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Last-modified: 2008-11-10 (月) 22:54:28 (5645d)
せかんど・バージン1話.『愛は暗闇の中で』(1) ぎふと氏
おわり? 不安げに問いかける声に、才人は頷いた。
「うん。……ごめんな、辛かっただろ?」
壊れ物を扱うように、涙のあふれた目元をそっと指でぬぐってやる。
「こんなことして、もうぜったい許さないんだからね。一生忘れてあげないんだから……」
こんな時までいかにもルイズらしい台詞だった。でも自分も同じだ、と才人は思った。
「俺だって、今日のルイズのことずっと覚えてるよ。忘れろったってもう無理だし」
バカ……。照れくさそうにそっぽを向いたルイズは、つけ加えるように小さく呟いた。
「でもこれで私たち、確かな絆ができたのよね?」
才人もその意味を理解した。
それは主人と使い魔の“絆”ではない。
まったく別の、いわば対等な人間としての“絆”。
どちらもが二人にとってはかけがえのない大切な宝石だった。どちらが上と比べることなどできやしない。
そっとルイズは目をつむった。
ようやくサイトの気持ちに応えることができた、そんな満足感に包まれて。
脳みそがとろけるように歓喜の歌をかなでる。
いつしか幸せな気持ちで、ルイズは眠りについていた……。
+ + +
柔らかな闇の中、才人は耳をすませた。
たしかに聞こえてくる。
すうすう……。ルイズがたてる寝息の音だ。
確かめるように口もとに顔を寄せてみた。生暖かい息が一定の間隔で頬をかすめる。
手探りでルイズの顔をぺたぺた触りながら、首筋をちゅっと吸ってみた。
んんっ。身じろぎをして顔をそむけると、またルイズはすやすやと夢の世界に戻っていった。
(……ってウソだろ、おい?)
ふへぇ、と才人は呆けた声を漏らした。
いつもならばとっくに深い眠りについている時間である。
才人ですら朦朧とする意識の中であくびを噛み殺すのに一苦労だった。
ましてや女の子であるルイズの体が睡魔に負けてしまうのも無理はない。理屈では思う。
が、それにしてたって、
(今のこの体勢で、寝るかぁ普通〜?)
張りつめていた緊張が一気にほどけ、へなへなとルイズの体に倒れこんだ。
俺がんばったよな? 自分を褒めてもかまわないよな?
切ない気分でルイズの生まれたままの体を抱きすくめた。すべらかな肌が、胸が自分の体に押しつけられる。
すると伝わってくるルイズの温もり。
やわらかい。なんて気持ちがいいんだろう。涙が出そうになった。
そして意思とはうらはらに、再びむくむくと欲望が頭をもたげてきた。
いやいやいやいやいや。
才人は奥歯を強く噛みしめた。メフィストの誘惑に抗うようにそれこそ鋼鉄の意思をふりしぼって自分をいさめた。
いくら居心地がよかろうとも、すでに湿度を失いかけているそこに長く居座るわけにはいかない。さらにルイズを傷つけてしまうだけだ。
未練がましく駄々をこねる“己”をあやしながら、ゆっくりと慎重に引き抜いた。
それでも感じる甘い痺れに脳髄がどうかなってしまいそうだ。我慢だ、俺。負けるな、俺。
一度ルイズが苦しそうに唸ったのでドキリとしたが、目を覚ますことはなかった。深く息を吐く。
後には大仕事を終えた空しい達成感だけが残った。
まあなんだ。最初は女の子にとっては辛いだけだって言うしな。ルイズさえ満足なら俺は構わないっていうかさ。
自嘲気味に無理やり自分を納得させた。
ほんっと相棒もとことんついてねぇよなぁ。デルフが起きていれば、そうカラカラと笑うのかもしれないが、ったく笑い事じゃねぇっての。
俺だってねぇ、何が哀しくて彼女いない暦17年で二次元嫁で右手が恋人で……ってやめよう、空しすぎだ。
なんにせよ昔の話だし。地球の俺はきっと別の生物なんだ。
(よし、とにかく寝よう)
どこまでも前向きな才人は現実に戻ることにした。
今日のところはさっさと自己処理で済ませて、気持ちよく明日を迎えよう。ここまで来ればチャンスはまたいくらだってあるさ。
