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Last-modified: 2008-11-10 (月) 22:55:22 (5646d)

『ギーシュ・ド・グラモンの最後』 前編

 

 パチリと小さな音共に杖が少女の身体に押し付けられる。
 気を失う寸前に向けられた、驚いたような瞳に彼は……

 ――明かりの消えた部屋の中で、握った拳をテーブルに叩き付けた。

 骨まで響く痛みと、耳に突き刺さる騒音が一瞬だけカルロの気を楽にする。
 が、
 
『逃げた聖堂騎士隊だぜ……あいつら……』
『いっつも、威張ってるくせによぉ』
『しかも、学生は逃げなかったらしいぜぇ』

 耳の奥に、いつまでも残る幻聴が彼の心を揺さぶった。

「うわぁぁああああっっ!」

 狂ったような詠唱に導かれて、杖が光を帯びる。

「ちくしょぉ、ちくしょぉっ、ちっっしょぉぉぉっ」

 鍛え上げられた魔力は、数秒でテーブルを細切れにした。
 いびつな形に切り刻まれ、無残に床に転がるテーブルに目もくれず、カルロは暴れ続ける。

 ここ毎日の狂乱で、部屋の中にはまともな家具など一つも無かったが……

「黙れっ、黙れぇっ、黙れよおぉぉっ!」

 メイジたる聖堂騎士のための宿舎の『固定化』を掛けられた壁だけが、カルロの魔法を黙って受け止めてくれた。

 ――彼は……いや、聖堂騎士隊は逃げた。
 
 聖別された、守るべき聖女を一人残して。
 最後まで踏みとどまり、一人戦おうとした少女を守ったのは、その任務を帯びていた彼らではなく。

 そのメンバーのほぼ全員が学生からなる、『水精霊騎士隊』

 もし、彼らが逃げていれば、まだ言い訳も出来た。

『聖女だから踏み止まれたのだ』と。

 もし、負けていたのなら、まだ言い訳も出来た。

『あの場は引くのが正しい選択だった』と。

 ――現実は、言い訳一つ出来ぬままに彼らを押しつぶした。

 ――敵前逃亡で告発される事を覚悟していた。
 その覚悟も有った。

「ん? あぁ、いいさ、別に」

 水精霊騎士隊の隊長の言葉を、最初は理解できなかった。

「言っただろう? 『僕も含めて』からっきしだったのさ。人を告発するなんて恥ずかしくて出来ないさ」

 戦いの前に彼は言っていた。『地獄を見た』と。
 ハッタリだと判断した自分を魔法で撃ち殺したかった。
 顔が赤く染まり、自分より年下のはずの少年に、自然と頭が下がっていた。

 謝罪の言葉を口にする前に、慌てたギーシュが叫んでいた。

「誰だって、最初はそんなものさ、”最初から期待していなかった”から気にしないで」

 ――呼吸が止まった。
 ギシリと、魂に何かが食い込む音がした。

 サイショカラキタイシテイナカッタ

 努力して、努力して、努力して、聖堂騎士隊隊長まで上り詰めた男の心に、
 負けたこと等無かった男の心に、凍った楔が打ち込まれた。

 その後の事は、余り良く覚えていない。
 気付けば自室でただ泣いていた。

 そして……

 ――水精霊騎士隊が黙っていても、自然と噂は広まった。
 ぽっかりと穴の開いてしまったカルロの心は、心無い陰口に耐えることが出来ず……

 騎士隊の宿舎の壁は、今日も黙って呪文を受けていた。

 ――長かった船旅ももうすぐ終わる。
 モンモランシーは旅費を切り詰めた事を後悔しながら、強張った身体をゆっくりと伸ばした。

(ギーシュの馬鹿っ! どうしてわたしがこんな苦労しないといけないのよ!)

 ルイズを連れて行くだけなら安全だろうと。
 そう、高を括って送り出したのは間違いだった。

(戦争って……どういう事よ……)

 握られた手のひらが、じっとりと熱くなる。
 とくとくと心臓の音が高鳴り、じっとしているのが辛くなる。

 怪我を……してないないだろうか?

