者...
「攻められるのは好かん。ムッシュ、そろそろこっちが攻めさ...
体勢はともかく呼吸はそう簡単に治められないはずだが、油...
じり、と再度距離をつめようとした対戦者が、ぎょっとした...
さきほどの対戦者顔負けの勢いで、剣士が苛烈に攻撃の剣を...
相打ちを狙っているかと思われるほどの、捨て身にちかいや...
一剣を送ってまた一剣。
集中力を極限まで高めているらしく、手首をひるがえして送...
こんど息をつめて払いのけようとしているのは対戦者だった。
たとえ相手を殺しても、引き換えにこっちの目でも刺されて...
対戦者は歯をくいしばり「この気ちがいめ」とでも罵りたそ...
村役人もぼんやりと的外れなことを頭のどこかで考える。
(あんなに近寄って、刺されるのが怖くないんだろうか?)
剣士の手にある刃が激しく動きはじめ、雪の光を反射して鮮...
孤をかいて円転し、その幻惑するような円の中から突きが繰...
ここが先途とばかりの猛烈な攻めは、尽きる前に火勢をもっ...
力をふりしぼって攻め立てる剣士の、息もつかせぬ矢継ぎば...
刹那、しゅっと送られた剣尖が、対戦者の手首をつらぬいて...
とびすさった剣士の前で、勝ち抜き戦最後の対戦者が武器を...
とうとう代理の剣士が、武芸試合に出た者のうちでただ一人...
……ただし控え目に見ても、剣士は限界だった。
肺が破れそうなほど呼吸を荒げ、頭上からは湯気がたちのぼ...
喝采を浴びせることも忘れて、村役人は立ち尽くしていた。
だが、この勝負が決まった次の瞬間に、すぐさま次の戦いを...
「〈黒騎士〉、さっさとお前の役目を果たしてこい。
挑戦者が待っているだろ」
試合場にたった一人が残った時点で、領主の跡継ぎがそう命...
黒い甲冑の男は軽くうなずき、身をかえして試合場のほうへ...
薄刃の大剣をすらりと抜き放って。
試合場でいまだ呼吸を整えている汗みずくの剣士が面をあげ...
甲冑の男の剣をまじまじとよく見つめてから、不敵な笑みが...
そのとき村役人の横から、行商人の娘が涙声をはりあげた。
「不公平じゃないですか、あの方はさっきまで闘っていたんで...
「黙れよ、娘。〈黒騎士〉だって今戻ってきたところだ。
……不平か? うん不平なのか? よし、もう少しおまえらに...
視線を行商人の娘にうつした領主の跡継ぎが、さらに面白い...
朗々と言う。
「喜べ娘、父親の有罪無罪をかけてもう一度裁判をさせてやる...
決闘裁判、『始祖ブリミルの名にかけて戦われ、その恩寵あ...
提訴人側の代理人には〈黒騎士〉を提供しよう。〈黒騎士〉...
口をあけて、行商人の娘は動きを止めた。破格といえなくも...
「惑わされるな」と村役人は大声で言ってやりたかった。
試合場の代理の剣士が勝ったところで、この目の前の残酷な...
(どうあってもこいつは俺たちを料理する気なんだよ。
いまは猫が捕らえたねずみに食いつく前に、いじくりまわし...
「面白い提案だな、おい。聞いたぞ。
まがりなりにも貴族なら、自分の言葉に責任をもつんだろう...
試合場の剣士が、血と汗をぬぐいつつ声をテーブルのほうに...
どうにか村役人は領主の跡継ぎから目をそらし、試合場のほ...
剣士は傷がひらき、流れる血で体を朱に染めていた。呼吸も...
(そうだ、それ以前にあんたが、〈黒騎士〉に勝てるとは思えな...
〈黒騎士〉は一昨年の武芸試合でも昨年でも、対戦した相手...
だのにあんたは、なんでそんなに怖がってないんだよ? 挑...
頭では、そう考えていた。
だが彼の手足は、このとき思考と関係ないかのように動きだ...
彼は先ほどのように、行商人の娘をひっぱっていた。強引な...
立ちどまり、戸惑ったように見上げてくる娘の小さな肩を抱...
娘が体を硬直させた。
村役人は、誰にも聞かれないよう密着した体勢のままささや...
「もう少ししたら混乱になる、その間になんとか逃げろ。父親...
村にはけっして寄らずすぐ他へいけ、できれば遠くの自由都...
それだけ言うと離れ、試合場の木の柵を乗りこえる。
行商人の娘が、横から叫びながら手をひっぱるのを振り払い...
剣士と黒い甲冑の男が対峙している試合場の中央まで、体を...
恐怖と昂揚で、五体が麻痺したようだった。
目を丸くしている代理の剣士が、「……何しに来たんだ?」と...
村役人は、どうにか言葉を震える歯のすきまから押しだす。
「じゅうぶんだ、よ、よくやってくれた、あとは俺がやるから...
剣をこっちに貸してくれ」
領主の跡継ぎをこれ以上刺激すれば、たとえ貴族でも消しか...
外壁にかこまれた庭にいるよそ者すべてを、家臣のメイジた...
「あ、あんたはさっき覚悟を見せてくれた。
平民だって、覚悟すれば戦えるよな。お、俺だってずっとこ...
領主の跡継ぎが行ってきた不正を、わが身かわいさに見てみ...
嘲笑されてもへつらって平伏し、自分の身を守るかわりに誇...
たった今まで、「剣を知らないから」という理由で、自分の...
それらが心をちくちくと刺していた。
なにをしても逃れられないのなら、もうこの剣士と桃色髪の...
責任くらいは取っておくべきだった。
「そ、それにあんた、途中ではっきり気づいたけど女だろ。
戦わせといて、いまさらだけど、や、やっぱり男の俺が見て...
だから、もういい、俺がやる」
心はようやく伴っている。だから剣さえ手に取れば。
そして試合場で〈黒騎士〉の攻撃に耐えながら、テーブルの...
領主の跡継ぎは、間近で観戦するためにテーブルを試合場の...
(どうせ最後なら、自分で猫に噛みついてやる。
剣を持ったら〈黒騎士〉に向かうふりをして、あのどら息子...
その輝くような金の短髪をもつ剣士は、意表をつかれたよう...
それから、年頃の娘とも思えないうなり声を発した。
村役人の覚悟を聞いて、領主の跡継ぎは疑いなく大喜びした。
ナイフとフォークをカンカンと鳴らして、その男ははしゃい...
「おう、選手交代は認めてやるぞ! 勇気には敬意を払おうじ...
跡継ぎの歓声が聞こえた方向を、耳でしっかり確かめる。あ...
恐怖に目がくらみ、手が震える。この寒さの中、まだ激しく...
(どら息子を狙えば、混乱が起こるはずだ。あの娘が逃げられる...
最悪なら試合場から出た瞬間に魔法を食らう、最高に運がよ...
剣士が小声で、ため息まじりに呼びかけてくる。
「やめておけ、馬鹿」
「いいから、は、はやく剣を渡して、柵の外に出ろってば!
ただ、できればあの娘だが、守って外に出し……」
「聞けよ。目の前のやつは味方だぞ」
「……えっ?」
村役人ののどから、間抜けな声がもれた。
やれやれと肩をすくめんばかりの剣士が、汗まみれの顔に笑...
「こいつはまともに戦えそうか? おまえの意見を述べてみろ」
村役人が呆然と聞いている中、答えはすぐさま返ってきた。
「無理でしょ、意気込みは買いますけどね。戦う決意をしても...
「ああ。足から震えてる奴に、女は引っこんでろみたいなこと...
お好きに殺してくださいとアピールしているようなものだ。...
……ところで、遅いぞサイト。そんなごてごてした鎧を着こむ...
「この甲冑であいつらの一味だと思わせてないと、門をすんな...
……アニエスさんが試合に出てるなんて知らなかったんだから...
〈黒騎士〉だと今の今まで思われていたその者が、すっぽり...
あらわれた顔は黒髪、黒目の若い男だった。むろん〈黒騎士...
どう反応すればいいかわからず、サイトと呼ばれた少年をま...
「いい覚悟だったけど、モチはモチ屋というだろ。
剣の腕なんて一朝一夕でどうにかなるものじゃないんだから...
だから、あとは俺に任せてもらえねえかな。だいたいの事情...
「なにを偉そうに……
まあいい、後はおまえに任せる。万一にも不甲斐ない負けな...
剣士が少年に毒づきながらきびすを返し、試合場からおりよ...
アニエスという名らしいその金髪の剣士に肩をつかまれ、村...
その首を絞めるように腕をまわし、涙をためた行商人の娘が...
ぐったり息をついた金髪の剣士の肩を、桃色髪の少女がたた...
「最後のはすごかったけど……ああいう戦い方は危なすぎない?...
「試合で戦う者は、たいていは経験をつむほど無茶な戦い方を...
平民だと貴族ほど名誉にこだわりもないから、皮肉にも技量...
あとは、まあ、こっちの覚悟だな。二度とやりたくないが」
…………………………
………………
……
試合場に残った少年は、テーブルに座している領主の跡継ぎ...
「決闘で決めるんだろ? 代理も認めると、いま言ったよな?
それなら俺が、被告の擁護者になる。誰だろうと相手になっ...
領主の跡継ぎも〈赤騎士〉こと家令も、村役人とおなじく予...
「おい、〈黒騎士〉はどうした! それはぼくがあいつに与え...
「たまたま街道を通っていたら、馬車が襲われていたのを見た...
あんたらに利用された商人は傷を負ってる。重くはないが念...
で、盗賊まがいのあの連中なら縛って転がしておいた。もっ...
「あの役たたずが!」
跡継ぎの罵声をよそに、〈赤騎士〉のほうは静かに目を細め...
そのメイジは、確認するように慎重な声をだした。
「なるほど、〈黒騎士〉は自分の手で片づけたと言いたいのだ...
声が違うことを怪しまれないよう、風邪でのどの調子うんぬ...
……決闘裁判を要求するとな? だが、あいにくこっちに平民...
「誰だろうと相手になると言ったろ? メイジならそこに並ん...
俺とそっちの貴族たちのうち誰かが一対一で戦い、俺が勝て...
あんたらが勝てば、俺の身柄もふくめて全面的にそっちの好...
これを聞いて、得たりとばかりに〈赤騎士〉が間髪いれずう...
「よし! その条件をのもうではないか。
だが、おぬしは本来まねかれざる客だ……こっちも条件をつけ...
〈赤騎士〉は横むいてかがみこみ、領主の跡継ぎの耳元にさ...
怒りからか蒼白になっていた跡継ぎの顔に、たちまち血色が...
「一対一形式にはしてやる。ただし、おまえは本来ならいくつ...
だから、最低でも四人に勝ち抜かねばならない。
それとその鎧はいますぐ脱げ、ぼくの物だからな」
柵の外にもどっていた村役人は、これを聞いて行商人の娘と...
(どれだけ腕がたつ剣士だろうと、メイジ一人に勝つことさえお...
あの少年は死んだも同然じゃないか)
何と言えばいいのかわからないが、とにかく制止しようと声...
見ると、灰色のフードをかぶって顔を隠している者がいた。...
その者は、静かに、というようなそぶりをしてみせた。
「そうとも、騒ぐことはない。見ていればいい」
淡々とつぶやきつつ、金髪の剣士がマントをはおった。
行商人の娘が前にでて、恥ずかしそうにうなだれた。
「すみません、おねえさまだったのに、わたしったら最初に『...
……あのときは涙で目が曇っていて……そうでなければ、こんな...
「褒めてくれるのはありがたいがやめてくれ、私は武人だ。男...
