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Last-modified: 2008-11-10 (月) 22:55:15 (5645d)
王様GAMEと三角形 〜NextDay〜 ぎふと氏
――水精霊騎士隊全滅ス。
ギーシュがその場を離れていたのは、ほんの小一時間ほど。
軽い用事を済ませて、平和な気分で戻ってきた彼を出迎えたのは、なんと無情な全滅報告だった。
(いったい何が……)
眼前に広がる光景のその惨憺たるありさまに、ギーシュは息をのんで立ちすくむ。
つい先ほどまで、元気いっぱいに声を張り上げながら、日課である行進や戦闘の訓練に励んでいたその彼らが、いまや皆一様にぜいぜいと息を荒げながら、惨めったらしく腹や胸を押さえて地に伏している。
「しっかりしろ!」
手近な一人を抱え起こし、ギーシュは勢いこんで尋ねた。
「誰にやられたんだ! オーガか! 盗賊か! それとも敵国の刺客か!」
「ち、ちがいます、隊長……」
少年は弱々しく否定した。
「内乱です……」
それだけを言い終えると、少年は息をひきとるように、がくりとくず折れた。
入れ替わるように、別の場所で人影の立ち上がる気配がする。
ハっとギーシュは顔を上げた。
「よ。隊長さん、待ってたぜ」
視界の向こうで、ゆらり陽炎のように立ち上がったのは漆黒の髪の少年。西日をバックに目を炯炯と輝かせ、その前髪は汗でべったりと額に張りつき、他の少年たちと同様に激しく息をきらせている。
「サ、サイト……」
ギーシュは地面に尻をついた。気でもふれたかと思えるほど、その少年の姿が異様に映ったからだ。こめかみと手から血を流し、わき腹を辛そうに押さえ、満足に立っていられないほど両足をふらつかせている。そのくせ顔には妙に楽しげな表情を浮かべていた。
乾いた唇をなめ、ギーシュは声を発した。
「何をしている。サイト、君……、正気なのか?」
すると黒髪の少年、すなわち平賀才人は、杖代わりにしていた木刀をひょいと肩に抱え上げて、人なつっこい笑みを見せた。
「ごめんごめん。驚かせるつもりじゃなかったんだけど。今日はヤボ用があってさ。どうしても早く訓練を切り上げたかったんだ」
「なるほど。しかしさすがにこれはやり過ぎじゃないか? ……どうやら君以外は誰ひとり起き上がれない様子じゃないか」
「まあ、ちょっと頑張りすぎたかもしれないけどな。……俺だってヒドいもんだぜ? 見ろよ、すっかり傷だらけだよ。手加減する余裕なんて全然なかったし」
快活で生意気な、いつもの才人の声に、ギーシュはほっと安堵の息をついた。何のことはない。我らが騎士隊を全滅に追いこんだのは、他ならぬこの黒髪の副隊長だったのだ。
それにしても……、と驚く。
ガンダールヴの力を発揮せずに、ここにいる全員を打ち負かすとは、にわかには信じがたい。が、しかし本気モードの彼であれば、さもあらんとギーシュは思い直した。
なにしろ、ぶち切れた才人は怖い。かなり怖い。
滅多に見せることはないが、いざとなれば命など二の次と思わせるほどに平然と捨て身で飛びかかってくる、その迫力だけでも、諸手を挙げて降参したくなるほどなのに、加えて剣の腕前の方も確実に上達しているので、悔しいことに差は開く一方だ。
けれども、たかが訓練でここまでする理由が、ギーシュには全く思いつかなかった。
どういうわけだろう?