(あの馬鹿……変な所で格好付けたがるんだから……)

 『ぼくがいる』とか言って、あっさり無茶をしそうだった。

(わたしの……事なんて)

 『コイビト』という言葉が、口の奥で小さく消える。
 そう口に出せるほどの想いを、彼と交わした自信がなくて。

 心配で夜もゆっくり休めないし、食事だっていつもの半分も食べられない。

 ――前にギーシュが戦争に行った時と同じ。

 それだけ心配しているのに。

(あ、あ、あ、あの馬鹿だけはぁぁぁぁっ)

 平気でまた戦争に行くのだ。
 
 それに、折角帰ってきたから、少しでも一緒に居たいのに。
 最近のギーシュは騎士隊の練習優先だ、僕は隊長だからねと男の子とばかり一緒にいた。

 あまつさえ……

(覗きとかしてるんじゃないわよ……馬鹿ぁ……)

 ギーシュは以前よりはるかにもてる。
 本人は気付いていないようだが、女王直属の騎士で最年少の騎士隊長だ。
 
 多少の問題点には目を瞑ろう。そんな相手はいくらでも居る。
 モンモランシーが随分焦っていた状態での覗き騒ぎ。

 彼女には自信がない。
 1年生だというのに、ギーシュを始め男性生徒がこぞって覗きたがるティファニアの胸も、
 ルイズの様に綺麗な顔立ちも、自分には無いと。
 自分より美人など、学院にはいくらでも居る、彼女はそう思っていた。

 努力は以前からしていた。
 身に付いたスキルでお金を儲けることも、うっとりとする程の芳香を組み上げる事も。
 全てはその延長。

 大貴族の女の子には劣るかもしれないけれど、稼いだお金で自分を飾り、
 他の娘には無いアクセントで自分を演出する。

 築かれた自信と、十分な結果は彼女を内面からも輝かせる。

 誰かを癒すその優しさと、幾人かが知る芯の強さは、ルイズやキュルケの華やかさとは別の意味で注目を集めていた。

 だから、モンモランシーにもギーシュ以外の選択肢は在る。

 ……それでも、彼女はギーシュを待っているのに。

(他の娘見るなんて……)

 平均よりやや下回る胸の前で手を組みながら、ふつふつと湧き上がる怒りで不安を焼き尽くす。

 ――悪い事ばかりを考えてしまうより、その方がはるかに楽だったから。
 次に会った時に、どんな言葉を交わすのか想像するのだ。

 そうすると、少しだけ気が楽になった。

 張り詰めていた気配が緩むのを待ち構えていたかの様に、するりと言葉が滑り込んできた。

「もうすぐかねぇ、お嬢ちゃん」

 船代を安く上げるための、同性との合い部屋。
 戦争に向かった孫が心配らしく、随分体調を崩したらしい老婆に、
 ”なぜか”大量に持っていた水の魔法の触媒を惜しむ事無く振舞ったお陰で老婆に妙に好かれていた。

 貯金を殆どはたいて購入した触媒は、学生の持ち物とは思えないほど充実した品揃えでたまたま乗り合わせただけの相手を一人癒す事など造作も無かった。

「お嬢ちゃんは、恋人に会いに行くんだったのかねぇ?」
「……ちがっ……」
「お嬢ちゃん、みたいな子が孫の嫁に来てくれたら、思い残すことは無いんじゃがねぇ」

 他愛ない話は、ロマリアの港に付くまで尽きることは無く。

 モンモランシーの旅は、それなりに楽しく過ぎ……

 港で水精霊騎士隊の評判を聞いた時には、安堵の余りその場に座り込むところだった。
 晴れやかな気持ちで、ギーシュが居るはずの聖堂の方を見つめ、通りすがりの騎士に道を聞き……

 恋人の自慢をしながら案内を受けていた彼女が、人気の無い道で意識を失う寸前に見たものは

 喜悦に満ちた騎士の顔。

「あれ? ギーシュ、モンモランシーは一緒じゃないのか?」
「は?」

 唐突な言葉に、ギーシュはまじまじとギムリを見つめた。

「どうしてモンモランシーがこんな所にいるんだね?」
「いや、なんか、うちのばーちゃんが、陣中見舞いに来たんだが……」
「ほうほう」
「船で一緒になった娘が、美人で、トリステインの制服着てて、体調崩してたら看病してくれて、恋人が騎士隊の隊長だって」

