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Last-modified: 2008-11-10 (月) 22:53:04 (5645d)
「結婚しようと思っております」 ヴィットーリオの執務室に赴いたアンリエッタは、いきなりの宣言に驚いた。 「お、おめでとうございます、聖下」 相手は誰かしら? 「あぁ、言い忘れておりました。相手はあなたですよ」 ……は? 「せ、聖下?」 あっさりと言い切られる。 (……嘘でも……愛しているとは言っていただけないのですね) 初恋の人から最後まで贈られることのなかった言葉。 その感傷が、受けるべき縁談を拒絶しようとした。 すると、それを察したようにヴィットーリオがアンリエッタに声をかけた。 「それと、あなたは水のメイジでしたね?」 猫のように優雅な身のこなしで、教皇は隣室へのドアに向かった。 慌てて逃げようとするアンリエッタを、笑顔で押しとどめながら小さな軋みを上げて隣室が開かれる。 「誤解ですよ、あなたに見て頂きたいのはコレです」 無理やり手を出す気は無い。 「! っっっ、せ、聖下っ、ど、どうしてっ!」 部屋の入り口に崩れ落ちていたのは、会いたかった人。 ……二度と会えないはずの人。 「サイトさんっ!」 ―― 一月前、ルイズの希望によって異界に送り返されたはずの少年がそこに居た。 慌てて駆け寄ったアンリエッタがサイトを抱き起こす。 「ひ……め……さま……」 かさかさに乾ききった声がアンリエッタを追い詰める。 (熱い……脈は……ダメ……急がないと) この世界の水のメイジは、医者に近い技能を持っている。 「聖下、これはどういう事ですか? 彼は元の世界に返したのではなかったのですが」 言い捨てながら、部屋を出ようとしたアンリエッタの前に、ヴィットーリオが立ちふさがる。 「彼をそのまま帰すはずはないでしょう? ガンダールヴが居なければ四の四が揃わなくなってしまいますよ」 始祖への信仰のためならば、人の命をなんとも思わない神の意思の地上代行者。 「ならっ、ルイズにもそう説明すればっ」 ルイズを好きに使うため、この男はサイトを監禁したのだ。 「おや、恐ろしいですね、トライアングルメイジ、アンリエッタ陛下」 教皇としての敬意より助けたい者への愛情が勝り、アンリエッタは呪文を…… 「どうぞ……陛下、お好きになさって下さい」 虚無の魔法の使い手は、それぞれ特化されていてルイズ以外の使い手ならば力づくで押し通れる。 「ただし、陛下が戻ってきた頃には彼はこの部屋に居ませんよ」 いつでも殺せる。 この国の殆ど全ての国民が、『聖者』と信じてやまない青年の、無慈悲な宣告だった。 「わたくしは彼を助ける必要はないのです、あなたが人を呼びにいっている間に始末を付けるとしますよ」 優しく微笑みながら、アンリエッタが部屋の外に出るのを待った。 「ひ、人を……だれか必要な魔法薬を持ってこさせてください」 至上最も美しい教皇は、首を傾げながら呟いた。 「ところで……先ほどの縁談、お受けいただけますか?」 『聖女』としてロマリア中を駆け回っているルイズが久方ぶりに大聖堂に戻ると、そこは一つの噂で持ちきりだった。 ――アンリエッタと教皇・ヴィットーリオの結婚。 (姫さま……) 一抹の寂しさが胸の中を通り過ぎるが、親友の幸せにほんの少しだけ救われた気がした。 (わたしは、もうサイトに会えないけど……もう二度と誰も愛さないけれど……) せめて自分を応援するといってくれた人は、自分の分まで幸せになって欲しかった。 ルイズは真っ赤に成りながら自分の部屋を目指す。 曰く ――婚約発表から毎日女王は、教皇の執務室に篭りきりらしい。 ――教皇聖下は、まだまだお若い。 ――女王は、おぼつかない足取りでも次の日必ず執務室に早朝から向かう。 下卑た噂の的になっていると知っているはずなのに、何を言われてもアンリエッタは教皇の部屋に向かう。 服が汚れたからと、行きと帰りで違う服装の日があったと、男の神官が哂っていた。 (姫さまったら、姫さまったら、姫さまったらっっ!) まるで仕組まれたかのように、ルイズの耳に注がれるアンリエッタの噂。 確かにそれは、ロマリア中の誰でも知っている話だったが、明らかに偏ったものがルイズに知らされていた。 ――ルイズは…… どんな顔をして親友に会えばいいのか分からなかった為、アンリエッタに一度も会わずに次の旅に出る。 それが誰かの企みだなどと、考えもしなかった。 熱で朦朧としていた意識が、ゆっくりと晴れていく。 『あぁ……そういえば、昨日も今日も水をやるのを忘れていたな……』 最後に聞いたのは、教皇のそんな声。 見慣れてしまった天井を見ていたサイトの左目に、馴染みに成った違和感が宿る。 (……ルイズっ……) 主に危機が迫るたび、ガンダールヴの片目はそれをサイトに伝えていた。 (ルイズ……無事だったんだな……ルイズ……ルイズっ……危ないっ、ちがう……あぁぁぁぁぁあっぅっ) ガリアからの刺客が、今日も『聖女』のために選別された護衛を数人削り、数人の死者を出しながらも撃退されていく。 (ルイズ……違うっ、お前の……お前の所為じゃない……) 死した護衛の手を取って涙を落とす愛しい人の姿を、見ることだけ。 (……あ……消えていく……) 左目の違和感が消え、ルイズの姿が霞んで行く。 ――次にルイズを見れるのは、彼女が危険な目に会ったとき。 (……ダメだ……ダメだ……ダメダァァァァァっ) 思わず、ルイズの危険を願ってしまう自分をサイトは恥じた。 自分の助けなく切り抜けてしまった事に感じた寂しさに、サイトは死にたくなった。 一睡もせずに部屋中漁り武器を探しても、 事態は何も変わらない。 唯一の救いは僅かに回復を始めた体調。 (あのまま死ぬかと思った……でも……なんでだ?) 折れていたはずの骨は繋がり、 (よし……動く……) 多分、次がラストチャンス、次に消耗したら立ち直る前に死ぬ。 サイトはキィと、小さく軋んでドアが開くのに気が付いた。 仮眠室に入るたび、アンリエッタは緊張していた。 ――サイトさんがそこに居なかったらどうしよう。 それはヴィットーリオの気まぐれで十分に起こりうる事態。 心配で眠れない夜、十分に休めなくてやつれた自分が、 今アンリエッタの周りに、彼女を庇うものは一人も居なかった。 ヴィットーリオの指示だ。 サイトの命を盾に取られているアンリエッタは、逆らえぬまま親衛隊を追い返すしかなかった。 孤立した彼女に、ロマリア中の悪意が突き刺さる。 そう見られていることが分かった日は、辛くて泣きはらした。 ……その泣き腫らした目すら、教皇に鳴かされたと思われている。 でも帰れない。 恥辱に耐えながら、この国に踏みとどまっている。 それすら蔑みの元に成っている、サイトの為に手ずから作った料理を零さない様に慎重に運ぶ。 ――聖下にがんばってもらいたいようですなぁ そう声を掛けた兵士は、アンリエッタの身体を上から下まで視姦してから立ち去った。 ――気高い方とて、わたしたちと同じですのねぇ この国に着いた時、アンリエッタの美貌を羨ましそうに見ていた女官は、馴れ馴れしい態度で声を掛ける。 歯を食いしばって前に進む。 悲しくても誰も助けてくれない。 だから、自分ががんばるしかない。 サイトの居る部屋のドアを開くため、手近なテーブルにサイトのための料理を置きながら、 「ひ……め……さま?」 ドアの向こうに居た人影は、見間違えようの無い美貌の持ち主だった。 「あ……よ、良かった……気付かれたのですね……」 ベットの側まで駆け寄ったアンリエッタは、杖を抜きサイトの状態を確認してから、そっとサイトの頭を抱いた。 「本当に……良かった……よか……ったぁ……」 ぱたぱたと、熱い滴がサイトの頬に当たる。 少しだけ自由の利くようになった腕を、アンリエッタの背中に回し優しく抱き返す。 「……あ……サイト……さ……ん……」 抵抗する様子の無いその身体を、もっと強く感じるために抱き寄せようと…… 「人に許婚に何をしているのでしょうか? ガンダールヴ」 冷たい声が二人を引き裂いた。 「お、お前はっ……」 自分を監禁した憎むべき敵をにらみつけた次の瞬間、サイトは先の台詞を思い出した。 「……いいな……ず……け?」 手を離しなさい。 「な、何で? 姫さま……姫さままで……俺を……」 閉じ込めていた、教皇の仲間なのか? サイトの目が絶望と共にアンリエッタに向けられ、彼女の表情で真偽を悟った。 一言も言葉交わされるとこがないまま、二人は引き離された。 ――サイトの視界の端で、アンリエッタが作ったスープが冷えていく。 彼女がどれほどの犠牲を払って作ったのか、知らないサイトはそれを冷めるに任せて…… 静かに泣いた。 「ひ、ひどっ……どうし……てっ……」 アンリエッタが我に返ったのは、ヴィットーリオに手を引かれるままに廊下に連れ出された後だった。 「当然でしょう? あなたはわたくしの許婚なのですから」 にっこりと彼はアンリエッタに手紙を渡す。 ソレはトリステインの宰相から。 内容は……無断で婚約した事に対する苦言と…… 「この上は……一刻も早い世継ぎの……」 母国語で書かれたはずの手紙が、どこか知らない言葉で書かれたように意味が分からない。 「そういう事ですので、陛下」 「今夜にでも、『作業』に参りますがご予定の方はよろしいですか?」 肉の欲望などは一切無く、淡々と…… 今夜何が起こるのかを理解したのは、止まらない涙を見たとき。 逃げられないと悟ったのは、身体に回されたサイトの腕の感触を思い出したとき。 今夜、この身体に回される手が、あの優しい感触でない事を想い。 遠くで泣くサイトと響きあう様に、彼女もまた……静かに泣いた。 |
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