ふと、さっきの彼の台詞が蘇った。
――今日はヤボ用があってさ。
なるほどその用事とやらは相当に大事な物なのだろう。
いったいそれが何なのか、ギーシュは興味をそそられた。そこで尋ねた。
「そのヤボ用と言うのはなんだね? この後に何かいいことでも控えているのかい?」
ところが才人は、へへっ、と笑うだけだ。問いには答えずに、
「……ほら、お前がラス1だぜ。かかってこいよ」
すいと木刀を構える。俄然やる気だ。
ギーシュはぼやいた。
「といってもなあ。接近戦では、とうてい君にかなうはずがないよ」
「いいから魔法使えよ。そんかわり俺が勝ったら訓練は終わりな」
「言うじゃないか。よし受けて立とう。いつでもかかって来い!」
「んじゃスリーカウント後で、……3、……2、……1、……Go!」
才人の掛け声とともに、ギーシュはすらりと薔薇の杖をかかげた。
距離は5メイル。
ガンダールヴではない彼相手になら、初撃さえかわせば呪文は間に合う。
相打ちでもいい。
とにかく土の魔法が発動しさえすれば、勝ったも同然だ。
積年の恨みいま晴らさずや。いざワルキューレを召喚しようと、薔薇の花びらに手を伸ばした……、その時。
「あ、裸のモンモン!」
ギーシュの気が見事にそれた。
次の瞬間、自慢の薔薇の杖は手を離れ、ゆるやかな弧を描いて宙を飛び、地面へとぽとりと転がり落ちた。ぽかんとした顔で、ギーシュはその杖の行方を見つめた。
打ち据えられた右手がじんじんと痛む。それを別の手でさすりながら、悔しげに眉をひそめた。
「酷いじゃないか。不意打ちとはあまりにも卑怯だ。とても貴族らしい戦法とは言えまいよ」
「いやあ、こうでもしなきゃ、魔法相手に勝機はないし。けど勝ちは勝ちだろ?」
悪びれもせずに言う才人に、ギーシュはため息をつくしかなかった。
「仕方がない。僕も貴族のはしくれ、潔く負けを認めようじゃないか。いいから君の用事とやらのもとに行きたまえよ」
せめて一矢報わんとつけ加える。
「それに、ご婦人を待たせるのは、貴族の風上にも置けないからな」
にやり意味深な笑みを浮かべると、才人は照れたように頬をかいた。
そして丁寧に一礼すると、愛用の大剣をつかんで風のように走り去った。どうやらギーシュの勘は当たっていたらしい。
杖を拾い、だらしなくのびきった隊員たちを横目に、やれやれとギーシュは地面に座り込む。どうやら今日の訓練は打ち切りにする他なさそうだ。
そして深い息を吐いた。まったくあいつはこの僕を……、ギーシュ・ド・グラモンを完全に舐めきっている。いつかきっちりとっちめてやらねばなるまい。
顎に手をやりながら、才人を打ち負かす良い方策がないものか、ギーシュは一人考えを巡らすのだった。
+ + +
窓に肘をついて、ルイズは外を眺めていた。
見下ろすアウストリの広場では、ベンチに座ったり、そぞろ歩きをしたりと、十数人ほどの学生たちがめいめいに穏やかな時間を過ごしている。
中には数組のカップルもいた。学園の東側に位置するこの広場は、夕刻の早いうちから薄暗くなるので、自然とカップルも多くなる。
(なによいちゃいちゃしちゃって)
ルイズは眉を潜めながら、いまいましげに呟いた。
学生ならもっとすることがあるだろうに、そして自分はとっくに学生の本分を終えて、退屈な時間を過ごしているというのに、神様はずいぶんと不公平だと思った。自然とその唇からため息が漏れる。
柔らかな風が吹き込んで、ルイズの髪をさらり撫でて通り過ぎた。
顔にかかったそれをうるさげに払い、イライラと爪を噛んでいると、ふとした思いつきが沸いた。
そうだ。散歩がてらヴェストリの広場まで行ってみようか。
毎日のこの時間、ヴェストリの広場の片隅では、水精霊騎士隊の少年たちが訓練に励んでいる姿を眺めることができる。もちろん自分の使い魔もそこにいる。
夕食まではまだかなり時間もあることだし、他にすることも思いつかないし、こっそりと様子でも伺いに行こうか、ルイズは考えた。
悪くない思いつきだった。けれど万が一にでも誰かに見つかって、自分の使い魔をストーカーしているなんて誤解されるのもたまらない。それこそ主人としての威厳が台無しである。
どうしようかとイジイジ迷っていると……。
視界を何か黒いものが通り過ぎた。
その何かは黒猫のような素早さで広場を横切ると、あっというまに見えなくなった。
弾かれたように立ち上がり、窓から身を乗り出す。探す。
けれどどこに消えたのやら、すでに黒い影は影も形もない。
気のせいかと思った。一瞬だったので自信はない。
でも確かに、ルイズの目にはその姿のように映った。見間違えではないと思った。主人としての勘がそう告げている。
そわそわとルイズは部屋を歩き回った。そして自分のしていることに気づいて、己をたしなめる。
(こ、こらルイズ。落ち着きなさいってば)
胸を押さえて椅子に座りなおし、すーはーと深呼吸する。
(い、いやだわ。別にどうだっていいじゃない。そ、そうよ、ちっとも気にしてなんていないんだから)
うるさく湧き出した思考を吹き飛ばすように、力任せに頭を振って、そしてふたたび窓に向かい外に視線をやる。
そうやって、そのまま外を眺めているフリをした。
一方で、耳をそばだてて、部屋の扉が音を立てるのを、今か今かと待つ。
けれども……。待てど暮らせど、期待する音は聞こえてこない。
いい加減待ちくたびれて、やっぱり見間違いだったのかしら、それとも別の用事で通り過ぎただけなのかしら、などと様々に思いを巡らしていると、最終的にある考えにたどり着いた。
それは究極に面白くない想像だった。
(まさかだけど、他の子の部屋に行ったんじゃないでしょうね?)