 一瞬の硬直の後に、ギーシュは無言で港に向かった。。

 素晴らしい速度で入国管理の神官に会い、口先三寸でトリステインから入国した旅行者の名簿を見せてもらったギーシュは来た道を更に早いスピードで駆け戻る。

「何処でモンモランシーと会ったって?」
「はやっ、いや、港で別れたらしいけど……まだ会えてないのか? ばーちゃん来たの結構前だけど?」

 唐突に、ギーシュの脳裏によみがえる幾つかの話。

『最近はロマリアも物騒だねぇ』
『光の国も物騒なことだな、ここに来る途中物盗りに会ったよ』
『しかも最近は難民が押し寄せて来てるとか……』

 治安の悪化している国で、美人の恋人が行方不明。

「モンモランシィーーーーーーー」

 ギーシュの絶叫が聖堂の中に響き渡り、人目を一瞬引いた後にギーシュはその場から走り出した。
 泣き出しそうな瞳は必死に愛しい人の姿を求め、真っ直ぐに治安の悪い地区を目指していた。

 が、側を通りかかったサイトがあっさりとギーシュを捕まえた。

「いきなりどうしたんだ?」
「サ、サイトか……モンモランシーが……モンモランシーが行方不明なんだ」

 その説明の合間にも、ギーシュは前に進もうとしていた。
 虫の知らせとでも言うのだろうか? 嫌な予感がギーシュを駆り立てていた。

「早く見つけないと……」

 落ちつか無げなギーシュを取り押さえながら、サイトは回りに手早く指示を出し水精霊騎士隊を数人集めた。

「ギーシュ、落ち着けよ。人数が居た方が探しやすいだろ」
「……あ……」
「それに……あ、そこの人たち、ちょっといいか?」

 サイトは半ば強引に、通りすがりの騎士に声を掛けた。

「我々も暇ではないのですがね」

 ギーシュの耳に届くよう、カルロは呟いた。

「すまない、でも……土地に詳しい人間の案内が居るんだ」

 サイトの判断で、土地に詳しい聖堂騎士とモンモランシーの顔を知る水精霊騎士が一組で捜索に当たる事に成った。

 隊長のカルロは、部屋で待機中の所を呼び出されたらしく機嫌は最悪だった。

「その……できれば、手をかして欲しいんだ……」
「……お願いしますは?」
「あ、お、お願いします、カルロ騎士隊長」

 深々と頭を下げたギーシュの頭上で、カルロの顔は嫌らしく歪んでいた。

「まぁ、恋人が危ないんじゃ、仕方ないよなぁ」
「あ、ありがとう……」

 ギーシュに見えないように笑い続けながら、カルロは呟く。

「この先で、良く婦女暴行が行われているらしいんだが」

 ついと指差された方向に、蒼白になったギーシュが走り出す。

「あぁ、そこを左、次は真っ直ぐ、その建物の中だ」
「良かったな、何も無かったようじゃないか……次に怪しいのはそうだな……」

 一言一言に過剰反応するギーシュを、玩具の様に操りながらカルロは見知った街を駆ける。

 走りつかれ、その場に崩れたギーシュには更に言葉を送る。

「ここで最近殺人事件が有ってね、犯人はまだ捕まっていないんだ」
「被害者の状況は酷くてね……女性相手の快楽殺人犯だったみたいでね」

 死力を振り絞るギーシュを、見つめる冷たい瞳のその色は……

 それはそれは楽しそうだった。

「げ……ほっ……ぁ……ぅ……」
「あぁ、いいのかな? この先にも怪しい建物が在るのだが?」

 僅かに反応したギーシュの手が、ぱたりと道の上に落ちる。
 数時間走り続けたギーシュは、気絶することでようやく初めての休憩を取れた。

(ちっ……水でもかけるか)

 辺りを見回すカルロの視界に、部下がこっそりと忍んでくるのが見えた。
 流石に他人にこの様を見られると不審に思われる。

 そう考えたカルロは自分から部下に近づき、ギーシュをその視界から隠した。

「どうした?」
「隊長……気付きませんか?」

 手がかりを見つけた。
 つまり、自分が何かへまをしていたのか。
 カルロは焦りながら先を促した。

「証拠が無さ過ぎます。ここまで完璧にこの街で痕跡を消せるのは……治安を預かる側……つまり聖堂騎士が一番怪しい」

 カルロの背中を冷たい物が走った。
 周りを見回し、人影を確認する……が……

(こいつが、他の誰かに言ってから来ているとすると……消したところで意味が無い)

