ゼロの使い魔保管庫
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微熱の恋 ぎふと氏
#br
(1)
「あ、ふ……。いいわ、素敵よ……」
トリステイン魔法学院の女子寮の一室で。
かぐわしい吐息を漏らす一人の少女がいる。
「ねえ、もっと私を感じて欲しいの……。お願い……」
喘ぐように呟きながら、真紅の薔薇の花びらのような官能的...
豊かに波打つ彼女の髪は、唇と同じ、燃えさかるような炎の...
その両の瞳は、今は固く閉ざされているが、常であれば妖艶...
少女の名はキュルケ。キュルケ・フォン・ツェルプストー。...
微熱のキュルケ、それが少女の通り名である。
しんと静かな夜だ。
空に浮かぶ月が、時おり雲の合間から姿を見せては、冴え冴...
時はすでにウィンの月。
北風が肌を刺すこの季節、もう雪が降っても不思議はない。
けれども薄手のネグリジェを一枚まとっただけの少女の体は...
オレンジ色に燃え盛る暖炉の熱に加えて、官能から生まれく...
「ねえ、気づいて? 私の微熱……。ほら、もうこんなに……」
媚びた笑みの形に唇を作ると、少女はいじらしく訴えかけた。
まるで娼婦がするように、未だためらうその指を、自らの意...
「ん……、んっ……」
濡れた音を響かせながら、ねっとりと埋めこまれたそれは、...
少女は夢見るような表情を浮かべて、
「いいわ、とても……。ああ後生だから、そのまま私を溶かし尽...
艶っぽく甘えた声でねだる。
目を閉じたまま少女は、快感に意識を集めるように眉をきつ...
ゆらめくようなともし火は全身にくまなく広がり、熱せられ...
甘い疼きに体を揺らしながら、頭を振り、身をよじって、も...
「だめ……。だめよ、足りないわ。もっと……。壊れるぐらいに、...
彼女の属性は『火』。炎を扱うメイジだ。
その本性は――、情熱。そして破壊。
だから抱かれる時にはいつも、燃え盛る業火に身を焼かれた...
何もかもを容赦なく滅ぼし焼き尽くす、荒ぶる紅蓮の獣に己...
「どうか私を壊してしまって」
悲鳴のように訴える。
けれども……、その願いは叶えられることはない。
どんなに懇願しても、目の前の少年の表情は変わらない。
ただ困りきったように顔をうつむかせるばかり。
申し訳なさそうにその漆黒の瞳を伏せて、視線を所在なさげ...
とうとう諦めたように少女は目を開けた。
途端、まぶたの裏の少年の姿は、はかなく幻とかき消えた。
後に残るのは侘しさだけ。
体を暖める熱の名残も、徐々に冷えてゆく。
「……だめね」
キュルケはがっかりして、頭を振った。……まるで燃えない。
もうずいぶんとこんな調子が続いているのだった。
情熱のキュルケも落ちたものだと、情けなく思い、肩をすく...
でも、仕方がないのかもしれない。理由はわかりきっている。
要するに、欲しくなくなってしまったのだ。
漆黒の髪と瞳を持つ、使い魔の少年。
見た目もぱっとしない、態度もどことなくおどおどした、た...
一目で恋に落ちたと確信し、それこそツェルプストーの名に...
けれども、その輝きは自分とは別のある少女にこそ必要とさ...
別段嘆いたりはしない。恋とはそういうもの。次を見つけれ...
人生は長いし、男は星の数ほどいるし。彼以上に自分の心を...
その“誰か”を見つけるまでのちょっとした繋ぎに、昔したよ...
だから今はこうして自分で自分を慰めるしかできない。
まったく退屈この上ない。
開戦が間近なのだった。
学院のあるここトリステイン王国は、彼女の故郷である帝政...
つい先日にも、大小五百隻を数える大船隊が、女王陛下に見...
学生ばかりの魔法学院といえども、その影響から逃れること...