ルイズを起こさないように静かにベッドから這い出して、カーテンの隙間から外をうかがった。
天には二つの月。
一つは白色。一つは赤色。どういうわけかいつも寄り添うように並んでいる。
それが地平線の方へ傾いていた。
見回したが、あとは遠くみえる森のシルエットぐらいだ。才人はカーテンを少しだけ開いて月の光を取りこんだ。
ベッドの上にうっすらと白い裸身が浮かび上がった。
幻想的な月明かりに照らされたそれは、息をのむほどに美しかった。
一糸まとわぬ細い肢体。それを彩る淡い桃色がかった金の髪。
両足の合間のひっそりとした部分にも同じ色の柔毛が申しわけない程度にそよいでいる。
寝息とともに軽く上下する胸。その頂きは淡く色づいていて、才人は思わず指をのばした。
「ん……ダメよ、バカ犬……」
はっとして引っ込めた。
「……そこダメ……やッ……調子にのるんじゃ……」
どんな夢を見ているんだか。ルイズはさらに口の中でむにゃむにゃ言いながら向こうを向いてしまった。
かわりに可愛らしいお尻がこんにちは、する。
ぷるるっとそれが震えた。
くしゅん、とルイズの口からくしゃみが漏れた。
やれやれ。才人は小さくため息をついて、毛布をとるとルイズの体を覆ってやった。
大事なご主人様に風邪をひかせるわけにはいかない。そういう所は律儀な才人なのだった。
+ + +
「1日お暇を頂きたいんです」
シエスタが休暇を願い出たのが、そもそものはじまりだった。
年に何度か、実家から送られてきた収穫物をトリスタニアの『魅惑の妖精亭』に届けるためにシエスタは休みをとる。
「1日でいいの?」
才人は聞いた。
トリスタニアまでは馬を飛ばしても2時間はかかる。たった1日とはずいぶん慌しい話だ。
しかしシエスタはけろりとしたもので、
「朝一番の駅馬車に乗れば、なんとか今日中に帰って来られると思いますから」
「そんな無理しなくっても。どうせなら2、3日ゆっくりしてきなよ。ついでに町で遊んでくればいいしさ」
「でもお掃除やお洗濯もありますから……」
ったく生真面目なんだから。
「いいって。こないだまで俺がやってた仕事なんだしさ。数日ぐらい任せてくれよ、な? あ、そうそう久々にあれ使うか。平賀才人、特技ルイズのパンツ洗い〜なんてなハハハ」
シエスタは救いを求めるようにミス・ヴァリエールへと視線を移した。
生粋の貴族である彼女の方がよりメイドの手が必要なはずだった。
もちろんもし自分がいなくなったら大事なサイトさんをミス・ヴァリエールの魔の手から守る者がいなくなってしまう、その方がより重要ではあったけれども、それはそれとして、彼女の世話を焼くこと自体もそう嫌いではなかった。
そんなシエスタの内心を知ってか知らずか、ルイズは素っ気なく言い放った。
「こいつがそう言うんだから、そうすればいいじゃない。あんたサイト専属のメイドなんでしょ?」
こう言われてしまえば断る理由もない。シエスタはおとなしく頷いた。
+ + +
そんなわけで、その夜、才人とルイズは久しぶりに二人きりの時間を過ごすこととなった。
妙な期待感をふくらませて、才人はいつもより長い風呂につかってしまった。
五右衛門風呂ではない。シュヴァリエとなったサイトは今ではいっぱしの貴族扱いで、他の生徒たちと同じ風呂を許されていた。
いつにも増して爽やかな顔で、石鹸の匂いを漂わせながら部屋に戻った才人を待っていたのは、月明かりの下、ベッドの上で髪をすく美しいルイズの姿だった。
デジャヴのように蘇るサウスゴータの記憶。
才人は感動に包まれた。
期待していたのは自分だけじゃない。ルイズもだった。
幾度となくお預けを食わされて一生こういう日は来ないのではと諦めかけてすらいたけれど。
でも、と才人は考え直した。
よく考えてもみろ。ルイズの方から拒んできたことが一度としてあったか? 単に状況が許さなかっただけのことじゃないのか?
ようするにルイズだって自分と同じお預けを食わされている気分だったんだ!