「最後に姿を確認された地点はかなり人通りがあったはずなのですが、警備中の騎士が誰も見ていないというのも異常です。
 それにそれらしい人影と聖堂騎士が一緒だったという報告も数件あります」
(無駄に優秀な男だ)
「聖下に聖堂騎士全てについての査察をするよう、隊長から進言いただけないでしょうか」

 瞑目し、黙考。

「……事は軽々しく話す事もできないな……所で、この事は君が気付いて?」
「はい」
「ここに相談に来ることを他に知っている者は?」
「いえ、連れとははぐれた振りをして来ましたので、誰にも悟られておりません」

 ……

「君に見てほしいものが在るのだが、ちょっとそこの路地まで来てくれないか? 犯人がどうやって彼女を運んだのか分るかもしれない」
「た、隊長は手がかりを? 流石です、内部犯等とは自分の考えすぎだったのですね」

 ほっとした様子で付いてくる騎士の背後から、カルロはそっと呟いた。

「彼女の周りにゴーレムを作って、それに鎧を着せたのさ。
 聖堂騎士と私服とはいえ騎士隊長だ、何処でもフリーパスだったよ」

 振り向くより速く、ナイフが闇に煌いた。

「グラモン! グラモン! 起きろ……」
「ぐ……ぁ……げほっ……」

 ギーシュは乱暴に揺さぶられ、無理やり意識を覚醒させられた。

「す、すまな……い……」
「いいから、ちょっと来てくれ」

 それは、ギーシュが倒れていた位置からほんの少し通りを奥に入ったところ。
 距離すれば、十数メートルしか離れていないその通りは、真っ赤に染まっていた。

「……え? ……な……」

 ギーシュが事態を把握しきる前に、カルロが首を切り裂かれた遺体を示しながら語る。

「僕たちは街で嫌われているからね、そろそろ日が落ちて通りも暗くなり始めたということさ」

 本来、こんな時間に我々は街をうろつかないのだがね。

 そう続けるカルロの声を、どこか遠くに聞きながらギーシュは年近い少年の遺体の側に跪き脈を確かめた。
 冷たい腕。妙に重く感じるその感触は、生き物のそれでは無く。
 戦場で幾度か見た、ただの肉塊と成り果てた、元・生き物。

「あ……ぁ……」
「こんな時間に我々をここに連れ出したのは誰だったかな?」

 カルロは静かにギーシュの魂に毒を垂らす。

「優秀な男だったのに残念だよ」
「良かったな、被害者が君の恋人じゃなくて」

「これからも、まだ何人か死ぬかもしれないな」

 力なく遺体の腕を握り締めていたギーシュの身体が、ビクリと震えた。

「まぁ、君は騎士隊長だ。自分の隊の事は好きにすればいいさ」

 虚ろな眼で物言わぬ騎士を返し下に見つめるギーシュの肩をしっかり掴んだカルロは、ゆっくりと確実に聞こえるよう囁いた。

「女王からの預かり物とはいえ、君の隊は君の物だ。好きに使って、いくらでも使い潰せばいいさ」
「なっ、み、皆は僕のクラスメイトだ、友達なんだ。そんな危険な目に会わせる訳にっ」
「なら……恋人は見捨てるのか? グラモン」

 痛いほどに掴まれていた腕の力が、ふっと緩み優しいほどの口調でカルロは続ける。

「いいじゃないか、たとえ何人死のうと、苦しもうと、君の大切な人が助かるのなら、彼らも納得してくれるさ」

 そのままギーシュから離れ、うな垂れ蒼い顔をしている彼を観察する。

 ……そして……
 立ち上がったギーシュが騎士隊を呼び集め始めると、カルロは密かに哂った。

 用事が在るので少し外す。
 カルロはそれだけ伝えると、聖堂へ撤収した部隊から別行動をとった。

 真っ直ぐに自室に戻り、掛けてあった『ロック』の呪文を確認した。
 いまだ解除されていないその呪文が、誰も部屋に出入りしていないことを保証しあふれそうになる笑いを必死でこらえた。