げっそりと金髪の剣士が手を振った。
と、村役人の前にいた従者が身を返し、金髪の剣士に近づい...
見るまに剣士が狼狽する。
「いえ、そうは言われますが……いえ、いえ、お言葉なれどそれ...
ああ、傷ですか? こんなものはかすり傷でございます。今...
はい、事情はかくかくしかじかの次第で……」
離れたところでこそこそと小声で交わされている会話に、な...
「余計なことは知らないほうがいいわよ。というか懲りたら?」
「……そうだな」
…………………………
………………
……
風雪はいよいよ猛威をふるい、試合場は冷煙うずまく様を見...
衆人の注目のなか、黒髪の少年は篭手をはずし、胴鎧を脱い...
甲冑に慣れていないのか、たどたどしい手つきだった。通常...
試合場に上がってきた〈赤騎士〉が、少年に嫌味っぽく声を...
「そう慌てるな、待ってやる。もう少しゆっくり脱ぐといい」
「今はせっかちな気分なんだよ」
自分の体から黒い甲冑をおしげもなく取り去っていく黒髪の...
〈赤騎士〉はふふんと鼻で笑い、言葉をつづけた。
「若様を安心させるためにああは言ったが、剣士ふぜいにメイ...
私が家令を任されたのは、家中最強の騎士であったからだ。...
まったく、いくら腕に自信があるか知らないが、馬鹿なこと...
……一応訊いてやるが、若様に仕えてみる気はあるか? 今な...
「鐘が鳴ったら試合開始なんだよな?」
鉄靴を地面に放りだして、底に鋲を打ってあるらしき布の靴...
長広舌を流されて鼻じろんだ〈赤騎士〉が「ああ」と答え、...
横からかん高い声が飛んだ。「無駄なおしゃべりはいらない...
すっかり冷えているであろう七面鳥の残りを切り分けている...
「いや待て、街に隠したという被告の場所を吐かせるため生か...
さあ鐘を鳴らせ!」
その命令にこたえて、鐘楼の上で七つの鐘がいちどきに鳴ら...
鐘が冬空をどよもしたその刹那に、雷電のような一撃で〈赤...
領主の跡継ぎの手が、ナイフとフォークを持ったまま凍りつ...
黒髪の少年がやったのは、雪を蹴立てて敵の前にとびこみな...
ただ、異常なほどに迅かった。
傍で見ていた者の目には、稲妻がひらめいたかと映っていた。
雪塵を巻いてふりおろされた一剣は、まさに魔法を放とうと...
それによって〈赤騎士〉は、雪と泥のまじる地べたに這うこ...
猛烈な斬撃の勢いによって叩きふせられた格好である。鎧に...
ほかの平民の見物人たちと同じく声も出ない村役人の横で、...
先手必勝の模範例をしめした黒髪の少年は、信じがたいもの...
「せっかちな気分だと、さっき言っただろ」
鐘はいまだに鳴っていた。
ひん曲げた唇を震わせている領主の跡継ぎが、テーブルの後...
「次の奴!」
…………………………
………………
……
四人目が下された。
それなりに善戦したばかりに他より重傷を負ったそのメイジ...
軽く息をみだしながら、黒髪の少年は無造作に大剣をふりは...
武芸試合で敗退したあと、見物していた平民の武芸者たちが...
いっぽうで、領主の跡継ぎがかかえるメイジ兵たちは動揺の...
無理もない、と村役人は思う。剣士がメイジを、子供同然に...
貴族の血にぬれた霜刃と、サイトと呼ばれた少年の火のよう...
異様なほどに使い手自身の速度がきわだっている。範囲の狭...
軽捷霊妙の剣さばきと、雷を秘めているような四肢。
古今に名だたるメイジ殺しの誰であれ、この黒髪の少年ほど...
最初の〈赤騎士〉戦の瞬殺は意表をついたゆえにしても、そ...
アニエスと呼ばれた金髪の剣士もじゅうぶんに強かったが、...
自分にしても夢を見ている気分で、たぶんあっち側の陣営は...
「こうして見るとサイトの奴、目立つな……」
金髪の剣士が感心したような、微妙に悔しがってもいるよう...
なぜか得意げに薄い胸をそらしているのは桃色髪の少女であ...
従者姿の、顔を隠した者がぱちぱち手をたたいた。こちらも...
行商人の娘が呆然とした表情のまま、村役人の手をとってく...
振ってわいたような幸運に混乱し、踊りでもしないとどうや...
彼もとりあえずつきあって踊るのだった。
周囲に苦笑されつつちゃんちゃか続行されていたその踊りが...
「次だ!」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、サイトは四人抜いたわよ!」
看過できないとばかりにこちら側の陣営から大声をはりあげ...
ぎろりと血走った目が返る。
「最低でも四人、と言ったんだ。五人だろうと十人だろうと闘...
できないというなら、ぼくが勝ったってことだ!」
殺気をこめて吐き捨てた跡継ぎが、振り向いて残ったメイジ...
「全員まとめて試合場に上がれ!」
「この、貴族の面汚し……!」
桃色髪の少女が激怒に眉をつりあげ……みずからの杖をひきぬ...
…………………………
………………
……
「なあルイズ」
「な、何よ! わたし絶対悪くないからね!」
「いや、俺だって助かったわけだから、いいんだけどさ。
もう少し人目を気にして、エクスプロージョンの威力を抑え...
黒髪の少年がまじまじと、破壊されたテーブルの周辺を見た。
領主の跡継ぎ以下、そのあたりにいたメイジはそろって虚無...
テーブルの惨状はより正確に言うなら、木っ端微塵になって...
「ラ・ヴァリエール殿の魔法を見ると思うのだが、これで直接...
金髪の剣士が嘆息し、従者の格好をした者は苦笑をもらした...
庭にいた残りの者は、苦笑どころではない。青くなって桃色...
村役人も、正直ドン引きしている。
ルイズと呼ばれた桃色髪の少女が、うつむいた。
「存在自体が、貴族の理念を馬鹿にしてるような奴だったのよ…...
「それはわかるよ。よくわかるけど、ここまで来て爆発された...
黒髪の少年が笑った。引きこまれそうな晴朗な笑顔に、桃色...
一方、庭の隅では爆発に巻きこまれなかったメイジたち、〈...
「さて、後始末はどうしたものか?
すべてを表沙汰にするとなると、カンシー伯爵家の名に傷が...
私の意見では、法は基本的には厳格であるべきだと思うが……」
金髪の剣士が首をひねりつつ、行商人の娘を見やった。娘は...
だれもが考えこんだが、その思案はすぐ中断された。
なぜなら、鐘楼の鐘が鳴らされたからである。
試合も終わり、もう響くことはあるまいと思われていたその...
むろん何者かが鳴らしたのである。それはこの場の面々以外...
「開門!」
重々しくがなりたてるような先触れの声がそう伝わった。
まず最初に馬に乗り門をくぐって現れたのは、壮年の痩せた...
その後に列となって続いた数名の騎士たちは、毛皮や分厚い...
だがこのくたびれた外見の連中は、規律と危険さを周囲に感...
『先ほどの四人は、最初の奴以外ラインだったが』とつぜん...
少年もまた列を見てから、慎重にその剣に答えている。「あ...
剣が持ち主と会話したことに、村役人はあまり驚かなかった...
「……あれは領主さまだ……カンシー伯爵だ。
帰ってきたのか?」
村役人の驚嘆の声をうけ、金髪の剣士が目をみはった。
「あれが? ほう、息子とぜんぜん違うな。
いやな奴には変わりなさそうだが、馬鹿には見えない」
陰々とした雰囲気をただよわせるその男は、馬をとめて馬上...
周囲を見渡していたその視線が一箇所でさだまる。倒れてい...
カンシー伯爵は、前触れもなく「私は帰ってきた」と宣言し...
領主は、緋の裏地のマントをひらめかせて馬からとびおり、...
「わが領民であるなしに関わらず、最初に伝えておくことがあ...
旅先でその愚か者の所業が耳に入ってきたとき、私は帰郷を...
私は近々再婚する。ゲルマニアから花嫁を連れてきた。その...
なお、当然ながら家令も罷免する。彼は息子ともども、私に...
聞く側の耳が凍てつくような、冷酷な声である。
「お館さま……」
顔色を失ってたたずんでいる〈赤騎士〉が震え声を発した。
霜が降りたような顔でカンシー伯爵はその家令を見た。
「君にはたった一つ礼を言うべきだな。よくぞわが家を潰さな...
伝え聞いた乱脈ぶりでは、いつそうするのも簡単そうだと思...
強烈な皮肉を言ったきり、〈赤騎士〉をもはや一瞥もせず、...
同じく馬からおりた護衛の兵たちが、その周囲をつつむよう...
試合場を横切るように歩き、その中央でぴたりと足をとめ、...
視線の先に、今度は黒髪の少年がいる。
「さきに斥候に出した使い魔の目で、今日開かれた裁判の一部...
わが領地で密売に関与したという商人を引き渡してもらおう...
これは領主としての命令だ」
村役人の心臓が、のどから飛び出しそうになった。
サイトという少年が、あからさまに難色をしめす。
「ちょっと待ってくれねえかな。一部始終を確認したならわか...
「何も片づいてなどいない」
カンシー伯爵は、当然という表情で言ってのけた。
「この領地において裁判権を有するのは本来、カンシー伯爵で...
さきほど言ったとおり、そこに倒れている男は今日の時点で...
どちらもとっくに、わが名代たる資格を失っている……したが...
これを聞いて村役人の顔は、たちまち血の気を失った。
(冗談じゃない! 領主さまは、禁制品の密売にカンシー伯家が...
俺たちごとまとめて内々に始末しようとしているぞ。裁判な...
家名を汚したかどで元・跡継ぎが父親からどんな酷烈な罰を...
カンシー伯爵はその息子と違い、ことさらに残酷な統治者と...
村役人たちに対してカンシー伯爵が押しつけるであろう運命...
(どうすれば……)
だが、このときも救いは訪れた。
黙っていた金髪の剣士が、村役人の横でふんと鼻をならした。
冷たい視線をそちらに向けたカンシー伯爵に、彼女ははっき...
「裁判権を有する大領主なら、ちゃんと同席していたよ。
トリステイン全土の、本来の領主が」
カンシー伯爵はじめ、意味をつかめず眉をひそめる者たちを...
「陛下」
……サイトという少年はここに来たとき〈黒騎士〉の甲冑を身...
その、フードを目深にかぶっていた従者が、このときそれを...
やわらかい栗色の髪が、白い風に逆巻いた。盲いたようなほ...
湖水のような青い瞳が、しずかにカンシー伯爵を見すえてい...
「彼女」は、あっけにとられている多くの目のなか、庭の半...
銀の鈴を転がすような声が名乗った。
「アンリエッタ・ド・トリステインです」
● ● ● ● ●
ルイズをともなって女王が試合場に上がると、さっとアニエ...
カンシー伯爵は一瞬眼を見ひらいてからまばたきを何度かく...
聴衆は度肝を抜かれた様子で静まりかえっていた。
この日の変装は、貴族の子弟が身に着ける乗馬服のような衣...
つねの公式の場での落ち着いた動作からは想像しにくい、お...
けれどもこのときの彼女は、私人ではなく、女王としての威...
「女王つまりわたくしの保有する裁判権において、今しがた行...
言っておきますが、そのような重大な裁判を認めうる権利は...
無罪となった被告、また当然のことながらその家族には指一...
ひざまずいて眼をふせていたカンシー伯爵が、ぴくりと反応...
顔を上げずに彼は、トリステインの領主にして彼の主である...
「陛下……いかにも裁判権において、王権はすべての貴族の上位...