あのお調子者のギーシュや、臆病者のマリコルヌでさえもだ。
もちろんキュルケも勇んで志願した。
男子のいない学院に何の楽しみがあろう。いっそ退屈紛れに...
そんじょそこらの男には負けないんだから、と歯噛みして悔...
そもそもが生粋のゲルマニアっ子である彼女は、祖国に対す...
戦争についても、頭の悪いオトナ同士、勝手にドンパチやっ...
ただ学院の女の子たちが、恋人や友人を思って嘆く姿には、...
戦争であるからには、常に死の危険と隣り合わせである。
生きて帰れる保証などどこにもないのだった。
そして意外にも、キュルケが一番に心配するのは、桃色の髪...
先祖の代から運命づけられたライバルであり、例の黒髪の少...
数日前。彼ら二人がアルビオンに向かって発つ時の様子を、...
あの馬鹿な子は、あいかわらず不機嫌そうだった。
何があったか知らないが、もうずっと前からあんな調子だ。...
そういう彼女の部分が、キュルケにはまったくもって理解で...
そして、そんな不器用で生真面目でプライドばかり高い愚か...
どうしてもっと気楽に生きられないのかしらね。
深いため息をひとつ。
それから、キュルケはベッドに身を横たえて、目をつむり、...
どうか彼らと……、そして学院の皆が無事に戻ってきますよう...
そして深い眠りの底に落ちていった。
#br
(2)
扉を叩く音で、キュルケは目を覚ました。
窓の外はまだ暗い。夜明けはかなり先のようだ。
目をこすりながら、いったい何事かと扉を開けると、
「変」
廊下で出迎えた青い髪の少女が短くそう告げた。雪風のタバ...
学院内で何かが起きている、と言いたいらしい。
本当だろうかと耳をすませる。
聞こえるのは風の音ぐらいで、異常を告げるそれらしき物音...
うるるる、と使い魔のフレイムが窓に向かって唸り声をあげ...
なるほど確かに何かがおかしいようだ。納得したキュルケは...
烈風に煽られた炎が乾いた草原を焼き尽くすような早さで、...
賊は隊長メンヌヴィルを筆頭とする、メイジ十数名――。
敵国アルビオンの手の者である。
まったく予想外の襲撃の上に、未明を狙われたとあって、学...
彼らは捕虜として、ひとまとまりにアルヴィーズの食堂に集...
その様子を、外から伺う一団がいた。
幸運にも、もしくは実力によって、賊の手を逃れることので...
その内訳は、メイジである教師一名および学生二名と、軍事...
彼らは、食堂の見通せる階段の踊り場に身を隠しながら、今...
事態は深刻をきわめ、かつ急を要していた。
というのもつい先ほど賊が、「アンリエッタ女王か枢機卿を...
人質を盾に、アルビオンに向けられたトリステイン全軍を引...
そして返答のために彼らに与えられた猶予はわずか五分。
それを過ぎれば、人質を一人ずつ殺すと言う。
援軍を待つ余裕はない。
たとえ得られたとしても、このように人質を取られていては...
進退きわまるとはまさにこのこと。打つ手を探しあぐねて、...
その時である。
「ねえ、あたしたちにいい計画があるんだけど……」
背後から明るい声が提案した。
「計画?」
訝しげにアニエスが振り向くと、赤毛の少女がにっこりと微...
その隣にもう一人、寄り添うように小柄な青髪の少女が立っ...
アニエスはあらためてその二人を値踏みするように眺めた。
赤毛の方は、年の割りにグラマラスな肢体をぴっちりとした...
もう一人は、正反対に、まったくの無表情。体には似つかわ...
そのちぐはぐな取り合わせは、アニエスの目に奇異に映った。
が、それ以上に奇異だったのは、二人がこんな緊迫した状況...
どこまでも自然体なその様子に、アニエスは舌を巻いた。
学生ではあるが、それなりに戦闘経験を積んでいるに違いな...