 気配を殺し、物音を立てないように注意しながら自分の部屋に侵入すると、入り口からは見えないように注意深く配置されたベットの上には拘束された少女の姿があった。
 よほど暴れたらしく、硬く結んだ後に頭上でベットに固定されている手首は滲み出る血で赤く汚れていた。

「……モンモランシーというそうだな」

 恐怖を煽るため、部屋に入ったことに気づかれる前にカルロから声をかけると、モンモランシーは弾かれたように罵声を浴びせようとしたが、

「んっ……んんんっ、ぁっ…………」

 万が一に悲鳴が漏れて人が駆けつけないように、その口には猿轡が噛ませて有った。

 身動きの出来ないモンモランシーの傍らに、にやにやと笑うカルロが腰を下ろし息のかかるほど近くからまっすぐに顔を見つめた。

「いい事を教えてやろうか?」

 そう言いながら、鍛えられた手が胸の上に乗せられる。
 モンモランシーの身体は嫌悪で暴れだそうとするのに、怯えが全ての抵抗を停止させる。
 嫌なのに、まるで無抵抗になってしまった自分に対する悔しさと恐怖で、じんわりと世界が滲む。

 だが……
 その涙が零れ落ちる前に、カルロは躊躇なく右腕に力を注いだ。
 成長途中の胸は、繊細で敏感で自分でも強く触ると痛みを感じるほどなのに。

 ――世界が灼熱し、言葉を封じられた喉からありったけの空気が吐き出される。

 カルロは、恐怖も怯えも全て吹き飛ばしてしまう激痛にモンモランシーが悶え狂う様を、じっくりと鑑賞した。

 身体が軋み、間接が悲鳴を上げるほどの力で歪められ、場所も状況も忘れるほど必死に狂乱しているのを見ると……

 カルロはほっとくつろいだ。

 憎い相手の恋人を……あそこまで必死に探す意中の相手を。
 自分は完全に掌握している。

 その事実はどんな美酒より極上で……

「っ……ぁ…………っく…………」

 時間を掛けて痛みが一段楽するまで眺めていたカルロは、モンモランシーが落ち着いたのを見て、やっとこの部屋に帰ってきた目的を果たした。

「グラモンはお前を見捨てたよ」

 モンモランシーが驚愕に目を見開くと同時に、カルロの手はもう片方の胸を……

「隊長! 何処にいらしたんですか?」
「いや、少し纏める書類があったのでね」

 ギーシュと共に聖堂に帰ったカルロは、ほんの十数分席を外しただけだと言うのに、生き生きとしていた。

「申し訳ありませんが、至急こちらに……水精霊騎士隊のグラモン隊長が、副隊長と揉めてらっしゃいます」
「ほぅ……それは、それは」

 目を輝かせたカルロが導かれるままに進むと、人の迷惑にならないような物陰でギーシュがサイトをはじめとする数名の騎士に吊るし上げられていた。

「ギーシュっ、モンモンが見つかったから撤収したんじゃなかったのかよっ!」
「…………捜索は……明日に……続きを……」
「ギーシュ!」

 ギーシュは激昂したサイトに壁に叩き付けられ、そのままずるずるとその場に崩れ落ちた。
 サイト達の顔を見ないように、うつむいたまま撤収の理由を作ろうとぼそぼそと言葉を続けた。

「……モンモランシーじゃなかったのかもしれないしね」
「ギーシュ、悪いがそれはない。港の係員に君の持ち込んでいた彼女の肖像を見せた……
 間違いなくこの国に入国しているし……行方不明だ」

 誰かのつぶやきの後、自然に全員が黙り込み不自然な沈黙が満ちた。

 皆心配なのだ。
 訓練で怪我の耐えない騎士隊のメンバーの中に、彼女の世話に成っていない者は一人としていない。
 ギーシュとのじゃれ合う様な掛け合いも、その後に続く微笑ましい折檻も騎士隊にとって、無くてはならない日常だった。

 なにより、自分が守れなかったときに、大切な相手のために命を掛けてくれた親友にサイトは恩を返そうとしていた。

 しかし、それでも……体温を失った騎士の腕が、ギーシュをサイトの前に立ちふさがらせた。

「め、命令だ、騎士隊長としての命令だ……みんな、部屋に戻るんだ」

 端から見ていても、お互いを大切に思っている事がわかる一幕に、聖堂騎士たちが息を呑む。
 そして、水精霊騎士達をギーシュを始めとした一団を尊敬の眼差しで見つめていた。