しかし陛下、国王裁判所、高等法院でもない場でそれを適用...
ましてや決闘裁判は、とうの昔に王令によって廃止されてお...
「ええ、いろいろと強引ではありますが、今回はわたくしの独...
不服そうですね。ですが領主が跡継ぎを廃嫡し、家令を罷免...
横紙やぶりを行っているという点で、あなたとわたくしは似...
にこりと、アンリエッタは笑みをうかべた。
女王の皮肉に、カンシー伯爵は顔色を変えるでもない。
「これはおそれいります。確かに先ほどの宣告は、いささか拙...
……ですが、密売の罪をうやむやになされるつもりですか?」
「この件はうやむやにするとわたくしが決めたほうが、あなた...
カンシー伯爵、わたくしはことを大げさにする気はないので...
約束します。あなたの息子の関与した『禁制品密売』の犯罪...
そのかわりあなたも、王の庇護下にはいった者に手出しは無...
アンリエッタのこの言葉は、たしかにカンシー伯爵にとって...
カンシー伯家に王政府の咎めがなく、ことが決定的に表沙汰...
彼は主君に頭をいっそう下げた。
「ではこの話は、もはや持ち出しますまい。
あの愚か者については、『王政府に逮捕されていたほうがま...
冷え冷えとした声に、アンリエッタは寒気を覚えた。
この領主であれば、肉親の情けとは無縁と思われた。
…………………………
………………
……
館の庭を出て、雪の路上。
行商人の娘は、アンリエッタの顔を見るのさえ怖れおおいと...
がちがちに固まりながら、足元に視線を落としたまま顔をあ...
村役人も相当に身をかたくしていたが、行商人の娘のあまり...
「しっかりしろよ。せっかくだからちゃんと女王陛下の顔を拝...
その青年に背中を叩かれてひう、と声をもらし、ようやくお...
アンリエッタはとりあえず安心させるように微笑んだ。とた...
今のアンリエッタは女王らしからぬ格好なのだが、それも娘...
アンリエッタはそっと話を切り出した。
「お父君を含めたあなたたち家族のことだけれど」
「は、はいっ」
「あなたがたにはこの国のどこにでも住む権利があります。た...
お父君は怪我を負いましたが、心配はいりません。二週もあ...
参考までに、王政府系列の銀行では事業をおこす元手を低金...
よどみなく言ったアンリエッタは、娘が上にあげた顔が呆然...
「どうしたの?」
「あの、女王陛下……それだけ、なのですか?
父さんの罪は咎められないのですか」
「……やむにやまれず、と聞いています。それにすでにこの件は...
ただお父君のこれまで築いた財産のうち、法に背いて手に入...
最初の一瞬だけアンリエッタは逡巡の色を見せたが、すぐ言...
すました表情を浮かべている。
「他にも。目の見えない弟君のことですが、よい環境を望むな...
いえ、あなたが弟君と離れがたいというのなら、同じ施療院...
これもまた王政府肝いりの施療院で、従来の施設より質の向...
トリスタニアはいいところよ」
「あ、はい、ええと、こ、この人が来てくれるなら行きます」
次から次へと突然の話に目をまわしかけている行商人の娘が...
村役人の青年が冗談じゃないとばかりに目をむく。
「おいこら、なんで俺が関係あるんだ!? おまえは事あるごと...
アンリエッタのそばに来ていたアニエスが小さく、「サイト...
女王が「隊長殿」と呼んで伝えておいた命令をうながすと、...
アンリエッタの体が微妙にこわばる。銃士隊長はひとつうな...
平民二人の肩を抱くようにして歩かせる。
「それでは、陛下のおおせでお前らをとりあえず村に送る。
あと貴様に言っておくが、この子くらいの年頃でもレディは...
背を向けて去っていく彼らを見送ったアンリエッタは、息を...
瞳を伏せる。
(アニエスには気づかれていた)
銃士隊長はこうささやいたのである。
『……陛下、あまりお気になさらぬよう。『法を厳格に』と私は...
厳格に法を適用することが、つねに最善とはかぎらないとい...
あのときは治安をも考える者としての立場で、まず一応は申...
――今回は多くの者が、法を守っていなかった。
最後には女王である自分自身も。
それがアニエスの言うような「最善の判断」だったとしても...
見も知らないほとんどの民には、王の名の下に法を徹底させ...
この行いは女王として、ほんとうに正しい行為だっただろう...
よく悩むことではあるが、今もそれがアンリエッタの心に、...
(……もう考えないようにしましょう。わたくしには、他にもっと...
関係者全員の罪を公にすれば、あの娘を泣かせ、カンシー伯...
政治。この場合はカンシー伯爵のような、一筋縄ではいかな...
貴族にとって大切なのが「家門」と「名誉」である以上、そ...
むろんこちらが強い立場である以上、ごり押しで全面的にこ...
(賢明、などと……)
アンリエッタはまたしても自己嫌悪を感じる。
政治的な駆け引きなどといっても、要するに恫喝と譲歩を組...
そんなことを覚えたかったわけでは、決してない。それでも...
いつでも敢然と自らの正義をつらぬけるルイズがまぶしい、...
「姫さま」
呼びかけられて、びくっとアンリエッタは反応した。
当のルイズが数歩離れたところに立っている。
最近すっかり大人びてきた親友は、はっきりした声で述べた。
「姫さま、ハトの知らせにすぐ応えてくださって、ありがとう...
あの鳥があんなに便利とは思いもしませんでしたわ。あんな...
ルイズが言っている「知らせ」というのは、アニエスが武芸...
銃士隊が使用する連絡用のハトだった。使い魔である鳥ほど...
が、アンリエッタは首をふった。
「ハトの知らせは、この近くにある銃士隊の詰所に届くのよ。...
もちろんアニエスやあなたの判断は取りうるかぎり最良のも...
わたくしとサイト殿がここに来たのは、〈黒騎士〉の一団に...
あなたたちがここにいるとは思いもしなかった。本当にたま...
「……やはりメイジの使い魔の鳥と一緒にしては駄目、ってこと...
飛べる使い魔を自分が持っていなければ、メイジだってやは...
そうね、とアンリエッタはうなずいた。
平民は弱い。メイジのような力がなく、社会においても立場...
それでも彼らは存外にしぶとく、したたかなのだった。
……とはいえ旧態依然としたこの国では、隣国ゲルマニアほど...
だからこそ今しばらくは、貴族の長にして唯一の天敵でもあ...
ふと自嘲がもれた。
「ねえルイズ、平民は貴族を恐怖し、貴族は王権を警戒する……...
民の意識を、貴族の力を。外敵と内からの裏切りを。
みずからの手にした権力を。頂点に立っていることそのもの...
怖れすぎて弱くなることを、驕ってなにも怖れなくなること...
「難しいわ」とぽつりとつぶやき、それきり口をつぐんで雪...
「姫さま、わたしまで怖れる必要はありません。及ばずながら...
かならず御心にそえるとは限りませんが、なんでも言ってく...
アンリエッタは微笑んでうなずいた。
ルイズの言葉は形としてはありきたりだが、そこにこもった...
このルイズさえ信用できないとしたら、彼女の信用に値する...
アニエスや才人はまた別だが、彼らはみずから抜擢した平民...
思考が才人におよんだとき、まったく違うことを思い出した。
(あ、そういえば)
アンリエッタはもじもじと両手の指先をからみあわせ、はに...
「あの……それならものは相談なのだけれど、今日明日サイト殿...
お昼からのごたごたで、まだ街に入ってさえいなかったんで...
「いえ、それは当初の約束どおりの刻限までで……」
ルイズの態度は、一瞬にして氷河もかくやという冷然たるも...
『そっちの話なら別』と主君ではなく、幼なじみ兼恋敵に対...
ここからが肝要だわ、とアンリエッタは息をととのえる。
なにしろ自分は、新年すぐあちこちの行事にてんてこまいに...
いつものように才人をルイズから借り、せっかく見慣れない...
問題発生で失ったやすらぎの時間を、少しでも取りもどした...
「ルイズお願い、そこをちょっとだけ譲歩して?
あなたは今日までの降臨祭のあいだ、ずっとサイト殿の手を...
「言っときますが、アレはわたしの使い魔です。基本わたしに...
陛下におかれましては、臣の所有物に手をかける行為をつつ...
慇懃なイヤミを駆使することも覚えたルイズだった。
幼いころの二人ならこのあたりで喧嘩に発展しそうなところ...
まして才人の貸し借りに関する交渉はいつも難航するので、...
女王と貴族の本日二回目の駆け引きは、これからが本番にな...
…………………………
………………
……
一方。
かなり弱まってきた風雪のなか路傍の石にこしかけ、少女た...
そのしゃべる剣が揶揄するような笑い声をたてた。
『相棒、こんなときいつも俺の相手してくれるのはいいが、ひ...
「…………待つ以外、俺に他にどうしろって言うんだよ?」
彼は彼で、悩みが尽きないのだった。
マリコルヌならずとも、一般の目から見るとつい刺したくな...
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降臨祭の第七日・昼(クリスマス特別編・シリアス) ボルボX氏
ハルケギニアの新年となるヤラの月。年明けから十日間続く...
トリステインの各市町村において、お祭りさわぎが繰りひろ...
村落を見おろす丘の上。領主の館の広大な庭。
庭の一角に高くそびえる鐘楼から、七つの鐘の音がひびき、...
厚くたれこむ雲が冬空をおおい、そこから幾万幾億もの白い...
若い村役人は雪の舞う庭にたたずみながら、昼でもほの暗い...
村役人が歯ぎしりをこらえたのは、にやにやしながら彼を見...
(あの行商人、ついに間に合わなかった。てめえが被告だっての...
正午の鐘を合図として、裁判がはじまるはずだった。
出廷義務のある者――領主の名代であるその息子と家令、提訴...
領主の家臣である十数人のメイジ兵たちや、裁判とは直接関...
被告である行商人のみが、出廷していない。
カンシー伯の家令である〈赤騎士〉が、赤い甲冑を鳴らして...
ことさらに村役人のほうを見て。
「さて皆さん、街道の〈黒騎士〉からたったいま手紙で報告が...
つまり被告は出廷しないようです……欠席理由の申し立ては今...
これはカンシー伯の名でひらかれた法廷に対する、深刻な侮...
〈赤騎士〉の得々とした宣告とともに、その横でとつぜんの...
野外に運ばせたテーブルの上につっぷして、領主の跡継ぎが...
カンシー伯爵の息子がこぶしでテーブルをたたくたびに、銀...
七面鳥の脂で唇をてらてらと光らせたその男は、勝ちほこる...
横の〈赤騎士〉と意味深長な笑みを交わしてから、並んだ人...
「なあおい、だらだらとこの寒い中、わかりきった判決のため...
煩雑な手続きはうんざりだ、陪審団の名前読み上げなんぞ省...
被告は逃げたんだ! これははっきりと、有罪の証に見える...
(そんな無茶な)と思ったにしても、それを口に出して言った...
十二、三歳ほどの一人の娘以外には。
「待ってください、欠席の咎は罰金刑だけのはずです!
父さんは来ますから! 以前の手紙でちゃんと帰ってくると...
遅れているだけです、きっと雪で馬車が通れなくなって……」
「ほう? まあ、ありえないことじゃないな。この辺の雪は深...
だが、それなら交通不能と見た時点で、欠席理由を記した手...
やはり逃げたんだよ。あるいは盗賊や狼に襲われて、永遠に...
領主の跡継ぎの楽しむような声に、娘が赤ぎれになりかけて...
いまにも爆発しそうな激情が、その目の奥にちらちら見えた。
それを隣ではらはらしつつ見ながら、村役人は心中で何度も...