真に優秀な戦士は、危険な場面であればあるほど余計に落ち...
まだ若いのに大したものだ、とアニエスは感心した。
そして、この二人の提案であれば、耳を傾ける価値があるか...
「何かいい思いつきでもあるのか?」
尋ねると、赤毛の少女は茶目っ気たっぷりにウィンクをした。
「そうよ。早いとこ皆を助けてあげないとね」
言うや否や、彼女は手早く計画を披露した。
さて、その計画とはこうである。
まず中に黄燐をたっぷり仕込んだ紙風船をたくさん用意する。
それを風魔法で食堂に送りこみ、まとめて一気に爆発させて...
つまりは魔法を利用した奇襲作戦である。
「なるほど、面白い」
銃士隊の隊長アニエスはすぐさま賛成の意を見せた。
多少のリスクはあれども、提案された計画は実に理に適って...
敵と味方の人数はほぼ同数。うまく虚をつけば、人質に手出...
ところが、反対する声があった。
男子教師ジャン・コルベールだ。彼は火の塔近くにある専用...
彼は渋い面持ちで主張した。
「やめた方がいい。危険すぎる。相手はプロだ。そんな小技が...
そんな慎重な意見に、キュルケはふんと鼻を鳴らして抗議し...
「やらないよりはマシでしょ。先生」
見下したような表情で、コルベールを見返す。
研究者風情が口を出さないでよね、という目つきである。
もとからキュルケは、この頭の禿げ上がった教師を臆病者だ...
この戦時中、従軍もせずに学院内に残っているのが、その確...
キュルケに言わせれば、そんなものは臆病者のたわごとでし...
きっと彼には、誇りも、守るべき主義もなく、ただ己の命だ...
つまるところ、ジャン・コルベールは彼女が最も軽蔑するタ...
せいぜい邪魔にならないように、平民の使用人に混じって遠...
結局、コルベールの意見はアニエスにも全く無視され、自動...
そして五分後――。
食堂では、一人目の犠牲者が選ばれようとしていた。
賊の隊長メンヌヴィルは、メイジらしからぬ筋骨隆々とした...
それが彼の杖なのだろう、無骨な鉄棒を手のひらに打ちつけ...
女子生徒たちは、一様に息をのみ、震え上がった。
どうか自分が最初の犠牲者になりませんようにと、目をつむ...
その時である。
奇妙なものが食堂の中に入ってきた。
ふわふわと漂うそれは……、よく見るとオモチャの紙風船だっ...
それがシャボン玉のように、次々と大挙して流れ込んでくる。
紙風船はまるで訓練された兵のように、整然と、最短ルート...
そして食堂にいる全員が見つめている中で……、一斉に爆発し...
轟音、そして閃光。
錯綜する悲鳴が、部屋に満ちる。
数人の賊メイジが、まともに光をくらって、目を押さえてし...
たちまち食堂は激しい混乱に包まれた。
その混乱に乗じて、キュルケとタバサ、銃を構えた銃士たち...
刹那。
「きゃあっ!」
食堂から矢のように放たれた炎の弾に、キュルケの体が大き...
至近距離で爆発した炎の爆風をまともにくらったのだ。
さらに続けざまに飛来した炎の弾によって、タバサも銃士隊...
何が起こったのかよく判らないまま、とにかく杖を……、と手...
影はうっそりと白煙をかき分けるように近づいてくると、一...
その人物は、キュルケの前に立ちはだかると、にやりと笑っ...
賊の中でただ一人、混乱を全く意に介さない人物。
――隊長、「白炎」のメンヌヴィル。
その時はじめて、キュルケはまともに彼の顔を見た。
にやにやと笑う顔は、悪魔の化身のようにキュルケの目に映...
その顔は醜い火傷で覆われている。
特に目の辺りが酷く、赤黒くひきつれており、窪みに埋まる...