 ――周りに聞こえないように小さく舌打ちしたカルロは、ギーシュとサイトの間に亀裂を入れるために動き始めた。

「ギーシュ・ド・グラモンという男は、隊長として問題があるようだな。
 部下に命令のひとつも下せないなんてな」

 ギーシュを馬鹿にした途端にサイト達からの冷たい視線が集められる。
 それすらも、思い通りに人を動かしてきたカルロにとっては予想通りの反応だった。

「説明ひとつろくに出来ないようじゃ、隊長としてこの先やっていけるのか不安だな」

 水精霊騎士の注目が一身に集まるのを感じながら、彼らの注目がピークに達したところで、カルロは説明を始めた。

「グラモンは君たちの力を信用していないだけだ」
「は?」

 ギーシュが思わず反論しようとするのを、カルロはまっすぐ目を見つめて止めていた。
『黙って僕に任せたまえ』
 ――最悪の結果を招いてやる。

 そんなカルロの心の声が聞こえるはずもなく、ギーシュは大人しく黙り込む。
 ……それは、まるでギーシュがカルロの言葉を認めたかのようだった。

「先ほど、聖堂騎士隊に欠員が出た……街に下りた際に何者かに殺害されたのだ」

 ギーシュの反論がないため、サイト達は大人しくカルロの言葉に聞き入った。
 部下を鼓舞し、指揮することに慣れたカルロの声は、力強く響き、そこに語られることがまるで真実であるかのように紡がれる。