ここ数年帰らないカンシー伯の名代として土地を統治し、ま...
裁判に間に合わず罪をかぶせられることになった、あのとん...
目をそらし耳をふさいで安全だけは確保しているはずだった...
それを突っぱねられなかった、自分自身の馬鹿さ加減を。
(弁護の証人なんてやるんじゃなかった、これで俺の未来も終わ...
あのどら息子は、俺が被告を弁護する側の証人として出廷し...
今からでも「被告は素行不良の人格破綻者で、以前から有罪...
それに、あの忌々しい行商人は実際に有罪なのである。「被...
――とはいえ、領主の跡継ぎも共犯者である。
父の名代として領主特権を利用し、被告となっている行商人...
役目柄、領地の経営状況をかなりの程度知る村役人は、それ...
提訴人たちのほうを見る。
訴えでた商人たちは、あからさまに喜色を面に出していた。
(ああ、儲けてた同業者を排斥できて満足だろうよ。
実はあんたらの目の前にいるそいつが、あんたらが妬んで訴...
村役人は皮肉をこめて内心そう考える。
だが、それをうっかり口にして言えば、今度は自分が危なく...
横にたたずむ少女をちらりと見る。
(この小娘が助けてなんて泣きついたからだ。こいつら姉弟に面...
ああ、あの時しこたま酒をあおってさえいなければ、こんな...
ふとその小娘が村役人を見あげた。青年は黙って目をそらし...
見あげてくる目は、必死に彼にすがる色を捨てていなかった...
もうできることは何もない、父親は救えないよ――とはとても...
(おまえの親父が悪いんだぞ、あんな馬鹿貴族の口車にのって禁...
そう念じようとはしても、村役人はやはり釈然としない思い...
ずっと人質がわりに村に住まわせられていた行商人の娘が、...
娘には「自分の知るかぎり、被告はそんなことをする人間で...
領地の裁判では、被告をよく知る証人がそう保証するだけで...
(……けどな、俺以外に弁護しようっていう証人が一人も出てこな...
その反対の印象を語る証人は、提訴人側に山ほど並んでるん...
いや、それどころか、陪審団ふくめ村人がまとめて骨抜きに...
村役人は恨みをこめて、広場の一角の陪審団席を見やった。
おどおどと村出身の陪審員たちが視線をそらす。苦々しい思...
(あの行商人はともかく、俺までずいぶんあっさり見捨てるんだ...
それは仕方ないといえば仕方ないのだった。だれも自分たち...
(俺だって村役人なんてやりたくなかったんだぞ。あんたらが勝...
そのくせ俺がお貴族さまに逆らったら即座に見て見ぬふりか...
こんな土地、いっそ捨ててしまおうか。それがいい、今日が...
心の中で、陪審団のひとりひとりを先祖にさかのぼってまで...
目立たないようにそっと周囲を確認する。
前方、領主の跡継ぎの周囲できらめくのは、数名のメイジ兵...
カンシー伯の家臣、または跡継ぎ自身の子飼いである。当然...
後方には半端な鎧や鎖かたびらを身につけた、鋼の剣や戦用...
この後もよおされる武芸試合のために集められた、傭兵出身...
(この庭には人が多い。目をぬすんで逃げるのは無理、突破は論...
……なぜ今すぐ逃げることなんて考えるんだ、俺は?)
村役人の脳裏になにか、不吉な予感が浮きあがってきていた。
領主の跡継ぎが口の端にあらたな笑みをきざむ。彼は村役人...
「おい、めくらの坊主、おまえの親父はおまえたちを見捨てて...
目を閉じて、寒さと恐怖で震えていた男の子が、びくりとし...
それを見て、行商人の娘が「弟になにもしないで」と叫んだ。
領主の跡継ぎがそれを聞いて表情を消したときに、村役人は...
本気に見えるほど力をこめて、ただし方向を選んで。
驚きの悲鳴とともに、娘が横手の厚く積もった雪のうえに倒...
「若様になんていう口を利くんだ、小娘! 失礼いたしました...
この娘は、父親が犯罪人と決まりそうなんで気が動転してい...
あのう、ただもし、被告の馬鹿野郎の財産を没収して牢に入...
卑屈な笑みをうかべつつそう切りだした村役人に対し、領主...
「だからこの坊主をうちで働かせてやるんじゃないか、うちの...
こいつは、自分から金が欲しいと言って館にやってきたんだ...
心配しなくても給金はちゃんと払うさ、これは立派な雇用だ...
(なにが雇用だ)と村役人は内心毒づきながら、顔ではにこに...
「ええ、まったくおっしゃるとおりで。しかし、この娘にした...
その子はまだ小さいですし、こういうことは身内が納得する...
必死に言いすがる村役人に、うるさそうに跡継ぎが手を振る。
「もういい。こいつはとうに、一生ぼくに仕えるということで...
おまえも口先だけでどうにかなると考えている薄っぺらい人...
おまえら平民は、もっと自分で努力して道をひらくべきなん...
村役人は声をのんだ。
恐怖で一瞬、足元の地面が消えたような感覚をあじわう。詰...
「武芸試合に? 剣をもって闘え、と?」
「そうとも、闘えばいいんだ。チャンスはいつでも転がってい...
優勝すれば被告が裁判に欠席した罰金、捕らえられたあとの...
……それどころか知ってのとおり一年間、わが家中で貴族のよ...
自分の考えがよほど気に入ったのか、ナイフとフォークでリ...
「そうしよう、もうこの武芸試合で優勝した金以外は受け取ら...
自分で出るのが嫌なら、代わりに戦ってくれる奇特な奴を見...
ああそれと、この庭から出るなよ……めくら、おまえは館の中...
村役人はしばしの逡巡のあと、「わかりました」と承諾した。
また気まぐれに思いついた遊びであろうが、これを断れば領...
そうなればどんなことになるか知れたものではない。
(畜生、どうしようもない。代役をたてることが出来るならまだ...
……ちょっと待てよ、代理といっても要するに、自分が闘って...
くそ、とにかく、こいつの目の前から離れて考えよう)
呆然と雪の上にへたりこんでいる行商人の娘の腕をつかみ、...
引きずるようにしてテーブルから離れながら、村役人は小声...
「貴族に、とりわけあの男みたいな奴に『平民に生意気な口を...
お前の父親のことも置いておけ、いま騒いだってどうにもな...
ずっ、と鼻をすする音が聞こえた。かたわらを見下ろして、...
こちらの子供も泣き出したのである。ずっとこらえていたも...
「だって……あの子は目が見えないのに、あんな扱い……なんで、...
父さんだって、あの子の目を治すのに、たくさんのお金と腕...
「それを人に決して言うなよ。口をすべらせば本当に殺されか...
厳しくいましめてから、村役人は肩越しにテーブルのほうを...
男の子は盲いた目をしょぼしょぼさせて涙をぬぐい、召使に...
あの坊主はこの数日でそこそこひどい目にあわされたし、今...
(坊主、助けてやりたくてもこの状況は俺にはちょっと荷が重す...
余計なことを気に病むからだ。暮らしやすいよう、村内でち...
「何だったんだ?」
第三者の声が自分に向けてかけられたと気づくまで、数瞬が...
村役人の目の前に、二人の若い人間が立っていた。どちらも...
問いかけてきたのは、剣を吊った凛々しい剣士のほうである...
どう答えればいいのか村役人がとまどっているうち、二人組...
少しきつい印象があるが相当に整った面立ちの、桃色がかっ...
「いや、なんだかワケありのよう……」
「人様の領地にはね、いろいろあんの。
あんたは領地を持ってないからそのへん知らないんでしょう...
よけいなおせっかいは、下手すりゃ紛争や決闘に発展するの...
その二人の話を聞きながら、(あまり良くないどころか、あの...
平民を集めての武芸試合はあの男にとって、最高権力者とし...
「他の王様」になりうる、しかも自分がまねいた覚えのない...
(だけど待てよ、これはチャンスじゃないか?)
どうやらこの桃色髪の少女は貴族らしい。服装は二人とも貴...
それならば領主の跡継ぎも、自分たち領民を扱うようにはけ...
急流にかけた水車のように思考が回転し、ひとつの打算をは...
「助けてくれ!」
恥も外聞もかなぐり捨て、小声ではあるが彼はそう叫んで、...
村役人に袖を引かれてうながされ、行商人の娘が同じように...
とつぜんの困惑は、こんどは剣士と桃色髪の少女の側にあっ...
「な、なによいきなり……立ちなさいよちょっと、周りに見られ...
「助けてくれ! 俺たちは武芸試合に出ることを強要されてる...
押し殺した声で、よどみなくぶちまけていく。
背中に、離れたところにいるはずの領主の跡継ぎの視線を感...
場の「他の王様」に、つまりべつの貴族の庇護にすがる。そ...
「聞いてくれ。この領地のいまの支配者であるあいつ、カンシ...
最初は猫で、犬で、山の獣で、それらを同種あるいは異種間...
この武芸試合はその一環だ。一年に一度、腕に覚えがあると...
「それは聞いてる。変わった嗜好だけど……他人の趣味だし、と...
「あいつはなんでも面白半分に闘わせて楽しもうとするんだ!...
この館には数人の盲人が雇われてる。めくらを数人、囲いの...
目が見えないやつらが殴り合うから展開がどうなるかわから...
村役人が吐き捨てた直後、隣にひざまずいている行商人の娘...
「おねがいです、助けてください、おにいさん。
うちの目の見えない弟が、あの若様に仕えなきゃならなくな...
ぼそぼそとつむがれる涙声はたぶん、同情を引くには最適だ...
まさしく貴族の同情こそ、いまの自分たちには必要なもので...
「あの子は自分が何の役にも立たないなんて気にしてて……わた...
……弟はここ数日で、おなじ盲人だけどずっと体が大きい人た...
あの若様は、囲いのなかに野豚を入れて、それを殴り殺すよ...
言葉もない態で聞いている二人組が、目と目を見交わした。
話の途中から不快そうに眉をしかめていた剣士が、おもむろ...
「……それで、『助けてくれ』とは? なにをしてほしいんだ?」
連れの剣士に桃色髪の少女はちらと目をむけたが、今度は制...
…………………………
………………
……
冬の鴉鳴く白い庭、木の柵にかこまれた長方形の試合場。武...
村役人は、行商人の娘と手を握ったまま、これから始まる予...
彼らのために出場することを承諾してくれた剣士は、一本の...
その最初の試合は、全員参加の混戦である。
出場する全員が、首に赤い布を巻いていた。
他人の布を一枚だけ奪って柵の外に出れば合格である。自分...
最初のこの一戦で半数がふるいおとされる。混乱の中で、重...
「どうかあの方に、始祖の恩寵がありますように……」
行商人の娘が食い入るように試合場を見つめつつ、祈りをつ...
村役人は気まずくなった。本当なら、自分があの危険な場に...
(しょうがないだろ、俺はまっとうな生き方してるんだ。武器な...
気炎をあげつつ試合場にむらがった戦士たちは、腕自慢の男...
村役人の代理として出場してくれた剣士は、そう大柄ではな...
「遊びがすぎるわ」
村役人から少し離れて立っていた桃色髪の少女が、冷ややか...
ぎくりとして彼は試合を見ることも忘れ、その貴族らしき少...
うんざりしたようにその少女が首をふった。
「あなたたちのことじゃないわよ。この馬鹿馬鹿しいちゃんば...
ほんともう……いつも姫さまに言いつかった仕事でさんざん剣...
妙に不機嫌そうな声である。
首をちぢめるように聞いている村役人と行商人の娘に対し、...