ようやくキュルケは気がついた。
「あなたもしかして……、目が」
するとメンヌヴィルは自分の目に指を伸ばし、何かを取り出...
見せつけるように掲げたそれは、義眼であった。歯をむいて...
「そうだ。オレは目を焼かれていてな。光がわからんのだよ。...
そこまで言うと、メンヌヴィルはのけぞって高笑いをした。
キュルケは驚愕した。
このような人間がいることが信じられない。
いや、人間と認めたくない。彼から放たれるどす黒い悪臭の...
ぞくりと背筋を冷たい汗が伝い落ちた。
そんな少女の心境を見越したかのように、メンヌヴィルは、...
「お前、恐いな? 恐がってるな?」
嬉しげに鼻腔を膨らませて、いっぱいに空気を吸い込む。
「ああ、嗅ぎたい。……お前の焼ける香りが、嗅ぎたい」
キュルケの体が一瞬にして凍りついた。ガタガタと震えた。
生まれて初めて感じる、本物の恐怖――。
死に対する恐怖ではない。異質の物に対する純然たる恐怖だ。
こんな存在が、自分と同じ人間であろうはずがない。
そう思う一方で、共通の物を認めずにはいられない。
『火』。
全てを支配し、破壊し尽さんとする欲望は、まさに『火』の...
ならば目の前のこの存在は火の権化に違いない。
同じ火の属性を持つ自分も、この男と同質の存在なのだろう...
その思考がキュルケを恐怖と混乱に陥れた。
「やだ……」
キュルケの口から、呟きが漏れる。
たまらぬ、と言わんばかりの笑みを浮かべ、メンヌヴィルは...
「今まで何を焼いてきた? 炎の使い手よ。今度はお前が燃え...
ぶわりと杖の先から炎が生まれる。
炎の生む熱風が、キュルケの髪と肌を焼いた。
けれど熱など微塵も感じない。ただ冷え切った恐怖だけが全...
杖がゆっくりと振り下ろされた。
キュルケは覚悟して、目を閉じた。
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「あ、ふ……。いいわ、素敵よ……」
トリステイン魔法学院の女子寮の一室で。
かぐわしい吐息を漏らす一人の少女がいる。
「ねえ、もっと私を感じて欲しいの……。お願い……」
喘ぐように呟きながら、真紅の薔薇の花びらのような官能的...
豊かに波打つ彼女の髪は、唇と同じ、燃えさかるような炎の...
その両の瞳は、今は固く閉ざされているが、常であれば妖艶...
少女の名はキュルケ。キュルケ・フォン・ツェルプストー。...
微熱のキュルケ、それが少女の通り名である。
しんと静かな夜だ。
空に浮かぶ月が、時おり雲の合間から姿を見せては、冴え冴...
時はすでにウィンの月。
北風が肌を刺すこの季節、もう雪が降っても不思議はない。
けれども薄手のネグリジェを一枚まとっただけの少女の体は...
オレンジ色に燃え盛る暖炉の熱に加えて、官能から生まれく...
「ねえ、気づいて? 私の微熱……。ほら、もうこんなに……」
媚びた笑みの形に唇を作ると、少女はいじらしく訴えかけた。
まるで娼婦がするように、未だためらうその指を、自らの意...
「ん……、んっ……」
濡れた音を響かせながら、ねっとりと埋めこまれたそれは、...
少女は夢見るような表情を浮かべて、
「いいわ、とても……。ああ後生だから、そのまま私を溶かし尽...
艶っぽく甘えた声でねだる。
目を閉じたまま少女は、快感に意識を集めるように眉をきつ...
ゆらめくようなともし火は全身にくまなく広がり、熱せられ...
甘い疼きに体を揺らしながら、頭を振り、身をよじって、も...
「だめ……。だめよ、足りないわ。もっと……。壊れるぐらいに、...
彼女の属性は『火』。炎を扱うメイジだ。
その本性は――、情熱。そして破壊。
だから抱かれる時にはいつも、燃え盛る業火に身を焼かれた...