一度思いついたら、急にそれが真実のように思えてきた。
候補になりそうな顔が次々と浮かび、同時にむくむくと怒りが沸きあがって破裂しそうなぐらいに膨らんだ。
(あ、あ、あンの節操なしのスケベ犬〜〜〜!!!)
拳を固めて、ぶち抜く勢いでベッドを殴りつける。
ひどい。ひどいわ。昨日の今日で、いったいどういうわけなのよ。人にあんな恥ずかしい格好させておいて、あれは一時の気の迷いでしたってわけ? 一日たったらどうでも良くなったっていうの?
そう。そうなの。そうなんだ。いい根性してるじゃないのよ。たかが犬の分際で。もう我慢なるもんですか。今すぐ探し出してとっちめてやるわ!
どうせならありったけの女子部屋を調べつくしてやろう。
そう意気込んで、拳を震わせ、おまけに全身をもぶるぶると震わせ、怪獣のようにのしのしと部屋を横切った。全力で扉をバタンと開け放つ。すると、
「よ、よお」
見慣れた姿が手を上げた。それは……。
間違いようもなく自分の使い魔の姿だった。あっけに取られて見つめる。
「あ、はは、ただいまー、なんつって……」
「ばっかじゃないの。こんな所で何してるのよ」
手を腰においたポーズで、呆れ声で出迎えた。
よくよく見ればその姿は、今しがた嵐の中を駆け抜けてきたかのようにびしょ濡れで、さらには顔だの腕だのあちこちがすりむけた傷跡だらけで、まるで外で遊び疲れて帰ってきたガキ大将といった風体だ。
まったくわけがわからない。なぜここに突っ立っていたのだろう。何か部屋に入りづらい理由でもあったのだろうか。
自分が癇癪を起こしていたからだろうか、とルイズは思いついた。
しかしそれでは本末転倒だ。才人がちっとも入ってこないせいで、別の方向に考えがいってしまい、それで怒りに変わったのだから。
結局、ルイズは悩むのを諦めた。
どうせたいした理由ではないのだろう。少なくとも才人らしい振る舞いには違いなかった。
なにしろこの使い魔ときたら、てんで意気地なしなのだ。最後の一歩でいつもイジイジと悩んでいる。
そんなだからすぐ他の女の子につけこまれるんだわ、と思いながら、やっぱり自分がしっかり監督してリードしてあげないと、とルイズは再確認した。
「いつまで突っ立ってるのよ。ほら、さっさと入りなさいよね」
怒ったように声をかけると、へーい、と才人は乱暴な足取りで中へ入った。
+ + +
「どうしたのよ。今日はずいぶん早いじゃない」
水薬で傷の手当てをしてやりながら、ルイズは尋ねた。
「いやあ、ちょっとばかしハードにしたらさ。あっというまにみんな伸びちまって。あいつらホントだらしねーのな。だもんで今日はお開きだって」
得意げな才人の口ぶりに、男の子ってどうしてこうも子供みたいなんだろうとルイズは呆れ、真顔でたしなめた。
「あんたね。わかってるの? 騎士隊の訓練なのよ。遊びや喧嘩じゃないんだから、それも含めてお給料を頂いてるんだから、もっと真面目にやんなさいよね。しかもこんな生傷ばっかり作って……。薬代だって馬鹿にならないんだから」
ぴしゃりと容赦なく腕の傷をやられて、才人の口からうめき声が漏れた。
「なんだよ。それぐらいけちけちすんなよ……。それにほら、訓練っていっても結局はお前のためじゃん。大切なご主人様をお守りするために、使い魔けんめいに訓練に励んでおりますれば。それって要するに必要経費だろ?」
それを聞いたルイズは顔を赤らめた。
そ、そうなんだ。姫さまをお守りするためじゃなくて、ご主人様の私のために頑張っちゃてるんだ。つまりは姫さまよりも私の方が大切だってことよね?