「あなたたちを放り出したりしないわよ。
後からあらためて詳しく話を聞かせ――」
試合開始の鐘が鳴り、少女も口をつぐんだ。
…………………………
………………
……
「密集しての乱戦では、転んだらまず終わりなんだ」
剣士は短く、それだけ言った。
額の傷からたらりと一滴、血が流れた。
その頭に包帯を巻きながら、桃色髪の少女が怒鳴りつけた。
「心臓が縮んだわよ! なに一発もらってんのよ」
まったく心臓がちぢむ光景だった。村役人は慙愧の念にたえ...
乱戦の中で、やはり優位にたっていたのは、左右に薙ぐよう...
その猛威の陰でよく見えなかったが、どうやら剣士は最初は...
しゃがんで相手の首から布をほどいていたときに他のだれか...
「そう心配するな、次から一対一だ。剣を持てるならこっちの...
重傷者も除外して、残った勝ち抜き戦参加者は総勢十六名か...
ふむ、選手番号は十一番、と……」
ぎゃんぎゃん騒ぐ桃色髪の少女を軽くいなして、包帯を巻か...
言うとおり、このあとは一対一の試合である。くじ引きで対...
領主の跡継ぎの意向により、飛び道具以外でおのおの得意な...
「あの、なんといって感謝すればよいか……」
申し訳なさに消え入りそうな声で頭をさげた村役人に、剣士...
「礼は勝ち残ったあとに言ってくれればいい。
そんなことより、もっとはっきり事情をつかんでおきたい」
詳しく話せ、と言われて村役人は言葉に詰まった。
思わずかたわらの行商人の娘を見下ろすと、こちらも動揺し...
この娘にとっては、親の恥でもあるのだ。
うろたえる二人の様子を見ていた剣士が、「いや、やはり今...
「とりあえず何戦か勝ってからにしよう。
事情を聞いておいて、初戦でいきなり負けたりしたら格好が...
冗談めかしてそう剣士がそう言ったとき、「三番! 十一番...
自分の番号を呼ばれた剣士が舌打ちする。
「いきなり最初の戦いか。まあいい、なるべくさっさと決着を...
……そうだ、連絡文をハトには仕込んでおいたからな。持って...
だれもが試合場に注目しているときに、気づかれないように...
剣士が桃色髪の少女の耳元でささやき、自分のものらしい背...
少女が「わかったわ」とうなずき、ごそごそと渡された背嚢...
村役人の耳に、気のせいかクルッポーと鳴き声が聞こえた。...
…………………………
………………
……
もう幾度目かに、熾烈に動きつづける両者の間合いが重なっ...
対戦者の振り下ろしたハルバードが、剣士の頭上に剛猛な勢...
代理の剣士は、地面を噛んだハルバードの先端をすかさず踏...
閃光のように鋭い、そして繊細な一撃をうけ、対戦者の右手...
剣士はとびのいて叫んだ。
「骨に届いたぞ、降参してはやく治療を受けろ!
後遺症がのこれば、得物をうまく握れなくなるぞ」
対戦者は剣士をにらみつけ、どくどくと血を雪泥の上にこぼ...
その大柄な男から急速に敵意がしぼんでいくのが、村役人に...
「そうしよう」とその男はつぶやき、背をむけてのっそりと...
ただ、代理の剣士は治療してもらえない。
走りよってくるメイジたちは、代理の剣士だけには目さえ向...
剣士もこだわらず、さっさと木の柵をこえて戻ってくる。
「なんて狭い了見なの、あいつら! 決勝の前に傷をふさいで...
あんた最初の戦いの前に『さっさと決着をつける』とか楽勝...
「しょうがないだろう、槍やハルバードなんて使われては。こ...
こんなのは全部かすり傷だ。出血にさえ気をつければいい」
苦笑する剣士の腕の傷に、服の上からかたく布を巻きながら...
はらはらさせられたのがよほど不機嫌なのか、「人の領地に...
「だいたいこんな武芸試合、おかしいわよ! 貴族主導のスポ...
それにしたって普通は木剣とかでしょう!? この一対一でも...
この地の領主は何やってるのよ、あんな馬鹿息子を野放しに...
「まったくだな。だが実は、木剣より真剣の立会いのほうがこ...
受け答えのあいだも、剣士の傷口に巻いた白布にはじんわり...
……いたたまれなくなり、村役人は何か言わざるをえない気分...
「領主さま、カンシー伯爵は数年前に、ゲルマニア方面へ長い...
留守を任されたあの若様は、それまでは領主さまの顔色をう...
数年待っても連絡が何もなかったからか、これで羽根を伸ば...
流される血を見つつ、やましさから口早に語りつづける。
「〈赤騎士〉と名乗る家令はいさめるどころか、これまた悪知...
あの二人組は風車小屋とかの使用料をつりあげたりして、金...
若い貴族仲間をあつめての賭けトランプや近くの都市にある...
あのころは領民たちは、本気で集団での逃散を考えたほどに...
が、領民にとっては幸いなことに、領主の跡継ぎはべつの金...
「被告になってる男は、もともと都市の商人だったらしい。
あるとき市の有力者の妻に迫られてことわったんだが、恥を...
娘と、目の見えない息子をかかえて流浪してたのが、この領...
「ちょっと待て、そんないっぺんに早口で話すな。
たしかに何戦か勝ったら話せとは言ったが、いきなり素直に...
村役人は首をふった。
「あんたは、次は決勝というところまで戦ってくれたんだ。い...
そこにこめた感謝は嘘ではなかった。ただ、それ以上に罪悪...
それに、どうせ頼るなら弱い腹を見せて、何もかもを投げ出...
行商人の娘に「言うぞ」と彼は確認した。娘はしばし迷いを...
「被告の罪科の焦点だったのは……媚薬の原料などの、一般での...
そういったわずかでも高価な闇の品は、ここの近くにあるわ...
正直に言うと、被告はここ以外の法廷でも有罪判決をくらう...
だがおそらく、この話をもちかけたのは若様自身だ。ここの...
桃色髪の少女が、小さなあごに手をあててうなった。
「なるほど、たしかにね。
領主に特別に庇護されていれば、一般への禁制品だって買い...
政府の役人にでも嗅ぎつけられれば別だけど、まず安泰だわ...
そしてじっさいに切り捨てられたわけである。
理由などいくらでも思いつく。あの商人は最近、あまり領主...
また、長年一人の人間が特権を駆使して商にたずさわってい...
切り捨て時、だったのだろう。
行商人の娘がこらえきれずに首をふって嘆く。
「父さんは、目の見えない弟をメイジの医師に診せて治してや...
「出まかせを言われたに決まってるでしょ。その場の傷ならま...
気の毒そうに、しかし断固として桃色髪の少女が言った。娘...
そこに気づいたからあの商人は反抗的になっていたのかもし...
剣士が天をあおいで嘆息した。
「『領主名代の横暴というだけなら、いざとなれば王政府に訴...
それはかなりまずいな、訴えられなかったのはわからなくも...
禁制品の密売となると、塩の密売や貨幣の偽造ほどでなくと...
かりに王政府の役人がこれを知ったとして、領主の息子を牢...
たとえ利用されていただけとしても。
「厄介だな。あの領主の息子とやらは、そんな自分の弱みを知...
そう言うと、剣士はちらりと意味深に村役人を見る。
彼はぎくりとする。これまで、そのことは考えないようにし...
だが先ほど「ここから出るな」と言い渡されたことといい、...
べつの貴族の庇護さえあればどうにかなる、と思っていたが...
「決勝をはじめる。十一番、八番、試合場に上がれ!」
〈赤騎士〉の声がとどき、一同のつかの間の重苦しい沈黙は...
だからといって、明るい気分にはむろんならない。
試合場に上がってきた最後の対戦者を見て、剣士が表情をひ...
「やはり、まずすべて終わってから考えよう。
相手も剣か。けっこうだ、負けるものか」
…………………………
………………
……
天地は白さをましていく。空よりふる雪がちらちら揺れる、...
鋼も、氷のように冷えている。
けれど流れる血は熱い。
流れるようなゆるりとした動きで対戦者が剣を繰りだすたび...
その対戦者、壮年の男は背も剣士とかわらず、目に見えて激...
だが、おそらく相当に強いのだろう。代理の剣士がまったく...
剣士が足をフルに使って、前後左右に跳びまわっているのに...
そうかと思えば、一瞬だけ前にとびだし剣をひらめかせてす...
「剣なんてわたしも知らないけれど。
なんて言えばいいのか、相手は安定してるわ」
桃色髪の少女が、ためらいがちにそう批評した。
食い入るように試合場をみつめるその表情に、落ち着きをよ...
村役人は答えることはせず、黙って試合場を見ていた。代理...
剣士は負けるかもしれない。傷をおわず負けることはないだ...
(心臓を痛めてまで見てどうする? 俺が見てなくても、決着は...
それに俺に武芸などわからないんだ、と村役人は首をふる。
彼は剣さえ知らない平民であり、他人の力を利用して自分の...
それでも、増すばかりの恐怖そして罪悪感に、目をそらすこ...
テーブルから領主の跡継ぎが村役人を見つめていた。
自分の靴にはいずっていた虫を見下ろすような冷酷な目で。
彼が唇をひらいた。距離は離れていたが、その声は雪ふる空...
「ほんとうに代理に出る物好きがいるとは思わなかったよ。
ぼくは本当はおまえが戦うのを見たかったんだが」
村役人はわれ知らず後じさった。
理屈以外のなにかがはっきり知らせたのである。
(やっぱりこいつ今日俺たちを、特に俺を殺す気だ)
彼は職分上、領主の跡継ぎがおこなっている不正に気づいて...
領地の経営にかかわっている彼は、その気になれば領主の跡...
自分自身の命のために、それを告発する気などさらさらなか...
(まずい、極めてまずい! ここから出るなとあいつは言った、...
そうと知っても、いまさら逃れるすべなどあるはずがない)
…………村役人の焦りをよそに、試合場では代理の剣士もまた苦...
じりじりと距離をつめようとする対戦者に、わずかながら剣...
先の試合での出血、そして今しがたつけられた新たな傷。体...
この対戦者は執拗に、剣士の手足を狙っていた。少しずつ、...
幾重にも分かれた蛇の舌のように剣の残像がおどり、剣士の...
いまやはっきりと見える形でその男は、剣士を追いこむよう...
…………突然のラッパが鳴り響き、館の木造りの門が開け放たれ...
試合場であらそう二人をのぞき、群衆の視線のあつまる中を...
村役人はほぞを噛み、(やはり来た)という思いでそれを見や...
最悪にかぎりなく近い展開だった。
その者は馬をすすませ、領主の跡継ぎから二十歩という地点...
黒い鎧で全身をかため、黒い兜で頭部まですっぽりと覆った...
その後ろでは、フードをかぶった従者らしき者もまた下馬し...
(こんちくしょう、やっぱり勝ち抜き戦の後にもう一試合して〈...
「カンシー伯爵の息子がやとってる平民の戦士って、あれがそ...
桃色髪の少女が一瞬だけ試合場から目を放してその甲冑の男...
村役人もはっと気づいたように少女を見かえして、うなずく。
「……ああ、この二年連続で〈黒騎士〉をつとめている奴だ。
年に一度の武芸試合で勝ちぬいた者は、〈黒騎士〉に挑戦す...
今日を締めくくる試合のために、ここに来たんだろう」
村役人の見ている前で、黒い甲冑の剣士はがちゃがちゃと甲...
冷えかけた七面鳥の肉を切り分けている領主の跡継ぎが、ナ...
「どうだった?」
その質問に、数度咳ばらいしてから黒い甲冑の男は答えた。
「あなたの予想通りでした。今朝方、全部片付きました。
まったく寒い、動かないでいると鎧が氷のように冷たくなる…...