何もかもを容赦なく滅ぼし焼き尽くす、荒ぶる紅蓮の獣に己...
「どうか私を壊してしまって」
悲鳴のように訴える。
けれども……、その願いは叶えられることはない。
どんなに懇願しても、目の前の少年の表情は変わらない。
ただ困りきったように顔をうつむかせるばかり。
申し訳なさそうにその漆黒の瞳を伏せて、視線を所在なさげ...
とうとう諦めたように少女は目を開けた。
途端、まぶたの裏の少年の姿は、はかなく幻とかき消えた。
後に残るのは侘しさだけ。
体を暖める熱の名残も、徐々に冷えてゆく。
「……だめね」
キュルケはがっかりして、頭を振った。……まるで燃えない。
もうずいぶんとこんな調子が続いているのだった。
情熱のキュルケも落ちたものだと、情けなく思い、肩をすく...
でも、仕方がないのかもしれない。理由はわかりきっている。
要するに、欲しくなくなってしまったのだ。
漆黒の髪と瞳を持つ、使い魔の少年。
見た目もぱっとしない、態度もどことなくおどおどした、た...
一目で恋に落ちたと確信し、それこそツェルプストーの名に...
けれども、その輝きは自分とは別のある少女にこそ必要とさ...
別段嘆いたりはしない。恋とはそういうもの。次を見つけれ...
人生は長いし、男は星の数ほどいるし。彼以上に自分の心を...
その“誰か”を見つけるまでのちょっとした繋ぎに、昔したよ...
だから今はこうして自分で自分を慰めるしかできない。
まったく退屈この上ない。
開戦が間近なのだった。
学院のあるここトリステイン王国は、彼女の故郷である帝政...
つい先日にも、大小五百隻を数える大船隊が、女王陛下に見...
学生ばかりの魔法学院といえども、その影響から逃れること...
あのお調子者のギーシュや、臆病者のマリコルヌでさえもだ。
もちろんキュルケも勇んで志願した。
男子のいない学院に何の楽しみがあろう。いっそ退屈紛れに...
そんじょそこらの男には負けないんだから、と歯噛みして悔...
そもそもが生粋のゲルマニアっ子である彼女は、祖国に対す...
戦争についても、頭の悪いオトナ同士、勝手にドンパチやっ...
ただ学院の女の子たちが、恋人や友人を思って嘆く姿には、...
戦争であるからには、常に死の危険と隣り合わせである。
生きて帰れる保証などどこにもないのだった。
そして意外にも、キュルケが一番に心配するのは、桃色の髪...
先祖の代から運命づけられたライバルであり、例の黒髪の少...
数日前。彼ら二人がアルビオンに向かって発つ時の様子を、...
あの馬鹿な子は、あいかわらず不機嫌そうだった。
何があったか知らないが、もうずっと前からあんな調子だ。...
そういう彼女の部分が、キュルケにはまったくもって理解で...
そして、そんな不器用で生真面目でプライドばかり高い愚か...
どうしてもっと気楽に生きられないのかしらね。
深いため息をひとつ。
それから、キュルケはベッドに身を横たえて、目をつむり、...
どうか彼らと……、そして学院の皆が無事に戻ってきますよう...
そして深い眠りの底に落ちていった。
#br
(2)
扉を叩く音で、キュルケは目を覚ました。
窓の外はまだ暗い。夜明けはかなり先のようだ。
目をこすりながら、いったい何事かと扉を開けると、
「変」
廊下で出迎えた青い髪の少女が短くそう告げた。雪風のタバ...
学院内で何かが起きている、と言いたいらしい。
本当だろうかと耳をすませる。
聞こえるのは風の音ぐらいで、異常を告げるそれらしき物音...
うるるる、と使い魔のフレイムが窓に向かって唸り声をあげ...
なるほど確かに何かがおかしいようだ。納得したキュルケは...