「死体を発見したのは僕とグラモンの二人だ……
 見事な手並みでね、並みの使い手ではかなわないだろうね」

 そしてカルロは語り始める。
 ロマリアでは騎士がいかに嫌われているかを。
 サイト達との始めてあった時の群衆の行動を交え、詳細に語る。
 
 そして……

「君たちでは勝てない、グラモンはそう判断したのだよ」

 そんな事は無い、危ない目に合わせたくないだけだ。
 ギーシュはそう言いたかったが、今口を挟むわけにもいかない。

「……ギーシュ……俺たちそんなに頼りないか?」
「ち、ちがっ……」
「そうっ、君たちが心配なんだグラモンは」

 ……確かに心配だった……が、このタイミングで認めても、何の解決にもならない。

「……ギーシュ、僕たちもモンモランシーが心配なんだ……たとえ君が反対しても、街に下りるよ」
「ま、待て、待ってくれ」

 ギーシュ自身も、今すぐ街に下りたかったが自分の都合で騎士隊を危険な目に合わせる。
 そんな男になるのは、貴族としての誇りが許さなかった。

「め、命令だ……水精霊騎士隊・隊長としても命令だ……みんな、街に下りることは許可できなっ」

 そこまで言った瞬間、ギーシュはもう一度壁まで突き飛ばされた。

「ギーシュっ! いい加減にしろよ! 困った時くらい俺たちを頼れよ、何のための仲間だっ」

 自分が居ない間に、ギーシュは決死でルイズを守ってくれた。
 その思いが、サイトを過剰なまでに反応させた。

 お互いがお互いを思っていても、暴力に出てしまっては容易く思いはすれ違う。

「……だ……れのっ……」

 誰のためを思って言っていると思っているんだ?
 その言葉はギーシュの口の中で消えながら、拳がサイトに向かっていった。

 続いて起きた乱闘で、水精霊騎士隊が街に下りる話はうやむやになり、数人の聖堂騎士の手でギーシュとサイトは取り押さえられた。

「げ……ほっ……げほっ……ぐ……ぁ……」

 ギーシュはカルロの手で取り押さえられていたが、その際に偶然を装い痕が目立たないように服の上から良いのが数発抉り込まれていた。

「落ち着けよ、グラモン……暴れていても、彼女の無事は保証されないぞ」

 無力に取り押さえた状態で、愛しい人の危機と、自分には何も出来ない現実を突きつける。
 カルロは笑いをこらえるので精一杯だった。

「……なせ」
「んんん? 何かな? グラモン」
「離せっ」

 どこにそんな力が残っていたのか、ギーシュは力任せに立ち上がりながら炯々と目を光らせた。
 追い詰められた獣のように、荒い息を吐きながらカルロを睨み付けた。

「ちょっ……ギーシュ落ち着け」
「まてっ、サイト……離せっ、離してくれっ!」

 数秒前まで喧嘩してはいても、サイトにとってギーシュは大切な友人で、その友人がまったく関係ない人間に今にも襲いかかろうとしていては止めない訳には行かなかった。

「落ち着け、ギーシュ」
「離せっ! 離せぇぇぇぇっ!! 離せサイトォォォォォ!」

 狂ったように暴れ始めたギーシュを見て、カルロはまた一つ幸せを噛み締めた。

「副隊長だったな? ちゃんとその狂犬を押さえつけておいてくれよ。
 自分が無力だからといって、言い難いことを言っただけで襲い掛かられてはたまらないからな」
「ちっ、なんだか分からんが、ギーシュの目の前から消えろっ!
 何を言ったのか分からなかったけど、ギーシュが普通ここまで怒るは……」
「離せぇぇぇぇぇっ、離してくれっ、サイトォォォォ!!」

 体力はサイトのほうが上回っているはずなのに、ギーシュはそれすら振りほどいて前に進もうとしていた。
 その瞳には狂おしいまでの炎が宿り、ほんの一瞬目が合ったカルロは、思わずサイトの言葉にすがった。

「わ、私は悪く無いからなっ、しっかりそいつを監視しておけよっ」

 勝ち誇っていた筈のカルロは、ギーシュの一睨みで精神的優位を崩された。

 そして……それは彼のプライドに大きな傷を付け……

(こ、この報いはお前の女に、たっぷりとくれてやるからなぁっ!)

 自室への足を急がせた。

 ガチャガチャと乱暴にドアが開かれる。
 怯えと共に、僅かな希望……

(ギーシュ! お願いっ……助け……)

「知っているか?」

 期待と裏腹に、部屋に立ち入ってきた男の声は、忘れたくとも忘れられない絶望の主。

「聖都の消灯は早い……つまり……時間はたっぷりと有る……」
(やあぁぁぁぁぁっ!)

 カルロは振り向くと扉に厳重な『ロック』を掛ける。

(や……ぁ……そんなの……そんなの……)

 他に入り口の無い部屋。
 つまりは、この男がその気になるまで自分はここに拘束されたまま。

「……まだ、仕事はあるが……まず手始めに手付けだけでも貰うとするかなぁ」

 カルロの視線が足の間に絡み付いているのを察した、モンモランシーは何が起こるのか理解し、必死に叫ぶ。
 たとえ、猿轡を噛まされていて言葉に成らなくとも。
 始祖より、父母より、いつの間にか頼りにしている愛しい人の名を。

(ギーシュっ! ギーシュゥゥゥ、いやぁぁぁぁ、お願いっ助けてっ、助けてよぉ)

 拘束された手首に、ぎりぎりとロープが食い込み皿に出血を誘うが、今目の前にある危機はそんな些細な問題より、はるかに重大だった。

 ――そんなモンモランシーを、カルロはまるで慈しむ様に見つめながら言った。

「このままじゃ、悲鳴が聞けないな……あの男の名前を呼ぶ相手の初めての男に成るのは……楽しいだろうなぁ」

 狂ってる。
 モンモランシーは、そう確信したが。
 同時にカルロが口にした言葉に、絶望を深くする。
 『初めての男』そう言ったのだ。
 絶望は彼女の力を奪い、拘束を解かれたというのに、逃れられない恐怖を前に全ての抵抗を放棄させた。

「おや? 騒ぐのは止めたのか?」

 凍ってしまった心で、物でも見るようにカルロを見つめる。

(ごめんね……ギーシュ……ごめんね……)

 こんなどうでもいい男に、奪われる位なら……もっと早く貴方に……
 自分の腕がねじり上げられ、無造作に体が固定されるのを見ながら、モンモランシーは……

「あぁ……そうだ……使い終わったら、ギーシュに返そう。一晩掛けてあいつに余計なことが言えない位教育してから……そうしたら……
 あいつ、俺の中古品で大喜びすることになるんだなぁぁぁぁ」