「ご苦労だった」
にんまりと笑みをたたえて、領主の跡継ぎが称賛する。
違和感のある受け答えに、様子をうかがっていた村役人は眉...
(なんだ? 待てよ、なにか……)
ことさらに考えようとしたわけでもないのに、さまざまな疑...
被告はついに来なかった。その娘には、帰ってくると約束し...
待機させられていた武芸試合の挑戦者たち。まるで領主の跡...
人がまばらな、つまり目撃者の少ない大雪の街道。
「盗賊や狼」の脅し文句。
どこかに出かけていた〈黒騎士〉。
突然にして、村役人は答えをつかんだ。
けっして難しい謎ではなかった。もともと、どこかでそうで...
それでもやはり愕然と目をむいて立ち尽くす。
(あいつら、あの行商人の乗った馬車を襲ったんだ)
禁制品密売の罪を押しつけたうえで、余計なことをしゃべら...
被告が裁判に出るためこちらに帰るこの日。どの街道を通る...
そこまでやるのか、と村役人は歯噛みした。
領内の通行安全を保障するはずの領主権が、本気でみずから...
主君の命をうけた〈黒騎士〉が馬車を襲い、一人残らず殺し...
いや、死体も馬車ものこさず隠蔽され、被告はそもそも来な...
提訴人たちのほうを見る。
訴えでた商人たちは妙に居心地わるそうに庭の隅にかたまっ...
(おまえらは裏の事情を知らず、儲けてる同僚をやっかんで訴え...
どら息子に話を持ちかけられて一芝居うったんだろう? あ...
だがそうだとしたら、その貴族はあの行商人を計画的に使い...
苦虫をかみつぶしながら、村役人は暗く目を落とした。
(だが俺たちはその前に、今日死にそうだな)
…………………………
………………
……
試合場の激闘は、まさにたけなわとなっていた。
とうとう試合場の隅、まだあまり踏みこまれていない雪原の...
これまでの対戦者の武器とはほとんど触れることもなかった...
踏み荒らされていく雪に赤い点がぽたぽたとついていた。代...
「まずいのかしら」
舞う雪より顔色が白くなっている桃色髪の少女が、ぽつりと...
銀光が繚乱する中、必死の形相で刺突をくいとめた剣士が、...
対戦者の剣がその頭上にきらめき、落ちかかった。
まともに受けようとしていればたぶん死なずとも重傷はまぬ...
幸いにして自分の剣でわれとわが身を傷つけることもなく、...
対戦者が淡々とそちら側に体の向きをかえる。
呼吸はこれ以上なく乱れ、体は雪まみれで血と汗に汚れてい...
が、その瞳が対戦者の背後をみとめて、一瞬揺れたように見...
見るまに汗みどろのその顔が、不敵な笑みを浮かべて対戦者...
「攻められるのは好かん。ムッシュ、そろそろこっちが攻めさ...
体勢はともかく呼吸はそう簡単に治められないはずだが、油...
じり、と再度距離をつめようとした対戦者が、ぎょっとした...
さきほどの対戦者顔負けの勢いで、剣士が苛烈に攻撃の剣を...
相打ちを狙っているかと思われるほどの、捨て身にちかいや...
一剣を送ってまた一剣。
集中力を極限まで高めているらしく、手首をひるがえして送...
こんど息をつめて払いのけようとしているのは対戦者だった。
たとえ相手を殺しても、引き換えにこっちの目でも刺されて...
対戦者は歯をくいしばり「この気ちがいめ」とでも罵りたそ...
村役人もぼんやりと的外れなことを頭のどこかで考える。
(あんなに近寄って、刺されるのが怖くないんだろうか?)
剣士の手にある刃が激しく動きはじめ、雪の光を反射して鮮...
孤をかいて円転し、その幻惑するような円の中から突きが繰...
ここが先途とばかりの猛烈な攻めは、尽きる前に火勢をもっ...
力をふりしぼって攻め立てる剣士の、息もつかせぬ矢継ぎば...
刹那、しゅっと送られた剣尖が、対戦者の手首をつらぬいて...
とびすさった剣士の前で、勝ち抜き戦最後の対戦者が武器を...
とうとう代理の剣士が、武芸試合に出た者のうちでただ一人...
……ただし控え目に見ても、剣士は限界だった。
肺が破れそうなほど呼吸を荒げ、頭上からは湯気がたちのぼ...
喝采を浴びせることも忘れて、村役人は立ち尽くしていた。
だが、この勝負が決まった次の瞬間に、すぐさま次の戦いを...
「〈黒騎士〉、さっさとお前の役目を果たしてこい。
挑戦者が待っているだろ」
試合場にたった一人が残った時点で、領主の跡継ぎがそう命...
黒い甲冑の男は軽くうなずき、身をかえして試合場のほうへ...
薄刃の大剣をすらりと抜き放って。
試合場でいまだ呼吸を整えている汗みずくの剣士が面をあげ...
甲冑の男の剣をまじまじとよく見つめてから、不敵な笑みが...
そのとき村役人の横から、行商人の娘が涙声をはりあげた。
「不公平じゃないですか、あの方はさっきまで闘っていたんで...
「黙れよ、娘。〈黒騎士〉だって今戻ってきたところだ。
……不平か? うん不平なのか? よし、もう少しおまえらに...
視線を行商人の娘にうつした領主の跡継ぎが、さらに面白い...
朗々と言う。
「喜べ娘、父親の有罪無罪をかけてもう一度裁判をさせてやる...
決闘裁判、『始祖ブリミルの名にかけて戦われ、その恩寵あ...
提訴人側の代理人には〈黒騎士〉を提供しよう。〈黒騎士〉...
口をあけて、行商人の娘は動きを止めた。破格といえなくも...
「惑わされるな」と村役人は大声で言ってやりたかった。
試合場の代理の剣士が勝ったところで、この目の前の残酷な...
(どうあってもこいつは俺たちを料理する気なんだよ。
いまは猫が捕らえたねずみに食いつく前に、いじくりまわし...
「面白い提案だな、おい。聞いたぞ。
まがりなりにも貴族なら、自分の言葉に責任をもつんだろう...
試合場の剣士が、血と汗をぬぐいつつ声をテーブルのほうに...
どうにか村役人は領主の跡継ぎから目をそらし、試合場のほ...
剣士は傷がひらき、流れる血で体を朱に染めていた。呼吸も...
(そうだ、それ以前にあんたが、〈黒騎士〉に勝てるとは思えな...
〈黒騎士〉は一昨年の武芸試合でも昨年でも、対戦した相手...
だのにあんたは、なんでそんなに怖がってないんだよ? 挑...
頭では、そう考えていた。
だが彼の手足は、このとき思考と関係ないかのように動きだ...
彼は先ほどのように、行商人の娘をひっぱっていた。強引な...
立ちどまり、戸惑ったように見上げてくる娘の小さな肩を抱...
娘が体を硬直させた。
村役人は、誰にも聞かれないよう密着した体勢のままささや...
「もう少ししたら混乱になる、その間になんとか逃げろ。父親...
村にはけっして寄らずすぐ他へいけ、できれば遠くの自由都...
それだけ言うと離れ、試合場の木の柵を乗りこえる。
行商人の娘が、横から叫びながら手をひっぱるのを振り払い...
剣士と黒い甲冑の男が対峙している試合場の中央まで、体を...
恐怖と昂揚で、五体が麻痺したようだった。
目を丸くしている代理の剣士が、「……何しに来たんだ?」と...
村役人は、どうにか言葉を震える歯のすきまから押しだす。
「じゅうぶんだ、よ、よくやってくれた、あとは俺がやるから...
剣をこっちに貸してくれ」
領主の跡継ぎをこれ以上刺激すれば、たとえ貴族でも消しか...
外壁にかこまれた庭にいるよそ者すべてを、家臣のメイジた...
「あ、あんたはさっき覚悟を見せてくれた。
平民だって、覚悟すれば戦えるよな。お、俺だってずっとこ...
領主の跡継ぎが行ってきた不正を、わが身かわいさに見てみ...
嘲笑されてもへつらって平伏し、自分の身を守るかわりに誇...
たった今まで、「剣を知らないから」という理由で、自分の...
それらが心をちくちくと刺していた。
なにをしても逃れられないのなら、もうこの剣士と桃色髪の...
責任くらいは取っておくべきだった。
「そ、それにあんた、途中ではっきり気づいたけど女だろ。
戦わせといて、いまさらだけど、や、やっぱり男の俺が見て...
だから、もういい、俺がやる」
心はようやく伴っている。だから剣さえ手に取れば。
そして試合場で〈黒騎士〉の攻撃に耐えながら、テーブルの...
領主の跡継ぎは、間近で観戦するためにテーブルを試合場の...
(どうせ最後なら、自分で猫に噛みついてやる。
剣を持ったら〈黒騎士〉に向かうふりをして、あのどら息子...
その輝くような金の短髪をもつ剣士は、意表をつかれたよう...
それから、年頃の娘とも思えないうなり声を発した。
村役人の覚悟を聞いて、領主の跡継ぎは疑いなく大喜びした。
ナイフとフォークをカンカンと鳴らして、その男ははしゃい...
「おう、選手交代は認めてやるぞ! 勇気には敬意を払おうじ...
跡継ぎの歓声が聞こえた方向を、耳でしっかり確かめる。あ...
恐怖に目がくらみ、手が震える。この寒さの中、まだ激しく...
(どら息子を狙えば、混乱が起こるはずだ。あの娘が逃げられる...
最悪なら試合場から出た瞬間に魔法を食らう、最高に運がよ...
剣士が小声で、ため息まじりに呼びかけてくる。
「やめておけ、馬鹿」
「いいから、は、はやく剣を渡して、柵の外に出ろってば!
ただ、できればあの娘だが、守って外に出し……」
「聞けよ。目の前のやつは味方だぞ」
「……えっ?」
村役人ののどから、間抜けな声がもれた。
やれやれと肩をすくめんばかりの剣士が、汗まみれの顔に笑...
「こいつはまともに戦えそうか? おまえの意見を述べてみろ」
村役人が呆然と聞いている中、答えはすぐさま返ってきた。
「無理でしょ、意気込みは買いますけどね。戦う決意をしても...
「ああ。足から震えてる奴に、女は引っこんでろみたいなこと...
お好きに殺してくださいとアピールしているようなものだ。...
……ところで、遅いぞサイト。そんなごてごてした鎧を着こむ...
「この甲冑であいつらの一味だと思わせてないと、門をすんな...
……アニエスさんが試合に出てるなんて知らなかったんだから...
〈黒騎士〉だと今の今まで思われていたその者が、すっぽり...
あらわれた顔は黒髪、黒目の若い男だった。むろん〈黒騎士...
どう反応すればいいかわからず、サイトと呼ばれた少年をま...
「いい覚悟だったけど、モチはモチ屋というだろ。
剣の腕なんて一朝一夕でどうにかなるものじゃないんだから...
だから、あとは俺に任せてもらえねえかな。だいたいの事情...
「なにを偉そうに……
まあいい、後はおまえに任せる。万一にも不甲斐ない負けな...
剣士が少年に毒づきながらきびすを返し、試合場からおりよ...
アニエスという名らしいその金髪の剣士に肩をつかまれ、村...
その首を絞めるように腕をまわし、涙をためた行商人の娘が...
ぐったり息をついた金髪の剣士の肩を、桃色髪の少女がたた...
「最後のはすごかったけど……ああいう戦い方は危なすぎない?...
「試合で戦う者は、たいていは経験をつむほど無茶な戦い方を...
平民だと貴族ほど名誉にこだわりもないから、皮肉にも技量...