烈風に煽られた炎が乾いた草原を焼き尽くすような早さで、...
賊は隊長メンヌヴィルを筆頭とする、メイジ十数名――。
敵国アルビオンの手の者である。
まったく予想外の襲撃の上に、未明を狙われたとあって、学...
彼らは捕虜として、ひとまとまりにアルヴィーズの食堂に集...
その様子を、外から伺う一団がいた。
幸運にも、もしくは実力によって、賊の手を逃れることので...
その内訳は、メイジである教師一名および学生二名と、軍事...
彼らは、食堂の見通せる階段の踊り場に身を隠しながら、今...
事態は深刻をきわめ、かつ急を要していた。
というのもつい先ほど賊が、「アンリエッタ女王か枢機卿を...
人質を盾に、アルビオンに向けられたトリステイン全軍を引...
そして返答のために彼らに与えられた猶予はわずか五分。
それを過ぎれば、人質を一人ずつ殺すと言う。
援軍を待つ余裕はない。
たとえ得られたとしても、このように人質を取られていては...
進退きわまるとはまさにこのこと。打つ手を探しあぐねて、...
その時である。
「ねえ、あたしたちにいい計画があるんだけど……」
背後から明るい声が提案した。
「計画?」
訝しげにアニエスが振り向くと、赤毛の少女がにっこりと微...
その隣にもう一人、寄り添うように小柄な青髪の少女が立っ...
アニエスはあらためてその二人を値踏みするように眺めた。
赤毛の方は、年の割りにグラマラスな肢体をぴっちりとした...
もう一人は、正反対に、まったくの無表情。体には似つかわ...
そのちぐはぐな取り合わせは、アニエスの目に奇異に映った。
が、それ以上に奇異だったのは、二人がこんな緊迫した状況...
どこまでも自然体なその様子に、アニエスは舌を巻いた。
学生ではあるが、それなりに戦闘経験を積んでいるに違いな...
真に優秀な戦士は、危険な場面であればあるほど余計に落ち...
まだ若いのに大したものだ、とアニエスは感心した。
そして、この二人の提案であれば、耳を傾ける価値があるか...
「何かいい思いつきでもあるのか?」
尋ねると、赤毛の少女は茶目っ気たっぷりにウィンクをした。
「そうよ。早いとこ皆を助けてあげないとね」
言うや否や、彼女は手早く計画を披露した。
さて、その計画とはこうである。
まず中に黄燐をたっぷり仕込んだ紙風船をたくさん用意する。
それを風魔法で食堂に送りこみ、まとめて一気に爆発させて...
つまりは魔法を利用した奇襲作戦である。
「なるほど、面白い」
銃士隊の隊長アニエスはすぐさま賛成の意を見せた。
多少のリスクはあれども、提案された計画は実に理に適って...
敵と味方の人数はほぼ同数。うまく虚をつけば、人質に手出...
ところが、反対する声があった。
男子教師ジャン・コルベールだ。彼は火の塔近くにある専用...
彼は渋い面持ちで主張した。
「やめた方がいい。危険すぎる。相手はプロだ。そんな小技が...
そんな慎重な意見に、キュルケはふんと鼻を鳴らして抗議し...
「やらないよりはマシでしょ。先生」
見下したような表情で、コルベールを見返す。
研究者風情が口を出さないでよね、という目つきである。
もとからキュルケは、この頭の禿げ上がった教師を臆病者だ...
この戦時中、従軍もせずに学院内に残っているのが、その確...
キュルケに言わせれば、そんなものは臆病者のたわごとでし...
きっと彼には、誇りも、守るべき主義もなく、ただ己の命だ...
つまるところ、ジャン・コルベールは彼女が最も軽蔑するタ...
せいぜい邪魔にならないように、平民の使用人に混じって遠...
結局、コルベールの意見はアニエスにも全く無視され、自動...