なんて考えたら、嬉しくなって顔がにやけた。才人も照れたりしてるのかしらと、ちらっとその様子を伺う。
ところが当の才人はけろっとしたものだ。自分の腕を眺めながら、いてぇいてぇと呻いている。どうやら特に深い意味もなく発した言葉だったらしい。あーもう。
「使い魔のくせに生意気! ほら終わったわよ!」
ぱちん! 腹立ちまぎれにもう一度背中を叩いてやった。
「おーさんきゅ」
言いながら、才人は立ち上がると、確かめるように腕をぐるぐる回した。白いシャツ一枚越しに肩から背中にかけての筋肉が動く。そう言えば出会った頃に比べるとずいぶんと逞しくなった気がする。ルイズは感心して眺めた。
そうね。確かにちょっとは努力を認めてあげてもいい。ご主人様のために頑張ったというなら、一応は褒めてあげないとね。主人としての務めだもの。
それでもって、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、ご褒美をあげてもいいかもしれない。
そんなふうに思って、
「ねえ、ずいぶんと急いでたようだけど。これから何かあるの?」
薬箱を片付けながら、何気なく尋ねた。
「え、別に。なんでだよ」
「窓から見てたわよ。あんた、すごい勢いで走ってたじゃない」
にんまり笑う。途端、才人はしまったという顔つきになった。
「あ、あれはそのえっと。そうだあれだよ、デルフの手入れ。そろそろしてやらないとな」
「この前したばっかりじゃないの」
「そ、そうだっけ?」
「そうよ。4日前だったかしら」
「よく覚えてんなあ……。とにかくデルフの奴がうるさくてさ。汚ねー気持ちわりーすぐ磨けーって。あんまり駄々こねるもんだから仕方なく……」
まったく往生際が悪いったらない。
少し脅かして、後押ししてやらないとダメみたいだ。
ルイズはつんとすまし顔をこしらえると、
「なら私は外を散歩でもしてこようかしら。邪魔しちゃ悪いものね。バカ犬とバカ剣はバカ同士どうぞごゆっくり」
ぽかんとアホ面を見せる使い魔をしり目に、開きっぱなしの窓とカーテンをささっと閉めて、
「お留守番よろしくね」
と部屋を出て行く素振りをみせる。
そしてふと思いついたように立ち止まり、「あ、そうそう」、振り返った。
くるり。
両手を後ろに組んで、爪先立ちで器用に一回転。
等幅に折られた紺のプリーツが舞い上がって、綺麗な円を描く。
すらり伸びた足の黒いニーソックスの上に、一瞬だけ白い肌がのぞいて……。
さらにもっと上までちらり見えて……。
すぐに隠れた。
「いいの? 止めなくて。ひっぱたくなら今のうちよ?」
軽く小首をかしげながら、思わせぶりにそう言うと、すぐさま腕をつかまれた。
次に才人が口にする言葉を、ルイズははっきりと確信した。
もちろん言わせた後でどうするかは……、それは自分の気分次第だ。
「あ、あのさ。昨日の約束ってまだ有効?」
満足げにその言葉の余韻を受けとめて。さてどうしようかと考える。
とりあえず。今のご機嫌がどうかといえば、それなりに上等な部類だろうから。
それならば……。
焦らずゆっくりと、蠱惑的な笑みを漂わせて、ルイズは口を開いた。
〜FIN〜