あとは、まあ、こっちの覚悟だな。二度とやりたくないが」
…………………………
………………
……
試合場に残った少年は、テーブルに座している領主の跡継ぎ...
「決闘で決めるんだろ? 代理も認めると、いま言ったよな?
それなら俺が、被告の擁護者になる。誰だろうと相手になっ...
領主の跡継ぎも〈赤騎士〉こと家令も、村役人とおなじく予...
「おい、〈黒騎士〉はどうした! それはぼくがあいつに与え...
「たまたま街道を通っていたら、馬車が襲われていたのを見た...
あんたらに利用された商人は傷を負ってる。重くはないが念...
で、盗賊まがいのあの連中なら縛って転がしておいた。もっ...
「あの役たたずが!」
跡継ぎの罵声をよそに、〈赤騎士〉のほうは静かに目を細め...
そのメイジは、確認するように慎重な声をだした。
「なるほど、〈黒騎士〉は自分の手で片づけたと言いたいのだ...
声が違うことを怪しまれないよう、風邪でのどの調子うんぬ...
……決闘裁判を要求するとな? だが、あいにくこっちに平民...
「誰だろうと相手になると言ったろ? メイジならそこに並ん...
俺とそっちの貴族たちのうち誰かが一対一で戦い、俺が勝て...
あんたらが勝てば、俺の身柄もふくめて全面的にそっちの好...
これを聞いて、得たりとばかりに〈赤騎士〉が間髪いれずう...
「よし! その条件をのもうではないか。
だが、おぬしは本来まねかれざる客だ……こっちも条件をつけ...
〈赤騎士〉は横むいてかがみこみ、領主の跡継ぎの耳元にさ...
怒りからか蒼白になっていた跡継ぎの顔に、たちまち血色が...
「一対一形式にはしてやる。ただし、おまえは本来ならいくつ...
だから、最低でも四人に勝ち抜かねばならない。
それとその鎧はいますぐ脱げ、ぼくの物だからな」
柵の外にもどっていた村役人は、これを聞いて行商人の娘と...
(どれだけ腕がたつ剣士だろうと、メイジ一人に勝つことさえお...
あの少年は死んだも同然じゃないか)
何と言えばいいのかわからないが、とにかく制止しようと声...
見ると、灰色のフードをかぶって顔を隠している者がいた。...
その者は、静かに、というようなそぶりをしてみせた。
「そうとも、騒ぐことはない。見ていればいい」
淡々とつぶやきつつ、金髪の剣士がマントをはおった。
行商人の娘が前にでて、恥ずかしそうにうなだれた。
「すみません、おねえさまだったのに、わたしったら最初に『...
……あのときは涙で目が曇っていて……そうでなければ、こんな...
「褒めてくれるのはありがたいがやめてくれ、私は武人だ。男...
げっそりと金髪の剣士が手を振った。
と、村役人の前にいた従者が身を返し、金髪の剣士に近づい...
見るまに剣士が狼狽する。
「いえ、そうは言われますが……いえ、いえ、お言葉なれどそれ...
ああ、傷ですか? こんなものはかすり傷でございます。今...
はい、事情はかくかくしかじかの次第で……」
離れたところでこそこそと小声で交わされている会話に、な...
「余計なことは知らないほうがいいわよ。というか懲りたら?」
「……そうだな」
…………………………
………………
……
風雪はいよいよ猛威をふるい、試合場は冷煙うずまく様を見...
衆人の注目のなか、黒髪の少年は篭手をはずし、胴鎧を脱い...
甲冑に慣れていないのか、たどたどしい手つきだった。通常...
試合場に上がってきた〈赤騎士〉が、少年に嫌味っぽく声を...
「そう慌てるな、待ってやる。もう少しゆっくり脱ぐといい」
「今はせっかちな気分なんだよ」
自分の体から黒い甲冑をおしげもなく取り去っていく黒髪の...
〈赤騎士〉はふふんと鼻で笑い、言葉をつづけた。
「若様を安心させるためにああは言ったが、剣士ふぜいにメイ...
私が家令を任されたのは、家中最強の騎士であったからだ。...
まったく、いくら腕に自信があるか知らないが、馬鹿なこと...
……一応訊いてやるが、若様に仕えてみる気はあるか? 今な...
「鐘が鳴ったら試合開始なんだよな?」
鉄靴を地面に放りだして、底に鋲を打ってあるらしき布の靴...
長広舌を流されて鼻じろんだ〈赤騎士〉が「ああ」と答え、...
横からかん高い声が飛んだ。「無駄なおしゃべりはいらない...
すっかり冷えているであろう七面鳥の残りを切り分けている...
「いや待て、街に隠したという被告の場所を吐かせるため生か...
さあ鐘を鳴らせ!」
その命令にこたえて、鐘楼の上で七つの鐘がいちどきに鳴ら...
鐘が冬空をどよもしたその刹那に、雷電のような一撃で〈赤...
領主の跡継ぎの手が、ナイフとフォークを持ったまま凍りつ...
黒髪の少年がやったのは、雪を蹴立てて敵の前にとびこみな...
ただ、異常なほどに迅かった。
傍で見ていた者の目には、稲妻がひらめいたかと映っていた。
雪塵を巻いてふりおろされた一剣は、まさに魔法を放とうと...
それによって〈赤騎士〉は、雪と泥のまじる地べたに這うこ...
猛烈な斬撃の勢いによって叩きふせられた格好である。鎧に...
ほかの平民の見物人たちと同じく声も出ない村役人の横で、...
先手必勝の模範例をしめした黒髪の少年は、信じがたいもの...
「せっかちな気分だと、さっき言っただろ」
鐘はいまだに鳴っていた。
ひん曲げた唇を震わせている領主の跡継ぎが、テーブルの後...
「次の奴!」
…………………………
………………
……
四人目が下された。
それなりに善戦したばかりに他より重傷を負ったそのメイジ...
軽く息をみだしながら、黒髪の少年は無造作に大剣をふりは...
武芸試合で敗退したあと、見物していた平民の武芸者たちが...
いっぽうで、領主の跡継ぎがかかえるメイジ兵たちは動揺の...
無理もない、と村役人は思う。剣士がメイジを、子供同然に...
貴族の血にぬれた霜刃と、サイトと呼ばれた少年の火のよう...
異様なほどに使い手自身の速度がきわだっている。範囲の狭...
軽捷霊妙の剣さばきと、雷を秘めているような四肢。
古今に名だたるメイジ殺しの誰であれ、この黒髪の少年ほど...
最初の〈赤騎士〉戦の瞬殺は意表をついたゆえにしても、そ...
アニエスと呼ばれた金髪の剣士もじゅうぶんに強かったが、...
自分にしても夢を見ている気分で、たぶんあっち側の陣営は...
「こうして見るとサイトの奴、目立つな……」
金髪の剣士が感心したような、微妙に悔しがってもいるよう...
なぜか得意げに薄い胸をそらしているのは桃色髪の少女であ...
従者姿の、顔を隠した者がぱちぱち手をたたいた。こちらも...
行商人の娘が呆然とした表情のまま、村役人の手をとってく...
振ってわいたような幸運に混乱し、踊りでもしないとどうや...
彼もとりあえずつきあって踊るのだった。
周囲に苦笑されつつちゃんちゃか続行されていたその踊りが...
「次だ!」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、サイトは四人抜いたわよ!」
看過できないとばかりにこちら側の陣営から大声をはりあげ...
ぎろりと血走った目が返る。
「最低でも四人、と言ったんだ。五人だろうと十人だろうと闘...
できないというなら、ぼくが勝ったってことだ!」
殺気をこめて吐き捨てた跡継ぎが、振り向いて残ったメイジ...
「全員まとめて試合場に上がれ!」
「この、貴族の面汚し……!」
桃色髪の少女が激怒に眉をつりあげ……みずからの杖をひきぬ...
…………………………
………………
……
「なあルイズ」
「な、何よ! わたし絶対悪くないからね!」
「いや、俺だって助かったわけだから、いいんだけどさ。
もう少し人目を気にして、エクスプロージョンの威力を抑え...
黒髪の少年がまじまじと、破壊されたテーブルの周辺を見た。
領主の跡継ぎ以下、そのあたりにいたメイジはそろって虚無...
テーブルの惨状はより正確に言うなら、木っ端微塵になって...
「ラ・ヴァリエール殿の魔法を見ると思うのだが、これで直接...
金髪の剣士が嘆息し、従者の格好をした者は苦笑をもらした...
庭にいた残りの者は、苦笑どころではない。青くなって桃色...
村役人も、正直ドン引きしている。
ルイズと呼ばれた桃色髪の少女が、うつむいた。
「存在自体が、貴族の理念を馬鹿にしてるような奴だったのよ…...
「それはわかるよ。よくわかるけど、ここまで来て爆発された...
黒髪の少年が笑った。引きこまれそうな晴朗な笑顔に、桃色...
一方、庭の隅では爆発に巻きこまれなかったメイジたち、〈...
「さて、後始末はどうしたものか?
すべてを表沙汰にするとなると、カンシー伯爵家の名に傷が...
私の意見では、法は基本的には厳格であるべきだと思うが……」
金髪の剣士が首をひねりつつ、行商人の娘を見やった。娘は...
だれもが考えこんだが、その思案はすぐ中断された。
なぜなら、鐘楼の鐘が鳴らされたからである。
試合も終わり、もう響くことはあるまいと思われていたその...
むろん何者かが鳴らしたのである。それはこの場の面々以外...
「開門!」
重々しくがなりたてるような先触れの声がそう伝わった。
まず最初に馬に乗り門をくぐって現れたのは、壮年の痩せた...
その後に列となって続いた数名の騎士たちは、毛皮や分厚い...
だがこのくたびれた外見の連中は、規律と危険さを周囲に感...
『先ほどの四人は、最初の奴以外ラインだったが』とつぜん...
少年もまた列を見てから、慎重にその剣に答えている。「あ...
剣が持ち主と会話したことに、村役人はあまり驚かなかった...
「……あれは領主さまだ……カンシー伯爵だ。
帰ってきたのか?」
村役人の驚嘆の声をうけ、金髪の剣士が目をみはった。
「あれが? ほう、息子とぜんぜん違うな。
いやな奴には変わりなさそうだが、馬鹿には見えない」
陰々とした雰囲気をただよわせるその男は、馬をとめて馬上...
周囲を見渡していたその視線が一箇所でさだまる。倒れてい...
カンシー伯爵は、前触れもなく「私は帰ってきた」と宣言し...
領主は、緋の裏地のマントをひらめかせて馬からとびおり、...
「わが領民であるなしに関わらず、最初に伝えておくことがあ...
旅先でその愚か者の所業が耳に入ってきたとき、私は帰郷を...
私は近々再婚する。ゲルマニアから花嫁を連れてきた。その...
なお、当然ながら家令も罷免する。彼は息子ともども、私に...
聞く側の耳が凍てつくような、冷酷な声である。
「お館さま……」
顔色を失ってたたずんでいる〈赤騎士〉が震え声を発した。
霜が降りたような顔でカンシー伯爵はその家令を見た。
「君にはたった一つ礼を言うべきだな。よくぞわが家を潰さな...
伝え聞いた乱脈ぶりでは、いつそうするのも簡単そうだと思...
強烈な皮肉を言ったきり、〈赤騎士〉をもはや一瞥もせず、...
同じく馬からおりた護衛の兵たちが、その周囲をつつむよう...
試合場を横切るように歩き、その中央でぴたりと足をとめ、...
視線の先に、今度は黒髪の少年がいる。
「さきに斥候に出した使い魔の目で、今日開かれた裁判の一部...
わが領地で密売に関与したという商人を引き渡してもらおう...