そして五分後――。
食堂では、一人目の犠牲者が選ばれようとしていた。
賊の隊長メンヌヴィルは、メイジらしからぬ筋骨隆々とした...
それが彼の杖なのだろう、無骨な鉄棒を手のひらに打ちつけ...
女子生徒たちは、一様に息をのみ、震え上がった。
どうか自分が最初の犠牲者になりませんようにと、目をつむ...
その時である。
奇妙なものが食堂の中に入ってきた。
ふわふわと漂うそれは……、よく見るとオモチャの紙風船だっ...
それがシャボン玉のように、次々と大挙して流れ込んでくる。
紙風船はまるで訓練された兵のように、整然と、最短ルート...
そして食堂にいる全員が見つめている中で……、一斉に爆発し...
轟音、そして閃光。
錯綜する悲鳴が、部屋に満ちる。
数人の賊メイジが、まともに光をくらって、目を押さえてし...
たちまち食堂は激しい混乱に包まれた。
その混乱に乗じて、キュルケとタバサ、銃を構えた銃士たち...
刹那。
「きゃあっ!」
食堂から矢のように放たれた炎の弾に、キュルケの体が大き...
至近距離で爆発した炎の爆風をまともにくらったのだ。
さらに続けざまに飛来した炎の弾によって、タバサも銃士隊...
何が起こったのかよく判らないまま、とにかく杖を……、と手...
影はうっそりと白煙をかき分けるように近づいてくると、一...
その人物は、キュルケの前に立ちはだかると、にやりと笑っ...
賊の中でただ一人、混乱を全く意に介さない人物。
――隊長、「白炎」のメンヌヴィル。
その時はじめて、キュルケはまともに彼の顔を見た。
にやにやと笑う顔は、悪魔の化身のようにキュルケの目に映...
その顔は醜い火傷で覆われている。
特に目の辺りが酷く、赤黒くひきつれており、窪みに埋まる...
ようやくキュルケは気がついた。
「あなたもしかして……、目が」
するとメンヌヴィルは自分の目に指を伸ばし、何かを取り出...
見せつけるように掲げたそれは、義眼であった。歯をむいて...
「そうだ。オレは目を焼かれていてな。光がわからんのだよ。...
そこまで言うと、メンヌヴィルはのけぞって高笑いをした。
キュルケは驚愕した。
このような人間がいることが信じられない。
いや、人間と認めたくない。彼から放たれるどす黒い悪臭の...
ぞくりと背筋を冷たい汗が伝い落ちた。
そんな少女の心境を見越したかのように、メンヌヴィルは、...
「お前、恐いな? 恐がってるな?」
嬉しげに鼻腔を膨らませて、いっぱいに空気を吸い込む。
「ああ、嗅ぎたい。……お前の焼ける香りが、嗅ぎたい」
キュルケの体が一瞬にして凍りついた。ガタガタと震えた。
生まれて初めて感じる、本物の恐怖――。
死に対する恐怖ではない。異質の物に対する純然たる恐怖だ。
こんな存在が、自分と同じ人間であろうはずがない。
そう思う一方で、共通の物を認めずにはいられない。
『火』。
全てを支配し、破壊し尽さんとする欲望は、まさに『火』の...
ならば目の前のこの存在は火の権化に違いない。
同じ火の属性を持つ自分も、この男と同質の存在なのだろう...
その思考がキュルケを恐怖と混乱に陥れた。
「やだ……」
キュルケの口から、呟きが漏れる。
たまらぬ、と言わんばかりの笑みを浮かべ、メンヌヴィルは...
「今まで何を焼いてきた? 炎の使い手よ。今度はお前が燃え...
ぶわりと杖の先から炎が生まれる。
炎の生む熱風が、キュルケの髪と肌を焼いた。
けれど熱など微塵も感じない。ただ冷え切った恐怖だけが全...
杖がゆっくりと振り下ろされた。
キュルケは覚悟して、目を閉じた。
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