新たな発見に才人は胸を躍らせた。
ごめんルイズ。待たせてごめん。女の子から誘うようなマネなんてできないもんな。俺がしっかりしてないばかりに寂しい思いをさせてごめんよ!
デモ俺コンヤハ絶対ニキメテミセルカラ、固い決意を抱いてルイズに近づいた。
「あの……、ルイズ?」
神々しいばかりにまばゆく輝くルイズに気圧されながら、才人は声をしぼり出した。
「なによ」
いつもと変わらぬルイズの様子である。
早くも折れそうになる心を奮い立たせて、才人はさりげない口調を装った。
「その、今日さ。シエスタいないんだよな?」
「だから?」
「だからその……久しぶりだよな? 二人で寝るの」
深く考えもせず言ってから、その言葉の意味する別のところに思い至った才人はうっすら頬を染め、照れ隠しの笑みを浮かべた。
ところがルイズときたら、実に素っ気無い態度だった。
「それで?」
わけがわからないというふうに眉をひそめる。
しゅわしゅわ。炭酸音とともに才人の意気ごみは泡とはじけた。
その気のない相手にいきなり愛を囁けるほど、恋の手管になれた人間ではさすがにない。だてに彼女いない暦を誇っちゃいない。
とりあえず様子見するか。そう考え直した。
それに遅かれ早かれ一つ布団の中。すでに罠にかかった子ウサギちゃん。ぎゅっと抱きしめてしまえばなんとでもなろう。
自分に負けず劣らずルイズが雰囲気に流されやすいことも才人は心得ていた。
+ + +
さて一方のルイズはといえば、そんな才人の様子にいらいらと親指の爪をかんでいた。
(ああもう。あいかわらず押しが弱いっていうか)
ルイズだって、降ってわいたような好機を意識していないわけじゃない。それどころか、待ちかねていたといってもいい。
才人の予想は当たらずとも遠からずだった。
(別にね、したいってわけじゃないのよ?)
ルイズは自分に言い訳した。
そんなふしだらな気持ちあるわけないじゃない?
だけど近頃ときたら、水精霊騎士隊とか巨乳エルフとか頭のネジの緩んだ女王陛下とかガリアとか何考えてるかわかんないロリ女とかなにより邪魔なメイドとかメイドとか。
思い出したくもない不愉快なもろもろをも含んだアレコレな事情のために、ろくすっぽ二人きりになれる時間もなかったのだ。
たまには使い魔と親密な交流をもつべきだ。それは主人である自分の義務といってもいい。
それに……時々は確認しておかないと……。
でないと自分の気持ちが落ちつかない。ただでさえ少ない自信がゆらいでしまう。
(そうよ。ただの確認よ確認! 使い魔がいかにご主人様だけを敬愛し、ご主人様だけに忠誠をつくしているか、ちょっと確かめるだけなんだから!)
けれど理由がなんであれ、いかにも待ってましたという素振りを見せるのは、ルイズのプライドが許さなかった。
なので高鳴る気持ちを押さえつけて、才人の方を見上げるにとどめた。
「それで? なんなのよ」
あいかわらず立ちんぼうの才人は困った顔をしていた。しばらく言葉を選ぶように逡巡していた。が、
「あー、じゃあそろそろ寝ようか。もう遅いし」
そそくさとベッドにもぐりこんでしまった。
がっくりとルイズは肩を落とした。まさかこのままおとなしく寝てしまう気じゃないでしょうね?
それともそういう気なのだろうか。不安になった。そこまで自分には女性の魅力が欠けているのだろうか?
こっそり焚いておいたお香にも才人は気づいているふうもない。まったくバカにしてるわ。ため息をつく。
パチン。指を鳴らして魔法のランプの明かりを消した。
それから立ち上がって、窓のカーテンをぴっちりと閉めた。羽虫一匹入る隙のないぐらいに注意を払った。
すると部屋は闇に包まれた。
普段とは違うその行動を、才人はきっといぶかしく思っていることだろう。
けれど万が一ということもある。
ガリアでの一件以来、時々タバサが窓の外から見張っているのを知っていた。
ほんっと何考えてんだか、ラブシーンまがいのことをしている時でさえ、無表情で本のページをめくっているあたりなど常人の神経とは思えない。
そんなことを思いながら、手探りでベッドにたどりついたルイズは、ふくれっつらのままで毛布に頭までもぐりこんだ。