 ……どこまでもギーシュを愚弄する言葉に、凍った筈の心が悲鳴を上げる。

「やぁぁぁぁぁぁっ、ギーーシュ、助けてぇぇぇぇ」

 耳が痛いほどの悲鳴を聞きながら、悦に入ったカルロは濡れてもいない秘所を無理やり引き裂こうとした。

 が、そのとき。

 ――バキン

 耳慣れない音が、廊下から響き渡る。

 ――メキメキメキメキ

「な、なんだっ?」

 石造りの頑丈な壁が、熱せられた飴細工のように形を変える。
 地震のような激しい振動に、カルロは体勢を維持できずモンモランシーを手放してしまった。

 モンモランシーはその機会を逃さず、ぼろぼろに裂かれた服のまま部屋の端まで逃げ去った。

 ――そして、形を変えた壁の向こうから、ギーシュ・ド・グラモンが姿を現す。

「見つけた……」
「ギーシュ!」

 モンモランシーはそのままギーシュに駆け寄り、その腕の中でぽろぽろと涙をこぼし始めた。
 ギーシュは黙って傷だらけのモンモランシーを見ると、静かに……とても静かにカルロを見つめた。

 カルロは慌てながらもズボンを上げ、杖をギーシュに向ける。
(まだ……だ、まだ……)

 カルロはギーシュがここにたどり着いたのを偶然だと判断した。
 ならば……先ほどの猛り狂ったギーシュが自分に挑んできたため、やむなく決闘の上殺した。
 そうすればギーシュが見たことは闇に消え、モンモランシーをもう一度閉じ込めることも容易い。

 その……つもりだった。

「香水が……ね……カルロ」
「? な、なんだと?」
「彼女の香水の香りが君からしたんだ……」
「……そ、そんな、どこにでも有る物で、こんな暴挙をしでかしたのか? 君はっ」

 カルロは知らない。
 モンモランシーの香水が彼女のオリジナルである事も、今付けているものがギーシュと会うとき専用の取って置きだという事も。
 ギーシュがその香りを間違えることなどありえない事も、彼は知らない。

「暴挙?」
「聖堂騎士の宿舎を破るなどっ……誅殺してくれるっ! 死ねっ」

 カルロは知っている。
 水精霊騎士隊・隊長。
 その立派な肩書きに見合わず、ギーシュ・ド・グラモンがドットメイジにしか過ぎないことを。
 一度杖を交わした彼は、本気を出せば自分ならば容易く彼を殺せる事を――知っていた。

 カルロが詠唱を始めたというのに、ギーシュは冷たい瞳でじっと見つめるだけだった。

(諦めたのか?)

 自分に勝てるはずが無いことを理解しているグラモンが、恋人と一緒に死ぬことを選んだ。
 カルロはそう判断し、愉しみの予感に震えた。

(ならば……半死半生にして、奴の前で恋人を嬲ってからあの世に送ってっ……)

 ギーシュと目が合った瞬間、カルロの舌が凍りついた。
 背筋を這い上がる冷たい予感が、逃げろと叫んでいた。
 この男には勝てないと、自分がこいつを殺せるはず……そんな知識は何かの間違いだと……

 そう……叫んでいた。

(そんな筈は無いっ!)

 惨めなプライドを振り絞り、詠唱を再開する。
 そして……ギーシュに杖を向けながら……

 カルロは思い出していた。
 自分の呪文では、この部屋の壁に傷一つ付けられなかった事を。
 今、飴の様に曲がった壁が、どれほど強力な『固定化』に守られていたのかを。

「ワルキューレ」

 ぼそりとギーシュが呟くと、”作りかけられた居た”ゴーレムがその姿を現す。
 部屋の壁を材料に構成されたゴーレムは、その作成過程の”ついで”として壁を貫いていた。

「ちょっ! まてぇぇぇぇぇ、ぐぁ」

 カルロは忘れていた。
 メイジがその能力を飛躍的に伸ばす可能性を。
 知っては居ても、めったに起き得ぬその現象をよもやこの男が起こす可能性を。

 ここまで追い詰められた、ギーシュのモンモランシーを求める心はその魔力を底上げし……

 ワルキューレに握りつぶされかけているカルロを取り出すのには、トライアングルメイジ数人を以ってしても敵う事は無かった。

 

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Last-modified: 2008-11-10 (月) 22:55:22 (5646d)

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