これは領主としての命令だ」
村役人の心臓が、のどから飛び出しそうになった。
サイトという少年が、あからさまに難色をしめす。
「ちょっと待ってくれねえかな。一部始終を確認したならわか...
「何も片づいてなどいない」
カンシー伯爵は、当然という表情で言ってのけた。
「この領地において裁判権を有するのは本来、カンシー伯爵で...
さきほど言ったとおり、そこに倒れている男は今日の時点で...
どちらもとっくに、わが名代たる資格を失っている……したが...
これを聞いて村役人の顔は、たちまち血の気を失った。
(冗談じゃない! 領主さまは、禁制品の密売にカンシー伯家が...
俺たちごとまとめて内々に始末しようとしているぞ。裁判な...
家名を汚したかどで元・跡継ぎが父親からどんな酷烈な罰を...
カンシー伯爵はその息子と違い、ことさらに残酷な統治者と...
村役人たちに対してカンシー伯爵が押しつけるであろう運命...
(どうすれば……)
だが、このときも救いは訪れた。
黙っていた金髪の剣士が、村役人の横でふんと鼻をならした。
冷たい視線をそちらに向けたカンシー伯爵に、彼女ははっき...
「裁判権を有する大領主なら、ちゃんと同席していたよ。
トリステイン全土の、本来の領主が」
カンシー伯爵はじめ、意味をつかめず眉をひそめる者たちを...
「陛下」
……サイトという少年はここに来たとき〈黒騎士〉の甲冑を身...
その、フードを目深にかぶっていた従者が、このときそれを...
やわらかい栗色の髪が、白い風に逆巻いた。盲いたようなほ...
湖水のような青い瞳が、しずかにカンシー伯爵を見すえてい...
「彼女」は、あっけにとられている多くの目のなか、庭の半...
銀の鈴を転がすような声が名乗った。
「アンリエッタ・ド・トリステインです」
● ● ● ● ●
ルイズをともなって女王が試合場に上がると、さっとアニエ...
カンシー伯爵は一瞬眼を見ひらいてからまばたきを何度かく...
聴衆は度肝を抜かれた様子で静まりかえっていた。
この日の変装は、貴族の子弟が身に着ける乗馬服のような衣...
つねの公式の場での落ち着いた動作からは想像しにくい、お...
けれどもこのときの彼女は、私人ではなく、女王としての威...
「女王つまりわたくしの保有する裁判権において、今しがた行...
言っておきますが、そのような重大な裁判を認めうる権利は...
無罪となった被告、また当然のことながらその家族には指一...
ひざまずいて眼をふせていたカンシー伯爵が、ぴくりと反応...
顔を上げずに彼は、トリステインの領主にして彼の主である...
「陛下……いかにも裁判権において、王権はすべての貴族の上位...
しかし陛下、国王裁判所、高等法院でもない場でそれを適用...
ましてや決闘裁判は、とうの昔に王令によって廃止されてお...
「ええ、いろいろと強引ではありますが、今回はわたくしの独...
不服そうですね。ですが領主が跡継ぎを廃嫡し、家令を罷免...
横紙やぶりを行っているという点で、あなたとわたくしは似...
にこりと、アンリエッタは笑みをうかべた。
女王の皮肉に、カンシー伯爵は顔色を変えるでもない。
「これはおそれいります。確かに先ほどの宣告は、いささか拙...
……ですが、密売の罪をうやむやになされるつもりですか?」
「この件はうやむやにするとわたくしが決めたほうが、あなた...
カンシー伯爵、わたくしはことを大げさにする気はないので...
約束します。あなたの息子の関与した『禁制品密売』の犯罪...
そのかわりあなたも、王の庇護下にはいった者に手出しは無...
アンリエッタのこの言葉は、たしかにカンシー伯爵にとって...
カンシー伯家に王政府の咎めがなく、ことが決定的に表沙汰...
彼は主君に頭をいっそう下げた。
「ではこの話は、もはや持ち出しますまい。
あの愚か者については、『王政府に逮捕されていたほうがま...
冷え冷えとした声に、アンリエッタは寒気を覚えた。
この領主であれば、肉親の情けとは無縁と思われた。
…………………………
………………
……
館の庭を出て、雪の路上。
行商人の娘は、アンリエッタの顔を見るのさえ怖れおおいと...
がちがちに固まりながら、足元に視線を落としたまま顔をあ...
村役人も相当に身をかたくしていたが、行商人の娘のあまり...
「しっかりしろよ。せっかくだからちゃんと女王陛下の顔を拝...
その青年に背中を叩かれてひう、と声をもらし、ようやくお...
アンリエッタはとりあえず安心させるように微笑んだ。とた...
今のアンリエッタは女王らしからぬ格好なのだが、それも娘...
アンリエッタはそっと話を切り出した。
「お父君を含めたあなたたち家族のことだけれど」
「は、はいっ」
「あなたがたにはこの国のどこにでも住む権利があります。た...
お父君は怪我を負いましたが、心配はいりません。二週もあ...
参考までに、王政府系列の銀行では事業をおこす元手を低金...
よどみなく言ったアンリエッタは、娘が上にあげた顔が呆然...
「どうしたの?」
「あの、女王陛下……それだけ、なのですか?
父さんの罪は咎められないのですか」
「……やむにやまれず、と聞いています。それにすでにこの件は...
ただお父君のこれまで築いた財産のうち、法に背いて手に入...
最初の一瞬だけアンリエッタは逡巡の色を見せたが、すぐ言...
すました表情を浮かべている。
「他にも。目の見えない弟君のことですが、よい環境を望むな...
いえ、あなたが弟君と離れがたいというのなら、同じ施療院...
これもまた王政府肝いりの施療院で、従来の施設より質の向...
トリスタニアはいいところよ」
「あ、はい、ええと、こ、この人が来てくれるなら行きます」
次から次へと突然の話に目をまわしかけている行商人の娘が...
村役人の青年が冗談じゃないとばかりに目をむく。
「おいこら、なんで俺が関係あるんだ!? おまえは事あるごと...
アンリエッタのそばに来ていたアニエスが小さく、「サイト...
女王が「隊長殿」と呼んで伝えておいた命令をうながすと、...
アンリエッタの体が微妙にこわばる。銃士隊長はひとつうな...
平民二人の肩を抱くようにして歩かせる。
「それでは、陛下のおおせでお前らをとりあえず村に送る。
あと貴様に言っておくが、この子くらいの年頃でもレディは...
背を向けて去っていく彼らを見送ったアンリエッタは、息を...
瞳を伏せる。
(アニエスには気づかれていた)
銃士隊長はこうささやいたのである。
『……陛下、あまりお気になさらぬよう。『法を厳格に』と私は...
厳格に法を適用することが、つねに最善とはかぎらないとい...
あのときは治安をも考える者としての立場で、まず一応は申...
――今回は多くの者が、法を守っていなかった。
最後には女王である自分自身も。
それがアニエスの言うような「最善の判断」だったとしても...
見も知らないほとんどの民には、王の名の下に法を徹底させ...
この行いは女王として、ほんとうに正しい行為だっただろう...
よく悩むことではあるが、今もそれがアンリエッタの心に、...
(……もう考えないようにしましょう。わたくしには、他にもっと...
関係者全員の罪を公にすれば、あの娘を泣かせ、カンシー伯...
政治。この場合はカンシー伯爵のような、一筋縄ではいかな...
貴族にとって大切なのが「家門」と「名誉」である以上、そ...
むろんこちらが強い立場である以上、ごり押しで全面的にこ...
(賢明、などと……)
アンリエッタはまたしても自己嫌悪を感じる。
政治的な駆け引きなどといっても、要するに恫喝と譲歩を組...
そんなことを覚えたかったわけでは、決してない。それでも...
いつでも敢然と自らの正義をつらぬけるルイズがまぶしい、...
「姫さま」
呼びかけられて、びくっとアンリエッタは反応した。
当のルイズが数歩離れたところに立っている。
最近すっかり大人びてきた親友は、はっきりした声で述べた。
「姫さま、ハトの知らせにすぐ応えてくださって、ありがとう...
あの鳥があんなに便利とは思いもしませんでしたわ。あんな...
ルイズが言っている「知らせ」というのは、アニエスが武芸...
銃士隊が使用する連絡用のハトだった。使い魔である鳥ほど...
が、アンリエッタは首をふった。
「ハトの知らせは、この近くにある銃士隊の詰所に届くのよ。...
もちろんアニエスやあなたの判断は取りうるかぎり最良のも...
わたくしとサイト殿がここに来たのは、〈黒騎士〉の一団に...
あなたたちがここにいるとは思いもしなかった。本当にたま...
「……やはりメイジの使い魔の鳥と一緒にしては駄目、ってこと...
飛べる使い魔を自分が持っていなければ、メイジだってやは...
そうね、とアンリエッタはうなずいた。
平民は弱い。メイジのような力がなく、社会においても立場...
それでも彼らは存外にしぶとく、したたかなのだった。
……とはいえ旧態依然としたこの国では、隣国ゲルマニアほど...
だからこそ今しばらくは、貴族の長にして唯一の天敵でもあ...
ふと自嘲がもれた。
「ねえルイズ、平民は貴族を恐怖し、貴族は王権を警戒する……...
民の意識を、貴族の力を。外敵と内からの裏切りを。
みずからの手にした権力を。頂点に立っていることそのもの...
怖れすぎて弱くなることを、驕ってなにも怖れなくなること...
「難しいわ」とぽつりとつぶやき、それきり口をつぐんで雪...
「姫さま、わたしまで怖れる必要はありません。及ばずながら...
かならず御心にそえるとは限りませんが、なんでも言ってく...
アンリエッタは微笑んでうなずいた。
ルイズの言葉は形としてはありきたりだが、そこにこもった...
このルイズさえ信用できないとしたら、彼女の信用に値する...
アニエスや才人はまた別だが、彼らはみずから抜擢した平民...
思考が才人におよんだとき、まったく違うことを思い出した。
(あ、そういえば)
アンリエッタはもじもじと両手の指先をからみあわせ、はに...
「あの……それならものは相談なのだけれど、今日明日サイト殿...
お昼からのごたごたで、まだ街に入ってさえいなかったんで...
「いえ、それは当初の約束どおりの刻限までで……」
ルイズの態度は、一瞬にして氷河もかくやという冷然たるも...
『そっちの話なら別』と主君ではなく、幼なじみ兼恋敵に対...
ここからが肝要だわ、とアンリエッタは息をととのえる。
なにしろ自分は、新年すぐあちこちの行事にてんてこまいに...
いつものように才人をルイズから借り、せっかく見慣れない...
問題発生で失ったやすらぎの時間を、少しでも取りもどした...
「ルイズお願い、そこをちょっとだけ譲歩して?
あなたは今日までの降臨祭のあいだ、ずっとサイト殿の手を...
「言っときますが、アレはわたしの使い魔です。基本わたしに...
陛下におかれましては、臣の所有物に手をかける行為をつつ...
慇懃なイヤミを駆使することも覚えたルイズだった。
幼いころの二人ならこのあたりで喧嘩に発展しそうなところ...
まして才人の貸し借りに関する交渉はいつも難航するので、...
女王と貴族の本日二回目の駆け引きは、これからが本番にな...
…………………………
………………
……
一方。
かなり弱まってきた風雪のなか路傍の石にこしかけ、少女た...
そのしゃべる剣が揶揄するような笑い声をたてた。
『相棒、こんなときいつも俺の相手してくれるのはいいが、ひ...
「…………待つ以外、俺に他にどうしろって言うんだよ?」
彼は彼で、悩みが尽きないのだった。
マリコルヌならずとも、一般の目から見るとつい刺したくな...
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